原題 The Last Station 製作国 イギリス・ドイツ・ロシア合作 製作年 2009年 上映時間112分 監督 マイケル・ホフマン 脚本 マイケル・ホフマン 原作 ジェイ・パリーニ『終着駅 トルストイの死の謎』 |
評価:★★★★ 4.0点
一世を風靡し、歴史をも変えたある科学的知見があった。
それを「唯物論」という。
このマルクスとエンゲルスが論じた弁証法的経済学は、最終的に共産主義革命となって、20世紀の社会を大きく揺り動かした。
しかしそこには、旧約聖書にある「バベルの塔」のごとく、神に許されない不自然さがあったようにも思う。
この映画は、そんな近代に打ち建てられた「バベルの塔」に、逡巡する近代の知識人の姿を描いて秀逸だと感じた。
1910年のロシア、ロシアの偉大な文豪レフ・トルストイ(クリストファー・プラマー)の最後の年。
映画『終着駅トルストイ最後の旅』ストーリー
モスクワでは青年ワレンチン・ブルガコフ(ジェームズ・マカヴォイ)が、トルストイ協会の面接を受けていた。協会の幹事ウラジミール・チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)の面接により、ブルガコフはトルストイの秘書として採用された。
そんなブルガコフにチェルトコフは、トルストイの50年連れ添った妻ソフィヤ伯爵夫人(ヘレン・ミレン)に注意しろと語り、彼を困惑させた。
ブルガコフがトルストイの住む共同体に着いてみると、多くの若者たちがトルストイを崇拝し共同体で暮らしていた。
ワレンチンはその中で、トルストイ夫婦の秘書として生活し、2人と親しくなっていく。
しかし妻ソフィヤは、トルストイが独自の彼の霊的な理想と禁欲主義に基づき、爵位や財産、家族など個人の私有財産を捨て、菜食主義の共同体で生きていることに反対で、共同体の弟子たちから煙たがられていた。
そしてある日、ソフィアはトルストイが弟子チェルトーコフから、その小説を共有財産とするため「作品の著作権をロシア国民に与える」という遺書への署名を求められていることを知った。
ソフィアは、チェルトーコフの元に駆けつけ怒りを爆発させた。チェルトーコフとソフィヤの話し合い物別れに終わり、彼女は家族のためにその財産を守ると宣言する。ソフイアは一人で戦うが、それは夫トルストイと娘サーシャ、そして信奉者たちにとって意に添わないものだった。チェルトコフは彼女の行動はトルストイを傷付けると警告する。
そんな2人に挟まれ、青年ブルガコフは板挟みとなる。そんな中でも、ブルガコフは、共同体に参加している娘マーシャ(ケリー・コンドン)に恋をし、夜を共にするが、彼女の従来の貞操観念に捕らわれない考えに困惑した。
しかし、ソフイアとチェルトコフの争いは止むことなく、ついに82歳のトルストイは、新たな遺書にサインをすると真夜中に1人家から逃げ出した。
それを知ったソフィアは、絶望のあまり自殺を図る・・・・・・・
映画『終着駅トルストイ最後の旅』予告
ソフィヤ・トルストイ(ヘレン・ミレン)/レフ・トルストイ(クリストファー・プラマー)/ワレンチン・ブルガコフ(ジェームズ・マカヴォイ)/ウラジミール・チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)/サーシャ・トルストイ(アンヌ=マリー・ダフ)/マーシャ(ケリー・コンドン)/ダシャン(ジョン・セッションズ)/セルゲンコ (パトリック・ケネディ)
映画『終着駅トルストイ最後の旅』出演者
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映画『終着駅トルストイ最後の旅』感想・解説 |
近代を揺るがした、マルクスとエンゲルスの教義の基本は、経済的=社会的な富の蓄積によって、社会的な制度=政治体制が変化するというものだ。
そして当時の欧州の歴史的段階は、富を一部資本家が独占する段階を過ぎ、労働者大衆が等しく富を教授すべき時であり、仮に資本家が自ら富の配分を為さない場合は、革命という手段も止む無しと論じる。
その理論に立って、レーニンはロシアに共産主義革命を起こした。
この映画は、そのロシアの帝政末期、ソビエト革命の前夜に生きた文豪トルストイの物語である。
その晩年のトルストイが、理想を求めて建設した「コミュニティー=共同体」の姿とは、まさに共産主義的モデルだと感じた。
そして現実の文豪トルストイの果たした役割とは、近代と、それ以前の、知性の橋渡しだったように思う。
トルストイ紹介
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露:Ru-Lev Nikolayevich Tolstoy.ogg Лев Николаевич Толстой, Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。<トルストイ本人の記録映像>
(中略)精神的な彷徨の末、宗教や民衆の素朴な生き方にひかれ、山上の垂訓を中心として自己完成を目指す原始キリスト教的な独自の教義を作り上げ、以後作家の立場を捨て、その教義を広める思想家・説教者として活動するようになった(トルストイ運動)。その活動においてトルストイは、民衆を圧迫する政府を論文などで非難し、国家と私有財産、搾取を否定したが、たとえ反政府運動であっても暴力は認めなかった。当時大きな権威をもっていたロシア正教会も国家権力と癒着してキリストの教えから離れているとして批判の対象となった。また信条にもとづいて自身の生活を簡素にし、農作業にも従事するようになる。そのうえ印税や地代を拒否しようとして、家族と対立し、1884年には最初の家出を試みた。( Wikipediaより)
トルストイ以前、即ち前近代には、かつての全世界の森羅万象が神という絶対者によって成立したものだと信じていた。
当時の人々は、総ての運命を「神の思し召し」として受け入れ、ただ敬虔であれば救われた。
しかし、人々の前からいきなり神が消滅し、世界の運命は人類自身に全ての責任があると告げられたとき、人々は迷い子のように不安におののくことになった。
近代における苦悩の本質を、例えばニーチェは哲学で、マルクスは経済学によって、救済しようと格闘した。
しかし、そんな学究的な理論を解し得ない庶民大衆に対して、近代の救済を提示した者こそトルストイではなかったか。(右:現実のトルストイと妻ソフィア)
トルストイは、その救済を「小説」という形式で描き得たからこそ、この時代における寵児として存在したに違いない。
実際、現在から見れば奇異に感じるかもしれないが、トルストイはこの映画にも出てくるように、当時はマスコミに追いまくられる、大スターだったのだ。
これはメディアの発達もさることながら、トルストイが発するメッセージがどれほど時代に必要とされたかの証明であったろう。
トルストイは人々の希望として、人々を導く光として存在した。
しかし、その光の指し示す方向はあまりに「理性」に偏っていたかもしれない。
この時代における人間の知性は、神に対抗するかの如く「理想的」で「教条的」だ。
結局世界を「理詰め」に解釈していった先に、数学的な公理として「社会」や「人間」を記号化して人類の営みを成立せしめようとしはしなかったか。
それら、理性的数値として追及された人間は、最終的に国家という集合的利益追求集団に収斂せざるを得なかった。
しかしその「近代国家」が一個の人間にどれほどの犯罪的行為を強いたかを考えれば、あまりにこの「理性的世界」の有り様は、機械的で人間性を無視した社会体制であったかと問わざるをえまい。
端的に、ロシア革命の先に生まれた「ソビエト連邦」という壮大な実験が失敗に終わったのも、この「人工的な理想」が個人の欲求を否定する形でしか成立し得なかった事に因るであろう。
この近代における「人工的理性」と「人間性=生命の欲望」の板挟みになった人物こそ「トルストイ」その人であったと、この映画は告げている。
彼の妻が「愛」を叫ぶとき、それは生物学的な必然を、神が与え賜えた人間性の表出を求めているのだ。
また彼の信奉者たちが「理想」を高く掲げるとき、神なき世界を人知によって「再構築」せざるを得ない、社会的必要を説いているのである。
つまるところ、世界三大悪妻の汚名を着せられたソフィアこそ、災難だったろう。
彼は夫の「非人間的な理想」を前に、夫の「人間性の回復」を求めたに過ぎない。
そもそも、人は人しか愛せないという、自明の理を「トルストイ=非人間的理想主義者」に訴えたのが、ソフィアだった。
つまり、ソフィアの行動は愛から発し、それだけ強く愛を求めなければトルストイを取り戻せないほど、遠くに彼が離れてしまったという事実を示すものだったろう・・・・・・
その両者の間「人間性と人工的理想社会」の中間で逡巡したトルストイは、ついに逃亡せざるを得なくなるのだ。
この映画は、そんな神的世界の崩壊後を生きる、近代そして現代にまで連なる、人類の苦悩をトルストイに仮託して描き見事だと思う。
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以降の文章には 映画『終着駅トルストイ最後の旅』ネタバレがあります。ご注意ください。 |
しかしソフィアの自殺は、未遂に終わった。
旅を続け著作に励む老齢のトルストイは、ついに病を発した。
ソフィヤはトルストイのいるアスターポヴォ駅へ向け、列車でロシアを横断する。
トルストイの信奉者チェルトコフは、その死を荘厳なものとするため、ソフィアをトルストイに会わせまいとする。
しかし、秘書のブルガコフは、人間トルストイはソフイアに会いたがっていると涙ながらに訴えた。トルストイは、傍らのソフィアに看取られながら、アスタポーヴォ駅・駅長舎で83歳の生涯を閉じた。
映画『終着駅トルストイ最後の旅』ラストシーン
映画の最後は、次の一文で閉めくくられる。
「1914年。ロシア上院はトルストイの全仕事の著作権を、ソフィアに復権せしめた。彼女が最愛の我が家で死んだ5年後の事である。」