2022年09月11日

古典映画『チップス先生さようなら』1939年のハリーポッター!?再現ストーリー解説/詳しいあらすじ・ネタバレ・ラスト・評価


映画『チップス先生さようなら』あらすじ・ネタバレ 編

原題Goodbye, Mr. Chipss
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 114分
監督 サム・ウッド
脚本 R・C・シェリフ
原作 ジェームズ・ヒルトン


評価:★★★☆  3.5点



この映画は1939年、既に1世紀近く前に製作された作品だ。

この年は大作『風と共に去りぬ』が映画シーンを席巻したが、その映画のクラーク・ゲーブルとアカデミー賞の主演男優賞を競い、大方の予想を覆し本作の主演ロバート・ドナットがウィナーとなった。
彼は実年齢34歳でありながら、20代半ばから80代までリアリティーに満ちた演技を見せ、一見の価値がある。

また、この映画で描かれた英国寄宿学校の生活が、『ハリー・ポッター』の世界観のベースにあるという事を再認識させてくれる。

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<目次>
映画『チップス先生さようなら』詳しいしあらすじ
映画『チップス先生さようなら』予告・出演者
映画『チップス先生さようなら』受賞歴・
映画『チップス先生さようなら』ネタバレ
映画『チップス先生さようなら』ラスト

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映画『チップス先生さようなら』詳しいあらすじ


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1928年、イングランド東部ブルックフィールドにある「ブルックフィールドスクール」。
新学年の幕が開き、新入生が校舎に溢れた。
その始業式では、名物教師のチップス先生ことチャールズ ・エドワード・ チッピング(ロバート・ドーナット)は、83歳で今は引退しているものの顔を見せると、たちまち生徒たちに囲まれた。
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それを見ていた新任教師は、羨望を込めて自分も生徒に愛されるだろうかと不安を口にする。チップスは、自分も最初から出来たわけではなく、ある人との出会いが変えてくれたと語った。
そして別れ際、新任教師は生徒のいたずらの洗練を受けるが、皆が通ってきた道だとアドバイスした。
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チップスは、1870年新米ラテン語教師としてブルックフィールズに到着した日を回想する。
しかし、先輩の教師達が警告したように、生徒のいたずらの標的となり教室は大騒ぎになり、あまりの騒動に校長が乗り込む事態となり、校長から教師の資質を強く問われた。
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それからチップスは厳格な態度で生徒に接するよう努めた。
ある日騒いだ生徒たちを罰し、そうとはしあらず学校対抗のクリケット試合の日に授業を課し、試合にエースが出場できず負けてしまう。チップスは、落ち込む子供たちを前にして、自分の配慮が足らなかったと反省をする。
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そんな経験を重ねチップスはいつしか中堅教師となっていた。生徒に人気はないが、謹厳実直な彼の評価は高く、出世コースである寄宿舎の舎監の地位を得られるのではと、自他ともに認められていた。
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しかしチップスを前に校長は、舎監に別の教師を任命すると語り、チップスに理解を求めた。

落ち込むチップスを見かねて、ドイツ人の同僚教師教師マックス・ステュフェル(ポール・ヘンリード)が、バケーションにウィーンの山登りに行こうと、強引に連れ出した。
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その旅行で、チップスは一人霧深いアルプス山中で身動きが取れなくなった。しかし同じく足止めをされたキャサリン・エリス(グリア・ガースン)という女性と出会う。霧が晴れるまで二人は語らい、親密の度を増し、チップスは彼女から教師という職の素晴らしさを気付かされる。
しかし、おくてのチップスは、その好意を告げられずに別れる。
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キャサリンを忘れられないチップスは、ドナウを下る船でキャサリンと、偶然再会する。茶色いドナウの水も恋人たちには青く見えるという、ワルツ「美しき青きドナウ」のタイトルの意味を知った同僚のマックスは、チップスに川が青いだろうとからかう。
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再会した4人は、その夜舞踏会へ赴いた。ぎこちなかったチップスもキャサリンにダンスを誘われ、「美しき青きドナウ」のメロディーでワルツを踊るうちに、互いの顔に笑みが浮かび夜が更けるまで踊り続けた。
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しかし、その最後には、明日の別れを考え二人の顔が曇った。

そして翌日、汽車で旅立つキャサリンを駅に見送るチップスは、肝心な言葉を言う前に発車時間となり、キャサリンから別れのキスを受ける。
その行為に驚きつつも、チップスは走り出す汽車を追いかけ、彼女に「僕たちは結婚すべきだ」と思いを告げる。
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こうしてチップスとキャサリンは結婚し、同僚の教師や、生徒たちは、その新妻の美しさに呆気に取られる。
そんな生徒たちを前に、キャサリンは家でお茶会を開くからいらっしゃいと誘い、チップスを驚かせた。
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楽天的なキャサリンは、その陽気さで生徒たちをお茶会に招待し、子供たちから慕われるようになる。
チップスも、キャサリンに感化され、ユーモアと優しさをその授業で見せ、子供たちが多少ハメを外しても許容できるように変わった。
生徒たちも、そんなチップスに親愛の情を抱き、いつしか彼は学校一の名物教師へとなって行く。
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そんなチップスは、寄宿舎の舎監に任命され、その喜びをキャサリンに語る。
妻はチップスにあなたはきっと「校長になる」と、その信念を告げ、二人の未来は明るいと思われた。
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しかし、エイプリールの日、子を宿したキャサリンは出産を迎えたが、は難産の末ついに母子共にその命を断たれた。
チップスは悲しみを押し殺して授業に臨む、生徒たちがいたずらを仕掛けるが、彼は虚脱したままだった。
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そんな姿に戸惑う子供たちが、キャサリンの悲劇を知り、一様にショックを受け言葉を喪った。

時は過ぎチップスは老教師となり、その教え子たちは3世代に渡るほどになっていた。
しかし、新たに就任した校長は、チップスに対して、その古い教育内容を指摘し退職を勧告した。
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その言葉にチップスは、最近の学園の批判を口にし、自分は引退する気はないと宣言し席を立った。
その事を知った生徒たちの口から、今は学校の理事になっているかつての教え子である親たちに広まり、チップスの残留運動が巻き起こり、チップスは職に留まった。

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その騒動から5年、チップスは学校で愛されつつ教鞭をとり、ついに正式に退職の日を迎え、教師や生徒たちから暖かい送別会で送り出された。最後には、彼を首にしようとした校長も、心のこもったねぎらいの言葉をかけた。
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そして、寄宿舎の舎監も退くこととなり、その門番から別れを惜しまれる。彼はチップスに「あなたが校長になると思っていました」としみじみと言った。
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退職後も、学校近くのチップスの家は生徒や卒業生たちの訪問でにぎやかだった。しかし、戦争の影が忍び寄り、チップスの教え子たちも戦地に赴く報告が多くなり、その心を沈ませた。
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そんな一人、学生時代に面倒を見たコリーという卒業生が出征の報告に訪れた。彼は、チップスに自分の留守中に妻子を見守って欲しいと頼み戦地へと赴いた。
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そんなチップスの運命も、戦争が変えることとなった―
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映画『チップス先生さようなら』予告

映画『チップス先生さようなら』出演者

チップス先生(ロバート・ドーナット)/キャサリン(グリア・ガースン)/ジョン・コリー他コリー家4代少年期の4役(テリー・キルバーン)/
ピーター・コリー2世:青年期(ジョン・ミルズ)/マックス・ステュフェル(ポール・ヘンリード)/フローラ(ジュディス・ファース)/ウェザビー(リン・ハーディング)/チャタリス(ミルトン・ロスメル)/マーシャム(フレデリック・レイスター)/ウィケット夫人(ルイーズ・ハンプトン)/ラルストン(オースティン・トレヴァー)/ジャクソン(デビッド・ツリー)/モーガン大佐(エドモンド・ブレオン)/ヘレン・コリー(ジル・ファース)/ジョン・コリー卿(スコット・サンダーランド)
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映画『チップス先生さようなら』評価・受賞歴


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映画『チップス先生さようなら』評価

この映画に関しては、良作だとは思うものの、正直例えば同年公開の『風と共に去りぬ』の、歴史的大作に比べると小粒であり、地味な作品だと感じる。
その作品の対格差は、1940年開催の第12回アカデミー賞の賞レースに端的に表れた。

<1940年開催第12回アカデミー賞アカデミー賞>

最優秀賞受賞:主演男優賞
ノミネート:作品賞/監督賞/主演女優賞/脚本賞/編集賞/音響賞
チップス先生さようならは上記のように7 部門でノミネートされたものの、5部門で『風と共に去りぬ』に敗れ、唯一獲得したのは主演男優賞を受賞したロバート・ドーナットのみにとどまった。
関連レビュー:オスカー受賞式紹介
『第12回アカデミー賞』
『チップス先生さようなら』主演男優賞受賞を紹介!
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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2022年現在の評価を映画サイトから紹介
Film2-GrenBar.png<日本>
Yahoo!映画・・・・・3.9/5、映画.com・・・・・3.6/5、allcinema・・・・・ 7/10、キネノート・・・・・73.5/100
<米国>
Rotten Tomatoes・・・・・87%、Metacritic・・・・・81%、ALLMOVIE・・・・・4.5/5、IMDB・・・・・7.9/10
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また、AFI(アメリカ映画協会)が編纂した「100年-100本」という映画ランキングシリーズにランクインした。
『偉大な映画ヒーローランキング』ーヒーロー部門 41 番目
◎関連レビュー:いろいろな『映画ベスト100』企画紹介
世界各国で選ばれた『ベスト映画ランキング』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!
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以下の文章には

映画『チップス先生さようなら』ネタバレ

があります。
(あらすじから続く)
戦争が激しさを増し、学校の教師も戦地へと動員された。教師不足を補うため、学校の理事会はチップスの教師復帰を依頼し、更に不在の校長の代理として校長就任を求めた。
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申し出を受け入れたチップスは、校長室の机の上にキャサリンの写真を飾り、感慨深げに椅子に腰を下ろした。学校周辺も空襲されるなか、チップスは戦争の行方と、戦争で失われていく卒業生や生徒、そして教師たちの死に心を痛める。
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生徒の軍事教練を視察に来た、軍関係者が「明日には立派な兵士になる」と褒めると、チップスは生徒たちを見つめながら「明日が来なければいい」と答えた。
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そんな中戦争に行かない教師たちを臆病者だと批判した生徒を知り、校長室に呼び出すと厳しく鞭で罰した。残っている教師は、病気や障害で戦地に行けない者たちだったのだ。
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チップスは、出征前のコリーの約束を守り、その妻と幼い息子の家を訪ねていたが、そのコリーの戦死が知らされた。
講堂で、戦死者の名前が読み上げられる、そこにはコリーたちに交じって、ドイツ軍の戦死者の名前も読み上げられ、生徒たちは不思議に思った。
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しかし、そのドイツ軍戦死者の名前は、かつてキャサリンとの仲を取り持った、あのドイツ人教師のものだった。

それでも戦争が終わり、学校も町も沸き立った。チップスも安どの表情を見せた。
そして時は流れ、再び隠居生活に入ったチップスを、一人の新入生が訪れた。
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彼は、あのコリーの息子だった。
チップスはコリー少年を也しく迎え受つ、チップス先生においしいお茶をご馳走してもらい、勇気が出る。
少年は、“チップス先生さようなら!”と別れの挨拶をして、笑顔で帰っていく。
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映画『チップス先生さようなら』結末

チップスも老いには勝てず、ついに最後の時を迎えようとしていた。
彼はベッドから、学校の関係者が自分が孤独な身の上だと同情し、子供でもいればと語る声を聞く。
それを聞いたチップスは、その声の主に答える。

【意訳】チップス:ワシにはこう聞こえた「可哀そう。可哀そうだ、ワシにはついに子供がいなかった」と言っていたはずだ。子供がいない?ワシに子供はいた。何千人もの子供が・・・・皆わが子だ・・・・(生徒入寮の点呼、最後にコリー少年の言葉が流れる)/コリー:さよならチップス先生。さよなら。
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ラベル:アカデミー賞
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2022年08月07日

ハリウッド映画はプロパガンダだった!?映画『風と共に去りぬ』の秘密/解説・考察・プロパガンダとアメリカ政府

映画『風と共に去りぬ』(感想・解説・考察 編)

原題 Gone with the Wind
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 233分
監督 ヴィクター・フレミング
脚色 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル


評価:★★★★☆  4.5




1939年制作の映画史に残る古典的超大作。

公開以来数多くの称賛を受けて来たが、今ではこの作品が持つ旧弊な価値観ゆえに、多くの批判を浴びている映画でもある。

しかし、あまり語られない事実だが、この映画は1930年代に推進された、アメリカ政府の戦意高揚のプロパガンダ映画の性格をも有していた・・・・・
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<目次>
映画『風と共に去りぬ』ネタバレなし簡単ストーリー
映画『風と共に去りぬ』予告・出演者
映画『風と共に去りぬ』考察・アメリカ政府とプロパガンダ
映画『風と共に去りぬ』解説・プロパガンダとしての『風と共に去りぬ』

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映画『風と共に去りぬ』簡単あらすじ


1861年、アメリカ南北戦争の前夜、タラ農園の令嬢スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)は農園主の父ジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)と母エレン・オハラ(バーバラ・オニール)と2人の姉妹と、黒人の乳母マミー(ハティ・マクダニエル)や綿花農園に働く多くの奴隷とともに住んでいた。パーティ―で男たちを虜にし、楽しんでいるスカーレットだったが思いを寄せるアシュリー・ウィルクス(レスリー・ハワード)がいとこのメラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の結婚にショックを受けた。そのパーティーでは悪名高いレット・バトラー(クラーク・ゲイブル)と初めて会う。スカーレットはアシュリーとメラニーの結婚にショックを受け、衝動的にチャールズ(チャールズ・ハミルトン)と結婚をする。
しかし南北戦争がはじまると、夫チャールズは南北戦争で戦死し、戦争で南軍の敗色が濃くなると、戦火は南部の諸州を飲み込み、タラ農園は焼け野原と化し、母は死に、父は廃人となった。一方のレットは南軍の英雄となり、スカーレットの危機を、何度も救っていた。戦争が終わり、スカーレットには荒廃したタラ農園と、家族、そして思いを寄せるアシュリーを含めて、養っていく義務が課された。スカーレットは雄々しく運命に立ち向かい、重税を払うため再び資産家の夫と結婚したが、その夫にも先立たれてしまう。そんなスカーレットにレットが求婚し、優雅な新婚生活を送り愛娘も生まれた。しかし、スカーレットの心にはアシュリーがおり、それがレットの嫉妬を搔き立てるのだった。そして悲劇が起きる・・・・・・・
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映画『風と共に去りぬ』予告


映画『風と共に去りぬ』出演者

ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ)/クラーク・ゲイブル(レット・バトラー)/レスリー・ハワード(アシュリイ・ウィルクス)/オリヴィア・デ・ハヴィランド(メラニー・ハミルトン)/トーマス・ミッチェル(ジェラルド・オハラ)/バーバラ・オニール(エレン・オハラ)/ハティ・マクダニエル(マミー)/ボニー・バトラー(カミー・キング)/ジェーン・ダーウェル(ドーリー)/ウォード・ボンド(トム)/ランド・ブルックス(チャールズ・ハミルトン)
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映画『風と共に去りぬ』考察

アメリカ政府とプロパガンダ映画

『風と共に去りぬ』は時代を反映し、今から見れば「前時代的価値観」である、「アメリカ南部賛美」を語っており、現代では強い批判を浴びている。
関連レビュー:映画史に残る古典はなぜ批判されるか?
『風と共に去りぬ』
映画史に燦然と輝くハリウッドを代表する古典大作!
歴史的傑作は、なぜ現代で批判されるのか?

しかし、あまり語られないことだが、この映画は「戦意高揚(プロパガンダ)映画」の一面も持っていたのである。

そこで、まずはプロパガンダと映画の関係を語ってみたい。
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プロパガンダの発見と推進
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プロパガンダ映画と言って真っ先に思い浮かぶのは、ナチス・ドイツ政権の積極的な活用だろう。
ヒットラーの権力を誇示し、その政策に対する国民の共感を呼ぶよう、ナチス国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが積極的に推進し 、ドイツ国民を扇動する効果を上げたと言われる。

その最も有名な作品がレニ・リーフェンシュタール監督の『意思の勝利』(1935年)である。

しかし、アメリカ合衆国においても、プロパガンダに無頓着だったわけではない。

その研究は、第一次世界大戦のプロパガンダの分析から始まり、1927年政治学者ハロルド・ラスウェル(Harold Lasswell)が、その著書『宣傳技術と毆洲大戰(Propaganda Technique in the World War)』で発表し、その定義を明確なものとした。

ハロルド・ラスウェル(ハロルド・ドワイト・ラスウェルHarold Dwight Lasswell、1902年2月13日 - 1978年12月18日)は、アメリカ合衆国の政治学者。20世紀の中葉におけるシカゴ学派の重鎮で、行動論主義の創始者。政治コミュニケーションの研究で知られる。主にイェール大学で教鞭を執った。ハロルド・ラズウェルとも表記される。(Wikipediaより)

彼は第一次世界大戦におけるプロパガンダを研究対象とし、理論化し、その目的を以下のように要約した。
1. 敵に対する憎しみを煽る
2. 同盟国との友情を保つ
3. 友情を維持し、可能であれば、中立者の協力を得る
4. 敵の士気をくじく

そして、それらプロパガンダの目的を達成するために、宣伝戦略を以下の3つのカテゴリーに分類した。

1. 戦略的な宣伝:ラジオとチラシを用い敵国家の国内家庭を対象。
2.戦術的な宣伝: 戦場で主に敵の軍隊を対象に大量のチラシを撒く。
3. 占領政策または教育宣伝:敵が支配していた地域を対象に「敵の毒にさらされていた」市民に新たな世論をつくることを、全てのメディアを駆使して目指す。


アメリカ合衆国政府は1941年の日本軍の真珠湾攻撃まで、国民に対して戦争には関わらないと約束をしていた。

しかし、その言葉の陰で、ハリウッド映画界に対してプロパガンダを求めていたのである。
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米国はローズヴェルト大統領(写真)が、欧州戦争には参戦しないとする公約を掲げ当選していたが「真珠湾攻撃」により、世論の参戦論が高まり第二次世界大戦に突入することになる。

その実、ローズヴェルト政権は欧州のナチス・ドイツの勢力拡大に危機感を感じ、参戦の口実を求め続けていたというのが実態だった。

つまり公約の手前、米政府のプロパガンダは、ナチス・ドイツのように明示的ではなく、秘匿性を持ってハリウッド映画作品に埋め込まれていたのである。

その主張は密かで精緻に作品に埋め込まれており、一見するとそうとは知れないほど洗練されているだけに、観客の無意識に作用する恐怖を感じる。

ラスウェルのプロパガンダ研究はアメリカ合衆国政府に引き継がれ、戦争心理を研究するための宣伝分析研究所が、1937年に設立された。
そして研究所は、その戦意高揚の宣伝テクニックに関して、以下の7項目に要約した。
1. 名前付け(Namecalling):確かな証拠を見せず、観衆にそれを非難させ、間違ったレッテルを与えるよう誘導する事。攻撃対象をネガティブなイメージと結びつける(恐怖に訴える論証)。
2. 華麗な言葉による普遍化 (Glittering Generalit):観衆に何らかの証拠を見せることなく、普遍性や道徳的と考えられている言葉と結びつける「巧言」を用いて、許容させること。
3. 転移(Transfer):何かの威信や非難を別のものに転移し象徴する。たとえば愛国心を表す感情的な転移対象として国旗を掲げる。
4. 推薦文(Testimonial):「信憑性がある」とされる人に語らせることで、自らの主張に説得性を高めようとする(権威に訴える論証)。
5. 平凡な民衆(Plain Folk):ある話者と、彼の考えが「一般民衆」のものであると観衆に信じさせること。その考えのメリットを、民衆のメリットと結びつける。
6. イカサマカード(Card Stacking): 自らの主張に都合のいい事柄を強調し、都合の悪い事柄を隠蔽、または捏造だと強調する。
7. パレード牽引車(Bandwagon): その事柄が世の中の趨勢であるように宣伝する。人間は本能的に集団から疎外されることを恐れる性質があり、自らの主張が世の中の趨勢であると錯覚させることで引きつけることが出来る。(衆人に訴える論証)

米政府は宣伝分析研究所の分析を受け、プロパガンダ映画の重要性を知り積極的に活用する方針を取った。
具体的には1939年当時よりハリウッドと映画産業に対し、戦意高揚の効果を上げ得る作品内容を求める事に決めた。

具体的には、参戦前の1941年までは、ドイツに対する敵対心を煽り、孤立主義を脱するべきという世論を誘導するものであり、参戦後に撮られた映画は、邪悪な枢軸国と戦う米軍を称賛するメッセージが表現される事を期待された。

その参戦前後の期間を通じて、「善いアメリカ人と悪いドイツ人」または「戦争継続に対する努力を称揚する」という2つのメッセージを表現することを、映画製作者に求めたのだった。

ハリウッドと軍の関係は良好で、大手スタジオは軍の情報将校に撮影技術を訓練し、またスタジオ契約下のスターを戦地慰問に赴かせた。

更に米政府は開戦後の1942年には「戦争情報局 ( the Office of War Information=OWT)」を設立し、映画製作の指針を策定し、映画産業を管理した。

OWIは映画スタジオに対し戦意高揚のテーマを、彼らの映画の基礎におくよう推奨した。

そのテーマを以下の6項目にまとめた。
1. 戦争の件:なぜ我々は戦わなければならないのか、そして、アメリカ流の生き方とは何か
2. 敵の性格:敵のイデオロギー、目的と方法
3. 同盟国:信頼と友情
4. 産業戦線:勝利のための物資供給
5. 前線の人間の仕事を含む 戦闘部隊
6. 国内戦線:犠牲と一般人の責任

上の主張を最低でも一つ、出来れば複数使うことをOWIは推奨し、求めている。

更にはOWIはあらゆる映画が、戦争に潜在的に関連しているとして、すべての映画製作者に以下の7つの問題を考慮に入れるよう依頼した。
1. その映画が戦争の勝利の助けとなるか?
2. 何かの戦時情報問題を明らかにしているか?
3. もしそれが”抜け道”映画であれば、アメリカ、その同盟国、又は我々の世界の像に間違った虚偽を生み、戦争努力を損なっていないか?
4. それは主に戦争を有益な映画の基礎として使用しているか?
5. それは世界の紛争に関し我々の理解に何か新しい貢献をするか?
6. 映画がスクリーン上で最大限上映回数を増やしても、観客から興味を喪われないか?
7. その映画は、今日の若者に、彼らがプロパガンダによって欺かれたと言う理由ではなく、真実または決意を告げているか?
その上で、映画が優れたプロパガンダのメッセージをなぜ発信できるのかを知ることが重要として、映画各要素、脚本、演出、カメラワーク、演技に関して分析を行った。
結論として、映画はプロパガンダの効果を最も高めるメディアと成り得るので、その映画構成要素をプロパガンダ表現に向けて効率的に構築するよう、映画界に求めたのである。

そして、ハリウッド映画界は、ナチスドイツの宣伝大臣ゲッベルスが 羨むほどのプロパガンダ映画を生み出した。
関連レビュー:ヨーロッパを鼓舞したプロパガンダ
『ミニヴァー夫人』
名匠ウィリアム・ワィラーのプロパガンダ映画!!
ナチスも認めた完璧な戦意高揚作品

そして、そのプロパガンダ映画が持つ表現技術は、ハリウッド映画界の表現技術のレガシーとして、現代ハリウッド映画の映画文法として引き継がれた。
その反面ハリウッド映画界は、戦後に至っても政府の規制から逃れられず、それは個々の作品にも見られる。
関連レビュー:アメリカ陸軍の横やり事件
『地上より永遠に』
アカデミー賞8部門受賞の名作
アメリカ陸軍兵士を描く戦争ラブロマンス

それらの、政府の規制に積極的に協力する姿勢が、その後の「赤狩り」やハリウッド映画界の失墜を呼んだというのは、飛躍しすぎだろうか・・・・
関連レビュー:ハリウッドと赤狩り
『真昼の決闘』
オスカー受賞!ゲーリー・クーパー&グレース・ケリー共演
西部劇の古典!フレッド・ジンネマン監督の迫真のドラマ

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映画『風と共に去りぬ』考察

アメリカ政府とプロパガンダ映画

アメリカのプロパガンダ政策を上にまとめたが、個人的には驚きを覚えた。

1939年当時はアメリカ政府は戦争不介入を宣言しており、それらプロパガンダが現れるのは1941年制作の『ミニヴァー夫人』からだと個人的には考えていたからだ。

実際ハリウッド映画界は、1939年制作のチャップリンの『独裁者』に対して、あまりにドイツに対して敵対的だとして、ハリウッド映画界ではドイツマーケットを意識して、公開を止めようとすらしていた。(公開できたのは、チャップリンが自費で映画を製作したからだった)
アメリカ映画:1940年
チャップリン『独裁者』
ヒットラーに見せたチャップリンの意地!
映画史上に残る古典!ラストの名演説は必見

しかし、この『風と共に去りぬ』を見てみると、戦争と家を守る女性というメッセージが、どうにもプロパガンダの匂いを感じ、改めて米国のプロパガンダ政策を調べて、制作時にその存在があったと知ったのだった。

この『風と共に去りぬ』は、米政府の戦争突入を見越したプロパガンダテーマを映画界に求め、ハリウッド・スタジオもそれに応じていた証拠として挙げるべきだろう。

また同時に『独裁者』で分かるように、ハリウッド映画界は商業的な利益を重視し、ドイツマーケットを喪わないよう、あからさまな反ドイツのメッセージを発することを躊躇していたのである。

そんな曖昧なハリウッドの方針は『風と共に去りぬ』の、プロパガンダ表現をどこか曖昧な表現にとどめているだろう。

その違いは、例えば『カサブランカ』の反ナチスの直截さと比べれば明らかだ。
関連レビュー:明快なプロパガンダ
映画『カサブランカ』
映画史に輝くハリウッドスターの古典的作品!
この脚本は何でこんなにメチャクチャなのか?

しかし逆に、アメリカ政府のプロパガンダ政策の徹底の下、密かに埋め込まれたプロパガンダこそ、人々を知らず知らずのうちに誘導してしまう恐ろしさを感じるのである。

例えば、「アメリカ同時多発テロ」当時の映画や、毎年作られ続けるユダヤ人のホロコースト映画に、どこか隠された意図を感じるのは私だけだろうか?
関連レビュー:ハリウッドを支配するユダヤ人
映画『紳士協定』

ユダヤ人差別問題を取り上げた問題作!
エリア・カザン監督の第20回アカデミー作品賞受賞作







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2022年07月24日

映画『ジョーカー』映画史上最狂のヴィラン誕生秘話!感想・解説/貧富の格差による分断考察・ヒーロー物語の変容

映画『ジョーカー』感想・解説 編

原題JOKER
製作国 アメリカ
製作年 2019
上映時間 122分
監督 トッド・フィリップス
脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルバー


評価:★★★★  4.0点



ジョーカーは、言わずと知れた、DCコミックス「バットマン」シリーズに登場する、ヴィラン中のヴィランである。

その誕生の軌跡を、リアリティーを持って語り説得力がある。そしてジョーカーの出現が、バットマンを生み出す契機になったという事実が語られている・・・・・

本作は、営業的にも評価的にも高い結果を残し、第76回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され金獅子賞を受賞、第92回アカデミー賞では最多11部門にノミネートされ、主演ホワキン・フェニックスが主演男優賞を獲得した。

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<目次>
映画『ジョーカー』ネタバレなし簡単あらすじ
映画『ジョーカー』予告・出演者
映画『ジョーカー』解説
映画『ジョーカー』考察

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映画『ジョーカー』簡単あらすじ

1981年ゴッサム・シティは不況下で、失業者や犯罪者があふれ犯罪が多発していた。そんな街でアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は大物芸人マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)に憧れてコメディアンを目指し、派遣会社でピエロの仕事を頑張っていた。しかし、寝たきりの老母ペニー(フランセス・コンロイ)を抱え生活は苦しく、緊張が引き金となり、笑いが止まらなくなる発作を持ち、カウンセリングと精神安定剤が必要だった。そんな時、アーサーは同僚ランドル(グレン・フレシュラー)がくれた銃を仕事場に持ちこみ、派遣会社からクビを宣告されてしまう。
その夜失意のアーサーは、ピエロ姿で地下鉄に乗りトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)の会社に勤めるサラリーマン3名に暴行を受け、射殺してしまう。その事件は、ウィンズ財閥に代表される富裕層に怒りを覚えている貧困層の、戦いの象徴となった・・・・・
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映画『ジョーカー』予告

映画『ジョーカー』出演者

アーサー・フレック / ジョーカー(ホアキン・フェニックス)/マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)/ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)/ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)/トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)/ギャリティ刑事(ビル・キャンプ)/バーク刑事(シェー・ウィガム)/ランドル(グレン・フレシュラー)/ゲイリー(リー・ギル)/ジーン・アフランド(マーク・マロン)/アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)/ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)/カール(ブライアン・タイリー・ヘンリー)

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映画『ジョーカー』感想


ここで描かれたのは、貧富の格差が広がるアメリカ社会の現実を反映した、下層階級に生きる男の悲哀と、階級闘争が生まれる原因を語ったものだとすれば、この映画の完成度は非常に高いと感じた。

劇中では、この主人公の生育環境や、社会から虐げられている現実が丹念に描かれ、社会の底辺で生きることを運命づけられた人間の「恨み=ルサンチマン」が、詳細に、完璧な設計を持って、説得力を持って語られている。

この年のアカデミー賞は、『ジョーカー』と『パラサイト/半地下の家族』という、2本の階級格差を描いた映画が話題を呼んだ。

結局、最優秀作品賞は、エンターテーメント性において上回っている『パラサイト/半地下の家族』が獲得したが、本作も優劣つけがたい完成度を見せていると感じる。
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なんにせよ『ジョーカー』の持つ描写力の高さは間違いなく、その点を下で解説を試みた。

しかし、その高い表現力も、この映画がヒーロー映画『バットマン』のスピンオフ作品だと考えた場合、個人的には素直に評価し難い部分がある。

それは「ヒーロー物語」とは、本来「絶対的正義=勧善懲悪=神話的物語」を表現するコンテンツだと、個人的には考えて来たからだ。

かつて、西部劇がそうであったように、絶対的善を体現したヒーローが絶対的悪を倒すという「勧善懲悪」の物語構造こそ、アメコミヒーローにも共通の神話的ドラマツルギーであったはずである。
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この映画は、明らかにその「絶対的正義」を否定した作品であり、さらに言えば犯罪的な行為をも、その動機によっては認めざるを得ないという「シンパシー=共感」を呼ぶ内容になっている。

そんな、従来のヒーロー物語のアンチテーゼとして、この『ジョーカー』があるように感じられ、その点を考察として下に記した。Film2-GrenBar.png
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映画『ジョーカー』考察

ヒーロー物語の否定

この映画は、まるでアメリカ社会の低所得労働者層の、ドキュメンタリーを見ているかのようなリアリティーを持っている。

例えば現代社会においては、日本でも非正規雇用と正規雇用の格差が問題視されているが、それは程度の差こそあれ先進諸国に共通の労働問題でもある。

ヨーロッパやアメリカにおいても、経営側に都合の良い、安価なそして解雇リスクの少ない労働力の確保手段として、非正規雇用者は増え続け、その収入格差と不安定な雇用環境下で苦しんでいる。

この映画の主人公アーサーも、非正規雇用の派遣社員であり、ある日突然解雇を言い渡される。

そんなアーサーが解雇を告げられた夜、エリート・サラーリーマン3名にからまれ、アーサーは彼らを射殺する。
<地下鉄での射殺シーン>

その「サラリーマン=正規雇用社員」は後にバットマンとなるブルース・ウェインの父トーマス・ウェインの財閥系企業ウェイン証券の社員だったのである。

実にここでは、2つ貧富格差の分断要素が語られている。
ひとつは、正規・非正規雇用の問題であり、もう一つは証券会社が、その貧富格差をさらに増大させているという点である。

つまり、このトラブルの相手が証券会社社員であったのは、決して偶然ではない。
現代社会で貧富の格差を増大させた影には、富裕層がその資金を株など金融商品に投資することで、更に富を蓄積させたのであり、その商品の取引を担うのが証券会社なのである。

具体的に言えば、アメリカ社会の格差は1980年前後から金融証券の価値増大に伴い、資産を潤沢に持つ米国民の10%の富裕層、さらに言えばその富裕層の上位1%が突出して所得を増加させており、超富裕層とそれ以外の層で所得格差は拡大の一途をたどっているのだ。

その1%の超富豪を象徴するのが、将来バットマンとなるブルース・ウェインの父、トーマス・ウェインなのである。

貧困層の主人公アーサーが、トーマスの息子だと信じたのも意味深いと感じる。

なぜなら本来富裕層は、社会的庇護者として、その財力を貧困層に分け与える義務があった。
それはかって「エリート層の義務=ノブレス・オブリージュ」と呼ばれ、上流階級が果たすべき社会的責務であった。
ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。
最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。
「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。
法的な義務ではないため、これを為さなかったことによる法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われたりすることもある。
(Wikipediaより)

関連レビュー:英国のノブレス・オブリージュ
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つまり、貧しいアーサーは社会的庇護者としてのトーマス・ウェインを必要とし、それを作中では親子関係として描いてみせた。
そして、その親子関係はトーマスにより否定され、アーサーの救済はなされなかった。

更に言えば、コメディアンを目指すアーサーにとっての憧れ「職業的な成功者=父」でもある、ロバート・デ・ニーロ演じるマレーにも否定されたことを付け加えたい。

結局アーサーは、社会的救済も、職業的な能力も否定され、社会的な孤児であると告げられた。
それゆえに、ついに自暴自棄にならざるを得ず、暴発してしまった。

繰り返すが、この映画は「プア・ホワイト=貧困白人層」が生きる現実を描き、社会に訴えるという目的を持った作品ならば、その細部に至るまでほぼ完ぺきに表現されていると言うべきだろう。

その細部に関して言及すれば、この映画内で挿入される映画も、それら社会的格差を語るに相応しいものが選ばれている。
一本は、ミュージカル映画のパイオニア、フレッド・アステアの『踊らん哉』(1937年映画)であり、もう一本はトーマス・ウェイン達が劇場で見る、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936年映画)だ。

その劇中の映画が、社会的格差というテーマをどう表現しているかを、下で書いてみた。Film2-GrenBar.png
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映画『ジョーカー』解説

劇中映画の語るもの

この作品内で使われている、1本目の映画はフレッド・アステアのミュージカル『踊らん哉』である。
華麗なアステアの踊りと、明るく伸びやかな歌声が、観客の心を浮き立たせる作品だ。
このアステアとそのダンスパートナーだったジンジャ・ロジャースは、世界が大恐慌で苦しむ1933年よりパートナーを組み、その夢のようなきらびやかな作品で、貧困に苦しむ人々に希望と活力を与えたのだった。
そのアステアが生きた大恐慌時代と、この『ジョーカー』の舞台ゴッサムシティ―の状況が重なる。
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フレッド・アステアとジンジャ・ロジャースの古典
ミュージカル映画のパイオニア!

アーサーがアステアほどのパフォーマンス力を持っていれば、彼はショーマンとして人々を救うことも可能ではなかったかとも思える。

かしその考えは、もう一本の挿入映画『モダン・タイムス』の使われ方を見れば、明確に否定されていると見るべきだろうと、思い直した。
映画『モダン・タイムス』は、史上初の世界的映画スターであり、映画作家でもあるチャーリー・チャップリンによって作られた。
関連レビュー:庶民を勇気づけるコメディー!
『モダン・タイムス』
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放浪紳士チャーリーの最後の登場作品

彼は放浪紳士チャーリーというキャラクターで一世を風靡(ふうび)し、そのキャリアはアステアよりも古く、正に大恐慌の真っ最中にその作品を発表し続けた。

映画内で常にどん底の浮浪者を演じながら、権力者や金持ちを揶揄し、そのユーモア―で庶民大衆を勇気づけ、その支持を受けた。

『モダン・タイムス』はそんな、時代を鼓舞したキャラクター「放浪紳士チャーリー」の引退作なのである。
その作品では、フォード自動車をモデルにした大量生産の工場で働くチャーリーが、好きになった少女と幸せを築くために奮闘する姿を、笑いと涙で描いている。

『ジョーカー』では、そんな庶民の苦闘する物語を、豪華な劇場で、着飾った富裕層が見て、笑い声をあげているのである。


そのシーンを見れば、たとえアーサーが、そのショーパフォーマンスで人々を勇気づけようとしても、結局その努力は富裕層の慰み物となり、更に富裕層の富を生むビジネスに取り込まれるだけなのだと結論つけざるを得ない。

つまり、この劇中の作品2本が語るのは、貧富の格差が増大する不況時には、困窮した人々を救う力としてダンスやコメディーが機能した過去があった。
しかし、作中のゴッサムシティ―(1980年代を想定)においては、それらのショービジネスは富裕層に消費され新たな商品として再生産されるだけで、そのビジネスモデルが知られている現在では「救済力」となり得ないと語られているだろう。
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映画『ジョーカー』解説

貧富格差社会のルサンチマン

上で見たように、この『ジョーカー』は、現代の貧富格差社会の現実を鋭く抉る作品である。

しかし、その悪人にも、悪を成すべき理由があるとするこの映画は、従来のアメコミヒーロー映画と一線を画すものだ。

なぜなら従来の、「ヒーロー物語=英雄譚」とは、本来神話的な絶対性を語るものではなかったか?
「絶対的な悪」と「絶対的な正義」がぶつかり必ず正義が勝つからこそ、カタルシスを生み、安心して楽しめるものではなかったか?

もちろん、現代の「ヒーロー物語」が、それほど単純ではない事は十分承知している。
それは、アメコミヒーローを再生させたティム・バートン監督の『バットマン』から始まり、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』によって、決定的にその性格を変えた。
<『ダークナイト』予告>

『ダークナイト』シリーズは、9.11同時多発テロに端を発した、アメリカ合衆国のテロとの戦いのアナロジーだった。

『ダークナイト』によって、ヒーローはそれまでの絶対的正義という錦の御旗を捨て、現実がそうであるように、正義とは本当に正義なのかという懐疑をまとった物語へと、その性格を変える。

結局、現実において絶対正義など無く、それは一方の当事者が主張するファンタジーに過ぎない。
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その事実を前に、ノーランはヒーローから絶対性を奪い、その代わりにリアリティーをヒーローに付与したのだ。
その、未だ見た事のない、リアルなヒーロー像は成功をおさめ、ヒーロー物語に重厚さと深みを付与し、大人の鑑賞に耐えるドラマを創出した。

しかしリアルな作品とはいえ、そこにはまだ「絶対性=ファンタジ―」が、その底流に流れていた。

それは、たとえ現実の正義が不確実なものであったにしても、あくまでアメリカ国民のためのヒーローであるバットマンであれば、その戦いは正義であるとの最低限の安心が約束されていたからである。

しかし、この『ジョーカー』に至って、ついに善悪の壁は崩れ去った。

本作の主人公アーサーの姿を見れば、そこに生まれた悪は彼個人のモノではなく、社会の歪みが必然的に生んだ悪であり、彼はたまたまその悪を体現したに過ぎない。

つまり、彼の行動は、社会悪を解消するための、必然的なエネルギーの発露としてあるのであり、社会的格差の下貧困にあえぐ者たちの立場に立てば、むしろ彼は正義の使者なのである。

そして、これは、とりもなおさずアメリカが戦ったテロ組織側にも、間違いなく彼らなりの正義があったと認める事を意味するだろう。
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現実においては、間違いなく紛争に関わる関係国は、双方の正義を掲げて戦いに臨んでいるのである。

そんな「現実=リアル」を反映したこの映画は、間違いなくリアリティーに満ちている。

しかし、現実の混沌の中で、「ヒーロー物語=絶対的正義」の持つドラマのカタルシスを捨ててしまったようにも思える。

そのことが、今後のアメコミヒーローを語る上での手かせ足かせとなるのではないかと、個人的には危惧するのである・・・・



posted by ヒラヒ at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする