2020年02月24日

感動の実話映画『英国王のスピーチ』実在モデルを紹介!映画の後の2人は?/解説・意味・考察・評価・王権と近代

『英国王のスピーチ』(解説・実話紹介 編)

原題Black Dog
製作国イギリス・オーストラリア・アメリカ
製作年2010年118分
上映時間118分
監督トム・フーパー
脚本デヴィッド・サイドラー

評価:★★★★  4.0点



第二次世界大戦を戦い抜いたイギリス国王は、神々の王に挑戦する人間国王だった―
彼の苦闘の日々を、静かに、丹念に語って感動を呼ぶアカデミー賞受賞作。

この実話映画の登場人物を、映画の後の事実を含め、掘り下げてみました・・・・・・・
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<目次>
映画『英国王のスピーチ』予告・出演者
映画『英国王のスピーチ』実在モデル解説/ライオネル・ローグ
映画『英国王のスピーチ』実在モデル解説/ジョージ6世
映画『英国王のスピーチ』解説/人間としての王

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映画『英国王のスピーチ』予告

映画『英国王のスピーチ』出演者

ジョージ6世(コリン・ファース)/ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)/エリザベス妃(ヘレナ・ボナム=カーター)/エドワード8世(ガイ・ピアース)/ウィンストン・チャーチル(ティモシー・スポール)/大司教コスモ・ラング(デレク・ジャコビ)/マートル・ローグ(ジェニファー・イーリー)/ジョージ5世(マイケル・ガンボン)/スタンリー・ボールドウィン(アンソニー・アンドリュース)/ネヴィル・チェンバレン(ロジャー・パロット)/ウォリス・シンプソン(イヴ・ベスト)/エリザベス王女(フレイア・ウィルソン)/マーガレット王女(ラモーナ・マルケス)/メアリー王太后(クレア・ブルーム)/グロスター公爵(ティム・ダウニー)/ロバート・ウッド(アンドリュー・ヘイヴィル)/ラジオアナウンサー(エイドリアン・スカボロ)

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映画『英国王のスピーチ』実在モデル解説

ライオネル・ローグ

ジョージ6世の吃音症に、王と共に立ち向かった言語障害治療師の、映画で語られなかったエピソードを含めその姿を紹介。
ライオネル・ローグ(Lionel Logue, 1880年2月26日 - 1953年4月12日)は、オーストラリア出身のイギリスで活動した言語聴覚士。演劇俳優。
オーストラリア、南オーストラリア州のアデレードに1880年2月26日に4人兄弟の長男として生まれた。祖父のエドワード・ローグはダブリン出身で、醸造業を起こしていた。プリンス・アルフレッド・カレッジに入学、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの詩に出会い、言葉の持つリズムや音声に興味を持つ。また、雄弁術を学ぶ。アデレード大学では音楽を学ぶ。その後、パースで演劇活動を行う。(wikipediaより)

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1902年父親を亡くした後、ロ―グは教師として独自理論の実践を始めた。1904年までに、彼の仕事は地元の新聞から賞賛を受けるほどになるが、西オーストラリアの金鉱山会社の社員となり、そこで働く道を選ぶ。
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1907年には、当時21歳の書記官マートル・グルナートと結婚(写真)し、パースに居を構え、演技を教え、言語聴覚士の仕事をした。
彼は演劇を上演し、人前で公演するクラブを設立し様々な学校でパートタイムの教師となった。第一次世界大戦で、シェルショックに起因する発話障害に苦しむ帰還兵を扱い、言語障害治療で成果を上げた。
1924年、妻と3人の子供を連れてイギリスに移住し、サウスケンジントンで言語セラピーを開業。

1925年大英帝国博覧会(英語版)におけるヨーク公アルバート王子(後のジョージ6世)の吃音混じりのスピーチがラジオから流れた。
その頃、後にジョージ6世の秘書となる、スタンフォードハム男爵によってヨーク公はロ―グを知り、治療に通うようになった。
1926年に治療を開始したが、言語聴覚士としてローグの独学の療法は、当初は医療機関によって偽物として非難された。
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ローグは公爵の症状を喉頭と横隔膜の協調が不十分であると診断し、毎日1時間厳しいトレーニングを課した。公爵は彼の部屋に来て、開いた窓のそばに立って、それぞれの母音を15秒間大声で叫ばされた。
その訓練の場にはしばしば公爵夫人エリザベスが同席し、夫の練習を助けたと言われる。(写真:1930年頃のローグ)

その甲斐あって、吃音症は緩和して行き、公爵は1927年のキャンベラの旧国会議事堂の開会式演説スピーチでは、自信を持って話すことが可能となった。

1935年ローグは、英国言語療法士協会の創設者となり、後には言語療法士大学の創設者(1944)になる。
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1937年ジョージ6世の戴冠式でも、戴冠宣言スピーチの指導をし、式典中にも王に招待され妻とともに貴賓席に座り、その姿を見守った。その夜の新国王のラジオ放送が始まる前も、共にトレーニングした。(写真:ローグとジョージ6世のセラピー予約カード)

両者は真に親密となり、この冠式式の際にはローグはロイヤル・ヴィクトリア勲章メンバー章(MVO)を授与された。
1939年9月、ジョージ6世は第二次世界大戦の対独宣戦布告時のラジオ演説(イギリスならびに海外領土、イギリス連邦諸国への生放送)を行い、その際は吃らずに話し終えたと言われる。

ジョージ6世の吃音が治癒に向かうと、ローグと訓練する機会は減って行ったものの、1944年にはロイヤル・ヴィクトリア勲章のコマンダー章(CVO)を授与されるなど、その親交は死ぬまで続いたという。
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ジョージ6世は1952年2月6日に崩御。その年2月26日、ローグは夫を亡くしたエリザベス皇后に手紙を書いた。

「彼ほど熱心に働いた人はいなかったし、そして偉大な功績を達成されました。それらすべての期間において、あなたは彼にとって強さの塔であり、彼はあなたにどれだけ恩義があるか​、しばしば私に話したものです。そして、あなたの助けがなければ素晴らしい業績は決して達成されなかったでしょう。私の最愛の少女(1945に他界した妻を指すか?)が亡くなった後に、あなたが親切に助けてくれた事を決して忘れません。」
それに対し、皇后もローグに返信する。

「私はあなたが彼のスピーチだけでなく、彼の生涯と人生について、あなたが王をどれほど助けたかを誰よりもよく理解していると思います。あなたが彼のために成した全てに感謝します。」
王の死後から一年、ローグは1953年4月12日にロンドンで死去した。彼の葬儀には、ジョージ6世の長女であるエリザベス2世(2020年現在・在位中)、ジョージ6世の皇后エリザベスからも勅使が遣わされた。(バッキンガム宮殿のパーティーに向かう1953年のローグ)

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映画『英国王のスピーチ』実在モデル解説

ジョージ6世

吃音症に苦しむ王ジョージ6世の姿を、名優コリン・ファースが説得力を持って演じ見事オスカ―主演男優賞を獲得した。
その実際の姿に興味を持ち調べてみると、王である以上に人間として尊敬の念を抱いた。
ジョージ6世(英語: George VI、全名:アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ(英語: Albert Frederick Arthur George)、1895年12月14日 - 1952年2月6日)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)ならびに海外自治領(The British Dominions beyond the Sea)の国王(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)。また、最後のインド皇帝(在位:1936年 - 1947年)にして、最初のイギリス連邦元首 (en:Head of the Commonwealth)(在位:1949年4月28日 - 1952年2月6日)でもあった。(wikipediaより)

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後に即位する父(ジョージ5世)と王妃メアリーの次男として、王位継承順は長兄に次ぐ者として生まれた。家族内では、彼は非公式に「バーティー」と呼ばれ、幼児期はしばしば病気に苦しみ、「おびえやすく、涙が出やすい」と言われていた。
長兄エドワードが次期王として教育される中、彼はイギリス王室の一員として第一次世界大戦中は海軍、空軍の士官として従軍した。その後1919年ケンブリッジで学ぶとともに、王室行事に携わる中で、彼の吃音症とそれに対する羞恥は、内気な性格を見せ印象を冴えないものにしていたとされる。
1923年に、伯爵令嬢エリザベス・ボーズ=ライアンと結婚し、長女エリザベスと次女マーガレットの2王女をもうける。
<アルバート(後のジョージ6世)の結婚式>

当時の王族は、他国の王族と婚姻関係を結ぶことを求められていたが、アルバートは自由恋愛で妻を娶りたいと望み、エリザベスと出会って結婚を望むようになった。
しかし、エリザベスはアルバートの求婚を、1921年、1922年の二度断った。

それでも、エリザベスを諦められないアルバートはその後も求婚を続け、ついにエリザベスが承諾した結婚は、イギリス世論も王室近代化の兆しとして歓迎した。

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1936年父ジョージ5世死去により、兄エドワードが「エドワード8世」として即位したが、彼は離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望み、その結婚が、教会、議会の反対を呼び、拒否されたため「国王退位」を決断。(写真左:エドワード8世とウォリス・シンプソン/右ジョージ6世)
そして1936年の12月11日、在位日数325日にしてBBCのラジオ放送を通じ退位文書を読み上げた。
王位を継承する者への忠誠、英国の繁栄を祈ると語り、退位してウォリスと結婚する事は、王である前に一人の男性として後悔はないとし「愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことが出来ない」と表明した。

かくして1936年12月11日、弟のアルバートが「国王ジョージ6世(King George VI)」として急遽イギリス国王に即位する事となる。
国王の座を望まなかった、アルバートは側近に「これは酷い。私は何の準備も、何の勉強もしてこなかった。」と愚痴をこぼし、母の王太后の前で泣いたという。
<1938年スコットランド・グラスゴーの帝国博覧会の開会スピーチ>
途中で口ごもったり、一瞬どもったりするのが見て取れる。

第二次世界大戦前夜のイギリスは、チェンバレン首相によりナチスドイツとの宥和策を進めることになる。
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しかし、結局ヒットラーを止め得ず戦火に包まれる事になる。

戦中のジョージ6 世は、1940年首相に就任したチャーチルと緊密な関係を築き、4年半に渡り毎週火曜日に昼食を共にし戦争について話し合った。
ジョージ6世と同妃エリザベスは、ロンドンがドイツ空軍による大空襲に晒されても、ロンドンに留まることを選択した。

1940年9月13日にはドイツ空軍機が投下した2発の爆弾がバッキンガム宮殿の中庭に着弾し、宮殿で執務中だった国王夫妻が九死に一生を得たこともあった。
戦争に耐える庶民と積極的に触れ合い、苦難を分かち合う王夫妻の姿に、ジョージは英国人の勇気と不屈の精神の強力な象徴となり、王家の人気は急上昇したと言う。

戦中の王の姿は、1945年欧州戦線勝利の日バッキンガム宮殿前に集まったイギリス国民に、「我々に王が必要だ」と叫ばせることになった。

しかし戦争終結後は、戦中のストレスや過度の喫煙習慣により、肺や動脈硬化など複数の疾患を得て、徐々に公務が十分に果たせない体調となる。
1949年3月に動脈閉塞と、それに伴う手術を受け、1951年9月には左肺の悪性腫瘍が発見され手術を受けた。
療養中の王だったが、1952年1月31日にはロンドン・ヒースロー空港に、英帝国ケニア植民地、オーストラリアとニュージーランドへの訪問に旅立つエリザベス王女を見送った。
その僅か一週間後、1952年2月6日朝ベッドで崩御しているジョージ6世が発見された。死因は冠動脈血栓症とされ、享年56歳だった。
<1952年ジョージ6世の崩御を報じるニュース映像>

【大意】突然英国民は悲しみに包まれた。王は健康を回復出来なかった。(エリザベス)王女がエジンバラ公と英帝国の視察に出発する際には王は歩み一家で見送りをした。王女も手を振ったが、父を見るのはこれ最後になり、帰国した時には悲しむ国民の女王となっていた。新聞が運ばれると、全ての者が衝撃を受け、静まり返った。王の忍耐と勇気の内に王の義務を務めたことが健康を損なわせた。昨年の夏には緊急手術の報道が驚かせたが、王の勇敢な姿から国民にとって死は予想外だった。真にこの国と帝国の元首として、来るべき世代への手本を遺した。

時代は変わり、ジョージ6世の治世下で大英帝国の崩壊は進み、イギリス連邦へと移行していかざるを得なかった。

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映画『英国王のスピーチ』解説

近代人としての王


やはり、ジョージ6世とは、世界の近代化に連れその価値を減じて行く、旧世界の秩序の遺物としての「王制=宗教的神性=権威」を、いかに現代にフィットさせるかに心を砕いた存在なのだと感じる。
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兄がキリスト教会に背く「個人的な結婚」に走り王位を投げ捨て、ジョージ自らも「王族=神々の眷属」との結婚を拒否し妻を娶ったように、王族それ自身が神性を裏切らざるを得ない時代が到来したのだ。

それは、自らを神の一人と見なし、その事を信じ得られた、従来の王族であれば可能だった「絶対的確信=神としての自己規定」が喪われたことが原因だったろう。
近代の科学的知見と宗教的な教義との乖離が「宗教=神」に対する不信を生み、人類をして、初めて「神の不在」をその心に生ぜしめた。

その近代的な知見「神の不在」を前に、人は神に拠らず一個の人間として「近代的幸福=個としての幸福」を追求せざるを得なくなった事こそ「近代人の不幸」に他なるまい。
そんな不幸を前に、ジョージ「王=神」はそのアイディンティティたる「神性」を近代にはく奪されながら、それでも民衆から「王=宗教的神性=権威」である事を求められた。

しかし近代を生きる知識人として、ジョージは自らの神性を信じ得なかったはずだ。
自らの神性を否定しつつ、民衆の求める「王」である事に応え、更に「個人としての幸福」を満たし得なければ、兄同様その地位から逃走する以外、近代的悟性を持った人間には方法がないだろう。

これはいかにも困難な課題であり、よくぞ、1個の人間として正気を保ち得たものだと感心するほかない。

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この問題の本質は「王制=宗教的神性=権威」の図式の「宗教的神性」を、すでに本人も他者も認めていないと言う点にある。(写真:ロンドンのジョージ6世の銅像)

つまりは、「王」が「政治的権威」を持ちうるのは「神」だったからなのだ。
しかし「神が死んだ」近代において、「王」の「権威」の裏付けに「神」を持ち出せない。
もし、「神」に代わる「王」の「政治的権威」の裏付けが見いだせなければ、「王制」はたちまちその存在意義の根幹を奪われ、より民主的な大統領制に移行するだろう。

こんな困難な課題に対し、ジョージが取った解決策は革命的であったと思える。
彼は、「王」の「権威」の裏付けとして「神格」ではなく「人格」を用いたのである。

自らが、神ではなく、一人の幸福を求める近代人として、日々真摯に生きる姿をさらけ出した。
人間としての己が、庶民と同様、同じ苦労を、同じ喜びを味わい、自らの「王という機能」を、一個の「人」として全うする事で、国民の尊敬と信頼を勝ち得たのである。
「人としての王=ジョージ6世」は、自らの働きかけによって国民が団結し、戦争という苦難を乗り越えられたことに、この上ない安堵と喜びを感じたに違いない。

結局、近代の王権は、多かれ少なかれ「神の消滅」によって揺らぎ、その存在意義を問われたのだと思える。
その解決策がジョージ6世という王によって、優れた「人格=人間的格調」によって王権が成立し得ると証明された。
それゆえに、世界各国の王家が、今も存続し得ているのではないかと思ったりする。
<昭和天皇の人間宣言と地方行幸>

人間としての品格、優れた人格を保持すればこそ、現代の王は王たり得るのだろう。
<平成天皇の被災地行幸>

しかし、今その「職分」を果たす方々にとって、それがただの義務ではなく、喜びが伴っていることを切に祈られずにはいられない。



posted by ヒラヒ at 16:41| Comment(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月17日

アカデミー賞映画『英国王のスピーチ』吃音症と近代の苦悩・再現ストーリー/あらすじ・感想・解説・ネタバレ・ラスト

映画『英国王のスピーチ』(ストーリー・感想 編)

原題The King's Speech
製作国イギリス・オーストラリア・アメリカ
製作年2010年
上映時間118分
監督トム・フーパー
脚本デヴィッド・サイドラー

評価:★★★★  4.0点



「王権神受説」という言葉を、歴史の授業で学んだことを思い出した。

そもそも、かつて王とは神であった。
神ゆえに、国を統べる資格を持ったのである。


しかし、その神聖は20世紀に入り揺らぎ始める。
この映画の主人公ジョージ6世は人間でありながら、神々の王に挑戦しなければならなかった・・・・・・・
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<目次>
映画『英国王のスピーチ』ストーリー
映画『英国王のスピーチ』予告・出演者
映画『英国王のスピーチ』感想/近代と「王=神々」
映画『英国王のスピーチ』解説/受賞歴
映画『英国王のスピーチ』ネタバレ・結末

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映画『英国王のスピーチ』ストーリー

1925年の大英帝国博覧会。大英帝国の王子、ヨーク公アルバート(コリン・ファース)は、妻の公妃エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)とともに、父王ジョージ5世(マイケル・ガンボン)の名代としてスピーチを行う。
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しかし、幼いころから吃音に悩まされてきた、彼のスピーチは聞くにたえなかった。

アルバートの妻エリザベスは車中にあって、ロンドンのとある住所に向かう。
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アルバートの吃音症の改善を求め、何人もの言語療法士を試してきて、今また、噂に聞いたオーストラリア出身のライオネル・ローグの元を訪れたのだ。エリザベスは彼に望みを託し、後日夫アルバートと共にライオネルの元を訪ねる。
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ライオネルは王子アルバートに対して、裸の人間として付き合えなければ治療できないと、お互いを愛称で呼ぶことを求め、アルバートを怒らせてしまう。懐疑的なアルバートに向かいライオネルは実験だとして、ヘッドフォンをした状態で本を朗読させ、その声を録音した。
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その途中でバカバカしいとアルバートは部屋を後にした。ライオネルは出て行くアルバートに「記念に」と、朗読したレコードを渡した。

英国王恒例のクリスマス・スピーチを、ジョージ5世が国民に向け語りかける。
そのBBCの放送が終わった後、ジョージ5世は同席したアルバートにスピーチの練習を強いた。
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父王は、アルバートの兄デイヴィッドが離婚歴のあるアメリカ女性と結婚を望んでいるのを知り、それでは英国教会の長である王にはなれないと危惧していた。
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スターリンやヒットラーとの戦いが迫る今、アルバートが王としてスピーチする日が来るとプレッシャーをかけた。
その父王を前にして、アルバートは必死に言葉を発しようとするが、焦るほどその口から出てこなくなった。

家に帰ったアルバートは、ライオネルの録音したレコードに針を落とした。
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するとそこには、流ちょうに流れる自分の声があった。

アルバートはライオネルの治療に希望を託し、愛称で呼ぶことは認めないものの、そこで行われるユニークな訓練に妻と共に向き合う。
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そして、徐々に自らの個人的な話をするようになり、親しさをましていった。

そんな中、1936年ジョージ5世が崩御し、長男デイヴィッドがエドワード8世(ガイ・ピアース)として即位した。king_edw.jpg
しかし、アメリカ女性との結婚を諦めきれず、公然とその関係を続けていた。議会はキリスト教の教義に反しており、英国王に相応しくないと、日々非難の声が高まっていった。

そんな中でライオネルとの訓練を続けるアルバートは、親しくなった彼に自らが王位につくことの苦悩と恐怖を語る。しかし、逆にライオネルから王になるべきだと言われ、激怒し絶交を告げる。
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そして、本当に彼の元を訪ねなくなり、心配したライオネルが城を訪ねても顔も見せなかった。

高まる批難の中、兄デイヴィッドは玉座よりアメリカ女性との結婚を選び、エドワード8世の治世は終わりを告げた。
アルバートはジョージ6世となり、王位継承評議会で宣誓をしたが、相変わらず言葉は上手く出てこない。

ジョージ6世は自分が王となる事態に、その苦悩を妻エリザベスに泣きながら語った。

【意訳】ジョージ6世:私は王ではない。/王妃:あああなた/ジョージ6世:私は海軍士官だ。それが分かっている全てだ。私は王ではない。私は王ではない。すまない。/王妃:いいえ/ジョージ6世:すまない。/王妃:いいえ、バカ言わないで。お願い。あなた。大切な、あなた。/ジョージ6世:すまない。/王妃:ねえ知ってる。私が最初あなたの2回のプロポーズを断ったのは、あなたを愛していなかったからじゃない。王家の生活を考えると耐えられなかったから。行幸の旅や、公的責務を考えると耐えられなかった。そう、人生は短いし、人生を本当に自分のものにしたかった。でもその時思ったの、その吃音がステキって。私達を自由にしてくれるって。

そして英国教会での戴冠式を前に、再び、アルバートはライオネルのもとを訪れる。

映画『英国王のスピーチ』予告

映画『英国王のスピーチ』出演者

ジョージ6世:ヨーク公アルバート(コリン・ファース)/ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)/エリザベス妃(ヘレナ・ボナム=カーター)/エドワード8世(ガイ・ピアース)/ウィンストン・チャーチル(ティモシー・スポール)/大司教コスモ・ラング(デレク・ジャコビ)/マートル・ローグ(ジェニファー・イーリー)/ジョージ5世(マイケル・ガンボン)/スタンリー・ボールドウィン(アンソニー・アンドリュース)/ネヴィル・チェンバレン(ロジャー・パロット)/ウォリス・シンプソン(イヴ・ベスト)/エリザベス王女(フレイア・ウィルソン)/マーガレット王女(ラモーナ・マルケス)/メアリー王太后(クレア・ブルーム)/グロスター公爵(ティム・ダウニー)/ロバート・ウッド(アンドリュー・ヘイヴィル)/ラジオアナウンサー(エイドリアン・スカボロ)

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映画『英国王のスピーチ』感想


かつて王は神であったといえども―
「神の絶対的権威」は近代において圧倒的な敵を前に、臨死状態を迎えることとなる。
即ち、共産主義といい、民族主義に基づく軍国主義といい、さらに決定的な役割を果たした民主主義という怪物は、ついに絶対者をも「多勢の声」を武器に解体せしめる。

この映画の主人公「ジョージ6世」は、「神の喪失」した時代に「王」とならざるを得なかった。

そう思えば、彼は「王」でありながら「神」ではないという、「自己存在の喪失」ゆえに、言葉を発する事ができず「吃音症」となったと解するべきであろう。
大衆は、過去の「神に連なる王」達を期待しつつも、同時に現代の王が「神ではない王」である事を知っている。
その大衆に向かって「神ではない王」は、生身の人間として「神に連なる王」に匹敵する存在である事を、証明しなければない。

それは、「人」でありながら「神」に挑戦することに等しい。
この不可能に挑戦することを義務づけられた、史上初の王こそ「ジョージ6世」であったろう。
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左/ジョージ5世:中/ジョージ6世/右:エドワード8世

神として存在した父王ジョージ5世は、その厳格さを持って神になることをその子供に強制した。しかし、既に神の時代が終わったことを悟った、兄エドワード8世はさっさと神の場所を放棄し人間として俗世に下りていく。残されたジョージ6世は、神にもなれず、俗人にもなれず、その中間で逡巡せざるを得ない。

この映画は、その「神ではない王」の苦闘とその克服を、繊細な演出と、存在感のある演技によって丹念に描き感動的だ。

生身の人間が「神」に近づくための道が、主人公とその協力者の言語療法士が取った方法に示されているように思う。

身分や生い立ちを消し去り、己を人間存在のまま認識すること。
素の人間存在となった時、自らの内に「神の似姿=徳性」を人は見出すに違いない。
その内なる「神の徳」を認識した人間の言葉は、自ずと「神性」を持って響くであろう。

この療法士は、それまで「平等の立場」として主人公の前に立ってきたにも関わらず、演説の後に初めて「陛下」と呼ぶ。

それは、主人公が過去のしがらみを捨て去り「素の人間」から、「己の神性」を発見し、真に「神につながる人間存在」=「王の属性」を、その「言葉」によって伝えたからに他ならない。

人は誰でも「自らの中に神性」を見出せるのだというメッセージが、静かに、だが確実に、物語の中に埋め込まれており、見る者の無意識にそっと染み込むようなその語り口も、大変魅力的だと感じた。

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映画『英国王のスピーチ』解説

受賞歴・アカデミー賞授賞式紹介

ゴールデングローブ賞、主演男優賞
第83回アカデミー賞、作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞受賞他
2010年(第64回英国アカデミー賞、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、英国作品賞他
第35回 日本アカデミー賞、外国作品賞
第76回NY批評家協会賞 男優賞
第36回LA批評家協会賞 男優賞

第83回アカデミー賞・主演男優賞スピーチ

プレゼンターはサンドラ・ブロック
変な髪型でオスカーを取った(ノーカントリー)とからかいながらハビエル・バルデム(ビューティフル BIUTIFUL)を紹介/去年オスカーを取ったのに(クレイジー・ハート)まだ欲しいの考えなさいと、ジェフ・ブリッジス(トゥルー・グリット)を紹介/あなたの力はソーシャルネットワークでスパークしたと、ジェシー・アイゼンバーグ(ソーシャル・ネットワーク)を紹介/エリザベス女王がこの映画を楽しんだそうねと、コリン・ファース(英国王のスピーチ)を紹介/ドラマ『ジェネラル・ホスピタル』で子供を迎えに行く主婦に貢献したと、ジェームズ・フランコ(127時間)を紹介
受賞者はコリン・ファース(英国王のスピーチ)。

【受賞スピーチ・意訳】
キャリアのピークを終えたと感じています。アカデミーに深く感謝します。実は今お腹の辺りがゴロゴロとしています。喜びのあまり、今にも踊りだしそうな雰囲気です。ステージを降りる前に足に来るのを恐れています。それで、私の感謝の言葉は出来る限り手短にしたいと思います。最初にこの才能高き俳優たちの並外れたリストに載っていることに対して。これは非常に恐るべきことで、おそらくこれが最大の名誉です。

すべてのスタッフと、ここにいる、そして、いない仲間の俳優に。ジェフリー、ヘレナ、ガイ。その名声が、私が計画していたひどい演技をするのを非常に難しくしました。そしてデイビッド・サイドラー、彼自身の苦労(脚本家も吃音症だった)が非常に多くの人々に美しい声の恩恵を与えました。そしてトム・フーパー(監督)、彼が解釈した、並外れた勇気と明確な視野に。スクリーンで映画を洗練させた人たち、Gareth、Emile、Iain、Xavier、そしてもちろんHarvey。私が20年前にただの子供だったとき、最初に拾い上げてくれました。

そして、私を応援してくれ家いるすべての人々。友人のポール・リヨン・マリス、クリス・アンドリュースそしてジェシカ・コルスタッドも、恵まれない瞬間と幸運な瞬間を共に過ごしてくれました。そして、私自身、非常に大きな部分を占めているトム・フォードと私の非常に幸運な友情に。そして、私の家系を構成するアングロ-イタリア-アメリカ-カナダ系に。そして、リヴィア、私のつかの間の王族の妄想に我慢してくれた、そして私がその責任を負っている人。私の本当に良いことすべては彼女に会ってから起きた。さて、皆さんがすみませんが、舞台裏に行かなければならない衝動がきました。ありがとうございます。
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関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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以下の文章には

映画『英国王のスピーチ』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
戴冠式が迫っていた。そのリハーサルにジョージ6世はライオネルと共に臨んだ。国教会の大司教コスモ・ラング(デレク・ジャコビ)は、ジョージ6世がライオネルを王室家族が座る貴賓席に座らせ、自分のスピーチを見守らせたいという言葉に難色を示した。
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しかしジョージ6世は押し切り、他の言語療法士を紹介すると言う大司教の勧めも断り、ライオネルを守った。
2人きりになり、ウェストミンスターの玉座の前でリハーサルに入る。そこで、ジョージ6世は自らの苦悩と恐れを語り、ライオネルは「あなたは誰よりも忍耐強く勇敢だ。立派な王になる」と励ました。
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戴冠式は無事済んだものの、その頃ヒットラーのポーランド侵攻があり、イギリスはドイツに宣戦布告した。
それを受けて、ジョージ6世はラジオで戦争開始のスピーチを行うこととなる。
ジョージ6世とライオネルは、演説に向け練習を重ね、ついに放送当日を迎えた。

その場には、国教会の大司教、チェンバレン首相(ロジャー・パロット)、そしてチャーチル海軍大臣(ティモシー・スポール)がひかえ、放送室に向かうジョージ6世を励ました。
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放送ブースの中で、ジョージ6世とライオネルは向かい合って演説に臨む。ライオネルは王を励まし、鼓舞し、リズムを刻んだ。
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エリザベス妃は緊張の面持ちで、放送を聞いていた。
ジョージ6世の演説は、BBCの電波に乗って、戦争前の不安に苛まれる人々の胸に、広がっていった。

映画『英国王のスピーチ』ラスト・シーン

放送を終えたジョージ6世は堂々とその歩みを進める。その周りから称賛の声が沸き起こった。
【意訳】BBC職員:おめでとうございます/ジョージ6世:有難う(座る)どうかな?/カメラマン:完璧です。/ローグ:あなたの最初の戦時下のスピーチです。おめでとうございます。/ジョージ6世:これから何度もやることになるだろう。有難う、ローグ。良くやってくれた。友よ。/ローグ:感謝いたします。陛下。/王后:信じていたわ。有難う、ライオネル。/ジョージ6世:行こう/おめでとうございます/立派でございました/素晴らしいです、陛下、言葉が有りません。/ジョージ6世:諸君。(娘を抱き)それで、パパはどうだったエリザベス?/エリザベス:最初はゆっくりだったけど、良くなったわパパ/ジョージ6世:福音だね/ジョージ6世:じゃあ、マーガレットはどう思った?/マーガレット:本当にすごかったわ、パパ。/ジョージ6世:もちろんそうさ/準備はよろしいですか/王后:みんな準備はいい、さあ娘たち。

そしてその後の二人の関係が、テロップで示される。
”王ジョージ六世は1944年にライオネル・ローグにロイヤル・ヴィクトリア勲章コマンダー章を授けた。そのライオネルに示された、王からの高い感謝を表す栄誉は、君主に対する個人的奉仕の行為、王に忠義な騎士に報いるために贈られる、唯一の勲章である。戦争スピーチには毎回ライネルが立ち合った。その放送を通じて、ジョージ6世は国民の抵抗のシンボルとなった。ライオネルとバーティー(ジョージ6世)は残りの人生を通じて友であり続けた。”




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(4) | TrackBack(1) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月21日

映画『シェルタリング・スカイ』漂泊の果てに見えたテーマとは?/あらすじ・感想・解説・ネタバレ・ラスト・評価

映画『シェルタリング・スカイ』の遭難

原題 The Sheltering Sky
製作国 イギリス
製作年 1990年
上映時間 138分
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
脚本 マーク・ペプロー、ベルナルド・ベルトルッチ
原作 ポール・ボウルズ 『極地の空』
音楽 坂本龍一


評価:★★★   3.0点



この映画に映し出される、その圧倒的な自然に打たれる。
そんな、人間が自然に屈服された地において、アメリカ人夫婦がたどる運命は必然として有ったように思える。

ベルナルド・ベルトルッチの 壮大な映像と、坂本龍一のアラブ世界を象徴する音楽が、見る者を異邦の迷宮へと誘う。

しかし実際のところ、この映画自体が迷宮のようで、何を語っているのか不明瞭で、どこに連れていかれるのかと不安を覚えた・・・・・・
とりあえず個人的に、それなりにこの映画に解釈を巡らせ、考察した結果を語って見たいと思う。

タイトルの

シェルタリング・スカイの意味

を原作者ポール・ボウルズは以下のように語る。
「私たちが避難している空の下でどれほど壊れやすいか。避難している空の後ろには広大な暗い宇宙があり、私たちはとても小さいのです。」

これを解釈すれば、大自然の中の無力な人間を描いたのかと思えるのだが・・・・・・・
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<目次>
映画『シェルタリング・スカイ』ストーリー
映画『シェルタリング・スカイ』感想
映画『シェルタリング・スカイ』考察/作品中に見えるテーマ
映画『シェルタリング・スカイ』ネタバレ・結末
映画『シェルタリング・スカイ』ネタバレ解説/ラストから見たテーマ
映画『シェルタリング・スカイ』評価

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映画『シェルタリング・スカイ』ストーリー


第二次世界大戦が終わった1947年、北アフリカの港に客船が着いた。
降りてきた乗客に、ニューヨークからやって来た作曲家のポート・モレスビー(ジョン・マルコヴィッチ)と、その妻で劇作家のキット(デブラ・ウィンガー)、そして夫妻の友人タナー(キャンベル・スコット)がいた。
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モレスビー夫妻はタナーに、我々は旅行者ではなく移住するかもしれないと語った。

そして3人はタンジールのグランド・ホテルに泊まった。
しかし、モレスビー夫妻は結婚して10年を経て、それぞれ寝室を分けるほど倦怠期を迎えていた。そんな夫ポートは、アフリカについて早々、ポン引きに連れられ現地の娼婦と遊び、危険な眼に遭った。
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妻は朝帰りの夫が何をしてきたか、正面から聞かず鬱屈を溜め込んだ。
その日、夫ポートはホテルで同宿したイギリスのトラベル・ライター、ライル夫人(ジル・ベネット)とその息子エリック(ティモシー・スポール)の車に便乗する事にした。
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しかし、列車が嫌いだと妻キットは言いながら、ポートの誘いを断りタナーとの列車旅を選んだ。
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キットとターナーは列車でシャンパンを空け、着いたホテルの同じ部屋で朝を迎えた。

そんな夫婦だったが、再び合流すると、ターナーを残しアフリカの大地のサイクリングに出かけた。そして、アフリカの蒼天の下愛し合おうと体を重ねた。
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しかし、お互い愛を確かめようと言葉を重ねる内に、達する事はかなわなくなった。

夫ポートは、ターナーとキットの関係に疑念を持ち、ターナーをライル夫人母子の車に乗せると、夫婦水入らずの旅を続けた。
アフリカの奥に進むにつれ、二人の関係が好転するかと見えた。しかしその時には、ポートの体はチフスに犯されていた。キットは意識も朦朧としたポートを外人部隊の砦に運び込み、献身的に看病を続けた。
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しかし、砂漠の最果ての地でポートは息絶える。

夫の死に抜け殻のようになったキットは、トランク一つを持って、砂漠へとさ迷い出た。
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そこに通りかかった、アラブ人の砂漠キャラバン隊に助けを求め、キットはラクダの背に乗り目的地も知らず進み始めた・・・・・・・

映画『シェルタリング・スカイ』予告

映画『シェルタリング・スカイ』出演者

キット・モレスビー(デブラ・ウィンガー)/ポート・モレスビー(ジョン・マルコヴィッチ)/ジョージ・タナー(キャンベル・スコット)/エリック・ライル(ティモシー・スポール)/ライル夫人(ジル・ベネット)/スマイル(ベン・スマイル)/フランス人女性(ニコレッタ・ブラスキ)/ナレーター(ポール・ボウルズ)
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映画『シェルタリング・スカイ』感想


正直言えば、未だに全て腑に落ちているとは言い難いのだが・・・・
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砂漠の美しさや、坂本隆一の音楽の美しさが、この映画に品格のようなものを与えていると感じる。

それは、壮麗な紫禁城を描き切った『ラスト・エンペラー』にも似て、偉大な光景を捉えるベルトッチ監督の映像感覚の鋭さゆえだと感じる。
しかしその反面、個人的な印象としては、ドラマとしての説明が不十分であるようにも思える。

つまりは、ビジュアルほどにドラマが強くないとも言える。
そこで思い出すのは、かつてのハリウッドの大監督ジョン・ヒューストンだ。

彼が撮った『アフリカの女王』という1952年の映画は、俳優ハンフリー・ボガートにアカデミー賞をもたらした秀作だった。
しかし、この監督ジョン・ヒューストンの真の動機は「象狩り」だったのだ。
関連レビュー:『アフリカの女王』の舞台裏
『ホワイトハンターブラックハート』
イーストウッド監督主演のジョン・ヒューストン伝記
『アフリカの女王』の混乱した現場の実態とは?

何を言いたいかと言うと、ベルトッチ監督にとっても、この映画のモチベーションは別にあり、アフリカの砂漠を撮る事こそ、この映画製作の目的ではないかと言う邪推だ。

そのアフリカの大地、大自然が、あまりにも壮大で美しく、映画内で光り輝いているのは、この監督の「砂漠愛」ゆえではないかと感じたのである。

しかし実際のところ、製作者のモチベーションとその作品のコンテンツが「かい離」を起こすことは、往々にしてあるように感じる。

その良い例として『タイタニック』が思い浮かぶ。
その映画は「恋愛映画」として一時代を築いたが、ジェームス・キャメロン監督が真に描きたかったのは「タイタニック」そのものだったと信じている。

関連レビュー:ジェームス・キャメロンの執念
『タイタニック』
世界一の興行収入記録を打ち建てた大ヒット作
レオナルド・デカプリオとケイト・ウィンスレットの恋愛劇
それでも『タイタニック』の場合、レオナルド・ディカプリオのスター性によって、女性たちの心を掴み恋愛ドラマとして成立し、商業的に成功を得た。

しかしこの映画『シェルタリング・スカイ』では、監督の砂漠愛ほどには、上手く物語のドラマを構築し得なかったのではないか。

つまり、ベルトッチ監督の関心と、描かれるべき物語が上手く折り合わなかったがゆえに、見る者に混乱を生じたのだと個人的には思えた。

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映画『シェルタリング・スカイ』考察

作品中に見えるテーマ

じつを言えば「テーマ」と書きながら、何ら自信があるわけではない。
単に映画内での情報を集積して行けば、以下のように「テーマ」として集約できるという、個人的な裁断だとお断りしておく。

この映画は冒頭、アメリカからアフリカに来訪した夫婦とその友人が、アフリカの子供たちに荷物を運ばせるところから始まる。
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ここで描かれたのは、西洋文明が非西洋を支配するという「植民地的優越」の表れだったろう。

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しかし、この夫婦が夫婦として破綻しているのは、夫が娼婦を購い、妻が友人と不倫する事で明らかだ。

そして、この結婚という「西洋キリスト教の神聖な契約」がすでに効力を持ち得ないという点で、「西洋文明」の衰退を示す記号でもあるだろう。
そんな夫婦が、「ニューヨーク=西洋文明のメッカ」を離れ、アフリカの地で夫婦関係を再構築しようとする。
この2人の行動が表すのは、すでに「西洋文明」の下で上手く作用しない関係を、「非西洋」の地で賦活させる試みだった。
実際その試みは効を奏す。

蒼天の下、体を重ねた2人は、達する事は叶わなかったものの、お互いの愛が存在するという事実は確認し得たと描かれていると見たい。
<アフリカの空の下愛を交わす2人>

【意訳】キット:何て不思議な空。本当に固そう。/ポート:隠されたモノから俺たちを守っているかのようだ。そうだろ。/キット:隠されたモノって?/ポート:何でもないさ。ただの夜だ。/キット:私はあなたのようになりたいと思うわ。でも無理。/ポート:たぶん俺たちは同じものを怖がっている。/キット:違う、私たちは違う!あなたは1人を恐れない。そして何も必要とはしていない。誰も必要とはしていない。私がいなくても生きて行ける。/ポート:君は知っているか、俺にとって、愛するとは君を愛する事だ。どんな災難が2人の間に起きようと、そこに決して誰も入り込めないし、大丈夫さ。/キット:たぶん二人とも、愛しすぎるのを恐れているのね。(叫ぶ)さあ行きましょう。
そして、その愛の確認は、アフリカの奥地へと向かうにつれ、西洋から離れるにつれ、より確実なものへと深化して行く。

しかし、実は、夫は既にアフリカの自然に征服され、命を奪われようとしている。
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そして、アフリカの「外人部隊の砦=西洋と非西洋対決の最前線」で夫ポートが死ぬこととは、端的に「西洋文明」がアフリカの大自然に屈したことを表すだろう。

その事は、夫を喪った妻キットが、アフリカの自然と共存する「現地民=非西洋人」と関係を結ぶことで、更に「西洋文明の屈服」を強く印象付ける。
それは、冒頭の「植民地的支配の西洋の優越」との対比で、真に「西洋文明の優越」は「非西洋」の地で可能なのかとの問いかけだと思える。

更に物語を追えば、「非西洋」に犯され、屈服した「キット=西洋」は、結果的に「非西洋社会」にも居場所を得られない。
結局、現地のキリスト教救護院に保護され、西洋文明へと戻る加療を受ける。

以上、物語を追う中で見えてきたのは、「西洋」が「非西洋」に、「非西洋の地」において敗れ屈服するドラマだったろう。

念のため補足すれば、ここで語る「西洋」「非西洋」とは、下の記事で書いたサイードの「オリエンタリズム」の概念を指している。
関連レビュー:サイードと「オリエンタリズム」
『ホワイトウォッシング映画紹介』
ホワイトウォッシングを喜ぶ日本人の心理
「西洋文明」と「非西洋」に潜む価値観


しかし、こんな解釈が砂のように崩れ去る言葉が、その結末で語られる。
この映画の、ある意味、衝撃的なラストを見ずして、この映画のテーマは語れない。

それゆえ、この先の考察に関しては、下記で記した「ネタバレのラストシーン」以降に再度検討すべきだろうと思う・・・・
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以下の文章には

映画『シェルタリング・スカイ』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
砂漠の上をアラブ人の隊商と共に移動する中で、その隊長に好色な誘いを受けるキット。
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そして、旅の終わりには隊長から家を与えられ、何人かいる妻の末席に連なった。
そんな彼女を快く思わない隊長の妻達に追い出されたキットは、市場で食べ物に手を伸ばし捕まえられた。
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キリスト教の救護院で1人うずくまるキットを、アメリカ大使館員が訪ねる。
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ずっと行方を探していたタナーの待つ地へと、キットは向かう。
そこはアフリカ旅行の最初の地タンジールだった。
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しかしタナーが来た時、車に居るはずのキットは、もはやどこかへと姿を消していた・・・・・・・
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映画『シェルタリング・スカイ』結末・ラスト

キットは、アフリカ上陸時に立ち寄ったバーを見つけると、中に足を踏み入れた。
そこには、前回にもいた老人が座っていた。
【意訳】老人:道に迷ったのかね?/キット:はい。/老人:なぜか、我々は死ぬ時まで、それに気が付かない。我々は人生を、無尽蔵な井戸だと考える。しかし、何事もできる回数は限られていて、実際のところ、その回数はほんのわずかだ。幼い頃の昼下がりを、あと何回思い出すだろう?それが自分の人生を作ったと思うほど、君の奥深くの一部になっている、そんな昼下がりをだ。恐らく、四、五回、いや、それほど多くないかもしれない。のぼる満月を見るのは、あと何回だろうか? 恐らく20回くらいだろう。それなのに、まだ、それが限りないように思っている。


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映画『シェルタリング・スカイ』解説

ラストシーンから見た「テーマ」

救護院から出たキットは、「友人ポート=西洋文明へのパスポート」から逃れ、一軒のバーに入る。
それは冒頭でも訪れた場所であり、西洋と非西洋が混在する場所でもある。

そこでキットは「迷ったか?」と老人(原作者のポール・ボウルズ )尋ねられ、笑顔で「イエス」と答えるのだ。
この最後の「迷った」と言う言葉によって、私自身も迷うことになる。

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例えば、キットが「非西洋から逃れ」アフリカの地で「非西洋」に馴化するのであれば、混乱は生じない。

西洋文明は非西洋を征服する事はできないと言うテーマに収束されるだろう。
また、キットが再び友人ポートと抱き合い、共にアメリカに帰るというラストであれば「迷った」という言葉も、解釈し易い。

その「迷った」という言葉は、西洋文明はしょせん西洋以外では機能しないと結論づけられるだろう。
しかし、キットは「アフリカ=非西洋」に馴化せず、「西洋文明への復帰」もせず、ただ「迷った」という。

再び個人的には、このドラマを全て明快には割り切り得てないと思わざるを得ない。
その上で、キットの「迷った」という言葉を、「西洋文明の力の喪失」によって現代世界の混乱を生じ、現代人の行方を定まらなくさせているとの比喩だと、強引に解釈したくなる。

だが、そうはさせない結びのセリフが待っている。
この映画の最後で「大事なこともほんの数度思い出すだけだ」と語られる。
そう言われてしまえば、夫が死んだのも砂漠で妾になったのも、一時の気の迷いだと告げられたようなものだ。
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けっきょくキットが微笑みと共に「迷い」を肯定する時、それこそ「東西の対立」も「自然と人間の対峙」も「愛の葛藤」も「現代人の迷い」も蜃気楼の如く消え去るだろう。

この話は単に、運の悪い女性の数奇な物語にすぎないと、最後に宣言されているからだ。

そんな話であれば、ファンタジー仕立ての白雪姫のごときスタイルを取るべきだった。

砂漠はなぜ?

愛はどこ?

怒りを込めつつ、この映画のテーマは「砂漠で人は迷う」と総括しておく。

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映画『シェルタリング・スカイ』評価


長々と書いたが、なんだかんだいった所で、この映画は私自身の読解力の限界を、如実に思い知らせてくれた。

それゆえ以下は、この映画を理解し得なかった者が下した評価であり、その言い訳だ。

しかし、その上で強弁するのだが、何度見てもこの映画は舌足らずで、ドラマの流れも右往左往し、テーマらしきものに収れんしていく気配がない。
それゆえ、この映画は監督が砂漠のアチラコチラを撮りたいがゆえに、ドラマをでっち上げたのではないかと、そう邪推するのだ。

それは、まるで映画『カサブランカ』のように、ドラマがドラマを語る以外の目的のために構築されているとすら思える。
関連レビュー:脚本メチャクチャですが?
映画『カサブランカ』解説

ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン共演
古典的ハリウッド映画の代表作
しかし残念ながらこの映画の砂漠美は、『カサブランカ』のハンフリ―・ボガートやイングリット・バーグマンほど、世間を魅了しなかったようだ。

実際、Yahoo!映画の口コミ評価は3.7、Movie Walkerで3.5という標点は、日本国内のサイトでほぼ似た数字である。
また外国の映画サイトで言えば、IMDBで10点中6.8、ロッテン・トマト 50%と、これまた半分ほどの評価だ。

その批評を読むと、やはりドラマの不明瞭さが問題とされているようだ。

個人的に言えば、作品の砂漠映像など撮影の美しさには★4つは付けたいと思う。

しかし、ドラマには★1つが妥当だろう。

両者を足して2で割り、★2.5のところ、音楽の力を加味し★3.0とした。
<坂本龍一『シェルタリング・スカイ』挿入曲『 SURREAL song IN SAHARA 』>



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | イギリス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする