2021年09月25日

映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』はなぜ世界中を泣かせるか?考察A鬼滅隊と鬼の意味/解説・ネタバレなし簡単あらすじ

映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』はなぜ世界を泣かせるか?A

製作国 日本
製作年 2020年
上映時間 117分
監督 外崎春雄
脚本 ufotable
原作 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』


評価:★★★★  4.0




このアニメが持つ、万国共通で観客の涙腺を緩ませる秘密を解き明かしたい。

それがこの文章の目的で、その前段として、まずは「鬼滅の刃」の持つヒーロー性の、時代による影響の考察を試みた。

要約すれば、規滅の刃のヒーロー像が、戦いに対する消極性を持ち、それは昭和から平成に至る経済的状況を背景として生まれた時代性を象徴していると書いた。

以下では、そんな時代を象徴するヒーローの属性の本質が「子供」であり、それゆえ世界中でで涙を生むのだと論じるつもりである。
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<目次>
映画『鬼滅の刃無限列車編』簡単あらすじ
映画『鬼滅の刃無限列車編』予告・出演者
映画『鬼滅の刃無限列車編』解説/鬼殺隊の意味するもの
映画『鬼滅の刃無限列車編』解説/鬼の意味するもの
映画『鬼滅の刃無限列車編』考察/なぜ世界は涙するか

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映画『鬼滅の刃無限列車編』ネタバレなしストーリー


墓地を行く鬼殺隊のお館は、今は亡き鬼殺隊隊員に語りかける。今月も鬼によ数多くの命が喪われ、その体はますます衰弱の度を増したが、人の思いだけは誰にも断ち切れないと、心のなかで呼び掛けた。
鬼殺隊の竈門炭次郎と背負われた妹禰󠄀豆子、我妻善逸、嘴平伊之助は、汽車無限号で発生する怪事件の調査を命じられ列車に乗る。そこには鬼殺隊の最強隊員である「柱」の1人煉獄杏寿郎が、豪快に駅弁を食べていた。そこに車掌が入ってくると、炭次郎次郎は鬼の臭いを嗅ぎ、見ると車掌は鬼に変わっており、炭次郎や煉獄の鬼殺隊隊員はすぐさま立ち向かい鬼の首を獲ったが、それは鬼の見せた夢だった。その汽車は十二鬼月、下弦の壱・魘夢に支配されており、乗客達に幸福な夢を見せられ「精神の核」を破壊させされていた。鬼殺隊の四人も夢に引きずり込まれ、魘夢の手先となった者達につながれ共に夢へと落ちて行った。4人はそれぞれ夢の中で絡めとられ、魂の核を破壊されようとしていた。しかし、危機を知った禰豆子が、夢の中から炭次郎を呼び戻す。炭次郎は自分が夢を操る鬼と戦っている事に気付き、何度も夢に落ちながらも、その都度夢の中で自らの首に刃を立て、現実に戻り魘夢に向かって行った。そして、ついに鬼の首を討ったに見えたが、実は魘夢は汽車と一体化しており、その乗客200人に襲いかかろうとしていた。その時、他の3人も眠りから覚め、列車の乗客を手分けして守り、炭次郎は汽車のどこかにある鬼の首を探し求め、ついに機関車と客車の連結部がそれだと知り切り落とした。列車は脱線し、炭次郎は重傷を負い動けなくなったが、ついに鬼は闇の中で消滅し、乗客にも死者はいなかった。しかし、そこに上弦の参・猗窩座という鬼が襲来し、煉獄が闘い始めた・・・・・
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映画『鬼滅の刃無限列車編』予告

映画『鬼滅の刃無限列車編』出演者

竈門炭治郎(花江夏樹)/竈門禰豆子(鬼頭明里)/我妻善逸(下野紘)/嘴平伊之助(松岡義介)/煉獄杏敏郎(日野聡・伊勢真理也)/下限の一(平川大輔)/上限の三(石田彰)/煉󠄁獄瑠火(豊口めぐみ)/煉󠄁獄槇寿郎(小山力也)/煉󠄁獄千寿郎(榎木淳弥)/竈門炭十郎(三木眞一郎)/竈門葵枝(桑島法子)/竈門竹雄(大地葉)/竈門花子(小原好美)/竈門茂(本渡楓)/竈門六太(古賀葵)/胡蝶しのぶ(早見沙織)/悲鳴嶼行冥 (杉田智和)/宇髄天元(小西克幸)/不死川実弥(関智一)/伊黒小芭内(鈴村健一)/冨岡義勇(櫻井孝宏)/産屋敷耀哉(森川智之)/産屋敷あまね(佐藤利奈)/

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映画『鬼滅の刃無限列車編』解説

鬼殺隊の意味するもの
この映画のヒーロー像は、日本経済がバブルで停滞した、少子高齢化の社会を担う、若者の意識が反映されていると、前のレビューで分析した。
関連レビュー:「鬼滅の刃」と日本社会
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
世界中を泣かせた炭治郎と禰豆子の
日本映画史上最高の収益!2020年の大ヒットアニメ!!
しかし、上の文章ではまだ言葉足らずだと思い、このレビューを書くことにした。

そこでまず、主人公たち鬼殺隊の属性を考察して見たい。

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まず、その主要メンバーを見てみればそれはまだ未熟な「幼き者=子供」として登場していると断言したい。

この作品の主要メンバーを見てみれば、禰豆子を始め、炭治郎や、善逸にしても、その「ビジュアル=目の大きさ」は幼児のバランスだと言って良い。
更に言えば、鬼殺隊のお館様は、そのメンバーを子供達と呼ぶが、そのお館様にしたところで20歳代に見える。

つまりは、鬼殺隊のメンバーは「子供=非成人」なのであり、それゆえ彼らの回想シーンにはしばしば、その親との葛藤が語られてもいる。
大人とは、「親との扶養関係=家族依存」を超えて、「経済的自立=社会的義務」と、その人間関係に生きる者達を言うのだとすれば、鬼殺隊とはやはり、日本的な家族愛の庇護下にある「子供の属性」を持った者としての属性を強く感じる。

また、この作品が大正時代をモチーフにしているように、特に古い日本社会の組織とは、会社にせよ、各種団体にしても、基本的には家父長的家族制度の愛情を基礎に置くものだった。
そういう点で今は失われてしまった、日本人的家族愛の色濃さを見て、ノスタルジーと共に、共同体の中で幸福だった過去を、日本人のDNAレベルで感得し涙するだろう。

関連レビュー:日本の家族制度
『東京物語』
世界的にも高く評価される小津監督の名作
日本的な世界観、美意識が映像として定着
さらに言えば、この主人公たちの幼い姿と、兄と妹の健気な絆を見るうちに、一つのTV番組が思い出された。

その番組とは日テレ系で長年放送されている『はじめてのおつかい』だ。
そこで展開される、「幼き者」が自分の能力を超えた責務を果たす、その姿を見て涙を抑えるのは困難だろう。

到底持てそうもない重い荷物をしょって、時にはさらに幼い妹を連れて、必死に家を目指す姿と、この映画の炭次郎が重なるのは私だけだろうか・・・・・

つまり、この主人公の造形は、「子供ながら大人の義務を課せられた存在」として規定すべきだと感じられてならない。

その観点が正しければ、この映画が涙を呼ぶ理由の一つは、主人公たちの「幼さ」が、大きな責務を課され慄(おのの)く姿が同情を呼び、それでも健気に強大な敵に立ち向かう勇気が心を打つからだと、ひとまず押さえておきたい。
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映画『鬼滅の刃無限列車編』解説

鬼の意味するもの
鬼殺隊の隊員が、子供であると上で書いた。

であれば、その鬼殺隊が戦う鬼とは何を意味するだろう。
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作中では、鬼は元々人間であり、鬼の棟梁によって鬼に変えられるのである。
そしてそれぞれの事情を持ちつつ、人々を喰らい、闇に生きるのだ。

この、鬼達の生態を見るとき、それらが人の闇を象徴し、弱肉強食の酷たらしさを表していると感じる。
しかしこの鬼達の属性とは、人間社会を生き続けるにあたり必要な能力なのではないか?

地球生命体の「適者生存=生存競争」は弱肉強食の過酷を運命としており、何が何でも「生き続ける=他者に勝ち続ける」ためには、鬼と化す必要が多かれ少なかれ生じるに違いない。
関連レビュー:生きることの残酷な選択
映画『ソフィーの選択 』
メリル・ストリープ主演女優賞を獲得したホロコースト映画
徹底的に救いの無い真正「鬱映画」

実際、実社会においても、個人にせよ、会社組織にせよ、他者を蹴落とすため、自らの優位を確保するため、不正や偽装などの、反社会的な悪行が日々報じられている。

その、実社会の生存競争とは、「鬼=悪人」となって他者を喰らう姿と何が違うだろうか。
つまるところ、人から鬼となった者達とは、その実社会における生存競争に組込まれざるを得ない者達を指していると思える。

つまり鬼とは、実社会に入って、日々その身を削り生き延びるために、なりふり構わない大人達を意味していると思えてならない。
鬼の会合の場でその頂点に立つものから厳しく糾弾され過酷な処罰を受けるシーンを見て、会社組織の比喩を感じて、その印象はさらに強まる。
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そこで考えるべきは、この「鬼=大人達」も、自らの生命のみならず、関わる者を守り、その社会を存続させるため鬼にならざるを得ないという事実だ。

成長し自立した大人は、生き残るために、鬼にならねばならない場合もあるし、時としてその経験は、鬼であることが正しい、鬼となれない弱者を喰らうのは致し方ないという自己肯定を生むだろう。

そう考えたとき、この映画のラスト煉獄と対峙した鬼の言葉「お前も鬼になれ」という呼びかけは象徴的である。

つまり、大人となって、弱いものを踏みつけにすることこそ勝利だとする「適者生存の戦い」に、積極的に参加しろという呼びかけだったのである。
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映画『鬼滅の刃無限列車編』解説

なぜ世界は涙するか
以上述べたように、鬼殺隊が子供の属性を持っており、そして鬼が大人の属性を持つと分析した。
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つまりは基本的な物語の構造は、大人になる事に恐れを持ちつつ、大人にならざるを得ない子供と、大人の「義務=生存競争での勝利」を課せられ、自ら醜く変貌せざるをえない「成人=社会人」との相克だと見るべきだろう。

子供達は、純粋でイノセントなまま、親達の庇護の下、安逸に暮らせるはずなのに、そうはさせない「鬼=社会の実態」が、彼らを閉塞状態に落とし込むのである。
そして、子供たちが成長し、自らの命を守り、さらに家族を扶養する力を持つためには、自ら鬼となって守るべき者たちのために血みどろになって戦わざるを得ない事実を知る。
実社会でもみくちゃにされる中で、人は子供時代に培った「愛と平和」「安心と信頼」「友愛と絆」「正義と道徳」が、どれほど脆く儚いものかを目の当たりにし、鬼へと変じていくだろう。

しかし、ねず子に象徴的なように、本来庇護者が失われれば鬼へと変じるべきところを、かれらは「子供」のまま、「子供」の価値観を持ったまま「大人=鬼」に変じることを拒否し、その「鬼=世俗の不正」と闘うことを志すのだ。
それは、明らかに「きれいごと」で、あらゆる手段を選択できる敵と対峙し、それに対し勝利を収めるためには、本来は圧倒的な力量差を持ってしても、困難な闘いなのは現実を見れば認めざるを得ない。

だが観が得手見れば、その正義と道徳律、信念と理想という価値観を足枷としつつも、そのために命を賭し、圧倒的な力を発し、勝つ者こそ「ヒーロー=英雄」と呼ばれる存在だったという事実だ。
つまり「きれいごと」に殉じ、その持てる価値「正義と理想」で世界を覆い尽くすための戦いをなすものをヒーローとするならば、それこそ少年の日に夢想した「正義の味方」こそそれだったろう。

しかし「ヒーロー」は、現代ではとても正面から語りえないような「空想上の存在」となってしまった。
それは、すでにこの世から「絶対的正義」が喪失し、同時に「絶対的悪」も存在しえない事の必然的帰結である。
つまり正義を明確に定義し得ないがゆえに、「ヒーロー=絶対的正義の具現者」は存在し得ないのが現代なのである。

それゆえ、アメコミヒーロー映画は、バットマンシリーズのように現実世界と折り合い絶対的正義を謳わず描かれるか、マーベルシリーズのように、「空想=ファンタジック」上の破壊のお祭り騒ぎとして表現されることとなった。
前者にはヒーローの持つ「正義=正当性」が足らず、後者には「リアリティー」が皆無だと言っていい。
関連レビュー:ヒーローとその物語の変容
『スーサイドスクワッド』
DCコミックの史上最強の悪党チーム
ヴィラン、ハーレイ・クインたちが悪の力で世界を救う

しかし、この『鬼滅の刃』は、かつての「ヒーロードラマ」の正義とリアリティーの両要素を持っている、現代では奇跡的な作品なのである。

それは、主人公が「子供」であることによって、大人であれば途端に嘘にまみれるであろう、この世の「正義と理想」を正面から語ることの正統性と説得力を生んでいる。

つまり、「子供」であれば「絶対的正義」を語り得る資格を持つのである。
その「絶対的正義」を振りかざし「鬼=現実社会の悪の化身」を叩き臥せる「ヒーロー物語」を語り得るのである。

しかし、そのヒーローはかつての「絶対的強者」とは対極の「幼き者」であるがゆえに、その理想の純粋さが際立つと同時に、その闘いが無謀で危険であると、観客は無意識のうちに心震わせるだろう。


その結果、自分と等身大の存在に見える子供達にとっては、その運命の過酷さに泣かざるを得ない。


また、鬼殺隊の闘い「子供の純粋な正義」を見た大人は、その「鬼=社会の歪み」を自らが作り出し、そのツケを子供たちに負わせている事に気付き、幼き者達に涙するだろう。

この作品は、絶対的正義の担い手を「子供」とすることで、その正統的「ヒーロー物語」を成立させ、同時に「子供」を主人公とする事でその困難な闘いに向かう健気さと勇気によって、人々の涙を呼ぶのだと感じる。

そして、その戦いとは、実は現実世界の「適者生存」の歪みを、幼き者達が何とか寛解しようとする試みであり、それが生物学的原理として無理であると知っているからこそ、その無謀な闘いに身を投じる彼らに心打たれ「世界は涙する」のだろう。



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月27日

映画解説『鬼滅の刃無限列車』はなぜ世界中を泣かせるか?考察@『鬼滅の刃』と時代性/感想・ネタバレなし簡単あらすじ

映画『鬼滅の刃無限列車編』(感想・考察 編)

製作国 日本
製作年 2020年
上映時間 117分
監督 外崎春雄
脚本 ufotable
原作 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』


評価:★★★★  4.0




この大ヒットしたアニメは、2020年日本のみならず2021年現在世界中で快進撃を続けている。

このアニメ作品を見て、正直に言えば映画としての完成度には疑問を感じた。

しかし、それでも泣いてしまった。

それは、劇場内の観客の大多数の反応と同じものであり、なぜここまで人の心を打つのか、その理由をさまざまに考えた結果が以下の文章である。
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<目次>
映画『鬼滅の刃無限列車編』簡単あらすじ
映画『鬼滅の刃無限列車編』予告・出演者
映画『鬼滅の刃無限列車編』感想・解説
映画『鬼滅の刃無限列車編』ネタバレ・結末

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映画『鬼滅の刃無限列車編』ネタバレなしストーリー


墓地を行く鬼殺隊のお館は、今は亡き鬼殺隊隊員に語りかける。今月も鬼によ数多くの命が喪われた事に、その体はますます衰弱の度を増したが、人の思いだけは誰にも断ち切れないと、心のなかで呼び掛けた。
鬼殺隊の竈門炭次郎と背負われた妹禰󠄀豆子、我妻善逸、嘴平伊之助は、汽車無限号で発生する怪事件の調査を命じられ列車に乗る。そこには鬼殺隊の最強隊員である「柱」の1人煉獄杏寿郎が、豪快に駅弁を食べていた。そこに車掌が入ってくると、炭次郎次郎は鬼の臭いを嗅ぎ、見ると車掌は鬼に変わっており、炭次郎や煉獄の鬼殺隊隊員はすぐさま立ち向かい鬼の首を獲ったが、それは鬼の見せた夢だった。その汽車は十二鬼月、下弦の壱・魘夢に支配されており、乗客達に幸福な夢を見せられ「精神の核」を破壊させされていた。鬼殺隊の四人も夢に引きずり込まれ、魘夢の手先となった者達につながれ共に夢へと落ちて行った。4人はそれぞれ夢の中で絡めとられ、魂の核を破壊されようとしていた。しかし、危機を知った禰豆子が、夢の中から炭次郎を呼び戻す。炭次郎は自分が夢を操る鬼と戦っている事に気付き、何度も夢に落ちながらも、その都度夢の中で自らの首に刃を立て、現実に戻り魘夢に向かって行った。そして、ついに鬼の首を討ったに見えたが、実は魘夢は汽車と一体化しており、その乗客200人に襲いかかろうとしていた。その時、他の3人も眠りから覚め、列車の乗客を手分けして守り、炭次郎は汽車のどこかにある鬼の首を探し求め、ついに機関車と客車の連結部がそれだと知り切り落とした。列車は脱線し、炭次郎は重傷を負い動けなくなったが、ついに鬼は闇の中で消滅し、乗客にも死者はいなかった。しかし、そこに上弦の参・猗窩座という鬼が襲来し、煉獄がその戦いに身を投じた・・・・・
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映画『鬼滅の刃無限列車編』予告

映画『鬼滅の刃無限列車編』出演者

竈門炭治郎(花江夏樹)/竈門禰豆子(鬼頭明里)/我妻善逸(下野紘)/嘴平伊之助(松岡義介)/煉獄杏敏郎(日野聡・伊勢真理也)/下限の一(平川大輔)/上限の三(石田彰)/煉󠄁獄瑠火(豊口めぐみ)/煉󠄁獄槇寿郎(小山力也)/煉󠄁獄千寿郎(榎木淳弥)/竈門炭十郎(三木眞一郎)/竈門葵枝(桑島法子)/竈門竹雄(大地葉)/竈門花子(小原好美)/竈門茂(本渡楓)/竈門六太(古賀葵)/胡蝶しのぶ(早見沙織)/悲鳴嶼行冥 (杉田智和)/宇髄天元(小西克幸)/不死川実弥(関智一)/伊黒小芭内(鈴村健一)/冨岡義勇(櫻井孝宏)/産屋敷耀哉(森川智之)/産屋敷あまね(佐藤利奈)

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映画『鬼滅の刃無限列車』感想


この映画は泣く!
老いも若きも、男女を問わず、国境すら跨いで、泣かせ続ける。
<YOUTUBE 『鬼滅の刃無限列車』外国人の反応>
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⇒Youtube動画はこちら
その源はどこにあるのか?

それがこの文章の主題である。

しかし、その前にこの作品を見た第一印象を正直に言おう。

映画という2〜3時間の中で、完全な小宇宙を形成するのが映画の目指すべき理想だと見るなら、明らかにこの作品はその理想像から外れている。

その理由は間違いなく、TVアニメから続く一連の流れの継承を担わされたからであり、更にはTV第2クールに向かう「つなぎ」の役目を求められたからである。

マンガが完結している事もあり、中途半端にスピンオフ作品を作るより、第2部のスタートとして映画を公開した方が、間違いなく集客に繋がると、製作者側が考えたくなるのもわかる。

つまりは商業的要請が、映画としての独立性、完成度を落すという、映画界の悪癖に見事にハマった形でこのアニメは、作られているのである。
関連レビュー:商業主義に影響を受けた実例
映画『セブン』
デヴィッド・フィンチャーの驚愕の傑作!!
ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの現代の黙示録

そんな無理が、前半と後半がぷっつりと断絶した脚本に現れている。

その断絶こそは、すでに完結した物語の中間部分を描かざるを得なかった、歪みの顕在化に他ならないと見える。

特に、日本の映画界は、TV局の資金により製作される作品が多く、その商業的な理由によって、その映画の独立性を損なわれる傾向にあると思える。
関連レビュー:TV局と映画表現
映画『永遠の0』
特攻隊員の闘いを描く大ヒット映画!
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それゆえ本作も、映画メディアの独立性から見れば、その企画意図からして、コマーシャリズムの求めに応じるために、無理を内包していたのだと総括して、駄作だと切り捨てようかと思いかけた時・・・・・・・

私の眼から涙が流れた。

そして、それは周囲の観客も同様だった。

私は、その涙を信じる。

それを流させたエモーションを無視して、映画を語って良いはずがない。

間違いなくこの映画は、幾万もの者の情動を揺さぶる強い力を持った作品なのであり、そんな万人にカタルシスを与える表現物は秀作と認められてしかるべきだ。

それゆえ再び、映画としてはアンバランスなこの作品が、なぜこうも心を打つのかと思いを巡らせ、答えを探し求めざるを得なかったー

その本作の訴求力の秘密を追った結果が、以下の文章である。
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映画『鬼滅の刃無限列車編』考察


なぜ、無限列車というこの作品がこうも人の心を打つのか、その答えを求めて、まずはこの作品が内包する基礎構造を解析して見たい。
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その特徴を、過去の少年マンガ「ヒーローもの」と比較して見ると、明らかにこの作品が違うのは、その闘いに向かう主人公達の消極性に有ると感じる。

例えばその消極性は、主人公炭治郎は妹を守るために仕方なく戦い、例えば善逸は戦いの場に置いて終始狼狽し続ける。
過去のヒーローの個性を継承しているのは、主要3人のメンバーの中で伊之助が最も近いが、同時に作品中では一種コミカルで、浮いているようにも感じる。

やはり、この作品は、かつてのヒーローたちとは違い、戦いに積極的な価値を見出していないように見える。
戦いにより自らの能力を高め、さらなる強さを求める行動を、善とするのが基本的ヒーロー物語だとすれば、この作品は戦わざるを得ないシュチエーションに、恐怖と怖れを抱きつつ向き合わざるを得ないという、マイナスのベクトルを主要キャラクターが持っている。

その「戦いへの消極性と怖れ」こそが、この作品を他のヒーロー物語と一線を画す特徴だと考えている。
しかしヒーロー物語に限らず、ドラマには対立がつきものであり、それは極端に言えば生きるという現象の本質が「戦い=生存競争」に依っているからだと要約し得る。

つまり、地球上の生命体は等しく、自らの命を維持し、自らの遺伝子を可能な限り後世に残すため、他種を食い物にし、同種内の競争に勝つためにしのぎを削る。
結局、ドラマで描かれる戦闘とはダーウィンの言う「適者生存」を表現したものに他ならない。

そう考えてくれば、生命体たるもの戦いを忌避したり、消極的であれば、それは即ち死を意味するだろう。
その生命のテーゼに忠実たらんとして、スポ根物語、ヒーロー物語の登場人物は、積極的に戦いの渦中に身を投じたのだろう。

しかし、この鬼滅の刃である。
ここの作品の底流に流れる、戦いの消極性がなぜ生じているのかを考えざるを得ない。

極端なことを言えば、この作品が「生存競争」という生命の運命に背を向けるとするならば、その行いはもはや人類を裏切り、創造主の託した希望を踏みつけにする行為だとすら言えるだろう。

だが、もしこの作品が、単なる反社会的なメッセージを発しているのみであれば、ここまでヒットし、人を感動させうるだろうか。

その疑問に対し、作品とそれが生まれた時代性を検討することで、その答えの一端が見い出せるように思う。

かつてのスポ根ドラマの時代が、高度成長期であり、日本は戦後の焼け跡から復興するために、激しい労働を強いられつつも、それを是とする猛烈社員や会社人間などと呼ばれる労働者で社会は構成されており、周囲に負けまいと戦うことは義務であり必然だった。
関連レビュー:スポ根ドラマと日本社会
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つまりは「いかに勝つか」を語った作品が、「スポ根ドラマ」だと言う事も出来る。

さらに遡れば、日本のアニメの現代につながるオリジン、手塚治虫の『鉄腕アトム』はそもそも第二次世界大戦から生まれたと個人的には想像している。
関連レビュー:革命者手塚治虫が誕生した理由
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つまり、日本のアニメの根源には、「闘争」が遺伝子として継承されており、それは「スポ根アニメ」の軍隊的スパルタ式の表現に見出せる。

しかし、この『鬼滅の刃』は、スポ根の昭和時代を飛び越え平成から令和の時代に生まれた。
すでに日本社会の復興は成り、その蓄えた富によりGDPは世界2位にまでなり、アメリカに肉薄し追い越すかと思われた時、バブルが弾け人々は献身的な労働の対価が、はかなくも雲散霧消したのを知る。

日本人は「働く事=戦う事」が全てなのかという疑問に捉えられ、価値観は多様化した。
関連レビュー:昭和の団塊世界の家庭崩壊
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そして、人々は、献身的に会社に尽くす事、受験戦争をを勝ち抜く事が全てではなく、戦わない選択肢もあると考えるようになる。

しかし、その価値観の多様性とは、間違いなく社会的な富の蓄積により、戦わなくとも生きることを可能とする制度的なセフティーネットが成立しているからこそ可能な先進国のみに許された環境だと言うべきだろう。
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この事実は、日本社会の富の増加と共に、アニメ作品の主人公のキャラクターが変遷していく姿で確認する事もできる。

例えば、高度成長期、1950〜1970年代のアニメは、『巨人の星』や『明日のジョー』にしても、社会の底辺から這い上がるスポ根物語であり、そこには戦いを積極的に求め勝とうとする強い意志に溢れていた。

しかし、その戦いへの意識が変化が見られるのは、1980年に登場した『機動戦士ガンダム』によってである。
そこには、すでに主人公アムロによって、戦いに対する消極性が現れている。
彼は実際、戦闘を拒否するが、最終的には自らの意思で敵への勝利を求める点で、スポ根ドラマと後の消極的闘争ドラマの中間点に位置するものだったろう。

さらにその「闘争」に対し明確に「No」を発したのは『エヴァンゲリオン』の主人公・碇 シンジだったろう。
彼は、闘争を強いる父親「父性=男系家長主義」に反発し、逃げながら、その周囲の「女性=母性」により戦いに誘われる。
関連レビュー:ロボット・アニメの新世紀
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こう流れを見てくると、日本社会の「経済的変化=富の蓄積」は、必然的に生存条件の改善につながり、それゆえ求められる「生存競争」を強いる力が相対的に減少して行った結果が、これらの「ヒーロー物語」の変化ににつながっていると見える。

そして、この『鬼滅の刃』は、さらに「闘争」に対する忌避感、不条理感を強く感じる。
それは、『エヴァンゲリオン』の「父性に対する敵対感」と「母性への依存」の色を、さらに強く表現していないだろうか?
その印象は、バブル崩壊後の日本人の父権への忌避感を、端的に示しているようにも感じる。

つまり、団塊の世代が闘いの果てに、日本経済を再生し、そしてその頂点で崩壊して行った事実を見た後世の世代は、その闘いが虚無へと通じていたと知った日本人は、父権が謳う闘争への勝利が幸福ではないと知ってしまった。

じっさいその敗北と虚無は、団塊の世代をも動揺させた。
関連レビュー:団塊の世代の失った楽園
『失楽園』
渡辺淳一のベストセラー小説を森田芳光監督が映画化した大ヒット作
役所広司, 黒木 瞳の描く不倫純愛ドラマ


しかし日本は、少子高齢化のマイナス成長に向かう中、再び「闘争=生存努力」を成さねば、その社会の維持は困難になることは明らかだ。

その大勢の老人を扶養する義務を、その「闘争」の不条理を知りつつ、現代の10代20代が課されることの悲哀が、この作品の切なさにつながっていると思える。

つまり『鬼滅の刃』には、今後の日本社会の向かう混沌を担う、次世代の日本人が感じざるを得ない恐れと、それでも闘わざるを得ない勇気が込められていると思える。

この作品に込められた、ある種の悲劇性とその運命に立ち向かう者達の献身の姿には、これら日本の現状が反映しているだろう。

さらに、その日本社会の閉塞感をコロナ・ウィルスの災禍がより深刻にしている現状が、観客の感情移入をより促していることは間違いないだろう。

繰り返しになるが、『鬼滅の刃』には、戦後の繁栄を築いた団塊の世代の努力が最終的に雲散霧消し、その「つけ」を課された現代の若者の一種虚無感と不条理がこの作品の根底に存在していると指摘したい。







posted by ヒラヒ at 18:00| Comment(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

アニメ映画『サマーウォーズ』完全再現ストーリー/感想・あらすじ・ネタバレ・ラスト

『サマーウォーズ』(ストーリー・あらすじ編)




製作国 日本
製作年 2009
上映時間 115分
監督 細田守
脚本 奥寺佐渡子
キャラクター・デザイン 貞本義行


評価:★★★★★ 5.0点



このアニメは人間とヴァーチャルの両方の世界を舞台にした感動巨編です。
現実世界では日本の夏休みの郷愁が、見る者に沁み込み、ヴァーチャル世界ではあっという間に世界規模でつながるスケールの大きさがドラマを盛り上げます。

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映画『サマーウォーズ』予告

映画『サマーウォーズ』出演者

神木隆之介(小磯健二)/桜庭ななみ(篠原夏希)/谷村美月(池沢佳主馬)/仲里依紗 (陣内由美)/斎藤歩(陣内侘助)/富司純子(陣内栄)/中村正(陣内万作)/永井一郎(陣内万助)/信澤三惠子( 陣内万理子)/板倉光隆(陣内克彦)/高久ちぐさ(陣内奈々)/中村橋弥(陣内邦彦)/谷川清美(陣内典子)/田中要次(陣内頼彦)/田村たがめ(池沢聖美)/山像かおり(三輪直美)

映画『サマーウォーズ』受賞歴

第42回シッチェス・カタロニア国際映画祭アニメーション部門:最優秀長編作品賞
第24回デジタルコンテンツグランプリ:経済産業大臣賞
第13回文化庁メディア芸術祭:アニメーション部門大賞
第33回日本アカデミー賞:最優秀アニメーション作品賞
第64回毎日映画コンクール:アニメーション映画賞
第52回ブルーリボン賞:日本映画ベスト10選出
第14回日本インターネット映画大賞:日本映画部門 作品賞
第9回東京アニメアワードアニメーションオブザイヤー:監督賞他4賞
第6回リスボン国際インディペンデント映画祭:観客賞
第14回モントリオール・ファンタジア映画祭:最優秀アニメーション賞観客部門金賞
第41回星雲賞メディア部門
第1回アナハイム国際映画祭:最優秀アニメーション賞
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映画『サマーウォーズ』あらすじ



高校2年生の小磯健二は物理部の教室にいると、憧れの先輩の篠原夏希やってきた。
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彼女の曽祖母・陣内栄の90歳の誕生会に行くため、長野まで一緒に来てほしいと言うのだ。
しかも、婚約者のふりをして欲しいという、変なバイトを頼まれた。

長野の陣内家では一族郎党の26名が集まり、戦国真田家の伝統を継ぐ名家だけに、話は信州上田合戦まで遡り盛り上がる。その中心には栄おばーちゃんがいた。
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宴会もお開きとなったその深夜、篠原家に泊まった健二の携帯に不審な数学クイズのメールが送られて来た。数学が得意な健二は、その「数学クイズ」の答えを導いてしまう。
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実はその回答とは、インターネット上の仮想世界OZ(オズ)の管理権限の暗号パスだった。

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そのメールの差出人は、ラブマシーンと名付けられた人口知能(A.I)だったのだ。

翌日にはOZの心臓部に侵入したラブマシーンは、4億人以上のアカウントを奪った。
そして現実世界に影響を及ぼし、緊急通報システムや交通管理システムを混乱させ、警察、消防、病院などが機能しなくなり、世界中が大混乱に陥っていった。
そのラブマシーンを設計したのは、陣内家の妾の子ながら栄に可愛がられていながら若いころ出奔した、陣内侘助だということが判明した。

怒った栄は、なぎなたを持ち出し、侘助を追い回す。
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そして「身内の不始末は身内で片付けるよ!」と叱咤し、一族に対応を促し、更に名家の人脈を使い政府閣僚級の人々をも動かした。
しかし、その翌朝、持病の狭心症により曾祖母・栄は帰らぬ人となった。

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女達が葬儀の準備を始める中、健二を含む陣内家の男達は、大型コンピューターを調達し、自衛隊の通信車両を持ち出し、ラブマシーンとの電脳世界での対決の準備を整えた。
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OZで格闘ゲームの世界的チャンピオンにまでなった、夏希のいとこ中学1年生・池沢佳主馬をプレーヤーとして、ラブマシーンとの対決に挑む。

勝負はバーチャル世界で佳主馬のアバーターのキング・カズマが優位に立ち、ついにラブマシーン勝利するかと思われた。
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しかしその時、スーパーコンピューターの冷却用の氷を、栄の遺体の保存のために持ち出され、コンピューターが故障した。

そして、ラブマシーンに逃げ出されてしまう。
敵がいなくなったラブマシーンは大勢のアカウントを奪い、ますますその力を強めていく。
そして、ラブマシーンは、惑星探査機「あらわし」を遠隔操作し、原子力発電所の上に落とそうとしていることが判明した。
無力感に落ち込む、陣内家の男達。
そんな彼らの前で栄の遺言が読み上げられた。
【栄の遺言】

陣内家の人々は、栄の遺言通り昼食を皆で食べ、一族の和解と団結を確かめた。

その時健二から、ラブマシーンのこれまでの行動からして、花札の勝負に誘えば乗ってくるという言葉が出た。
花札勝負をバーチャル世界で戦って、アカウントを取り戻そうと提案する。
そして案の定、ラブマシーンはその誘いに応じ、戦いの場に姿を見せた・・・・・・・・・

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以降の文章に

映画『サマーウォーズ』ネタバレ

があります。

花札勝負のプレーヤーは、子供の頃から曾祖母栄に鍛えられた、篠原夏希だった。
夏樹は一族のアカウント20人を賭けて、ラブマシーンの持つ4億人のカウントを奪還しようという、無謀ともいえる戦いだった。
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しかし夏樹は善戦し、次々にアカウントを解放していく。
その周りでは、一族の者の声援と、ヴァーチャル世界を注視する人々の応援がこだましていた。
しかし、一瞬の油断からラブマシーンに勝利を奪われ、残すところ数人のアカウントを残すのみとなった。
絶体絶命と思われたその時、ドイツの少年が語りかける。
「僕のアカウントを使ってください」その言葉はたちまち、ゲームを見守る世界中の人々に広がり、夏樹に提供されたアカウントは1億を超えた。

そのアカウントを元に、ついに夏樹はラブマシーンに勝利した。

しかしラブマシーンは、弱りながらも「あらわし」の落下地点を、夏希のいる陣内邸に定めた。
混乱の中、健二は卓越した計算能力を駆使し、パスワードを解読し「あらわし」の落下地点を、近隣の山にずらすことに成功した。

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映画『サマーウォーズ』ラスト・シーン



陣内家と世界の危機は回避された。
ラブマシーンの暴走は、アメリカ国防総省の管理の不備が原因だとCNNニュースは告げていた。
一族を救った功労者である健二と、夏希。
夏樹は健二を本当に好きになり、そんな二人の様子を陣内一族は暖かく見守る。


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映画『サマーウォーズ』結末感想


とりあえず、田舎に帰ってみようと・・・・・・・
ヴァーチャル世界の戦いを描きながら、そんな人の温もりを求めさせる映画です。

関連レビュー:細田監督のヴァーチャル世界の戦い
『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
サマーウォーズの原型
デジタル世界の神話


ちょっと、遠いかもしれませんが、この映画の侘助に「寅さん」を感じました・・・・・
関連レビュー:日本人とふるさと
『男はつらいよ』
放浪者寅次郎
日本の聖者


posted by ヒラヒ at 17:51| Comment(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする