2022年07月10日

映画『風と共に去りぬ』完璧な映画技術で語る時代錯誤性とは?/感想・解説・ネタバレなしあらすじ・アメリカ南部と映画表現

映画『風と共に去りぬ』(感想・解説・考察 編)

原題 Gone with the Wind
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 233分
監督 ヴィクター・フレミング
脚色 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル


評価:★★★★☆  4.5




1939年の古典的超大作。
映画史に残る、ハリウッド映画を代表する作品であり、その表現力の高さは、100年を経過しようかという現在でも色あせていないと感じる。

しかし、旧弊な価値観を内包しているため、多くの批判にさらされている作品でもある。

それらの批判を下で解説し、更に映画にとっての「語られるもの(テーマ)」と「語る技(表現技術)」との関係を考察してみたい。
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<目次>
映画『風と共に去りぬ』ネタバレなし簡単ストーリー
映画『風と共に去りぬ』予告・出演者
映画『風と共に去りぬ』感想
映画『風と共に去りぬ』解説・前時代性
映画『風と共に去りぬ』考察・プロパガンダ

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映画『風と共に去りぬ』簡単ストーリー


1861年、アメリカ南北戦争の前夜、タラ農園の令嬢スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)は農園主の父ジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)と母エレン・オハラ(バーバラ・オニール)と2人の姉妹と、黒人の乳母マミー(ハティ・マクダニエル)や綿花農園に働く多くの奴隷とともに住んでいた。パーティ―で男たちを虜にし、楽しんでいるスカーレットだったが思いを寄せるアシュリー・ウィルクス(レスリー・ハワード)がいとこのメラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の結婚にショックを受けた。そのパーティーでは悪名高いレット・バトラー(クラーク・ゲイブル)と初めて会う。スカーレットはアシュリーとメラニーの結婚にショックを受け、衝動的にチャールズ(チャールズ・ハミルトン)と結婚をする。
しかし南北戦争がはじまると、夫チャールズは南北戦争で戦死し、戦争で南軍の敗色が濃くなると、戦火は南部の諸州を飲み込み、タラ農園は焼け野原と化し、母は死に、父は廃人となった。一方のレットは南軍の英雄となり、スカーレットの危機を、何度も救っていた。戦争が終わり、スカーレットには荒廃したタラ農園と、家族、そして思いを寄せるアシュリーを含めて、養っていく義務が課された。スカーレットは雄々しく運命に立ち向かい、重税を払うため再び資産家の夫と結婚したが、その夫にも先立たれてしまう。そんなスカーレットにレットが求婚し、優雅な新婚生活を送り愛娘も生まれた。しかし、スカーレットの心にはアシュリーがおり、それがレットの嫉妬を搔き立てるのだった。そして悲劇が起きる・・・・・・・
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映画『風と共に去りぬ』予告


映画『風と共に去りぬ』出演者

ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ)/クラーク・ゲイブル(レット・バトラー)/レスリー・ハワード(アシュリイ・ウィルクス)/オリヴィア・デ・ハヴィランド(メラニー・ハミルトン)/トーマス・ミッチェル(ジェラルド・オハラ)/バーバラ・オニール(エレン・オハラ)/ハティ・マクダニエル(マミー)/ボニー・バトラー(カミー・キング)/ジェーン・ダーウェル(ドーリー)/ウォード・ボンド(トム)/ランド・ブルックス(チャールズ・ハミルトン)
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映画『風と共に去りぬ』感想

この映画が製作された1939年とは、欧州で戦火が上がり、世界は第二次世界大戦へと向かう時期に当たる。

1929年の世界恐慌の経済的危機から始まり、日本を含めた世界は、異常気象による作物の大凶作で飢饉にも見舞われ、最悪な経済状況下で大勢の餓死者が出るという悲惨な状況だった。

例えばこの時期、日本の東北農家では娘を売ったり嬰児を間びく事態となり、ウクライナではソ連のスターリン書記長の強引な収奪によってホロドモール(大量飢餓)が引き起こされ、数十万人が餓死したとされる、そんな時代だった。
関連レビュー:スターリンとホロドモール
『チャイルド44 森に消えた子供たち』
スターリン時代の連続殺人鬼を追う捜査官
娯楽と実話の関係を徹底解説!!

そんな1939年に、この映画が作られたことを考えれば、これは偉業だと言う他に言葉が見つからない。

4時間(233分)にも及ぶ超大作だが、その4時間で抜けたところがないのも凄い。

導入部のパーティーから、前半の戦争シーンにおけるスペクタクル溢れる映像が、CGのない時代でありながら、現代映画に見劣りしない迫力で撮られているのである。

CGに較べれば、実際に街が燃え落ちるシーンも一発勝負で撮影されて、その生々しい緊迫感は実写ならではの迫力で見るものを圧倒する。
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この町が燃え落ちる場面は、この映画を代表するシーンとして、よく取り上げられる。

しかし、それ以上に圧倒されたのが、南軍傷病兵が延々地平線まで横たわるような野戦病院のシーンである。
<アトランタ駅の傷病兵>


いったい何人のエキストラを使ったのだろう?

後年の『クレオパトラ』の人海戦術もすごいが、このシーンだって決して負けていない。
<『クレオパトラ』予告>

後半に入ると、前半のスペクタクルから、女性の自立というような内面的テーマに移っていくのだが、事件の発生や、人物の出し入れなど、脚本が見事で、ストーリー展開として起伏に富み、最後まで観客を引き込む。

ここで語られる、崩壊し消え去っていく「南部=ノスタルジー」が、その映像の細部まで濃密に描写されていると思える。
この映画のアメリカ南部は、華麗で重厚で、美しく描かれている。

それは、イタリア貴族出身の映画監督ルキノ・ビスコンティの『ルードウィッヒ・神々の黄昏』の全て本物の美術品を使ったと言われる豪奢な映像に比べても、ハリウッドのセットで撮ったにもかかわらず見劣りしない。

この映画の南部の美しさとは、「郷愁=ノスタルジー」という香水がふんだんに振りかけられているせいかとも感じる。

考えてみれば『ルードウィッヒ・神々の黄昏』も、失われた欧州貴族の残照を描いたものだった。
関連レビュー:華麗なる王族の芸術
『ルートヴィヒ 神々の黄昏』
バイエルン王ルードヴィヒ二世の悲劇の人生
ルキノ・ヴィスコンティ監督の現代社会への復讐とは?

この映画が今は喪われた「南部」を描いた映画なのだとしたら、その「思い出=ノスタルジー」が美しければ美しいほど、その喪失が深ければ深いほど、その映画を甘美な郷愁で満たすのかも知れない。

そう考えれば、そのノスタルジーは、かつて娯楽の王様だった映画が斜陽を迎え、力を失って行った時、映画の黄金期をを懐かしんだ『ニュー・シネマ・パラダイス』と同じ物語構造を有しているように思う。
関連レビュー:美しきシネマへのノスタルジー
『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る映画の快楽
旧き映画のノスタルジー

しかし、そのノスタルジーが美しく輝くのは、その栄光が強く刻み込まれ、しかし決して取り戻せない事を知っているからに違いない。

光り輝く過去の記憶と、漆黒の現在に絶望し、人は過去を夢見るのだろう。

この映画はそういう意味で、かつて繁栄を謳歌した者たちが、その地位を脅かされる恐怖の分だけ、よりノスタルジックな南部賛歌となったのかと思う。

しかし、南部の大農園で繰り広げられたのが、人種差別と非人道的な搾取だとする認識がスタンダードとなった今、その「ノスタルジー=南部の歴史の肯定」は決して美しく描かれてはいけないテーマなのである・・・・・・・Film2-GrenBar.png

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映画『風と共に去りぬ』解説

アメリカ南部というタブー

例えば、ナチスドイツのドイツは美しく輝かしい時代だったとノスタルジーに浸る映画があったら、どう思うだろうか?

例えば、アメリカ西部開拓は悪いインディアンを倒し、正義を広げた偉大な時代だったという内容ならどうだろう?
関連レビュー:西部劇神話の解体
イーストウッド監督『許されざる者』
クリント・イーストウッド監督のアカデミー受賞作
西部劇の価値観を否定した問題作!?

つまり、現代から見て「悪」とみなされた観念が、ある時代においては「正義」だとされていた例は、歴史上多くの事実が語るところである。

この映画『風と共に去りぬ』の最大の汚点は、現代からみて到底許し得ない、黒人奴隷制度を基礎として成し遂げられた「南部の大農園」を、美しく良い時代として描いてしまったことにある。

しかし、1939年という時代は、とくに南部において、人種差別を当然と見なすか、もしくは問題視しないのがアメリカ社会の反応だった。

人種により優劣があり優れた人種は劣った人種の支配者となるのが当然という価値観は、「WASP=白人、アングロサクソン、プロテスタント」に代表されるアメリカのマジョリティーにとっては常識だったのである。

そんな「優生学的な人種差別観」は、欧州世界のアフリカ・アジアの植民地政策の根源にあるものでもある。
優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)とその優生思想は、進化論と遺伝学を人間に当てはめ、集団の遺伝的な質を向上させることを目的とした一連の信念と実践である。歴史的には劣等と判断された人々や集団を排除したり、優秀と判断された人々を保護することによって行われてきた。(Wikipediaより)


そんな南部の持つ古い価値観を賛美するのは、戦後の映画にも見られるもので『地上より永遠に』も、その主人公は南部の価値観を持つ硬骨漢として、好意的に描かれていた。
関連レビュー:アメリカ南部の価値観
『地上より永遠に』
アカデミー賞8部門受賞の名作
アメリカ陸軍兵士を描く戦争ラブロマンス

実際、1960年代の公民権運動の高まりまで、アメリカ合衆国内では黒人達マイノリティーの人権は不当に奪われており、それに反対する進歩的機白人の声は、決して大きなものではなかった。

その黒人の人権擁護を訴えた映画には『招かれざる客』や、『アラバマ物語』などがあり、60年代に入ってようやく公民権運動が広く語られるようになって来たたことが分かる。
関連レビュー:1967年の反レイシズム作品!
映画『招かれざる客』
公民権運動が最盛期に取られた「反人種差別運動映画」
キャサリンヘップバーンのオスカー受賞作

しかし、その時代ですら、南部諸州では軍隊が出動するほど激しい抵抗が、WASP層から出ていたのである。

その60年代から20年も前の時代に、製作されたこの映画は、原作者ミッチェルの南部愛が横溢している小説を忠実に再現しており、そのテーマに違和感を覚える者は当時としてはまれだったのである。

そこには南北戦争前の「南部大農園」の生活が、善良で従順な黒人奴隷によって、そのご主人様と共に調和し幸福に暮らしていたと描写されている。

この美しき懐古は、その地に君臨した「ご主人様=wasp」にとっては、間違いなく真実だったろう。

しかし、奴隷として使役された黒人側の観点が、その搾取と虐待の歴史が、見事に抜け落ちているのである。

それゆえ、この映画は、インディアンにとっての「西部劇」同様、黒人にとっての屈辱を刻み込んだ作品だと指摘されるようになった。

それは実はハリウッド映画界が培ってきた、白人層に訴えるための、伝統的な手法だったと言うべきかもしれない。

DWグリフィスの『國民の創生』(1915年)、ディズニーの『南部の唄』(1946年)などの映画は、南北戦争以前の美しい南部を描いたが、そこには、黒人に対する奴隷制、人種差別、暴力の正当化があった。
<『南部の唄』予告>

1960年代以前のアメリカ社会にあっては、南部の讃美、人種差別に対して、一部の良識派を除き、無関心だったのである。

この、豪華絢爛な『風と共に去りぬ』という一大ページェントは、そんな歴史認識の苦みを、克明に刻んだ作品になってしまった。Film2-GrenBar.png

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映画『風と共に去りぬ』解説

映画表現技術と反社会的テーマ

上で見たように、この映画は時代を反映し、今から見れば「前時代的価値観」を美しく語っている。
そのため、現代の公序良俗のモラル規範に合わせ、断罪されることとなった。

しかし、本作の「映画表現技術=語る技」は、脚本、演出、演技、編集、撮影、美術、などの各要素は非常に高いレベルにあり、当時のハリウッド映画界の完成度の高さを感じる。

つまりは、映画表現としては高い次元にありながら、その表現技術で反社会的テーマを語ってしまった点が問題なのである。

しかし、例えば第二次世界大戦中に各国で撮られた戦意高揚映画を考えれば、自国の戦争の勝利を国民に訴えるということの是非は(戦争自体を全否定する立場に立たない限り)議論の分かれる所だろう。

結局、ある表現物は、時代の常識から無縁ではいられない。

その時代に正義とされた価値観に基づいて、誠実に製作しても、歴史がそれを否定する危険性は常に存在する。

それゆえ、映画を評価するときに、その「表現技術=語る技術」と「表現テーマ=語られる物」を切り離して考えるべきなのだと考えたりする。

例えば、レニ・リヒテンシュタール監督の『意思の勝利』は、ナチス・ドイツのプロパガンダ映画だが、そのドキュメンタリー表現の革新性を評価しないわけにはいかない。
<『意思の勝利』予告>

『意志の勝利』(いしのしょうり、ドイツ語: Triumph des Willens)は、1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作された記録映画。同年に行われた国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)の第6回全国党大会の様子が記録されている。リーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。たとえばヒトラーの演説のシーンでは半円形に敷いたレールの上に置いたカメラでヒトラーを追い、様々なアングルから同じ被写体を捉えながらも見る者を飽きさせずに高揚させることに成功している。(Wikipediaより)

芸術家という鋭敏な感性を持った存在が、時代感を敏感に捕らえ、その作品に反映してしまうことは、むしろその作家の卓越した能力の表れだとも感じる。

そういう事を考慮すれば、その時代において是とされる表現内容を持っていると認められるのであれば、その作品のテーマを非難すべきではないだろう。

もちろん、制作年代においても否定されるべきテーマを、美しく書いてしまう例もあり、それに関しては製作者に悪意があるのか、もしくは製作者の表現方法のエラーと見なすべきであって、いずれにしてもその作品は糾弾されても致し方ない。
関連レビュー:暴力を美しく描いた問題作!
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伝説のカルト映画が投げかける、暴力と美の関係とは?

しかし、そのテーマがどれほどグロテスクであろうとも、そこに作者側の悪意やミスが介在していないのであれば、飽くまで、その映画表現技術としての評価を客観視する事こそ、時代を隔てた鑑賞者としての正しい態度であろう。

それならば、この映画をなぜ満点にしなかったかと言えば、この映画のヒロイン、スカーレットがあまりにワガママで愚かで、共感しがたかったからである・・・・・・






posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月20日

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』B級映画の王はなぜ偉大か?/考察・ネタバレなしあらすじ・アメリカ映画史とロジャー・コーマン

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』感想・考察 編

原題The Little Shop of Horrors
製作国 アメリカ
製作年 1960
上映時間 162分
監督 ロジャー・コーマン、チャールズ・B・グリフィス、メル・ウェルズ
脚本 チャールズ・B・グリフィス、ロジャー・コーマン


評価:★★  2.0点



この映画は、申し訳ないが、見るとがっかりするほど低レベルな作品だ。

しかし、この映画を生んだロージャー・コーマンという監督は、チープなゴミのような映画を垂れ流しながら、ハリウッドの生きる伝説となり、アメリカ映画人から多くの尊敬を受けるに至った。

実を言えば、そのコーマンが生み出した「キワモノ(EXPROTATION)映画」というジャンルが、映画、特にアメリカ映画の誕生と発展を生んだ力の、正当な後継者であると思えるのだ・・・・
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<目次>
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』ネタバレなし簡単あらすじ
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』予告・出演者
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』解説/ロジャー・コーマンの栄光
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』考察/キワモノ映画とアメリカ映画の伝統

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』簡単あらすじ

その花屋は経営者マシュニク(メル・ウェルズ) と、その娘オードリー(ジャッキー・ジョセフ)、そして。もう一人気弱で風采の上がらない若者シーモア(ジョナサン・ヘイズ) が雇われていた。お得意の老婦人や、花を食べる変な男が訪れるが、シーモアは失敗ばかりで、マシュニクは首だと怒鳴りつけると、シーモアは店の客寄せにと、自ら育てた新種植物を持って来た。しかし、その植物は、人の言葉を話す、恐るべき食人植物だったのだ・・・・・
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映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』予告

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』出演者

シーモア・クレルボーン(ジョナサン・ヘイズ) /オードリー・フルクアード(ジャッキー・ジョセフ) /グラヴィス・マシュニク(メル・ウェルズ) /バーソン・フォーチ(ディック・ミラー) /ウィニフレッド・クレルボーン(マートル・ヴェイル) /ウィルバー・フォース(ジャック・ニコルソン)

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映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』考察
キワモノ映画とアメリカ映画の伝統

正直に言って、この映画がよい例だが、ロジャー・コーマンの作品は、基本的に「人を騙して金を出させる」詐欺まがいの商法だと言いたい。

しかし、この胡散(うさん)臭い 「サギ師=トリック・スター」が、なりふり構わず、映画を撮り続けた事で、アメリカ映画界は救われたのだ。
関連レビュー:ハリウッドの復活とコーマン
『ジョーズ』
スピルバーグ監督の描く恐怖の秘密とは?
獰猛な鮫と人間の息詰まる闘い描く大ヒット作

個人的に彼を、映画史に残るいかなるビッグネームの監督よりも尊敬するのは、その作品の質ではなく、なんでもいいから人から金を吐き出させるために、誠実に努力している点にある。
彼が映画作りに優先したのは、彼の自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』というタイトルにも表れている通り、作品の質ではなく収益なのだ。

しかし、彼が作った「キワモノ映画」のビジネスモデルこそ、実は映画の原風景だった。

貴族階級にとっての娯楽が、至高の美と絶対的権威に向かって構築される「芸術」という姿を取るとすれば、庶民大衆の娯楽は下品な猥雑さと下世話な野次馬根性による「キワモノ」として現れる。

そして、貴族階級の存在しない、移民国家アメリカは民衆向けの娯楽として「ボードヴィルショー」や、それを撮影した数分程度の映画を上映する、エジソンが生んだ1888年のキネトスコープ(のぞき箱の中で数十秒の映像が流れる装置)の時代から、それは「キワモノ」的刺激を売りものにして始まったのである。
キネトスコープ(英: Kinetoscope)は、初期の映画鑑賞装置である。(中略)1888年にアメリカの発明家トーマス・エジソンが最初のアイデアを考案し、助手のウィリアム・K・L・ディクソンが中心になって開発した。(Wikipediaより)
<キネトスコープ紹介動画>
【大意】彼(エジソン)の貢献は素晴らしいカメラを作ったことだった。エジソンと緊密に働いていた助手のウィリアム・ディクソンは時にカメラマンも務め光学機器に大きな責任を持っていた。ディクソンは最初の映画を作り、その数を増やしていった。コレクションは短編で、それはコインを入れて一回見れるもので、人々はそれをキネトスコープと呼んだ。最初の映画娯楽装置は本物の珍奇な発明で、短いフィルムを何度も繰り返し見せた。キネトスコープは1894年船で各地を回り、すぐにマンハッタンでし常設の商業施設が開かれた。機会が設置されオープンすると、好奇心に駆られた人々は見物し、試すと圧倒された。人々は素晴らしく珍しい見世物に金を注いだ。

上の動画で分かるように、映画の最初期は動く写真自体が「不思議な見世物=キワモノ」だったということが分かる。

それは、リュミエールが映写機を使い、スクリーンに映画を上映するというスタイルになっても、「キワモノ」としての性格は変わらない。
例えば、最初期の上演作『ラシオタ駅への列車到着(Arrival of a Train at La Ciota)』を劇場で見た観客が、驚いて劇場から逃げ出したという伝説からも分かるように、当時の人々にとっては、動く写真とは現実と見分けのつかない「スペクタクル」性を持っていたのだと言えるだろう。
『ラシオタ駅への列車到着(Arrival of a Train at La Ciota)』


つまり、映画とは、その最初期から「動く写真という珍奇さ=キワモノ性」により人々の好奇心を掻き立て、その後も次々と技術革新を続け「キワモノ性」を維持することで、発展してきたのである。
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動く写真が見慣れた、ありきたりなものに変化していった際に、ドラマを描くという新機軸を生み、「映像ドラマ」自体に人々が慣れたと見るや、サイレント(無声映画)からトーキー(発声映画)、スクリーンのワイド化(シネマスコープ)、フルカラー(総天然色)、立体映画(3D映画)など、常に技術革新による「新たな刺激=キワモノ性」を維持することで、収益を上げることに成功してきた。

それは、映画の表現デバイスの革新のみに留まらず、作品内容に関しても常に「刺激的=キワモノ性」を追求する点では変わらない。
どんな形にせよ刺激を、それが戦争であれ、SEXであれ、暴力であれ、殺人であれ、異常気象であれ、動物の襲撃であれ、異常者であれ、猟奇事件であれ、幽霊であれ、宇宙人であれ、人々の好奇心を煽るモチーフであれば何でもよい。

乱暴だと思うかもしれないが、上に挙げた刺激物を映画のジャンルとして当てはめてみれば、驚くほど多くの映画がそれら刺激物をベースに作られているかが 分かるはずだ。
再び言うが、映画の創成期から、映像的刺激物という「見世物=キワモノ性」こそ、映画が表現してきた本質なのである。

いやいや刺激物だけではあるまい、そこには人間の真実や、世界の本質を求める、崇高な理想がサイレント映画の時代であっても、表現されていたではないかと言う言葉が聞こえてきそうだ。
そんな批判に対しては、愛や、人間の情や、哲学的なテーマなどは、しょせん文学や舞台劇という旧メディアが映像的な自由を持ち得なかったがゆえに生み出した、静的なモチーフに過ぎないと反論したい。
ビジュアルメディアの本質、映像刺激だけだと低俗だ、子供だましだ、と世間が騒ぎ立てるから、そこに文学的な味わいを足して人々を欺いているのだと言わせてもらおう。

100歩譲れば、たしかに貴族文化が根付いた欧州や、王朝貴族文化、武家文化を持つ日本であれば、芸術を映画に移植する必然性もあるだろう。なぜなら、そこにはそれらの「階級文化=芸術性」を求める層が存在する(した)からである。
しかし、アメリカ人にとって映画とは明らかに「大衆文化=キワモノ」であり、そこに芸術性を加えようという試みは、大衆受けによる収益を目的とするとき、むしろ邪魔な夾雑物としかなるまい。

アメリカ映画界は、例えばアカデミー賞を主宰する映画芸術科学アカデミーが、映画産業における芸術と科学の発展を図るとその設立趣意を掲げていても、そのオスカーが近年までアメリカ映画にのみ与えられていたように、芸術性よりもまずアメリカ映画産業の商業的利益が最優先という意図が透けて見えてしまう。

それは、やはりアメリカ映画が「大衆芸術=キワモノ」として、大衆の好奇心を掻き立て見物料を吐き出させるという目的から発した、その原初の姿からの当然の帰結であったろう。

そういうアメリカ映画の本質から見れば、ロジャー・コーマンこそは映画を、その原初の映像刺激に回帰させ、人々が求めているのはしょせん刺激物だということを明らかにした「詐欺師=トリックスター」だったのである。

そして、私はそんな「大衆文化=キワモノ」を愛して止まない1大衆として、そんな映画を作り続けてくれた「詐欺師」達に心から感謝を捧げたい・・・・・
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映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』解説
カリスマとしてのロジャー・コーマン


上で、ロジャーコーマンを詐欺師だと書いた。

しかし、この詐欺師は、「映画の本質=映像刺激絶対主義」を唱えた「カリスマ=教祖」でもあった。

それゆえ、彼の門下にフランシス・フォード・コッポラやマーティン・スコセッシ、ジョージ・ルーカスそして間接的ながらスティーヴン・スピルバーグなどを輩出し得たのである。

これらの作家を見てみれば、テーマ性や格調で上手くコーティングしているものの、そのモチーフはコーマン的映像刺激が、その核にあることが判る。
アメリカ映画:1973年
『エクソシスト』
オカルト映画の古典!失神者や心臓麻痺を呼んだ衝撃作
世界的大ヒット・ホラー!アカデミー賞10部門ノミネート

それは、ハリウッド黄金期(1940)の世界を納得させる公序良俗に則った映画と比べ、驚くほど過激な刺激に満ちており、その刺激がなければハリウッドの復活はなかったのだ。
関連レビュー:ハリウッド黄金期の倫理規定「ヘイズコード」
映画『陽の当たる場所』
エリザベス・テーラーとロック・ハドソン主演のオスカー受賞作
ヘイズコードの実際と弊害

そんな彼の「映画コンセプト=キワモノ映画ビジネスモデル」は、若者たちの支持を受け、確かな種火となり、ついにハリウッドメジャースタジオの資金という燃料を得て、一気に爆発したのだ。

間違いなくロジャーコーマンはハリウッド映画界の救世主だった。

それゆえ、彼を慕う映画人が、彼のために尽力しアカデミー名誉賞を贈ったのである。
そんな、ロジャーの偉大さを表している、アカデミー賞受賞を紹介している動画がある。
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<オスカープロフィール:ロジャー・コーマン>
【大意】司会:オスカーは秒読みですが、何十人もの監督を生み、100本以上の映画をプロデュースしたロジャーコーマンは有名ではなくとも、業界人は彼が多くの映画人をデビューさせその恩返しだ。『タイタニック』『デパーテッド』『ゴッドファーザー』『ビューティフルマインド』『羊たちの沈黙』『ビューティフルマインド』などのオスカー監督は、その映画の前に低予算で早く撮影する方法を学んだ。/マーティン・スコセッシ:私は24日間で映画を作る方法を学んだ。先生はロジャー・コーマンだった。/ロジャー・コーマン:私は若者がブレイクするのを楽しんでいた。/司会:新人俳優も同様だ。ロバート・デニーロ、シルベスター・スタローン、デニス・ホッパー、ウィリアム・シャウナー、23歳のジャック・ニコルソンは『リトル・ショップ・ホラーズ』に出演。/ロジャー・コーマン:それは3万トドルで2晩で作った/司会:1950年代100本の儲かる映画を作った。その題名は笑いを誘うが、記憶に残るものだ。/ロジャー・コーマン:私は低予算ばかりではなく中予算も作った。私は職人で可能な限り良いものを作りたい。

司会:皮肉な見方をすればB級映画の王で、低俗映画だ。/ロジャー・コーマン:あるフランスの新聞が私を「ポップシネマの教皇」と呼んだのは気に入った。/司会:その後生徒たちはトップに立ち、大作映画に彼を出演させた。『羊たちの沈黙』『フィラデルフィア』『アポロ13』『ゴッドファーザーPART2』『影なき狙撃者』、そしてアカデミー賞という褒美をもらった。/ジョナサン・デミ:どうかあなたのオスカーを受け取ってください。/司会:彼はアカデミー協会から第一回のアカデミー名誉賞を受け取った。/ロジャー・コーマン:成功するチャンスをつかめ。/ロン・ハワード:ロジャーは、他の誰もくれなかった、人生のチャンスをくれた。もし、私のための映画のような良い仕事(演技)を今後も続けるなら、もう二度と一緒に仕事する必要はない。(笑い)/司会:もしコーマンと共に働いていなくとも、その遺産を映画産業は感謝すべきだ。/ジョージ・ルーカス:もし22歳で映画監督のチャンスがあってお金がもらえるとしたら/トム・ハンクス:彼らは映画で何ができどう語るかの偉大なレッスンを受けたんだ。/司会:ロジャーは生徒からの栄誉を受け、もうすぐ87歳になるが、まだレッスンを続けている。/ロジャー・コーマン:今日行われている最高の映画は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気を持った独創的で革新的な映画製作者によって作られていると私は信じています。だから私はみなさんに言います:ギャンブルをしろ、チャンス掴み続けろと、ありがとうございます。/司会:彼は多分多くの金を使うなと言いたいに違いない。
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2010年に開催されたアカデミー賞・名誉賞授賞式のスピーチ全文
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第82回アカデミー賞・アカデミー名誉賞

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【意訳】言うまでもなく、このオスカーを個人的に獲得できて嬉しいです。しかし、長年私の制作パートナーである妻のジュリーの代わりに、そしてまた、私のキャリアの大部分を費やしてきた、インディペンデント映画製作の現場で、働いてきた人達に代わって、受け入れたいと思います。
我々は皆、私が思う唯一の真の現代美術形態で働いています。他のすべての芸術は起源を古代に持っているため、したがって幾分か静的です。映画は、我々の時代の重要な特徴の1つである動きを内包し、現代的です。
別の理由もあります。その理由は、伝統的な芸術がしてきた事で、我々に言わせれば、作曲家、作家、詩人、画家、彼らが自分の芸術を個人的に製作した事です。映画は求めます、映画製作者は俳優とスタッフを必要とし、そして彼らは支払いを受けねばなりません。その結果、我々の芸術はやや妥協しています。私たちはアートとビジネスの間で妥協しており、それは私たちが住んでいる妥協した世界の何物かを表していると思います。
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私は、この世界で成功するには、チャンスをつかむ必要があると思います。私の友人や仲間、そして私と一緒に始めた人々の多くが今夜ここにいます、そして彼らは皆成功しました。
彼らの何人かは人並外れた成功をしました。そして私は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気があったから、彼らが成功したと信じています。しかし、彼らはオッズが彼らにあるとを知っていたので賭けたのです。彼らは自分たちが作りたいものを作る能力があることを知っていたのです。
メジャースタジオや他の誰かが成功を繰り返したり、リメイクや特殊効果主導の大がかりな映画に莫大な金額を費やしたりするのは非常に簡単です。しかし、今日行われている最高の映画は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気を持った独創的で革新的な映画製作者によって作られていると私は信じています。だから私はみなさんに言います:ギャンブルをしろ、チャンス掴み続けろと、ありがとうございます。


しかし、私は彼を映画監督として、ロジャー・コーマンを評価する事がはばかられる。

なぜなら、彼が映画で表現したのは、実は『グレーテストショーマン』で描かれた、サーカスプロモーター、P・T・バーナムが、ひげ女や、犬男、三本足の男や、シャム双生児を使って儲けた手法と変わらない。
関連レビュー:「キワモノ」ショーの成功者
映画『グレイテスト・ショーマン』
ヒュー・ジャックマン主演の感動ミュージカル
実在のPTバーナムとそのサーカス団員の姿とは?

私はコーマンを映画監督としてよりも、ショウビジネスの大プロモーターとして、その名を永遠に刻むべきなのだと思う。



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2022年05月22日

映画『ジョーカー』映画史上最狂のヴィラン誕生秘話!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・評価・ネタバレ・ラスト

映画『ジョーカー』詳しいあらすじ・ネタバレ 編

原題JOKER
製作国 アメリカ
製作年 2019
上映時間 122分
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルバー


評価:★★★★  4.0点



ジョーカーは、言わずと知れた、DCコミックス「バットマン」シリーズに登場する、ヴィラン中のヴィランである。

その誕生の軌跡を、リアリティーを持って語り説得力がある。そしてジョーカーの出現が、バットマンを生み出す契機になったという事実が語られている・・・・・

本作は、営業的にも評価的にも高い結果を残し、第76回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され金獅子賞を受賞、第92回アカデミー賞では最多11部門にノミネートされ、主演ホワキン・フェニックスが主演男優賞を獲得した。

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<目次>
映画『ジョーカー』ストーリー
映画『ジョーカー』予告・出演者
映画『ジョーカー』解説/受賞歴
映画『ジョーカー』ネタバレ
映画『ジョーカー』結末

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映画『ジョーカー』あらすじ

1981年ゴッサム・シティ。アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はピエロの化粧をしていた。
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コメディアンを目指すアーサーは、派遣会社に所属し今日ピエロ姿でサンドイッチ・マンをする仕事が入ったのだ。しかし、数人のティーンエイジャーがいたずらし、看板を取り逃げ出した。必死に追いかけたアーサーだったが、返り討ちに合い暴行を受ける。
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ゴッサム・シティは不況下で、失業者や犯罪者があふれ犯罪が多発していた。そんな中アーサーは、緊張が引き金となり、笑いが止まらなくなる発作を抱えており、カウンセリングと、精神安定剤が必要だった。
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カウンセリングの帰り、黒人の少年を笑わせようとし、母親から厳しく拒絶されると、笑いの発作が出てしまい止まらず、苦しい中その理由を説明しなければならなかった。
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アーサーの収入はわずかで、病気を持った老母ペニー(フランセス・コンロイ)を抱え、苦しい生活を余儀なくされていた。老母ペニーは、困窮生活に苦しみ、30年前にメイドをしていた街の名士トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)に窮状を訴える手紙を何度も送っていたが、返信はなかった。
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それでもアーサーは大物芸人マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)に憧れており、彼が司会を務めるトークショーをTVで見ては、そこに出演する自分を想像していた。
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アーサーが会社に行くと事件を知った、同僚ランドル(グレン・フレシュラー)が護身用だと言い銃をアーサーに押し付けた。そこにマネジャーからの呼び出しがあった。
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派遣会社のマネジャーは壊れた看板の弁償と、仕事が契約通りではなかったとのクレームが入ったと言われ、長々と叱責を続けた。それを聞くアーサーは鬱憤を溜め顔を歪めた。
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アーサーがアパートのエレベーターに乗ると、同じアパートのソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)が娘と走りこんで来た。古いエレベーターが動きを止めると、ソフィーはアーサーを見て笑顔を見せた。アーサーはこっそりソフィーの後をつけるようになった。
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その日、アーサーはピエロ姿で小児病棟で仕事をしていた。歌い踊るうちに、そこでランドルからもらった銃を落としてしまった。病院からクレームが入った。
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その夜電話で、派遣会社からクビを宣告され、その話の中で銃を押し付けた同僚ランドルが、アーサーが銃を買いたがっていたと、嘘を告げていたと知る。
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アーサーは魂が抜けたようにピエロの顔のまま地下鉄に揺られていた。その時車内で、酔った背広姿の3人が、若い女性に絡みだした。それを見たアーサーは発作症状が出て、激しく笑い出した。
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背広の3人は嘲笑されたと思い、アーサーに近寄ると、3人がかりで襲い掛かる。ついにアーサーは拳銃を取り出して3人を射殺し、その場から立ち去った。
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その晩アパートに帰ったアーサーは、ソフィーの部屋を訪れると、驚く彼女に深く口づけを交わすと、彼女もそれに応えた。
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事件は連日報道され、死んだ3人がウェイン証券のエリートだったため、貧困層の復讐として流布された。ウェイン財閥の当主、トーマスは顔を隠す犯人も貧困層も「ピエロだ」とTVで発言し、貧困層の怒りを更に買っていた。
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仕事を失ったアーサーは、会社の自分のロッカーを片付け、同僚たちがなぜ銃を持って行ったと問うのに、ランドルの銃だ奴に聞けと言い捨て、タイムカードを破壊し去って行った。
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アーサーはゴッサムの財政事情により、補助が打ち切られカウンセリングと薬の入手が出来なくなる。そこで以前から狙っていたクラブの舞台に挑戦し、及第点を得た。
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そんなある日、アーサーは母ペニーの書いた手紙を読むと、そこにはアーサーがトーマス・ウェインの息子だと書かれていた。衝撃を受けたアーサーが母に事実を聞くと、母は認めトーマスに言われ身を引いたと語った。
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それを知ったアーサーはウェイン邸の門の前に立った。門の中には、トーマスの息子ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)がいた。アーサーはウェインの前で手品を見せ、言葉を交わし始める。
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それを見た、執事のアルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)が警戒して立ちはだかる。アーサーは母ベニーの話をすると、アルフレッドはペニーの妄想だと否定し取り合わない。怒ったアーサーはアルフレッドに詰め寄る。
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しかし少年ブルースの視線に気づき、動きを止め、逃げるように帰宅する。

アーサーが帰えると、老母ベニーが救急車で運ばれる所で、その病院に付き添ったアーサーは、地下鉄事件を捜査するギャリティ刑事(ビル・キャンプ)と、バーク刑事(シェー・ウィガム)の訪問をうけ、自分が疑われているのを知った。
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病院でアーサーは、付き添ってくれたソフィーと共に、母の病室でその容態を案じて過ごした。
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その晩、病院のテレビでは、憧れのコメディアンのマレーのトークショーが流れていた。番組中で、アーサーのクラブ出演の映像が流され、そのパフォーマンスを揶揄し笑いを取っており、アーサーはショックを受ける。
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翌日の夜、街の劇場では富裕層が優雅に集まり、チャップリンの『モダン・タイムス』が上映され、その周囲は貧民層がピエロの格好で取り囲み、もはや常態化したデモを繰り広げていた。
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地下鉄事件の犯人ピエロは抵抗の象徴となり、富豪トーマス・ウェインが彼らの憎悪の槍玉に上がっていた。

その劇場にトーマス・ウェインがおり、彼と会うためにアーサーは劇場へ忍び込み、トイレにいるトーマスに隠し子の話を切り出す。
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トーマスはアーサーがペニーの養子だという真実を告げる。ペニーは精神的に止んでおり、トーマスとの関係を妄想し、最後は逮捕され強制入院させられたと語った。
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アーサーは激怒し、罵声を挙げトーマスに襲い掛かるが、発作が起きて狂ったように笑い出し、動けなくなる。トーマスはアーサーを殴りつけ、息子ウェインに近づくなと警告し去った。

そんなアーサーに、マレーのトークショーへの出演オファーが舞い込む。マレーの嘲りのネタになると知りつつアーサーは、出演を承諾した。
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アーサーは老母ベニーが逮捕入院させられていた病院を訪れ、その過去のべニーのカルテを職員から強引に奪って確かめると、そこにはトーマス・ウェインが言った通り、ペニーが妄想障害を患い、息子の虐待で有罪となったことや、幼いアーサーを母親の恋人が暴力的に虐待していたと書かれていた。
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母は、虐待されても笑っているアーサーを見て、恋人の暴力を止めなかったと記録されていた。
事実を知ったアーサーは、泣きじゃくりながら、同時に激しく笑い続けた。
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雨の中アーサーはずぶ濡れで、アパートに戻ると、ソフィーの部屋へ入って行った。しかし、ソフィーは部屋にいるアーサーを見て、怯え緊張した顔を見せた。
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アーサーがソフィーと作り上げたと思った関係は、実はアーサーの妄想の産物だったのだ。

一晩泣き笑いを続けたアーサーは、翌朝老母ペニーの病室に姿を現した。そして目覚めないペニーに向かい、自らの人生が悲劇ではなく、喜劇だったと気付いたと語ると、彼は母の顔に枕を押し当て窒息死させた。
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マレーのトークショーの出演が明日と迫ってきた日、アーサーは放送中に自殺をするリハーサルを念入りに行い、ついに放送日を迎えた。
ピエロの化粧を施しているところに、元同僚の二人がゲイリーとランドルが訪ねてきた。
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母ペニーの死を悼んだ小人のゲイリーと、地下鉄事件で自分の渡した銃が使われたことに気づいたランドルだった。
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ランドルは警察が来て自分の身が危ないと心配する様子を見せると、アーサーは手にしたハサミを突き刺し、さらにその頭を何度も壁に打ちつけ殺し、部屋は血に染まった。
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恐怖の眼差しを向けるゲイリーに、その友情と優しさへの感謝を伝え、彼を部屋の外へと送り出した。
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映画『ジョーカー』予告

映画『ジョーカー』出演者

アーサー・フレック / ジョーカー(ホアキン・フェニックス)/マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)/ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)/ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)/トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)/ギャリティ刑事(ビル・キャンプ)/バーク刑事(シェー・ウィガム)/ランドル(グレン・フレシュラー)/ゲイリー(リー・ギル)/ジーン・アフランド(マーク・マロン)/アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)/ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)/カール(ブライアン・タイリー・ヘンリー)

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映画『ジョーカー』評価・受賞歴


アカデミー賞/受賞:主演男優賞 ホアキン・フェニックス/作曲賞 ヒドゥル・グドナドッティル
英国アカデミー賞/受賞:主演男優賞ホアキン・フェニックス/キャスティング賞
ゴールデングローブ賞/受賞:主演男優賞 (ドラマ部門)ホアキン・フェニックス/作曲賞
日本アカデミー賞/受賞:最優秀外国作品賞
全米映画俳優組合賞/受賞:主演男優賞ホアキン・フェニックス
ヴェネツィア国際映画祭/受賞:金獅子賞
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『ジョーカー』は興行的にも成功を収め、数々の映画賞に輝いた。
しかし、映画賞の頂点「アカデミー賞」では最多ノミネートを獲得したが、主要賞は主演男優賞のホアキン・フェニックスと作曲賞 の獲得にとどまった。
個人的に言えば、この映画の完成度は非常に高く、アカデミー賞の作品賞や監督賞を受賞して当然の作品だと思われた。
しかし不運なことに、この年には韓国映画『パラサイト/半地下の家族』という強力なライバルがいたのだ。
実はその『パラサイト』とこの『ジョーカー』は、格差社会の歪みという共通のテーマを扱っているのだが、見比べてみると『パラサイト』は映画表現技術・娯楽性において上回っていると感じる。
関連レビュー:パラサイトが傑作な理由とは?
『パラサイト/半地下の家族』
映画史上初の快挙!非英語作品のオスカー受賞
パラサイトとハリウッド映画の深い関係
言ってみれば『パラサイト』は傑作だが、『ジョーカー』は秀作という印象なのである・・・・
本作にとってはバッド・ラックと言うべきだろう。

しかし、オスカーを獲得した主演男優のホアキン・フェニックスは、力の籠った言葉でその受賞スピーチを行い大きな拍手を受けた。
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第92回アカデミー賞・主演男優賞スピーチ

プレゼンターはオリヴィア・コールマン

ノミネート者を発表アントニオ・バンデラス(ペイン・アンド・グローリー)/レオナルド・ディカプリオ(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)/アダム・ドライヴァー(マリッジ・ストーリー)/ホアキン・フェニックス(ジョーカー)/ジョナサン・プライス(2人のローマ教皇)
受賞者はホアキン・フェニックス(ジョーカー)。
【受賞スピーチ・意訳】
やあ、皆どう?ハイ。神よ、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。僕はここにいる候補者たちや、この場にいる皆と比べて自分が特に優れているとは全く思えない。なぜなら僕らは全員、同じく映画への愛を共有しているからだ。この種の表現活動は、僕に本当に素晴らしい人生をもたらしてくれた。もし演技がなかったら、僕自身はどうなっていたか分からない。しかし演技が、僕とこの場にいる僕ら全員にくれた最大の贈り物は、自分たちの声を声を発せない者の為に使うチャンスを得た事だと思う。
最近、僕は我々全てが現在直面している幾つかの悲惨な問題について多く考えてきた。そして時々、我々は様々に異なる問題に、戦わざるを得ないように思ってしまう。だけど僕には、そこには共通しているものがあると思う。私が思うに、ジェンダーの不平等、人種差別やLGBTの権利、先住民の権利や動物保護、それらはすべて不正義に対する戦いなんだ。我々は、あるひとつの国家、ひとつの国民、ひとつの人種、ひとつのジェンダー、もしくはひとつの種がその他を支配し、コントロールし、利用し、搾取することに対して罰せられ無いという固定観念と戦うことについて話しているんだ。

私は、我々が自然世界と断絶してしまったように思う。そして我々の多くは、自分たちが宇宙の中心だと思い込む利己的な世界観の保持という罪を犯してしまっている。僕らは自然界の中に侵入し、その資源を強奪している。僕らは牛を人工的に交配させ、その牛が産む仔牛を、母牛が怒りのあまり泣き叫んでいるのが明白なのに、当然の権利であるようにその仔牛を奪い去り、本来その仔牛のためである母牛のミルクを奪い、自分たちのコーヒーやシリアルに入れている。
私は、我々が個人的な変化という観念を恐れているのだと思う。なぜならそれは自分たちの何かを犠牲にし、何物かを諦めさせると思わせるからだ。しかし人類は、最高の状態では、発明的で、創造的で、独創的だ。それで私は愛情と慈悲を我々の原則として、我々は、これより全生命体と環境にとって利益があるように変わり得るシステムを創造し、発展させ、実現させていくことが可能だと思っている。
私はこの人生でずっと、悪党だった。私は利己的で、冷酷で、共に仕事するのが難しい人間だった。だから、こんな僕にセカンドチャンスをくれたここにいる多くの方々に感謝している。我々の最高のときには、お互いを支え合うことができる。それは過去に犯した間違いで互いを傷つける時ではなく、お互いの成長を助け、教え合い、お互いを救いへと導く時だ。それが人間性の最高の状態だ。17歳の時、私の兄(リバー・フェニックス)はこの詩を書いたと言った。「愛をもって救済へ迎え。 そうすれば、平和がその後を追うだろう」感謝します。
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関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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そしてこの映画の主人公ジョーカーはハリウッド映画を代表する、映画史に永遠に刻まれる名悪役だ。
そのキャラクターはアメリカ映画協会の編集した映画ランキング『アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100』で、25位で登場している。
◎『アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100』紹介
アメリカ映画界が選んだ映画キャラクター100人のリストを紹介!!!
正義と悪の映画史を飾る名キャラクター100人!
アメリカ映画100年100本シリーズの映画ランキング!

当ブログでは、様々な映画ランキングを紹介しています。
◎いろいろな『映画ベスト100』企画紹介
世界各国で選ばれた『映画100本』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!

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以下の文章には

映画『ジョーカー』ネタバレ

があります。ご注意ください。
(あらすじから)
ピエロのメークアップでアーサーはアパートを出ると、華麗に踊りながら階段を下って行った。
<階段でのダンスシーン>

そんなアーサーを、刑事のギャリティとバークが追って来た。地下鉄へ逃げ込んだアーサーを、刑事が逃がすまいと車内に入ると、そこはデモに向かうピエロを満載しており、ついにアーサーを見逃がしてしまう。
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TVスタジオに到着したアーサーは、マレーと挨拶を交わし、ピエロの扮装に難色を示したプロデュサーの反対に政治的意図はないと答え、マレーに「ジョーカー」と呼んでほしいと頼んだ。
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マレーのショーが始まり、登場したアーサーだが、マレーの揶揄によって苛立ち、自ら地下鉄事件の犯人であると告白し、この社会は不平等だと言い、マレーも自分を笑いものにするために出演させたと責めた。
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一方のマレーも、アーサーが地下鉄の犯人だと知ると激高し、自分の不満を世間に転嫁しているだけだと激しくなじり出した。するとアーサーは銃を出し、生放送中にマレーを射殺した。
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手錠のアーサーがパトカーから街を見ると、ゴッサムの市街はいたる所でピエロの仮面を被った暴徒たちが暴れていた。
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その暴動を窓越しに見ながら、アーサーはその様子を美しいと言った。
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その同時刻、トーマス・ウェインと妻、息子のブルースも、危険を感じ裏道へと帰路を急いでいたが、暴徒は富裕層の象徴であるウェイン夫妻を見逃さなかった。
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夫婦は射殺され、少年ブルースだけが路地に呆然と立っていた。

暴徒がアーサーを救助するためパトカーにトラックを激突させた。引きずり出されたアーサーはボンネットで、意識を取り戻した。
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暴徒の声に呼応し、パトカーの上に立ち上がると、血でその口を、笑い顔のメイクに書き換えた。
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彼を見上げる大勢のピエロが挙げる熱狂的な歓声に、大きく手を広げて応えた。
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映画『ジョーカー』ラスト・シーン


病院の一室で、手錠をかけられたアーサーは、精神分析を受けていた。
「ジョークを思いついた」と言うと、カウンセラーが話すよう促すが、アーサーは話さなかった。
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アーサーが部屋から出て、廊下をひょこひょこと歩いた後には、血が足跡となって残されていく。
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病院の職員が追いかけて来るのを、アーサーは足取り軽く逃げ始めた。
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