2023年01月09日

映画『シェーン』 1953年西部劇の古典は実話だった!/感想・解説・考察・スティーヴンス監督と西部の歴史的事件

映画『シェーン』解説・考察  編

原題 shane
製作国 アメリカ
製作年 1953年
上映時間118分
監督 ジョージ・スティーヴンス
脚本 A・B・ガスリー・Jr.
原作 ジャック・シェーファー


評価:★★★★   4.0点

この1953年のジョージ・スティーヴンス監督の作品は、西部劇の名作として古典的な一本となっている。

しかしこの映画は、それまでの西部劇とは「表現スタイル」の変化が感じられてならない。

それまでの西部劇が、アメリカ国民の建国の理想や勝利の凱歌を謳う「陽性な西部劇」だとすれば、この映画は戦いの場における悲劇性を訴える、「陰性な西部劇」であるように感じる・・・・

その理由は、この『シェーン』が「史実=実話」を題材にしている点と、監督ジョージ・スティーヴンスの個人的体験が、その表現に影響を及ぼしていると思えてならない。
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<目次>
映画『シェーン』簡単あらすじ
映画『シェーン』予告・出演者
映画『シェーン』感想
映画『シェーン』解説/ジョージ・スティーヴンスの実体験
映画『シェーン』解説/歴史的事実とシェーン
映画『シェーン』解説/実話ジョンソン郡戦争

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映画『シェーン』あらすじ

ロッキー山脈のふもとワイオンミング。少年ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、近づく馬上の見知らぬ男シェーン(アラン・ラッド)を見て、父ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)と母マリアン(ジーン・アーサー)の待つ家へと駆けこんだ。一家は開拓民として他の数家族と共に入植したのだが、この地に元からいた牧場主ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)とその手下に嫌がらせを受ける毎日だった。そんなスターレット家に身を寄せたシェーンも、ライカーとの闘いに巻き込まれ、ついに大乱闘を繰り広げた。決着を 着けるためライカーは殺人も厭わないと、ガンマン(拳銃使い=殺し屋)として名高い、早打ちウィルソン(ジャック・パランス)を呼び寄せた・・・・・
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映画『シェーン』予告

映画『シェーン』出演者

シェーン(アラン・ラッド)/マリアン・スターレット(ジーン・アーサー)/ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)/ジョーイ・スターレット(ブランドン・デ・ワイルド)/ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)/ジャック・ウィルスン(ジャック・パランス)/クリス・キャロウェイ(ベン・ジョンソン)/フレッド・ルイス(エドガー・ブキャナン)/フランク・“ストーンウォール”・トーリー(エリシャ・クック・Jr)/アクセル・“スウェード”・シップステッド(ダグラス・スペンサー)/モーガン・ライカー(ジョン・ディークス)/サム・グラフトン(ポール・マクヴィ)/リズ・トーリー(エレン・コービー)

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映画『シェーン』感想


映画の歴史と共に、西部劇の歴史も始まる。
その作品は西部開拓の歴史の、業績を称え、その勝利を謳歌する、開拓者を英雄として捕えた肯定的な作品群だったと言える。

しかし、この 映画は、そんな従来の西部劇が、大衆小説のような娯楽性を強く感じるのに較べ、純文学のような高貴な香りを感じた。

それは、主人公の静謐な美しい佇まいと、極力抑えたしかし激しく強い活劇シーンの表現との対比が、強い印象を生んだことから生まれたと思える。

この映画の静と動のダイナミズムは、静かな日常と、その破綻としての暴力の酷さをリアルに感じさせる。

そこにあるのは、従来の西部劇にある勝利の喜びではなく、むしろ闘争にある悲劇性であり、勝者と敗者の双方に対して憐憫と同情すら見せる。

そんな戦いの場で必然的に生まれる、「死=生命の喪失」に対する深い悼みが、この映画の根底にあり「品格」に通じていると思う。

その語り口は『ゴッドファーザー』の描く、一種の重厚さと、悲哀を帯びた鑑賞感と同様の情感を覚えた。

その映画『ゴッドファーザー』も「ギャング映画=マフィア映画」の伝統であった、娯楽的な演出とは一線を画す、文学的なギャング映画だった。
イタリア映画:1282年
映画『ゴッドファーザー』
イタリア・マフィアの闘いを描く古典的傑作!
イタリア系移民の苦闘と家長の行方とは?
その作品を生む背後にあったのは、イタリア系のコッポラ監督による「イタリア移民」の歴史に対する、深い尊敬の念を反映したものだと、個人的には想像している。

この映画『シェーン』も西部の歴史の中で明滅し、現代アメリカの礎を築いた無名の人々に対して、深い尊敬と静かな悼みを含んだ作品に感じた。

特にこの映画の最後、少年ジョーイの姿は、後年の映画アウシュビッツの隠れた史実を描いた『サウルの息子』のラストと通じる余韻を覚えた。
ハンガリー映画:2015年
『サウルの息子』
アウシュビッツの知られざる真実!!
ユダヤ人虐殺を担ったユダヤ人「ゾンダーコマンド」とは?

つまり、『ゴッドファーザー』『サウルの息子』『シェーン』に共通するのは、刻まれた歴史に対する敬意と、そこを生きた人々に対する哀悼の想いが、重厚さと時代を超えた芸術性を生んだのだと思える。

この映画『シェーン』が、西部を生きた人々に対し、そんな畏敬を含んだ表現となった根源を、スタージェス監督の経験と、題材となった史実から考察してみたい・・・・・
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映画『シェーン』解説

ジョージ・スティーヴンスの実体験
この映画の銃激戦の迫力は、従来の西部劇から隔絶した迫力を見せている。

それは、1954年当時のアメリカに、第二次世界大戦や朝鮮戦争に従軍した兵士達がたくさんおり、実際に人が撃たれた時どうなるかの現実を、多くの人々が知っていたという事実がある。

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それを踏まえ、従来の撃たれて呻き、その場に倒れるという、従来の西部劇の表現では説得力が無いと考えた、スティーヴンス監督(写真)の演出によるものだった。

その銃撃シーンのリアリティー表現は、スタージェス監督の実体験が色濃く反映されていると想像する。
彼はアメリカ政府の要請により、第二次世界大戦の欧州戦線に従軍しているのである。

挙国戦時体制の戦時下アメリカでは、戦争の記録映画撮影に当時のハリウッドからジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストン、フランク・キャプラなど、大物監督が戦地に赴いている。

その詳細はNetflixの歴史ドキュメンタリーとして、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮で『伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦−原題(FIVE CAME BACK)』と題され作品化されている。
<伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦>

そんなジョージ・スティーヴンスは、アメリカ軍の進軍と共にイタリア、ノルマンディー、ベルリンと転戦し、アウシュビッツの現実までカメラに収めた人物なのだ。
彼は第二次世界大戦で連合軍に加わるように促された。彼は米陸軍通信部隊に加わり、 1943年から1946年までドワイト・D・アイゼンハワー将軍下で映画部隊を率いた。彼の隊の撮影映像は、ヨーロッパで唯一の戦争のカラーフィルム(数十年にわたってアーカイブされている)を含み、ノルマンディー上陸作戦(D-Day)を記録している。 パリの解放、 エルベ川でのアメリカ軍とソビエト軍の会合、および連合国によるデュベン労働収容所とダッハウ強制収容所の両方の発見。スティーブンスは、ニュルンベルク裁判での提示用に、デュベンとダッハウの映像やその他の資料の準備を手助けした。(英語版Wikipedia)


スタージェス監督は欧州戦線で人の死を数多く目の当たりにして、「戦争=人々の争い」の無残な現実をその胸に刻み込んだに違いない。

そう考えれば、この映画のシェーンが決闘を終え、最後に少年ジョーイに告げる言葉は重要だ。
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シェーン:一度人を殺してしまえば、後戻りは出来ない。人殺しの烙印が人生に付いて回る。もう戻れない。家に戻ってママに伝えろ”もう大丈夫、銃は消えた”と


やはり、この映画は第二次世界大戦を通じてスティーヴンス監督の体験から生まれた、生命が失われることの痛みと、それを戦った兵士の苦しみと、さらにはその後の平和を生きることの困難も語られていると見るべきだろう。

スタージェス監督の経験が、たとえ娯楽西部劇の中であっても、人命が喪われる場面を決して軽々しく描くことを許さなかったと感じる。

生命の尊厳に対する敬虔さが、この作品の「死生観」に反映され、物語に「品格」が付与されたように感じた。

それは、西部劇の「歴史叙述」が、ただ勝利の歓喜だけではなく、生死の明滅を含んだ悲劇として語り得ると証明した点で、「西部劇」を深化させることにつながったのである。

更に言えば、戦争の場を生きたスタージェス監督の、死生観が作品に色濃く反映されているとすれば、「戦争」という悲劇がどれほど表現者の繊細な心に影響を与えるかの、明らかな証左であるだろう。

それは敗戦国の日本の作家においても、深い影響を刻んでいる・・・・・・
日本マンガ: 1952年4月〜1968年
『鉄腕アトム』
手塚治虫が描く日本マンガの金字塔!
鉄腕アトムが戦うことに秘められた日本マンガのオリジンとは?


日本映画:1977年
『幸福の黄色いハンカチ』
この映画が表した戦後日本の原罪と赦し
監督山田洋次、主演高倉健、共演武田鉄也、桃井かおりの大ヒット映画

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映画『シェーン』解説

『シェーン』の歴史的史実

この映画の時代背景を調べると、実はこの映画にはドラマの基になった史実があった。

その点から見れば、この映画は「実話」だと言える。

この映画の時代は、エイブラハム・リンカーン大統領が進めたホームステッド法という、西部への入植を促す政策が推進された時期だった。
ホームステッド法(英: Homestead Act)は、アメリカ合衆国で1862年に制定された法律であり、アメリカ西部の未開発の土地、1 区画 160 エーカー(約 65 ヘクタール)を無償で払い下げるものであり、自営農地法とも呼ばれる。この法律は1862年5月20日にエイブラハム・リンカーンが署名して発効した。(wikipediaより)

最終的に1862年から1986年の間に160万件の土地払い下げが認められ、その面積は2億7,000万エーカー(108万平方キロメートル)で、アメリカの国土の10%に達したとされる。

シェーンが寄宿したスターレット一家や、その仲間はこのホームステッド法により移植してきた酪農農家だったのである。

そのホームステッド法によって、それまでの既得権益を失ったのが、スターレット一家と対立しているライカ―牧場のライカ―などの牧場主だった。

南北戦争が終わると、ミシシッピ川以西の開発が始まり、ロッキー山脈やカリフォルニア州などの鉱山開発を皮切りに、続いてグレートプレーンズ以西の公有地を自由に活用したライカ―のような牛の放牧をする放牧業者が続いた。

しかし1870年代以降ホームステッド法の入植者が、鉄条網により放牧地を区切り耕地や家畜を囲い込んだ事によって、ライカ―達の放牧はそれまでの広大な公共放牧地を失うことになる。

その事実を前に、先住牧場主はホームステッド法入植者を「養豚業者」、「ソッドバスターズ(根堀百姓)」、「スクワット(無断占拠者)」、などと呼んで侮辱し、脅迫や、暴力を用いて用いて新参者を排斥しようとした。

そんな牧場主の圧力によって、ホームステッド法の入植者は彼らの財産である家と土地を離れるか、それを維持するかについて入植者家族の間でも意見が分かれたという。

いずれにしても、この対立の背景にはアメリカ政府の政策が、現実の利害状況を踏まえていないが故の、混乱状況が生じていたのであり、一方的に片方を断罪することはできない。

それは、現実世界の事件や揉め事は、双方の主張が入り乱れ、簡単に裁定できないという事実を、多くの裁判事例が証明している。
関連レビュー:裁判とは何かを描く傑作!!
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結局、現実の揉め事が最も激烈になるのは、双方が自分が正しいとして、一歩も引かない時なのであり、その最たる紛争が戦争というものだったのだ。

このシェーンは、そんなホームステッド法の混乱により生じた典型的な事件、ワイオミング州の「ジョンソン郡戦争」をそのモチーフとしている。

以下にその詳細をまとめた。
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ジョンソン郡戦争

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ジョンソン郡戦争は、パウダーリバー戦争およびワイオミング放牧地紛争としても知られ、1889年から1893年にかけてワイオミング州ジョンソン郡で起こった、家畜用の放牧地 (range) を巡る衝突である。この衝突は、畜産会社が、この地域で土地や家畜、水の権利において競合相手となっていた入植者たちを牛泥棒 (rustler) 扱いして容赦のない迫害を始めたことに端を発する。州内では大規模かつ権力を固めた牧場経営者らと小規模な入植者との間での暴力事件が拡大していき、経営者らが郡に侵略するためにガンマン達を雇ったことで、事件はパウダーリバーカントリーで最悪の事態に達した。ガンマン達による縄張りへの最初の侵略は小規模な農民と牧場主、そして州の保安官らを激昂させ、彼らは200人からなる民警団を結成し、激しい膠着状態へと陥った。ベンジャミン・ハリソン大統領の命令によってアメリカ騎兵隊が調停に入ることで紛争は終了したが、戦闘はその後も数か月間続いた。(Wikipediaより)
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当時の西部は、野良牛が成育しており、それらの牛は自らのテリトリーに入ってくれば、焼印を押し(ブランディング)自らの所有とする事ができた。

先住の牧場主の牛とは、基本的にその野良牛の所有を宣言した結果であり、当時の慣例では共有地の野良牛は年に一度、その地の権利者の間で分配されていた。

しかし両者の関係は、-40℃の酷寒と吹雪に襲われた厳しい冬と、暑くて乾燥した夏が続く悪天候より何千頭もの牛が失われると悪化していく。大牧場の所有者達は、入植者を土地から追い出し、その家財に放火した。

そして彼ら入植者を牛の年次分配から排除した。
有力牧場主は、WSGA(ワイオミングストックグローワーズアソシエーション)として組織され、州政府にも隠然とした勢力を誇り、その政治力を活用し、公有地や野良牛の所有を正当化する、マーベリック法をワイオミング州議会で可決したことで、入植者との関係は対決不可避となった。

それら権益の独占化により、牛を獲得するため牛泥棒や強奪など、違法な手段をとる無法者が出没するようになると、WSGAは自警団を組織し取り締まるようになる。

エレン・ワトソン.jpgそんな中、ホーム・ステッドによる女牧場主エラ・ワトソン(写真)が牛を盗んだと容疑をかけられ、WSGA自警団のジョージ・ヘンダーソンという男によって、縛り首となって木から吊るされた。

これは女性がリンチされるという、西部開拓時代でもまれな事件の1つで、戦争に至る道への一里塚だった。
自警団のジョージ・ヘンダーソンは直後に何者かに襲われ命を落とした。

これを受けて、WSGDはさらにリンチで、入植者達とその関係者の数人を殺害したが、その犯人はWSGDの政治力によって釈放された。

ネイトチャンピオン.jpg入植者側もWSGDに対抗し、ネイト・チャンピオン(写真)という小牧場主が主導して、入植者グループをNWFSGA(北ワイオミング農民および畜産農家協会)として組織し、野良牛の年次総括(ラウンドアップ)に参加を要求した。

この年次総括参加がWSGDによって拒否されると、ネイト・チャンピオンは独自の年次総括を実施すると宣言した。

WSGDの大牧場主達は、1891年11月1日暗殺部隊をネイトチャンピオンの家に派遣した。チャンピオンは侵入者に気付き、銃撃戦によって2人のガンマンを撃ち撃退した。

これを皮切りに、大牧場主と入植者の暴力の応酬は新聞に報じられるまでになり、WSGAのリーダーだったフランク・ウォルコットはNWFSGAを解散させる目的でガンマンを多数雇い入れ襲撃団(写真)を組織した。
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対立はワイオミング州全体を巻き込み、州内の有力者はそれぞれの陣営に二分された。
WSGAは襲撃団を50人集め、その指揮をフランクM.カントン執らせ、WSGAの最初のターゲットをネイト・チャンピオンに定め、彼がいたKC牧場を1892年4月8日襲撃した。
KC牧場にはチャンピオンの他3人の男がいたが、チャンピオンを除く3人は殺害され、チャンピオンは丸太小屋で一人包囲された。
チャンピオンは自警団の3人を負傷させ、他の4人を殺害する反撃を見せ数時間持ちこたえたが、丸太小屋に火を放たれ、裏口から脱出を計ったものの、襲撃団は彼を射殺した。
チャンピオンの死体には、襲撃団によって「CattleThievesBeware(牛泥棒注意)」と書かれた紙を貼り付けられた。


チャンピオンの死を知った仲間の入植者と、それを支持する保安官アンガスが200人の民警団を編成し、襲撃団の逮捕へと向かった。
TARaunch.jpg襲撃団はチャンピオン殺害後も、入植者の襲撃をし続けていたが、民警団の追跡を知りTA牧場(写真:包囲の図解)に避難した。
それを包囲したアンガスと民警団は、襲撃団と3日間に渡り睨み合い、その間銃撃の応酬があり襲撃団は窮地に落ち入った。


この西部の事件は、東海岸のニューヨークタイムズ紙が詳報するほど、当時のアメリカ社会の注目を集めた。

大規模牧場主の陣営だったワイオミング州知事エイモス・W・バーバーは、襲撃団を救うために当時のベンジャミン・ハリソン大統領に電報で助けを求めた。

Benjamin_Harrison.jpgハリソン大統領(写真)は大統領令を発し、第6騎兵隊によってWSGAの襲撃団の拘留を命じた。
第6騎兵隊はTA牧場に到着すると、アンガス保安官と交渉し包囲を解く代わりに、逮捕後の襲撃団を民警団当局に引き渡すことで決着し、それ以上の戦闘を阻止したが、実際に引き渡されることはなかった。

襲撃団を調べた司法は、WSGAの計画を暴き、襲撃団によって撃たれたり絞首刑にされた70人の殺害者のリスト、侵入者が燃やした家のリスト、その報酬として1日5ドルと、殺害1人につき50ドルのボーナスを支払う契約があったとして、WSGAの関与が明らかになった。
しかし、大牧場主の起訴は成されず、襲撃団の刑事罰もうやむやとなった。


事件後、大牧場主を、放牧地と水利権に対する権利を守るため、暴力も辞さず正義を求めた英雄と見なすなど、双方の行動はその支持者によって、ホラ話を含め正当化するための多くの説が流布されたという。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月02日

『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』全リスト!英国映画協会(BFI)選出2022年度版発表!/日本映画もランクイン!!

英国映画協会(BFI)選定2022年度版『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』がコレだ!!!

BFI(British Film Institute=英国映画協会)というイギリス政府公認で、1933年に設立された伝統あるイギリス国内の映画促進(教育上の役割を含む)を目的として設立され機関があります。

そんな「BFI=英国映画協会」が、映画普及の一環として映画評論家が選ぶ『史上最高の映画ベスト100』と題する映画ランキングを、その発行する『サイトアンドサウンド』紙上で1962年から発表し続けてきました。

そして、前回の2012年度から10年が過ぎ、2022年の12月に評論家による『史上最高の映画ベスト100』が発表されました。
関連レビュー:英国映画協会(BFI)選出のベスト映画企画2022年度版
世界の評論家による『史上最高の映画ベスト100』
映画監督が選ぶ「映画の中の映画」は!?
日本映画が高評価

そして今回紹介するのは、上のアンケートに加えて、1992 年に始まった世界の映画監督を対象にアンケート調査をした結果『映画監督が選ぶ映画べスト100』の2022年度版の紹介です。

世界の映画監督が選ぶ映画のランキングに、日本映画もしっかり入っています!!!

まず最初に、リスト冒頭の言葉をご紹介。
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1992 年以来、10 年ごとに 『サイトアンドサウンド』は、史上最高と思われる 10 本の映画を、世界の主要な監督に正式に選び出してもらい、有名な批評家のアンケート調査を補完してきました。
調査はいつでも世界的で全面的でしたが、この調査は 10 年ごとに大幅に拡大してきました。1992 年には、101 人の監督が投票しました。2012年に飛ぶと358 人の映画製作者が参加しています。第4 回目調査となる本年は、480 名の監督から投票がありました。
この有権者は、世界中の実験派、アートハウス系、主流派、の各ジャンルの映画製作者にまたがっています。いずれにせよ、投票者は注目すべき監督です。
今日の最も偉大な生存する多くの映画作家によって投票された、史上最高の100の映画がここにあります。
原文=”https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/directors-100-greatest-films-all-time


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英国映画協会選出『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』リスト



という事で、いよいよベスト100をご紹介!
当ブログで記事にした映画にはリンクが貼ってありますので、良かったらお読みください。

◎当リストのBGMに、6位の『8 1/2』テーマ曲はいかが?

93:蜘蛛巣城(1957,監督 黒澤明)
93:ヤンヤン 夏の想い出(1999,監督 エドワード・ヤン)
93:スリ(1959,監督 ロベール・ブレッソン)
93:戦艦ポチョムキン(1925 ,監督 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
93:WANDA ワンダ(1970 ,監督 バーバラ・ローデン)
93:桜桃の味(1997,監督 アッバス・キアロスタミ)
93:パラサイト半地下の家族(2019,監督 ポン・ジュノ)
93:隠された記憶(2004,監督 ミヒャエル・ハネケ)
93:暗殺の森(1970,監督 ベルナルド・ベルトルッチ)
93:ざくろの色(1968,監督 セルゲイ・パラジャーノフ)
93:ムーンライト(2016 ,監督 バリー・ジェンキンス)
93:エターナル・サンシャイン(2004,監督 ミシェル・ゴンドリー)
72:処刑の丘(1976,監督 ラリーサ・シェピチコ)
72:赤い靴(1948 ,監督 マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー)
72:野いちご(1957,監督 イングマール・ベルイマン)
72:SHOAH ショア(1985 ,監督 クロード・ランズマン)
72:ミツバチのささやき(1973,監督 ビクトル・エリセ)
72:ブルーベルベット(1986,監督 デイヴィッド・リンチ)
72:故郷の便り/家からの手紙(1976 ,監督 シャンタル・アケルマン)
72:モダン・タイムス(1936,監督 チャールズ・チャップリン)
72:サン・ソレイユ(1982 ,監督 クリス・マルケル)
72:牯嶺街少年殺人事件(1991,監督 エドワード・ヤン)
72:トゥキ・ブゥキ / ハイエナの旅(1973 ,監督 ジブリル・ジオップ・マンベティ)
72:捜索者(1956,監督 ジョン・フォード)
72:友だちのうちはどこ?(1987,監督 アッバス・キアロスタミ)
72:ケス(1969,監督 ケン・ローチ)
72:別離(2011,監督 アスガル・ファルハーディー)
72:ソドムの市(1975,監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ)
72:カンバセーション…盗聴…(1974,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
72:ラルジャン(1983,監督 、ロベール・ブレッソン)
72:生きる(1952,監督 黒澤明)
72:第七の封印(1957,監督 イングマール・ベルイマン)
72:チャイナタウン(1974,監督 ロマン・ポランスキー)
62:ジョーズ(1975,監督 スティーブン・スピルバーグ)
62:お熱いのがお好き(1959 ,監督 ビリー・ワイルダー)
62:アラビアのローレンス(1962,監督 デビッド・リーン)
62:ブレードランナー(1982 ,監督 リドリー・スコット)
62:トロピカル・マラディ(2004,監督 アピチャートポン・ウィーラセータクン)
62:サタンタンゴ(1994,監督 タル・ベーラ)
62:沼地という名の町(2001,監督 ルクレシア・マルテル)
62:サンセット大通り(1950,監督 ビリー・ワイルダー)
62:午後の網目(1943,監督 マヤ・デレン、 アレクサンダー・ハミッド)
62:晩春(1949 ,監督 小津安二郎)
53:イレイザーヘッド(1976,監督 デイヴィッド・リンチ)
53:ファニーとアレクサンデル(1982,監督 イングマール・ベルイマン)
53:5時から7時までのクレオ(1962 ,監督 アニエス・ヴァルダ)
53:ビリディアナ(1961,監督 ルイス・ブニュエル)
53:不安は魂を食いつくす(1974 ,監督 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)
53:ピアノ・レッスン(1992 ,監督 ジェーン・カンピオン)
53:夜(1961,監督 ミケランジェロ・アントニオーニ)
53:雨に唄えば(1951,監督 ジーン・ケリー、 スタンリー・ドーネン)
53:ママと娼婦(1973,監督 ジャン・ユスターシュ)
46:赤い影(1973,監督 ニコラス・ローグ)
46:博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1963,監督スタンリー・キューブリック)
46:サイコ(1960 ,監督 アルフレッド・ヒッチコック)
46:アタラント号(1934 ,監督 ジャン・ヴィゴ)
46:街の灯(1931 ,監督 チャールズ・チャップリン)
46:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト(1968,監督 セルジオ・レオーネ)
46:軽蔑(1963 ,監督 ジャン=リュック・ゴダール)
41:炎628(1985,監督 エレム・クリモフ)
41:冬の旅(1985,監督 アニエス・ヴァルダ)
41:抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-(1956,監督 ロベール・ブレッソン)
41:狩人の夜(1955 ,監督 チャールズ・ロートン)
41:プレイタイム(1967 ,監督 ジャック・タチ)
38:情事(1960 ,監督 ミケランジェロ・アントニオーニ)
38:ゲームの規則(1939 ,監督 ジャン・ルノワール)
38:道(1954,監督 フェデリコ・フェリーニ)
37:バルタザールどこへ行く(1966 ,監督 ロベール・ブレッソン)
34:甘い生活(1960 ,監督 フェデリコ・フェリーニ)
34:ラ・ジュテ(1962 France ,監督 クリス・マルケル)
34:大人は判ってくれない(1959 ,監督 フランソワ・トリュフォー)
33:サンライズ(1927 ,監督 F・W・ムルナウ)
30:これがロシヤだ/カメラを持った男(1929 ,監督 ジガ・ヴェルトフ)
30:裁かるるジャンヌ(1927 ,監督 カール・テオドア・ドライヤー)
30:奇跡(1955 ,監督 カール・テオドア・ドライヤー)
29:ドゥ・ザ・ライト・シング(1989 ,監督 スパイク・リー)
28:グッドフェローズ(1990 ,監督 マーティン・スコセッシ)
26:ゴッドファーザー Part II(1974 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
26:アンドレイ・ルブリョフ(1966 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
22:レイジング・ブル(1980,監督 マーティン・スコセッシ)
22:大地のうた(1955,監督 サタジット・レイ)
22:マルホランド・ドライブ(2001 ,監督 デイヴィッド・リンチ)
22:アルジェの戦い(1966 ,監督 ジッロ・ポンテコルヴォ)
20:自転車泥棒(1948 ,監督 ヴィットリオ・デ・シーカ)
20:羅生門(1950 ,監督 黒澤明)
19:こわれゆく女(1974,監督 ジョン・カサヴェテス)
18:地獄の黙示録(1979 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
14:ストーカー(1979 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
14:勝手にしやがれ(1960 ,監督 ジャン=リュック・ゴダール)
14:七人の侍(1954 ,監督 黒澤明)
14:美しき仕事(1998 ,監督 クレール・ドニ)
12:バリー・リンドン(1975 ,監督 スタンリー・キューブリック)
12:タクシードライバー(1976 ,監督 マーティン・スコセッシ)
9:クローズ・アップ(1989 ,監督 アッバス・キアロスタミ)
9:花様年華(2000 ,監督 ウォン・カーウァイ)
9:仮面/ペルソナ(1966 ,監督 イングマール・ベルイマン)
8:鏡(1975 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
6:8½(1963 ,監督 フェデリコ・フェリーニ)
6:めまい(1958 ,監督 アルフレッド・ヒッチコック)
4:ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080(1975 ,監督 シャンタル・アケルマン)
4:東京物語(1953 ,監督 小津安二郎)
3:ゴッドファーザー(1972 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
2:市民ケーン(1941 ,監督 オーソン・ウェルズ)
1:2001年宇宙の旅(1968 ,監督 スタンリー・キューブリック)


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英国映画協会『映画監督が選ぶ映画べスト100』リストの感想


いかがでしょうか?世界中の監督が選んだ、もっと優れた作品は日本のスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』でした。

個人的には、映画監督が選んだ映画を、こう眺めてみると「画力(えぢから)」の強い作品が選ばれているように感じます。
また、アニメ作品がリストアップされていないのも、少々違和感を覚えました・・・・・

ところで、世界各国に映画協会があり、ランキングを発表することで映画に対する感心を高めようと努力しています。
ちなみに、AFI(America Film Institute=米国映画協会)も、アメリカ映画誕生100年を機に、様々なランキングを発表し映画を文化として継承しようと務めています
関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『100本の偉大なアメリカ映画』
批評家の選んだハリウッド映画のベスト100!!!
映画の歴史を作ったアメリカ映画の古典


またイギリスは映画をアートとして見ているようで、その映画ランキングは、様々な切り口があって楽しませてくれます。
関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『21世紀最高の映画ベスト100』
21世紀に生まれた映画のベストを決定!!!
しかし2000年の映画が選出!これ20世紀でしょ?

関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『史上最高の外国語映画ベスト100』
日本映画が高評価!!!
英語圏以外で作られた映画、オール・タイム・ベスト100


また、一般の映画ファンがどんな映画を評価しているかで、ベスト100を選んだ特集もあります。
関連レビュー:英国エンパイア誌のベスト映画企画
エンパイア誌『史上最高の100本の映画』
日本映画が高評価!!!
エンパイア読者が選ぶ、オール・タイム・ベスト100


映画の歴史に興味があれば、アカデミー賞の歴代受賞はいかがでしょうか?
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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2022年12月24日

映画『ブロークバックマウンテン』ゲイカップルの悲恋!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・ネタバレ・ラスト・評価

映画『ブロークバックマウンテン』詳しいあらすじ・ネタバレ 編

原題 Brokeback Mountain
製作国 アメリカ
製作年 2005年
上映時間 122分
監督 アン・リー
脚本 ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オッサナ
原作 アニー・プルー


評価:★★★★  4.0点

この映画は公開当時、高い評価を得て数々の賞に輝いた。

性的マイノリティーを題材にした作品が少なかった当時、配給も当初は少数の上映館で封切られたものの、徐々に拡大し最終的には全世界で 1 億 7,800 万ドルの興行収入を上げるヒットとなった。

正面から同性間の恋愛映画を描いた、説得力あるLGBT映画だと感じた。
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<目次>
映画『ブロークバックマウンテン』詳しいしあらすじ
映画『ブロークバックマウンテン』予告・出演者
映画『ブロークバックマウンテン』受賞歴・
映画『ブロークバックマウンテン』ネタバレ
映画『ブロークバックマウンテン』ラスト

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映画『ブロークバックマウンテン』詳しいあらすじ


bromt_1.png1963年ワイオミング州シグナル。トレーラーから降りたイニス・デルマー(ヒース・レジャー)は、仕事を求めてプレハブの事務所の横でドアが開くのを待っている。
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そこにピックアップが止まりジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)が降りてきたが、見知らぬ二人は言葉を交わさない。
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そこに、雇用主である中年男ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)が到着し二人を呼び込み、自分の羊をブロークバック・マウンテンの森林局管理地で放牧し、昼夜を問わずコヨーテに襲われないよう、その見張りをしろと言った。それは違法だが、毎年繰り返されている行為だった。
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イニスとジャックは、その晩酒場で酒を酌み交わし、お互いの身の上を語りあい、翌朝羊と共に、ブロークバックマウンテンに入り、長期の山の生活が始まった。
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ジャックは食事の支度をし、野営地のイニスは食事の時だけジャックの所に帰って来る。
ジャックは牧場を持っ夢を語り、イニスは貯金が出来たら恋人アルマ・ビアーズ(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚すると語った。
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イニスはアギーレから送られる、週一回の食料を引き取り帰る時。クマに出会い落馬し食料を積んだラバが逃げてしまった。食事のため戻ったジャックは、怪我をしたイニスを見て驚く。二人は食料を調達するため、違法にヘラ鹿を狩って食べた。
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二人だけの山の生活がお互いを近づけ、ある晩泥酔し、一緒にテントに入って寝ることになった。ジャックがイニスに手を伸ばす。イニスは最初こそ抵抗したが、最後には自からジャックを脱がせると、背後から責めた。
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翌朝ジャックが起きた時、イニスは羊たちの元へ戻る準備を慌ただしくしている所だった。イニスはジャックと目を合わせず、山へと戻って行った。すると放牧地で、コヨーテに襲われたと見られる1匹の羊が、内臓も露わに無残に死んでいるのを、イニスは見つけた。
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羊の見張りから夕飯にイニスが戻り、ジャックに「あれは1回限りのことだ、俺はカマじゃない」と言うと、ジャックも「二人の秘密だ。俺もカマじゃない」と応えた。しかしその夜、イニスとジャックは再び関係を持つ。
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翌朝じゃれている二人を、たまたま山を訪れたアギーレに見られていたことを、二人は知らなかった。

ある日嵐が来て、過ぎ去った後の羊の群れは、他の放牧者の羊と一緒になってしまった。その羊を何とか選別し終え、再び放牧に戻った。
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しかしある日、アギーレから大型の嵐が来るから、羊を連れ戻すように命じられ、二人は山を下りることになった。
イニスは山を下りる前落ち込んでいた、そんな彼にジャックがちょっかいを出すと、イニスが怒りジャックと殴り合いになった。イニスが流血しジャックが謝ったが、イニスはジャックを殴った。
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山を降りついに別れの時。イニスは山に血の付いたシャツを忘れてきたことに気が付いた。

ジャックは来年もブロークバック・マウンテンの仕事に戻るかと問うと、イニスは結婚するからわからないと答える。
ジャックは、来年もまたこの仕事に戻ると告げた。その顔を見ながら、イニスは「いつか会おう」と答え、二人は別れた。
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車に乗ったジャックは、サイドミラー越しに、一人道を歩くイニスを見た。
道を歩いていたイニスは、ふいに路地に入ると、その体を折り曲げ嗚咽を上げた。
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イニスは故郷に帰ると、約束通りアルマと結婚式を挙げ、ワイオミング州に住み子も授かる。
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翌年ジャックは約束通りアギーレの仕事に応募し、アギーレにブロークバック・マウンテンの仕事はあるかと尋ねると、アギーレは去年見たの二人の関係に嫌悪感を示し、ジャックがイニスが来たかどうか尋ねても答えなかった。
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イニスとアルマの夫婦には子供が増えていたが、日々の生活の苦しさにストレスが募る。
一方のジャックは、ロデオ会場で知り合ったラリーン・ニューサム(アン・ハサウェイ)と結婚し、テキサス州で暮らし男の子も授かった。
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彼女の父親は大型農機具の販売会社を経営し、そこでジャックも営業として働いていたが、婿養子のように義父の顔色を窺う生活だった。

ある日イニスが帰宅すると、アルマがジャックを知っているか?と尋ねた。ジャックの絵葉書が届いており、そこには、会いたいと書かれていた。
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そしてジャックと再会の日。家で待つイニスは、車が到着すると、急いで階段を降りジャックと熱い抱擁を交わし、さらに二人は、物陰に隠れてキスを交わした。
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しかし、それはイニスの妻アルマに見られられており、彼女の顔が苦悩に歪んだ。
そうとは知らないジャックは、部屋に戻りジャックを紹介すると、飲みに行って今日は戻らないと妻に告げた。

4年振りにイニスとジャックは、ホテルの一室で体を交えた。二人は、自らの近況を語りあい、その翌日から釣りに出かけた。家を出るイニスをアルマは見送り、その顔に涙が流れた。
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ジャックの運転する車は残雪が光る、渓谷へと着いた。その夜、焚火をしながら、ジャックは二人で小さな牧場を経営しようと提案する。
しかし、イニスは結婚生活や子供を引き合いに出し、色よい返事をしなかった。
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ジャックが不満を口にすると、少年の頃近所でゲイの男が、男性器を切り取られ殺されるのを、父に言われて見せられたと告白し、関係がばれれば危険だと語った。
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それからジャックはイニスの下を定期的に訪れるようになった。
ジャックの妻ラリーンは、いつもワイオミングに夫が行くのが不満で、たまにはイニスが訪ねてこさせろと言った。
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しかしジャックは新たな農機具のキャンペーンを放り出し、イニスの待つワイオミングへと車を走らせた。
イニスは、待ち合わせの釣り場に向かうため、家を出ようとすると、アルマが忘れ物だと声をかけた。そこには釣り竿が残されていた。
こうして二人は、数か月に一度の逢瀬を心待ちにして、日々を過ごしていた。
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1975年にイニス夫婦は離婚し、それをジャックに葉書で知らせた。
すると、ジャックはワイオミングまでやってきたが、その日は月一回の娘二人との面会日と重なっており、イニスは今回はジャックと過ごせないと言った。
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その言葉に怒りを見せたジャックは、車を走らせながら涙を流し、国境を越えメキシコへと走らせた。
ジャックはメキシコの裏町で男娼を買い、夜の闇へと消えて行った。
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感謝祭、ジャックは妻ラリーンと一人息子、そして義父夫婦と団欒を持った。しかし義父と口論になり、ついにジャックは俺の家だ黙っていろと反抗し、その権幕に義父も大人しく席に着いた。

同じ日イニスは、元妻アルマと、その再婚した夫の家で、娘達二人に囲まれディナーを摂った。食後にアルマは、イニスに釣りと言いながら一度も魚を持ち帰らず、釣り糸に着けた手紙も読んでなかったと言い、釣りをせずジャックと何をしていたのかと責める。
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激しい応酬の末、イニスは驚く娘達を後に、家を飛び出した。

イニスは町で、車に飛び出し急ブレーキを踏ませ、文句を言う運転手に、狂ったように殴りかかり、逆にたたき伏せられた。
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久々に会ったイニスとジャックは、山の中を馬でトレッキングを楽しむ。川でテントを張り、焚火を囲む。イニスはジャックに妻ラリーンが二人の関係に疑念を持っていないかと尋ね、イニスは自分の地元で、秘密を全員が知っているように感じると話す。
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ジャックはテキサスの牧場で二人で生きようと誘う。しかし、イニスは首を縦に振らずジャックは苛立つ。

ある日イニスは、酒場でリンダ(キャシー・カートライト)という女性と知り合い、交際を始めた。
一方のジャックは、ある晩レストランで一組の夫婦と知り合う。店の外のベンチで、その夫と話すジャックは、その男から湖にある小屋で、二人で酒を飲み釣りをしないかと誘われた。
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イニスとジャックの逢瀬が来た。川沿いでテントを張り二人の時間が流れた。ジャックはイニスに再婚しないのかと尋ね、ジャックはイニスが恋しくてどうしようもない時があると訴えた。別れの朝、イニスはジャックに、次に会えるのは11月だと伝えた。
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ジャックはあまりに会えなすぎると怒り、20年で数度しか会えず、一緒に牧場を経営することも拒否され、二人にはブロークバック・マウンテンしかないと叫ぶ。
イニスは、その言葉に涙を見せ、俺を楽にしてくれというと、ジャックはそんなイニスを抱き締めた
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イニスと交際していた女性は、イニスとの距離を縮められず、彼との結婚をあきらめた。
そんなある日イニスはジャックに送った絵葉書が、宛先死亡とスタンプを押され返送されて来た。
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映画『ブロークバックマウンテン』予告

映画『ブロークバックマウンテン』出演者

イニス・デルマー(ヒース・レジャー)/ジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)/ラリーン・ニューサム(アン・ハサウェイ)/アルマ・ビアーズ(ミシェル・ウィリアムズ)/ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)/キャシー(リンダ・カーデリーニ)/ラショーン・マローン(アンナ・ファリス)/アルマ・ジュニア(ケイト・マーラ)/リンダ(キャシー・カートライト)
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映画『ブロークバックマウンテン』評価・受賞歴


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映画『ブロークバックマウンテン』評価

この映画は高い評価を公開当時より受け、アカデミー賞8部門にノミネートされた他、数々の賞を獲得した。
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映画『ブロークバックマウンテン』受賞歴

<2005年度>
ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
ナショナル・ボード・オブ・レビュー :監督賞/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)/ ベストシネマ選出
ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞/監督賞
ヴェネツィア国際映画祭: グランプリ
フェニックス映画批評家協会賞:脚色賞/撮影賞/年間ベスト作品選出 主演男優賞(ヒース・レジャー)/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)/助演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
セントルイス映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/脚本賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
シカゴ映画批評家協会賞:撮影賞/作曲賞
フロリダ映画批評家協会賞: 作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞
ユタ映画批評家協会賞: 作品賞/監督賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞
サウスイースタン映画批評家協会賞 :ベストワン映画賞/監督賞/脚本賞
ラスヴェガス映画批評家協会シエラ賞: 作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)/作曲賞
サンフランシスコ映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
ゴールデン・サテライト賞 -: 作品賞(ドラマ部門)/監督賞/オリジナル主題歌賞/編集賞
ボストン映画批評家協会賞 -: 作品賞/監督賞
パームスプリング映画祭:デザート/パーム貢献賞(ジェイク・ギレンホール)
サンタバーバラ国際映画祭: ブレークスルー・パフォーマンス・オブ・ザ・イヤー賞(ヒース・レジャー)
ハリウッド映画祭:ブレークスルー賞(ジェイク・ギレンホール)/キャスティング・ディレクター・オブ・ザ・イヤー(アヴィ・カウフマン)
<2006年度>
アカデミー賞: <受賞>監督賞/脚色賞/オリジナル音楽賞<ノミネート>作品賞/主演男優賞/助演男優賞/助演女優賞/撮影賞
インディペンデント・スピリット賞:最優秀作品賞/最優秀監督賞
英国アカデミー賞: 作品賞/監督賞/脚色賞/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)
ロンドン映画批評家協会賞:最優秀作品賞/監督賞
ゴールデングローブ賞: 作品賞(ドラマ部門)/監督賞/脚本賞/オリジナル主題歌賞
PAG(全米製作者協会)賞 : 最優秀作品賞
放送映画批評家協会賞:作品賞・監督賞・助演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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映画『ブロークバックマウンテン』ランクイン映画リスト紹介

2016 年BBC「21世紀の映画ベスト100」・・・・・40 位
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関連レビュー
◎いろいろな『映画ベスト100』企画紹介

世界各国で選ばれた『ベスト映画ランキング』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!
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映画『ブロークバックマウンテン』2022年時点の映画サイト評価

<日本>
Yahoo!映画 -・・・・・4/5、アマゾン・・・・・4.4/5、Filmarks・・・・・3.8/5、映画.com・・・・・3.8/5、allcinema・・・・・7/10、キネノート・・・・・76.1/100
<米国>
Rotten Tomatoes・・・・・88%、Metacritic・・・・87%、IMDB・・・・・7.7/10
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以下の文章には

映画『ブロークバックマウンテン』ネタバレ

があります。
(あらすじから続く)
イニスがジャックの家に電話をすると、妻のラリーンが出た。ジャックの死を知らせたかったが、ジャックがイニスの住所を隠していたため、通知が出せなかったと話す。
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ジャックに何があったか聞くと、トラックのパンクを直している最中タイヤが破裂し、圧死したと聞かされた。
その瞬間、道端で股間を血に染め、全身打撲で横たわるジャックの痛々しい姿が映し出された。
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まだ39歳の死だった。妻ラリーンは遺骨の半分を実家の両親に、そして残った半分をブロークバック・マウンテンに撒いて欲しいというのが遺書だったと語った。
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それを聞いたイニスは、自分たちはブロークバック・マウンテンで羊番をし親友になったと、ラリーンに語った。

イニスはジャックの実家を訪ねると、そこは廃業した牧場だった。両親にイニスは、遺言に従って遺灰をブロークバック・マウンテンに撒く手伝いをさせて欲しいと申し出る。
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父親は、ジャックは家族の墓地に向かないと思っていたようだと語り、ジャックがいつかイニスと共に彼ここの牧場を立て直すと話していたが、最後の頃はテキサスの男と二人で再建すると語っていたと、イニスに言う。
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ジャックの母から、息子の部屋を見てやって欲しいと言われ、イニスはその部屋に入ると、愛おし気に室内を見渡す。
窓からの風景を見て、彼のクローゼットを開く。すると、そこには、ブロークバック・マウンテンを下りる日、殴り合いでイニスが流血したシャツがあった。
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そのイニスの服の上からジャックの服が重ねられ、ハンガーにかけられていた。イニスはその二枚の服を強く抱きしめた。
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そのシャツを、ジャックの母に頼み遺品として譲り受けた。

父親は、遺灰をブロークバック・マウンテンには撒かずに、家族の墓地に埋葬すると、イニスに告げた。
去り際、ジャックの母から、また会いに来てほしいとイニスは言われた。
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映画『ブロークバックマウンテン』結末

今は一人、トレーラーハウス暮らしとなったイニスを、19歳の長女の○〇が訪ねてきた。
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付き合っている相手がいて結婚するから出席して欲しいと言う。最初は牧場の仕事が忙しいと渋っていたが、最後は承諾し娘を喜ばせた。
愛しているのかと問うイニスに、娘が頷くと、二人は共にグラスを鳴らし乾杯した。
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娘が出て行った後、娘のスカーフが残されていた。
イニスがそれをしまうため、クローゼットを開けると、その扉には、二人の思い出の地であるブロークバック・マウンテンの絵葉書が貼られ、ジャックとの思い出の服がかけられていた。
【意訳】イニス:ジャック、俺は誓う。





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