2022年11月06日

1986年開催・第58回アカデミー賞授賞式!黒澤明が登場/授賞スピーチ紹介/全受賞作品・ノミネート作品紹介

1986年開催・第58回アカデミー賞・授賞式動画紹介


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関連レビュー:アカデミー賞紹介
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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第58回アカデミー賞授賞式は、1985年公開作品を対象にして1986年 3 月 24 日、ロサンゼルスのドロシー チャンドラー パビリオンで授賞式が行われた。司会は俳優アラン・アルダ、ジェーン・フォンダとロビン・ウィリアムズが共同で務めた。
最多部門ノミネートは11部門のスピルバーグ『カラー・パープル』と『愛と悲しみの果て』で、以下8部門の 『女と男の名誉』、『刑事ジョンブック目撃者』が続いた。実際の最多受賞は『愛と悲しみの果て』が、最優秀作品賞を含む 7 部門を受賞し、一方の『カラーパープル』は、11の候補となりながら一つも獲得できず、明暗が分かれた。『カラーパープル』のスピルバーグ監督は「私は一生オスカーを取れないだろうと」嘆いたと伝えられている。また、日本の黒澤監督も映画『乱』で監督賞にノミネートされ、惜しくも受賞はならなかったものの、作品賞のプレゼンターとしても登場し大きな拍手を受けた。
関連レビュー:スピルバーグのオスカー候補作
映画『戦火の馬』
第一次世界大戦を駆け抜けた軍馬を描く感動作
「現実世界の物語」と「おとぎ話」の融合とは?
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<目次>

司会者オープニング・スピーチ

助演女優賞スピーチ/アンジェリカ・ヒューストン

助演男優賞スピーチ

主演女優賞スピーチ/ジェラルディン・ペイジ

主演男優賞スピーチ/ウィリアム・ハート

監督賞スピーチ/シドニー・ポラック

作品賞スピーチ

2011年映画関係者・追悼フィルム

アカデミー名誉賞/ポール・ニューマン

ジーン・ハーショルト友愛賞/チャールズ・ロジャース

その他全部門ノミネートと受賞

第58回アカデミー賞・司会者オープニングスピーチ

俳優アラン・アルダ、ジェーン・フォンダとロビン・ウィリアムズがオープニングを務め、笑いを誘った。
ジェーン・フォンダ:今晩は10億の皆さん。/アラン・アルダ:今夜は世界中の人々が見ている。我らの言語的サービス役の補助司会者ロビン・ウィリアムスです。(ロビン・ウィリアムス登場)/アラン・アルダ:アカデミーは中華人民共和国の皆さんに挨拶を送ります。/ロビン・ウィリアムス:でたらめ中国語/ジェーン・フォンダ:そしてインドの皆さんにハローを。/ロビン・ウィリアムス:でたらめインド語/アラン・アルダ:こんにちわフランス/ロビン・ウィリアムス:でたらめフランス語/ジェーン・フォンダ:特別のお祝いをフィリピンの皆さんに/ロビン・ウィリアムス:誇張したフィリピン英語
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第58回アカデミー賞・主要賞結果


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第58回アカデミー賞・助演女優賞スピーチ

プレゼンターはマーシャ・メースン、リチャード・ドレフュス
リチャード・ドレフュスがノミネート者発表。
マーガレット・エイブリー(カラーパープル)/アンジェリカ・ヒューストン(女と男の名誉)/エイミー・マディガン(燃えてふたたび:原題Twice in a Lifetime)/メグ・ティリー(アグネス)/オプラ・ウィンフリー(カラーパープル)

受賞者はアンジェリカ・ヒューストン(女と男の名誉)
【受賞スピーチ・意訳】
仲間の候補者と私自身を賞賛してくれたアカデミー協会メンバーに感謝したいと思います。これは、私が父(ジョン・ヒューストン)の監督した役から来ているので、私にとって大きな意味があり、父にとって大きな意味があると分かっています。 また、『男と女の名誉』の俳優とスタッフ全員に感謝したいと思います。名前はことさら言いません。皆自分で分かっているから。そして、私の友人たち、彼らの愛とサポート、そして私の守護天使、特にブルース・ワイントローブと私の恩師ミス・ペギー・フューリーに。ありがとうございました。
関連レビュー:アンジェリカ・ヒューストン受賞作
映画『女と男の名誉』
ジョン・ヒューストン監督作品、マフイアを笑う映画
ジャック・ニコルソン、キャスリーン・ターナー共演
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第58回アカデミー賞・助演男優賞スピーチ

プレゼンターはシェール
私がオスカーを受賞した時の写真を見れば、真の女優がどんな衣装を着ればいいか分かる(57回オスカーできわどい衣装で受賞した)と笑いを誘いノミネート者を発表。
ドン・アメチー(コクーン)/クラウス・マリア・ブランダウアー(愛と哀しみの果て)/ウィリアム・ヒッキー(女と男の名誉)/ロバート・ロジア(白と黒のナイフ)/エリック・ロバーツ(暴走機関車)

受賞者はドン・アメチー(コクーン)。
【受賞スピーチ・意訳】
『コクーン』へ創造的な貢献をした全員、ここにいるに値するので、私はその魂と一緒にここに立つことができてとてもうれしいです。そして、彼らに深く、深く感謝いたします。アカデミー協会のすべてのメンバーに。この尊敬されている紳士(オスカー)が、皆様は私に皆様の承認を与え、皆様は私に皆様の愛を与えた、と言っています。皆様が私に与えてくれたもの、そして皆様の尊敬に見合った、私であろうと思います. これらすべてに、私は深く感謝しています。ありがとうございました。
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第58回アカデミー賞・主演女優賞スピーチ

プレゼンターはF・マーリー・エイブラハム
主演女優賞の候補者は24回候補になり4回獲得しており、本日5個目になると言い、その役柄を語りつつノミネート者を発表。
アン・バンクロフト(アグネス)/ウーピー・ゴールドバーグ(カラーパープル)/ジェシカ・ラング(ジェシカ・ラングのスウィート・ドリーム:原題Sweet Dreams)/ジェラルディン・ペイジ(バウンティフルへの旅)/メリル・ストリープ(愛と哀しみの果て)
受賞者はジェラルディン・ペイジ(バウンティフルへの旅)

【受賞スピーチ・意訳】
皆様に感謝します。また、マレー(プレゼンター)にも、ここにいる間に伝えたかったですが。ミラー・レパートリー・カンパニーに感謝します。
そして、ホートン・フート(プロデューサー)に感謝します。アカデミー協会のメンバーが、私がしたように「キャリー・ワッツ(役名)」に明確に反応してくれて、とてもうれしく思います。それが彼の書き方です。そして、ジョン・ハード、カーリン、リチャード・ブラッドフォード、レベッカなど、社内の我々全員に感謝したいと思います。And it was all through the beautiful eye of Fred Murphy and the masterful direction, and his film debut as a director, Peter Masterson. そして、フレッド・マーフィーの美しい目と見事な演出は、彼の監督としての映画デビューである、ピーター・マスターソンを通したものでした。しかし、この大部分は、ホートンのせいです。大変、皆さんに感謝します。
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第58回アカデミー賞・主演男優賞スピーチ

プレゼンターはサリー・フィールド
役柄を紹介しながら、ノミネート者発表。
ハリソン・フォード(刑事ジョン・ブック 目撃者)/ジェームズ・ガーナー(マーフィのロマンス原題:Murphy's Romance)/ウィリアム・ハート(蜘蛛女のキス)/ジャック・ニコルソン(女と男の名誉)/ジョン・ボイト(暴走機関車)

受賞者はウィリアム・ハート(蜘蛛女のキス)。
【受賞スピーチ・意訳】
私はこれをラウルと共有します. ドキ、ドキ、ドキ、分かるかな、信じられない。ここに来ると期待していなかったので、何を言うべきかわからない。この映画を一緒に作ったブラジルの勇敢な人々に感謝したい. ブラジル、サウダージ。俳優であることをとても誇りに思います。どうもありがとうございました。
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第58回アカデミー賞・監督賞スピーチ

プレゼンターはバーブラ・ストライサンド
5人のノミネート者発表。
ヘクトール・バベンコ(蜘蛛女のキス)/シドニー・ポラック(愛と哀しみの果て)/ジョン・ヒューストン(女と男の名誉)/黒澤明(乱)/ピーター・ウィアー(刑事ジョン・ブック 目撃者)

受賞者はシドニー・ポラック(愛と哀しみの果て)
【受賞スピーチ・意訳】
大変感謝しております。フランク・プライス(プロデューサー)がこの映画を可能にしました。
彼は最も重要なときに勇気を持ち、簡単にノーと言えました。私はこの素材から脚本を作ることが不可能だとわかっていたので、挑戦しなかった。Kurt Luedtke は、それが不可能であると知らなかったので、それを成し遂げました。David Rayfiel は我々を正直にさせました。メリル、ボブ、クラウス、マリックは、これらのキャラクターに命を吹き込み、信じられないほどの世界を作りました。我々全ては、我々が前進するのを、Terry Cleggによって常に助けられてきました。私は編集者のチームがいて、週 7 日、1 日 12 時間、私と一緒に部屋に閉じこもり、世界に他に何も存在しないかのように振る舞っていました。ジョン・バリーはすべてを歌い上げました。カレン・ブリクセンはその人生を生き、そして、それを芸術に変え、その世代に散文を書く新しい方法を教えました。我が妻のクレアは、私が持つ権利以上の励ましをくれ、耐えてくれ、寛大でした。私は彼ら全員にお世話になりました。これを言わずに私は表彰台から去れません。私はメリル・ストリープがいなければ、この映画を作ることはできなかったでしょう。彼女は個人的にもプロとしても、あらゆる点で驚くべき存在であり、感謝してもしきれません。ありがとうございました。
関連レビュー:オスカー作品賞受賞作
映画『愛と哀しみの果て』
アフリカを生きたスウェーデン貴族女性の実話を解説!!
アフリカを題材にした映画紹介
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第58回アカデミー賞・作品賞スピーチ

司会者がプレゼンターの監督3人を呼び込む。
ジョン・ヒューストン、ビリー・ワイルダー、黒澤明が登場。ノミネート作品を発表。

カラーパープル/蜘蛛女のキス/*愛と哀しみの果て/女と男の名誉/刑事ジョン・ブック 目撃者

受賞作は愛と哀しみの果て
【受賞スピーチ・意訳】
これは我々全てにとって素晴らしい夜です。他に何かを言うべきかわかりませんが、本当にありがとうございます。前(監督賞スピーチ)に誰か呼び落としていれば、それはすべてプレッシャーのせいだったと理解して下さい。本当にありがとう。皆さん、ありがとうございました。
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第58回アカデミー賞・アカデミー名誉賞

ポール・ニューマン
プレゼンターはサリー・フィールド。シカゴで『ハスラー2』撮影中のポール・ニューマンに呼びかける。
【受賞スピーチ・意訳】
ありがとう、サリー。そこにいてくれて感謝する。アカデミーのメンバーには本当に感謝したい。そして、これがフォレストローン(墓地)へのギフト券として包装されていなかったことに特に感謝している。 スペンサー・トレーシー(往年の名俳優)、その伝説によると、若い男性から「私は俳優になるつもりだ」と声をかけられたと言う。トレーシーは、「それは素晴らしいことだ。ただ、それ(俳優=演技)に囚われないようにしなさい」と答えたと言う。私が学習曲線のどこにいるのかは分からないが、今夜は多くの栄養と一種の許しが提供されたことは分かっている。思うに、危険と多分私自身の少々の驚きが、僅かな希望で、私の最良の仕事はこれからのもので、自分の過去にはない。ありがとう。
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他にアレックス・ノースが受賞
関連レビュー:ポール・ニューマンの大ヒット映画『ハスラー2』
第2次ビリヤード・ブームを生んだ映画
ポール・ニューマンのアカデミー賞受賞作
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第58回アカデミー賞・ジーン・ハーショルト友愛賞

サイレント時代の大スターチャールズ・ロジャーズに贈られた。
プレゼンターはボブ・ホープ。
【受賞スピーチ・意訳】
ボブ・ホープ:ここであなたにジーン・ハーショルト賞を贈れて、本当に幸せです。/チャールズ・ロジャーズ:
ドキドキしているよ、ボブ。ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
そして、心からアカデミー協会に感謝したいと思う。分かるかな、古い俳優は決して死なない。ただその役を失うだけだと、彼らは言います。私は全ての役を失ったわけじゃない。なぜなら、これは、ハリウッドに長年住んでいて、決して得た事のない最高の役だからです。これは私の最高の役です。今夜、ジーンが私たちを見下しているのなら、彼が喜んでくれることを願っている。だって私がこんなに興奮してる。私はこのオスカーを家に持ち帰り、誇しくメアリー(ピックフォード)の 2 つのオスカーの横に置きます。そしてボブ、ボブ、 ボブ。/ボブ・ホープ:はい。ここにおります。/チャールズ・ロジャーズ:私は言いたい、思い出に感謝する。ありがとう、ボブ。百万回ありがとう。ボブと一緒に、そして皆と一緒にここにいることができて、とても興奮している。
関連レビュー:チャールズ・ロジャーズの代表作
『つばさ 』
第1回アカデミー作品賞!第一次世界大戦のパイロット達の闘い!
戦争映画の古典!サイレント映画最高のアクションシーン!!

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第58回アカデミー賞・各賞結果

賞名受賞ノミネート
脚本賞ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル(バック・トゥ・ザ・フューチャー)/テリー・ギリアム、トム・ストッパード、チャールズ・マッケオン(未来世紀ブラジル)/ルイス・プエンソ、アイーダ・ボルトニク(オフィシャル・ストーリー)/ウッディ・アレン(カイロの紫のバラ)
脚色賞 カート・リュードック(愛と哀しみの果て)メノ・メイエス(カラーパープル)/レナード・シュレイダー(蜘蛛女のキス)/リチャード・コンドン、ジャネット・ローチ(女と男の名誉)/ホートン・フート(バウンティフルへの旅)
外国語映画賞オフィシャル・ストーリーBittere Ernte/連隊長レドル/赤ちゃんに乾杯!/パパは、出張中!
長編ドキュメンタリー賞Broken RainbowLas Madres--The Mothers of Plaza de Mayo/Soldiers in Hiding/The Statue of Liberty/公式命令9066日本人強制収容所(原題:Unfinished business)
撮影賞愛と哀しみの果てカラーパープル/マーフィのロマンス(原題:Murphy's Romance)/乱/刑事ジョン・ブック目撃者
編集賞刑事ジョン・ブック 目撃者コーラスライン/愛と哀しみの果て/女と男の名誉/暴走機関車
作曲賞愛と哀しみの果てアグネス/カラーパープル/シルバラード/刑事ジョン・ブック 目撃者
衣装デザイン賞カラーパープル/ナティ物語(原題:The Journey of Natty Gann)/愛と哀しみの果て/女と男の名誉
美術賞愛と哀しみの果て未来世紀ブラジル/カラーパープル/乱/刑事ジョン・ブック 目撃者
視覚効果賞コクーンバック・トゥ・ザ・フューチャー/コーラスライン/レディホーク/シルバラード
音響賞愛と哀しみの果てバック・トゥ・ザ・フューチャー/コーラスライン/レディホーク/シルバラード
音響効果編集賞バック・トゥ・ザ・フューチャーレディホーク/ランボー怒りの脱出
メイクアップ賞マスクカラーパープル/レモ 第1の挑戦
主題歌賞Say You, Say Me” ホワイトナイツ 白夜“Miss Celie's Blues (Sister) ”カラーパープル/“The Power Of Love”バック・トゥ・ザ・フューチャー/“Separate Lives (Love Theme From 'White Nights')”ホワイトナイツ 白夜/“Surprise, Surprise”コーラスライン
短編実写映画賞Molly's PilgrimGraffiti/Rainbow War
短編アニメーション賞Anna & BellaThe Big Snit/Second Class Mail
短編ドキュメンタリー賞Witness to War: Dr. Charlie ClementsThe Courage to Care/Keats and His Nightingale: A Blind Date/Making Overtures--The Story of a Community Orchestra/The Wizard of the Strings






posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アカデミー賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月30日

オスカー映画『愛と哀しみの果て』(1985年)は実話だった!感想・解説・考察/ネタバレなしあらすじ・実話紹介・エキゾチック恋愛映画紹介

原題 Out of Africa
製作国 アメリカ
製作年 1985年
上映時間 161分
監督 シドニー・ポラック
脚色 カート・リュデューク
原作 アイザック・ディネーセン 、ジュディス・サーマン 、エロール・トルゼビンスキー


評価:★★★   3.0



アフリカを舞台にした壮大なラブストーリーを、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードの主演で描き、公開当時高い評価を受け、その年のアカデミー賞で最優秀作品賞を含め複数の賞を獲得した。

この作品は下に書いたように、スウェーデン貴族夫人の実話を元にしており、余談ながら、この原作者カレン・ブリクセン(ペンネーム:アイザック・ディネーセン)は、もう一つ名作映画『バベットの晩餐会』の原作となる小説を書いている。

女性映画としての一面も持ち、そんな自立したヒロインを演じたメリル・ストリープは、その演技力の片りんを見せている・・・・・・
しかし、映画全体として見た時、個人的には凡庸な印象があり、その原因を以下の文章の中で考えてみたい。
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<目次>
映画『愛と哀しみの果て』簡単あらすじ
映画『愛と哀しみの果て』予告・出演者
映画『愛と哀しみの果て』感想
映画『愛と哀しみの果て』考察/異郷を舞台にした恋愛劇研究
映画『愛と哀しみの果て』解説/実話紹介

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映画『愛と哀しみの果て』あらすじ


小説家カレン・フォン・ブリクセン(メリル・ストリープ)、アフリカの思い出を書き記していた。
1913年カレンは、スウェーデン貴族ブロア・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)と、その称号欲しさに結婚をした。そして、ケニアのコーヒー農園を経営するため、アフリカの地に降り立つ。ついてすぐ結婚式を挙げたカレンは、ハンターのデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)と知り合う。愛のない結婚生活で、夫は農園の面倒を見ず、狩りをするために家を留守にした。仕方なくカレンは原住民キクユ族を雇い事業を経営した。そんな時第一次世界大戦が勃発し、参戦した夫からの依頼で、アフリカの荒野を命がけで食料を届け、男たちを驚かせた。しかし、カレンは夫が浮気相手からうつされた梅毒を発症し、いったん欧州に戻ることになる。再びアフリカに戻ったものの夫は相変わらず家に寄り付かず、浮気も止まず、ついにカレンはブロアを家から放り出した。そんな時、ハンターのデニスが訪れ、二人はお互いを求めるようになる。共に暮らし始めた頃、デニスが複葉機を購入し、二人はアフリカの大地の上を飛んだ。しかし、カレンはデニスを縛り始め、その関係はギクシャクし、ついにはデニスが家を出て行った。そんなカレンに更なる悲劇が降りかかるのだった・・・・・
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映画『愛と哀しみの果て』予告

映画『愛と哀しみの果て』出演者

デニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)/カレン・フォン・ブリクセン男爵夫人(メリル・ストリープ)/ブロア・フォン・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)/バークレー・コール(マイケル・キッチン)/ベルナップ(シェーン・リマー)/ファラ・アデン(マリック・ボウエンズ)/カマンテ(ジョセフ・シアカ)/スティーブン・キナンジュイ(チーフ・キナンジュイ)/デラメア卿(マイケル・ゴフ)/フェリシティ・スパーウェイ(スザンナ・ハミルトン)/レディ・ベルフィールド(レイチェル・ケンプソン)/ベルフィールド卿(グラハム・クロウデン)/サー・ジョセフ・アロイシャス・バーン(レスリー・フィリップス)/レディ・バーン(アナベル・モール)/医師(ドナル・マッキャン)/大臣(ベニー・ヤング)/マリアモ(イマン)/カヌシア(ジョブ・セダ)

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映画『愛と哀しみの果て』感想


この映画は、アカデミー賞で、監督賞、作品賞の他、7 部門で受賞した。
同じ年にはスピルバーグ監督がオスカーを獲りに行ったと噂された『カラーパープル』があり、この2本の映画は11部門のノミネートで並んでいたものの、『カラーパープル』は最優秀賞を一つも獲得できなかった。
<『カラーパープル』予告>

個人的な感想で言えば、この『愛と哀しみの果て』より『カラーパープル』の方が、作品の質としては高いように感じた。

しかし公開時の評価は、どちらも地味な作品ながら、やはり当時の大スター、ロバート・レッドフォードの出演と、白人主体の恋愛物語である点で、より一般的な許容度が高かったのではないだろうか?

この1985年という時代を考えると、スピルバーグ監督の『カラーパープル』は黒人の苦難を描いた真摯な作品ではあるものの、そのオール黒人キャストのブラック・ムービーはハリウッドメジャーの映画としては、挑戦的な試みだったと言えるだろう。

当時の映画産業を見れば、黒人メインの映画は、黒人社会に向けたインディペンス映画が細々と作られていた。
関連レビュー:ブラック・ムービーの歴史とは?
『星の王子 ニューヨークへ行く』
エディ・マーフィが切り開いた、黒人メジャー映画とは?
『ブルース・ブラザース』のジョン・ランディス監督作品

しかし大げさに言えば、その挑戦があって、近年の黒人主体の映画『いつか夜は明ける』や『ムーンライト』などが、近年オスカーを獲得する礎になったのではないかと考えたりする。

話を『愛と哀しみの果て』に戻せば、この映画は古典的な恋愛映画の形、「異郷=僻地」で芽生える愛というドラマの形式を踏襲している。

アフリカの大地と自然の雄大さが美しく収められているのが見事だ。
<空から見たアフリカ>

更にこの物語は実話を元にしており、ただの恋愛物語ではなく自立した女性を描く「女性映画」としての魅力もあるだろう。

しかし、個人的な感想を言えば、この『愛と哀しみの果て』は、自分が男だからかもしれないが、今見れば平凡なドラマと見える。
壮大なアフリカの自然と、当時の大スターであるロバート・レッドフォードの人気と、女性受けする女優メリル・ストリープの演技力もあって、当時のハリウッド大作映画らしい骨格を見せているとは思う。

しかし、どこか冗長で、散漫な印象を受けた。

例えば自分が、主演二人に、もう少し感情移入を促す何かがあれば違っていたかもしれない。

しかし、メリル・ストリープは後年見せる恐るべき説得力は、この映画の時点では希薄だ。
関連レビュー:メリル・ストリープのオスカー受賞作
映画『ソフィーの選択 』
アカデミー主演女優賞を獲得したホロコースト映画
徹底的に救いの無い真正「鬱映画」

また、ロバート・レッドフォードのカリスマ性、スターとしての魔力は、リアルタイムで同時代を生きて初めて感じられるのではないかとも思える。
スターとは、やはりその時代の価値の象徴として輝くのであり、その時代が過ぎ去ってしまえば、その魅力は衰えざるを得ないものかとも思う。
関連レビュー:ロバート・レッドフォードの黄金期の作品
映画『華麗なるギャツビー』
米文学の代表作をロバートレッドフォード主演で描く
アメリカ社会の夢と挫折を描く

往々にして、スターシステムで撮影された映画は、後年その魅力が伝わり難くなるように見えるが、この映画も旬を過ぎた時、魅力を喪う一作だったのかもしれない・・・・・

更に言えば、この映画は古典的な恋愛映画の形、「異郷=僻地=エキゾチズム」で芽生える愛というドラマ形式を踏襲している。

その「異郷恋愛ドラマ」は映画初期より、長い伝統を持ち名作も生まれているがっているが、同時にエキゾチックな舞台が目立ちすぎ、肝心の人間ドラマが希薄になり、凡作も生まれて来たのも事実なのだ・・・・・・
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映画『愛と哀しみの果て』考察

辺境の恋を描いた映画と表現
映画とは、その登場から基本的に「キワモノ性」を商売の基礎としたものだった。
関連レビュー:1960年
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
B級映画の帝王ロジャー・コーマン、! マニア必見のカルト作品。
ハリウッド映画の復活とコーマン的キワモノ映画の関係とは?

それゆえ「異郷描写=エキゾチズム」も、「恋愛ドラマ」も「キワモノ的要素」として、映画の登場と同時に表れたのだと思ったりする。
そんなキワモノ映画のジャンルとして、異郷での恋愛を「エキゾチック・ラブストーリー」と勝手に名付け、以下にその系列の作品を紹介し、同時にその危険性を語りたい。

映画史の中で、「エキゾチック・ラブストーリー」の初期の作品を上げるとすれば、クラーク・ゲーブルとマレーネ・デートリッヒの1930年の作品『モロッコ』を上げるべきだろう。
アメリカ映画:1930年
『モロッコ』
マレーネ・デートリッヒとゲーリー・クーパーの大ヒット映画
ハリウッドの恋愛映画の古典

そこで描かれたのは、モロッコで出会った外人部隊兵士と、ドイツから流れてきたキャバレー歌手の、全身全霊を愛に没入する「愛こそ全て」と言うべき作品だった。
辺境の地モロッコを舞台にし、余計な夾雑物がないだけに、より純粋に「殉愛」が際立った作品なのである。
エキゾチックな舞台は、文明や社会という、通常人間が生きる上での「約束事=ルール=しがらみ」から離れることで、大胆な恋愛を描き得る効果がある。

そんな、「しがらみ」を離れて生まれる恋愛ドラマは、1951年『アフリカの女王』でも見て取れる。
そこでは、謹厳実直なキリスト教女性宣教師と、荒くれ男が、アフリカの地で共に協力しドイツ軍と戦う姿が描かれていた。
アメリカ映画:1951年
『アフリカの女王』
1951年のハリウッドの大ヒット映画の再現ストーリー
アフリカを舞台にカ ップルの冒険を痛快に描く


文明や社会という「しがらみ」から自由になれる場所を、「異郷=本来所属しない地」と定義すれば、個人的に最も好きな「エキゾチック・ラブストリー」映画は、日本を舞台にした1997年の『ロスト・イン・トランスレーション』だったりする。
アメリカ映画:1997年
『ロスト・イン・トランスレーション』
日本を舞台にした旅行者2人の孤独と絆
ビル・マーレイ&スカーレット・ヨハンソン出演、ソフィア・コッポラ監督作品


さらに「異郷=本来所属しない所」との定義に従えば、王女が庶民の中に紛れ込む『ローマの休日』も「エキゾチック・ラブストリー」だと言えるかもしれない。
アメリカ映画:1953年
『ローマの休日』
オードリー・ヘップバーンのデビュー作
プリンセスの一夜の恋を描く古典的名作

しかし、このジャンルの最高傑作を上げろと言われれば、私は躊躇なく『エマニエル夫人』を上げたい。
これは、ただのソフトポルノに過ぎないが、しかし「異郷=リゾート」の奔放な性を、ここまで完璧に描いた例を知らない。
結局のところ「エキゾチック・ラブストーリー」の本質は「旅の恥は搔き捨て」という事であり、その本質を最も端的に表したのがこの作品なのだ。
関連レビュー:リゾート地の性の解放宣言
映画『エマニエル夫人』
1974年のソフトポルノ解禁と性革命
女性の性解放を甘美な映像で綴った大ヒット作!


こんな「エキゾチック・ラブストーリー」作品は上で上げたような名作を生んだ以上に、なぜか多くの失敗作を生むジャンルでもある。
例えば、かの『ラスト・エンペラー』の名匠、ベルナルド・ベルトッチ監督の『シェルタリング・スカイ』は、ここまで砂漠は人を迷わせるかというほど、大自然の驚異をまざまざと見せつけた。
関連レビュー:自然の驚異はドラマを迷わせる?
映画『シェルタリング・スカイ』
西洋と東洋の出会う砂漠の蜃気楼
美しい砂漠と混乱したストーリーの関係とは?

実を言えば、個人的には、これら異郷を描いた作品は、一種危ういバランスを持って作られている映画であるようにも思える。

なぜなら、それら「異郷」のキワモノ性に、作り手が飲み込まれてしまう危険が往々にしてあるのではないかと思えるのである。
そんなことを思ったのは、クリント・イーストウッドが描いた『ホワイト・ハンター・ブラック・ハート』を見たからだ。
関連レビュー:映画より像狩りを愛した監督!
『ホワイトハンター ブラックハート』
クリント・イーストウッド監督・主演で描く、伝説の監督ジョン・ヒューストン
映画『アフリカの女王』の舞台裏で起きていた騒動とは?

その作品は上で述べた『アフリカの女王』を撮った監督、ジョン・ヒューストンの伝記映画で、そこではジョン・ヒューストンが撮影そっちのけで像狩りばかりしていた様子が描かれていた。

その映画で分かったのは、映画作家は作品のためというよりも、自分の趣味趣向のために異郷を舞台に選ぶ者もいるという事実を知ったのだ。
しかし、ジョン・ヒューストンは、それでも当時としては画期的な冒険恋愛劇を作り上げ、見事に帳尻を合わせてはいる。

しかし、困るのは、自分の趣味に耽溺し、作品としてもその趣味性が勝ち、一般の観客からすれば何を撮りたいのか分からなくなってしまう作品があることだ。

監督が異郷の魔力に負け、映画が人間ドラマを描けなくなったとき、そういう作品がこの世に生まれるのだと推測する。

実を言えば、そんな個人の趣味趣向に走ったと思われる有名な映画がある。
それは、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』だ。
関連レビュー:タイタニック愛とジェームズ・キャメロン監督
『タイタニック』
世界一の興行収入記録を打ち建てた大ヒット作
レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットの恋愛劇

キャメロンは、真正のタイタニック・オタクであり、食器をタイタニックと同じ食器を使ったり、映画内の時間を実際に船が沈没する時間に合わせたりする凝りようだった。

その長尺の映画は、多額の超過資金もあり、おおコケすればキャメロンの監督生命は立たれていたに違いない。
そして実際映画は、タイタニックの詳細な沈没事件の事実の羅列はドキュメンタリ―作品に近く、興味のない者からすれば到底3時間見続けられるものではなかったと思える。
関連レビュー:タイタニックの実話紹介
『タイタニック』
映画内の歴史的事実を徹底解明!
実在人物解説・史実・日本人乗客の運命

つまり、キャメロンのオタク的情熱は、一般人から見れば過剰であり、明らかに映画の完成度を落としているように個人的には感じる。
しかし『タイタニック』は、空前の大ヒットをしたではないかという声が聞こえてきそうだが・・・・・・

私が考えるに、それはタイタニックの沈没要素によるものではなく、レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットの若いカップルのラブストーリーが際立っていたからであり、もっと言えば、スターとしてのディカプリオの魅力が眩しいほどに輝いていたからだと思える・・・・

そういう意味で言えば、監督の趣味性に走る映画の危うさ、強いシチュエーションを背景にした場合の人間ドラマの弱さというのは、映画表現にとってもろ刃の刃だと言えるだろう。

この『愛と哀しみの果て』も、ロバート・レッドフォードが『タイタニック』のディカプリオと同等の輝きを、見る者が感じさえすれば、決して凡作とは呼べない作品であるに違いない。
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映画『愛と哀しみの果て』解説

『愛と哀しみの果て』実話
この映画はカレン・ブリクセン(ペンネーム:アイザック・ディネーセン)の書いた『OUT OF AFRICA』と『Babette's Feast』を基に、別の作家の2冊の本からも引用され、映画脚本が構築されている。

つまりこの映画は、原作者の実話であり、以下にその人生を紹介したい。
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カレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke [kʰɑːɑn ˈb̥leɡ̊sn̩], 1885年4月17日 - 1962年9月7日)は、20世紀のデンマークを代表するゴシック小説家。デンマーク語と英語の両方で執筆し、デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセン名義、英語版はペンネーム(男性名)のイサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン(Isak Dinesen)名義で作品を発表した。作品によっては作品間の翻訳の際に加筆訂正がなされ、時には別作品ともいえる物になっているという複雑な作家である。2009年まで、デンマークの50クローネ紙幣には彼女の肖像が使われていた。(Wikipediaより)
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カレン・ブリクセンの生涯
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1885年、デンマークのルングステッズで生まれる。
幼年期は、作家であり軍人であった、裕福な家族の出である父親ヴィルヘルム・ディーネセンに強い影響を受けた。彼女の母インゲボルグ・ウェステンホルツもブルジョア商人の娘で、豊かな生活環境に育った。
しかしカレンが9歳の時、父が女性問題がもとと言われる原因で自殺し、彼女は母親の家族によって養育され、その家庭内でフェミニズム的な教育を授かった。Karen_Blixen_1913.jpg

長じると、カレンは休暇の多くをスウェーデン南部の父方の従兄弟、ブリクセン・フィネッケ家で過ごした。
彼女は男爵ハンスと最初に恋に落ちたが失恋し、彼の双子の兄弟ブロア・ブリクセン・フィネッケ男爵を選んだ。(写真1913年のカレン)
1912年12月23日に婚約し、シャムで財をなした彼らの共通の叔父の勧めで、農園経営をケニアで始める決心をした。
カレンは当時、イギリス領の一部だったケニアに到着すると、1914年1月14日モンバサで結婚した。
KarenBlixen_hasband.jpg夫婦(右写真)は農園で牛を飼うことを計画していたが、最終的にはコーヒーの方が利益を生むと見て、カレン・コーヒー・カンパニーを設立した。
農園は、ナイロビの南西のムボガニというより大規模な農場を購入し、この地は6,000エーカー(2,400ヘクタール)のあり、大部分は地元キクユ族を労働力としたが、ワカンバ、カビロンド、スワヒリ、マサイも含まれた。
彼女の農場では、発熱、痘瘡、髄膜炎、発疹チフスなど、地元の病人の治療も行った。(写真:カレンと地元労働者)africa_KarenBlixen.jpg
しかし1914年8月3日、第一次世界大戦がはじまり、東アフリカでドイツとイギリスが戦争となった、ブロアはイギリス軍に参加し、カレンも物資の輸送を手伝った。

当初、ブロアは農場で働いたが、すぐに興味を失いサファリの狩に頻繁に出かけ農場を留守にした。更にブロアは妻に不誠実で、結婚してすぐに浮気を始め、町で放蕩し借金を重ね悪名高い評判を得た。
1915年ブロアが29歳の時、結婚 1 年目の終わりには梅毒に感染し、カレンへと感染した。
カレンは1915年6月にデンマークに戻り、治療により回復したが、その後も後遺症に長年苦しんだ。


Denys-finch-hatton-1887-1931.jpg1918年4月5日、カレン夫婦はムサイガ社交クラブで英国人、デニス・フィンチ・ハットン(1887–1931:写真)に紹介された。デニスは、夫婦と親密な交流を持ったが、その後ケニアを後にし、エジプトでの軍務に2年間就いた。
1919年に夫が離婚を要求し、最終的に1925年に離婚が成立した。離婚後のブロアは、ケニアに病院を設立するための慈善団体を設立したという。

その間、デニスは頻繁にアフリカとイギリスの間を往来し時折カレンを訪ね、1922年にケニアに本拠を置きと、夫と別居したカレンと親密な関係を築くと、長期にわたる恋愛関係へと発展した。(写真:カレンとデニス)
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デニスはカレンの家に引っ越し、1926年から1931年にかけてブリクセンの農場を本拠地とし、富裕層へのサファリ狩猟ガイドを始め、その顧客にはイギリスの王族も含まれた。
しかし、二人の関係は不安定で、自由奔放なデニスをカレンが縛ろうとし、やがて問題が生じた。

1930年には、デニスは当時の著名な女流飛行家であり馬の調教師でもあったベリル・マーカムと恋愛関係になった。beryl-markham.jpg
マーカムは複数の恋人がいたが、デニスに好意を持っていた。しかしカレンとも旧知のマーカムは、最初は自重していたが、最終的にはデニスと男女関係となった。しかし、その後もデニスはカレンとの関係も継続した。

1931年5月14日朝、デニスのジプシーモス複葉機はヴォイ空港を離陸した後、地面に激突炎上し、彼とそのキクユ族の使用人一人の命を奪った。
デニスの希望に従い、現在のナイロビ国立公園の西8kmにあるゴン丘陵で、カレンが決めた場所に埋葬された。
その地は以前から、二人でしばしば訪れていた丘であり、カレンが埋葬を望んだ地であり、彼もその地に埋葬を生前に希望していたのだった。

時を同じくして、コーヒー農園経営は、農場が高地にあった事、干ばつ、大恐慌によるコーヒー価格の下落などが重なり失敗し、最終的には農園を手放す事となった。

1931年8月カレンはデンマークに戻り、母親のルングステッドルンドの家(写真:今はカレンの博物館となっている)に身を寄せ、第二次世界大戦中を含め、以後の人生を過ごした。
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デンマークでは作家活動をし、著名となったカレンだったが、1950年代に入ると体調を崩す事が多くなり、著作活動が困難になったものの、ラジオなどに出演した。

Karen_old.jpg1959 年にはアメリカへの生涯唯一の旅をした。(写真:カレンとマリリン・モンロー)
それは4か月に渡る長期旅行で、彼女はライフ マガジン特集を飾り、ブロードウェイのオープニング公演に招待され、ニューヨーク社交界で歓迎され、数々の著名人と会った。しかしその旅の間も「点滴」を受けるなど、その病魔は深刻の度を増していった。
1962年、カレンはラングステッドルンドの自宅で77歳で亡くなった。その死因は栄養失調だと言われるが、梅毒の後遺症の影響とする説もある。(写真:カレンの墓)

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映画との違い

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〇カレンの著書に書かれた、壊滅的なバッタの襲来や、数度発生した農園近隣の銃撃戦、ドイツ軍にの言及など、多くの事実が省略されている。
〇彼女の 農園は4,000 エーカー(16 ㎢)の敷地と、800人のキクユ族労働者、18頭の牛の幌馬車があったが、映画では大幅にスケールを縮小されて描かれた。
〇映画ではデニスとカレンの最初の出会いは平原の汽車とされたが、事実はムサイガ社交クラブだった。その後、エジプトの軍事任務に就き、2年間ケニアを離れており、飛行機を操縦し始めたのと、サファリのハンターになったのは同時期だった。
〇実際のデニスは英国貴族だったが、その役にアメリカ人ロバート・レッドフォードが起用されたことで、言葉のアクセントもあり、英国人として描くことを避けられた。
〇また、カレンはデニスの子供を少なくとも一度は妊娠し流産しており、映画で描かれた梅毒を移された影響で子を宿せない体になったと語られたのは事実と異なる。
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映画の中の実話
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しかし、映画には事実を踏襲した部分もある。
〇映画で登場したキクユ族の中には、実際のキクユ族子孫を数名起用しており、例えば酋長役のキンヤンジュイもその一人だという。
〇撮影には、現在カレン・ブリクセン博物館として残っている、彼女の最初の家「ムボガニ」を使っている。
Film2-GrenBar.pngまた彼女の小説を原作とする作品としては、アカデミー外国映画賞に輝いた『バベットの晩餐会』がある。
小説は1950年6月に発表され、短編集『運命綺譚』(Anecdotes of Destiny)に収録された。日本では、映画の影響もあり『バベットの晩餐会』として筑摩書房より出版されている。
関連レビュー:カレン・ブリクセンの小説から生まれた傑作!
映画『バベットの晩餐会』
ガブリエル・アクセル監督の料理と神の恩寵を描く傑作
88年度アカデミー外国語映画受賞作





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2022年10月09日

古典映画『チップス先生さようなら』(1939年)戦争に歪めれた教師物語とは?/感想・解説・考察教師映画元祖

映画『チップス先生さようなら』感想・解説 編

原題Goodbye, Mr. Chips
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 114分
監督 サム・ウッド
脚本 R・C・シェリフ
原作 ジェームズ・ヒルトン


評価:★★★☆  3.5点



英国伝統の寄宿学校の生活が『ハリーポッター』の世界観を思い起こさせるこの映画は、1939年、第二次世界大戦が目前に迫った時期に撮られた作品だ。

主演のロバート・ドナットは、20代半ばから80代までを一人で演じきってアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

その名演もさることながら、それ以上に、この作品が重要なのは、映画史上初めて「教師モノ」「学園モノ」を描いたパイオニアだという点にあると主張したい。
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<目次>
映画『チップス先生さようなら』簡単あらすじ
映画『チップス先生さようなら』予告・出演者
映画『チップス先生さようなら』感想
映画『チップス先生さようなら』解説・考察

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映画『チップス先生さようなら』あらすじ

1928年、イングランド東部ブルックフィールドにある寄宿学校「ブルックフィールドスクール」には、82歳にもなる名物教師のチップス先生ことチャールズ ・エドワード・ チッピング(ロバート・ドーナット)がいた。彼はその教師人生を振り返る。初めての授業では、生徒のいたずらに会い授業にならず、時の校長に教師の資質を問われる始末だった。それからの彼は生徒を厳しく管理する、真面目な堅物教師となり、生徒からの人気はほぼ皆無だった。しかし、そんなチップスを変えたのはドイツ人教師マックス(ポール・ヘンリード)に誘われた旅で出会い結婚したキャサリン(グリア・ガースン)だった。開放的で社交的な彼女は、生徒達とのお茶会を開催したちまち人気者となり、それに感化されてチップスも授業中に冗談を交えるようになって行った。そんなチップスの変化で、生徒の人気も高まり、出世コースも開け、キャサリンも身籠った。しかし、順風満帆かと思われたチップスの人生に、大きな悲劇が待ち構えていた―
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映画『チップス先生さようなら』予告

映画『チップス先生さようなら』出演者

チップス先生(ロバート・ドーナット)/キャサリン(グリア・ガースン)/ジョン・コリー他コリー家4代少年期の4役(テリー・キルバーン)/ピーター・コリー2世:青年期(ジョン・ミルズ)/マックス・ステュフェル(ポール・ヘンリード)/フローラ(ジュディス・ファース)/ウェザビー(リン・ハーディング)/チャタリス(ミルトン・ロスメル)/マーシャム(フレデリック・レイスター)/ウィケット夫人(ルイーズ・ハンプトン)/ラルストン(オースティン・トレヴァー)/ジャクソン(デビッド・ツリー)/モーガン大佐(エドモンド・ブレオン)/ヘレン・コリー(ジル・ファース)/ジョン・コリー卿(スコット・サンダーランド)

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映画『チップス先生さようなら』感想


現代の「教師モノ」は、教師と生徒の関係を描き、そのいずれか、または両者が変化し成長する姿、つまり「教育の現場とその力」を描くというのが王道だろう。
また、その幅を学校を舞台にした「学園モノ」まで広げれば、そこには上に述べた「教師と生徒」以外に、生徒同士の友情や葛藤がドラマが描かれる。
関連レビュー:現代日本の教師ドラマとは?
『鈴木先生』
美少女!16歳の土屋太鳳の学園ドラマ
現代教育現場の混迷を生きる教師!!

そんな最近のドラマに比べれば、この映画は、教師モノとしてみれば、チップスと生徒の関係が希薄で、明確な「教育の力」も見出しがたい。
例えば、かつて日本で人気を集めた、熱血教師と不良学生との魂がぶつかるような、感動ドラマを想像すれば肩透かしを喰らうだろう。
また今どきの「学園モノ」のような、生徒たちの青春物語がしっかり描かれているわけでもない。

それでは何が描かれているかと言えば、チップス先生の一種散文的な回顧録である。
その散文性は、老人が自分の教師生活を回想するという点で、さらに強く感じられる。

そんな、一個人の散文的回顧録は、英国の文学的伝統としてある「伝記」の様式によるのかもしれない。
関連レビュー:イギリスの回顧録作品
『戦場の小さな天使たち』
監督ジョン・ブアマンの語る思い出「戦場のちびまる男」
美しい田園と少年期の栄光。ラストのキレの良さは秀逸!

「伝記性」として見れば、このドラマの主体はチップスの人生の浮き沈みにあり、それゆえ生徒との関わりや学校生活はチップスの人生を語るのに必要な部分だけが語られているのも納得できる。
そういう点では、この映画は「教師モノ」「学園モノ」のジャンルに入れるよりも、やはり「伝記物」として捉えるべきなのだろう。

つまり「伝記」の物語様式に則っているからこそ、その人物の人生が主たるテーマなのであり、この映画ではたまたまその人物の職業が学校だったから、その背景として描かれていると見るのが正しいのだろう。

そう考えれば、この作品から受けるイメージが、地味で実直な趣を見せるのも、このチップスという人物の人間性が反映されたものだと感じられる。
そんな主人公の「人格=個性」が作品世界の色調を支配するのも、それが伝記だとすれば、必然的な表現であるに違いない。

いずれにしても、この映画は「教師モノ」「学園モノ」を期待すれば違う種類のドラマであり、チップスという教師が語る回顧「人生ドラマ=伝記」を味わう映画なのだ。

しかし、それでも調べた限り、映画作品として初めて「学園」を舞台に「教師」を描いた作品であるのは間違いない。
そう考えれば、個人的には、この『チップス先生さようなら』の成功があって「教師モノ」「学園モノ」というジャンルの道が開けたとも思え、それが正しいとすれば本作は「古典」として映画史にとどめるべき作品だと主張したい。
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映画『チップス先生さようなら』解説・考察

反戦映画としての『チップス先生さようなら』
この映画は、「学園ドラマ」や「教師ドラマ」というよりは、「伝記物語」としての印象が勝ると上で書いた。

考えてみれば、サイレント映画の時代から伝記映画の伝統はあっても、学園ドラマというジャンルが確立していない当時にあっては、学園物語は「教育」を描くという「ジャンル的アイデンティティ」は未成立だったと捉えるべきだろう。

何事も一足飛びに「独自性=ユニーク性」に到達し得ないのは、あるジャンルの成立を時系列で追ってみれば明らかだ。
関連レビュー:1988年のアニメ世界の革命とは?
映画『アキラ』
ジャパニメーションの金字塔!大友克洋の傑作
アキラの衝撃=「マンガから実写映画への越境者」

しかし、そんなジャンルの進化の問題を考慮しても、この映画が製作された1939年という時代背景を考えてしまう。
その時代が、「教育」をテーマにして一歩踏み込ませない理由となったのではないかと想像してしまうのである。

なぜなら、1938年頃より領土的野心を露わにしたヒットラー率いるナチスドイツは、1939年に英仏と戦端を開き第二次世界大戦が勃発しており、アメリカ合衆国政府は戦争に関与しないと国民に宣言しながらも、その実、反ナチスと参戦への世論を作り上げようとしていた。

そのプロパガンダ政策の一環として、アメリカ政府はハリウッドの映画界に対して、その方針に沿った作品作りへの協力を求めたのである。
1939年頃の作品は、真珠湾以降のあからさまな戦意高揚映画とは違い、密やかな世論誘導ではあったが、それは明らかに映画表現に影響を与えていると感じる。
関連レビュー:ハリウッド映画はプロパガンダ?
『風と共に去りぬ』
映画史に燦然と輝くハリウッドを代表する古典大作!
歴史的傑作は、なぜ現代で批判されるのか?
そのプロパガンダ政策を考慮すると、この映画は本来「反戦映画」として描きたかったのに、それを成し得ずメッセージが混乱してしまったのではないかと思える。

この映画を反戦映画だという証拠は、例えば同僚マックス・ステュフェルの存在が象徴的だ。
チップスは、旅行中に妻と出会うが、その出会いを見守ったのがマックスであり、彼が愛を見守り育んだのだ。

しかし、彼は原作には存在しない、映画のオリジナルキャラクターであり、しかもドイツ人なのである。
つまり当時のナチスドイツの脅威を目にしながらも、彼の姿を通じて、敵対ではなく愛を謳ったものだと考えたい。

それを裏付けるように、マックスがドイツ軍の兵士として第一次世界大戦の戦火の中戦死するとチップスは、校長として生徒の死と並んで敵国の兵士の死を悼むのである。
<マックスへの弔辞>

【意訳】チップス:ここにいる皆は、マックス・ステュフェルを覚えていないだろ。しかし、彼は1890年から1902年までブルックフィールド校のドイツ教科の教師だった。彼は人気者で、多くの友人がいた。私自身もその一人であったことを誇りに思う。この朝スイスから一通の手紙を受け取った。それは、私にサクソン連隊で彼が進軍中の10月18日に戦死したと伝えている。/生徒A:サクソン連隊?それは彼がドイツ軍として戦っていたという事か?/生徒B:たぶんね。

また、印象的なシーンとしては、軍関係者が視察に来たときのチップスの言葉が思い浮かぶ。
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生徒の視察に来た将軍が「明日の立派な将校ですな」と褒めると、チップスは「明日が決して来なければいい」と応えるのだ。

これらのエピソードから見れば、やはり、この映画の基本基調は「反戦」にあると感じる。
それは自らの教え子達の命を守りたいという、教師の至誠を表すものであり、更に教育の目的とは何かを問うものでもあったろう。

もし、そんな「反戦テーマ」を明確に打ち出していれば、この映画はもっと「教師ドラマ」「学園ドラマ」の作品として、より純度が高くなったと思える。

しかし、この映画は、反戦の色を持ちながらも、戦争を否定するメッセージを明確に表現していない。
例えば、学校の教師は全員兵として志願したが、検査に通らないなどの事情があって残っているとか、先に挙げたドイツ人教師がドイツ兵として戦死した行為や、卒業生たちが戦地に赴くことを容認している点に、戦争肯定の表現を見る。

それは、繰り返すようだが、アメリカ資本のハリウッド映画として、上で書いたプロパガンダ性を求められたためと想像する。
更には、英国で撮られた英国主体の映画であってみれば、すでにナチスドイツとの衝突は不可避と見られていた中で、平和を求める理想と、戦争を認めざるを得ない現実、その矛盾する主張を持たざるを得なくなってしまったのだろう。

いずれにしても本作品にとっては、相反するメッセージを内包することで、ドラマとして分裂した印象を生んでしまったことが惜しまれる・・・・・

戦争が、政治や経済活動のみならず、文化や人の意思にまで影響を与えるかという、実例としてこの混乱した作品はあるだろう。
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posted by ヒラヒ at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする