2023年01月02日

『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』全リスト!英国映画協会(BFI)選出2022年度版発表!/日本映画もランクイン!!

英国映画協会(BFI)選定2022年度版『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』がコレだ!!!

BFI(British Film Institute=英国映画協会)というイギリス政府公認で、1933年に設立された伝統あるイギリス国内の映画促進(教育上の役割を含む)を目的として設立され機関があります。

そんな「BFI=英国映画協会」が、映画普及の一環として映画評論家が選ぶ『史上最高の映画ベスト100』と題する映画ランキングを、その発行する『サイトアンドサウンド』紙上で1962年から発表し続けてきました。

そして、前回の2012年度から10年が過ぎ、2022年の12月に評論家による『史上最高の映画ベスト100』が発表されました。
関連レビュー:英国映画協会(BFI)選出のベスト映画企画2022年度版
世界の評論家による『史上最高の映画ベスト100』
映画監督が選ぶ「映画の中の映画」は!?
日本映画が高評価

そして今回紹介するのは、上のアンケートに加えて、1992 年に始まった世界の映画監督を対象にアンケート調査をした結果『映画監督が選ぶ映画べスト100』の2022年度版の紹介です。

世界の映画監督が選ぶ映画のランキングに、日本映画もしっかり入っています!!!

まず最初に、リスト冒頭の言葉をご紹介。
film1-Blu-sita.jpgBFI_dir.png
1992 年以来、10 年ごとに 『サイトアンドサウンド』は、史上最高と思われる 10 本の映画を、世界の主要な監督に正式に選び出してもらい、有名な批評家のアンケート調査を補完してきました。
調査はいつでも世界的で全面的でしたが、この調査は 10 年ごとに大幅に拡大してきました。1992 年には、101 人の監督が投票しました。2012年に飛ぶと358 人の映画製作者が参加しています。第4 回目調査となる本年は、480 名の監督から投票がありました。
この有権者は、世界中の実験派、アートハウス系、主流派、の各ジャンルの映画製作者にまたがっています。いずれにせよ、投票者は注目すべき監督です。
今日の最も偉大な生存する多くの映画作家によって投票された、史上最高の100の映画がここにあります。
原文=”https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/directors-100-greatest-films-all-time


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英国映画協会選出『映画監督が選ぶ史上最高の映画べスト100』リスト



という事で、いよいよベスト100をご紹介!
当ブログで記事にした映画にはリンクが貼ってありますので、良かったらお読みください。

◎当リストのBGMに、6位の『8 1/2』テーマ曲はいかが?

93:蜘蛛巣城(1957,監督 黒澤明)
93:ヤンヤン 夏の想い出(1999,監督 エドワード・ヤン)
93:スリ(1959,監督 ロベール・ブレッソン)
93:戦艦ポチョムキン(1925 ,監督 セルゲイ・エイゼンシュテイン)
93:WANDA ワンダ(1970 ,監督 バーバラ・ローデン)
93:桜桃の味(1997,監督 アッバス・キアロスタミ)
93:パラサイト半地下の家族(2019,監督 ポン・ジュノ)
93:隠された記憶(2004,監督 ミヒャエル・ハネケ)
93:暗殺の森(1970,監督 ベルナルド・ベルトルッチ)
93:ざくろの色(1968,監督 セルゲイ・パラジャーノフ)
93:ムーンライト(2016 ,監督 バリー・ジェンキンス)
93:エターナル・サンシャイン(2004,監督 ミシェル・ゴンドリー)
72:処刑の丘(1976,監督 ラリーサ・シェピチコ)
72:赤い靴(1948 ,監督 マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー)
72:野いちご(1957,監督 イングマール・ベルイマン)
72:SHOAH ショア(1985 ,監督 クロード・ランズマン)
72:ミツバチのささやき(1973,監督 ビクトル・エリセ)
72:ブルーベルベット(1986,監督 デイヴィッド・リンチ)
72:故郷の便り/家からの手紙(1976 ,監督 シャンタル・アケルマン)
72:モダン・タイムス(1936,監督 チャールズ・チャップリン)
72:サン・ソレイユ(1982 ,監督 クリス・マルケル)
72:牯嶺街少年殺人事件(1991,監督 エドワード・ヤン)
72:トゥキ・ブゥキ / ハイエナの旅(1973 ,監督 ジブリル・ジオップ・マンベティ)
72:捜索者(1956,監督 ジョン・フォード)
72:友だちのうちはどこ?(1987,監督 アッバス・キアロスタミ)
72:ケス(1969,監督 ケン・ローチ)
72:別離(2011,監督 アスガル・ファルハーディー)
72:ソドムの市(1975,監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ)
72:カンバセーション…盗聴…(1974,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
72:ラルジャン(1983,監督 、ロベール・ブレッソン)
72:生きる(1952,監督 黒澤明)
72:第七の封印(1957,監督 イングマール・ベルイマン)
72:チャイナタウン(1974,監督 ロマン・ポランスキー)
62:ジョーズ(1975,監督 スティーブン・スピルバーグ)
62:お熱いのがお好き(1959 ,監督 ビリー・ワイルダー)
62:アラビアのローレンス(1962,監督 デビッド・リーン)
62:ブレードランナー(1982 ,監督 リドリー・スコット)
62:トロピカル・マラディ(2004,監督 アピチャートポン・ウィーラセータクン)
62:サタンタンゴ(1994,監督 タル・ベーラ)
62:沼地という名の町(2001,監督 ルクレシア・マルテル)
62:サンセット大通り(1950,監督 ビリー・ワイルダー)
62:午後の網目(1943,監督 マヤ・デレン、 アレクサンダー・ハミッド)
62:晩春(1949 ,監督 小津安二郎)
53:イレイザーヘッド(1976,監督 デイヴィッド・リンチ)
53:ファニーとアレクサンデル(1982,監督 イングマール・ベルイマン)
53:5時から7時までのクレオ(1962 ,監督 アニエス・ヴァルダ)
53:ビリディアナ(1961,監督 ルイス・ブニュエル)
53:不安は魂を食いつくす(1974 ,監督 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)
53:ピアノ・レッスン(1992 ,監督 ジェーン・カンピオン)
53:夜(1961,監督 ミケランジェロ・アントニオーニ)
53:雨に唄えば(1951,監督 ジーン・ケリー、 スタンリー・ドーネン)
53:ママと娼婦(1973,監督 ジャン・ユスターシュ)
46:赤い影(1973,監督 ニコラス・ローグ)
46:博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1963,監督スタンリー・キューブリック)
46:サイコ(1960 ,監督 アルフレッド・ヒッチコック)
46:アタラント号(1934 ,監督 ジャン・ヴィゴ)
46:街の灯(1931 ,監督 チャールズ・チャップリン)
46:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト(1968,監督 セルジオ・レオーネ)
46:軽蔑(1963 ,監督 ジャン=リュック・ゴダール)
41:炎628(1985,監督 エレム・クリモフ)
41:冬の旅(1985,監督 アニエス・ヴァルダ)
41:抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-(1956,監督 ロベール・ブレッソン)
41:狩人の夜(1955 ,監督 チャールズ・ロートン)
41:プレイタイム(1967 ,監督 ジャック・タチ)
38:情事(1960 ,監督 ミケランジェロ・アントニオーニ)
38:ゲームの規則(1939 ,監督 ジャン・ルノワール)
38:道(1954,監督 フェデリコ・フェリーニ)
37:バルタザールどこへ行く(1966 ,監督 ロベール・ブレッソン)
34:甘い生活(1960 ,監督 フェデリコ・フェリーニ)
34:ラ・ジュテ(1962 France ,監督 クリス・マルケル)
34:大人は判ってくれない(1959 ,監督 フランソワ・トリュフォー)
33:サンライズ(1927 ,監督 F・W・ムルナウ)
30:これがロシヤだ/カメラを持った男(1929 ,監督 ジガ・ヴェルトフ)
30:裁かるるジャンヌ(1927 ,監督 カール・テオドア・ドライヤー)
30:奇跡(1955 ,監督 カール・テオドア・ドライヤー)
29:ドゥ・ザ・ライト・シング(1989 ,監督 スパイク・リー)
28:グッドフェローズ(1990 ,監督 マーティン・スコセッシ)
26:ゴッドファーザー Part II(1974 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
26:アンドレイ・ルブリョフ(1966 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
22:レイジング・ブル(1980,監督 マーティン・スコセッシ)
22:大地のうた(1955,監督 サタジット・レイ)
22:マルホランド・ドライブ(2001 ,監督 デイヴィッド・リンチ)
22:アルジェの戦い(1966 ,監督 ジッロ・ポンテコルヴォ)
20:自転車泥棒(1948 ,監督 ヴィットリオ・デ・シーカ)
20:羅生門(1950 ,監督 黒澤明)
19:こわれゆく女(1974,監督 ジョン・カサヴェテス)
18:地獄の黙示録(1979 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
14:ストーカー(1979 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
14:勝手にしやがれ(1960 ,監督 ジャン=リュック・ゴダール)
14:七人の侍(1954 ,監督 黒澤明)
14:美しき仕事(1998 ,監督 クレール・ドニ)
12:バリー・リンドン(1975 ,監督 スタンリー・キューブリック)
12:タクシードライバー(1976 ,監督 マーティン・スコセッシ)
9:クローズ・アップ(1989 ,監督 アッバス・キアロスタミ)
9:花様年華(2000 ,監督 ウォン・カーウァイ)
9:仮面/ペルソナ(1966 ,監督 イングマール・ベルイマン)
8:鏡(1975 ,監督 アンドレイ・タルコフスキー)
6:8½(1963 ,監督 フェデリコ・フェリーニ)
6:めまい(1958 ,監督 アルフレッド・ヒッチコック)
4:ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080(1975 ,監督 シャンタル・アケルマン)
4:東京物語(1953 ,監督 小津安二郎)
3:ゴッドファーザー(1972 ,監督 フランシス・フォード・コッポラ)
2:市民ケーン(1941 ,監督 オーソン・ウェルズ)
1:2001年宇宙の旅(1968 ,監督 スタンリー・キューブリック)


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英国映画協会『映画監督が選ぶ映画べスト100』リストの感想


いかがでしょうか?世界中の監督が選んだ、もっと優れた作品は日本のスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』でした。

個人的には、映画監督が選んだ映画を、こう眺めてみると「画力(えぢから)」の強い作品が選ばれているように感じます。
また、アニメ作品がリストアップされていないのも、少々違和感を覚えました・・・・・

ところで、世界各国に映画協会があり、ランキングを発表することで映画に対する感心を高めようと努力しています。
ちなみに、AFI(America Film Institute=米国映画協会)も、アメリカ映画誕生100年を機に、様々なランキングを発表し映画を文化として継承しようと務めています
関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『100本の偉大なアメリカ映画』
批評家の選んだハリウッド映画のベスト100!!!
映画の歴史を作ったアメリカ映画の古典


またイギリスは映画をアートとして見ているようで、その映画ランキングは、様々な切り口があって楽しませてくれます。
関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『21世紀最高の映画ベスト100』
21世紀に生まれた映画のベストを決定!!!
しかし2000年の映画が選出!これ20世紀でしょ?

関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『史上最高の外国語映画ベスト100』
日本映画が高評価!!!
英語圏以外で作られた映画、オール・タイム・ベスト100


また、一般の映画ファンがどんな映画を評価しているかで、ベスト100を選んだ特集もあります。
関連レビュー:英国エンパイア誌のベスト映画企画
エンパイア誌『史上最高の100本の映画』
日本映画が高評価!!!
エンパイア読者が選ぶ、オール・タイム・ベスト100


映画の歴史に興味があれば、アカデミー賞の歴代受賞はいかがでしょうか?
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行タイトル索引表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月24日

映画『ブロークバックマウンテン』ゲイカップルの悲恋!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・ネタバレ・ラスト・評価

映画『ブロークバックマウンテン』詳しいあらすじ・ネタバレ 編

原題 Brokeback Mountain
製作国 アメリカ
製作年 2005年
上映時間 122分
監督 アン・リー
脚本 ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オッサナ
原作 アニー・プルー


評価:★★★★  4.0点

この映画は公開当時、高い評価を得て数々の賞に輝いた。

性的マイノリティーを題材にした作品が少なかった当時、配給も当初は少数の上映館で封切られたものの、徐々に拡大し最終的には全世界で 1 億 7,800 万ドルの興行収入を上げるヒットとなった。

正面から同性間の恋愛映画を描いた、説得力あるLGBT映画だと感じた。
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<目次>
映画『ブロークバックマウンテン』詳しいしあらすじ
映画『ブロークバックマウンテン』予告・出演者
映画『ブロークバックマウンテン』受賞歴・
映画『ブロークバックマウンテン』ネタバレ
映画『ブロークバックマウンテン』ラスト

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映画『ブロークバックマウンテン』詳しいあらすじ


bromt_1.png1963年ワイオミング州シグナル。トレーラーから降りたイニス・デルマー(ヒース・レジャー)は、仕事を求めてプレハブの事務所の横でドアが開くのを待っている。
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そこにピックアップが止まりジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)が降りてきたが、見知らぬ二人は言葉を交わさない。
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そこに、雇用主である中年男ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)が到着し二人を呼び込み、自分の羊をブロークバック・マウンテンの森林局管理地で放牧し、昼夜を問わずコヨーテに襲われないよう、その見張りをしろと言った。それは違法だが、毎年繰り返されている行為だった。
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イニスとジャックは、その晩酒場で酒を酌み交わし、お互いの身の上を語りあい、翌朝羊と共に、ブロークバックマウンテンに入り、長期の山の生活が始まった。
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ジャックは食事の支度をし、野営地のイニスは食事の時だけジャックの所に帰って来る。
ジャックは牧場を持っ夢を語り、イニスは貯金が出来たら恋人アルマ・ビアーズ(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚すると語った。
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イニスはアギーレから送られる、週一回の食料を引き取り帰る時。クマに出会い落馬し食料を積んだラバが逃げてしまった。食事のため戻ったジャックは、怪我をしたイニスを見て驚く。二人は食料を調達するため、違法にヘラ鹿を狩って食べた。
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二人だけの山の生活がお互いを近づけ、ある晩泥酔し、一緒にテントに入って寝ることになった。ジャックがイニスに手を伸ばす。イニスは最初こそ抵抗したが、最後には自からジャックを脱がせると、背後から責めた。
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翌朝ジャックが起きた時、イニスは羊たちの元へ戻る準備を慌ただしくしている所だった。イニスはジャックと目を合わせず、山へと戻って行った。すると放牧地で、コヨーテに襲われたと見られる1匹の羊が、内臓も露わに無残に死んでいるのを、イニスは見つけた。
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羊の見張りから夕飯にイニスが戻り、ジャックに「あれは1回限りのことだ、俺はカマじゃない」と言うと、ジャックも「二人の秘密だ。俺もカマじゃない」と応えた。しかしその夜、イニスとジャックは再び関係を持つ。
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翌朝じゃれている二人を、たまたま山を訪れたアギーレに見られていたことを、二人は知らなかった。

ある日嵐が来て、過ぎ去った後の羊の群れは、他の放牧者の羊と一緒になってしまった。その羊を何とか選別し終え、再び放牧に戻った。
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しかしある日、アギーレから大型の嵐が来るから、羊を連れ戻すように命じられ、二人は山を下りることになった。
イニスは山を下りる前落ち込んでいた、そんな彼にジャックがちょっかいを出すと、イニスが怒りジャックと殴り合いになった。イニスが流血しジャックが謝ったが、イニスはジャックを殴った。
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山を降りついに別れの時。イニスは山に血の付いたシャツを忘れてきたことに気が付いた。

ジャックは来年もブロークバック・マウンテンの仕事に戻るかと問うと、イニスは結婚するからわからないと答える。
ジャックは、来年もまたこの仕事に戻ると告げた。その顔を見ながら、イニスは「いつか会おう」と答え、二人は別れた。
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車に乗ったジャックは、サイドミラー越しに、一人道を歩くイニスを見た。
道を歩いていたイニスは、ふいに路地に入ると、その体を折り曲げ嗚咽を上げた。
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イニスは故郷に帰ると、約束通りアルマと結婚式を挙げ、ワイオミング州に住み子も授かる。
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翌年ジャックは約束通りアギーレの仕事に応募し、アギーレにブロークバック・マウンテンの仕事はあるかと尋ねると、アギーレは去年見たの二人の関係に嫌悪感を示し、ジャックがイニスが来たかどうか尋ねても答えなかった。
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イニスとアルマの夫婦には子供が増えていたが、日々の生活の苦しさにストレスが募る。
一方のジャックは、ロデオ会場で知り合ったラリーン・ニューサム(アン・ハサウェイ)と結婚し、テキサス州で暮らし男の子も授かった。
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彼女の父親は大型農機具の販売会社を経営し、そこでジャックも営業として働いていたが、婿養子のように義父の顔色を窺う生活だった。

ある日イニスが帰宅すると、アルマがジャックを知っているか?と尋ねた。ジャックの絵葉書が届いており、そこには、会いたいと書かれていた。
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そしてジャックと再会の日。家で待つイニスは、車が到着すると、急いで階段を降りジャックと熱い抱擁を交わし、さらに二人は、物陰に隠れてキスを交わした。
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しかし、それはイニスの妻アルマに見られられており、彼女の顔が苦悩に歪んだ。
そうとは知らないジャックは、部屋に戻りジャックを紹介すると、飲みに行って今日は戻らないと妻に告げた。

4年振りにイニスとジャックは、ホテルの一室で体を交えた。二人は、自らの近況を語りあい、その翌日から釣りに出かけた。家を出るイニスをアルマは見送り、その顔に涙が流れた。
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ジャックの運転する車は残雪が光る、渓谷へと着いた。その夜、焚火をしながら、ジャックは二人で小さな牧場を経営しようと提案する。
しかし、イニスは結婚生活や子供を引き合いに出し、色よい返事をしなかった。
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ジャックが不満を口にすると、少年の頃近所でゲイの男が、男性器を切り取られ殺されるのを、父に言われて見せられたと告白し、関係がばれれば危険だと語った。
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それからジャックはイニスの下を定期的に訪れるようになった。
ジャックの妻ラリーンは、いつもワイオミングに夫が行くのが不満で、たまにはイニスが訪ねてこさせろと言った。
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しかしジャックは新たな農機具のキャンペーンを放り出し、イニスの待つワイオミングへと車を走らせた。
イニスは、待ち合わせの釣り場に向かうため、家を出ようとすると、アルマが忘れ物だと声をかけた。そこには釣り竿が残されていた。
こうして二人は、数か月に一度の逢瀬を心待ちにして、日々を過ごしていた。
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1975年にイニス夫婦は離婚し、それをジャックに葉書で知らせた。
すると、ジャックはワイオミングまでやってきたが、その日は月一回の娘二人との面会日と重なっており、イニスは今回はジャックと過ごせないと言った。
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その言葉に怒りを見せたジャックは、車を走らせながら涙を流し、国境を越えメキシコへと走らせた。
ジャックはメキシコの裏町で男娼を買い、夜の闇へと消えて行った。
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感謝祭、ジャックは妻ラリーンと一人息子、そして義父夫婦と団欒を持った。しかし義父と口論になり、ついにジャックは俺の家だ黙っていろと反抗し、その権幕に義父も大人しく席に着いた。

同じ日イニスは、元妻アルマと、その再婚した夫の家で、娘達二人に囲まれディナーを摂った。食後にアルマは、イニスに釣りと言いながら一度も魚を持ち帰らず、釣り糸に着けた手紙も読んでなかったと言い、釣りをせずジャックと何をしていたのかと責める。
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激しい応酬の末、イニスは驚く娘達を後に、家を飛び出した。

イニスは町で、車に飛び出し急ブレーキを踏ませ、文句を言う運転手に、狂ったように殴りかかり、逆にたたき伏せられた。
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久々に会ったイニスとジャックは、山の中を馬でトレッキングを楽しむ。川でテントを張り、焚火を囲む。イニスはジャックに妻ラリーンが二人の関係に疑念を持っていないかと尋ね、イニスは自分の地元で、秘密を全員が知っているように感じると話す。
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ジャックはテキサスの牧場で二人で生きようと誘う。しかし、イニスは首を縦に振らずジャックは苛立つ。

ある日イニスは、酒場でリンダ(キャシー・カートライト)という女性と知り合い、交際を始めた。
一方のジャックは、ある晩レストランで一組の夫婦と知り合う。店の外のベンチで、その夫と話すジャックは、その男から湖にある小屋で、二人で酒を飲み釣りをしないかと誘われた。
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イニスとジャックの逢瀬が来た。川沿いでテントを張り二人の時間が流れた。ジャックはイニスに再婚しないのかと尋ね、ジャックはイニスが恋しくてどうしようもない時があると訴えた。別れの朝、イニスはジャックに、次に会えるのは11月だと伝えた。
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ジャックはあまりに会えなすぎると怒り、20年で数度しか会えず、一緒に牧場を経営することも拒否され、二人にはブロークバック・マウンテンしかないと叫ぶ。
イニスは、その言葉に涙を見せ、俺を楽にしてくれというと、ジャックはそんなイニスを抱き締めた
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イニスと交際していた女性は、イニスとの距離を縮められず、彼との結婚をあきらめた。
そんなある日イニスはジャックに送った絵葉書が、宛先死亡とスタンプを押され返送されて来た。
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映画『ブロークバックマウンテン』予告

映画『ブロークバックマウンテン』出演者

イニス・デルマー(ヒース・レジャー)/ジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)/ラリーン・ニューサム(アン・ハサウェイ)/アルマ・ビアーズ(ミシェル・ウィリアムズ)/ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)/キャシー(リンダ・カーデリーニ)/ラショーン・マローン(アンナ・ファリス)/アルマ・ジュニア(ケイト・マーラ)/リンダ(キャシー・カートライト)
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映画『ブロークバックマウンテン』評価・受賞歴


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映画『ブロークバックマウンテン』評価

この映画は高い評価を公開当時より受け、アカデミー賞8部門にノミネートされた他、数々の賞を獲得した。
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映画『ブロークバックマウンテン』受賞歴

<2005年度>
ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
ナショナル・ボード・オブ・レビュー :監督賞/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)/ ベストシネマ選出
ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞/監督賞
ヴェネツィア国際映画祭: グランプリ
フェニックス映画批評家協会賞:脚色賞/撮影賞/年間ベスト作品選出 主演男優賞(ヒース・レジャー)/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)/助演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
セントルイス映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/脚本賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
シカゴ映画批評家協会賞:撮影賞/作曲賞
フロリダ映画批評家協会賞: 作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞
ユタ映画批評家協会賞: 作品賞/監督賞
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/脚本賞/撮影賞
サウスイースタン映画批評家協会賞 :ベストワン映画賞/監督賞/脚本賞
ラスヴェガス映画批評家協会シエラ賞: 作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)/作曲賞
サンフランシスコ映画批評家協会賞:作品賞/監督賞/主演男優賞(ヒース・レジャー)
ゴールデン・サテライト賞 -: 作品賞(ドラマ部門)/監督賞/オリジナル主題歌賞/編集賞
ボストン映画批評家協会賞 -: 作品賞/監督賞
パームスプリング映画祭:デザート/パーム貢献賞(ジェイク・ギレンホール)
サンタバーバラ国際映画祭: ブレークスルー・パフォーマンス・オブ・ザ・イヤー賞(ヒース・レジャー)
ハリウッド映画祭:ブレークスルー賞(ジェイク・ギレンホール)/キャスティング・ディレクター・オブ・ザ・イヤー(アヴィ・カウフマン)
<2006年度>
アカデミー賞: <受賞>監督賞/脚色賞/オリジナル音楽賞<ノミネート>作品賞/主演男優賞/助演男優賞/助演女優賞/撮影賞
インディペンデント・スピリット賞:最優秀作品賞/最優秀監督賞
英国アカデミー賞: 作品賞/監督賞/脚色賞/助演男優賞(ジェイク・ギレンホール)
ロンドン映画批評家協会賞:最優秀作品賞/監督賞
ゴールデングローブ賞: 作品賞(ドラマ部門)/監督賞/脚本賞/オリジナル主題歌賞
PAG(全米製作者協会)賞 : 最優秀作品賞
放送映画批評家協会賞:作品賞・監督賞・助演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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映画『ブロークバックマウンテン』ランクイン映画リスト紹介

2016 年BBC「21世紀の映画ベスト100」・・・・・40 位
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関連レビュー
◎いろいろな『映画ベスト100』企画紹介

世界各国で選ばれた『ベスト映画ランキング』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!
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映画『ブロークバックマウンテン』2022年時点の映画サイト評価

<日本>
Yahoo!映画 -・・・・・4/5、アマゾン・・・・・4.4/5、Filmarks・・・・・3.8/5、映画.com・・・・・3.8/5、allcinema・・・・・7/10、キネノート・・・・・76.1/100
<米国>
Rotten Tomatoes・・・・・88%、Metacritic・・・・87%、IMDB・・・・・7.7/10
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以下の文章には

映画『ブロークバックマウンテン』ネタバレ

があります。
(あらすじから続く)
イニスがジャックの家に電話をすると、妻のラリーンが出た。ジャックの死を知らせたかったが、ジャックがイニスの住所を隠していたため、通知が出せなかったと話す。
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ジャックに何があったか聞くと、トラックのパンクを直している最中タイヤが破裂し、圧死したと聞かされた。
その瞬間、道端で股間を血に染め、全身打撲で横たわるジャックの痛々しい姿が映し出された。
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まだ39歳の死だった。妻ラリーンは遺骨の半分を実家の両親に、そして残った半分をブロークバック・マウンテンに撒いて欲しいというのが遺書だったと語った。
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それを聞いたイニスは、自分たちはブロークバック・マウンテンで羊番をし親友になったと、ラリーンに語った。

イニスはジャックの実家を訪ねると、そこは廃業した牧場だった。両親にイニスは、遺言に従って遺灰をブロークバック・マウンテンに撒く手伝いをさせて欲しいと申し出る。
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父親は、ジャックは家族の墓地に向かないと思っていたようだと語り、ジャックがいつかイニスと共に彼ここの牧場を立て直すと話していたが、最後の頃はテキサスの男と二人で再建すると語っていたと、イニスに言う。
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ジャックの母から、息子の部屋を見てやって欲しいと言われ、イニスはその部屋に入ると、愛おし気に室内を見渡す。
窓からの風景を見て、彼のクローゼットを開く。すると、そこには、ブロークバック・マウンテンを下りる日、殴り合いでイニスが流血したシャツがあった。
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そのイニスの服の上からジャックの服が重ねられ、ハンガーにかけられていた。イニスはその二枚の服を強く抱きしめた。
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そのシャツを、ジャックの母に頼み遺品として譲り受けた。

父親は、遺灰をブロークバック・マウンテンには撒かずに、家族の墓地に埋葬すると、イニスに告げた。
去り際、ジャックの母から、また会いに来てほしいとイニスは言われた。
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映画『ブロークバックマウンテン』結末

今は一人、トレーラーハウス暮らしとなったイニスを、19歳の長女の○〇が訪ねてきた。
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付き合っている相手がいて結婚するから出席して欲しいと言う。最初は牧場の仕事が忙しいと渋っていたが、最後は承諾し娘を喜ばせた。
愛しているのかと問うイニスに、娘が頷くと、二人は共にグラスを鳴らし乾杯した。
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娘が出て行った後、娘のスカーフが残されていた。
イニスがそれをしまうため、クローゼットを開けると、その扉には、二人の思い出の地であるブロークバック・マウンテンの絵葉書が貼られ、ジャックとの思い出の服がかけられていた。
【意訳】イニス:ジャック、俺は誓う。





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2022年10月30日

オスカー映画『愛と哀しみの果て』(1985年)は実話だった!感想・解説・考察/ネタバレなしあらすじ・実話紹介・エキゾチック恋愛映画紹介

原題 Out of Africa
製作国 アメリカ
製作年 1985年
上映時間 161分
監督 シドニー・ポラック
脚色 カート・リュデューク
原作 アイザック・ディネーセン 、ジュディス・サーマン 、エロール・トルゼビンスキー


評価:★★★   3.0



アフリカを舞台にした壮大なラブストーリーを、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードの主演で描き、公開当時高い評価を受け、その年のアカデミー賞で最優秀作品賞を含め複数の賞を獲得した。

この作品は下に書いたように、スウェーデン貴族夫人の実話を元にしており、余談ながら、この原作者カレン・ブリクセン(ペンネーム:アイザック・ディネーセン)は、もう一つ名作映画『バベットの晩餐会』の原作となる小説を書いている。

女性映画としての一面も持ち、そんな自立したヒロインを演じたメリル・ストリープは、その演技力の片りんを見せている・・・・・・
しかし、映画全体として見た時、個人的には凡庸な印象があり、その原因を以下の文章の中で考えてみたい。
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<目次>
映画『愛と哀しみの果て』簡単あらすじ
映画『愛と哀しみの果て』予告・出演者
映画『愛と哀しみの果て』感想
映画『愛と哀しみの果て』考察/異郷を舞台にした恋愛劇研究
映画『愛と哀しみの果て』解説/実話紹介

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映画『愛と哀しみの果て』あらすじ


小説家カレン・フォン・ブリクセン(メリル・ストリープ)、アフリカの思い出を書き記していた。
1913年カレンは、スウェーデン貴族ブロア・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)と、その称号欲しさに結婚をした。そして、ケニアのコーヒー農園を経営するため、アフリカの地に降り立つ。ついてすぐ結婚式を挙げたカレンは、ハンターのデニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)と知り合う。愛のない結婚生活で、夫は農園の面倒を見ず、狩りをするために家を留守にした。仕方なくカレンは原住民キクユ族を雇い事業を経営した。そんな時第一次世界大戦が勃発し、参戦した夫からの依頼で、アフリカの荒野を命がけで食料を届け、男たちを驚かせた。しかし、カレンは夫が浮気相手からうつされた梅毒を発症し、いったん欧州に戻ることになる。再びアフリカに戻ったものの夫は相変わらず家に寄り付かず、浮気も止まず、ついにカレンはブロアを家から放り出した。そんな時、ハンターのデニスが訪れ、二人はお互いを求めるようになる。共に暮らし始めた頃、デニスが複葉機を購入し、二人はアフリカの大地の上を飛んだ。しかし、カレンはデニスを縛り始め、その関係はギクシャクし、ついにはデニスが家を出て行った。そんなカレンに更なる悲劇が降りかかるのだった・・・・・
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映画『愛と哀しみの果て』予告

映画『愛と哀しみの果て』出演者

デニス・フィンチ・ハットン(ロバート・レッドフォード)/カレン・フォン・ブリクセン男爵夫人(メリル・ストリープ)/ブロア・フォン・ブリクセン男爵(クラウス・マリア・ブランダウアー)/バークレー・コール(マイケル・キッチン)/ベルナップ(シェーン・リマー)/ファラ・アデン(マリック・ボウエンズ)/カマンテ(ジョセフ・シアカ)/スティーブン・キナンジュイ(チーフ・キナンジュイ)/デラメア卿(マイケル・ゴフ)/フェリシティ・スパーウェイ(スザンナ・ハミルトン)/レディ・ベルフィールド(レイチェル・ケンプソン)/ベルフィールド卿(グラハム・クロウデン)/サー・ジョセフ・アロイシャス・バーン(レスリー・フィリップス)/レディ・バーン(アナベル・モール)/医師(ドナル・マッキャン)/大臣(ベニー・ヤング)/マリアモ(イマン)/カヌシア(ジョブ・セダ)

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映画『愛と哀しみの果て』感想


この映画は、アカデミー賞で、監督賞、作品賞の他、7 部門で受賞した。
同じ年にはスピルバーグ監督がオスカーを獲りに行ったと噂された『カラーパープル』があり、この2本の映画は11部門のノミネートで並んでいたものの、『カラーパープル』は最優秀賞を一つも獲得できなかった。
<『カラーパープル』予告>

個人的な感想で言えば、この『愛と哀しみの果て』より『カラーパープル』の方が、作品の質としては高いように感じた。

しかし公開時の評価は、どちらも地味な作品ながら、やはり当時の大スター、ロバート・レッドフォードの出演と、白人主体の恋愛物語である点で、より一般的な許容度が高かったのではないだろうか?

この1985年という時代を考えると、スピルバーグ監督の『カラーパープル』は黒人の苦難を描いた真摯な作品ではあるものの、そのオール黒人キャストのブラック・ムービーはハリウッドメジャーの映画としては、挑戦的な試みだったと言えるだろう。

当時の映画産業を見れば、黒人メインの映画は、黒人社会に向けたインディペンス映画が細々と作られていた。
関連レビュー:ブラック・ムービーの歴史とは?
『星の王子 ニューヨークへ行く』
エディ・マーフィが切り開いた、黒人メジャー映画とは?
『ブルース・ブラザース』のジョン・ランディス監督作品

しかし大げさに言えば、その挑戦があって、近年の黒人主体の映画『いつか夜は明ける』や『ムーンライト』などが、近年オスカーを獲得する礎になったのではないかと考えたりする。

話を『愛と哀しみの果て』に戻せば、この映画は古典的な恋愛映画の形、「異郷=僻地」で芽生える愛というドラマの形式を踏襲している。

アフリカの大地と自然の雄大さが美しく収められているのが見事だ。
<空から見たアフリカ>

更にこの物語は実話を元にしており、ただの恋愛物語ではなく自立した女性を描く「女性映画」としての魅力もあるだろう。

しかし、個人的な感想を言えば、この『愛と哀しみの果て』は、自分が男だからかもしれないが、今見れば平凡なドラマと見える。
壮大なアフリカの自然と、当時の大スターであるロバート・レッドフォードの人気と、女性受けする女優メリル・ストリープの演技力もあって、当時のハリウッド大作映画らしい骨格を見せているとは思う。

しかし、どこか冗長で、散漫な印象を受けた。

例えば自分が、主演二人に、もう少し感情移入を促す何かがあれば違っていたかもしれない。

しかし、メリル・ストリープは後年見せる恐るべき説得力は、この映画の時点では希薄だ。
関連レビュー:メリル・ストリープのオスカー受賞作
映画『ソフィーの選択 』
アカデミー主演女優賞を獲得したホロコースト映画
徹底的に救いの無い真正「鬱映画」

また、ロバート・レッドフォードのカリスマ性、スターとしての魔力は、リアルタイムで同時代を生きて初めて感じられるのではないかとも思える。
スターとは、やはりその時代の価値の象徴として輝くのであり、その時代が過ぎ去ってしまえば、その魅力は衰えざるを得ないものかとも思う。
関連レビュー:ロバート・レッドフォードの黄金期の作品
映画『華麗なるギャツビー』
米文学の代表作をロバートレッドフォード主演で描く
アメリカ社会の夢と挫折を描く

往々にして、スターシステムで撮影された映画は、後年その魅力が伝わり難くなるように見えるが、この映画も旬を過ぎた時、魅力を喪う一作だったのかもしれない・・・・・

更に言えば、この映画は古典的な恋愛映画の形、「異郷=僻地=エキゾチズム」で芽生える愛というドラマ形式を踏襲している。

その「異郷恋愛ドラマ」は映画初期より、長い伝統を持ち名作も生まれているがっているが、同時にエキゾチックな舞台が目立ちすぎ、肝心の人間ドラマが希薄になり、凡作も生まれて来たのも事実なのだ・・・・・・
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映画『愛と哀しみの果て』考察

辺境の恋を描いた映画と表現
映画とは、その登場から基本的に「キワモノ性」を商売の基礎としたものだった。
関連レビュー:1960年
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』
B級映画の帝王ロジャー・コーマン、! マニア必見のカルト作品。
ハリウッド映画の復活とコーマン的キワモノ映画の関係とは?

それゆえ「異郷描写=エキゾチズム」も、「恋愛ドラマ」も「キワモノ的要素」として、映画の登場と同時に表れたのだと思ったりする。
そんなキワモノ映画のジャンルとして、異郷での恋愛を「エキゾチック・ラブストーリー」と勝手に名付け、以下にその系列の作品を紹介し、同時にその危険性を語りたい。

映画史の中で、「エキゾチック・ラブストーリー」の初期の作品を上げるとすれば、クラーク・ゲーブルとマレーネ・デートリッヒの1930年の作品『モロッコ』を上げるべきだろう。
アメリカ映画:1930年
『モロッコ』
マレーネ・デートリッヒとゲーリー・クーパーの大ヒット映画
ハリウッドの恋愛映画の古典

そこで描かれたのは、モロッコで出会った外人部隊兵士と、ドイツから流れてきたキャバレー歌手の、全身全霊を愛に没入する「愛こそ全て」と言うべき作品だった。
辺境の地モロッコを舞台にし、余計な夾雑物がないだけに、より純粋に「殉愛」が際立った作品なのである。
エキゾチックな舞台は、文明や社会という、通常人間が生きる上での「約束事=ルール=しがらみ」から離れることで、大胆な恋愛を描き得る効果がある。

そんな、「しがらみ」を離れて生まれる恋愛ドラマは、1951年『アフリカの女王』でも見て取れる。
そこでは、謹厳実直なキリスト教女性宣教師と、荒くれ男が、アフリカの地で共に協力しドイツ軍と戦う姿が描かれていた。
アメリカ映画:1951年
『アフリカの女王』
1951年のハリウッドの大ヒット映画の再現ストーリー
アフリカを舞台にカ ップルの冒険を痛快に描く


文明や社会という「しがらみ」から自由になれる場所を、「異郷=本来所属しない地」と定義すれば、個人的に最も好きな「エキゾチック・ラブストリー」映画は、日本を舞台にした1997年の『ロスト・イン・トランスレーション』だったりする。
アメリカ映画:1997年
『ロスト・イン・トランスレーション』
日本を舞台にした旅行者2人の孤独と絆
ビル・マーレイ&スカーレット・ヨハンソン出演、ソフィア・コッポラ監督作品


さらに「異郷=本来所属しない所」との定義に従えば、王女が庶民の中に紛れ込む『ローマの休日』も「エキゾチック・ラブストリー」だと言えるかもしれない。
アメリカ映画:1953年
『ローマの休日』
オードリー・ヘップバーンのデビュー作
プリンセスの一夜の恋を描く古典的名作

しかし、このジャンルの最高傑作を上げろと言われれば、私は躊躇なく『エマニエル夫人』を上げたい。
これは、ただのソフトポルノに過ぎないが、しかし「異郷=リゾート」の奔放な性を、ここまで完璧に描いた例を知らない。
結局のところ「エキゾチック・ラブストーリー」の本質は「旅の恥は搔き捨て」という事であり、その本質を最も端的に表したのがこの作品なのだ。
関連レビュー:リゾート地の性の解放宣言
映画『エマニエル夫人』
1974年のソフトポルノ解禁と性革命
女性の性解放を甘美な映像で綴った大ヒット作!


こんな「エキゾチック・ラブストーリー」作品は上で上げたような名作を生んだ以上に、なぜか多くの失敗作を生むジャンルでもある。
例えば、かの『ラスト・エンペラー』の名匠、ベルナルド・ベルトッチ監督の『シェルタリング・スカイ』は、ここまで砂漠は人を迷わせるかというほど、大自然の驚異をまざまざと見せつけた。
関連レビュー:自然の驚異はドラマを迷わせる?
映画『シェルタリング・スカイ』
西洋と東洋の出会う砂漠の蜃気楼
美しい砂漠と混乱したストーリーの関係とは?

実を言えば、個人的には、これら異郷を描いた作品は、一種危ういバランスを持って作られている映画であるようにも思える。

なぜなら、それら「異郷」のキワモノ性に、作り手が飲み込まれてしまう危険が往々にしてあるのではないかと思えるのである。
そんなことを思ったのは、クリント・イーストウッドが描いた『ホワイト・ハンター・ブラック・ハート』を見たからだ。
関連レビュー:映画より像狩りを愛した監督!
『ホワイトハンター ブラックハート』
クリント・イーストウッド監督・主演で描く、伝説の監督ジョン・ヒューストン
映画『アフリカの女王』の舞台裏で起きていた騒動とは?

その作品は上で述べた『アフリカの女王』を撮った監督、ジョン・ヒューストンの伝記映画で、そこではジョン・ヒューストンが撮影そっちのけで像狩りばかりしていた様子が描かれていた。

その映画で分かったのは、映画作家は作品のためというよりも、自分の趣味趣向のために異郷を舞台に選ぶ者もいるという事実を知ったのだ。
しかし、ジョン・ヒューストンは、それでも当時としては画期的な冒険恋愛劇を作り上げ、見事に帳尻を合わせてはいる。

しかし、困るのは、自分の趣味に耽溺し、作品としてもその趣味性が勝ち、一般の観客からすれば何を撮りたいのか分からなくなってしまう作品があることだ。

監督が異郷の魔力に負け、映画が人間ドラマを描けなくなったとき、そういう作品がこの世に生まれるのだと推測する。

実を言えば、そんな個人の趣味趣向に走ったと思われる有名な映画がある。
それは、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』だ。
関連レビュー:タイタニック愛とジェームズ・キャメロン監督
『タイタニック』
世界一の興行収入記録を打ち建てた大ヒット作
レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットの恋愛劇

キャメロンは、真正のタイタニック・オタクであり、食器をタイタニックと同じ食器を使ったり、映画内の時間を実際に船が沈没する時間に合わせたりする凝りようだった。

その長尺の映画は、多額の超過資金もあり、おおコケすればキャメロンの監督生命は立たれていたに違いない。
そして実際映画は、タイタニックの詳細な沈没事件の事実の羅列はドキュメンタリ―作品に近く、興味のない者からすれば到底3時間見続けられるものではなかったと思える。
関連レビュー:タイタニックの実話紹介
『タイタニック』
映画内の歴史的事実を徹底解明!
実在人物解説・史実・日本人乗客の運命

つまり、キャメロンのオタク的情熱は、一般人から見れば過剰であり、明らかに映画の完成度を落としているように個人的には感じる。
しかし『タイタニック』は、空前の大ヒットをしたではないかという声が聞こえてきそうだが・・・・・・

私が考えるに、それはタイタニックの沈没要素によるものではなく、レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットの若いカップルのラブストーリーが際立っていたからであり、もっと言えば、スターとしてのディカプリオの魅力が眩しいほどに輝いていたからだと思える・・・・

そういう意味で言えば、監督の趣味性に走る映画の危うさ、強いシチュエーションを背景にした場合の人間ドラマの弱さというのは、映画表現にとってもろ刃の刃だと言えるだろう。

この『愛と哀しみの果て』も、ロバート・レッドフォードが『タイタニック』のディカプリオと同等の輝きを、見る者が感じさえすれば、決して凡作とは呼べない作品であるに違いない。
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映画『愛と哀しみの果て』解説

『愛と哀しみの果て』実話
この映画はカレン・ブリクセン(ペンネーム:アイザック・ディネーセン)の書いた『OUT OF AFRICA』と『Babette's Feast』を基に、別の作家の2冊の本からも引用され、映画脚本が構築されている。

つまりこの映画は、原作者の実話であり、以下にその人生を紹介したい。
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カレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke [kʰɑːɑn ˈb̥leɡ̊sn̩], 1885年4月17日 - 1962年9月7日)は、20世紀のデンマークを代表するゴシック小説家。デンマーク語と英語の両方で執筆し、デンマーク語版は本名のカレン・ブリクセン名義、英語版はペンネーム(男性名)のイサク・ディーネセンもしくはアイザック・ディネーセン(Isak Dinesen)名義で作品を発表した。作品によっては作品間の翻訳の際に加筆訂正がなされ、時には別作品ともいえる物になっているという複雑な作家である。2009年まで、デンマークの50クローネ紙幣には彼女の肖像が使われていた。(Wikipediaより)
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カレン・ブリクセンの生涯
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1885年、デンマークのルングステッズで生まれる。
幼年期は、作家であり軍人であった、裕福な家族の出である父親ヴィルヘルム・ディーネセンに強い影響を受けた。彼女の母インゲボルグ・ウェステンホルツもブルジョア商人の娘で、豊かな生活環境に育った。
しかしカレンが9歳の時、父が女性問題がもとと言われる原因で自殺し、彼女は母親の家族によって養育され、その家庭内でフェミニズム的な教育を授かった。Karen_Blixen_1913.jpg

長じると、カレンは休暇の多くをスウェーデン南部の父方の従兄弟、ブリクセン・フィネッケ家で過ごした。
彼女は男爵ハンスと最初に恋に落ちたが失恋し、彼の双子の兄弟ブロア・ブリクセン・フィネッケ男爵を選んだ。(写真1913年のカレン)
1912年12月23日に婚約し、シャムで財をなした彼らの共通の叔父の勧めで、農園経営をケニアで始める決心をした。
カレンは当時、イギリス領の一部だったケニアに到着すると、1914年1月14日モンバサで結婚した。
KarenBlixen_hasband.jpg夫婦(右写真)は農園で牛を飼うことを計画していたが、最終的にはコーヒーの方が利益を生むと見て、カレン・コーヒー・カンパニーを設立した。
農園は、ナイロビの南西のムボガニというより大規模な農場を購入し、この地は6,000エーカー(2,400ヘクタール)のあり、大部分は地元キクユ族を労働力としたが、ワカンバ、カビロンド、スワヒリ、マサイも含まれた。
彼女の農場では、発熱、痘瘡、髄膜炎、発疹チフスなど、地元の病人の治療も行った。(写真:カレンと地元労働者)africa_KarenBlixen.jpg
しかし1914年8月3日、第一次世界大戦がはじまり、東アフリカでドイツとイギリスが戦争となった、ブロアはイギリス軍に参加し、カレンも物資の輸送を手伝った。

当初、ブロアは農場で働いたが、すぐに興味を失いサファリの狩に頻繁に出かけ農場を留守にした。更にブロアは妻に不誠実で、結婚してすぐに浮気を始め、町で放蕩し借金を重ね悪名高い評判を得た。
1915年ブロアが29歳の時、結婚 1 年目の終わりには梅毒に感染し、カレンへと感染した。
カレンは1915年6月にデンマークに戻り、治療により回復したが、その後も後遺症に長年苦しんだ。


Denys-finch-hatton-1887-1931.jpg1918年4月5日、カレン夫婦はムサイガ社交クラブで英国人、デニス・フィンチ・ハットン(1887–1931:写真)に紹介された。デニスは、夫婦と親密な交流を持ったが、その後ケニアを後にし、エジプトでの軍務に2年間就いた。
1919年に夫が離婚を要求し、最終的に1925年に離婚が成立した。離婚後のブロアは、ケニアに病院を設立するための慈善団体を設立したという。

その間、デニスは頻繁にアフリカとイギリスの間を往来し時折カレンを訪ね、1922年にケニアに本拠を置きと、夫と別居したカレンと親密な関係を築くと、長期にわたる恋愛関係へと発展した。(写真:カレンとデニス)
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デニスはカレンの家に引っ越し、1926年から1931年にかけてブリクセンの農場を本拠地とし、富裕層へのサファリ狩猟ガイドを始め、その顧客にはイギリスの王族も含まれた。
しかし、二人の関係は不安定で、自由奔放なデニスをカレンが縛ろうとし、やがて問題が生じた。

1930年には、デニスは当時の著名な女流飛行家であり馬の調教師でもあったベリル・マーカムと恋愛関係になった。beryl-markham.jpg
マーカムは複数の恋人がいたが、デニスに好意を持っていた。しかしカレンとも旧知のマーカムは、最初は自重していたが、最終的にはデニスと男女関係となった。しかし、その後もデニスはカレンとの関係も継続した。

1931年5月14日朝、デニスのジプシーモス複葉機はヴォイ空港を離陸した後、地面に激突炎上し、彼とそのキクユ族の使用人一人の命を奪った。
デニスの希望に従い、現在のナイロビ国立公園の西8kmにあるゴン丘陵で、カレンが決めた場所に埋葬された。
その地は以前から、二人でしばしば訪れていた丘であり、カレンが埋葬を望んだ地であり、彼もその地に埋葬を生前に希望していたのだった。

時を同じくして、コーヒー農園経営は、農場が高地にあった事、干ばつ、大恐慌によるコーヒー価格の下落などが重なり失敗し、最終的には農園を手放す事となった。

1931年8月カレンはデンマークに戻り、母親のルングステッドルンドの家(写真:今はカレンの博物館となっている)に身を寄せ、第二次世界大戦中を含め、以後の人生を過ごした。
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デンマークでは作家活動をし、著名となったカレンだったが、1950年代に入ると体調を崩す事が多くなり、著作活動が困難になったものの、ラジオなどに出演した。

Karen_old.jpg1959 年にはアメリカへの生涯唯一の旅をした。(写真:カレンとマリリン・モンロー)
それは4か月に渡る長期旅行で、彼女はライフ マガジン特集を飾り、ブロードウェイのオープニング公演に招待され、ニューヨーク社交界で歓迎され、数々の著名人と会った。しかしその旅の間も「点滴」を受けるなど、その病魔は深刻の度を増していった。
1962年、カレンはラングステッドルンドの自宅で77歳で亡くなった。その死因は栄養失調だと言われるが、梅毒の後遺症の影響とする説もある。(写真:カレンの墓)

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映画との違い

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〇カレンの著書に書かれた、壊滅的なバッタの襲来や、数度発生した農園近隣の銃撃戦、ドイツ軍にの言及など、多くの事実が省略されている。
〇彼女の 農園は4,000 エーカー(16 ㎢)の敷地と、800人のキクユ族労働者、18頭の牛の幌馬車があったが、映画では大幅にスケールを縮小されて描かれた。
〇映画ではデニスとカレンの最初の出会いは平原の汽車とされたが、事実はムサイガ社交クラブだった。その後、エジプトの軍事任務に就き、2年間ケニアを離れており、飛行機を操縦し始めたのと、サファリのハンターになったのは同時期だった。
〇実際のデニスは英国貴族だったが、その役にアメリカ人ロバート・レッドフォードが起用されたことで、言葉のアクセントもあり、英国人として描くことを避けられた。
〇また、カレンはデニスの子供を少なくとも一度は妊娠し流産しており、映画で描かれた梅毒を移された影響で子を宿せない体になったと語られたのは事実と異なる。
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映画の中の実話
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しかし、映画には事実を踏襲した部分もある。
〇映画で登場したキクユ族の中には、実際のキクユ族子孫を数名起用しており、例えば酋長役のキンヤンジュイもその一人だという。
〇撮影には、現在カレン・ブリクセン博物館として残っている、彼女の最初の家「ムボガニ」を使っている。
Film2-GrenBar.pngまた彼女の小説を原作とする作品としては、アカデミー外国映画賞に輝いた『バベットの晩餐会』がある。
小説は1950年6月に発表され、短編集『運命綺譚』(Anecdotes of Destiny)に収録された。日本では、映画の影響もあり『バベットの晩餐会』として筑摩書房より出版されている。
関連レビュー:カレン・ブリクセンの小説から生まれた傑作!
映画『バベットの晩餐会』
ガブリエル・アクセル監督の料理と神の恩寵を描く傑作
88年度アカデミー外国語映画受賞作





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