原題:龍爭虎鬥/英語題: Enter the Dragon 製作国アメリカ・香港合作 製作年1973年 上映時間 98分 監督 ロバート・クローズ 脚本 マイケル・オーリン |
評価:★★★★☆ 4.5点
はじける汗、怒張し蠕動する筋肉、辛苦ゆえにVの字に歪む顔、震える拳、舞踏家を超える切れの良い拍動と、ソプラノ歌手よりも高いと思える化鳥音。
ブルース・リーは映画史上初めて、その肉体のみでアクションを完結し得たスターだった。
そして同時にブルース・リーによって、映画内でアクションを描く比率が格段に高められたように思う。
これは明らかに、アクション映画史に残る革命的な作品だった。
<目次> |
映画『燃えよドラゴン』ストーリー |
少林寺の組手が行われている。そこでリー(ブルース・リー)は圧倒的な力を見せ相手を倒した。
その見事な技に、少林寺で学ぶ少年が教えを乞うと、リーは「考えるな感じろ」と諭すのだった。
そんな彼の元に、国際情報局のブレイスウェイト(ジェフリー・ウィークス)が訪れ、悪に染まり少林寺を破門になったハン(シー・キエン)が開く武術トーナメントに参加し、ハンの犯罪の証拠を探って欲しいと頼んだ。リーは妹スー・リン(アンジェラ・マオ)が、ハンの手下オハラ(ボブ・ウォール)によって殺されたと知り、潜入捜査を引き受けた。
ハンのトーナメントが行われる島にリーが到着してみると、そこはは要塞化されており、その庭では大勢の男達が武術の訓練を行っていた。その中にはマフィアに追われるローパー(ジョン・サクソン)や、警官に暴行し逃げているウィリアムズ(ジム・ケリー)もいた。トーナメント前のパーティーの後、リーは数か月前から潜入していた諜報員メイ・リン(ベティ・チュン)と接触し、メイはハンに呼び出された女性が次々と姿を消すと伝えた。
翌日始まったトーナメントでは、ウィリアムズとローパー勝ち進む。その夜リーが密かに調査を開始するが、警備員達に見つかり危うい所を逃げ切った。翌日のトーナメントではリーは妹の仇のオハラと戦い、その命を奪った。ハンは前夜のリーの潜入調査の犯人としてウィリアムズを疑い、金属の義手を着けたハンに殺される。さらにハンはローパーを呼ぶと、麻薬工場を見せられ部下になれと誘われた。トーナメントの真の目的は優秀な部下を探すことにあった。その夜、リーも麻薬工場など犯罪の証拠を発見し、情報局に通報したもののハンの部下に追われ、激しく抵抗したものの捕えられてしまった・・・・・・・
映画『燃えよドラゴン』予告 |
映画『燃えよドラゴン』出演者 |
リー(ブルース・リー)/ローパー(ジョン・サクソン)/ウイリアムス( ジム・ケリー)/タニア(アーナ・カプリ)/オハラ(ボブ・ウォール)/ハン(シー・キエン)/スー・リン(アンジェラ・マオ)/メイ・リン(ベティ・チュン)/ブレイスウェイト(ジェフリー・ウィークス)/ボロ(ヤン・スエ)/パーソンズ(ピーター・アーチャー)
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映画『燃えよドラゴン』解説 |
その理由は「アクション=活劇シーン=暴力」を描くことへの、抵抗や躊躇を消失せしめた点にある。
「アクション=活劇映画」の歴史は、映画の歴史とほぼ時を同じくすると言えるが、その歴史は勧善懲悪という「道徳=モラル」から自由ではなかった。
そしてまた、本来「アクション」とは「暴力」であるという事実を考えるとき、暴力シーンを見て楽しむ自らの免罪符として「悪を倒す」という「正義の力」として使われることで、観客たちは安心してカタルシスを楽しめた。
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しかし、この『燃えよドラゴン』のドラマツルギーの脆弱さ、映画的な説得力の欠如という、映画表現としての致命的な拙劣さが、むしろ逆に「アクション=暴力表現」のみが突出した作品として成立した時、むしろ理も非も無い「暴力行為」によっても人は快を感得するのだと知ってしまった。
再び言葉を変えて言うが「正義の勝利=善悪=倫理」などに関わりなく、モノを壊したり、人を倒すこと、つまりは破壊行為自体に、人は「カタルシス=快感」を感じ得るのだと、この映画『燃えよドラゴン』によって否応もなく露わになったのだ。
そんな、ブルースリーが証明したアクション革命の本質を、整理してみよう。
○アクション映画の感動は、そのアクションが行われる理由=動機が重要ではないという事。
○そして、アクションの見栄えがよければ、それだけでヒットするという事。
この二つの条件が重なって生れた「アクション映画」は、感情的な背景の無い、アクションが延々と続く、いわば「アクションの抽象化」を表現したものとなった。
そのもっとも美しい結実がこの「燃えよドラゴン」であると考える。
この映画内で示された、肉体の、筋肉の束の、動くそのさまは、もはや純粋芸術と呼ぶべきであろう。
その美しさの前では、ストーリーや演技はただの邪魔者、夾雑物に過ぎまい。
もちろんこれは、あたかも最高峰のバレーダンサーのように、卓越した身体能力と美しい肉体表現を持ったブルース・リーなればこそ、可能な結果だった。
しかしブルース・リー以降、彼ほどの「抽象アクション表現力」が無いにも関わらず、「アクション量=ヒット映画」という図式を持ちこんだ「アクション劇」映画が増えて行く。
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しかし、そのアクション抽象力にブルースリーの表現力を望むべくもなく、結果的に今日のワイヤーアクションやFXの氾濫をもたらすことになったと、思えてならない。
そして昨今のアクション満載の映画を見るとき、肉体一つで圧倒的な「表現力」を持ち得た、ブルースリーの凄さが改めて際立つのである。
やはり天才的パフォーマーというべきだろう。
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映画『燃えよドラゴン』感想 |
それが純度を上げていったときに、「アクション」の本質が露わになってしまったとも思える。
はじける汗、怒張し蠕動する筋肉、辛苦ゆえにVの字に歪む顔、震える拳、舞踏家を超える切れの良い拍動と、ソプラノ歌手よりも高いと思える化鳥音。
そして戦いが終わった後の、深い溜息。
重い疲労と、冷めやらぬ熱に火照った体。
荒れた呼吸。
・・・そして・・・・虚無感。
男性にとっても、女性にとっても、アクション映画がある種のカタルシスを持つのは、西部劇の銃撃や、殴り合い、カーチェイスにしても、やはり、「セクシャルな行為」の代償表現であること・・・・・・・・それが無意識のうちに了解されているからこそであろう。
ブルース・リーの躍動する裸体をスクリーンいっぱいに見て、何も「考えずに」「カンジ」たとき、その事にハッキリと気づかされた少年が、私です・・・・。
<『燃えよドラゴン』考えるな感じろ>
【意訳】リー:考えるな!感じろ。指が月を示すようなものだ。(叩く)指に集中するな。その先にある栄光を逃すぞ。
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以下の文章には 映画『燃えよドラゴン』ネタバレがあります。 |
(あらすじから)
ハンは、捕えたリーを部下となったローパーと戦わせようと命令するが、ローパーはハンを裏切りリーについた。
ハンは屈強な手下ボロ(ヤン・スエ)とローパーを戦わせるが、ローパーはボロを打ち負かす。
怒ったハンは手下を一斉に2人に襲い掛からせたが、リーとローパーは片っ端から打ち倒していく。
その時、女諜報員メイが、ハンに捕えられていた囚人達を解き放ち、彼らがハンの手下目掛けて襲い掛かる。形勢不利を悟ったハンは、邸内へと逃げた。
それを追ってアジトの奥深くに侵入したリーは、鏡の間に待ち構えるハンと一対一の闘いを繰り広げる。
映画『燃えよドラゴン』結末 |
ハンを倒したリー。彼が地上に出てみると、そこには敵を制圧したローパーが、精根尽き果てたように座り、傍らにはメイが息絶えていた。そのローパーとリーの頭上に諜報部のヘリが近づき、事件は終わりを迎える。
ラベル:ブルース・リー