2020年01月24日

映画『燃えよドラゴン』アクション映画の古典/あらすじ・解説・感想・ネタバレ・ラスト

「考えるな!感じろ!」

原題:龍爭虎鬥/英語題: Enter the Dragon
製作国アメリカ・香港合作
製作年1973年
上映時間 98分
監督 ロバート・クローズ
脚本 マイケル・オーリン


評価:★★★★☆ 4.5点



はじける汗、怒張し蠕動する筋肉、辛苦ゆえにVの字に歪む顔、震える拳、舞踏家を超える切れの良い拍動と、ソプラノ歌手よりも高いと思える化鳥音。

ブルース・リーは映画史上初めて、その肉体のみでアクションを完結し得たスターだった。
そして同時にブルース・リーによって、映画内でアクションを描く比率が格段に高められたように思う。

これは明らかに、アクション映画史に残る革命的な作品だった。

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<目次>
映画『燃えよドラゴン』ストーリー
映画『燃えよドラゴン』予告・出演者
映画『燃えよドラゴン』解説/アクションの革命
映画『燃えよドラゴン』感想/アクションとヰタ・セクスアリス
映画『燃えよドラゴン』ネタバレ・結末

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映画『燃えよドラゴン』ストーリー


少林寺の組手が行われている。そこでリー(ブルース・リー)は圧倒的な力を見せ相手を倒した。
その見事な技に、少林寺で学ぶ少年が教えを乞うと、リーは「考えるな感じろ」と諭すのだった。

そんな彼の元に、国際情報局のブレイスウェイト(ジェフリー・ウィークス)が訪れ、悪に染まり少林寺を破門になったハン(シー・キエン)が開く武術トーナメントに参加し、ハンの犯罪の証拠を探って欲しいと頼んだ。リーは妹スー・リン(アンジェラ・マオ)が、ハンの手下オハラ(ボブ・ウォール)によって殺されたと知り、潜入捜査を引き受けた。
ハンのトーナメントが行われる島にリーが到着してみると、そこはは要塞化されており、その庭では大勢の男達が武術の訓練を行っていた。その中にはマフィアに追われるローパー(ジョン・サクソン)や、警官に暴行し逃げているウィリアムズ(ジム・ケリー)もいた。トーナメント前のパーティーの後、リーは数か月前から潜入していた諜報員メイ・リン(ベティ・チュン)と接触し、メイはハンに呼び出された女性が次々と姿を消すと伝えた。
翌日始まったトーナメントでは、ウィリアムズとローパー勝ち進む。その夜リーが密かに調査を開始するが、警備員達に見つかり危うい所を逃げ切った。翌日のトーナメントではリーは妹の仇のオハラと戦い、その命を奪った。
ハンは前夜のリーの潜入調査の犯人としてウィリアムズを疑い、金属の義手を着けたハンに殺される。さらにハンはローパーを呼ぶと、麻薬工場を見せられ部下になれと誘われた。トーナメントの真の目的は優秀な部下を探すことにあった。その夜、リーも麻薬工場など犯罪の証拠を発見し、情報局に通報したもののハンの部下に追われ、激しく抵抗したものの捕えられてしまった・・・・・・・

映画『燃えよドラゴン』予告

映画『燃えよドラゴン』出演者

リー(ブルース・リー)/ローパー(ジョン・サクソン)/ウイリアムス( ジム・ケリー)/タニア(アーナ・カプリ)/オハラ(ボブ・ウォール)/ハン(シー・キエン)/スー・リン(アンジェラ・マオ)/メイ・リン(ベティ・チュン)/ブレイスウェイト(ジェフリー・ウィークス)/ボロ(ヤン・スエ)/パーソンズ(ピーター・アーチャー)

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映画『燃えよドラゴン』解説


この映画はアクション映画の革命だと信じている。
その理由は「アクション=活劇シーン=暴力」を描くことへの、抵抗や躊躇を消失せしめた点にある。

「アクション=活劇映画」の歴史は、映画の歴史とほぼ時を同じくすると言えるが、その歴史は勧善懲悪という「道徳=モラル」から自由ではなかった。

そしてまた、本来「アクション」とは「暴力」であるという事実を考えるとき、暴力シーンを見て楽しむ自らの免罪符として「悪を倒す」という「正義の力」として使われることで、観客たちは安心してカタルシスを楽しめた。
関連レビュー:警察官の殺人と暴力と正義
映画『ダーティハリー』
クリント・イーストウッドの大ヒット刑事アクション
警官が悪党を撃ちまくる映画の正義

しかし、この『燃えよドラゴン』のドラマツルギーの脆弱さ、映画的な説得力の欠如という、映画表現としての致命的な拙劣さが、むしろ逆に「アクション=暴力表現」のみが突出した作品として成立した時、むしろ理も非も無い「暴力行為」によっても人は快を感得するのだと知ってしまった。

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再び言葉を変えて言うが「正義の勝利=善悪=倫理」などに関わりなく、モノを壊したり、人を倒すこと、つまりは破壊行為自体に、人は「カタルシス=快感」を感じ得るのだと、この映画『燃えよドラゴン』によって否応もなく露わになったのだ。

そんな、ブルースリーが証明したアクション革命の本質を、整理してみよう。
○アクション映画の感動は、そのアクションが行われる理由=動機が重要ではないという事。
○そして、アクションの見栄えがよければ、それだけでヒットするという事。
この二つの条件が重なって生れた「アクション映画」は、感情的な背景の無い、アクションが延々と続く、いわば「アクションの抽象化」を表現したものとなった。

そのもっとも美しい結実がこの「燃えよドラゴン」であると考える。
この映画内で示された、肉体の、筋肉の束の、動くそのさまは、もはや純粋芸術と呼ぶべきであろう。
その美しさの前では、ストーリーや演技はただの邪魔者、夾雑物に過ぎまい。

もちろんこれは、あたかも最高峰のバレーダンサーのように、卓越した身体能力と美しい肉体表現を持ったブルース・リーなればこそ、可能な結果だった。   
しかしブルース・リー以降、彼ほどの「抽象アクション表現力」が無いにも関わらず、「アクション量=ヒット映画」という図式を持ちこんだ「アクション劇」映画が増えて行く。
関連レビュー:アクション映画のアクション増加
映画『ブラック・ドッグ』
パトリック・スウェイジ主演のトラック爆走映画
そのアクション量の多さにビックリ!

しかし、そのアクション抽象力にブルースリーの表現力を望むべくもなく、結果的に今日のワイヤーアクションやFXの氾濫をもたらすことになったと、思えてならない。

そして昨今のアクション満載の映画を見るとき、肉体一つで圧倒的な「表現力」を持ち得た、ブルースリーの凄さが改めて際立つのである。

やはり天才的パフォーマーというべきだろう。

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映画『燃えよドラゴン』感想


天才ブルース・リーのもたらした「抽象アクション」。
それが純度を上げていったときに、「アクション」の本質が露わになってしまったとも思える。

はじける汗、怒張し蠕動する筋肉、辛苦ゆえにVの字に歪む顔、震える拳、舞踏家を超える切れの良い拍動と、ソプラノ歌手よりも高いと思える化鳥音。
 
そして戦いが終わった後の、深い溜息。 
重い疲労と、冷めやらぬ熱に火照った体。
荒れた呼吸。

・・・そして・・・・虚無感。

男性にとっても、女性にとっても、アクション映画がある種のカタルシスを持つのは、西部劇の銃撃や、殴り合い、カーチェイスにしても、やはり、「セクシャルな行為」の代償表現であること・・・・・・・・それが無意識のうちに了解されているからこそであろう。

ブルース・リーの躍動する裸体をスクリーンいっぱいに見て、何も「考えずに」「カンジ」たとき、その事にハッキリと気づかされた少年が、私です・・・・。
<『燃えよドラゴン』考えるな感じろ>

【意訳】リー:考えるな!感じろ。指が月を示すようなものだ。(叩く)指に集中するな。その先にある栄光を逃すぞ。

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以下の文章には

映画『燃えよドラゴン』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ハンは、捕えたリーを部下となったローパーと戦わせようと命令するが、ローパーはハンを裏切りリーについた。
ハンは屈強な手下ボロ(ヤン・スエ)とローパーを戦わせるが、ローパーはボロを打ち負かす。
怒ったハンは手下を一斉に2人に襲い掛からせたが、リーとローパーは片っ端から打ち倒していく。
その時、女諜報員メイが、ハンに捕えられていた囚人達を解き放ち、彼らがハンの手下目掛けて襲い掛かる。形勢不利を悟ったハンは、邸内へと逃げた。
それを追ってアジトの奥深くに侵入したリーは、鏡の間に待ち構えるハンと一対一の闘いを繰り広げる。
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映画『燃えよドラゴン』結末

ハンを倒したリー。
彼が地上に出てみると、そこには敵を制圧したローパーが、精根尽き果てたように座り、傍らにはメイが息絶えていた。そのローパーとリーの頭上に諜報部のヘリが近づき、事件は終わりを迎える。




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | 中国・香港映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

中国映画『初恋のきた道』初恋をする自由と経済/あらすじ・感想・解説・近代と恋愛・出演者・受賞歴

近代の通った道

原題 我的父親母親
英語題 The Road Home
製作国 中国
製作年 1999年
上映時間 124分
監督 チャン・イーモウ
脚本・原作 パオ・シー

評価:★★★★    4.0点



この1999年公開の中国映画『初恋の来た道』は、女優チャン・ツィーの瑞々しい魅力に満ちている。
この少女が映画内で初恋に落ちたのは、劇中のカレンダーから1950年頃である事が分かる。
中国の1950年代とは、日本軍を駆逐して中国共産党が毛沢東の指導の下、中国を導いていた時代である。
それは中国にとって長い冬の時代を抜けて、ようやく春を迎えた時期でもある。
そんな若々しい時代の心の動きを「初恋」に仮託し、その華やいだ景色を「チャン・ツィー」に象徴したように思える。

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映画『初恋の来た道』ストーリー

都会で暮らすユーシェンは、父親の訃報を聞き、遥々母のいる小さな農村へと帰郷した。父はこの村の小学校を40年以上、一人で支えた教師だったが、校舎の建て替えの陳情のために町に出かけた際に、心臓病で急死したのだ。
父の遺体を町からトラクターで運ぶという村長たち。だが、母のチャオディは、伝統通りに葬列を組み、棺を村まで担いで戻ると言い張った。葬列を組もうにも、村の若者は出稼ぎに出て人手が足りない。困り果てたユーシェンは、母と父の、若かりし日の出逢いを追想する。
母のチャオディが18歳の頃に、この村に初めて小学校が建つことになった。町から来た教師は、20歳の青年チャンユーだった。一目ぼれしたチャオディは、自分の数少ない服を、急いで赤から華やかなピンクに着かえた。古い時代のこの村では自由恋愛は稀で、アピールの方法もなかったのだ。
総出で校舎の建築を始めるチャンユーと村の男たち。女たちの役目は家で昼食を作り、持ち寄ることだった。チャンユーが食べるとは限らないのに、心を込めた料理を作業現場に運ぶチャオディ。学もなく、素朴な彼女に出来ることは、水汲みやキノコ採りの際にすれ違うことぐらいだった。
実はチャンユーも、村に着いた時に見た、赤い服のチャオディが目に焼き付いていた。だが、チャンユーは文化大革命の混乱に巻き込まれ、町へ連れ戻されることになった。チャオディに、赤い服に似合うヘアピンを贈り、村を去るチャンユー。
高熱があるのに、チャンユーを探しに町へ行こうとして倒れるチャオディ。二日間、眠り続けたチャオディが目覚めたとき、小学校から授業をするチャンユーの声が聞こえて来た。チャオディの病気を伝え聞いたチャンユーは、連れ戻されるのを覚悟で、許可も受けずに町から戻って来たのだ。
追想から覚めたユーシェンは、町から続く道が持つ母にとっての意味に気づき、村長に無理を言って葬列を組んだ。息子や教え子たちと共に、夫の遺体を村へ連れ帰るチャオディ。都会に戻る前にユーシェンは、建て替えの決まった古い校舎で一度だけ授業を開くのだった。(wikipediaより)

映画『初恋の来た道』予告


映画『初恋の来た道』出演者

チャオディ(チャン・ツィイー)/ルオ・チャンユー(チョン・ハオ)/ルオ・ユーシェン(スン・ホンレイ)/娣(チャオ・ユエリン)

映画『初恋の来た道』受賞歴

第50回ベルリン国際映画祭:銀熊賞 (審査員グランプリ)受賞

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映画『初恋の来た道』感想・解説


実際、世界史的に言っても1950年代というのは二度にわたる世界的戦争を経て、新たな世界体制が確立していく時代であった。
road_pos2.jpgこの世界を巻き込んだ大戦は、多大な犠牲を払いはしたが、結局「旧世界」の社会・経済・法律・政治などが「新世界」の秩序に生まれ変わる為に、必然的に持たざるを得ない衝突のようにも思えるのだ。
それゆえ衝突が終息したのち、世界は新たな息吹を勝ち得たのだ。

たとえば、この映画の中でも語られるように自由恋愛というものが、1950年頃には希有な事件であった。
そしてこれは、ただ中国だけのことではなく、日本や他のアジア各国においても、欧州においても、程度の差こそあれ最も「恋愛結婚」の比率が高かったアメリカでさえ、基本的には自由恋愛というよりは制度として「結婚」があったと見るべきであろう。

結局のところ、人類史の長きにわたって「結婚」とは社会を構築するための「制度」としてあった。
結婚して親となって一人前と言われたのは、「結婚」という「家族の単位」を構築していかなければ、社会が成立し得なかったためである。
例えば、かつて子だくさんだったのは基本的には、子供というのが労働力として重要だったからにすぎない。
つまり、結婚とその結果としての「家族=社会構成員」の増加が、社会的な生産力を増大させたのである。

こう整理して来れば「結婚」とは「権利」であるより「義務」としてあったと了解されるはずである。
関連レビュー:結婚制度の見た夢
『いつも二人で』
オードリーの結婚倦怠期
運命の恋の行方

その「義務としての結婚」が「権利としての結婚」にと移行していくには、上記の「生産性と結婚制度」の間の連環が断たれ、個人が自由意思において「結婚」を選択できる社会とならねばならない。

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実際上、その制度的な破壊は「恋愛」の力や「自由」に向かう意思など、崇高な精神に基づく力というよりは、単純に一つの要因によっていたと思える。

その要因とは、生産性の向上=「経済力」である。
つまり生産性が高くなれば、少人数でも社会を構成する事が可能となり、必然的に「結婚」という制度によって社会の維持を成さなくとも良い。
こうして、生産力の増大が社会制度としての「結婚」を変革せしめたのである。

そして、この1950年代こそ戦争により破壊された世界を再建するために、地球規模で経済活動が活性化された時期だったのである。

そして、経済の進展が間違いなく人々の自由を拡大し得た。
関連レビュー:50年代の社会変化
ジェームス・ディーン『理由なき反抗』

ジェームス・ディーンの世界初の青春映画
メソッド演技の輝き

関連レビュー:50年代の社会変化
『レボリューショナリー・ロード』

1950年代のフェミニズムとアメリカンドリームの行方。
ディカプリオとウィンスレットのタイタニック・コンビの壮絶バトル

そういう意味でこの映画は、人類全体が獲得した「経済力」が、人々に「自由」と「愛」をもたらしたという喜びの姿を鮮烈に捉えている。
なんて事を・・・・・・・
共産中国が生み出したこの映画を見たならば、共産主義の元祖「マルクス」だったら言うでしょうか。

しかし思えば、今はいろいろ揉め事もあるけれども、全世界ミンナで破壊から少しずつ幸福に向かって歩いてきたんだな〜と・・・・・・

そう考えると地球人類を愛おしく感じたりしました。



posted by ヒラヒ at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国・香港映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

映画『花樣年華』傑作!香港恋愛劇/ネタバレ・ラストシーン・結末感想・解説

映画『花樣年華』(ネタバレ・ラスト 編)

原題 花樣年華/英語題 In the Mood for Love
製作国 香港
製作年 2000年
上映時間 98分
監督 ウォン・カーウァイ
脚本 ウォン・カーウァイ


評価:★★★★    4.0点



このウォン・カーウァイ監督が描いた、フランス映画と見間違うばかりの、恋愛心理の交錯はどうだろう。
シーンの切替とシークエンスの長さが登場人物たちの感情とシンクロし、時として停滞し、時として熱気を帯び、ゆっくりと揺れるチャイナドレスの後ろ姿が、見る者の官能を刺激する。
この映画の官能は、ラテンの音楽や鮮烈な赤色の効果も有るとは思うが、どこか南国の凪いだような、とろりとした粘液質の空気を感じる。

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映画『花様年華』予告

映画『花様年華』出演者

チャウ(トニー・レオン)/チャン夫人(マギー・チャン)/スエン夫人(レベッカ・パン)/ホウ社長(ライ・チン)/ピン(スー・ピンラン)
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以下の文章には、

映画『花様年華』ネタバレ

があります。ご注意ください。

チョウは、シンガポールに旅立った。
彼は心のうちで、一緒にシンガポールに行こうと、チャン夫人に語りかけた。
<旅立つチョウ。残るチャン夫人>

チャン夫人は、チョウの部屋へと走ったが、すでに彼は旅立った後だった。
チャン夫人は、誰もいない部屋で一人座り、静かに涙を流した。
彼女は胸の内で、シンガポール行きのチケットがあれば、一緒に行けた?と問いかけた・・・・・・

1963年、チャン夫人はシンガポールに行き、チョウが留守中のアパートを訪れる。
そして、彼女が香港時代に残していったスリッパが、部屋にあるのを見つけ持ち帰った。
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チョウが、部屋に戻ると大事なスリッパが無くなっていることに気付き、管理人と揉めた。
そして彼は、灰皿に口紅を染み込ませたタバコを見つける。
チョウは同僚と夕食をべながら、古い時代には秘密を持つ者は、山の上に行き木の洞に秘密を囁き、それを泥で覆って隠したと話す。
チャン夫人は新聞社で仕事中のチョウに電話するが、彼が出ると彼女は何も言わず電話を切った。
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時は過ぎ香港。
チャン夫人はかつての大家スエン夫人が、アメリカに旅立つと知り訪問する。
彼女はスエン夫人が旅立った後の、空いた部屋を借りることにした。
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そしてチョウも、一時香港を訪れたとき、かつて住んでいた部屋を訪問する。
しかし、元の大家クー一家はすでに移住し、そこには新たな住人がいた。
チョウは隣のスエン夫人の部屋について尋ねると、今はスエン夫人は居らず、母と息子が住んでいると知らされた。
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チョウは隣に、チャン夫人とその息子が住んでいるとは知らず、扉の前で物想いに沈む。
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しかし、結局そのドアをノックすることなく去った。

時は過ぎた、もうあの時代は存在しないー

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映画『花様年華』ラストシーン

1966年チョウはカンボジアのアンコールワットを訪れる。
その廃墟となった寺院の壁の穴に、彼は何事かを囁いた。

そして泥で穴を塞いだ。

映画の最後は、下の文章で締めくくられる・・・・・
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過ぎ去った歳月はガラスを隔ててたかのよう。
見えてもつかめない。
彼は過去を思い返し続けた。
あの時そのガラスを割る勇気があれば、失った歳月を取り戻せただろう。

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映画『花様年華』結末感想・解説


この映画は、1960年代の香港が持つ、強いモラルにより隔てられた2人が、「禁忌=タブー」ゆえに、よりその欲望を沈潜させ深化させていく過程を描いた、非常にセクシャルでエロチックな恋愛劇だと感じた。

しかし、そんなこの映画を最後まで見て行くと、実は不明瞭な点があることに気付く。

それは、チャン夫人が香港で共に住む息子が、誰との間の子かという点だ。

個人的な印象としては、シンガポールに旅立つ前チャン夫人の「今夜は家に帰りたくない」という言葉を乗せて走り去ったタクシーの行方が、一夜の男女の関係に帰着したと思える。
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そして、その一夜が一つの命を結んだと見たい。
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そう捕えれば、シンガポールを訪ねたチャン夫人の目的は、チョウの子を宿したという報告であり、共に生きようという求めであったに違いない。

しかし、明らかにチャン夫人は翻意した。
なぜだろうかと、初見の時には混乱した覚えがある・・・・・・・・・

そして今回見て、チャン夫人が踏み出せなかった理由を、おぼろげながら感じるところがあった。
それは、香港の2人に生じた「恋」が、伴侶に裏切られていた2人の、特殊事情を反映したからこそ燃え上がった「恋」だと、チャン夫人には分かってしまったのではないか・・・・・・・・・・

つまりこの二人の恋が、伴侶の不貞があったからこそ、「強い倫理観」と、それをも超える「互いの執着」を生んだのだと、誰ひとり遮る者のいないシンガポールの地でチャン夫人は気付いた。
そのチャン夫人に生まれた、2人の「恋」に対する疑念。
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その「疑い」が、チョウへ電話までしながら、彼女に声を発する事をためらわせたのだろう。
この二人の「恋」が、そんな特殊な状況を背景として持っていたがゆえに、チャン夫人は「子供」の件を伝えればチョウを獲得できると知りつつも、仮にそんな理由でチョウと暮らしたとしても、それが香港の狂おしいほどの「恋」と似て非なる関係であることも分かってしまったのだろう。

そして、チョウと子供の家族水入らずの「幸福な人生」を捨て、彼女は「恋」の一瞬を永遠に封じ込める道を選んだのだ。
このチョウ夫人の「人生の実」よりも「恋の官能」を選ぶ姿に、「おんな」としての自分を永遠に刻み込んだ潔さを感じる。

考えてみれば、この映画の「恋」に限らず、あらゆる「恋」は障害により強まり、その純度を上げて行き、その官能の頂点で結ばれるのだとすれば・・・・・・・・・
チョウ夫人が選んだ道とは、この映画のラストで語られたように、その「恋」の頂点で結ばれる以外、恋を成就させることはできないと悟ってしまったがゆえの選択だったとも思える。

なぜなら頂点を超えれば、下るだけであるのは自明の理であるからだ・・・・・・・

そう思えば、チョウがアンコールワットで封じ込めた言葉は、「恋」の頂点を捉えられなかった男の未練であったように見え、さらにはそんな男たちの未練はアンコールワットの廃墟のごとく、過去の歴史の中で埋もれ堆積して今にその残滓を残して来たのだろう。



posted by ヒラヒ at 17:28| Comment(0) | 中国・香港映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする