2016年07月20日

アニメ映画『サマーウォーズ』細田守の日本の夏/感想・解説・評価・アニメの表現力

『サマーウォーズ』(感想・解説 編)




製作国 日本
製作年 2009
上映時間 115分
監督 細田守
脚本 奥寺佐渡子
キャラクター・デザイン 貞本義行


評価:★★★★★ 5.0点



涙が出るほど、感動的な映画でした。
日本のアニメは、これほど複雑で高度な物語を伝えられるという、その実力に、驚きます。
この作品は、手塚治虫以来築きあげてきた日本アニメ界の伝統を引き継ぐ、傑作だと思います。
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映画『サマーウォーズ』予告

映画『サマーウォーズ』出演者

神木隆之介(小磯健二)/桜庭ななみ(篠原夏希)/谷村美月(池沢佳主馬)/仲里依紗 (陣内由美)/斎藤歩(陣内侘助)/富司純子(陣内栄)/中村正(陣内万作)/永井一郎(陣内万助)/信澤三惠子( 陣内万理子)/板倉光隆(陣内克彦)/高久ちぐさ(陣内奈々)/中村橋弥(陣内邦彦)/谷川清美(陣内典子)/田中要次(陣内頼彦)/田村たがめ(池沢聖美)/山像かおり(三輪直美)
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映画『サマーウォーズ』感想・解説


んな、複雑で情感に満ちた物語であっても「アニメ絵=マンガ絵」という二次元表現は、抽象化とデフォルメにより、作り手の思いを記号的な明快さにより分かりやすく表現できると思います。
事実、こんな複雑で難しい話であっても、小学生の子供ですら、食い入るように見ています。

これは手塚治虫から始まる「マンガ=アニメ界」が、マンガ表現を子供向けだと規定せずに追及した結果、どんな物語でも表現できるレベルに高めてくれたおかげに違いありません。
関連レビュー:日本漫画栄光のルーツ
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関連レビュー:日本アニメの革新
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その結果大人が見ても混乱するような高度な物語を、アニメ絵のおかげで幼児にまで届けることが出来るのだと思うのです。

そのアニメ表現力の豊かな結実の一つが、この作品だと感じました。

このアニメの魅力は、日本人だったら誰でも原風景として持っている、夏の親戚同士の交流のノスタルジックな姿にあると感じました。
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その郷愁を生み出しているのは、その中心にいる曾祖母・栄の魅力に負うところが大きいと思いました。
sum-dekiru.jpgこのキャラクターが、この映画の感動の源泉だと思いました。
この老婆はゴッドマザーとでもいうべき実力者で、清濁併せ持つ大人物。人の情に訴えかける力がスゴイです。

このひ―おばーちゃんのためだったら命を捨てても、役に立ちたいと思わせる、そんな説得力があります。
それは、この栄が心底から人を愛していて、関わる人々に無限の慈しみを持っているからだと感じました。

しかし、人間社会の中では人々を統べる力を持つ曾祖母・栄にしても、バーチャル世界に対しては無力だと自覚していたからこそ、デジタル的で仮想世界で力を発揮する主人公の健二をこの一族の後継者として選んだのでしょう。

これは、今後バーチャル世界がますます巨大化し管理が困難になっていくとき、この映画のように人間世界がつながる事と同時に、人間世界と仮想世界がコミュニケートすることが大事になるというメッセ−ジかと思いました。 

そしてこの図式は、どこか「コンピューターグラフィック映画」と「手書きアニメーション映画」の間にある図式とも似ていると思えるのです。
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たとえばこの映画の「デジタル表現=CG」というアニメの形だけでは、感動し難いと思うのです。
もちろんCGでなければ表現できない得意な分野(正確なパースや立体表現など)があります。
しかし、それはあまりに正確で歪みがなく、自然界の形とは断絶した表現となり、冷たい印象になる様に感じます。

対して、手書きの絵はどうでしょう?
日本のアニメとその独特のアニメ絵はCGに置き換わらない情報があると思うのです。
それは自然界すべてが持っている「揺らぎ」がそこにあるからだと感じます。 
そしてすべての生物はその「揺らぎ」にシンクロすることでつながり同じリズムを刻むとおもうのです。


あえて手書きのセルを描くことは不合理であるには違いありません。
その「揺らぎ」ゆえに決して同じ絵にならないということは、面倒で非論理的で感情的な、ホントに愚かな表現なのかもしれません・・・・・・・・・・
しかし、それであるがゆえにデジタルに比べて「感動」という奇跡を起こせるのではないでしょうか・・・・・・

この映画では、人がデジタルとつながる可能性が描かれてはいますが、個人的には、人の気持ちを最大限に動かすのは、やはり人とつながる事で発生するマジックなのだと思いました・・・・・・

それは、「CGと手書きセル」の関係同様、面倒で大変なことかもしれませんが、確実に自らの中に感情の「揺らぎ」を、ひいては「感動」をもたらしてくれると思うからです・・・・・

今年は田舎に帰って、血のつながり、縁(えにし)の不合理なツナガリの中で溺れてみたい・・・・・・そんなことを想わせる、ノスタルジックな夏休みの物語です。



ラベル:細田守
posted by ヒラヒ・S at 20:59| Comment(4) | TrackBack(1) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

『ルパン三世/カリオストロの城』宮崎駿と「クラリス」が盗んだもの/感想・解説・あらすじ

宮崎駿とショパン



評価:★★★★★  5.0点

我輩は、ショパン三世。
今日は我が友人、ルパン三世の映画作品として2作目にあたる「カリオストロの城」について、義憤の余り文句を言わずに居れなくなって、出て来たしだいでアル。
実際この映画を見た時、 我が友ルパンのために怒りを禁じえなかったのでアル。

<あらすじ>


物語はヨーロッパの小国カリオストロ公国へやって来たルパンが、悪漢に追われるひとりの少女クラリスを助けるが、何者かによって再び連れ去られてしまう。ルパンはクラリスを助けるために、カリオストロの城に忍び込みカリオストロ公爵と対決する・・・・・・・

正直言って、映画は面白かった。
アクションといい、話のスジといい、笑いと言い、文句を言うべきところもないぐらい完璧だった。
これは、日本アニメの歴史に残る映画だとショパンの名にかけて断言しても良い。


しかし、それでも、この映画は真に、ルパンのための映画だといえるだろうか?
いいや断じて、ルパンのための作品ではない!

ましてや、次元でも、五右衛門でも、峰不二子でも、ましてやムッシュウ銭形の映画でもないのでアル。

この映画の主人公は、間違いなくプリンセス「クラリス」のための映画だと言わざるを得ないのでアル!
「クラリス」という、ピュアで、イノセントな、バージニティーを持った、完璧な少女を巡る闘いを描いた物語なのでアル。

たしかにこの姫君「クラリス」は、ほんと〜に魅力的で、この永遠の乙女を巡って男達が大騒ぎするのも判るのでアル。
これは、私の偉大なる祖父ショパンが16歳の少女 マリア・ヴォジンスカに恋焦がれたように、「永遠のマドンナ」を心に宿した悲しい男達の物語なのでアル。



男達は、多かれ少なかれ心に「マドンナ」を追い求めるものかも知れん。
しかし諸君、それはルパンを描くために本当に必要だったのかと、我輩は問いたいのでアル。
結局、この映画は「クラリス」こそ主役で、その主役を盛り上げる脇役としてルパンが出演せざるを得なかった点に怒りを感じるのでアル。

このルパンをナイガシロにした映画を作った責任は間違いなく、宮崎駿とかいうアニメ作家のせいに違いない。
この男はルパンよりも、自分のヒロイン「マドンナ=クラリス」を描きたかっただけなのだ。
たぶんこの男も、我が祖父ショパンと同様、永遠のマドンナをいつまでも追いかける女々しい男なのでアル。
こういう現実には手が届かない「マドンナ」を夢見るような男に限って、メッチャクチャなロマンティストだったりするのでアル。
恥ずかしながらその最もいい例が、我が祖父ショパンなのでアル。
実際、祖父がマリアのためにロマン派と呼ばれるほど「ロマンチック」な曲を作り続けたのでわかるように、創造の原動力として強い力を発揮したりするのでアル。
たぶん、この宮崎という男はこの後も、ず〜っと「マドンナ」を追い求め、描き続けるのではないかナ。


ま〜そういう意味では、アニメ界のショパンと言っても良いようなもんだが・・・・・・・・・・
ちなみに、大林宣彦は日本映画界のショパンなのでアルが・・・・・・・・それはともかく。

実際そう考えてみても、やはりこの宮崎がルパンを「ないがしろ」にしたことを許すわけにはイカン!
映画で銭形警部が、ルパンがだれとかの心を盗んだとか言いおったがな・・・・・・・・・・我輩に言わせれば、宮崎駿こそルパンから主役の座を盗んだ大泥棒なのでアル。

エ〜ット、ゴホン!本当に許しがたいのであるからして、今日もその原因を作った「クラリス」を見〜よおっ〜と( ̄▽ ̄*)ポッ



え〜こんな妄想をするぐらい、この映画の「クラリス」は「ヒロイン」として完璧だと思う。
この「クラリス」の成功によって宮崎駿は、ヒロインを主人公とするアニメが成功するという手応えを手にしたのではないかと想像したしだいです。

そう思えばこの作品は、日本アニメにとって重要な一本なのではないかと思う。
さらに、この映画の持つ「おとぎ話の構造」が、ジブリ・アニメのファンタジー性の深い部分で通低しているように感じたりしました。



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ラベル:宮崎駿
posted by ヒラヒ・S at 21:33| Comment(6) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

パーフェクト・ブルー

ジャパニメーションの証明




評価:★★★    3.0点

このアニメが表したのは、アニメが実写と同等の質のドラマを描けるという事実だったろう。

日本アニメは手塚治虫の「鉄腕アトム」から始まって、徐々にその表現の幅を広げて、子供の見るコンテンツから、ジブリを経て、甲殻機動隊に至っては完全に大人が見て楽しむアニメとして製作されたように思う。

そして、このアニメに至っては、ハッキリ子供が見てもつまらない「アニメ」つまりは「大人でなければ楽しめないアニメ」として製作されたと思われる。
実際のところ、アニメでなければ描けないという描写は、作中に見当たらない。
つまりは完全に実写としてリメイクが可能な作品なのだ。

それゆえアニメのインサイダーからは、真に大人の表現力を持ったアニメという評価を得たのではないか。

実を言えば、このシッカリとしたドラマを「生身=3次元」の役者で、カメラアングルやカット割りモンタージュもそのままで撮影した場合、どれほど映画的に訴求力が有るのかと考えてみたりする。
脚本やコンテなどの下書きから想像すれば、標準作ではあっても傑作とはいいがたいと思う。

となれば、実写となった場合に強い表現力を持ち得ないこの作品が、アニメとして表現されたときに、実写とは違う訴求力を保持しうるかという問題になるだろう。

そういう点で検証すれば、タレントという虚像と自己のアイデンティティに悩む少女であるとか、現代的なネット社会のストーカー行為であるとか、先見的な問題に着目しているとか、またラストの犯人の正体も、衝撃があるとは思う。
しかし、アニメだからその表現が強くなったかと問われれば、素直に肯定しがたい。

たとえば、この映画と良く似た「ブラック・スワン」を見た時に、ビジュアル的なインパクトは明らかに実写の方が強い。
それは、血の描写を取ってみても、実写の場合は現実世界の血と直結してイメージされるが、アニメであれば虚構であるとビジュアル自体が告げている時点で、インパクトが弱くならざるを得ない。

けっきょく、アニメという一種抽象化した表現に求められる作品としては、現実世界よりもファンタジー世界が、日常よりは非日常が相応しいという事を、この作品は証明しているだろうと思う。

そういう点で個人的には、この監督の後年の作品のような、アニメだからこそ可能な造形、表現が、この作品には乏しいと感じた。

それゆえ、実写映画になった時の評価と同様平均作とした。
さらに、物語世界と語られる表現とのマッチングを考えた場合、この物語はアニメとして語られるのが、最も相応しい選択だったのかと問うこともできる。
そういう点で、更に減点する事も可能かもしれない。

ただし、この監督の以降の作品を見てみれば、その表現の基礎として、アニメで実写化可能な物語を語れる技術をベースにしている事を考えれば、この監督のファンのみならず日本アニメの愛好者が見る価値は有ると思う。

それは、実写で表現できる事は、すべて日本アニメで表現できるという証明であるからだ。

そこで提案なのだが、「2001年宇宙の旅」をアニメ化する人はいないだろうか。
あの映画のラスト数十分こそ、アニメ的な表現が相応しいと思うのだが、いかがだろうか?


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ラベル:今敏 江口寿史
posted by ヒラヒ・S at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする