原題 ПЛЕМЯ(英語題 THE TRIBE) 製作国 ウクライナ 製作年 2014 上映時間 132分 レイティング R-18 監督 ミロスラヴ・スラボシュピツキー 脚本 ミロスラヴ・スラボシュピツキー |
評価:★★★★ 4.0点
この映画を見て、全編セリフなし、字幕なしでドラマを語ろうとする、その試みに興奮を覚えました。
それは聾唖者が主人公であるため、必然的に生まれた表現だったでしょうが、正直にいえば、この映画を見初めて30分位で感じたのは、ストレスでした。
その手話で交わされる言葉の意味を知りたいと、もどかしく感じたのです。
しかし、2回目を見た時、この映画の真意を知ったように思い、傑作だと考えるようになりました・・・・・・
映画『ザ・トライブ』予告 |
映画『ザ・トライブ』出演者 |
グレゴリー・フェセンコ(セルゲイ) /ヤナ・ノヴィコァヴァ(アナ)/ロザ・バビィ/オレクサンダー・ドジャデヴィチ/ヤロスラヴ・ビレツキー/イワン・ ティシコ/オレクサンダー・オサドッチイ/オレクサンダー・ シデリニコフ/サシャ・ルサコフ/デニス・グルバ/ダニア・ブコビイ/レニア・ピサネンコ/オレクサンダー・パニヴァン/キリル・コシク/マリナ・パニヴァン/タティアナ・ラドチェンコ/リュドミラ・ルデンコ
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映画『ザ・トライブ』感想 |
冒頭でも書いたように、この映画は全編手話で表現され、健常者にはその物語の細部を知ることはできない。
大まかなストーリーの流れはうかがい知れるものの、目の前でしばしば手話が繰り広げられているのを見れば、正直その手話で何が語られているのか知りたいと思う。
<転校シーン>このシーンでも手話が盛んに交わされる。
しかし手話とは、言語同様国ごとに違うらしく、たぶんウクライナの聾唖者にしかこの映画の言語的な翻訳は不可能だろう。
この映画の不親切な表現は、言葉を用いないという実験的な映画の製作だけを目的とした、監督個人の趣味的嗜好の結果として誕生したのかとも疑った。
それであれば、アカデミー賞を取った『アーティスト』同様、サイレント映画を現代で表現するというような、作り手側の個人的趣味・嗜好のために選ばれたのかとも疑った。
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しかし、2度目の視聴をして行く中で、どうもサイレント映画の再現などという、ペダンチックな、甘っちょろい、技巧的お遊びではないと確信した。
むしろ、この映画はこれでなければならなかった。
この映画が語る内容を表現するためには、この手話の意味をあえて翻訳せず、放置する事が必要だった。
そう理解した時、表現様式と物語のテーマの「完璧な整合性」を、この映画に見出す思いだった。
以下にその個人的な見解について、説明を述べさせて頂きたい。
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映画『ザ・トライブ』解説 |
何度も言うようだが、この映画を最初に見た時は、正直モドカシク、イライラした。
なぜなら、思いのほか手話の会話部分も頻繁に多く挿入されており、そこには本来理解することが可能な言語が交わされていると解っているからだ。
それはあたかも、翻訳不能な異国の言葉に取り囲まれた、異邦人のような気分だったからだ。
そう思った時、そんな感覚に既視感を覚えた。
昔見た映画が思い起こされたからだ。
映画『ロストイントランスレーション』だ。
たぶん、日本人以外の人々が日本で感じる孤独感・疎外感とは、この映画を見ている健常者が手話に感じるコミュニケーション断絶の状況に、近いのではないかと感じた。
関連レビュー:日本という孤独 『ロストイントランスレーション』 アカデミー賞脚本賞受賞作品 日本を舞台にした、異邦人達のアイディンティ・クライシス |
そこに言葉があるはずなのに、理解できないという絶望感だ。
そんな健常者で手話を解さない人間にとって見れば、正直なところ、この聾唖学校の生徒たちの暴力や反社会的な行動の理由が解らない。
そして再び、手話が解ればその理由が解明できるのではないかと、もどかしく感じるのだ。
そこで、はたと気がついた。
この映画の目的は、それではないかと。
つまりは、目の前の聾唖者の無軌道な暴力を生んだ理由を、知らせないこと。
この若者達が何を愛し、何を求めているのか、健常者に解るように明瞭に語らないこと。
何も知らない健常者は、理解不能なまま、この映画のラストの衝撃に直面する。
そして、思うはずだ。
彼らがなぜそうしたのか、その理由を知りたいと。
彼らが、何を求め、何を愛し、そしてなぜかくも自暴自棄なのか。
しかし、この映画はその答えを理解できる形で、敢えて提供しない。
そして健常者は、そのモドカシサの中で思い知る。
健常者が理解できない聾唖者の世界が間違いなく存在し、しかも、その世界は健常者の世界と重複してそこにあるという事実に。
共に社会を共有しながら、健常者と呼ばれる人々は、その世界を何も理解できないという事実。
そして健常者が、聾唖者という存在に対し本当に無関心であることが、この映画の手話を読み取れないという事実によって、健常者一人一人に突きつけられる。
そして、この映画を見た時に感じるフラストレーションの正体とは、健常者が聾唖者という存在に無関心である事によって、生じているのだと観客は思い知るのだ。
そして、そのフラストレーションの正体「障碍者に対する無関心」という事実が意味するのは、健常者がこの映画を見て感じる「対話の不成立」の何千倍、何万倍ものフラストレーションを、「障碍者=聾唖者」達が感じているという事実だったろう。
そう思う時、この映画のタイトル『ザ・トライブ』=「部族」とは、現代社会に共存しながら、健常者とは決して交わらない、独自の習俗を保持した「種族」として生きざるを得ない、彼等を言い表して見事だと思う。
そんな、社会から無視され、不可知の、不可触の存在として、遠ざけられた、彼らの苦悩が爆発したのがこの映画の最後であったように感じられてならない。
この映画は、そんな「聾唖者」達のフラストレーションやストレスから生じる怒りを、健常者に理解できない「言語=手話」を繰り広げることで、実体験として健常者に教えるための映画だったと信じる。
そんな、健常者が持つ「障碍者に対する無関心」が、障碍者にとっていかに苦痛を生むかを証明するために、この映画の「理解できない言語=手話」が果たした役割は大きいと、改めて強調したい。
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障碍者を描いた映画 |
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