2021年06月05日

映画感想『無防備都市』ネオ-リアリズモ代表作・で、これリアリズム?/考察・脚本家フェリーニ・映画史解説・ネタバレなしあらすじ

原題 ROMA, CITTA, APERTA
英語題 OPEN CITY ROMA
製作国 イタリア
製作年 1945年
上映時間 103分
監督 ロベルト・ロッセリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
原案 セルジオ・アミディ


評価:★★★☆  3.5



この映画はロベルト・ロッセリーニ監督の、イタリア・ネオ・リアリズムを代表する1本だ。

映画のストーリーには実在のモデルがおり、その戦いを描くことでドイツ軍占領期の犯罪的行為を糾弾するものだった。

しかし、実際映画を見ていると、リアリティーを重視するネオ・リアリズム映画でありながら、サービス過剰なほど劇的な脚本となっている点に違和感を覚えた・・・・・・
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<目次>
映画『無防備都市』簡単あらすじ
映画『無防備都市』予告・出演者
映画『無防備都市』解説
映画『無防備都市』考察
映画『無防備都市』感想

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映画『無防備都市』あらすじ


1944年第二次世界大戦末期、ドイツ占領下のローマの夜。ドイツ軍SS部隊は、レジスタンスのリーダーであるマンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)のアパートを急襲したが逃がした。ドイツ占領司令部ではゲシュタポの高官・ベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)は、徹底的な調査を命じる。マンフレーディは同志フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)を訪ね、そこで彼はフランチェスコの婚約者ピナ(アンナ・マニャーニ)と出会う。マンフレーディは、レジスタンスの援助者カトリック司祭ドン・ピエトロ・ペレグリニ神父(ルド・ファブリーツィ)に連絡を取った。ゲシュタポ・ベルグマンのもとにマンフレーディの恋人マリナを薬漬けにしたイングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)が現れ、マリナ(マリア・ミーキ)を通じてマンフレーディを追うと言った。そして、翌日ピナの婚礼の朝、ドイツ軍がピナのアパートを包囲し、一軒残らず捜索が開始されフランチェスコも捕まる。彼を乗せたトラックを必死に追いかけたピナに、ドイツ軍兵士の短機関銃が火を噴いた―
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映画『無防備都市』予告

映画『無防備都市』出演者

ドン・ピエトロ・ペレグリニ神父(ルド・ファブリーツィ)/ピナ(アンナ・マニャーニ)/ジョルジオ・マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)/フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)/マリーナ・マリー(マリア・ミーキ)/ベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)/イングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)/マルチェロ(ヴィト・アニチアリコ)/ローラ(カーラ・ロベール)

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映画『無防備都市』感想


この作品は、イタリア・ネオ・リアリズモの代表作として、古典的な評価が認められた一本だ。

ネオ・リアリズモは第二次世界大戦後の、イタリア社会の混乱を受け、その影響を最も受けざるを得なかった、庶民大衆の困窮を何とか救おうとする、社会主義的な訴えを持った作品群である。

その当時のイタリアの戦後の破壊と悲惨を映すためには、最も直截にそこで繰り広げられる光景をただ記録するドキュメンタリーこそ相応しいだろう。

それゆえ、ネオ・リアリズモは、チネチッタ映画スタジオの破壊という理由があったにしても、町に出てロケーション撮影を旨とし、俳優も極力素人を起用したのである。

そんな、「リアリズモ=リアリズム表現」に最も意を払った作品が、ルキノ・ビスコンティー監督の『揺れる大地』であり『自転車泥棒』だったろう。
関連レビュー:ネオ・リアリズモの代名詞
『自転車泥棒』
イタリア・ネオ・リアリズモの代表作!
第二次大戦後の貧窮のイタリア社会描いた古典


しかし、この『無防備都市』である。
正直な感想を言えば、この映画をネオ・リアリズモの代表作と言うには抵抗がある。
なぜなら、ネオ・リアリズモが目指したのがドキュメンタリ―的な現実の記録「ノン・フィクション的表現」だとすれば、これは明らかに、虚構「フィクション表現」のドラマとして高い完成度を持っている。

たとえば、少年レジスタンスの爆弾を隠すために神父が奮闘するシーンは、笑いを伴うスリリングな描写であり、結婚式当日に婚約者を奪われた花嫁が撃ち殺されるシーン、愛する男を敵に売る切ない恋心など、ドラマの要素が非常に強く豊富であり、それを表現する役者もプロの俳優なのだ。

本作は、ロッセリーニ監督の他作品『ドイツ零年』や『戦火の彼方』に較べても、明らかに華麗でドラマチックな作品である。
そして、その「高いドラマ性=フィクション性」を、この作品に注入したのは脚本に名を連ねた、後に巨匠となるフェデリコ・フェリーニの力が大きかったのではないかと想像している。
関連レビュー:芸術家フェリーニの肖像
『魂のジュリエッタ』
フェデリコ・フェリーニの芸術性の高さを証明する作品
魔術師フェリーニのビジュアルセンス

彼はこの映画に参加を促された時、いまさらドイツ占領期を映画にしてもと渋ったと言う。
映像の魔術師と称されたフェリーニ(写真)にとってみれば、暗く遊べる余地の少ないネオ・リアリズモ映画の方向性、表現様式は、肌に合わないものだったに違いない。
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それゆえ、この作品をフェリーニ的なドラマ性で彩ったのではなかったか?
そういう意味で、この映画は本来のネオ・リアリズモとは違う文法で表現され、またそれゆえにここまでの世界的にヒットに結び付いたと思える。
それはこの映画が、ドラマチックな物語で、俳優の迫力ある演技の力が際立っているからであり、それはリアリズムの力と言うよりは、フェリーニの注入した「フィクショナル=虚構性の力」のもたらした効果だったろう。

しかし、理由は何にせよ、この映画のヒットによりネオ・リアリズモは戦後映画界の大きなトレンドとなったし、同時に世界中の戦火に打ちひしがれた人々の代弁者と成り得る様式を生んだのである。

そう言えば、この映画で明確にリアリズムと呼べる要素に言及するのを忘れていた。
それは、暴力シーンである。

この映画の、ヒロインの射殺されるシーン。
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さらに、ドイツ軍の拷問の生々しい描写は、当時としては過激で、衝撃的な映像だったのだ。
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それは、ナチスドイツの残虐さ非道さを描くための、最も効果的で直截な方法だったろう。
しかし、この映画はいくつかの国でその過激な暴力シーンの残虐さゆえに上映禁止となったのだった。

むしろ映画史的に言えば、この作品はイタリア・ネオ・リアリズモとしてよりも「暴力描写の映画的リアリズム表現の元祖」として、記憶されるべきかも知れない。

そうして、その生々しい「暴力リアリズム」は、次に日本の黒澤監督によって娯楽的手法として登場するだろう・・・・
関連レビュー:黒澤リアリズムとアクション
『七人の侍』
映画史に永遠に刻まれた日本映画
黒沢映画の時代劇と西部劇との関係?

そして、またロッセリーニ監督の蒔いた種子は、ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』を見てジャン=リュック・ゴダールが『勝手にしやがれ』(1960年)を撮ったと証言しているように、フランス映画界のヌーヴェル・ヴァーグで再度花開く。
関連レビュー:ネオリアリズモの継承者
映画『勝手にしやがれ』
世界を熱狂させた、ヌーヴェルヴァーグ宣言
ジャン・リュック・ゴダール監督の歴史的デビュー作


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映画『無防備都市』解説

イタリア・ネオ・リアリズモ概説

ネオリアリズムの表現スタイルは、雑誌『シネマ』を中心に展開した映画評論家のサークルによって生み出されたとされる。
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その主要な担い手は、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シカ、チェーザレ・ザヴァッティーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニ、ブルーノ・カルーゾなどが挙げられる。

ネオレアリズモの始まりは諸説あるが、最初のネオレアリズモ映画は一般にルキノ・ヴィスコンティ(1943)による『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だと考えられている。
そのヴィスコンティはフランスの映画監督ジャン・ルノワールの下で映画を学び影響を受けており、ネオリアリズムの先駆的な作品として、ジャン・ルノワールの『トニ』(1935)とアレッサンドロ・ブラセッティの『1860』(1934年)が挙げられる。

1945年の春、ムッソリーニは処刑され、イタリアはドイツの占領から解放された。
「イタリアの春」として知られるこの時期は、しかし破壊された市街と戦災に苦闘する人々に満ち、それはイタリア映画人と、イタリア映画の聖地チネチッタ映画スタジオにとっても同様だった。
そんな状況下、イタリア映画界は、戦前の映画製作スタイルを捨て、破壊されたチネチッタ・スタジオの代わりに屋外ロケを、俳優の代わりに素人を起用し、映画を作る際によりリアリズムを重視する表現を取り始めた。

その結果、1945年『無防備都市』が世界的な知名度を獲得し、戦後イタリア映画初となるカンヌ映画祭の大賞を受賞し、ネオ・リアリズモ作品が世界の映画界に衝撃を与えた。
関連レビュー:日本へのネオリアリズモの影響
映画『雨月物語』
日本映画の巨匠!溝口健二の代表作!
戦争が生む女たちの悲劇を描く反戦メッセージ

しかしイタリアのネオ・リアリズモは1950年代初頭に急速に衰退する。
ネオ・レアリズモ映画によって提示された貧困と絶望のメッセージは、経済的な復興と共に富裕で享楽的な世相に変化して行く中で、ネオ・リアリズモのテーマはその訴求力を失わざるを得なかった。

事実、多くのイタリア人は当時流入した多くのアメリカ映画で描かれた、楽観主義を支持したという。
関連レビュー:戦後イタリアを舞台にした映画讃歌!
『ニューシネマパラダイス』
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旧き映画のノスタルジー

ネオ・リアリズもの訴えた社会的環境の下で苦しむ人間存在の悲劇的現実は、社会問題が解消されるにつれ個人的な関心や欲望を刺激する享楽的ドラマへと移行し、それを代表したのがフェデリコ・フェリーニの映画だった。

彼の初期の作品『道』(1954)と『青春群像』(1955)は、ネオ・リアリズモの過渡的作品として、社会的問題よりも個人的問題にフォーカスを当てたドラマへと視点が変化する。
関連レビュー:フェリーニの青春映画
『青春群像』
監督 フェデリコ・フェリーニのイタリア的青春群像
1953年 ベネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞!

フェリーニの影響は、実は脚本家として参加した、このネオリアリズモの代表作『無防備都市』にも、そのドラマ性において存在感を留めていると感じる・・・・・



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2021年05月21日

映画解説『無防備都市』は実話だった!?イタリア・ネオ-リアリズモ代表作/無防備都市の意味・実話モデル紹介・ネタバレなしあらすじ

原題 ROMA, CITTA, APERTA
英語題 OPEN CITY ROMA
製作国 イタリア
製作年 1945年
上映時間 103分
監督 ロベルト・ロッセリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
原案 セルジオ・アミディ


評価:★★★☆  3.5



イタリア・ネオ・リアリズムを代表する、ロベルト・ロッセリーニ監督の1945年の作品。

映画はドラマチックなストーリーを持ち、リアリズム重視のテーマでありながら、そこかしこにエンターティメント性も感じた。

しかし調べて見れば、登場人物には実在のモデルがおり、映画の中にそのノン・フィクション的事実が入っていた・・・・・・
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<目次>
映画『無防備都市』簡単あらすじ
映画『無防備都市』予告・出演者
映画『無防備都市』解説/無防備都市意味と時代背景
映画『無防備都市』解説/実話モデル紹介

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映画『無防備都市』あらすじ


1944年第二次世界大戦末期、ドイツ占領下のローマの夜。ドイツ軍SS部隊は、レジスタンスのリーダーであるアパートを急襲したが逃がした。ドイツ占領司令部ではゲシュタポの高官・ベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)は、徹底的な調査を命じる。マンフレディは同志フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)を訪ね、そこで彼はフランチェスコの婚約者ピナ(アンナ・マニャーニ)と出会う。マンフレディは、レジスタンスの援助者カトリック司祭ドン・ピエトロ・ペレグリニ神父(ルド・ファブリーツィ)に連絡を取った。ゲシュタポ・ベルグマンのもとにマンフレディーの恋人マリナを薬漬けにしたイングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)が現れ、マリナ(マリア・ミーキ)を通じてマンフレディを追うと言った。そして、翌日ピナの婚礼の朝、ドイツ軍がピナのアパートを包囲し、一軒残らず捜索が開始されマンフレディとフランチェスコも捕まる。彼を乗せたトラックを必死に追いかけたピナに、ドイツ軍兵士の短機関銃が火を噴いた―
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映画『無防備都市』予告

映画『無防備都市』出演者

ドン・ピエトロ・ペレグリニ神父(ルド・ファブリーツィ)/ピナ(アンナ・マニャーニ)/ジョルジオ・マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)/フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)/マリーナ・マリー(マリア・ミーキ)/ベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)/イングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)/マルチェロ(ヴィト・アニチアリコ)/ローラ(カーラ・ロベール)


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映画『無防備都市』解説

無防備都市の意味歴史的背景

『無防備都市』という日本題は、原題の『ROMA, CITTA, APERTA/英OPEN CITY ROMA(ローマ、無防備都市)』から採られている。
ジュネーブ条約の議定書Iによれば、攻撃側が「いかなる手段であれ、防御されていない地域を攻撃する」ことを禁じており、無防備都市宣言とは一切の武装抵抗を放棄したことを意味する。
<無防備都市宣言>
特定の都市がハーグ陸戦条約第25条に定められた無防守都市であることを紛争当事者に対して宣言したことを指す。
現在、正確には無防備地区宣言と呼ばれ、ジュネーブ諸条約追加第1議定書第59条に基づき、特定の都市、地域を無防備地域(英語: Non-defended localities)であると宣言することを指す。

この地域に対して攻撃を行うことは戦時国際法である第1追加議定書によって禁止されている。
無防備地区宣言とは、その地域が軍事的な抵抗を行う能力と意思がない地域であることを宣言することによって、その地域に対する攻撃の軍事的利益をなくし、そのことによって、その地域が軍事作戦による攻撃で受ける被害を最小限に抑えるためになされる宣言である。ただし、これが有効に機能するのは当事者たちが法を忠実に守った場合だけである。(Wikipedia より)

この映画は、出二次世界大戦末期、ローマが無防備都市宣言をしナチスドイツに占領された時期を描いた映画である。

<イタリアの降服とドイツの占領>
イタリアは第二次世界大戦に枢軸国として参加し、国王エマヌエレ三世はファシスト党のベニート・ムッソリーニ総統に全権を任せていた。
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しかし、1943年7月10日の、連合国軍のシチリア島上陸は、イタリア国内に動揺を生み、この危機的状況に軍内部の休戦派とファシスト党穏健派、王政廃止を危惧した王党派は、ムッソリーニ政権に見切りをつけた。(写真:イタリア国王エマヌエレ三世)
徹底抗戦を主張するムッソリーニは首相を解任され、北イタリアの山岳地帯にあるグラン・サッソのホテルに幽閉、国王は国防軍長老ピエトロ・バドリオ元帥を首班とする内閣を成立させた。
バドリオ元帥は、連合国側と停戦交渉を始めたが、イタリアにはドイツ南方方面軍が進駐していたため、表面上ドイツに戦争の継続を約束しながら本音は連合軍と休戦し、連合軍の一員として対独戦に参加する道を得ようとしていた。
roma_ick.jpgしかし、連合国側はあくまでも無条件降伏を求め交渉は停滞し、進まない交渉に連合軍のドワイト・D・アイゼンハワー大将は1943年9月8日一方的にイタリアの無条件降伏を宣言した。(写真:ドワイト・D・アイゼンハワー)
しかし、イタリアと連合国間の交渉を察知していたヒットラーは、イタリア進駐の準備を整えており、即座にイタリア北・中部へドイツ軍を進駐させた。
この動きにイタリア国王とその政権の閣僚・幕僚は、ローマを捨てて連合軍の勢力地域に逃亡してしまう。
前線で闘い続けているイタリア軍将兵と国民は、国王らの無責任な逃亡を知らず、9月8日はイタリア国民にとって「終戦の日」と同時に「国辱の日」と呼ばれることとなった。
空白地帯となったローマは、都市に軍事力が存在していない開放地域「無防備都市宣言(英語: Open City)」を発し、戦闘による被害を回避すべく武装を解除し、易々とドイツ軍はローマに進駐占領した。
roma_fuler.jpgイタリア北部を占領下においたヒットラーは、ムッソリーニのファシズム傀儡政権の成立を目指し、9月12日ドイツ軍特殊部隊がグライダーや軽飛行機を使ってアペニン山脈の山頂を奇襲し、ムッソリーニを奪還した。(英国作家ジャック・ヒギンズの小説『鷲は舞い降りた』の題材)
9月23日には、イタリア北部のドイツ軍支配地域に、ムッソリーニを国家元首とするイタリア社会共和国の建国を宣言。(写真・右ヒットラー/左ムッソリーニ)
イタリアは、ドイツ軍とムッソリーニの勢力化にある、ローマ以北の「イタリア社会共和国」と、連合国軍の影響下にあるローマ以南の「イタリア王国」に分かれて内戦状態に突入した。
戦闘が進み、1945年4月にはイタリア国内のドイツ軍の降伏が決定した。イタリア社会共和国政府もムッソリーニが4月27日に拘束され、パルチザンに銃殺された。そしてイタリア社会共和国軍も4月29日付けで降伏に同意した。
一方の王とバドリオ政権は連合国側の一員として、1943年10月13日にドイツに対して宣戦布告し、1945年7月15日には日本に対しても宣戦布告し、終戦後には戦勝国として日本に賠償金を求めた。(日本政府は、応じず)
1946年には国民投票により、王制は廃止されイタリア共和国となった。
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映画『無防備都市』解説

実話モデル

この映画は、第二次世界大戦が終わった1945年に撮影され、同時代を描いた作品だ。

この映画で最も有名なシーン、ナチス兵により命を絶たれるピナは、テレサ・ガレスという実在のモデルが存在したのだ。

実はこの映画の、そこかしこに、実際のエピソードが埋め込まれている。

この映画に登場する神父マンフレディーも、カトリック教会の神父の身ながらパルチザンや反ナチス・ドイツ勢力を助けた、実在の2人の人物ドン・ピエトロ・パパガロとドン・ジュゼッペ・モロシーニを元にしているという。

この映画のモデルとなった人物の実話を以下にまとめてみた。
テレサ・ガレス
(1907年9月8日誕生〜1944年3月3日没)
テレサはジロラモ・ガレスと婚後し、夫と共にローマに転居した。ジロラモは建設現場で労働者として働き、1944年テレサ37歳の時には5人の子供がいて、さらに妊娠中だった。roma_galles.jpg
その年の2月26日夫ジロラモが逮捕され、3月3日の朝には投獄された兵舎の前に大勢のローマ市民が集まっていた。すでに数百人の男達が拘束され、ナチス・ドイツは囚人達を強制収容所へ送るとの噂が立っていた。
テレサ・ガレスは、13歳の息子ウンベルトを伴い、2,000人を超えるローマ女性の一群に加わり、兵士達が並ぶ最前線にまで、歩みを進めた。「解放せよ!」というシュプレヒ・コールを発しつつ近づくと、鉄格子の後ろに彼女の夫を発見し互いに呼び交わした。
テレサは窓に向かって進み、パンを夫に差し入れようと投げた。しかし、壁に跳ね返り地面に落ちた。兵士たちは群衆に抗してライフルで群衆を殴り威嚇し、群集と兵士の間に空白地帯が生じた。
テレサ・ガレスは地面からパンを拾い上げると、夫が立っていた窓に向かって決然として歩きだした。ドイツ兵に制止されるとテレサは、それに抗議し怒鳴りながら、詰め寄った。そして、ついにはドイツ兵の銃弾により命を絶たれた。
その日から、テレサの悲劇的な物語は、多くのローマ市民やパルチザングループの闘争抵抗の象徴の1つになった。
1977年には「市民的功績の栄誉メダル」が授与されている。
ドン・ピエトロ・パパガロ
(1888年6月28日生まれ〜1944年3月24日没)
イタリア司祭で唯一の犠牲者フォッセアルデアティーネの虐殺の犠牲者。
roma_Pappagallo.jpgドイツの占領中、司祭は解散されたイタリアの兵士、パルチザン、同盟国、ユダヤ人、など反ナチスの立場に立つ人々を援助し続けた。
1944年1月29日、ドン・ピエトロはスパイの密告によりSSに逮捕された。SSは占領中レジスタンス戦線と、ローマ市民の抵抗者を排除する作戦を一貫して採っていた。パパガッロ神父は、獄中でも食事を取れない他の囚人と、食事を分け合う姿が見られた。
彼は死刑判決を受け、1944年3月24日にナチスドイツによる、レジスタンス兵と反ナチズムのシンパ、ユダヤ人を300人以上殺害したフォッセ・アルデアティーネ虐殺で倒れた唯一のカトリック司祭だった。
2000年にヨハネ・パウロ三世は、ドン・ピエトロ・パパガロを20世紀の教会の殉教者の中の1人として顕彰した。

ドン・ジュゼッペ・モロシーニ
(1913年3月19日誕生〜1944年4月3日没)
王党派のイタリア司祭。
ドイツ軍占領以降、彼はローマのレジスタンスに参加し、武器や食料を調達する手助けをした。彼はイタリア陸軍の将校であるフルビオモスコーニ中尉によって指揮された「フルビバンド」と連絡していた。
彼は司祭の立場を活用しソラッテ山に駐屯しているドイツ国防軍の将校からカッシーノ戦線のドイツ軍の計画を入手した。roma_morosini_1.jpg
しかし、パルチザン内のドイツ軍スパイに70,000リラで売られ、1944年1月4日にSSに逮捕され、友人のマルチェロブッキと一緒に、逮捕された。
彼はレジーナ・コエリに拘留され、ドイツ軍の配置地図を連合国に渡したことに加えて、銃の所持、および隠匿された大量の武器と爆弾についても糾弾された。
彼は、顔が変形するほどの拷問をうけたが、情報を漏らすことなく、ドイツ軍により死刑判決を受けた。彼は、7年前に彼を司祭に任命したルイージ・トラリア司教の導きのもと、イタリア警察(PAI)12人銃殺隊の前に据えられた。
しかし発砲を命じられた部隊の10人は空中に発砲し、他の2人の銃弾はわずかに軽傷を与えただけだった。
結局ドイツ軍将校によって、ドン・モロシーニの後頭部に2発の銃弾が放たれ命を奪われた。




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月12日

古典映画『無防備都市』イタリア・ネオ-リアリズモ!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・ネタバレ・ラスト・評価

原題 ROMA, CITTA, APERTA
英語題 ROMA OPEN CITY
製作国 イタリア
製作年 1945年
上映時間 103分
監督 ロベルト・ロッセリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
原案 セルジオ・アミディ


評価:★★★☆  3.5



この映画は、第二次世界大戦後の混乱収まらない時期に撮られた、イタリア・ネオ・リアリズムを代表する一本です。

ネオ・リアリズムの表現の根底には、イタリアの戦争の災禍による、社会的混乱と経済的損失による、庶民大衆の苦しみを世間に訴え改善しようとする志があったと思います。

ここではストーリーと共に、この映画がどう評価されてきたかをご紹介できればと思います
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<目次>
映画『無防備都市』詳しいあらすじ
映画『無防備都市』予告・出演者
映画『無防備都市』解説・映画評価
映画『無防備都市』ネタバレ
映画『無防備都市』結末

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映画『無防備都市』あらすじ


Roma_0.png1944年第二次世界大戦末期、ドイツ占領下のローマの夜。ドイツ軍SS部隊は、一軒のアパートを急襲した。
共産主義者で、レジスタンスのリーダーとしてナチスとファシストと闘っているジョルジオ・マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)の潜伏先の情報を得たからだった。
しかしマンフレーディは、間一髪、屋根伝いに彼は脱出した。

ドイツ占領司令部ではゲシュタポのベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)は、マンフレディを逃がしたことを知り、苛立ちながらも次の手を練り始めた。その室内には、捕えて来たレジスタンスを拷問する、絶叫が漏れ聞こえた。

マンフレディは同志のフランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)の家を訪ねた。
そこで彼はフランチェスコの婚約者で、翌日に結婚式を控え妊娠もしているピナ(アンナ・マニャーニ)と出会う。
そこで、家族とケンカしては家を出たいと文句を言っている、ピナの妹ローラ(カーラ・ロベール)ともマンフレディーは顔を合わせる。ローラ
の女友達のマリーナ(マリア・ミーキ)は、実はジョルジオのガールフレンドだったので、ローラは彼に会えないマリーナが寂しがっていた言うが、彼はもう会う積りが無いと言った。

ピナの部屋に匿われたマンフレディは、密かにレジスタンスを援助しているカトリック司祭ドン・ピエトロ・ペレグリーニ(ルド・ファブリーツィ)に連絡して欲しいと、ピナに頼んだ。彼女は小学生の息子マルチェロ(ヴィト・アニチアリコ)を使いにやる。
ピナの家でペレグリーニ司祭とマンフレディは無事密会を果たした。
マンフレディはレジスタンスの戦闘グループににメッセージと資金の授受するように、ペレグリーニ司祭に依頼する。

司祭ペレグリーニは、印刷所で働くフランチェスコと会い資金を預かり、神父が教会に帰る。
すると、脱走したドイツ兵が助けを求めて来ていた。
その脱走兵を匿ってから、レジスタンスに資金を渡すため外出し、無事資金を渡すことが出来た。

その夜帰宅したフランチェスコとマンフレディは今後の方針を話し合う。
ピナは息子マルチェロが帰って来ないのを心配していた。
すると、どこかで爆弾の音がして、アパートの子供たちは一斉に帰って来た。少年達は、密かにレジスタンス隊を結成しており、爆弾のテストを行ったのだ。
しかし、帰って来た子供たちは親に厳しく叱責され泣きだした。

ゲシュタポ司令部ではベルグマンがマンフレディ逮捕の指揮を取っていた。
そこに、マンフレディーの恋人マリナを麻薬漬けにしたイングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)が現れ、マリナを通じてマンフレディを追うと言った。
そして、翌日ピナの婚礼の朝、ドイツ軍がピナのアパートを包囲し、一軒残らず捜索が開始された、またも危うい所をマンフレディとフランチェスコは逃れたかに見えた。

そんな捜索の中ピナの息子マルチェロは、アパートの屋上に少年達のリーダーが立て籠もっているのを助けようと、司祭と共に少年を説得し救助した。
しかし隠してあった爆弾の始末に困り、病気でベッドに寝る老人の布団に隠そうとする。
しかしドイツ軍の迫る中、老人はまだ自分は死なないと抵抗したため、マルチェロがフライパンで老人の頭を殴り気絶させ、死を弔うかのように見せかけ隠しおおせた。

そんな中、逃げ遅れたフランチェスコがドイツ軍に捕まってしまう。彼を乗せたトラックを追いかけたピナに、ドイツ軍兵士の銃が火を噴いた。
母の死に、マルチェロは泣き叫ぶ。

連行されたフランチェスコが乗ったドイツ軍のトラックは、レジスタンスの攻撃により開放される。

マンフレディとフランチェスコは落ち合い、マリナの強い誘いもあり、彼女の部屋に匿ってもらうことにする。
だがマリナは、すでにイングリッドから麻薬を与えられ、引き替えに情報を流すよう求められていた。
その夜マリナはマンフレディとの関係を修復しようと努めるが、彼に麻薬を見つけられ、金が大事なのかと冷たい眼で蔑みの言葉をかけられた。
絶望したマリナはイングリッドに、翌日ペレグリニ司祭と2人が会うと密告の電話をかける。

翌日、マンフレディたちは司祭と合流する。
フランチェスコは、マルチェロと言葉を交わしピナの遺品を託され、お父さんと呼ばれ見送られる。
ところが、先に出発したマンフレディと神父は、マリナの密告によりゲシュタポに見つかり、捕まってしまった―

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映画『無防備都市』予告

映画『無防備都市』出演者

ドン・ピエトロ・ペレグリニ神父(ルド・ファブリーツィ)/ピナ(アンナ・マニャーニ)/ジョルジオ・マンフレーディ(マルチェロ・パリエーロ)/フランチェスコ(フランチェスコ・グランジャッケ)/マリーナ・マリー(マリア・ミーキ)/ベルグマン少佐(ハリー・ファウスト)/イングリッド(ジョヴァンナ・ガレッティ)/マルチェロ(ヴィト・アニチアリコ)

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映画『無防備都市』評価


この作品は、イタリア・ネオ・リアリズモの代表作として、古典的な評価が認められた一本です。
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<受賞歴>
1946年カンヌ映画祭:グランプリ(最優秀映画賞)
1946年シルバーリボン:最優秀長編映画/助演女優賞(アンナ・マニャーニ)
1946年ニューヨーク映画批評家協会賞:外国語映画賞
1946年ナショナル・ボード・オブ・レビュー:外国語映画賞/最優秀主演女優賞(アンナ・マニャーニ)
1950年キネマ旬報ベスト10:外国映画第4位(1950年に日本公開)
1946年アカデミー賞(ノミネート):脚色賞(セルジオ・アミデイ、フェデリコ・フェリーニ)
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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更に時代を経ても安定した評価を獲得しています。
<映画ランキング>
2010年度雑誌エンパイア発表『史上最高の世界の映画100本』37位
2008年カイエ・デュ・シネマ発表『理想的なシネマテークのための映画ベスト100』65位
2019年Time Out発表『史上最高の映画ベスト100』55位
1999年キネマ旬報選出『映画人が選ぶオールタイムベスト100 外国映画編』26位

関連レビュー:いろいろな『映画ベスト100』ランキング紹介
世界各国で選ばれた『映画100本』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!

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以下の文章には

映画『無防備都市』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ゲシュタポ本部では、マンフレディ達の逮捕の連絡を受けベルグマン少佐とイングリッドは共に笑みを交わした。
イングリッドは別室で酩酊しているマリナの元に向かい、毛皮のコートと麻薬を与えた。
3人が密室に監禁されると、脱走兵は拷問の恐怖にパニックを起こし、泣き出した。

そんな中マンフレディが連れ出され、ベルグマン少佐と面談するが、何も話すことは無いと告げると、壮絶な拷問が彼に加えられた。
次にペレグリニ司祭がベルグマンの前に連れてこられた。
司祭は神に背く行いはしていないと尋問に応じず、少佐はマンフレディを拷問する姿を見せ、答えを求めた。
その部屋に、脱走兵が首を吊って自殺したとの報告が入り、ペレグリニ司祭は悲痛な顔を見せる。

ベルグマンは別室のバーに行くと、そこにはマリナとイングリッドがおり、二人は妖しく抱き合っていた。
ベルグマンは、周囲の将校にマンフレディは直ぐに口を割るだろうと言うが、ある将校は自分達は憎しみを買い過ぎ、待っているのは絶望だけだと自嘲した。

ベルグマンはマンフレディが一向に口を割らないのに業を煮やし、すでに息も絶え絶えのマンフレディに、更に鞭を振るい、バーナーで焼き拷問を続ける。
しかし、司祭の前でマンフレディーは無言を貫き通したまま命を落とした。
司祭は「地獄に落ちるがいい」と怒りに満ちた目でベルグマン言った。

その場に来たマリナは、マンフレディの遺体を見ると、悲痛な声を上げ気絶した。それを見下ろしたイングリッドは、彼女に与えた毛皮のコートを奪い去った。

映画『無防備都市』結末・ラスト


ドイツ軍本部の庭。
司祭が銃殺刑の椅子へと座らされた。
しかし、イタリア人銃殺隊は司祭を狙わず弾がそれた。

指揮のドイツ人将校が、ドン・ピエトロ司祭に歩み寄る。
フェンス越しに、マルチェロを含めた少年達が見守る中、銃声が響き神父は絶命した。
少年たちは、その場を後にした。
ローマの街とサンピエトロ大聖堂が遠くに見えた。




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする