2020年08月22日

古典映画『自転車泥棒』イタリア・ネオ・リアリズモの代表作!再現ストーリー/詳しいあらすじ・感想・解説・ネタバレ・ラスト

映画『自転車泥棒』の悲劇は時代を超えるか?


原題: Ladri di Biciclette
英題: The Bicycle thieves
製作国 イタリア
製作年 1948
上映時間 84分
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェザーレ・ザヴァッティーニ

評価:★★★☆  3.5



この作品は、本当に胸が痛くなるような、みじめさ、切なさ、悲哀を感じさせる1本だ。
今見れば、困窮していた社会背景や、当時の追い詰められた庶民の心理は、想像するしかなく、そのためどこか人事のようで共感し難い部分を個人的な感想としては持った。

しかし第二次世界大戦前後のイタリアで生まれた、ネオレアリズモを代表する映画として古典的評価を勝ち得ている。
この映画が持つ、静かなしかし深い怒りは、その時代を反映した一種のドキュメンタリーとして記憶されるべきだと思う。
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<目次>
映画『自転車泥棒』ストーリー
映画『自転車泥棒』予告・出演者
映画『自転車泥棒』感想・解説
映画『自転車泥棒』ネタバレ
映画『自転車泥棒』結末

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映画『自転車泥棒』ストーリー


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第二次世界大戦のローマのヴァルメラナイナ地区、バスが走り去ると、大勢の男達が職業安定所の前に押し寄せた。
アントニオリッチ(ランベルトマッジョーラニ)も、妻のマリア(リアネッラカレル)、息子のブルーノ(エンツォシュタイオラ)、そして小さな赤ん坊を扶養するために仕事を切望する一人だった。
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彼は幸運にも2年ぶりとなる仕事を得たが、その市の広告貼りには自転車が必要だった。
しかし生活に困って、自転車は質屋に入れてしまっていた。

妻のマリアに、それを伝えると彼女は花嫁道具に持参したシーツをベッドからはぎ取った。
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それを質屋に持って行き、代わりにアントニオの質屋の自転車を請け出した。

早速、市役所に行って見ると、無事制服を貸与され翌朝出社するよう告げられた。
役所の外で待つ妻のマリアも安心した顔を見せた。
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マリアは家に帰る前に寄りたいと、一軒の家に入って行った。アントニオが覗いて見ると、そこは聖母と呼ばれる占い師の部屋だった。
アントニオは、お礼を言いたいと言うマリアを叱り、共に家に帰った。
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翌朝、アントニオは自転車に乗り、途中息子ブルーノを靴磨きの場所に下ろすと、職場に向かい多くのボスターを積み、町へと出た。
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そこで最初のボスターを貼って見たが上手くいかない。

ポスター貼りに集中したその時、若い男(ヴィットリオアントヌッチ)が自転車をひったくって逃げた。
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アントニオは追跡をするが、泥棒の仲間によって追跡を邪魔され見失ってしまう。

呆然としたアントニオは、警察に盗難届けは出したものの、担当者は盗難自転車が出てくる可能性はほとんどないと投げやりな対応だった。
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アントニオは友人に自転車が盗まれたと相談に行くと、盗難品がしばしばヴィットーリオ広場に浮かぶことを知らされ、翌日数人の友人や息子ブルーノと一緒に探しに行く。
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アントニオは自分の自転車と似たフレームを見つけ、警官を呼んだが、調べるとシリアル番号が一致せず引き下がるしかなかった。
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アントニオとブルーノはもう1つの広場、ポルタ・ポルテーゼの市場に向かい、そこでアントニオは泥棒らしき若者を発見する。
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追いかけたが、見失い、戻って若者と言葉を交わしていた老人を追った。老人は、知らない関係ないと答えなかったが、教会の貧窮者ミサまでついてくる、しつこさにアントニオの隙を見てに逃げ出した。
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アントニオは困り果てて、妻が頼った占い師の元に行き、なりふり構わず割り込んで、自転車の行方を訪ねた。
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聖母と呼ばれる占い師の答は、見つかるならすぐ見つかるし、そうでなければ永遠に見つからないと言うものだつた。

アントニオは外に出ると、そこで泥棒が被っていた帽子の若者を見かけた。
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アントニオは、彼を追いかけ、胸ぐらを掴み自転車を返せと迫った。
その騒ぎに周囲から住人が集まり、隣人の青年の味方をしだす。
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その場が騒然となる中、若者は突然硬直しテンカンの発作を見せ、2階から若者の母親の悲鳴が聞こえる。
アントニオは非難の声に押され、もみくちゃにされる。

その時ブルーノが警官を連れてきて、警官は青年のアパートを捜索したが証拠は出なかった。
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警官は証拠か証人がいなけれは、事件にはならないと告げた。

アントニオには目撃者がなく、近隣住民が若者のアリバイを証言することは確実で、アントニオはそれ以上の追及を諦めざるを得なかった。近隣住民の罵声と恫喝の声を聞きながら、アントニオとブルーノはその町を後にした。
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映画『自転車泥棒』予告

映画『自転車泥棒』出演者

ランベルト・マッジォラーニ(アントニオ・リッチ)/エンツォ・スタヨーラ(ブルーノ・リッチ)/リアネーラ・カレル(マリア・リッチ)/ジーノ・サルタマレンダ(バイオッコ)/ビットリオ・アントノーチ(泥棒)

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映画『自転車泥棒』感想・解説


この映画を今見ると、映画的な表現技術が飛びぬけて高いとも感じなかった。
脚本は凡庸であり、映像もオーソドックスで、演技者はネオリアリズモのルールに則り、素人俳優を起用している。

それでも、この主人公とその息子の悲劇には、心揺さぶられる。

すでに一世紀近くを経過してなお、この映画は生活苦にあえぐ、追い詰められた庶民の困窮を描いて力があると感じる。

それはあたかも、旧ソヴィエト連邦でソ連市民を動員して撮った『戦艦ポチョムキン』が、一種のドキュメンタリーとして強い力を発揮していたのと同様の表現だと感じた。
ソヴィエト映画:1925年
『戦艦ポチョムキン』
映画と共産主義、2つの革命!モンタージュ理論は誕生のワケ!?
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つまり、この映画は、イタリアの当時の経済的混乱、インフレの高騰や、高い失業率による社会不安を受け、労働者階級と労働者の苦悩を表す一種のドキュメンタリーとしてその姿を現しているだろう。

たとえば、当時敗戦国として、イタリア以上に混乱の極にあった日本においても、この映画は切実に人々の共感を呼び、主人公の悲劇に同情し、そんな困窮を生む政治や社会のありように憤りを生んだのである。
そして日本でも、傾向映画という、労働者の権利拡大を求める社会主義的主張を持つ映画が撮られたのであった。
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結局、この作品が示したのは、現実的問題を「映画=フィクション」によって象徴的に抽出し、現実の矛盾と「映画=フィクション」を対峙させることにより、現実社会の変革を目指すものだったろう。

そんな社会変革を目指す叫びとは、社会的な混乱期や経済的不況時に困窮する庶民の声を代弁して、変革期の時代に強いメッセージを発する芸術作品を生み出した。
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それらの作品は、しばしば旧来の表現形式を飛び越え、革新的な表現を生み出したのは、保守的な現状を打破するには新たな枠組みを必要としたからに違いない。
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いずれにしてもこの作品は、従来宗教や学問や哲学が担っていた「社会変革」の顕示・主張を、大衆芸術である「映画」を用い、民衆運動の武器として世に問うたという点で、映画史上に永遠に刻まれる作品であるだろう。

しかし社会問題を問うことで力を発する映画であれば、その問題が解消に向かうにつれ、その映画的訴求力も減少していく運命にある。

それゆえ、現代社会を生きる者が本作を見た時に、どれほどこの映画に心動かされるかは、判断がつきかねている。

それゆえ、歴史的な価値は認めつつも、評価は3.5点にとどめた。
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以下の文章には

映画『自転車泥棒』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
失意の中家に帰る途中、スタディオナツィオナーレサッカースタジアムの近くを通る。
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疲れた二人は、道に座り込んだ。
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アントニオは、スタジアム出口に駐輪された、おびただしい自転車に視線を向けた。
そして背後にある、一台だけ置かれた自転車を見る。
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アントニオは落ち着きを失い、立ち上がると周囲を見る。
ブルーノに顔を向けると、トラムの近くで待てと、その場を去らせた。
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映画『自転車泥棒』結末

そして、アントニオは置かれた自転車に近づくと、飛び乗った。

【意訳】持ち主:助けてくれ!ヤツが俺の自転車を捕った!泥棒だ!止めてくれ!/群衆:ヤツを捕まえろ!/群衆:よし!自転車を盗んだらどうなるかお前に教えてやる!/ブルーノ:パパ、パパ/群衆:犯罪者め!悪党!/群衆:どこの警察に連れてく?フラミ二オだ。/群衆:俺たちが連れてこうか/持ち主:待ってくれ。離してやってくれ。/群衆:なんで?/持ち主:もういいんだ。皆さんありがとう。/群衆:息子の前で恥ずかしくないのか?俺なら警察に突き出してやる。せっかくの親切だ。とっとと家に帰るんだな。神に感謝するがいい。
父子は人ごみの中その背中を小さくしていった。
FINE




posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月11日

フェリーニ監督/映画『青春群像』映画史上初?ダメ青春物語の誕生/あらすじ・感想・解説・ネタバレ・ラスト・評価

映画『青春群像』のユニークさ

原題 I Vitelloni
英語題 THE YOUNG AND THE PASSIONATE
製作国 イタリア,フランス
製作年 1953
上映時間 106分
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚色 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ
原案 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネリ



評価:★★★☆  3.5点



この映画は、今見れば微妙な作品と言わざるを得ないとは思います。
しかし、イタリアの巨匠フェリーニ作品であるという以上に、この作品以前になかった「ドラマの1典型」を映画史上で初めて生んだという点で、歴史的な価値があるのではないでしょうか。

そして、この映画のだらしない享楽的な青春群像が生まれた背景には、イタリア「ネオ・リアリズモ」とフェリーニ監督のラテン的享楽主義があったればこそと感じます。

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<目次>
映画『青春群像』ストーリー
映画『青春群像』感想
映画『青春群像』解説/「青春映画」の歴史
映画『青春群像』解説/「ネオリアリズモとラテン的快楽」
映画『青春群像』評価
映画『青春群像』ネタバレ・結末

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映画『青春群像』ストーリー

イタリアの田舎町に住む20代の若者5人が、ビーチで行われる美人コンテストを見物している。
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最年長の色男ファウスト(フランコ・ファブリッツィ)、仲間で一番若いインテリのモラルド(フランコ・インテルレンギ)、姉の収入に頼っているアルベルト(アルベルト・ソルディ)、文学を志すレオポルド(レオポルド・トリエステ)、歌のうまいリカルド(リカルド・フェリーニ)五人の暇な彼らは集まってはぶらぶらする友人同士だった。
コンテストはモラルドの妹サンドラ(レオノーラ・ルッフォ)の優勝で幕を閉じたが、サンドラは体調を崩し倒れ込んだ。vettel_con.jpg
実はファウストがサンドラを妊娠させていたのだ。彼はサンドラとの結婚から逃れられなくなった。サンドラの親は無職の彼を、コネを使い骨董店につとめさせた。しかし、店の主人の妻を誘惑し、妻と映画館に入ってすら隣の娘を挑発する浮気症だった。
一方一家の稼ぎを姉の収入に頼り、小遣いをもらって遊び呆けていたアルベルト。しかし、謝肉祭の翌朝、姉は彼と老母を残し男とかけおちした。サンドラの兄モラルドも、旅に出ることを夢見る。さらに仲間のレオポルドは、劇作家になることを夢見て街にやってきた老俳優にその戯曲を高く評価されたが、最後には怖気づいてチャンスから逃げてしまった。歌のうまいリカルド(リカルド・フェリーニ)は、そんな四人といっしょに、カフェーで時間をつぶしたり、海辺を理由もなく歩き廻り、みんなで車に乗り込み肉体労働者をバカにして遊んだり、無駄に日々を送っている。
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そんな中ついに店主に浮気がばれ、仕事を馘になったファウストは、はらいせにモラルドと二人で天使の像を店から盗み出した。それを教会に売ろうとしたが、信用されず相手にされない。そして、その像を農民の小屋に捨てるしまつだった。
そんな彼に妻サンドラは絶望し、生まれたばかりの赤ん坊を連れて、とうとうに家を出てしまった。
モラルドは妻が自殺をするのではないかと、必死に行方を追う・・・・・・・

映画『青春群像』予告


映画『青春群像』出演者

モラルド(フランコ・インテルレンギ)/アルベルト(アルベルト・ソルディ)/ファウスト(フランコ・ファブリーツィ)/
レオポルド(レオポルド・トリエステ)/リッカルド(リッカルド・フェリーニ)/サンドラ:モラルドの妹(レオノーラ・ルッフォ)/ファウストの父(ジャン・ブロシャール)/オルガ:アルベルトの姉(クロード・ファレール)/骨董店主(カルロ・ロマーノ)/骨董店主妻(シニョーラ・ジュリア)/モラルドの父(エンリコ・ヴィアリージオ)/モラルドの母(パオラ・ボルボーニ)/映画館の娘(アルレット・ソバージ)
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映画『青春群像』感想



正直言えば、この映画を最初に見たとき、凡作だと思いました。
そして、今見返してみても面白いとは感じません。

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現代の刺激に満ちたカメラワークや、刺激的な表現に慣れた眼からすると、この1953年公開の映画表現はいかにも古臭く、テンポも軽快とは言えず、ストーリーも散漫に感じました。

ぶっちゃけ、現代の映画に慣れた観客にとっては、この映画を娯楽として楽しむことは困難だと、個人的には感じます。
しかし映画には娯楽性の他にも、映画史的な評価という観点もあります。
そこで考えるべきは「公開当時の手法・技術・ドラマ」のスタイルに、どれほど革新的な要素を付与したかという点かと思います。

正直言えば、この映画のフェリーニはその後のフェリーニ作品にある映像的な濃厚さ、黒魔術的なヴィジュアルの力は感じません。
さらに言えば、この当時イタリア映画界の主流であった、社会の不正を問う「イタリア・リアリズム=ネオ・リアリズモ」からも、そのドラマは遠くかけ離れています。

しかし、ここには『青春物語』としての、史上初の表現があり、古典として残すべき画期的な作品だと思います。
以下、なぜこの作品が『青春物語の古典』なのか説明させて頂きます。
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映画『青春群像』解説

「青春映画」の歴史


じつを言えば「青春映画」というジャンルを、若者を主人公にした、若者主体のドラマだと見た時、真に「青春映画」と呼べるのは、映画スターとして20代の若者が誕生するまで待たなければなりません。

その最初の「若者スター」が第二次世界大戦が終わってから5年を経た1950年デビューのマーロン・ブランドでした。
関連レビュー:ヤングアイドルの登場と戦後
映画『太陽がいっぱい』
ルネ・クレール監督の名作
何も持たない若者の戦い

しかし、マーロン・ブランドという当時の若者が表現したのは、大人社会への怒りだったと思え、それは「青春物語=若者主体の物語」というよりは、「社会的ドラマ」としての比重が大きいように感じます。

そういう意味では、真に「若者の主張」を主要なテーマとする映画は、1955年ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』であり、それこそ世界初の「青春映画」の第一号だと信じています。
関連レビュー:ジェームス・ディーン『理由なき反抗』
ジェームス・ディーンの世界初の青春映画
メソッド演技の輝き

しかし、このフェリーニの映画『青春群像』は何と1953年の映画なのでした。

う〜ん困った。

しかし『理由なき反抗』は、ジェームス・ディーンという「青春スター」を初めて生み出し、若者達の憧れとなったという点で「正統的青春映画」として、史上初の称号を与えるのにより相応しいのではないかと、言い訳してみたりします・・・・・・

言い訳はともかく・・・・・・

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実を言えば、この映画『青春群像』の「青春」は『理由なき反抗』に較べ、見事にグズグズのダメダメです。

若いから、人生経験ないし、仕事ないし、働きたくないし、何もできないし、でも子供は生まれちゃうしみたいな、ホントに人生に夢も希望もない野郎どもの、どうしようもないダメっぷりを語った映画なのです。
しかし、考えてみれば若い世代の大多数は、人生の目的など持ち合わせていず、行き当たりばったり、将来の事なんて知らんもんネ〜、楽しきゃいいもんネ〜、辛いことしたくないもんネ〜なのではないでしょうか?

そういう意味では、この映画こそ青春の現実に近い物語ではないでしょうか?
そこで私は、この映画を青春のリアリズムを語った『青春リアリズモ』と命名したいと思います。

こうこじつければ、この映画はネオ・レアリズモの手法を持つのだと個人的には感じられてなりません。

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映画『青春群像』解説

「ネオ・リアリズモ」とラテン的享楽主義



それは、1953年当時のイタリア映画界が持つ「ネオ・リアリズモ」が、イタリア社会の現実を鋭く突く作品群であるのと同様、イタリアの若者の現実を「ネオ・リアリズモ」で描き出せば、必然的にこの映画になるという事ではなかったでしょうか。

つまり、イタリア人の持つラテン気質を持った若者、できる限り仕事をせず遊んだり、女の子を追っかけたいという姿を、そのまま描き出せばこの映画『青春群像』になるという・・・・・
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この映画が、フェリーニ監督の実体験を踏まえた作品だということも考えれば、イタリアの『 I Vitelloni=(映画原題:牡牛)』達の享楽ぶりが思い知れます。
しかし、この映画のリアリズムに映し出された「ダメ人間」を見ているうちに、このいい加減なヤローどもに、なぜかシンパシーを感じる自分がいます。

そして見終わった後には、「ダメ人間」にも人生があり、それはそれで「等しく愛おしむべき人生」なのだという感慨を、見る者に感じさせた点で画期的だと思うのです。
この映画以前には、偉大な人間、社会的に有益な主張が、映画の題材として描かれていました。

ただそれは、一般人から見れば、ややもすれば現実離れをした立派過ぎる「神」や「崇高な理想」として、姿を見せていたように思います。

しかしこの映画によって、「ダメ人間のダメっぷり」を描くことにも価値があるという、映画史上初の発見をもたらしたように思います。

そういう意味で、この映画は『ダメ青春映画』の元祖であると同時に、『ダメ人間映画』の元祖でもあると、個人的には信じています。

関連レビュー:日本のダメなヤツ映画『仁義なき戦い』
深作欣司監督の実録暴力団抗争劇
闘うことを通して庶民の人生にエールを送る


そして、映画としてその「ダメなヤツラ」をえがき得たのは、「ネオ・リアリズモ」の応用と、フェリーニ監督自身の享楽的な嗜好ゆえではないかと、個人的には想像しています。

関連レビュー:アメリカのダメなヤツ映画
『パルプ・フィクション』

個性的な登場人物が織りなすストーリー
アカデミー脚本賞・カンヌ・パルムドール受賞作品


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映画『青春群像』評価


今まで書いてきたように、この映画には「ダメ人間=弱きもの=敗者」を初めて描いた作品として、古典として残されるべき価値があると思います。

そんな、映画史的価値としては☆5つが当然かと思います。

しかし、映画作品として見た時、個人的にはおもしろくはなかったし、感動しませんでした。

それゆえ、個人的印象批評としては☆2つという所でした。

じつを言えば、晩年のフェリーニ作品の数々を見ている眼からすると、この映画には「映像の魔術師」と呼ばれた鮮烈なビジュアルも、濃厚な享楽を重ね塗りするようなドラマも見出せず、ただユニークな題材だけが印象に残るだけの作品だと感じてしまいました。
関連レビュー:魔術師フェリーニの真骨頂
『カサノバ』
フェデリコ・フェリーニの濃厚映画
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関連レビュー:芸術家フェリーニの肖像
『魂のジュリエッタ』
フェデリコ・フェリーニの芸術性の高さを証明する作品
魔術師フェリーニのビジュアルセンス

その事は、未来から過去を裁断するようなもので、フェアな見方ではないかもしれません。

しかし最近感じるのは映画の感動や娯楽性とは、新しい刺激やユニークな表現の量によるところが大きいという事実です。

そんな「新たな表現」が映画の価値判断として大きいのだとすれば、「古典」とよばれる作品は映画史の中で常にお手本とされ模倣される存在であるため、その表現は「使い古される運命」にあると言わざるを得ません。

つまり「古典作品」とはその作品が「典型的」であればあるほど、後世の鑑賞者から見れば魅力を減ぜざるを得ないということかと考えたりします。

そんなことでフェリーニの古典作品としての価値は認めるものの、映画として面白く感じなかったという個人的な印象を元に、冒頭の評価となりました。

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以下の文章には

映画『青春群像』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ファウストのいい加減な生活に愛想を尽かし、妻が出て行ってしまった。
さすがにファウストも妻と子の身を案じ、4人の仲間の助けを受け、彼女の行方を必死に探した。
そして、ついにファウストの生家にいるサンドラを発見する。
ファウストは彼の父にひどく叱られ、ベルトで何度も叩かれるが、妻サンドラと向き合うと抱き合い涙を流した。

映画『青春群像』結末・ラスト

一番若いモラルドは、ひとり深夜の町を歩いていると、まだ暗い町を仕事にいそぐ駅の小間使いの少年グイードと出会う。
そして、彼は町をはなれ、一人旅立つことを決心した。
【意訳】少年:出て行くの?/モラルド:グイード。うん、出て行くんだ。/少年:どこに行くの?/モラルド:判らない。でも旅立つ。/駅員:全員乗車。点検終了。/モラルド:グイード。うん、出て行くんだ。/少年:どうして出て行くの?/モラルド:分からない。でも行かなきゃいけないんだ。/少年:ここが嫌いになったの?さよならモラルドさよなら。/モラルド:さよならグイード。

ファウスト夫婦や、レオポルドや、リカルドや、アルベルトたちの、ベッドでのまどろみをあとに、モラルドの汽車は走りさっていった。




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2018年06月13日

名作映画『ニューシネマパラダイス』ラスト・キスシーンの映画タイトル/解説・ネタバレ・映画紹介

映画『ニューシネマパラダイス』(ラストシーン映画タイトル 編)



原題 Nuovo Cinema Paradiso
英語題 Cinema Paradiso
製作国 イタリア、フランス
製作年 1989
上映時間 123分
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽 エンニオ・モリコーネ

評価:★★★★★  5.0点



この映画への想いに満ちた映画は、イタリアの監督ジュゼッペ・トルナトーレの手による、映画へのラブレターのような作品です。
監督自身が生まれ育ったイタリアのシチリア島を舞台にした、このノスタルジックな物語は、映画を通して世界を知った少年の思いが溢れんばかりに表現され、胸が熱くなります。
そんな「映画の愛」が象徴されているのがラスト・シーンで、永遠に語り継がれる「映画遺産」として、このシーンは後世に残されるでしょう。
そこで、及ばずながら、そのラストシーンの映画のタイトルを、可能な限り追求したいと思います。
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映画『ニューシネマパラダイス』予告


映画『ニュー・シネマ・パラダイス』出演者

サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(少年期サルヴァトーレ・カシオ/青年期マルコ・レオナルド/中年期ジャック・ペラン/アルフレード(フィリップ・ノワレ)/エレナ(若年期アニェーゼ・ナーノ/中年期ブリジット・フォッセー:ディレクターズカット版)/マリア(中年期アントネラ・アッティーリ/壮年期プペラ・マッジオ/神父(レオポルド・トリエステ)/スパッカフィーコ:パラダイス座支配人(エンツォ・カナヴェイル)/イグナチオ:劇場の案内人(レオ・グロッタ)/アンナおばさん(イサ・ダニエリ)/広場の男(ニコラ・ディ・ピント)


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映画『ニューシネマパラダイス』解説


この『ニューシネマパラダイス』には、作品中にキラ星のごとく映画の断片がオマージュとしてちりばめられています。
そんな劇中の映画タイトルを知りたくて、既に「作品中の映画タイトル」を記事としています。
関連レビュー:作品中の映画タイトルの紹介
映画『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る映画の快楽
映画黄金期へのノスタルジー

そして、この映画のハイライト、映画ファンなら涙を禁じ得ないこのラストシーン。
映画『ニューシネマパラダイス』ラスト・シーン
このシーンの作品タイトルをご紹介します。
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ラスト・シーンの映画タイトル


以下の画像、作品タイトルは海外サイト「AMC FILMSITE」様より引用させていただきました。
その上で、タイトル名を日本語タイトルとしております。
感謝し謹んでお礼を申し上げます。
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正直言って、生まれる前の映画ばかりで、古典を勉強している積りの私でも、知らない映画がいっぱいです・・・・・
そんな中でも、すでにレビューを書いた作品が含まれているのに、かすかな「誇り」を感じました。
関連レビュー:大恐慌時代の良きアメリカ人
『素晴らしき哉、人生!』

フランク・キャプラ監督のヒューマンドラマの傑作
ジェームス・スチュワート主演のクリスマス映画の定番
関連レビュー:グランドホテル様式脚本の元祖
『グランドホテル』

グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォード共演
史上初のオールスター映画



posted by ヒラヒ・S at 17:23| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする