評価:★★ 2.0点
『第7の封印』とは、ヨハネ黙示録の” 第7の封印が解かれるとき 人類は滅びる 天使のラッパとともに”という一説から取ったものかと思われます。
映画の個人的評価は―
マックス・フォン・シドーが若いで0.5点。
監督がベルイマンなので敬意を評して0.5点。
キリスト教の光と闇が垣間見えた気がしたので0.5点。
ワケが解らないというのもマイナスばかりではなさそうなので0.5点。
というわけで私が感じた良い所は、これだけでした。
あとは、絵にしても、カット割にしても、脚本にしても、さほど優れているとは感じられませんでした。
<第7の封印あらすじ>
騎士アントニウス(マックス・フォン・シドー)は十字軍の遠征を終え、従者ヨンス(グンナール・ビエンストランド)と共に、十年の戦いと長い旅に疲労困憊しながら、ペストの蔓延する中世ヨーロッパに帰ってきた。海岸で休んでいる彼の前に、死神があらわれ連れ去ろうとする。騎士アントニウス死期が迫っていると知るが、死神にチェスの試合を願い、勝負がつくまで生命の猶予を得る。故郷への道を急ぐ二人は馬車を止めて休んでいる旅芸人の一座を見る。役者のヨフは、目の前を通り過ぎる聖母マリアとイエスの姿を見る。妻のミアはいつもの幻だと言って信用しない。
教会を訪れたアントーニウスは、懺悔で神への疑念と苦悩を語るが、懺悔の相手は死神で、さらに騙されてチェスの作戦を教えてしまう。教会の外には女が鎖につながれ、彼女は魔女で火刑に処されるという。従者ヨンスは、農家で盗人に襲われている村娘を助ける。その盗人は、騎士たちを十字軍に参加させた神学者ラヴァルだった。
旅芸人の一座は、喜劇舞台を始めるが、自らを鞭打って歩く異様なカルト教団に邪魔される。宿屋では大勢の客たちが、疫病の蔓延を噂しあっていた。役者のヨフは宿の酒場で鍛冶屋とラヴァルにからまれている所を、ヨンスに助けられる。
その時騎士アントーニウスは、夫ヨフを待つミアと愛らしい子供ミーカエルと言葉を交わし、ひと時の憩いを持つ。そこにヨフ、ヨンスも戻り、野いちごとミルクを分けあい平和な団欒を過ごす。騎士アントーニウスはこの情景を永遠留めたいと願ったが、その光景を死神はじっと見ていた。
そして、騎士の一行は、旅芸人たちや身寄りのない女、それに街道で出会った鍛冶屋の夫婦などが加わり、旅を続ける。そして森に差し掛かったとき、騎士アントーニウスは旅芸人夫婦と別れた。その森にまたも死神が現れ、死の鎌を光らせる・・・・・
(英語題:The Seventh Seal/製作国スウェーデン/製作年1957/96分/監督・脚本イングマール・ベルイマン)1957年カンヌ映画祭で「審査員特別賞」<第7の封印受賞歴>
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第7の封印 感想・解説
========================================================この映画は、イングマル・ベルイマンの傑作と言われています。
しかし正直言って、冒頭に述べたように、あまり惹かれる部分はありませんでした。
きっと映画で思弁的な内容を語った作品の走りなのでしょうか?
そういう意味では、歴史的な価値を持つのかもしれませんが・・・
この映画はキリスト教的な教義を語った作品だと、書かれていました。
そこら辺を掘り下げてみれば、「第七の封印」自体キリスト教の聖書の最後の審判にいたる直前の伝に基づく劇であるようです。
「ヨハネ黙示録」第6章 7つの封印
第一の封印
小羊(イエス)がその七つの封印の一つを解いた時、わたし(ヨハネ)が見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
第二の封印
小羊が第二の封印を解くと、今度は、赤い馬が出てきた。人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、大きな剣(つるぎ)を与えられた。
第三の封印
第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、黒い馬が出てきた。乗っている者は、はかりを手に持っていた。
第四の封印
第四の封印が解かれると、青白い馬が出てきた。乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、剣、飢饉、死、そして地の獣らと人を殺す権威が与えられた。
第五の封印
小羊が第五の封印を解いた時、祭壇の下にいる殺された人々の霊魂が叫んだ。
「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
すると、彼らの一人一人に白い衣が与えられた。
第六の封印
小羊が第六の封印を解いた時、大地震が起り、太陽は毛織の荒布のように黒くなった。月は血の海となり、天の星は地に落ちた。天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
第七の封印
小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかりの静けさの後、神の御前に立っている七人の御使いに七つのラッパが与えられた。七人の天使によるラッパは次々と天変地異を引き起こした。
その後、七人の天使が神の怒りの満ちた七つの鉢を受け取ると、七つの鉢は地上にぶち撒かれ、多くの禍がもたらされた。
そして最後の審判が始まる。
主人公はキリストの敵と闘うため十字軍に加わった騎士です。
その騎士が数十年の闘いを終えて、帰途を辿る途中で死神と会います。
その死を前にした主人公とその同行者が、神にたいする不信、無関心、破戒、懐疑、強い信仰心と、様々な信仰の形を持つにしても、結局、ラストで描かれるようにその行き着く先は同じ場所でした。
たぶん、この監督の他の映画からの印象で言えば、神の実在を信じつつも明確に姿を表さない現実に、苦悩しているのだろうと思うのです。
イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。スウェーデンを代表する世界的な映画監督として知られる。
イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、ウプサラ(ストックホルムから60km)で生まれた。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師であった。兄のダーグは外交官、姉のマルガレータは小説家である。(wikipediaより引用)
神の実在を前提にすれば、信じようと、信じまいと、嫌おうと、反抗しようと、そして敬虔に振舞ってみても、結局そんな人間の信仰心などは超越して、神は遍くあるということになるのでしょう。
神が存在する以上、予言された第七の封印が解かれた後には、神の審判が待っていることになります。
不可避的に受けるべき審判を考えれば、意識的に信仰として崇めるという、どこか無理が生じる祈りは、むしろ懐疑を生むと語っているように感じました。
つまりは騎士、従者、農家の娘など旅を最後まで続けた人々が表わしたのは、そんな無理な信仰の姿だったように思います。
そして、その対極にあるのが、折に触れ神と共に今あるという実感を感じることこそが、人の平安の在りようだと語られているのかもしれません。
旅役者のヨフは、目の前を通り過ぎる聖母マリアとイエスの姿を見るように、日常的に神と共に生きているのです。
(左:彼は優しくイエス・キリストを歌っている。)
つまりは神の実在に疑いを持たずに、神が在ることを当たり前のこととして生きるべきなのに、「神の実存」に対し懐疑的になった現代人であるがゆえに、神の恩寵を感じられなくなっていると語っているのかとも思います。
しかしこう書いては見たものの、実際は哲学一本で押してくるわけでもなく、笑いという娯楽映画のカラも付けてたりと、割りきりがどこか不十分に感じます。
たとえばタルコフスキー監督ぐらい突っ走ってくれれば、理解できないなりに満点を付けさせる迫力がありますが・・・・・・
アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』予告
やはり、絵にハッとするような鮮烈さや、心打たれる美しさを、個人的には感じられなかったのが致命的でした・・・・・・・例えばベルイマン監督『野いちご』に較べても、映像に美しさを感じませんでした。
これが同じキリスト教的世界観でも、『ツリー・オブ・ライフ』位に鮮烈なビジュアルを見せてくれれば、やはり高得点を付けざるを得ないんですが・・・・・
当ブログ関連レビュー:
『ツリー・オブ・ライフ』神の救済の映画
この映画同様に、宗教的な思索が表現された美しい作品です・・・・・
ハッキリしなくてすいません・・・・・
けっきょくマックス・フォン・シドーとベルイマンに興味がある人が見ればいいんじゃないだろうかと思いました。
あと、映画の歴史を知りたい人には、避けて通れない映画のようです。
関連レビュー:ベルイマンの映画史への影響 映画『処女の泉』 イングマールベルイマンの古典的映画 神の沈黙を問う |
あ・・・・・・大事なことを忘れてました・・・・・・キリスト教信者にとっては、救いが描かれた映画なのかも知れません・・・・・・
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以降第7の封印ネタバレを含みますので、ご注意下さい。
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一行はアントニウスの家にたどりつき、食卓を囲んで祈りを始める。
そのとき、音もなく死神が現れた。
彼らは思い思いに死の意味を悟り、その訪れを敬虔に迎え入れた。
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第7の封印・ラストシーン
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死神に導かれて手をつなぎ踊りながら昇っていく騎士達の姿をヨフは眼のあたりにみた。
【意訳】
ヨフ:ミア(妻の名)見える、見える。暗い空、嵐の空に向かってる、彼ら全員が。鍛冶屋、リサ、騎士、従者、ヨンス、そしてスカート。死神、苛烈な支配者が、彼等をダンスに誘っている。彼は皆に手をつなげと言って、そして彼らは長い列を作って踊らされてる。そして一番前が大鎌と砂時計を持った死神、しかしスカートは竪琴を持って最後だ。彼らは夜明けから遠ざかるように踊って、雨が彼らの顔を洗って、頬の涙の塩を流すまでの、暗い大地に向けた厳粛なダンスだ。
もはや何を言っているのか意味不明ですが、このヨフの顔に微笑が浮かんでいるのを見ると、神と共に生きていれば、死をも含めて全ては神の思し召しと平静に暮らせるということでしょうか・・・・・・
アーメン!
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