2018年06月04日

映画『ニューシネマパラダイス』映画の中に出てくる映画タイトル/解説・ネタバレ・映画紹介

映画『ニューシネマパラダイス』(劇中映画解説 編)



原題 Nuovo Cinema Paradiso
英語題 Cinema Paradiso
製作国 イタリア フランス
製作年 1989
上映時間 123分
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽 エンニオ・モリコーネ

評価:★★★★★ 5.0点


この映画はイタリアの監督ジュゼッペ・トルナトーレが生んだ、間違いなく映画史に残る名作だと思います。
イタリアのシチリアを舞台にして繰り広げられる、ノスタルジックで甘美な物語です。
この作品には、映画こそ全世界だった時代の「黄金期の映画」の断片が、そこかしこに数多く埋め込まています。
とても全ては分かりませんが、可能な限りその映画作品タイトルを、探求したいと思います。
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映画『ニューシネマパラダイス』予告


映画『ニュー・シネマ・パラダイス』出演者

サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(少年期サルヴァトーレ・カシオ/青年期マルコ・レオナルド/中年期ジャック・ペラン/アルフレード(フィリップ・ノワレ)/エレナ(若年期アニェーゼ・ナーノ/中年期ブリジット・フォッセー:ディレクターズカット版)/マリア(中年期アントネラ・アッティーリ/壮年期プペラ・マッジオ/神父(レオポルド・トリエステ)/スパッカフィーコ:パラダイス座支配人(エンツォ・カナヴェイル)/イグナチオ:劇場の案内人(レオ・グロッタ)/アンナおばさん(イサ・ダニエリ)/広場の男(ニコラ・ディ・ピント)
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映画『ニュー・シネマ・パラダイス』解説

劇中挿入される映画紹介


この映画には、1930年代以降の映画がそこかしこに埋め込まれ、その映画の題名を可能な限り追求してみました・・・・・・・イタリア映画が多く分からない作品もありますが、参考までご紹介させて頂きます。
○9分:
映画館内ポスター『駅馬車』(1939)cinema-09.png
監督ジョン・フォード
出演ジョン・ウェイン
イタリア語の 「Ombre Rosse」題名が読める
○10分:
検閲される映画『どん底』 (1936) cinema-verso.png
監督ジャン・ルノアール
出演ジャン・ギャバン

○13分:
cinema-casa.png映写室のポスター『カサブランカ』(1942)
監督マイケル・クルーズ
出演ハンフリー・ボガード
イングリッドバーグマン
映写室のポスター「ローレル&ハーディー」
○19分:
cinema-019.pngトトが見た映画予告『駅馬車』(1939)
監督ジョン・フォード
出演ジョン・ウェイン

○21分
cinema-22.pngトトが見た映画『揺れる大地』(1948)
監督ルキノ・ヴィスコンティ
出演シチリアの島民

○22分
Cinema-chap-Nockout.jpgトトが見た映画『ノックアウト』(1914)
監督チャールズ・アヴェリー
出演ロスコー・アーバックル、チャールズ・チャップリン

○30分
cinema-30.pngトトが見た映画『ポー川の水車屋』(1949)
以下のクレジットからの類推
プロデューサー:カルロ・ポンティー
監督:アルベルト・ラットゥアーダ
音楽:イルデブランド・ピツェッティ

○31分
cinema-31.png映写室ポスター
@『チャップリンのカルメン』(1915)

監督・脚本チャーリー・チャップリン
出演 チャーリー・チャップリン
A『底抜け極楽大騒動』(1938)
監督ジョン・G・ブリーストーン
出演ローレル&ハーディ
B『望郷』(1937)
監督 ジュリアン・デュヴィヴィエ
出演ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン
C不明
○34分
映写室ブロマイド
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@「バスター・キートン」
A「クラーク・ゲーブルとジョーン・フォンティーン」
B「エリッヒ・フォン・シュトロハイムとグレタ・ガルボ」

○34分
映写室トイレポスター『血と砂』(1941)cinema-34-2.png
監督ルーベン・マムーリアン
出演タイロン・パワー、リタ・ヘイワース
ポスターにイタリア公開名「Sangue e arena」

○36分
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ポスター:左『The Black Arrow』(1948)
監督ゴードン・ダグラス/出演ルイス・ヘイワード
ポスター:右『アリババと40人の盗賊』(1944)
監督アーサー・ルービン/出演マリア・モンテス、ジョン・ホール
○37分
外看板ポスター『The Black Arrow』(1948)cinema-37.png
監督:ゴードン・ダグラス
出演:ルイス・ヘイワード

○41分
上映中の映画『無法者の掟』(1948)Cinema-41.jpg
監督:ピエトロ・ジェルミ
出演:マッシモ・ジロッティ、シャルル・ヴァネル

○41分
検閲中の映画『苦い米』(1949)cinema41.png
監督: ジュゼッペ・デ・サンティス
出演:シルヴァーナ・マンガーノ、ラフ・ヴァローネ
○42分
上映中の映画cinema-42.png
『ジキル博士とハイド氏』(1941)

監督:ルーベン・マムーリアン
出演:フレドリック・マーチ、ミリアム・ホプキンス
○43分
ブロマイド「リタ・ヘイワース」cinema-43.png
○44分
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ポスター@『玩具の国』(1934)

監督:チャーリー・ロジャース
出演:スタン・ローレル、オリヴァー・ハーディー

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ポスターA『ギルダ』(1946)

監督:チャールズ・ヴィダー
出演:リタ・ヘイワース
○上映中の映画:ニュース映画
○45分
ポスター『風と共に去りぬ』(1939)cinema-45.png
監督:ヴィクター・フレミング
出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル
○46分
上映映画『ヴィッジュの消防士たち』(1949)cinema-47.png
監督:マリオ・マットーリ
出演:トト
○46分
館内ポスター上下とも『風と共に去りぬ』cinema-46.png
○58分
映画上映 『アンナ』 (1952)cinema-58.png
監督:アルベルト・ラットゥアーダ
出演:シルヴァーナ・マンガーノ、ヴィットリオ・ガスマン

○1時間02分
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上映映画@『L’oro di Napoli』(1954)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
出演:ソフィア・ローレン、トト
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上映映画A『素直な悪女』(1956)
監督:ロバート・ロッセン
出演:ブリジット・バルドー
○1時間03分
壁のブロマイドcinemaH034.png
@クラーク・ゲーブル
A『つばさ』(1927)のチャールズ・ロジャース?
Bマリリン・モンロー
Cアニタ・エクバーグ?
Dマリリン・モンロー
○1時間04分
cinma_1h04.png上映映画@『暗黒街の顔役』か?


○1時間04分
cinema_1h04_29.png上映映画A『青春群像』(1953)
監督:フェデリコ・フェリーニ

○1時間13分
cinema_0103.png映画ポスター、『チェーン(Catene)』(1949)
監督:ラファエッロ・マタラッツォ
出演:アメデオ・ナザリ、イヴォンヌ・サンソン
○1時間16分
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館内上映『チェーン(Catene)』(1949)
映画ポスター『ビリーザキッド』(1941)
監督:デヴィッド・ミラー、フランク・ボーゼイギ/出演:ロバート・テイラー

○1時間16分
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エドモンオブライエンとラオル・ウオルシュという名前から・・・・・
館内ポスター、『白熱』(1949)
監督:ラオル・ウオルシュ
出演:ジェームス・キャグニー、エドモンド・オブライエン
○1時間29分
cinema_1h29.png屋外上映映画 『サンフレディアーノの娘たち (Le ragazze di San Frediano)』(1954年)
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
出演:アントニオ・シファリエッロ、ロッサナ・ポデスタ

○1時間31分
cinema_1h30.png屋外上映映画 『ユリシーズ』(1954年)
監督:マリオ・カメリーニ
出演:カーク・ダグラス、シルヴァーナ・マンガーノ


○1時間44分
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アルフレード邸の写真@映画『無防備都市』(1945) 
A映画『つばさ』?(1927)
Bクラーク・ゲ−ブル
C〜F分かりませんでした。

○1時間50分
cinema_1h50.png取り壊し前の映画館ポスター
『TRASGRESSIONI EROTICHE』
(1984年ポルノ映画)


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映画『ニュー・シネマ・パラダイス』解説

監督ジュゼッペ・トルナトーレのバック・ボーン


今更ながらこの作品が持つ、過去の映画に対する思いの深さ、強さが、劇中に入れられた数多くのオマージュによって証明されていると感じた。
それは、この映画を撮った監督ジュゼッペ・トルナトーレの、映画に対する愛情が洪水になって溢れ出たかのような膨大な量の作品群に圧倒される。
しかし実は、この監督は1956年生まれなのだ。
cinema_editer.jpgジュゼッペ・トルナトーレ(Giuseppe Tornatore、1956年5月27日 - )は、イタリア・シチリア島のバゲリーア出身の映画監督。自身で脚本も手がけることもある。
16歳の頃から舞台にかかわるようになる。イタリア屈指の名監督であり、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスト』は世界的に高い評価を得ている。また、自身が大の映画好きで、イタリア古典映画の復興活動などを精力的に行っている。(wikipediaより)


上で紹介した劇中作品を見れば、1984年製作のポルノ映画を除けば、最も製作年代が新しいものでも1956年の『素直な悪女』であり、それはこの監督の生まれた年なのである。
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つまり、この監督はこれらの映画に関して、長じてから後追いで見たことになる。その情熱と勉強熱心さに頭が下がる。

そんな映画を愛する監督が映画を語ったからこそ、この映画のエモーショナルな感動が生まれ、同時にノスタルジックな情感が醸成されたのだと思える。
それは残念ながら、映画の黄金期が既に過ぎ去って、この映画の製作年1989年当時には古びたメディア、老衰しつつあるコンテンツであることを、トルナトーレ監督自身が認めざるを得なかったがゆえに生まれた、懐古的センチメンタリズムだったろう。

さらに言えば、この劇中に登場する映画のイタリア作品の多さに驚くのだが、そんなイタリア映画に対する愛もその古き良き時代を偲ぶ心をより強くしていただろう。
実際、1989年当時のイタリア映画界は、一世を風靡したネオレアリズモ運動のロベルト・ロッセリーニ監督は 1977年に、巨匠ルキノ・ヴィスコンティも1976年には没し、名匠フェデリコ・フェリーニが一人気を吐いていたものの、しかしイタリア映画産業自体の製作本数の減少は、日本映画にも共通する危機を迎えていたのである。

そんなことを踏まえれば、先に挙げた『素直な悪女』の1956年当時が、全世界的に言っても映画産業のピークであり、それ以後はTVに押され衰退していったという事実が、この映画を愛する者からすれば悲哀を帯びたノスタルジックな色調となり、反映されていただろう。

そしてそんな映画の危機に対して、この作品のラストで語られたのは、トルナトーレ監督自身が受けた過去の映画作品からの溢れんばかりの愛を、映像作家として映画に返すのだという決意の表れだったと信じる・・・・
関連レビュー:ラストシーンの映画タイトルの紹介
映画『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る至高のラスト
映画黄金期へのラブレター



posted by ヒラヒ at 09:09| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

映画『ジンジャーとフレッド』巨匠フェリーニのノスタルジー/あらすじ・感想・解説・ハリウッド映画の理想

30年後のハリウッド・ダンス




評価:★★★★   4.0点



この映画は歳を取れば取るほど沁みてくる一本だと思います。
映像の魔術師フェリー二監督としては、珍しい人情話となっていると感じました。
こじんまりとまとまった印象ですが、その小品としての風情もまた愛らしい味わいが・・・・・・
巨匠フェリーニが描くノスタルジックなこの映画には、何かイタリア映画に共通する土の匂いを思わせる郷愁があるように思います。

映画『ジンジャーとフレッド』ストーリー


クリスマスで賑わう大都市ローマ。アメリア・ボネッティ(ジュリエッタ・マシーナ)は、駅に一人降り立った。かつて人気だったタップダンス・コンビ“ジンジャーとフレッド”として、TVの特別番組「さて、皆さん」の出演依頼を受けたのだ。“ジンジャーとフレッド”は1940年代に人気を博していたが、1950年代後半には引退していた。
番組出演者を乗せたバスに乗り込むと、フリークスやオカマ、ボディービルダーなどと同乗しホテルに入ったが、相棒のフレッド役のピッポ(マルチェロ・マストロヤンニ)の姿が見えない。しかし、ホテルでベッドに入るころ隣室にピッポがいることを知った。ピッポは、髪も白くなり、しわも増え、30年という歳月を感じさせたが、話すうちに心は通じ合った。翌日、二人はバスに乗せられると、いよいよテレビ局へと向かった。スタジオの舞台では目まぐるしく動き回るスタッフの準備が進み、いかがわしい出演者たちが舞台裏で待機していた。二人は昔の仲間トト(トト・ミニョネ)にも出会った。本番前に二人は、人目を避けリハーサルを行なった。しかしピッポは強気な言葉にも関わらず、いざ踊ってみると、息が切れ、目まいを覚えた。本番への不安がつのるピッポとアメリア。しかし、ついに司会者が二人を紹介し、“ジンジャーとフレッド”のタップが拍手に迎えられて始まった・・・・・・・

映画『ジンジャーとフレッド』予告



(原題Ginger et Fred/製作国イタリア・フランス・西ドイツ/製作年1985年/上映時間 2時間 7分/監督 フェデリコ・フェリーニ/脚本フェデリコ・フェリーニ、トニーノ・グエッラ、トゥリオ・ピネリ)

映画『ジンジャーとフレッド』出演者


アメリア(ジュリエッタ・マシーナ)/ピッポ(マルチェロ・マストロヤンニ)/司会者(フランコ・ファブリッツィ)/トト(トト・ミニョネ)


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映画『ジンジャーとフレッド』感想



主人公の二人の芸人は若いときに、ハリウッド・ミュージカルスターのジンジヤー・ロジャースとフレッド・アステアの、イタリアでモノマネをしてスターだったという設定です。
その二人が、30年ぶりにTVショーで踊るという企画を持ち込まれ、再開し出演する事になります。

もうこの設定だけで、なんとなく泣けてきちゃいます。
この二人の若い日と、今の様子を見て、30年の間にお互いイロイロな事が起こったかと思うと、大変だったろうな、会えて良かったな、などと一人かってに頷いたりして・・・・・・・
考えてみれば、ジンジャーとフレッドのモノマネをするというのだから、ハリウッド黄金期の1940年代に彼らは踊っていたのでしょう。
【本家のジンジャー・ロジャースとフレッド・アステア】

その輝くばかりのハリウッドのミュージカルをイタリアで見て、世界を想って踊っていた二人の若い時を思うと、その時の未来とは輝くばかりの世界として考えられていたように思います。
1945年に戦争が終わり、人々に暗い時代からの開放を実感させたのは、ハリウッドの輝くばかりの映画だったと当時の人々は言います。
その時代、地球上の人類は、みんなハリウッドに恋していたのです。
>
関連レビュー:ハリウッド・ミュージカルの傑作
『雨に歌えば』
サイレントからトーキーへの過渡期を描く
ミュージカルの大スター「ジーン・ケリー」の代表作

そんな「映画=アメリカ」と認識している世代だと、フェリーニ自身が告白しています。
<第65回アカデミー賞・フェリーニの栄誉賞授賞式風景>

プレゼンターのマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンがフェリーニを呼び込む。
【意訳】フェリーニ:どうぞ、座って、快適にしてください。
もしここで、少し居心地が悪いと感じるのは、それは私一人だけです。(プレゼンター・ソフィア・ローレンはフェリーニのストーリーテラーとしての功績を認めて彼に名誉賞を送ると読み上げ、オスカーを渡す。そしてキスを求める)
フェリーニ:長い、長い感謝を言うためにドミンゴ(プラシド:オペラ歌手)の声を持ちたいです。なんと言うべきか、私は本当に期待していなかったです、でも、ちょっとは(笑い声)・・・待って。でも、私は25年前には思っていなかったんです。いずれにしても、期待以上です。私は田舎の国の出身で、映画とアメリカが同一と思える世代に属します。そして、今、親愛なるアメリカの方々とここにいて、自宅にいるように感じます。
この状況ですので、寛大に、全ての人に感謝するのは容易です。まず第一に、当然、私と働いたすべての人々に感謝したいです。私は、誰でも候補者に指名できるわけではありません。どうぞ家内でもある女優の名前を挙げさせてください。
ありがとう、最愛のジュリエッタ。お願いだ、泣くのは止めて。
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ginger-dance3.jpgこの映画の『ジンジャーとフレッド』が若く美しく輝いていた時を想像し、30年後の姿を見るとき、そこに現れた衰えや疲労は、大げさに言えば人類に共通の戦後の歩みを体現したものだとも思えます。
30年前に感じた輝く未来は、30年を経たとき疲れた老年者として姿を現します。
そして出会った二人に生じる不協和音は、明るい未来を現実にできなった現代世界を象徴しているようにも思えるのです。
しかし、そんな衰え疲れた二人であってもまだ踊れるのだと、この映画は語っています。
どんなに混乱しても、どんなに不幸な時代を経ても、生きていればまだ踊れると語っています。
醜くても、無様でも、手に手を取って、励ましあって、ステップを踏み続ければ、踊れるのだと語っています。

そんなフェリーニのエールだと・・・・そう思えます。

けっきょく、ジンジャーとフレッドのハリウッド映画の描いた、「自由と自由主義」というアメリカの理想は、その後「東西冷戦」や「ベトナム戦争」を経てその光が色あせていきます。
むしろ、その理想的な未来はTV的な混乱と猥雑の中で、下卑た欲望に取って代わられたように思えます。

しかしそれでも、その夢を共有した人類は、その未来に向かってまだ踊り続けてもいいのではないかという、そんな呼び掛けを、この二人の姿に託したのだと信じたいのです。

それは、今までフェリーニが取ってきた、エログロ耽美の作品からまるで違う映画となっている事からも、この巨匠が、この作品にだけは違うメッセージを込めているように感じます。
関連レビュー:映像の魔術師フェリーニ
『カサノバ』
フェデリコ・フェリーニの濃厚映画
ドナルド・サザーランド主演の希代のイロゴト師

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映画『ジンジャーとフレッド』解説

フェデリコ・フェリーニ

フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)はイタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ。
ginger-fellini.jpgラジオドラマの原稿執筆などを経てロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』のシナリオに協力。同作品はイタリア・ネオレアリズモ映画を世界に知らしめた記念碑的作品である。
『寄席の脚光』(1950年)でアルベルト・ラットゥアーダとの共同監督にて監督デビュー。1952年の『白い酋長』で単独監督。この作品で音楽監督として起用されたニーノ・ロータは、『オーケストラリハーサル』に至るまでのすべてのフェリーニ作品で音楽を手がけることになる。三作目となる『青春群像』(1953年)では故郷の街とそこで生きているどうしようもない青年達の姿を描いてヒットを飛ばし、ネオレアリズモの若き後継者として注目された。ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。続く『道』(1954年)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、フェリーニの国際的な名声が確立する。(wikipediaより)
【監督作品】
寄席の脚光(1950年)/白い酋長(1952年)/青春群像 (ヴェネツィア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞を受賞、1953)/結婚相談所(オムニバス映画「巷の恋」より、1953年)/道 (ヴェネツィア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞、アカデミー賞外国語映画賞を受賞、1954)/崖(1955)/カビリアの夜 (アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭女優賞などを受賞、1957)/甘い生活(カンヌ国際映画祭パルム・ドール、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1959)/ボッカチオ'70第2話「アントニオ博士の誘惑」(1962年)/8 1/2(アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1963)/魂のジュリエッタ(ゴールデン・グローブ外国映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1964)/悪魔の首飾り(オムニバス映画「世にも怪奇な物語」より、1968年)/サテリコン(1969年)/フェリーニの道化師(1970年)/フェリーニのローマ(1972)/フェリーニのアマルコルド(アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞作品賞を受賞、1973年)/カサノバ(1976年)/オーケストラ・リハーサル(1979年)/女の都(1980年)/そして船は行く(1983年)/ジンジャーとフレッド(1985年)/インテルビスタ(モスクワ映画祭グランプリ受賞、1987年)/ボイス・オブ・ムーン(1990年)



映画『ジンジャーとフレッド』ラストの感想



映画によって育てられ、映画によって生活し、死ぬまで映画と格闘し続けたこの監督が、そのルーツとしてのハリウッド映画を回顧する、このノスタルジーと、過去に対する悔恨と、現代世界の逡巡を描いたように思えます。
しかしそれでもこの映画で、フェリーニは未来に向けて足跡を残さなければならないと、ハリウッドの描いた夢や理想を再び掲げるのだと、観客に告げているように感じました。

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そんな、黄金期ハリウッド映画への憧れを描いた映画。
関連レビュー:ハリウッド黄金期世代へのエール
『恋愛小説家』
アカデミー賞主演男優賞受賞
中年男のラブ・コメディー
関連レビュー:2017年のミュージカルの復権
『ラ・ラ・ランド』
アカデミー賞に輝くデミアン・チャゼル監督
エマ・ストーンとライアン・ゴズリング
関連レビュー:トト少年の映画への愛情
『ニューシネマパラダイス』
映画ファンに贈るノスタルジックな物語
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の出世作



posted by ヒラヒ at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

名作『ニュー・シネマ・パラダイス』映画ファンに捧げる感動作/感想・解説・評価・ラスト意味・考察

映画『ニューシネマパラダイス』(感想・解説 編)



原題 Nuovo Cinema Paradiso
英語題 Cinema Paradiso
製作国 イタリア、フランス
製作年 1989
上映時間 123分
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽 エンニオ・モリコーネ


評価:★★★★★  5.0点



この映画はイタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレの、間違いなく映画史に残る名作だと思う。
イタリアのシチリアを舞台にした、ノスタルジックで甘美な物語だ。
幼いトト少年と映写技師アルフレードが心を通わせていく様子を、美しく懐かしい音楽とともに描き出し、特に映画ファンであれば涙を禁じえない作品だと思う。

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映画『ニューシネマパラダイス』予告


映画『ニュー・シネマ・パラダイス』出演者

サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(少年期サルヴァトーレ・カシオ/青年期マルコ・レオナルド/中年期ジャック・ペラン/アルフレード(フィリップ・ノワレ)/エレナ(若年期アニェーゼ・ナーノ/中年期ブリジット・フォッセー:ディレクターズカット版)/マリア(中年期アントネラ・アッティーリ/壮年期プペラ・マッジオ/神父(レオポルド・トリエステ)/スパッカフィーコ:パラダイス座支配人(エンツォ・カナヴェイル)/イグナチオ:劇場の案内人(レオ・グロッタ)/アンナおばさん(イサ・ダニエリ)/広場の男(ニコラ・ディ・ピント)
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映画『ニュー・シネマ・パラダイス』解説



しかし、これまでに見てきたイタリア映画からすると、若干の違和感を感じたのも事実だ。
イタリア人というのは家族を大事にし、さらには「マンマ・ミ〜ア」という母系中心の家族体系だとの印象を持ってきた。

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しかしこの映画の場合、母親は主人公の「トト少年」を叱り、彼の望む場所、村の映画館の映写技師「アルフレード」から、強引と言ってもいい力で引き剝がそうとする。

また同時に、「母親こそが全て」のイタリア人少年であるはずなのに、「トト」は母から必死に逃れて「アルフレード」と時を過ごす方を選ぶ。

そして、この「トト」には、第二次世界大戦で戦死してしまって父親がいない。
その欠落を埋めるように「アルフレード」が、幼少期の「トト」を人間的に育てると映画は語っているように見える。
しかし、その文脈でいくと、母は親代わりのアルフレードを認めないことで、家族の絆を断ち切り、同時に「トト」は母よりも父を選ぶという、反イタリア的な家族の物語になってしまう。
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しかし、それなら何故これほどイタリア的なノスタルジックな主題歌を準備したのだろうか。

主題曲『ニュー・シネマ・パラダイス・テーマ』



いろいろと考えるうちに、彼「アルフレード」は真に父としての役割を担って、この映画に登場したのだろうかという疑問を持つようになった。
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本来「トト」の父であるならば、トトの母から頑なに拒否されていることに、やはり違和感を覚える。
また「トト」が「アルフレード」に対して異常に執着し、本来の親子にあるべき精神的な相克が見えないところも、本来の意味での「父親」という役割をこの映画の中で求められているとは考えづらい。
結局「アルフレード」は、映画内で、別の関係性を持って物語に登場しているのだと思われる。
その役割がはっきりするのは、物語の中盤である。
彼は映画フィルムを焼失する場で、失明する。

フィルムが焼けると同時に映写技師としての役割を喪失する、この共時性は、彼が映画の擬人化された象徴である事を意味するとしか思えない。

さらに、この「アルフレード」が「映写技師」を失明により続けられなくなり、その後を「トト」が引継ぐとき、それは「アルフレード」に変わって「トト」が「映画」となって生きるということを意味しただろう。
そう考えた時、「トト」は映画という幻影に育てられた存在であり、そして自ら「映画」を生きる者となったと考えるべきだろう。

そう考えてみれば、作中で映画が満ち溢れている事の意味に気づくはずだ。
関連レビュー:作品中の映画タイトルの紹介
映画『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る映画へのラブレター
映画黄金期の映画作品がちりばめられた作品

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それゆえ、母が厳しい叱責と共に、幼少期に息子を「映画=アルフレード」から引きはがそうとする理由も了解されるのである。

母親には分かっていたのだ、現実を生きない者が不幸になる事を・・・・
あまりに美しく、完璧な世界を目にしたとき、それが「幻影=映画」だと分かっていても・・・・
人は愛し執着するものではなかろうか。

そしてまた、美しい幻影に生きてしまえば・・・・
現実世界が醜く、猥雑で、嫌悪すべき場所に思えてきはしまいか。

なるほど現実は生きられねばなるまい・・・・・・しかし生きるのが困難なのが現実でもある。
トト少年は父の不在という辛い現実を、「映画」を「父」として生き抜いたのだ。
もし現実に適合できなかったならば、それは「親=映画」の責任に違いない。
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そう思えば、青年、成人となった「トト少年」の現実世界の不幸は、「幻影」に依存してきた者の当然の帰結であったかもしれない。

そして現実世界に絶望した「成人トト」は、「美しき幻影=映画」の中で人生を生きざるを得ない。
結果的に「トト」は「映画監督」として成功した。

しかし、それは映画文脈の上から追って行けば「現実世界不適合」を意味すると解釈すべきだと思う。
結局、この映画で語られる「幻想世界と現実世界の対立」は、現実を生きなければならない人間にとって、常に幻想に生きる者の「現実世界での敗北」で終わるという自明の結論に至らざるを得ない。

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映画『ニュー・シネマ・パラダイス』感想

ラスト・シーン意味



しかし ―

監督ジュゼッペ・トルナトーレは、自らも幻影に育てられた一人として、この映画の「最後=ラストシーン」で語る。
無限の慈しみを持って、郷愁とともに、「トト少年」が如何に幸せで、豊穣で、歓喜に満ちていたかを。
目くるめく幻影イマージュの内にある事がどれほど幸福であったかを。


そして、映画を愛してきた私は思う ―

それらの美しきイマージュ達こそ、自分自身に他ならないことを。
どんなに現実が苦しいものになっても、自らを創っているイマージュに殉ずる運命にあることを。
その「運命」を引き受てでも、美しき幻影たちとともに生き続ける価値が在ると、この映画のラスト「華麗な愛のシーン」が教えてくれる。

このラストを見れば―
映画という幻影に、溢れるほどの愛情を注ぎこんだ先人の映像作家達を思えば―
やはりこう言わざるを得ないだろう・・・・・

シネマ・パラディソ。

映画こそ天国。

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posted by ヒラヒ at 18:12| Comment(4) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする