2023年01月09日

映画『シェーン』 1953年西部劇の古典は実話だった!/感想・解説・考察・スティーヴンス監督と西部の歴史的事件

映画『シェーン』解説・考察  編

原題 shane
製作国 アメリカ
製作年 1953年
上映時間118分
監督 ジョージ・スティーヴンス
脚本 A・B・ガスリー・Jr.
原作 ジャック・シェーファー


評価:★★★★   4.0点

この1953年のジョージ・スティーヴンス監督の作品は、西部劇の名作として古典的な一本となっている。

しかしこの映画は、それまでの西部劇とは「表現スタイル」の変化が感じられてならない。

それまでの西部劇が、アメリカ国民の建国の理想や勝利の凱歌を謳う「陽性な西部劇」だとすれば、この映画は戦いの場における悲劇性を訴える、「陰性な西部劇」であるように感じる・・・・

その理由は、この『シェーン』が「史実=実話」を題材にしている点と、監督ジョージ・スティーヴンスの個人的体験が、その表現に影響を及ぼしていると思えてならない。
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<目次>
映画『シェーン』簡単あらすじ
映画『シェーン』予告・出演者
映画『シェーン』感想
映画『シェーン』解説/ジョージ・スティーヴンスの実体験
映画『シェーン』解説/歴史的事実とシェーン
映画『シェーン』解説/実話ジョンソン郡戦争

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映画『シェーン』あらすじ

ロッキー山脈のふもとワイオンミング。少年ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、近づく馬上の見知らぬ男シェーン(アラン・ラッド)を見て、父ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)と母マリアン(ジーン・アーサー)の待つ家へと駆けこんだ。一家は開拓民として他の数家族と共に入植したのだが、この地に元からいた牧場主ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)とその手下に嫌がらせを受ける毎日だった。そんなスターレット家に身を寄せたシェーンも、ライカーとの闘いに巻き込まれ、ついに大乱闘を繰り広げた。決着を 着けるためライカーは殺人も厭わないと、ガンマン(拳銃使い=殺し屋)として名高い、早打ちウィルソン(ジャック・パランス)を呼び寄せた・・・・・
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映画『シェーン』予告

映画『シェーン』出演者

シェーン(アラン・ラッド)/マリアン・スターレット(ジーン・アーサー)/ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)/ジョーイ・スターレット(ブランドン・デ・ワイルド)/ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)/ジャック・ウィルスン(ジャック・パランス)/クリス・キャロウェイ(ベン・ジョンソン)/フレッド・ルイス(エドガー・ブキャナン)/フランク・“ストーンウォール”・トーリー(エリシャ・クック・Jr)/アクセル・“スウェード”・シップステッド(ダグラス・スペンサー)/モーガン・ライカー(ジョン・ディークス)/サム・グラフトン(ポール・マクヴィ)/リズ・トーリー(エレン・コービー)

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映画『シェーン』感想


映画の歴史と共に、西部劇の歴史も始まる。
その作品は西部開拓の歴史の、業績を称え、その勝利を謳歌する、開拓者を英雄として捕えた肯定的な作品群だったと言える。

しかし、この 映画は、そんな従来の西部劇が、大衆小説のような娯楽性を強く感じるのに較べ、純文学のような高貴な香りを感じた。

それは、主人公の静謐な美しい佇まいと、極力抑えたしかし激しく強い活劇シーンの表現との対比が、強い印象を生んだことから生まれたと思える。

この映画の静と動のダイナミズムは、静かな日常と、その破綻としての暴力の酷さをリアルに感じさせる。

そこにあるのは、従来の西部劇にある勝利の喜びではなく、むしろ闘争にある悲劇性であり、勝者と敗者の双方に対して憐憫と同情すら見せる。

そんな戦いの場で必然的に生まれる、「死=生命の喪失」に対する深い悼みが、この映画の根底にあり「品格」に通じていると思う。

その語り口は『ゴッドファーザー』の描く、一種の重厚さと、悲哀を帯びた鑑賞感と同様の情感を覚えた。

その映画『ゴッドファーザー』も「ギャング映画=マフィア映画」の伝統であった、娯楽的な演出とは一線を画す、文学的なギャング映画だった。
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映画『ゴッドファーザー』
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その作品を生む背後にあったのは、イタリア系のコッポラ監督による「イタリア移民」の歴史に対する、深い尊敬の念を反映したものだと、個人的には想像している。

この映画『シェーン』も西部の歴史の中で明滅し、現代アメリカの礎を築いた無名の人々に対して、深い尊敬と静かな悼みを含んだ作品に感じた。

特にこの映画の最後、少年ジョーイの姿は、後年の映画アウシュビッツの隠れた史実を描いた『サウルの息子』のラストと通じる余韻を覚えた。
ハンガリー映画:2015年
『サウルの息子』
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つまり、『ゴッドファーザー』『サウルの息子』『シェーン』に共通するのは、刻まれた歴史に対する敬意と、そこを生きた人々に対する哀悼の想いが、重厚さと時代を超えた芸術性を生んだのだと思える。

この映画『シェーン』が、西部を生きた人々に対し、そんな畏敬を含んだ表現となった根源を、スタージェス監督の経験と、題材となった史実から考察してみたい・・・・・
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映画『シェーン』解説

ジョージ・スティーヴンスの実体験
この映画の銃激戦の迫力は、従来の西部劇から隔絶した迫力を見せている。

それは、1954年当時のアメリカに、第二次世界大戦や朝鮮戦争に従軍した兵士達がたくさんおり、実際に人が撃たれた時どうなるかの現実を、多くの人々が知っていたという事実がある。

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それを踏まえ、従来の撃たれて呻き、その場に倒れるという、従来の西部劇の表現では説得力が無いと考えた、スティーヴンス監督(写真)の演出によるものだった。

その銃撃シーンのリアリティー表現は、スタージェス監督の実体験が色濃く反映されていると想像する。
彼はアメリカ政府の要請により、第二次世界大戦の欧州戦線に従軍しているのである。

挙国戦時体制の戦時下アメリカでは、戦争の記録映画撮影に当時のハリウッドからジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストン、フランク・キャプラなど、大物監督が戦地に赴いている。

その詳細はNetflixの歴史ドキュメンタリーとして、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮で『伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦−原題(FIVE CAME BACK)』と題され作品化されている。
<伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦>

そんなジョージ・スティーヴンスは、アメリカ軍の進軍と共にイタリア、ノルマンディー、ベルリンと転戦し、アウシュビッツの現実までカメラに収めた人物なのだ。
彼は第二次世界大戦で連合軍に加わるように促された。彼は米陸軍通信部隊に加わり、 1943年から1946年までドワイト・D・アイゼンハワー将軍下で映画部隊を率いた。彼の隊の撮影映像は、ヨーロッパで唯一の戦争のカラーフィルム(数十年にわたってアーカイブされている)を含み、ノルマンディー上陸作戦(D-Day)を記録している。 パリの解放、 エルベ川でのアメリカ軍とソビエト軍の会合、および連合国によるデュベン労働収容所とダッハウ強制収容所の両方の発見。スティーブンスは、ニュルンベルク裁判での提示用に、デュベンとダッハウの映像やその他の資料の準備を手助けした。(英語版Wikipedia)


スタージェス監督は欧州戦線で人の死を数多く目の当たりにして、「戦争=人々の争い」の無残な現実をその胸に刻み込んだに違いない。

そう考えれば、この映画のシェーンが決闘を終え、最後に少年ジョーイに告げる言葉は重要だ。
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シェーン:一度人を殺してしまえば、後戻りは出来ない。人殺しの烙印が人生に付いて回る。もう戻れない。家に戻ってママに伝えろ”もう大丈夫、銃は消えた”と


やはり、この映画は第二次世界大戦を通じてスティーヴンス監督の体験から生まれた、生命が失われることの痛みと、それを戦った兵士の苦しみと、さらにはその後の平和を生きることの困難も語られていると見るべきだろう。

スタージェス監督の経験が、たとえ娯楽西部劇の中であっても、人命が喪われる場面を決して軽々しく描くことを許さなかったと感じる。

生命の尊厳に対する敬虔さが、この作品の「死生観」に反映され、物語に「品格」が付与されたように感じた。

それは、西部劇の「歴史叙述」が、ただ勝利の歓喜だけではなく、生死の明滅を含んだ悲劇として語り得ると証明した点で、「西部劇」を深化させることにつながったのである。

更に言えば、戦争の場を生きたスタージェス監督の、死生観が作品に色濃く反映されているとすれば、「戦争」という悲劇がどれほど表現者の繊細な心に影響を与えるかの、明らかな証左であるだろう。

それは敗戦国の日本の作家においても、深い影響を刻んでいる・・・・・・
日本マンガ: 1952年4月〜1968年
『鉄腕アトム』
手塚治虫が描く日本マンガの金字塔!
鉄腕アトムが戦うことに秘められた日本マンガのオリジンとは?


日本映画:1977年
『幸福の黄色いハンカチ』
この映画が表した戦後日本の原罪と赦し
監督山田洋次、主演高倉健、共演武田鉄也、桃井かおりの大ヒット映画

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映画『シェーン』解説

『シェーン』の歴史的史実

この映画の時代背景を調べると、実はこの映画にはドラマの基になった史実があった。

その点から見れば、この映画は「実話」だと言える。

この映画の時代は、エイブラハム・リンカーン大統領が進めたホームステッド法という、西部への入植を促す政策が推進された時期だった。
ホームステッド法(英: Homestead Act)は、アメリカ合衆国で1862年に制定された法律であり、アメリカ西部の未開発の土地、1 区画 160 エーカー(約 65 ヘクタール)を無償で払い下げるものであり、自営農地法とも呼ばれる。この法律は1862年5月20日にエイブラハム・リンカーンが署名して発効した。(wikipediaより)

最終的に1862年から1986年の間に160万件の土地払い下げが認められ、その面積は2億7,000万エーカー(108万平方キロメートル)で、アメリカの国土の10%に達したとされる。

シェーンが寄宿したスターレット一家や、その仲間はこのホームステッド法により移植してきた酪農農家だったのである。

そのホームステッド法によって、それまでの既得権益を失ったのが、スターレット一家と対立しているライカ―牧場のライカ―などの牧場主だった。

南北戦争が終わると、ミシシッピ川以西の開発が始まり、ロッキー山脈やカリフォルニア州などの鉱山開発を皮切りに、続いてグレートプレーンズ以西の公有地を自由に活用したライカ―のような牛の放牧をする放牧業者が続いた。

しかし1870年代以降ホームステッド法の入植者が、鉄条網により放牧地を区切り耕地や家畜を囲い込んだ事によって、ライカ―達の放牧はそれまでの広大な公共放牧地を失うことになる。

その事実を前に、先住牧場主はホームステッド法入植者を「養豚業者」、「ソッドバスターズ(根堀百姓)」、「スクワット(無断占拠者)」、などと呼んで侮辱し、脅迫や、暴力を用いて用いて新参者を排斥しようとした。

そんな牧場主の圧力によって、ホームステッド法の入植者は彼らの財産である家と土地を離れるか、それを維持するかについて入植者家族の間でも意見が分かれたという。

いずれにしても、この対立の背景にはアメリカ政府の政策が、現実の利害状況を踏まえていないが故の、混乱状況が生じていたのであり、一方的に片方を断罪することはできない。

それは、現実世界の事件や揉め事は、双方の主張が入り乱れ、簡単に裁定できないという事実を、多くの裁判事例が証明している。
関連レビュー:裁判とは何かを描く傑作!!
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結局、現実の揉め事が最も激烈になるのは、双方が自分が正しいとして、一歩も引かない時なのであり、その最たる紛争が戦争というものだったのだ。

このシェーンは、そんなホームステッド法の混乱により生じた典型的な事件、ワイオミング州の「ジョンソン郡戦争」をそのモチーフとしている。

以下にその詳細をまとめた。
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ジョンソン郡戦争

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ジョンソン郡戦争は、パウダーリバー戦争およびワイオミング放牧地紛争としても知られ、1889年から1893年にかけてワイオミング州ジョンソン郡で起こった、家畜用の放牧地 (range) を巡る衝突である。この衝突は、畜産会社が、この地域で土地や家畜、水の権利において競合相手となっていた入植者たちを牛泥棒 (rustler) 扱いして容赦のない迫害を始めたことに端を発する。州内では大規模かつ権力を固めた牧場経営者らと小規模な入植者との間での暴力事件が拡大していき、経営者らが郡に侵略するためにガンマン達を雇ったことで、事件はパウダーリバーカントリーで最悪の事態に達した。ガンマン達による縄張りへの最初の侵略は小規模な農民と牧場主、そして州の保安官らを激昂させ、彼らは200人からなる民警団を結成し、激しい膠着状態へと陥った。ベンジャミン・ハリソン大統領の命令によってアメリカ騎兵隊が調停に入ることで紛争は終了したが、戦闘はその後も数か月間続いた。(Wikipediaより)
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当時の西部は、野良牛が成育しており、それらの牛は自らのテリトリーに入ってくれば、焼印を押し(ブランディング)自らの所有とする事ができた。

先住の牧場主の牛とは、基本的にその野良牛の所有を宣言した結果であり、当時の慣例では共有地の野良牛は年に一度、その地の権利者の間で分配されていた。

しかし両者の関係は、-40℃の酷寒と吹雪に襲われた厳しい冬と、暑くて乾燥した夏が続く悪天候より何千頭もの牛が失われると悪化していく。大牧場の所有者達は、入植者を土地から追い出し、その家財に放火した。

そして彼ら入植者を牛の年次分配から排除した。
有力牧場主は、WSGA(ワイオミングストックグローワーズアソシエーション)として組織され、州政府にも隠然とした勢力を誇り、その政治力を活用し、公有地や野良牛の所有を正当化する、マーベリック法をワイオミング州議会で可決したことで、入植者との関係は対決不可避となった。

それら権益の独占化により、牛を獲得するため牛泥棒や強奪など、違法な手段をとる無法者が出没するようになると、WSGAは自警団を組織し取り締まるようになる。

エレン・ワトソン.jpgそんな中、ホーム・ステッドによる女牧場主エラ・ワトソン(写真)が牛を盗んだと容疑をかけられ、WSGA自警団のジョージ・ヘンダーソンという男によって、縛り首となって木から吊るされた。

これは女性がリンチされるという、西部開拓時代でもまれな事件の1つで、戦争に至る道への一里塚だった。
自警団のジョージ・ヘンダーソンは直後に何者かに襲われ命を落とした。

これを受けて、WSGDはさらにリンチで、入植者達とその関係者の数人を殺害したが、その犯人はWSGDの政治力によって釈放された。

ネイトチャンピオン.jpg入植者側もWSGDに対抗し、ネイト・チャンピオン(写真)という小牧場主が主導して、入植者グループをNWFSGA(北ワイオミング農民および畜産農家協会)として組織し、野良牛の年次総括(ラウンドアップ)に参加を要求した。

この年次総括参加がWSGDによって拒否されると、ネイト・チャンピオンは独自の年次総括を実施すると宣言した。

WSGDの大牧場主達は、1891年11月1日暗殺部隊をネイトチャンピオンの家に派遣した。チャンピオンは侵入者に気付き、銃撃戦によって2人のガンマンを撃ち撃退した。

これを皮切りに、大牧場主と入植者の暴力の応酬は新聞に報じられるまでになり、WSGAのリーダーだったフランク・ウォルコットはNWFSGAを解散させる目的でガンマンを多数雇い入れ襲撃団(写真)を組織した。
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対立はワイオミング州全体を巻き込み、州内の有力者はそれぞれの陣営に二分された。
WSGAは襲撃団を50人集め、その指揮をフランクM.カントン執らせ、WSGAの最初のターゲットをネイト・チャンピオンに定め、彼がいたKC牧場を1892年4月8日襲撃した。
KC牧場にはチャンピオンの他3人の男がいたが、チャンピオンを除く3人は殺害され、チャンピオンは丸太小屋で一人包囲された。
チャンピオンは自警団の3人を負傷させ、他の4人を殺害する反撃を見せ数時間持ちこたえたが、丸太小屋に火を放たれ、裏口から脱出を計ったものの、襲撃団は彼を射殺した。
チャンピオンの死体には、襲撃団によって「CattleThievesBeware(牛泥棒注意)」と書かれた紙を貼り付けられた。


チャンピオンの死を知った仲間の入植者と、それを支持する保安官アンガスが200人の民警団を編成し、襲撃団の逮捕へと向かった。
TARaunch.jpg襲撃団はチャンピオン殺害後も、入植者の襲撃をし続けていたが、民警団の追跡を知りTA牧場(写真:包囲の図解)に避難した。
それを包囲したアンガスと民警団は、襲撃団と3日間に渡り睨み合い、その間銃撃の応酬があり襲撃団は窮地に落ち入った。


この西部の事件は、東海岸のニューヨークタイムズ紙が詳報するほど、当時のアメリカ社会の注目を集めた。

大規模牧場主の陣営だったワイオミング州知事エイモス・W・バーバーは、襲撃団を救うために当時のベンジャミン・ハリソン大統領に電報で助けを求めた。

Benjamin_Harrison.jpgハリソン大統領(写真)は大統領令を発し、第6騎兵隊によってWSGAの襲撃団の拘留を命じた。
第6騎兵隊はTA牧場に到着すると、アンガス保安官と交渉し包囲を解く代わりに、逮捕後の襲撃団を民警団当局に引き渡すことで決着し、それ以上の戦闘を阻止したが、実際に引き渡されることはなかった。

襲撃団を調べた司法は、WSGAの計画を暴き、襲撃団によって撃たれたり絞首刑にされた70人の殺害者のリスト、侵入者が燃やした家のリスト、その報酬として1日5ドルと、殺害1人につき50ドルのボーナスを支払う契約があったとして、WSGAの関与が明らかになった。
しかし、大牧場主の起訴は成されず、襲撃団の刑事罰もうやむやとなった。


事件後、大牧場主を、放牧地と水利権に対する権利を守るため、暴力も辞さず正義を求めた英雄と見なすなど、双方の行動はその支持者によって、ホラ話を含め正当化するための多くの説が流布されたという。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月27日

オスカー受賞『我等の生涯の最良の年』1946年のアメリカ帰還兵のリアル!再現ストーリー/詳しいあらすじ・ネタバレ・評価

映画『我等の生涯の最良の年』詳しいあらすじ・ネタバレ 編

原題 The Best Years of Our Lives
製作国 アメリカ
製作年 1946年
上映時間 169分
監督 ウィリアム・ワイラー
脚本 ロバート・E・シャーウッド
原作 マッキンレー・カンター


評価:★★★★  4.0点

この映画は1946年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞の5冠を獲得した。

第二次世界大戦を戦ったアメリカ軍の復員兵が、戦場から日常に復帰する際の苦悩する姿を、緻密な脚本で描き説得力がある。

本作の監督、ウィリアム・ワイラーは大二次世界大戦中は空軍に従軍し、戦争の悲惨な現実を目の当たりにし帰国しており、そんな実体験がこの作品にリアリティーを与えていると思える・・・・
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<目次>
映画『我等の生涯の最良の年』詳しいしあらすじ
映画『我等の生涯の最良の年』予告・出演者
映画『我等の生涯の最良の年』受賞歴・
映画『我等の生涯の最良の年』ネタバレ
映画『我等の生涯の最良の年』ラスト

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映画『我等の生涯の最良の年』詳しいあらすじ


第二次世界大戦が終わったアメリカの空港は、慌ただしく行き交う人々で活気を見せていた。
そんな中、除隊したばかりの、空軍大尉のフレッド(ダナ・アンドリュー)も、故郷ブーン市に向かう飛行機の航空券を求めカウンターに向かう。
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しかし旅客機は満席で、致し方なく空軍の貨物機に便乗する事にした。その空軍事務所で、水兵のホーマー・パリッシュ(ハロルド・ラッセル)に出会う。彼も同郷の出身で同じ便に乗ると言う。しかし握手のため差し出した手は義手だった。彼は戦争で両腕を喪った傷病兵だった。
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二人の乗る飛行機には、これも同郷のアル・スティーブンソン(フレドリック・マーチ)という陸軍軍曹の先客がいて、三人はそろって故郷へと飛び立った。機内で3人は、打ち解け仲良くなる。ホーマー義手を器用に使い、マッチで火を付け、タバコを吸うこともできた。彼女がいるというアルの言葉に、フレッドとアルは彼女が良い子だといいなと語り合った。
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町に降り立った3人は一台のタクシーに乗り込むと、それぞれの家へと順番に回って行くことにした。その途中、ホーマーが一軒のバーを見て、あれは叔父のブッチ(ブッチ・エングル)の店だと紹介した。
最初に降りたのはホーマーだった。中流階級の両親と兄弟、そして婚約者のウィルマ・キャメロン(キャシー・オドネル)も待ち構えていた。帰還を喜ぶ家族だが、義手を目にして母は必死に涙を堪えた。
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次にアルがタクシーから降りた。銀行家の彼は妻や子供達が待つ豪華なマンションへ入ると、姉ペギー(テレサ・ライト)と息子ロブ(マイケル・ホール)が気付き、そして騒ぎに妻ミリー(マーナ・ロイ)が現われ泣いて抱きつく。
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最後にフレッドは、町はずれの低所得者層の住む実家へと帰ると、両親は喜び、勲章の多さを褒めたが、戦争中に結婚したフレッドの妻マリー(ヴァージニア・メイヨ)が不在だった。マリーは、今はナイトクラブで働いていると聞き、フレッドは複雑な顔を見せた。
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そして、マリーの住む町のアパートを目指し、実家を後にした。

家族の団欒の中アルは、戦争の土産として日本刀など日本兵の遺品を息子ロブに贈る。しかし、息子はその土産よりも、原爆について尋ね、戦争に否定的な意見を言いアルを閉口させた。
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息子を寝かせた後、アルは気晴らしをしたいと、渋る妻と娘を誘い、町に酒を飲みに出かけた。

一方ホーマーは、義手を気にする家族と緊張感が生まれ、婚約者のウィルマの両親に挨拶に行ってもギクシャクして、ついにいたたまれず外へ出た。
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そしてホーマーは、叔父の酒場ブッチ・バーへと向かった。
そこには、妻マリーを訪ねたが留守で、時間を潰していたフレッドと再会した。更にそこに、もうすでに相当酔いの回ったアルが現われ、彼は妻と娘に、二人を紹介し盛大にやろうと気勢を上げた。
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ホーマーは叔父に止められビールしか飲めなかったが、フレッドとアルは泥酔し、アルの妻とペギーは二人をアパートに連れ帰るしかなかった。

ペギーのベッドにフレッドを寝かせたものの、戦時中の事故の悪夢にフレッドがうなされると、ペギーはそんな彼を優しく介抱した。
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翌朝、目覚めたフレッドに、ペギーは朝食を作り食べさせ、フレッドはその優しさに礼を言う。

妻マリーのアパートを再び訪ねたフレッドは、そこで、妻マリーとようやく再会を果たす。
フレッドは、戦前はドラッグストアーで働いていたが、新しい仕事にチャレンジすると妻に語り、妻のナイトクラブ勤めを辞めさせた。
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しかし戦争の英雄とはいえ、職探しは難航し、就職先は見つからなかった。
そんな夫の妻のマリーは遊び好きで、フレッドと外食を従って、懐の寂しい彼を困惑させた。

銀行家のアルは、以前勤めていたの銀行へ挨拶に行くと、頭取から復員兵への融資を担う責任者が必要だと口説かれ、再び働くこととなった。
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ホーマーは、一人時間を過ごすことが多くなった。家族が心配し、婚約者のウィルマも結婚したいという気持ちに変わりはないと訴えた。
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ウィルマはホーマーに心を開いて欲しいと涙ながらに語りかけるが、しかし頑なホーマーの態度にその場を去るしかなかった。

フレッドの職探しは難航し、結局は戦前務めていた大規模なドラッグストアーで、職を得た。しかし、かつて部下だった男の下で、嫌味を聞きながら働かざるを得なかった。
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しかしドラッグストアーの給料の低さに、浪費家のマリーは嫌味を言い、夫婦仲は険悪になって行く。

アルは銀行で、復員兵の融資の申し込みを受けた。しかし、その申請者は担保がないと言う。銀行の方針通り最初は断ったアルだったが、男は戦後の身の振り方の苦悩を語り、なぜ貸せないのかと切々と訴えた。それを聞いたアルは、融資の決裁を下ろした。
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しかし、問題視した融資管理者に呼ばれ、担保がない融資の是非を問われた。二人の話を聞いた頭取は、アルが決めた事ならと容認したが、今後気を付けるようにと釘をさした。
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アルは日々深酒をするようになる。

ある日フレッドは、偶然ドラッグストアーにやってきたペギーと再会し、ランチを共にした二人は更に親しみを増し好意を抱くようになる。
そしてペギーを車まで送ったフレッドは、ペギーにキスをしてしまう。ペギーは逃げるように車に乗り込み走り去った。
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フレッドが家に帰ると、マリーはペギーから電話があり、ペギーとその彼とフレッド夫婦の4人でディナーに行く誘いを受けたと言い、渋るフレッドを説き伏せ、約束のレストランに行くことを認めさせた。
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ペギーは、両親にフレッドを好きになったとを打ち明け、フレッド夫妻の幸福な姿を見て諦めるために、ディナーに誘ったと打ち明けた。
父のアルは娘を信じようと言い、銀行のディナーパー ティーに向かった。

深酒が習慣となっているホーマーは、スピーチを求められ、妻が彼を心配するのをよそに、危険な言葉を口にしだし頭取が顔をしかめた。
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しかし、最後には「ギャンブルと言う者もいるが、銀行はアメリカの将来に投資するのが責務だ」とまとめ、妻と頭取を喜ばせた。

一方レストランで、フレッドと妻マリーとのディナーを共にしたペギーだったが、そこにフレッド夫婦の愛は微塵も感じられなかった。
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帰宅したペギーは、フレッドのためにも離婚したほうが良い、自分がフレッドを幸せにすると言い、父アルから叱られ母に慰められた。

アルはホーマーの叔父のバーにフレッドを呼び出すと、お前は好きだがペギーには近づくなと詰め寄った。アルは娘を不幸したくないと必死に訴える。
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その言葉を受け入れたフレッドは、その場でペギーに電話をし、別れを告げる。
ちょうどその時、ホーマーが訪れアルに気づく。しかし電話を終え店を後にするフレッドにかけた声に応えず、彼は黙って去って行った。
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フレッドの勤めるドラッグストアーに、ホーマーがやって来た。バーでの様子が気になり来てみたという。フレッドは軽食カウンターの中から、ホーマーに頼まれたパフェを出した。
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その時、一人の男がホーマーの横に座ると、その義手に気づき同情した眼を向けた。
ホーマーが男の方を見ると、男は可哀そうに戦争の犠牲者だと言い、この戦争に意味はなかったと口にする。
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それを聞いたホーマーは怒りに震えたが、義手のせいで男を殴ることもままならなかった。代わってフレッドが、その客を殴り倒し、店は大騒ぎになる。
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フレッドはドラッグストアーを馘になった。

そんな騒ぎの後ホーマーが家に帰ると、恋人のウィルマが訪れ、両親から町を出るように言われているが、そうしたくないとホーマーに必死に訴えた。それを見たホーマーは彼女を自分の部屋に連れていくと、義手を外した姿を見せた。
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ホーマーは、義手がないと何もできない自分を、ウィルマに見せた。しかし、ウィルマはそんなホーマーを抱きしめ、それでも愛していると伝えた。
その言葉に目を潤ませたホーマーは、ウィルマとの結婚を決意した。

一方フレッドは、妻マリーの部屋に帰ると、そこには一人の男がいた。不穏な空気が流れるが、男が部屋を出て行き、残されたマリーとフレッドはお互いの不満を吐き出す。
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結局二人は離婚を決め、フレッドは街を去る決意をした・・・・・・・・
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映画『我等の生涯の最良の年』予告

映画『我等の生涯の最良の年』出演者

アル・スティーブンソン軍曹(フレドリック・マーチ)/ミリー・スティーブンソン(マーナ・ロイ)/ペギー・スティーブンソン(テレサ・ライト)/ロブ・スティーブンソン(マイケル・ホール)/フレッド・デリー大尉(ダナ・アンドリュース)/マリー・デリー(ヴァージニア・メイヨ)/ホーテンス・デリー(グラディス・ジョージ)/ウィルマ・キャメロン(キャシー・オドネル)/ウィルマ母(ドロシー・アダムス)/ウィルマ父(ドン・ベドー)/ホーマー・パリッシュ(ハロルド・ラッセル)/ホーマーの叔父(ブッチ・エングル)/ホーマー母(ミンナ・ゴンベル)/ホーマー父(ウォルター・ボールドウィン)/ローマン・ボーネン(パット・デリー)/ミルトン(レイ・コリンズ)/クリフ(スティーヴ・コクラン)/ルエラ・パリッシュ(マレーネ・エイムズ)/プリュー(チャールズ・ハルトン)/モレット(レイ・ティール)/ソープ(ハウランド・チェンバレン)/ノヴァク(ディーン・ホワイト)/ブラード(アースキン・サンフォード)/ウディ・メリル(ヴィクター・カトラー)
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映画『我等の生涯の最良の年』評価・受賞歴


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この映画は、公開された当時、世界中で高い評価を受け、多くの賞で栄冠に輝いた。

映画『我等の生涯の最良の年』受賞歴

アメリカ・アカデミー賞:最優秀作品賞/最優秀監督賞(ウィリアム・ワイラー)/最優秀俳優賞(フレドリック・マーチ)/助演男優賞(ハロルド・ラッセル)/脚本賞/最優秀映画編集賞/ドラマ・コメディ音楽賞/最優秀録音賞/アカデミー名誉賞(ハロルド・ラッセル)/アーヴィング・G・タルバーグ記念賞(サミュエル・ゴールドウィン)
英国アカデミー映画賞:全ての情報源からのベストの映画
ブリュッセル世界映画祭:主演女優賞(マーナ・ロイ)
シネマライターズサークル賞 :最優秀外国映画/
ゴールデングローブ賞:最高の映画/特別功労賞(ハロルド・ラッセル)
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭:最優秀監督(ウィリアム・ワイラー)
第1回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭:監督賞(ウィリアム・ワイラー)
ニューヨーク映画批評家協会賞:最優秀作品賞/最優秀監督(ウィリアム・ワイラー)/最優秀俳優(フレドリック・マーチ)
関連レビュー:アカデミー賞紹介
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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映画『我等の生涯の最良の年』映画ランキング

<AFI(アメリカ映画協会)100年-100本ランキング>
アメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)が映画の歴史100年を記念して、映画ベスト100を発表し、その中で本作も選ばれていた。
1998 年:史上最高の映画ベスト100・・・・・37 位、
2006 年:元気を呼ぶ映画ベスト100・・・・・11 位、
2007 年:史上最高の映画ベスト100(10周年記念版)・・・・・ 37 位
<その他>
1948年キネマ旬報選出『外国映画ベスト10』・・・・・2位
◎いろいろな『映画ベスト100』企画紹介
世界各国で選ばれた『ベスト映画ランキング』のリストを紹介!!!
映画界、映画ファン、映画評論家など、選定方法もさまざま!
日本映画も各リストでランクイン!
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2022年現在の評価を映画サイトから紹介

<日本>
映画.com映画.com・・・・・4.1/5、Filmarks・・・・・3.9/5、アマゾン・・・・・4.6/5、キネノート・・・・・75.4/100
<米国>
Rotten Tomatoes・・・・・97%、Metacritic・・・・・93%、Common Sense Media・・・・・4/5、IMDB・・・・・8.1/10
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以下の文章には

映画『我等の生涯の最良の年』ネタバレ

があります。
(あらすじから続く)
町を出ることを決めたフレッドは、実家に寄り別れを告げた、飛行機に乗るため空軍事務所へ向かうため家を出た。
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見送った父親は、フレッドの荷物を見ると戦時中の英雄的行動を讃える数多くの勲章を見つけ驚いた。

空軍の貨物便に乗る手続きを終えたフレッドは、出発までの時間を潰すため敷地に出た。
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すると、そこは戦後廃棄された軍用機の墓場となっていた。その中に戦時中フレッドが登場したB17爆撃機もあった。
フレッドはその機内にもぐり込むと、最前部に座り、長く物思いにふけっていた。
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その時、外から咎める声が掛かる。
その男はこの廃棄された機体を解体し、プレハブ家屋の材料にする仕事をしているという。
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フレッドはそれを聞くと、男にここで働かせてほしいと頼みこむと、戦争中戦車に乗っていたと語る男は、しばしフレッドを見つめると雇うことを決めた。
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映画『我等の生涯の最良の年』結末

その日ホーマーの家は多くの客でにぎわっていた。ホーマーとウィルマの結婚式が行われるのだ。
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ホーマーの付添人をフレッドが務め、そこにアル夫妻とペギーも現れ、アルは相変わらず酒を飲み過ぎ、妻にたしなめられていた。
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満場の拍手の中ウィルマがウェディングドレスで登場し、ホーマーの前に進み出る。人々の顔に微笑みが宿る。
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式が滞りなく進み、お互いの誓いの言葉が交わされる中、フレッドとペギーは熱く見つめ合った。
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そして、歩み寄った二人は口づけを交わした。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月09日

古典映画『チップス先生さようなら』(1939年)戦争に歪めれた教師物語とは?/感想・解説・考察教師映画元祖

映画『チップス先生さようなら』感想・解説 編

原題Goodbye, Mr. Chips
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 114分
監督 サム・ウッド
脚本 R・C・シェリフ
原作 ジェームズ・ヒルトン


評価:★★★☆  3.5点



英国伝統の寄宿学校の生活が『ハリーポッター』の世界観を思い起こさせるこの映画は、1939年、第二次世界大戦が目前に迫った時期に撮られた作品だ。

主演のロバート・ドナットは、20代半ばから80代までを一人で演じきってアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

その名演もさることながら、それ以上に、この作品が重要なのは、映画史上初めて「教師モノ」「学園モノ」を描いたパイオニアだという点にあると主張したい。
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<目次>
映画『チップス先生さようなら』簡単あらすじ
映画『チップス先生さようなら』予告・出演者
映画『チップス先生さようなら』感想
映画『チップス先生さようなら』解説・考察

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映画『チップス先生さようなら』あらすじ

1928年、イングランド東部ブルックフィールドにある寄宿学校「ブルックフィールドスクール」には、82歳にもなる名物教師のチップス先生ことチャールズ ・エドワード・ チッピング(ロバート・ドーナット)がいた。彼はその教師人生を振り返る。初めての授業では、生徒のいたずらに会い授業にならず、時の校長に教師の資質を問われる始末だった。それからの彼は生徒を厳しく管理する、真面目な堅物教師となり、生徒からの人気はほぼ皆無だった。しかし、そんなチップスを変えたのはドイツ人教師マックス(ポール・ヘンリード)に誘われた旅で出会い結婚したキャサリン(グリア・ガースン)だった。開放的で社交的な彼女は、生徒達とのお茶会を開催したちまち人気者となり、それに感化されてチップスも授業中に冗談を交えるようになって行った。そんなチップスの変化で、生徒の人気も高まり、出世コースも開け、キャサリンも身籠った。しかし、順風満帆かと思われたチップスの人生に、大きな悲劇が待ち構えていた―
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映画『チップス先生さようなら』予告

映画『チップス先生さようなら』出演者

チップス先生(ロバート・ドーナット)/キャサリン(グリア・ガースン)/ジョン・コリー他コリー家4代少年期の4役(テリー・キルバーン)/ピーター・コリー2世:青年期(ジョン・ミルズ)/マックス・ステュフェル(ポール・ヘンリード)/フローラ(ジュディス・ファース)/ウェザビー(リン・ハーディング)/チャタリス(ミルトン・ロスメル)/マーシャム(フレデリック・レイスター)/ウィケット夫人(ルイーズ・ハンプトン)/ラルストン(オースティン・トレヴァー)/ジャクソン(デビッド・ツリー)/モーガン大佐(エドモンド・ブレオン)/ヘレン・コリー(ジル・ファース)/ジョン・コリー卿(スコット・サンダーランド)

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映画『チップス先生さようなら』感想


現代の「教師モノ」は、教師と生徒の関係を描き、そのいずれか、または両者が変化し成長する姿、つまり「教育の現場とその力」を描くというのが王道だろう。
また、その幅を学校を舞台にした「学園モノ」まで広げれば、そこには上に述べた「教師と生徒」以外に、生徒同士の友情や葛藤がドラマが描かれる。
関連レビュー:現代日本の教師ドラマとは?
『鈴木先生』
美少女!16歳の土屋太鳳の学園ドラマ
現代教育現場の混迷を生きる教師!!

そんな最近のドラマに比べれば、この映画は、教師モノとしてみれば、チップスと生徒の関係が希薄で、明確な「教育の力」も見出しがたい。
例えば、かつて日本で人気を集めた、熱血教師と不良学生との魂がぶつかるような、感動ドラマを想像すれば肩透かしを喰らうだろう。
また今どきの「学園モノ」のような、生徒たちの青春物語がしっかり描かれているわけでもない。

それでは何が描かれているかと言えば、チップス先生の一種散文的な回顧録である。
その散文性は、老人が自分の教師生活を回想するという点で、さらに強く感じられる。

そんな、一個人の散文的回顧録は、英国の文学的伝統としてある「伝記」の様式によるのかもしれない。
関連レビュー:イギリスの回顧録作品
『戦場の小さな天使たち』
監督ジョン・ブアマンの語る思い出「戦場のちびまる男」
美しい田園と少年期の栄光。ラストのキレの良さは秀逸!

「伝記性」として見れば、このドラマの主体はチップスの人生の浮き沈みにあり、それゆえ生徒との関わりや学校生活はチップスの人生を語るのに必要な部分だけが語られているのも納得できる。
そういう点では、この映画は「教師モノ」「学園モノ」のジャンルに入れるよりも、やはり「伝記物」として捉えるべきなのだろう。

つまり「伝記」の物語様式に則っているからこそ、その人物の人生が主たるテーマなのであり、この映画ではたまたまその人物の職業が学校だったから、その背景として描かれていると見るのが正しいのだろう。

そう考えれば、この作品から受けるイメージが、地味で実直な趣を見せるのも、このチップスという人物の人間性が反映されたものだと感じられる。
そんな主人公の「人格=個性」が作品世界の色調を支配するのも、それが伝記だとすれば、必然的な表現であるに違いない。

いずれにしても、この映画は「教師モノ」「学園モノ」を期待すれば違う種類のドラマであり、チップスという教師が語る回顧「人生ドラマ=伝記」を味わう映画なのだ。

しかし、それでも調べた限り、映画作品として初めて「学園」を舞台に「教師」を描いた作品であるのは間違いない。
そう考えれば、個人的には、この『チップス先生さようなら』の成功があって「教師モノ」「学園モノ」というジャンルの道が開けたとも思え、それが正しいとすれば本作は「古典」として映画史にとどめるべき作品だと主張したい。
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映画『チップス先生さようなら』解説・考察

反戦映画としての『チップス先生さようなら』
この映画は、「学園ドラマ」や「教師ドラマ」というよりは、「伝記物語」としての印象が勝ると上で書いた。

考えてみれば、サイレント映画の時代から伝記映画の伝統はあっても、学園ドラマというジャンルが確立していない当時にあっては、学園物語は「教育」を描くという「ジャンル的アイデンティティ」は未成立だったと捉えるべきだろう。

何事も一足飛びに「独自性=ユニーク性」に到達し得ないのは、あるジャンルの成立を時系列で追ってみれば明らかだ。
関連レビュー:1988年のアニメ世界の革命とは?
映画『アキラ』
ジャパニメーションの金字塔!大友克洋の傑作
アキラの衝撃=「マンガから実写映画への越境者」

しかし、そんなジャンルの進化の問題を考慮しても、この映画が製作された1939年という時代背景を考えてしまう。
その時代が、「教育」をテーマにして一歩踏み込ませない理由となったのではないかと想像してしまうのである。

なぜなら、1938年頃より領土的野心を露わにしたヒットラー率いるナチスドイツは、1939年に英仏と戦端を開き第二次世界大戦が勃発しており、アメリカ合衆国政府は戦争に関与しないと国民に宣言しながらも、その実、反ナチスと参戦への世論を作り上げようとしていた。

そのプロパガンダ政策の一環として、アメリカ政府はハリウッドの映画界に対して、その方針に沿った作品作りへの協力を求めたのである。
1939年頃の作品は、真珠湾以降のあからさまな戦意高揚映画とは違い、密やかな世論誘導ではあったが、それは明らかに映画表現に影響を与えていると感じる。
関連レビュー:ハリウッド映画はプロパガンダ?
『風と共に去りぬ』
映画史に燦然と輝くハリウッドを代表する古典大作!
歴史的傑作は、なぜ現代で批判されるのか?
そのプロパガンダ政策を考慮すると、この映画は本来「反戦映画」として描きたかったのに、それを成し得ずメッセージが混乱してしまったのではないかと思える。

この映画を反戦映画だという証拠は、例えば同僚マックス・ステュフェルの存在が象徴的だ。
チップスは、旅行中に妻と出会うが、その出会いを見守ったのがマックスであり、彼が愛を見守り育んだのだ。

しかし、彼は原作には存在しない、映画のオリジナルキャラクターであり、しかもドイツ人なのである。
つまり当時のナチスドイツの脅威を目にしながらも、彼の姿を通じて、敵対ではなく愛を謳ったものだと考えたい。

それを裏付けるように、マックスがドイツ軍の兵士として第一次世界大戦の戦火の中戦死するとチップスは、校長として生徒の死と並んで敵国の兵士の死を悼むのである。
<マックスへの弔辞>

【意訳】チップス:ここにいる皆は、マックス・ステュフェルを覚えていないだろ。しかし、彼は1890年から1902年までブルックフィールド校のドイツ教科の教師だった。彼は人気者で、多くの友人がいた。私自身もその一人であったことを誇りに思う。この朝スイスから一通の手紙を受け取った。それは、私にサクソン連隊で彼が進軍中の10月18日に戦死したと伝えている。/生徒A:サクソン連隊?それは彼がドイツ軍として戦っていたという事か?/生徒B:たぶんね。

また、印象的なシーンとしては、軍関係者が視察に来たときのチップスの言葉が思い浮かぶ。
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生徒の視察に来た将軍が「明日の立派な将校ですな」と褒めると、チップスは「明日が決して来なければいい」と応えるのだ。

これらのエピソードから見れば、やはり、この映画の基本基調は「反戦」にあると感じる。
それは自らの教え子達の命を守りたいという、教師の至誠を表すものであり、更に教育の目的とは何かを問うものでもあったろう。

もし、そんな「反戦テーマ」を明確に打ち出していれば、この映画はもっと「教師ドラマ」「学園ドラマ」の作品として、より純度が高くなったと思える。

しかし、この映画は、反戦の色を持ちながらも、戦争を否定するメッセージを明確に表現していない。
例えば、学校の教師は全員兵として志願したが、検査に通らないなどの事情があって残っているとか、先に挙げたドイツ人教師がドイツ兵として戦死した行為や、卒業生たちが戦地に赴くことを容認している点に、戦争肯定の表現を見る。

それは、繰り返すようだが、アメリカ資本のハリウッド映画として、上で書いたプロパガンダ性を求められたためと想像する。
更には、英国で撮られた英国主体の映画であってみれば、すでにナチスドイツとの衝突は不可避と見られていた中で、平和を求める理想と、戦争を認めざるを得ない現実、その矛盾する主張を持たざるを得なくなってしまったのだろう。

いずれにしても本作品にとっては、相反するメッセージを内包することで、ドラマとして分裂した印象を生んでしまったことが惜しまれる・・・・・

戦争が、政治や経済活動のみならず、文化や人の意思にまで影響を与えるかという、実例としてこの混乱した作品はあるだろう。
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posted by ヒラヒ at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする