2018年04月23日

小説『こころ』感想・解説・あらすじ/文豪・夏目漱石の描く近代の「こころ=精神」

漱石とかけて殉死ととく。その「こころ」は・・・・




評価:★★★★   4.0点

この混乱した小説の意味するところは何だろうかと考えてきた。
正直に言えば、小説の体を成していないとすら思う。
ほんとうに漱石は、その言わんとするところを文中に、明快に描き出そうとしていたのだろうか・・・・・・・・・

実際、3部構成のそれぞれが放り投げられたように散らばる様は、途中で書く気がうせて放擲したのではないかと疑うほどだ。
他の漱石の作品を見ても、ここまで粗雑な構成の作品を私は知らない。
しかしこの作品は、この形で完成形であるとされているし、漱石自体も何度かの修正のうえでこの小説を上梓しているのだから、意味があるのだと思っては読んではみるものの違和感が消えない。

小説『こころ』あらすじ

上 先生と私
語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰った後も先生の家に出入りするようになる。先生は奥さんと静かに暮らしていた。毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する(第二十一章から二十三章)。正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。先生は来るべき時に過去を話すことを約束した(第三十一章)。大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。

中 両親と私
語り手は「私」。腎臓病が重かった父親は、ますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。

下 先生と遺書
「先生」の手紙。この手紙は、上第二十二章で言及されている。「先生」の手紙には謎に包まれた彼の過去が綴られていた。「K」や「お嬢さん」らとの関係とその顛末、「先生」が「私」に語った謎めいた言葉たちの真相が明かされる。(wikipediaより)

そもそもこの小説は、この3部の中で突出して長い「下 先生と遺書」の部だけを、当初書き上げたという。
なるほど、この一編で十分終始一貫した小説として通用する作品に仕上がっている。
このまま発表されていれば、私はこの小説に対して違和感を持ちはしなかったろう。

しかし、漱石は「下 先生と遺書」だけでは、この小説で取り扱う「こころ」の主題を十分表現できていないと考えたのだろう。
そこで、取ってつけたような、残り2部を加えてこの小説とした。
となれば、この作品の作者の意図を読み取ろうとするとき、この2部の存在が鍵となるだろう。

しかし、その前に「下 先生と遺書」という完成された一編は、この小説の「基調演説=主弁論」としての役割を、その作品形成の経緯からいって、持っていると思われる。
それゆえ、まずこの部が言わんとするところを、汲み取らねばなるまい。


この先生と遺書の部では、先生からの若き友人への手紙という体裁で描かれる。
まず、先生が複雑な家庭環境にあり叔父が先生の財産を簒奪したこと、それゆえに人間不信に陥ったことが語られる。
次に、下宿先の娘(後の先生の妻)を巡る、先生とその友人Kの三角関係が語られ、その果てに先生に裏切られた友人Kの自殺が語られる。
そして、先生は結婚はしたものの、友人の死の原因が己に有るという罪悪感に苛まれ続けていたため、ついに乃木将軍の殉死をキッカケに、先生も自殺を決心したという内容である。

この一編で語られているのは、多くの研究者が言及するように、近代を迎えた明治日本がそれまでの村落共同体における集団的調和の生活から、否応なく個人として社会に放り出されてしまった混乱を、描いているという点に間違いはあるまい。

つまり、財産や結婚という公的な社会上の問題を、例えば叔父との確執で表現されたように、資産の自己管理を求められ、また結婚も恋愛という形で、個としての愛情問題をベースにして考える自由を得たが故に生じた、悲劇だと語られていると思える。

実際、江戸時代の士農工商的な帰属集団の中で、周囲に同調して人生を歩めばよかったものが、今日からは自由に自分で人生を選べといわれても、実際のところ右往左往するのが関の山であったろう。
しかしそれ以上に日本社会にとって危険だったのは、滅私奉公で表わされる「公」の前に「私」を滅する「江戸的倫理観」が、「個」の自由・権利を基にして構築される「近代的倫理」と相容れなかった点にある。

そんな明治期の混乱の犠牲者として、先生よりも更に保守的であった友人Kは、倫理的な潔癖さゆえに先生よりも先に自死する。
それは、友情という社会的・道徳的な信頼を基礎とする「公的」人間関係が、個人的な恋愛という「私事」によって蹂躙されえる時代になったという事実を、許容できない「旧弊な倫理」を強く保持する者の象徴であり、そんな存在は近代という場から去るしかないと語られているのであろう。

そういう意味では、友人Kの死は明治に殉じた乃木希典の死と同様の意味を持っていただろう。
乃木希典の死は、それこそ「殉死」という、「君主=公」に絶対的忠誠を示すための「滅私」の行為であった。
乃木の場合は更にご丁寧に、自らの老妻とともに割腹自殺するという念の入れようである。
今から思えばなかなか理解しがたいが、この乃木将軍の行為は明治の人々の心を強く打ったことを忘れてはなるまい。
このことは、近代としての価値観が求められた明治末期においても、日本人の心情として「滅私奉公」に強い美を感じたという証拠であったろう。

小説『こころ』解説

乃木希典の殉死

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。
nogi.jpg大正元年(1912年)9月13日、乃木は明治天皇大葬が行われた日の午後8時頃、妻・静子とともに自刃して亡くなった。享年64(満62歳)没。(右:乃木と妻・静子)
乃木の訃報が報道されると、多くの日本国民が悲しみ、号外を手にして道端で涙にむせぶ者もあった。乃木を慕っていた裕仁親王は、乃木が自刃したことを聞くと、涙を浮かべ、「ああ、残念なことである」と述べて大きくため息をついた。
乃木の訃報は、日本国内にとどまらず、欧米の新聞においても多数報道された。特に、ニューヨーク・タイムズには、日露戦争の従軍記者リチャード・バリーによる長文の伝記と乃木が詠んだ漢詩が2面にわたって掲載された。(wikipediaより)


そんな「前近代的な日本の情」に訴える「旧弊な倫理」に殉じたKや乃木の死に対して、同時代人であるはずの先生が選んだ死は、明らかに違う意味を持っている。
よくよく見てみれば先生の自殺とは、自己の権利としての恋愛・結婚を、友人という社会的な関係に背いてでも押し通した時に生じた、良心の呵責の結果としての死の選択であった。

この先生が選んだ自殺の動機を考える時、同じ自死でありながらその動機が違うことが明瞭だ。
Kや乃木は「自己の権利」のためにではなく「公の倫理」に殉じたのに対し、先生の場合は「利己の権利」を主張したが故に「公の倫理」に殺されたというべきであろう。
つまり先生の場合は、より近代人としての自己を持っていたには違いないが、最終的には「殉死」を賛美する日本的な倫理観に、彼自身も囚われていたことを示している。

しかし更に微細に見てみれば、先生は近代人としての己を全うする事はできずに死を選ぶには違いないが、しかしその死は「個」としての自分に殉じた死とも思えるのだ。
それは、Kや乃木のように、自らの死を持ってその集団・社会に対して何事かを証明するためではなく、個人として生きる事が適わないがゆえの自己完結としての死と映じる。

その証拠に先生は、その妻に死を秘匿しようと努める。
例えば、「公の倫理」に殉じる死であれば、先生は自らの悪行を妻に告白し、倫理にもとる行為の発端となった妻も、共に死に向かわせなければならないだろう。
乃木将軍が成した行為は、正しくそれであったはずだ。
しかしあくまで、先生はその死を「私的」に留めようと努力する。

こう見てくれば、先生は「近代的な個」を確立しようとして、己の内の伝統的な日本倫理に抗しきれず結果的には死を選ぶ。
しかし、その死をかろうじて「個」として迎えることで、近代人としての矜持を証明しようと努めているように思える。
そういう意味では、先生は「近代の精神=個の自由・権利」を理解し求めながらも、日本的な道徳律に殉じざるを得ない存在だと考えられる。

こう見てくれば、この部が描いているのは、明治を生きた近代人達が古い日本の倫理と新しい個人意識の狭間で、もがき苦しむ姿だと言えるだろう。
そして、それは明治期の日本人が近代に向かうときに、等しく感じた痛みだったのではないか。
だからこそ、そんな旧来の美を体現した乃木の「殉死」が、明治末期においても称揚され感動を呼んだのであろう。

それでは、この本編たる「先生と遺書」に書き残した部分とはなんだったのだろう。

残る2部「上 先生と私」「中 両親と私」を読んでみて分かるのは、そこで描かれている先生と私の心理的な温度差であったろう。
それは、「先生と遺書」における明治早期に人格形成を成した者と、明治中期に生を受けた「私」との、世代間の意識・価値観の差を描写しているのではなかろうか。
この私にとって、先生が苦闘した日本的倫理観は、すでに「公よりも私を優先」するのが当然だとして、解決が済んでいると描かれていまいか。

それは「両親と私」の最後で、親が死んだという公よりも、私的な人間関係である先生を優先し、親の死を放擲して先生の下に急ぐ事で象徴的である。
更に言えば「上 先生と私」は過去形で書かれていることを考えれば、この語り手の「私」はすでに先生の死を乗り越えて生きている事を表わしている。
そういう意味で、漱石は「先生と遺書」に描ききれなかった、「私を優先」する「近代的個性」をこの「上 先生と私」「中 両親と私」において、私という語り部を通じて表現したのであろう。

しかしなぜ、そんな「利己的な私欲」に満ちた、日本的な美と相容れない「近代的個性」を、漱石はことさら書き足したのだろうか。
なぜ、「近代的な個」と「伝統的な日本倫理」の相克を描くだけで良しとしなかったのだろうか。

私は答えは明瞭であると思う。

漱石は因習的日本が生んだ、乃木に象徴される日本的価値を否定する為に、残り2部の「近代的個性」を描いたのだと信じる。

漱石自体は、その心性として日本的な倫理観を愛していただろう。
それは、小説中の日本的な規範に殉じた友の名を「K」としている事に現れているように思う。
この「K」とは、漱石の本名(夏目)金之助の「K」としか思われない。

また、漱石は日本的な倫理観を愛する己を、嫌ってもいたように思える。
文中の私と先生の出会いのシーンで、唐突に「先生が外人と一緒だった」と描かれるとき、この「先生」もまた英国留学を経た漱石の分身だったろう。
その「先生」は「個の権利と自由」を理解し求めながら、自らの中の「古い日本の美意識」に殉ずる。
しかし、乃木のようにその「殉死」を「正義の行い」として捕らえるには「先生」は「近代人」でありすぎた。
それゆえ、個としての死を「私的行為」として秘匿しようとするのである。

この先生の自殺が意味するのは、おそらく「乃木の殉死」に見られる日本的伝統を「賛美」する意識に対する、アンチテーゼだったろう。

こう考えてきたとき漱石が、この小説で描きたかった「こころ」の姿が、明瞭になったと思う。
つまり漱石は、日本の前近代的な倫理観に縛られつつ近代人として生きざるを得ない、日本人の「こころ」をこの作品で描いたのである。
その「こころ」の行く先は、多かれ少なかれ「近代的個」を許容し得ない「日本的美意識」を前に、傷つかざるを得ないと「先生と遺書」の部で語られる。

それは英国留学で、近代の坩堝に放り込まれた漱石という日本精神が、極限まで追い詰められた事を考えれば、それは漱石の「日本のこころ」に対する危うさの実感であったろう。
そんな日本人の「こころ」を考えたとき、漱石は近代を日本人が生き延びられるかを考えざるを得なかったろう。

この問題を前にした漱石の回答こそが、「上 先生と私」「中 両親と私」に描かれた主人公「私」の姿だったに違いない。
その利己的に「私的利益」を貪ることに躊躇しない姿こそ、漱石の個人的倫理観としては許容し得ないにしても、近代的「こころ」であり新しい日本人の姿として正しいのだと、漱石は描いたのではなかったか。
しかし、個人として古き日本の心を慈しんだ漱石の精神は、その新しい心に美を感ぜず、ついに不体裁に放擲するように小説中に描かざるを得なかったのであろう。

それでも、この漱石から希望を託された「私」は、小説中に明瞭に描かれていないものの、この先生の奥さんを最終的に我が物とする予兆が、文章の端々に埋め込まれているように思える。
その想定に立てば漱石は、先生が「公的倫理」ゆえに苦しめた「妻」を、「私的恣意」によって救い得るのだという、メッセージが籠められてはいないだろうか。

この漱石の、利己的な個人としての近代人の「こころ」が求められるのだという提言は、その後の日本の進みを見るとき重要であったと気づくはずだ。

即ち漱石がこの小説を書いた後も、日本人の「こころ」は「殉死」を美しいと感じるままで変化がなかったからである。
その結果として、個人主義を国是とする近代国家アメリカ合衆国を前に、日本人全てが殉死を覚悟した昭和20年の敗戦を向かえる事となった。
1914年に執筆の「こころ」の真意と日本人が真摯に向き合ったならば、1945年の敗戦までに約31年という期間を持ちえたのであるから、日本の近代はまた違う結果を生んだのではないかと惜しまれる。


と書いては見たものの、ま〜じっさい漱石さんもヨクナイッす。
いかに国家主義的な日本の時代だったにしても、モーッチョットはっきり「乃木さん、今時殉死でもないでしょ」って書いてくれたら、言ってる事が伝わりやすいのに。
奥歯にモノが挟まったような小説なものだから「青春小説」見たいに思われて、未だに中学生にまでこの本を読ませようとしてるんでしょう?

そんな本じゃないでしょうコレ?
少なくとも最初にコレ読んだら、小説読みたくなくなっちゃうんじゃないかしら?
ほんとワケわかんないしょコレ・・・・・・・・


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ラベル:夏目漱石
posted by ヒラヒ・S at 05:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

あえて『アニメか?』アオリにのっかってみる

批判を呼んだ「日本文学振興会」の全面広告


ダウンロード.png人生に、文学を。
文学を知らなければ、
目に見えるものしか見えないじゃないか。
文学を知らなければ、
どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

読むとは想像することである。
世の不条理。人の弱さ。魂の気高さ。生命の尊さ。男の落魄。女の嘘。
行ったこともない街。過ぎ去った栄光。抱いたこともない希望。
想像しなければ、目に見えるものしか知りようがない。
想像しなければ、自ら思い描く人生しか選びようがない。

そんなの嫌だね。つまらないじゃないか。
繰り返す。人生に、文学を。
(一年に二度、芥川賞と直木賞)

「日本文学振興会」の全面広告
=======================================================================
私はヘソ曲がりで、偉そうな奴、権威を振りかざす奴がキライだ。
勘違いしないで欲しいのだが、偉い奴がキライなのではない偉そうな奴ががキライなのだ。

例えば、昔のこと、哲学や歴史、宗教、という人文的なアカデミズムを「大説」と読んだような偉そうな奴がキライだ。

それに対し、有ってもなくとも良いような話を、一生懸命書き続け、人からあんなのは、「小説」だとバカにされても、親に勘当だ!お前などくたばってしまえ(二葉亭四迷)と言われても書き続けた人は偉い奴だと、尊敬している。

実際、昔の小説家などというのは世間的に地位が低く、バカにされていた。
何せ明治維新の、内患外憂のご時勢に、あってもなくても良い文章を書く奴の気が知れないという、世間一般の感覚だったのだ。
明治の日本人は、ミ〜ン〜ナ、兵隊さんになって日本を守ろうとか、産業を興して国を強くしていこうとか、政治家になって日本の地位を上げようとか、とにもかくにも「富国強兵」の為に一億邁進していたのだ。
それなのに「我輩は猫である」ですぜ・・・・・こりゃ怒られるでしょう。

でも、そんな「アウト」な人たちが書く「アウト」な小説を、アマノジャクな私は愛してきた。
本来「文学」なんて人間のクズのやることだったからこそ、人々は近代の押しつぶされるような時代の軋みから逃げる手段足りえたのだろう。

しかし、今回「文学」の総本山とも言うべき、日本文学推進ナンチャラという所から「文学偉い」みたいな広告があって、偉そうな奴がキライな私の血が騒いだのだ。

ダウンロード.png

盛者必衰の理

だいたい、「オレは偉いと」言い出したら末期症状だ。
しかし「ロクデモナイ」と言われていた、小説や文芸がオレは偉いと言うようになるまでに何があったのだろう。
しかも今や、本人が「文学」だと威張ってみても、衰退の一方で見ていて無惨ですらある。
この「文学」の経験した栄枯盛衰とは、実はあらゆる分野に共通の過程ではないかとも感じる。

黎明期
そもそも新しいジャンルが生まれる時、社会は拒否反応や侮蔑を示す。
それは、新奇なモノに対する拒否反応であり、「立派な大人と言われるような人=権威者」は自分の価値観を侵食されたくないという感覚から、従来の価値観に収まらない新しいものを否定する。
小説家が三文文士と言われ、映画が活動屋と揶揄されたのは、古い権威者達から価値が低いと見られたからだ。

しかし同時に、新しい分野、ユニークな形は、新しい刺激として人々の心に、好奇心と感動を生む。
つまるところ古い世代の権威者が否定しても、小説や映画が消滅もせず、ましてや時代が下って芸術の本流に成り得たのは、そんな権威者の声以上に、ひとえに「大衆=マス」の支持を勝ち得る刺激と力があったからである。
興隆期
そして、人々のニーズのあるところ金と人材が集まる。
それは小説なり映画なりの当該ジャンルの隆盛期であり、最盛期へと向かうだろう。
その、中期に有っては大衆の望みに沿った「大衆向け商品」が8割方を占めるはずだ。
そして、その大衆作家の中から卓越した技術を持つものが、作家性を発揮し芸術的表現力を持ち得る。
同時に隆盛期に至れば、「評論家」や「アカデミズム=学術的研究」が作品の質を語りだす。
そして、彼ら権威者「評論家・アカデミズム」は、そのジャンルにおける芸術性の高い作品を推奨しだすだろう。
そして、ここに権威が生じるのである。
終焉期
そして往々にして権威や芸術という言葉が出てくると、そのジャンルの保守化と弱体化が始まると思えてならない。
けっきょく、権威とはあるジャンルにとっての、優劣の価値体系を作ることを意味するだろう。
つまり、ある作品を「権威」が作る価値体系のどこに位置するかを定め、評価を与える事であるはずだ。

しかし本来、一番分かりやすい価値判断は、どれだけ売れたかという出版部数を基準とすることだろう。
この市場価値という基準を使えば、概ね読者の満足と作品の価値はシンクロするはずだ。
つまりは面白いから売れ、売れるから面白い作品だという基準だ。

しかし、ここに「権威」に基づく別の価値体系が導入されることで、読者と作品との蜜月関係を断ち切ってしまう。

その良くある価値基準の一つが、面白いからといって良い作品だとは限らないという視点の導入だ。
単純に言えば、女性や、犯罪を犯したりする小説は、面白いとしても、道徳的に良くないではないかというような、「面白さ」以外に、「真・善・美」をその価値として導入するものだ。
この「正しさ」という価値は、しばしば、国家や教育者など個人を集団の中で管理しようとする「権威」が多用してきた。
単純に、悪いものをみて、悪いことをされたら、管理するのが大変だという、短絡的指導綱領によるのだろう。

また別の価値として、もう少し手が込んでいるのは、芸術性という価値基準だ。
芸術性の評価基準では大体、文章表現の上手さ、哲学的な命題の価値、文学的形式の価値(文学に新たなスタイルを生み出した)とかという基準を総合して、文学的価値が高いと「おっしゃっている」ようだ。
この芸術性を持ち出されると話はヤヤっこしくなるのだ。
これは大体において、「評論家」「学者=アカデミズム」「大家の作家」が言うと相場が決まっているだろうが、完全にそのジャンルのインサイダーであり、一般大衆には関わりのないところでその価値を語っていると思われてならない。

例えば、「Aという作家の文章表現力は、近代100年の小説家の誰よりも感覚的で精巧である」とか、「この作品には人間存在の魂の彷徨が、生物学的な必然から生じたことが示され、それは一種の宇宙論的な叙情詩に昇華している」とか「文学とは構造としてア・プリオリであるべきにも拘らず、この作者は軽々とア・ポステリオリに文学を語ってみせる」なんて事を、言ったりする。

そうすると、聞いた方は「偉い先生」が言っているんだから、これは「偉い、良い本」だと信じる。
私も信じて読んで裏切られるのだ。何度も、何度も、裏切られてようやく気が付いた。
この「偉い先生」達が「良い」ということの背後に、一般の人間にはどうでもいい文学史や哲学的な価値があって、それを基準にして「良い」と言われているのだということに。
そして、それは先生方にとって価値があるのであって、私には(そしてタブン文学関係者ではない一般人にも)関係ない。
つまりは、権威を作る先生方は「文学内における過去の歴史や価値」を背景にして本を読み、その価値を語る。
しかし、私は「文学内における過去の歴史や価値」はどうでも良い。
お金に見合った対価を、その本が返してくれるかどうかが問題なのだ。
違いますか?


結局この間違いの本質は、インサイダーたる「権威者」達は、どれだか売れたかの「量」ではなく「質」で判断しようとするところにある。
その際、「質」を判断する「権威者」は、そのジャンルの最も高度な技術を持つ作家か、もしくは「評論家・アカデミズム」ということになる。
しかし、その「質」はインサイダーが何十年もかけて蓄積した、「文学」の歴史や技術の知識を元にしたもので、私のようなまともに本を読んでいない人間には判断できない価値なのだ。

だが考えてみて欲しい、その知識とは、いわば「文学」を職業とする人達の専門知識であり、実は会社員が自社の製品の商品がどう変わったかという情報を述べているのと変わらないではないか。
本来であれば、「この文学はデスねコレコレの点が新しく、売りになってます」と、誠心誠意売り込むべきものだろう。
それなのに、「文学の価値」が分からないなんて「ケシカラン」なんて事を口走るのはいかがなものか。

しかしこと「文学」というジャンルに関しては、偉大な価値を持っているという無批判の共通認識が有る。
それゆえ、その価値を謳いあげる「権威」が発生するのだ。

けっきょく、「権威」というのは無意識の内に人々を信じこませる「価値」であり、その「価値」は一般市民から隔絶した方が都合が良いのは、人が簡単には判断できない領域や蓄積を基にすれば、人々は検証をする意欲も無くなり無批判にその価値を絶対視しなければならないからだ。

実際、医者に癌だといわれて、自分で検証する事は不可能だろう。
つまりは、医者の権威を無批判に受け入れるしかないのだ。

文学もすでに、この「医師の診察」と同様に、ある種の訓練を経なければ十分その価値が汲み取れないほどの、高度な技術と、長い伝統を持ってしまった。

そんな「文学」と「一般市民」の断絶を埋めるのが評論家の役割で有るだろうが、今現在の「権威者」は自分の蓄積知識を基にして話を始めるため、そこまでの目配りが出来ていないと感じる。

そして言われた方は、何十年も文学をしてきた偉い先生方が良い本ていうにも関わらず、私には意味が分からない・・・・・私には文学なんて分からないんだとなり、ついに遠ざかってしまうのだ。

こうして、その「文学の権威」の成立が、「文学を衰退」させ、ついには「文学を殺す」のだ。

ダウンロード.png

この「権威」と一般世間との、はなはだし距離は最早埋めようがないぐらい乖離している。
この「権威」が謳う価値と、読者の持つ価値が、あまりにかけ離れているがゆえに「文学」離れを引き起し、ついには「文学」をこの世界から消滅せしめるのである。


文学の再生への提言
たとえば、夏の読書週間に古典的な文学作品を読ますのを即刻やめるべきだ。
今の小学生、中学生が読んで面白いわけがない。
ラノベの面白い作品を読んで、本て楽しいという実感こそが「文学」復活の第一歩だろう。


更に言えば、今「文学」にとって一番いいのは、アニメ作品を原作にして、誠実に読者を楽しませようと力を込めた作品を、最も力のある文学者に書かせることだ。

そこにアニメとは違う「文学」の価値を読者が感じられたら、少しは「文学」も長生きできるかもしれない。

村上春樹先生あたりに「あのはな」の執筆依頼されたらイカガでしょう?


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posted by ヒラヒ・S at 21:37| Comment(7) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

小説「永遠の0」

日本人にとっての戦争



評価:★★★    3.0点

この小説は、自らの祖父が特攻隊で第二次世界大戦中に死んだことを知った孫が、祖父と関わりのあった特攻隊隊員を訪ね、祖父と特攻隊、そして戦争について理解をしていく物語だ。
戦後日本が戦争を語ることに一種の躊躇を持ち、不明瞭にしか伝えられなかった結果として、戦争自体が現代の若者にとっては霧の中の影のように、実体を持たない姿としてイメージされているのではないだろうか。
そんな、世代が歴史を追及していくという構成は、戦争の現実を知るための入門ガイドとして巧みである。
評価として付け加えなければいけないのは、作者の優れたストーリーテーリングの技術によって、小説的な愉しみを間違いなく提供してくれるということだ。
また同時にその小説としての力は、作者が自らの信条を明瞭に開示した点、更に言えばその信念を広く伝えたいという思いによって強くなったのだと感じる。

その作者の姿勢は、戦争という歴史的評価を必要とする事実に向き合えない日本の現状を考えるとき、第二次世界大戦とは何だったのかと自己の心情を世に問うことは勇気が必要だったろうし、素直にその点は評価すべきであろう。

作者の思いを小説から汲み取れば、当時の戦争指導部から強要されて特攻隊の隊員は望まない死を、国のため家族のため献身的に受け入れた英雄的存在だということになろうか。
それは同時に、戦争指導層の非人間性を描いてもいる。

この小説が語るところを、上の文章が的確に捕らえているとすれば、個人的に、この小説はある種の誤謬、もしくは欺瞞を含んでいると思う。
その点を看過するのは、戦争で犠牲になった人々の死を正しく受け止め、未来に向けて有益な継承と成り得ないと思われるがゆえに、ここから後の文章を書く衝動に駆られた。

この小説において疑問に思うのは、特攻隊員の主人公が「海軍一の卑怯者」といわれるぐらい生に執着しているという設定が、あまりにも強調されすぎている点にある。
それは、主人公だけではなく、生き残りの隊員の言葉として「誰が死にたいと思うものか」とか、「特攻に志願せざるをえない状況だった」「遺書は検閲があるから死にたくないとは書けなかった」等の記述もあり、本書を通じて特攻隊員は生き永らえたい思いに満ちていたと印象付けられていないだろうか。

それゆえ、そんな生きる希望を断ち切って特攻に赴くと描かれるとき、特攻隊員達のその英雄的な姿が強く立ち上がる。

同時に、そんな兵士を死に追いやった、軍上層部の非人間性の描写が成される。

しかし、実際の特攻隊員の生存者や、戦時中の兵士達の証言を総合すれば、生きることに執着しているというよりは、むしろ如何に死ぬかを考えて戦っていたという方が実相ではなかったか。
さらに死に向かう精神は、兵士だけではなく、軍指導層も同様のメンタリティーの下で、作戦の立案および兵の運用を行っていたとしか思えない。

歴史的に言っても明治以降の日本政府と日本人は、西洋列強による圧力に抗するため、富国強兵の名の下に国家国民の戦闘力の増強に全力を傾注してきた。
そこで援用された兵士としての理想像こそ武士道であり、武士道とはそもそも主君のために死をも厭わない、己を殺し公に尽くす「滅私奉公」の道として在った。
それゆえ武士道を記した「葉隠れ」には「武士道とは死ぬことと見つけたり」と書かれていたのである。

文化的に言っても、日本民族を支えてきた主要産業の農耕稲作は、共同作業としての同時性・均一性を要求するため、突出した個性を嫌う。
そんな農耕文化の中で、日本人は1千5百年を優に越える年月の間に代を重ね、共同体に対する規律と忠誠は骨の髄まで沁み込み、同時に個としての己を主張することは反道徳的行為と見なされる文化を築き上げた。
結果的に、戦後になって強い個人、優れた個性を構築しようとした「ゆとり教育」という実験が、あっという間に雲散霧消してしまったのは、日本文化の形と本質的に相容れなかったからであろう。

さらに、そんな日本人の共同体に対する、飛び抜けて強い献身を促す理由として生物学的な原因を上げることも出来る。
現代生物学における知見では、生物の究極の目的は自らの遺伝子を如何に多く次世代に残すかであると、規定される。
例えば、一つの蜂の巣では女王蜂の遺伝子を共通して持つ蜂で構成されるため、最も効率よく自らの遺伝子を残す為に、巣の蜂が一匹でも多く残る道を選択する。
結果として外敵に巣が襲われたときに、ミツバチは己の死を省みず戦いを挑むのは、個としての蜂の持つ遺伝子は一個に過ぎないが、巣の遺伝子(蜂)は数千の単位になるため、巣のために死ぬほうが効率よく遺伝子を残せるからである。
この生物学的定義を、同じ生物としての人間に援用するのは間違ったことであろうか?

つまり、源平藤橘という日本人の家系が在るが、この天皇を祖とする血脈の濃さは、世界的に言っても飛び抜けて均一な遺伝子として残りはしまいか。
例えば、アメリカ的な多民族国家と比べ、その遺伝的形質が均一なのは明瞭であり、生物学的に言っても日本人が己の帰属集団に対する献身を促されると想定するのは、暴論とも思えない。

つまり、文化的、産業的、生物学的に言って、日本人は飛び抜けて共同体に対する献身度が高く、更に明治以降の国民皆兵の教育により第二次世界大戦当時の男子は、国家に命を捧げることこそ本懐とするほどに強い献身精神を持っていたと考えざるを得ないのだ。

結局、この小説に描かれた「命を惜しむ」兵士というのは、もし仮に存在していたとしても少数派であり、極めて特殊な存在だと言えるだろう。
むしろ子供の頃から「尽忠報国」「忠君愛国」の教育の基、国家に奉仕することを人格形成の目標とされ育ったはずの人間が、この小説の「死を惜しむ」ような性格を保持するとなれば、すでに社会的に不適応な性格破綻者と見なさざるを得ないだろう。
そんな特殊なキャラクターをして、特攻隊兵士を代表させ、あまつさえ、死にたくないのに自ら死に赴く姿を描いて、英雄的な印象を強く表現するというのは、やはり欺瞞といわざるを得ない。

さらに、この欺瞞の上のヒーロー像を基に、特攻隊兵士達の献身の姿を英雄として賞賛しようという作者の意図が、この小説中に描かれているが故に「危険」だと思うのだ。
この特攻で散っていった命に対して、現実の姿を越えて英雄として意味づけようとすることも、この特攻兵士の英雄像のために、時の軍部の非道を強く印象付けようとすることも、いずれも当時の日本の現実から懸け離れた形で描写することは、英霊に対して礼を欠く事になるだろう。

以上のことから、この小説に描かれた特攻隊員の姿とそれを基にした英雄像を、読む者が無批判に受け入れてしまうことに危機を感じた。


それを踏まえて、ここから先は、個人的な特攻隊員に対する思いを書かせて頂きたい。
個人が自らの命を捨てて祖国のために順ずる行為は、世界共通で英雄的行動と見なされることは、インターネットの「KAMIKAZE」に対する海外からの書き込みを読んでも、程度の差はあるとしても、間違いない事実だろう。
しかし、ここで考えなければならないのは、上で述べた日本民族の特殊性であろう。

つまり日本人はその民族的特性を前提にしたとき、個人の意思よりも帰属集団の利益を優先する事を当然と考えはしないだろうか。
それは戦前には国民的了解事項として、現代でも会社における労働を検証してみれば、暗黙の内に同様の行動様式を保持していると考えざるを得まい。

その結果として構成される社会は、集団のために個人が犠牲になることを当然と考える共同体となって現れるだろう。
実際その日本組織の究極の姿が、戦前の日本軍であっただろう。

例えば、当時の戦闘機の世界的標準を遥かに凌駕したゼロ戦が生まれたのは、徹底的な軽量化をした結果であり、その軽量化された部品こそパイロットの命を守るべき「防護板」であり「燃料タンクの防弾ゴム」だった。
結局、この日本軍の命を軽視した兵運用思想を反映した「ゼロ戦」は、操縦士の命の危険と引き換えに、高性能を獲得したのである。
このように、個人を犠牲にすることを厭わない日本人であり日本軍であったが故に、最終的に特攻隊兵士の死があるのであり、軍部が本土玉砕を唱えることとなったのである。
たとえば、このとき軍上層部は非人道的な作戦を立て、多大なる犠牲を兵と国民に強いた。
しかし、それはこの軍指導層の将士も最終的には自らの命を国家に捧げる覚悟があったがゆえの、命令だとも思える。
いろいろ捕らえ方はあるかと思うのだが、終戦時に特攻を命じた大西司令も含め、自害した軍指導者層が多数いたことを考えれば、やはり彼らも個人の利害を超越して国家に献身するという、日本人の資質を持っていた傍証ではないだろうか。

つまり、最終的に終戦の聖断が下されなかったとすれば、日本国民は一体となって「一億層玉砕」に向けて、従順に死に続けた事だろう。

同じ日本人として、自ら属する集団のために身命を捧げるこの民族的な特性を、美しいと感じてしまう自分がいるのを否定できない。
しかしその特性は同時に、個人を「ないがしろ」にして、平気で切り捨てる社会を構成しうる「危険」も併せ持つのだということを、忘れてはならないだろう。
更に言えば、濃密に結びついた集団は、集団外の者に苛烈に対処する傾向を持つ。

やはり強い集団的帰属意識は、その集団に属する個人や、集団外の人々に対して、犠牲を強いるのだという事実を確認しておかなければなるまい。

結果的には、その事実を証明する為に、特攻隊員達はその若い命を散らしたのではなかったか。
だからこの国は絶対戦ってはならないのだと、英霊達が告げていると私には思える。


関連レビュー「映画・永遠の0」:http://hirahi1.seesaa.net/article/432105938.html

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ラベル:百田 尚樹
posted by ヒラヒ・S at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする