2023年05月27日

映画『ピアノレッスン』美しく哀しい女性映画!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・ネタバレ・ラスト・評価

映画『ピアノ・レッスン』詳しいあらすじ・ネタバレ 編

原題 The Piano
製作国 オーストラリア
製作年 1993年
上映時間 121分
監督 ジェーン・カンピオン
脚本 ジェーン・カンピオン


評価:★★★★  4.0点

この映画は公開当時、高い評価を得て数々の賞に輝きました。

口のきけないヒロインとマオリ族に同化した恋人との恋の行方を描きます。

その美しい映像と、流麗なテーマ曲に彩られた本作品は、女性であれば一見の価値がある「女性映画」だと思います。
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<目次>
映画『ピアノ・レッスン』詳しいしあらすじ
映画『ピアノ・レッスン』予告・出演者
映画『ピアノ・レッスン』受賞歴
映画『ピアノ・レッスン』ネタバレ
映画『ピアノ・レッスン』ラスト

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映画『ピアノ・レッスン』詳しいあらすじ


piano_rogo.png6歳の頃から自ら話す事をやめたエイダ(ホリー・ハンター)は指の隙間から、1852年のスコットランド見ていた。彼女は、ピアノを言葉代わりとし、自らのもとから去った恋人との間にできた、一人娘のフローラ(アンナ・パキン)と共に暮らしていた。
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ある日父親の決めた縁談に従い、娘と共にニュージーランドの入植民であるスチュアート()の下に嫁ぐ。
荒波を超え、二人はニュージーランドの浜辺にピアノと共に上陸する。嵐の中エイダは浜辺で、一夜を明かす。
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翌日、ようやく夫スチュアートと、マオリ原住民をまとめるべインズ()が迎えに来るが、夫はエイダがピアノを一緒に運んで欲しいと頼んでも、重いピアノは置き去りにされた。
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悪路をマオリ族に荷物を運ばせ、家へようやく到着する。スチュアートの親族に迎えられて、大雨が降る中、ウエディングドレスを着たエイダは結婚写真を撮る。
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スチュアートが不在の時、エイダはフローラを連れベインズの自宅を訪ね、浜辺のピアノの運搬を頼む。べインズが断ると、エイダはべインズの家の前に座り込んだ。
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家から出たベインズは、二人に再び「無理だ連れて行けない」と告げたが、じっと見つめる二人に根負けし、浜辺へと二人を連れて行った。
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久々にピアノを前にしエイダはその鍵盤をたたき続けた。娘フローラもそのメロディーに合わせ時に踊った。それをべインズは見つめていた。
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エイダは家に戻るとテーブルに鍵盤を彫り、それを弾いた。

ベインズはスチュアートに、自分が持つマオリの土地をピアノと交換したいと持ち掛ける。但し、ピアノと同時にエイダからレッスンを受けたいと言った。
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お前がピアノを弾きたいとはと笑ったスチュアートだったが、欲に負けて交換を受け入れた。
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それを知ったエイダはスチュアートに怒りをぶつけたが、スチュワートは我々は家族だ、犠牲を払えと怒鳴られると従うしかなかった。
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一方べインズはピアノ自宅へ運び入れ調律までしてエイダの来る日を待った。そこに、いやいやレッスンに赴いたエイダが現れた。
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しかし調律済みのピアノを前にすると、たちまちピアノ演奏に夢中になった。べインズはそんなエイダを見つめ続け、自らはピアノに触れようとはしなかった。
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そして、ある雨の日のレッスン、ピアノを弾くエイダを熱く見つめるべインズは、意を決したようにエイダの首筋へ背後からキスをする。
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怒るエイダにべインズは、ピアノを返してほしくないかと問いかける。触れることを許してくれれば、ピアノを返すと持ち掛ける。エイダは1レッスン黒い鍵盤分返すならと受け入れる。
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エイダとベインズのレッスンは、二人だけの秘密の時間になり、娘フローラは家の外で待たされる事になった。
回を追うごとにべインズの要求はエスカレートして行き、ある時はピアノの下でエイダの足に触れ、ある日はエイダに下着姿でピアノを弾かせ、その体に触れた。
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そしてある日、べインズはエイダをベッドに寝かせ、その体にキスをした。しかしエイダは、その体を許すことはなく、べインズの家を後にした。
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そんな時、教会で青髭の劇が上演され、娘のフローラも出演することとなった。エイダと夫スチュアートも観劇に訪れ、そこにべインズも現れた。
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しかし、エイダが夫と手を握りあっているのを見て、怒り帰って行った。劇は、青髭の女性殺害が本当に行われていると思ったマリオ族の乱入で、大混乱に陥った。
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次のレッスンの日、べインズは全裸になりピアノの黒鍵10個で、エイダとベッドを共にすることを求めた。そしてエイダもそれに応じ、二人は裸の体を重ねた。
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それを娘フローラに覗き見られているのを、二人は知らなかった。フローラは、エイダの行為を木を相手に再現し、それをまねてマオリの子もともに遊び始めた。
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そこに通りかかった、スチュアートは恥ずかしいことをするなと止め、罰として抱き着いた木を洗わせた。フローラはスチュアートに、母のピアノレッスンの話をし、ピアノを弾かない日もあると言った。
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翌日のレッスン日、エイダがべインズの家に向かうと、ピアノがマオリ族の手によって、彼の家から運び出されるところだった。驚くエイダに、べインズはピアノを返すと告げた。
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彼は疲れた顔で、「君を娼婦に出来ない。君に自分を好きになって欲しかった。でも無理だ。」と言い、帰るように言った。
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ピアノが帰って来たことを知った夫スチュアートは、べインズの家に行き、なぜピアノを返すのかと問いかけたが、土地を返さなくて良いと言われると不思議がりながらも受け入れた。
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ピアノが帰って来たと言うのにエイダに喜びの表情はなく、ピアノも弾かず物思いに耽るようになった。
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そしてある日、娘フローラが必死に引き留めるのも聞かず、エイダはベインズの家に向かい走った。
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エイダはべインズに家のドアを開いたが、彼は焦燥した顔を歪ませ、失恋で病み、食事も摂れない、自分を愛してないなら出て行ってくれとドアを開けた。
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それを聞いたエイダは、べインズを平手打ちし、何度も何度も手を上げた。そして動きを止めると、抱き着き口づけを交わし、二人はベッドでお互いの体を重ねた。べインズとエイダは翌日会う約束をした。
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そんな二人は、夫スチュアートが覗き見ているのを知らなかった。
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翌日エイダはべインズとの約束を守り彼の家へと向かう。しかし、スチュアートはその途中の森で待ち伏せ、彼女に襲い掛かかった。
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そこに娘フローラが来てスチュアートは、エイダをレイプするのを諦めた。しかしスチュワートは、家の玄関も窓も板を打ちつけ、エイダを家に幽閉した。
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映画『ピアノ・レッスン』予告

映画『ピアノ・レッスン』出演者

エイダ・マクグラス(ホリー・ハンター)/ジョージ・ベインズ(ハーヴェイ・カイテル)/アリスデア・スチュワート(サム・ニール)/フローラ・マクグラス(アンナ・パキン)/モラグおばさん(ケリー・ウォーカー)/ネッシー(ジュヌヴィエーヴ・レモン)/ヒラ (トゥンギア・ベイカー)/牧師 (イアン・ミューン)/船長役 (ピーター・デネット)/マナ (クリフ・カーティス)/エイダの父 (ジョージ・ボイル)/エンジェル (ローズ・マクアイバー/タフ(ミカ・ハカ)
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映画『ピアノ・レッスン』評価・受賞歴


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映画『ピアノ・レッスン』評価

この映画は高い評価を公開当時より受け、アカデミー賞を獲得したほか、数々の賞を獲得しています。
また、批評的にも高い評価を受け、その結果「映画ベスト100」など映画リストにも数多く選出されています。
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映画『ピアノ・レッスン』受賞歴

第66回アカデミー:主演女優賞、助演女優賞、脚本賞
カンヌ国際映画祭:パルム・ドール、女優賞
セザール賞:外国語映画賞
オーストラリア映画協会賞:作品賞、監督賞、主演女優賞、主演男優賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞、作曲賞、美術賞、脚本賞、音響賞
英国アカデミー賞:主演女優賞、衣装デザイン賞、美術賞
ゴールデングローブ賞:主演女優賞(ドラマ部門)
インディペンデント・スピリット賞:外国語映画賞
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関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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映画『ピアノ・レッスン』ランクイン映画リスト紹介

2022年英国映画協会(BFI)選出『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』・・・・・53位
2022年版英国映画協会(BFI)選出『史上最高の映画ベスト100』・・・・・50位
1999年キネマ旬報選出『映画人が選ぶオールタイムベスト100 外国映画編』・・・・・26位
2018年・米「Time Out」誌発表『俳優が選んだ史上最高の映画ベスト100』・・・・・85位
2020年・米情報発信会社”スタッカー”発表『映画史からの記念碑的映画110本とあなたがそれを見るべき理由』順不同
1999年・米「ローリングストーン」誌発表『100年間の反逆者の映画ベスト100』・・・・・81位
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関連レビュー
◎いろいろな『映画ベスト100』企画紹介

世界各国で選ばれた『ベスト映画ランキング』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!
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映画『ピアノ・レッスン』2022年時点の映画サイト評価

<日本>
Yahoo!映画 -・・・・・3.7/5、アマゾン・・・・・4.1/5、Filmarks・・・・・3.6/5、映画.com・・・・・3.9/5、allcinema・・・・・7/10、キネノート・・・・・74.1/100
<米国>
Rotten Tomatoes・・・・・90%、Metacritic・・・・89%、IMDB・・・・・7.5/10
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以下の文章には

映画『ピアノ・レッスン』ネタバレ

があります。
(あらすじから続く)
ある夜エイダはスチュワートのベッドに行き、その体に触れ夫を満足させたが、夫が彼女の身体に触れることは許さなかった。
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そんな事が続いたある朝、夫スチュワートは打ちつけていた板を自ら剥がすと、エイダに「君を信じている。信じていいか?」と問う。
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エイダが頷くのを見て、「いつか俺を好きになってくれるだろう」と呟き、仕事へと出て行った。

しかし、夫が家を出ると、エイダはピアノの白鍵を一本抜き取り「ベインズ私の心はあなたのものよ、エイダ」と彫ると、ベインズの下に届けるよう娘フローラに言った。
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フローラは嫌がったが、エイダに強く命じられ家を出たものの、娘はべインズの家には行かず、それをスチュアートへと渡した。
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中身を見たスチュワートは激怒して家に帰ると、斧を振るい扉を壊し、豪雨の中にエイダを引きずり出した。
エイダの不実を責め、「あいつが好きなのか?」と叫ぶ。
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そして、スチュワートは斧を振りかざすと、娘フローラが絶叫する中、エイダの指を一本切り落とした。
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驚いたように跳ね上がったエイダの体は、数歩歩むと、芯が抜けたように泥の中に座り込んだ。
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スチュワートは、切り落とした指をハンカチに包むと、フローラに持たせベインズの家に走らせた。泣きながらベインズに指を渡した娘フローラ。
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事態を悟ったベインズは、「スチュワートを今すぐ殺してやりたい」と怒るが、フローラは母の指が全てなくなるから来ないでと泣いて、思い止まらせた。

スチュアートは熱に浮かされ意識がないエイダを看病していたが、その体に覆いかぶさり抱こうとする。
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しかしエイダが目を覚まし、夫を見つめると、スチュワートもそれ以上の行為を止めた。

その夜スチュアートはベインズの家に乗り込むと、ベッドで寝るべインズの頭に銃を突き付け、エイダと共にこの地から去れと告げた。
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映画『ピアノ・レッスン』結末

エイダと娘フローラは、ベインズと共に船に乗りその地を離れた。
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船が海原に漕ぎ出すとエイダはピアノは壊れているから捨ててほしいと、べインズに言った。
べインズは止めようとするが、エイダは強硬だった。
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エイダは自ら捨てようと手を伸ばしたため、彼も折れピアノを投棄した。
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ピアノが海に投入され、そのロープも一緒に海に引き込まれていく。刹那エイダはピアノを結んだロープに自ら足を踏み入れた。
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そして、ピアノと共に眠るように海深く沈んで行く。深い海の中へどこまでも沈んで行った。
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しかし目を開いたエイダは、体をもがかせロープに絡んだ靴を脱ぎ棄てると、水上へとその体を飛び出させた。
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その後、新たな地に移り住んだエイダは、ベインズによって義指を贈られた。
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エイダは声を出す練習を始め、ピアノ教師の生活を始めた。
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今でもピアノと共に沈む自分を見るのだった。
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最後にトーマス・ホッドの『沈黙』の一節が語られる。
音のなかったところ、沈黙がある(There is a silence where hath been no sound)
音のないところ、冷たい墓の中、深い深い海の下にも多分沈黙がある。(There is a silence where no sound may be,In the cold grave−under the deep, deep sea,)



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月22日

1979年開催・第51回アカデミー賞授賞式!『ディア・ハンター』の五冠/授賞スピーチ紹介/全受賞作品・ノミネート作品紹介

1979年開催・第51回アカデミー賞・授賞式動画紹介


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関連レビュー:アカデミー賞紹介
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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51 回アカデミー賞授賞式は、1978年に公開された映画を対象として、1979 年 4 月 9 日にロサンゼルスのドロシー チャンドラー パビリオンで開催された。司会はTVショーで人気だったジョニー・カーソンが初めて務めた。
1975年に終結したベトナム戦争の敗戦の衝撃がアメリカ社会を覆う中、ベトナム戦争を題材とした『ディアハンター』や『帰郷』が高い評価を受けた。最多ノミネート作品は『ディアハンター』と『天国から来たチャンピオン』の9部門で、以下『帰郷』の8部門、『ミッドナイトエクスプレス』の6部門『インテリア』の5部門と続いた。
また、ハリウッドを代表する俳優ジョン・ウェインが、作品賞のプレゼンターとして登場したが、それが公の場に姿を現した最後の姿であり、観客は長いスタンディング オベーションで彼を称えた。そのジョン・ウェインはこの僅か2か月後 1979年6月11日にこの世を去った。
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関連レビュー:ジョン・ウェインの出世作!
映画『駅馬車』
ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の西部劇!
アクション映画と感情表現の関係とは?

<目次>

レッド・カーペット

司会 ジョニー・カーソン開演スピーチ

助演女優賞スピーチ/マギー・スミス

助演男優賞スピーチ/クリストファー・ウォーケン

主演女優賞スピーチ/ジェーン・フォンダ

主演男優賞スピーチ/ジョン・ヴォイト

監督賞スピーチ/マイケル・チミノ

作品賞スピーチ/ディア・ハンター

その他全部門ノミネートと受賞

第51回アカデミー賞・司会者ジョニー・カーソン開幕スピーチ

【大意】私は映画にもっとインディアンや他のマイノリティーを使うべきだと思う。海を汚すのも反対だ。すべての民族は母国があるべきだ。私はアザラシの赤ちゃんの頭を殴らず、クジラを救う。(拍手)ありがとう「座り拍手」は初めてだ。知っての通り51回目のアカデミー賞で2時間の輝くエンターテーメントを4時間に分散している。この賞は254か国で衛星中継されてるのは誇るべきだ。南アフリカを含む3億5千万人に放送されている。幹部は経理上増加を見越し石油産油国でも放送され9%増える。私はただ思った。ジェリー・ブラウン(政治家)とリンダ・ロン・シュタット(歌手:二人は恋愛関係にあった)がケニアのホリデイインホテルで見ている。TVには追加料金が掛かるだろう。関係者に非難されそうだが正直であるべきだ。今夜ここに立つのが怖い。輝かしい新人の顔や特に古い顔を眼にする。しかし皆さんがこの機会にすべきなのは、映画界のエリートをさりげなく一瞥し記憶することぐらいだ。こんなに大勢のスターを見るのはCMのオーディション以来だ。マーロン・ブランドはそれ(CM)でここにいない。ミズリーのナバホ居留地でCM撮りだ。今夜の候補作が優れていることに皆も同意するだろうが、個人的には『天国から来たチャンピオン』が特別だ。ウォレン・ベイティが自分の使う体を見つけられないというの本当のファンタジーだし、二つ目が脚本で、死者が死体を見つけて蘇るということで、クリスチーナ・クロフォード(ハリウッド女優ジョン・クロフォードの娘。母の虐待の事実を暴露)は怖がるだろう。今年はバラエティーに富んだ音楽が候補だが、『再びチャンスを得る準備はできてる(“Ready To Take A Chance Again”『ファール・プレイ』主題歌)という曲が、原子力規制委員会のテーマソングになったと知ったらスリルを感じるだろう。たぶん私が子供時代とは映画も変わった。初期の倫理規制は成長し、現代ではヌードやSEXも描く。しかしスタジオはどれほど稼ぐのかと思う。このジョークはブルガリアではもうちょっと受ける。(13:35まで)

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ジョニー・カーソン
ジョン・ウィリアム・"ジョニー"・カーソン(John William "Johnny" Carson、1925年10月23日-2005年1月23日)はアメリカのテレビ司会者、コメディアン、俳優。
NBCの『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』で1962年10月1日から1992年5月22日までの約30年に亘って司会を務め、「キング・オブ・レイト・ナイト」と呼ばれた。同番組とカーソンはアメリカでも有数の人気を誇り、アカデミー賞授賞式の司会者も数回に渡り務めることとなった。


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第51回アカデミー賞・主要賞結果


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第51回アカデミー賞・助演女優賞スピーチ

プレゼンターはジョージ・バーンズとブルック・シールズ
【大意】ジョージ・バーンズは愛らしい若いレディと一緒で幸せだが、デートだと思われると困ると言い、ブルック・シールズはデートなんて思わないと答えると、一緒に映画を撮って恋に落ちるのはどうだ、私がチケットを売るとジョージ・バーンズは笑わせ、ブルック・シールズがノミネート者を紹介
ダイアン・キャノン(天国から来たチャンピオン)/ペネロープ・ミルフォード(帰郷)/ マギー・スミス(カリフォルニア・スイート)/モーリン・ステイプルトン(インテリア)/メリル・ストリープ(ディア・ハンター)

受賞者はマギー・スミス(カリフォルニア・スイート)

【受賞スピーチ・意訳】
本当に、本当に、私はこれを信じられない。私は、とても、とても光栄で、そしてとても感謝しています。ニール・サイモンに感謝したいです。ハービー・ロスに感謝します。そして、私はマイケル・ケインがここにいれば嬉しかった。なぜなら、彼は世界最高の助演俳優だからで、彼こそ中央にいるべきです。本当に、大変感謝いたします。
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第51回アカデミー賞・助演男優賞スピーチ

プレゼンターは ダイアン・キャノン, テリー・サバラス
ノミネート者を紹介
ブルース・ダーン(帰郷)/リチャード・ファーンズワース(カムズ・ア・ホースマン)/ジョン・ハート(ミッドナイト・エクスプレス)/ クリストファー・ウォーケン(ディア・ハンター)/ジャック・ウォーデン(天国から来たチャンピオン)
受賞者を発表クリストファー・ウォーケン(ディア・ハンター)

【受賞スピーチ・意訳】
ありがとう、マイケル。とても嬉しいです。今夜、このオスカーと共にマイケル・チミノに敬意を表します。そして、アカデミーのメンバーとロバート・デ・ニーロ氏に感謝の意を表したいと思います。皆さん、ありがとうございました。
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関連レビュー:アカデミー賞受賞作
『ディアハンター』
ベトナム戦争とロシアンルーレットの恐怖!!ネタバレなし再現ストーリー
若き日のロバート・デ・ニーロ&メリル・ストリープ共演


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第51回アカデミー賞・主演女優賞スピーチ

プレゼンターは リチャード・ドレファス、シャーリー・マクレーン
シャーリー・マクレーンはここに弟(ウォーレン・ベイティ)と共にいる事を誇りに思うと言い、更に弟は羨ましいほど才能が有ってセクシーだけど、禁欲に挑戦してみない(ウォーレン・ベイティは女性関係が激しかった)と言い、リチャード・ドレファスは俺が言ったんじゃないとノミネート者を紹介
イングリッド・バーグマン(秋のソナタ)/エレン・バースティン(セイム・タイム、ネクスト・イヤー:原題:Same Time, Next Year)/ジル・クレイバーグ(結婚しない女)/ ジェーン・フォンダ(帰郷)/ジェラルディン・ペイジ(インテリア)
受賞者はジェーン・フォンダ(帰郷)
【受賞スピーチ・意訳】
とても幸せです。本当に勝ちたかった。『帰郷』を誇りに思っており、多くの人に見てもらいたいから。今夜の一部を手話で話します。なぜなら映画撮影中に我々は障碍の問題に関して、より多くに気付きました。 1400万人以上がろう者なのです。彼らは目に見えない障害者であり、今夜を分かち合うことができないので、これが私なりの彼らへの感謝の仕方です(手話を終了)
私の大きな誇りであり、感謝です。もう8年近く経ちます。この映画『帰郷』は、私たちが住むサンタモニカのインドシナ平和キャンペーンの狭いオフィスで生まれました。戦争に巻き込まれた私たちの多くは座り込んでいました。その何人かは退役軍人でした。私は感謝を、それらすべてに感謝します。その中の 1 人は夫のトム・ヘイデンでした。そのうちの 1 人はギルバート・ヘイデンで、私の援助者となり、『帰郷』のアソシエイト プロデューサーとなりました。

最初に ウォルド・サルトに感謝したいと思います。最初の大物、プロジェクトを信じて首を突っ込んだ最初の業界重鎮。実際、彼はこれを非常に信じていたので、2年間無償で働いていました。そして彼は、私たちのために戦ったプロデューサー、ジェリー・ヘルマンに我々を導きました。ジェリー、本当にありがとう。そして、とても繊細にカメラを撮ってくれたハスケル・ウェクスラーと、ピンチを切り抜けたボブ・ジョーンズに感謝します。そして、ハル・アシュビーに感謝します。ハル、あなたはここにいませんが、あなたのセンスと勇気、はさみの能力に感謝したいと思います。そして、ペニー・ミルフォード、ボビー・キャラダイン、ブルース・ダーン、友人のジョン・ヴォイト、マイク・メダヴォイ、エリック・プレスコフ、アーサー・クリム、そして資金を提供してくださったマーシャ・ナサティアにことに感謝します。
そして最後に、トロイとヴァネッサ、私の不在を理解して許してくれた、私の子供たちに感謝したいと思います。 そして夫は、再び、映画が娯楽であるだけでなく、インスピレーションを与え、導き、さらには癒しになると信じさせてくれました。 皆さんに感謝します。アカデミー協会に大変感謝しています。
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第51回アカデミー賞・主演男優賞スピーチ

プレゼンターはジンジャー・ロジャース、ダイアナ・ロス
ダイアナ・ロスはこの会話の間にも、全ての演技者が少しずつスリルを否が応でも高めていくと語り、ジンジャー・ロジャースも観客も渡したが呼ぶ名前を息詰まる思いでしょうと言いノミネート者を紹介
ウォーレン・ベイティ(天国から来たチャンピオン)/ゲイリー・ビューシイ(バディ・ホリー・ストーリー)/
ロバート・デ・ニーロ(ディア・ハンター)/ローレンス・オリビエ(ブラジルから来た少年)/ジョン・ボイト(帰郷)


受賞者はジョン・ボイト(帰郷)
【受賞スピーチ・意訳】
私はつい最近このステージに出られるようになったが、まだ激しく動揺しています。私は、ここにいる俳優、また、今晩の式を見ている者は、一人としてローレンス・オリヴィエの継続的な遺産に対する大きな恩義を認めない者はいないと思う。 そして、今夜ここに彼がいてくれたおかげで、私にとっての授与式は大きな視野が与えられました。そして、温かく、寛大で、威厳のあるものになりました。私はそれに全く値しないと、あなたに言いたい。この部門の今年の演技は、本当に、注目に値します。私はこの部門の他の候補者の大ファンです。そして私は、我々が代表に選ばれるべき並外れた演技をしたと全員が特に認識していると、知っています。私自身の役も、そして我々全てがした、この部門での際立った演技を感謝すべき多くの人々がいます。私は全員に感謝したいのですが、多くの人々を代表する少数の人に感謝することを選択します。

私は、わが友、ブルース・ダーンの励ましと素晴らしい演技、そして友情に感謝します。私は、ジェリー・ヘルマンに感謝したい。『真夜中のカウボーイ』もプロデュースした並外れた男、偉大な製作者であり、粘り強いファイター、私たち全員を健全に保った、素晴らしい感覚を持っています。私は、ハル・アシュビー、素晴らしい、素晴らしい人物に感謝したいと思います。彼は私を独り立ちさせ、私のパフォーマンスを励ましてくれた。そして最後に、ジェーンの人間としての偉大な尊厳に感謝したいと思います。彼女がここに現れなくててよかった、私は感極まってしまうでしょう。そして最後に、私は私を導いてくれたすべての人々、対処のための多くの経験を与えてくれ、彼らが非常に貢献してくれました。車いすの方々、退役軍人、民間人、徒歩旅行者で、私が自分の仕事と呼ぶものに強く表れている人々です。大変感謝しています。

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第51回アカデミー賞・監督賞スピーチ

プレゼンターはアリ・マッグロー、フランシス・フォード・コッポラ
アリマッグローはアメリカでは監督と呼ばれるが、イタリアやフランスでは、実現者と呼ぶが、まさに夢の実現者だと言う。コッポラは確かに、現実化し観客に見せて聞かせて、その一部と化すことだ。小さな町から大きな進化を1970年代の映画産業は遂げたと語りノミネート者を紹介。
ハル・アシュビー(帰郷)/ マイケル・チミノ(ディア・ハンター)/ウォーレン・ベイティ、バック・ヘンリー(天国から来たチャンピオン)/ウッディ・アレン(インテリア)/アラン・パーカー(ミッドナイト・エクスプレス)

受賞者は マイケル・チミノ(ディア・ハンター)
【受賞スピーチ・意訳】
このような瞬間は、誇りが膨らみ、謙虚になるのは難しい。 しかし、私はここにいることが誇りであり、我々の仕事が誇りであり、この伝統の一部であることを誇りです。親愛なる特別な仲間たちを誇りに思います。ジョアン・カレリ、バリー・スパイキングス、クリス・ウォーケン、ジョン・サヴェージ、メリル・ストリープ、故ジョン・カザール。そして、特に私の感謝をロバート・デ ・ニーロの、彼の献身と、彼の魂の偉大な尊厳に。とても感謝しています。

司会ジョニー・カーソンは、去年50回目のアカデミー賞で感動的な言葉があったと言い、去年の司会ボブホープの映像を流す。ボブホープはハリウッド一のビッグスター、ジョン・ウェインの不在が寂しい(胃がんで闘病中だった)来年こそは出席してほしい。誰もジョン・ウェインのブーツを履き歩けないのだからと語る。
再びジョニー・カーソンに戻り、ジョン・ウェインを紹介。(5:01秒まで以下作品賞の発表へ)
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関連レビュー:アカデミー賞受賞作!感想解説
『ディアハンター』
ベトナム戦争を描くアカデミー賞5冠作品!
映画にある混乱の理由を徹底追及!
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第51回アカデミー賞・作品賞スピーチ

プレゼンターはジョン・ウェイン
盛大なスタンディング・オベーションを受ける。
【ジョン・ウェイン大意】皆さんありがとう。私に必要な薬をもらった。私はアカデミー賞とは同じ1929年に仕事を始めた。互いに嵐も経験したが、まだここにいるし、もう少し頑張る計画だ。今晩の俺の仕事は皆が選んだベスト映画を読み上げることだ。さあハッキリさせようとノミネート者を紹介。
帰郷/ ディア・ハンター/天国から来たチャンピオン/ミッドナイト・エクスプレス/結婚しない女
受賞作は ディア・ハンター

【プロデューサー:監督/マイケル・チミノ】私は皆を狂ったように愛しています。 ありがとう。
【プロデューサー/バリー・スピキングス】映画を製作してくれたすべての人に感謝します。そして、皆さんの親切と寛大さに心から感謝します。
【プロデューサー/マイケル・デリー】私は二人のみ感謝を加えたいと思います。一人は最初に我々を助けてくれた、ボビー・リットマンです。そして、一人は、最終的にプロダクションを設立した時我々を助けてくれた、ハリー・ウフランドです。大変感謝します。

最後にジョン・カーソンはジョン・ウェインの登場に感謝し、舞台裏では友達が大勢待っているだろうと語り、ショーを締めた。
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関連レビュー:アカデミー賞受賞作!ネタバレ・ラスト
『ディアハンター』
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第51回アカデミー賞・各賞結果

賞名受賞ノミネート
脚本賞 ナンシー・ダウド、ウォルド・ソルト、ロバート・C・ジョーンズ(帰郷)イングマール・ベルイマン(秋のソナタ)/マイケル・チミノ(ルイス・ガーフィンクル)/デリック・ウォッシュバーン、クイン・K・レデカー (ディア・ハンター)/ウッディ・アレン(インテリア)/ポール・マザースキー(結婚しない女)
脚色賞オリバー・ストーン(ミッドナイト・エクスプレス)ウォルター・ニューマン(愛の断層 :原題Bloodbrothers)/ニール・サイモン(カリフォルニア・スイート)/エレイン・メイ、ウォーレン・ベイティ(天国から来たチャンピオン)/バーナード・スレード(セイム・タイム、ネクスト・イヤー:原題Same Time, Next Year)
長編ドキュメンタリー賞Scared Straight!The Lovers' Wind/Mysterious Castles of Clay/Raoni/With Babies and Banners: Story of the Women's Emergency Brigade
外国語映画賞ハンカチのご用意をFOREIGN LANGUAGE FILM/ガラスの独房/ハンガリアン/Viva Italia! /黒い耳の白い犬
撮影賞天国の日々ディア・ハンター/天国から来たチャンピオン/セイム・タイム、ネクスト・イヤー (原題:Same Time, Next Year)/ウィズ
編集賞ディア・ハンターブラジルから来た少年/帰郷/ミッドナイト・エクスプレス/スーパーマン
編曲賞(ドラマ)バディ・ホリー・ストーリー(原題:The Buddy Holly Story)プリティ・ベビー/ウィズ
作曲賞ミッドナイト・エクスプレスブラジルから来た少年/天国の日々/天国から来たチャンピオン/スーパーマン
衣装デザイン賞ナイル殺人事件キャラバン(原題:Caravans)/天国の日々/スウォーム/ウィズ
美術賞天国から来たチャンピオンブリンクス/カリフォルニア・スイート/インテリア/ウィズ
音響賞ディア・ハンターバディ・ホリー・ストーリー(原題:The Buddy Holly Story)/天国の日々/グレート・スタントマン/スーパーマン
主題歌賞“Last Dance”(イッツ・フライデー)“Hopelessly Devoted To You”(グリース)/“The Last Time I Felt Like This”(セイム・タイム、ネクスト・イヤー:原題Same Time, Next Year)/“Ready To Take A Chance Again”(ファール・プレイ)/“When You're Loved”(ラッシー)
短編実写映画賞Teenage FatherA Different Approach/Mandy's Grandmother/Strange Fruit
短編アニメーション賞Special DeliveryOh My Darling/Rip Van Winkle
短編ドキュメンタリー賞The Flight of the Gossamer CondorThe Divided Trail: A Native American Odyssey/An Encounter with Faces/Goodnight Miss Ann/Squires of San Quentin
アカデミー名誉賞ローレンス・オリヴィエ/ウォルター・ランツ/キング・ヴィダー/ニューヨーク近代美術館
ジーン・ハーショルト友愛賞レオ・ジャフェ




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アカデミー賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月26日

映画『我等の生涯の最良の年』考察!本作の隠された主張とは?/復員兵ワイラー監督と「赤狩り」とハリウッド

映画『我等の生涯の最良の年』考察 編

原題 The Best Years of Our Lives
製作国 アメリカ
製作年 1946
上映時間 169分
監督 ウィリアム・ワイラー
脚本 ロバート・E・シャーウッド
原作 マッキンレー・カンター


評価:★★★★  4.0点

この映画は1946年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞を獲得した。

1945年の第二次世界大戦終結後の、米国復員兵が日常に復帰する苦悩を、緻密な脚本で描き説得力がある。

監督のウィリアム・ワイラーも戦時中は従軍し、戦争の悲惨な現実を目の当たりにし帰国した。
しかし、ようやく平安を得られると期待しただろう彼の思いを裏切るような現実が、戦後のアメリカ社会には待ち構えていた。

そんな彼の帰還兵としての実感が、この作品にリアリティーを与えていると思える。
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<目次>
映画『我等の生涯の最良の年』ネタバレなし簡単あらすじ
映画『我等の生涯の最良の年』考察・ワイラーと赤狩り
映画『我等の生涯の最良の年』考察・全米監督協会を巡る対決

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映画『我等の生涯の最良の年』簡単あらすじ


第二次世界大戦が終わり、空港を行き交う人々で混雑していた。その中に復員兵の、空軍大尉のフレッド(ダナ・アンドリュー)もいた。故郷ブーン市に向かう飛行機はいっぱいで、空軍の貨物機に便乗する事にした。
その飛行機で、同郷の義手を付けた水兵のホーマー・パリッシュ(ハロルド・ラッセル)と陸軍軍曹のアル・スティーブンソン(フレドリック・マーチ)と同乗し仲良くなる。アルは家に帰り、妻と娘と息子に迎えられたが、居心地が悪く家族を夜の町へと連れ出し、深酒をした。そしてホーマーの叔父の経営する店と聞いたバーへ行くと、そこにはフレッドとホーマーがおり再会を祝して更に灰を重ねた。
その挙句、フレッドも足元が危うくなり、アルの家に一晩泊まった。そんな中フレッドはアルの娘ペギー(テレサ・ライト)と仲良くなる。
その後社会復帰を目指すフレッドは、戦争中は英雄だったが就職もままならず、新妻マリー(ヴァージニア・メイヨ)から嫌味を言われる。ホーマーも、周囲は暖かく迎えるものの、義手を気にして婚約者と距離を置くようになる。フレッドは戦前務めていた銀行に復帰し復員兵の融資を担当するが、銀行の方針と折り合えない。
そんな3人が、戦後のアメリカ社会に適応しようと苦闘する姿を描く・・・・
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映画『我等の生涯の最良の年』予告

映画『我等の生涯の最良の年』出演者

アル・スティーブンソン軍曹(フレドリック・マーチ)/ミリー・スティーブンソン(マーナ・ロイ)/ペギー・スティーブンソン(テレサ・ライト)/ロブ・スティーブンソン(マイケル・ホール)/フレッド・デリー大尉(ダナ・アンドリュース)/マリー・デリー(ヴァージニア・メイヨ)/ホーテンス・デリー(グラディス・ジョージ)/ウィルマ・キャメロン(キャシー・オドネル)/ウィルマ母(ドロシー・アダムス)/ウィルマ父(ドン・ベドー)/ホーマー・パリッシュ(ハロルド・ラッセル)/ホーマーの叔父(ブッチ・エングル)/ホーマー母(ミンナ・ゴンベル)/ホーマー父(ウォルター・ボールドウィン)/ローマン・ボーネン(パット・デリー)/ミルトン(レイ・コリンズ)/クリフ(スティーヴ・コクラン)/ルエラ・パリッシュ(マレーネ・エイムズ)/プリュー(チャールズ・ハルトン)/モレット(レイ・ティール)/ソープ(ハウランド・チェンバレン)/ノヴァク(ディーン・ホワイト)/ブラード(アースキン・サンフォード)/ウディ・メリル(ヴィクター・カトラー)
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映画『我等の生涯の最良の年』考察

「赤狩り」とワイラー
個人的には、この『我等の生涯の最良の年』に、終戦直後からアメリカ国内で始まった「赤狩り(レッドパージ)」に対する、ワイラーの思いが反映されているように感じた。

それは、一人ワイラーだけではなく、第二次世界大戦を戦い帰国した、ワイラーを含めたハリウッドの大物映画監督、ジョン・フォード、ジョン・ ヒューストン、フランク・キャプラ、ジョージ・スティーブンスに共通する「想い」であったと思える。
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『我等の生涯の最良の年』
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戦後の世界は平和が訪れるという人々の希望もむなしく、ソ連を代表とする共産主義勢力と、アメリカが主導する資本主義陣営に2分された「冷戦時代」を迎えることとなる。

その対立を基にアメリカ国内では連邦議会の下院に共産主義者を排斥する目的で、非米活動委員会(HUAC)が作られた。
その公聴会でハリウッドで共産主義的な傾向を持つとされる映画産業界の人々が呼び出され、共産主義者ではないと宣誓することが求められたのである。
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その時、宣誓を拒否した10人のハリウッド映画人を「ハリウッド・テン」と呼び、彼らは議会侮辱罪に問われることになった。

その判決に異を唱えた、ハリウッド映画人は「憲法修正第一条委員会」を結成し、言論の自由を主張した。
結局「憲法修正第一条委員会」は、その参加者スターリング・ヘイデンが共産党員だったという事実が判明し解散することとなる。

しかし、その発足には、ウィリアム・ワイラーやジョン・ ヒューストンが積極的に関わっていた。
ここで注目したいのは、戦地に赴いた愛国者であるワイラーや、ジョン・ヒューストンが、なぜ強く、戦後の反共運動に反対したのかという点である。

その理由が、この『我等の生涯の最良の年』のワンシーンで語られていると思える。
<『我等の生涯の最良の年』シーン:戦争は意味がなかった?>
【意訳】男:君のような自らを犠牲にした男性を見ると恐ろしくなる。一体何のために?/ホーマー(義手の男):何のため?言ってることが分からない。/男:我々は騙されて、戦争をさせられたんだ。/ホーマー:そうさ、日本とナチのせいでね。それでー/男:いいや、ドイツと日本は我々の敵ではんかった。奴らは、イギリスと共産主義者と戦っただけだ。もし俺たちが、ワシントンの過激な連中に騙されてなければ、勝ってたかもな。/ホーマー:何を言ってるんだ。/男:俺たちは間違った敵と戦った。それだけさ。事実を見るんだな、友よ。/ホーマー:自分自身を見てみろ。何のためにその腕を失ったか。そして行動を起こすんだ。/フレッド(店員):金を払って帰ってくれ。支払いは向こうだ。/男:ここでもまた問題だ。この国のソーダ作りは、みんな特別だと思ってるのか?/ホーマー:おい、あんたは何を売り込みたいんだ!/男:何も売っちゃいないさ、ただ古いアメリカ精神の持ち主でね。/ホーマー:そのアメリカ主義はクソッタレの仲間か?俺たちは、ナチや日本の味方をすれば良かったのか?/男:もう一度言う。真実を見つめろとね。/ホーマー:俺も少しは真実を見て来た。船が沈み400人の仲間が沈むのを見た。彼らもクソッタレか?/男:それはつらい事実だな。だが、もうすぐ我々は賢くなって/ホーマー:俺に手があれば。/フレッド:手を放せ!(以後省略)

このシーンで男が語っているのは、ドイツと日本の敵は共産主義であり、それであればアメリカは戦う必要はなかったという総括である。
そして、そう主張する男が、自らを古いアメリカ主義者だと語る時、ここに「共産主義者=非米活動者」こそ真のてきなのだという、アメリカ的愛国主義を見る。

このシーンで戦争は不要だったと言う男の姿は、戦後アメリカ社会を象徴するものであり、それに異を唱えるホーマーとフレッドこそ、ワイラーを代表とする帰還兵たちの偽りのない声だっただろう。

この米国を支配した、超愛国心を元にした新たな「戦争=冷戦」の出現は、実際に戦争に参加し傷ついたワイラーにして見れば、いい加減にしろと言いたかったろう。

自分たちが、なんのために戦ったのかと、強い無力感を感じたに違いない。
それは一人ワイラーだけの感情ではなく、戦争に赴いた兵士たちに共通する思いだったのではないか。

それは100歩譲って、ワイラーや監督アナトール・リトヴァク監督はユダヤ人だったため、迫害される同胞に対する思いから、ナチスに対する戦争を戦ったかもしれない。
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しかし、それ以外の戦地に赴いた監督、ジョン・フォード、ジョン・ ヒューストン、フランク・キャプラ、ジョージ・スティーブンスは、心情的には右翼的愛国心から戦地に身を投じたことは、その作品や発言からも間違いないだろう。

そんな米国愛に満ちた、ジョン・フォード他の監督達にしても「赤狩り」に対して反対の声を上げているのだ。

その一方赤狩りに積極的に関与したのは、ハリウッド映画界では、ウォルト・ディズニーや、俳優ジョン・ウェイン、後の大統領ロナルド・レーガン、そし大物監督セシル・B・デミルだった。

そんな「赤狩り」を叫ぶ彼らには、実は共通点があるのだ。
彼らは、第二次世界大戦の戦場に立っていないのである。

うがった見方をすれば、戦争で血を流さなかったという負い目が、「赤狩り」という愛国行動を取らせたのではないかと疑わせる。

この両者、戦争に行った者と行かなかった者の対立をよく示すのが、ジョン・フォードとセシル・B・デミルという、当時のハリウッドの2大監督が対峙した、全米監督協会を巡る対決だった。
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映画『我等の生涯の最良の年』考察

全米監督協会の対決
反共産主義を叫ぶセシル・B・デミル監督は、全米監督協会を舞台に勝負に出た。

「共産主義シンパ」を映画産業から締め出そうとする動議を出し、それに反対する当時の監督協会会長ロバート・L・マンキーウィッツ不在中に、緊急総会を招集したのだ。

その映画監督達の緊迫した会議は結論に至らず、長時間に及んだ。

膠着した会議に、決着をつけたのがジョン・フォードで、それまで沈黙を保っていた彼は、立ち上がるとデミルに対してこう言い放った。

「C・B(デミルのこと)、私はあなたが嫌いだ。C・B、私はあなたの拠って立つものも嫌いだ。私はあなたの今夜ここでの言動も嫌いだ。」
この言葉で、デミルは敗北に追いやられた。

このジョン・フォードの言葉こそ、実際に戦地におもむいた者が「赤狩り」という陰湿な騒ぎに対して持った、正直な心情の吐露だったと思えてならない・・・・
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この会議のときデミルは、嘲るようなユダヤ訛りで「ヴィリー・ヴァイラー氏は、共産主義に好意的だ」と、ワイラーをも名指しで攻撃している。

これに対してワイラーは「私の国への忠誠心に人々が疑問を抱くのはうんざりだ」と言い「次に誰かがそれを言うのを聞いたら、私は彼を地獄に蹴落とす。私は彼が老人だろうが、どれだけ権力を持とうが気にしない。」と痛烈な反撃をした。

彼にしてみれば、命がけで国に尽くした結果がこれかと失望したに違いない・・・・・

この騒動の後も「赤狩り」は益々その炎を広げていったが、その間ワイラーは『ローマの休日』の撮影でイタリアにいた。
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スタジオはワイラーが「赤狩り」に否定的であることを知っており、当時「ハリウッドで最も金を稼ぐ監督」と言われていたキャリアを、そのため失うことを恐れていた。

そのため、スタジオ側では、彼が国外の撮影でアメリカを離れている事に安堵したと伝えられている。

そんな状況下でもワイラーは、共産主義シンパでハリウッドを追放された、ダニエル・トランボを『ローマの休日』の脚本家に採用したように、一貫して政府の「赤狩り」に抵抗を見せていた。

繰り返しになるが、戦争の後、再び始まった醜い争いに我慢できなかったのだろう。

この映画『我らが生涯最良の年』というタイトルには、戦争が終わり平和になる「最良の年」であるはずなのにという詠嘆が込められているように響く・・・・・

その新たな「戦争=冷戦」は1945年2月から1989年12月まで、44年間続くこととなった。
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