2021年02月20日

映画『M』ドイツ表現主義とフィルムノワールの関係とは?/解説・考察・映画の革新表現・簡単あらすじ

映画『M』あらすじ・ネタバレ 編#006600

原題 M
製作国 ドイツ
製作年 1931
上映時間 117分
監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング


評価:★★★★  4.0



この1931年製作のドイツ映画はサスペンス映画の古典です。

名匠フリッツ・ラングが、SF映画の古典『メトロポリス』の後に撮った、世界初の連続殺人鬼を題材にした「クライム=犯罪映画」です。

この映画を始め、第二次世界大戦前のドイツは映画表現に革新を生み、その影響を受けハリウッド映画に新たなドル箱「フイルム・ノワール(犯罪サスペンス映画)」というジャンルを確立させました。

この映画は、そんな歴史的な価値を持つ作品だと思います。
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<目次>
映画『M』ネタバレなし・簡単あらすじ
映画『M』予告・出演者
映画『M』解説/ドイツ映画とハリウッドの革新
映画『M』考察/「フィルム・ノワール」の表現様式
映画『M』解説/「フィルム・ノワール」と「ヌーヴェル・ヴァーグ」

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映画『M』簡単あらすじ


ベルリンの街は少女連続殺人の発生で、世間は不安をが高まっていた。そんな中、少女エルシー(インゲ・エステート)に近づいた犯人ハンス・ベッケルト(ピーター・ローレ)は、その命を奪うと犯行声明を新聞社に送った。世論は逮捕できない警察を非難し、捜査指揮を執るカール・ローマン警視正(オットー・ベルニッケ)は、なりふり構わぬ大規模な捜査を行い、その影響で暗黒街の商売が出来なくなり、顔役シュレンジャー(グスタフ・グランジェンズ)は暗黒街のネットワークを駆使し犯人を追う指令を発した。そしてついに、犯人ベッケルトは追い詰められたが・・・・・・
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映画『M』予告

映画『M』出演者

ピーター・ローレ(ハンス・ベッケルト) /オットー・ベルニッケ(カール・ローマン警視正)/インゲ・エステート(エルシー・ベックマン)/エレン・ウィドマン(エルシーの母)/グスタフ・グランジェンズ(シュレンカー:ボス)/フリードリヒ・グナス(フランツ:泥棒)
フリッツ・オデマール(イカサマ師)/ポール・ケンプ(スリ)/エルンスト・シュタール・ナハバウアー(警察署長)/フランツ・スタイン(大臣)/ゲオルク・ジョン(盲目の風船売り)/ルドルフ・ブリュムナー(弁護人)/カール・プラテン(ガードマン)

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映画『M』解説

ドイツ映画とハリウッド

世界の夢工場ハリウッドは、世界中から才能を受け入れ、そのバリエーションと表現スタイルを広げてきました。

しかし、第二次世界大戦後の1940年代後半に世界を席巻したイタリア「ネオ・リアリズモ」は、ビリー・ワイルダー『失われた週末』や『我等が生涯最良の年』などにその影を落としていると感じるものの、ハリウッド映画界に新たな地平を生むほどのインパクトを与えませんでした。
関連レビュー:時代の要求と映画表現
『自転車泥棒』
イタリア・ネオ・リアリズモの代表作!
第二次大戦後の貧窮のイタリア社会描いた古典

それは、イタリアなど敗戦国の悲惨な現実を描く「ネオ・リアリズモ」の手法は、第二次世界大戦後の繁栄を享受していたアメリカにとっては、さほど有用な表現手法ではなかったのかとも思えます。

また、1950年代後半のフランス発のヌーヴェル・ヴァーグは、ハリウッドのメジャースタジオが凋落するなか、独立系スタジオの作る「アメリカンニューシネマ」の様式に波及したとはいうものの、それはアメリカ映画倫理規定「ヘイズコード」が撤廃されたことによる、作品内容の変化に較べれば小さな影響だったと思えます。
関連レビュー:ヘイズコードとハリウッド映画
『陽のあたる場所』
アメリカの光と影を描いて、第24回アカデミー賞6冠!!
ハリウッド古典映画と倫理規定ヘイズコードとの関係

こう見てくれば、ハリウッド映画史の中で、最もアメリカ外から影響を受けた映画の潮流こそ、1920年代に始まる「ドイツ表現主義」だったと、個人的には感じます。
関連レビュー:ドイツ表現主義とその時代
映画『カリガリ博士』
ホラー映画の歴史に名を刻む古典
ドイツ表現主義の代表作

アメリカの映画産業は基本的に、世界に売れる最大公約数の映画コンテンツを目指しており、それゆえアメリカ的価値観とも共通する「楽観主義」「理想主義」「英雄主義」を謳い上げる、明るく楽しい作品を作り出だしていました。
関連レビュー:ハリウッドの良心
映画『愛情物語』
ハリウッド映画が全世界に贈る良心作!!
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しかし、それらのハリウッド映画の王道が「輝く太陽」だとすれば、その光を受けられない「暗い影」に属する社会と人々が存在し、光が輝けば輝くほど、影はより色濃く闇を生みます。

その闇を担った表現こそ、ドイツ表現主義に源流を持つ「フィルム・ノワール」に代表される、反社会的な映画ジャンルだったのです。

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映画『M』考察

「フィルム・ノワール」の表現様式と担い手


当時のドイツ国家の現実を反映した「ドイツ表現主義」は、第一次世界大戦後の幻滅や絶望、社会の歪みと問題を見つめ、結果として暴力や犯罪、そして狂気を描き、ハリウッド作品とは違う暗い世界観を表現しました。
関連レビュー:ドイツ表現主義の古典
映画『カリガリ博士』
ホラー映画の歴史に名を刻む古典
ドイツ表現主義の代表作
ドイツ映画、その暗い世界観を表現するため、影を強調し、抑えた高コントラストの照明、ローアングル、広角、スキュー( ダッチアングルショットとも=斜めの画角)の使用した表現が知られています。
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極端なカメラアングルで、物理的なアクションよりも構図の緊張による表現に比重を置き、沈黙と静止の中に暗鬱な世界観を描写しました。

その「ドイツ表現主義」の世界観に眼を付けたハリウッドは、1920年代より積極的にドイツより映画製作者を招聘し出します。
ハリウッドの大スタジオはベルリンにオフィスを構えた、1922年にパラマウントは、エルンスト・ルビッチを雇い入れ、ユニバーサル・スタジオはその同じ年にウィリアム・ワイラーと契約し、ワーナーは1926年にハンガリー出身のマイケル・カーティスを、フォックスは1927年F・W・ムルナウをハリウッドに呼びました。
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ドイツ映画の持つ、その闇に満ちた世界を描く作家達の影響は1930年代に成ると、ギャング映画として花開きます。
特にドイツ映画の映像表現・撮影技術は、ハリウッド映画界に衝撃を与え、ドイツの撮影監督のカール・フロイントをハリウッドに呼び寄せ、彼の「暗い表現力」が「ギャング映画」に多くの貢献をしたと言います。

そしてギャング映画のスタイルに、この映画『M』が影響を与えたと思うのです。
1931年製作の『M』の後を追うように、ハリウッド映画界で『民衆の敵』や『暗黒街の顔役』『汚れた顔の天使』などが登場し、その暗く暴力に満ちた世界観は『M』の犯罪劇と、非常に似た夜の表現があると思えます。

ジェームス・キャグニーやエドワード・G・ロビンソンなど数々のギャングスターを生み、当時のハリウッド映画のドル箱になったこのジャンル。
その背景には、大恐慌時代の庶民の怒りを、反社会的な存在に仮託し晴らしたいという、一種の「社会的義賊」を求める民衆心理があったと思えます。
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そして、そこには「ドイツ表現主義」が生まれた状況と酷似した、「大恐慌」に揺れるアメリカ社会の過酷な実情があったでしょう。

しかし、その「ギャング映画」は倫理観が強い当時のアメリカ社会の反発を呼び、結果的に公序良俗に則った作品作りを求められ倫理規定「ヘイズコード」の厳格な適用を求められる事と成ります。

しかし1930年代にヒトラー政権から逃れ、亡命してきたドイツの映画製作者達は、ハリウッドで仕事の場を得てドイツ的な黒い映画「フィルム・ノワール」を生み出しました。
そんなヒットラーから逃れたドイツ系の監督にはフリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、ビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャー、エドガー・G・ウルマー、などハリウッド映画界で長く活躍する人材が含まれていますす。

そんなフィルム・ノワール( 40〜50年代のサスペンス犯罪スリラー他多数を含むジャンル)は、恐怖、妄想、腐敗など、反社会的な現実に対する描写が特徴的です。
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それは見事にハリウッド映画の映画的伝統、アメリカ的価値観(自由・民主主義・資本経済)の正統性と成功を描くドラマとは真反対の主張であり、それゆえアメリカ社会が行き詰まりを見せるとき、影のように反アメリカ的価値観を表現しました。

フィルムノワールがアメリカの夢の「暗黒面」について批判的なのは、その担い手であるドイツ亡命映画作家(監督、プロデューサー、撮影監督、作家、俳優)自身の現実の体験が影響していると感じます。
異国での疎外感、精神的重圧、成功と転落、 それは正にフィルムノワールが描いた、異郷での亡命者の恐れと不安を明確に表現していると感じます。

具体的に言えば、映画スタイル、物語構造、テーマは、亡命者の心理を描くために最適化されているように見えます。
登場人物は何者かに脅かされ、不確実な答えを求め、裏切りに合い、袋小路に追い詰められ、それらの苦痛と恐怖と不安を、フラッシュバック(過去への回帰)を用いたストーリーで語り、しばしば過去に決定づけられた悲劇「宿命」に対し、足掻きながら敗れ去る者達の姿が描かれます。

その運命の先導役を務めるのが、「運命の女=ファム・ファタル」で、彼女たちは欲望と愛憎に瞳を煌めかせながら、男達を虜にし、避け得ない運命に向かって誘うのです。
その「愛」と「憎悪」を併せ持つ、矛盾を内包した女性とは、まるで愛しながらも捨てられた、亡命者たちの「故国」を思わせます。

そんな意味で、これらドイツの映画作家達は自らの「愛憎相半ばする故国」に対するアンビバレントな感情が、映画として結実したジャンルこそ「フィルム・ノワール」だと言えるでしょう。
しかし、これらドイツの異邦人は、ハリウッドの地において成功した者と、消えて行った者とに分かれました。
例えば、ビリーワイルダーやウィリアム・ワイラーのように、その表現の幅を広げ巨匠となった監督もいれば、ジンネマンのように卓越したサスペンス描写力で大作を任される監督もいます。

しかし、総じて、この『M』の監督、フリッツ・ラングのように「フィルム・ノワール的作家=ドイツ的作家」は大きな成功を飾っていません。
それは、アメリカ的価値観の鬼っことしての「フィルム・ノワール」の効力が、アメリカ自体がアメリカ的価値を信じられなくなった1960〜70年代に、その力を喪って行くのは必然だったかもしれません。

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映画『M』解説

「フィルム・ノワール」とフランス映画界の再評価

上で見た来たように、本来ハリウッド映画が描いてきた「真・善・美」の世界観と、真逆の顔を見せるドイツ系映画作家の世界観「フィルム・ノワール」。

それは、観客の支持を受け、映画会社の収益に貢献したものの、アメリカ国内での批評的評価は高いものではありませんでした。

ハリウッドにあって高い評価を受けた作品は、アメリカ映画の倫理規定「ヘイズコード」に則った、キリスト教的な色合いを持つ清廉な映画が高い評価を受けていた印象があります。

たとえば、『陽の当たる場所』のジョン・スタージェス監督や、『怒りの葡萄』のジョン・フォード監督など、アメリカで生まれ育った、アメリカ的価値観を謳った監督がハリウッドに占める位置と較べると、一方のドイツ出身の作家は少々立場を異にするように思います。
関連レビュー:古典的アメリカ国民映画
ジョン・フォード『怒りの葡萄』
大恐慌時代のアメリカ庶民の困窮と闘い!!
ジョン・フォード監督の神話的映画表現とは?

そんなアメリカ的価値観を謳った映画がメイン・ストリームだとすれば、本質的に「フィルム・ノワール」の映画は、B級映画としてそのスタイルを存続していました。

その、暗い、ミステリアスな、刺激的な物語は、基本的には娯楽作品として姿を現します。

そんなハリウッドの40年代のB級映画を「フィルム・ノワール」と名付けたのは、フランスの評論家ニーノ・フランク(写真)です。
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第二次世界大戦が終わった1946年、ナチス・ドイツ占領下で禁止されていたハリウッド製映画が、大量にフランスに流れ込んだ時に、一連のドイツ系ハリウッド映画を見たニーノ・フランクが、それらの映画を「フィルム・ノワール」と名づけたのです。
そして「フィルム・ノワール」は、フランス映画界に深い影響を与え、同時にハリウッドで不遇だった「フィルム・ノワール」のドイツ人監督自身も、フランス映画界へと活躍の場を移したりしました。


しかし戦争に1人勝ちしたアメリカの戦後と違い、「フィルム・ノワール」の持つ「真・善・美」を超越した世界観は、戦争で疲弊したヨーロッパ諸国の「時代精神」と合致していたとも感じます。

この映画『M』を撮った、フリッツ・ラング監督も、ハリウッドで充分にその力を発揮し得ず、1950年代末に西ドイツへ戻り1960年に自作のリメイク『怪人マブゼ博士』を撮って、その後映画を製作することはありませんでした。

そのフリッツ・ラング監督を、フランスのヌーベル・バーグの旗手、ジャン・リュック・ゴダールは自作映画『軽蔑』で、礼を持って役者として出演を依頼しています。
関連レビュー:フリッツ・ラング監督出演作
映画『軽蔑』
ヌーベル・バーグの旗手が掲げた反資本主義!
ハリウッド映画の新たなビジネスモデルとは?

それは、ヌーヴェル・ヴァーグとフィルム・ノワールの継承を象徴するエピソードではないでしょうか。

実を言えば、個人的には最も正統的な「フィルム・ノワール」の継承者は、『仁義なき戦い』の深作欣二監督だと信じています。
関連レビュー:日本のフィルム・ノワール
『仁義なき戦い』
タランティーノにも影響を与えた名作
深作欣二の描く仁義なきヤクザの欲望とは!

そしてその系譜は、変化を遂げつつクェンティン・タランティーノ監督に引き継がれたかと思います。
関連レビュー:スタイリッシュ!フィルム・ノワール
『パルプ・フィクション』

個性的な登場人物が織りなすストーリー
アカデミー脚本賞・カンヌ・パルムドール受賞作品




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | ドイツ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月13日

古典映画『M』1931年の殺人鬼の正体とその実話とは?/解説・考察・実話・ネタバレなし簡単あらすじ

映画『M』解説・実話 編

原題 M
製作国 ドイツ
製作年 1931
上映時間 117分
監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング


評価:★★★★  4.0



この1931年製作のドイツ映画はサスペンス映画の古典です。

サイレント映画の時代から、ドイツで革新的映画を発表して来た名匠フリッツ・ラングが作った、サスペンス映画です。

この映画の殺人鬼の恐怖とは、当時のドイツの状況を反映し、ゴシック・ホラーの伝統に新たな要素を加えたものだと思えます。

この映画は、ハリウッドで一時代を築いた「フィルム・ノワール」の元祖と言われる古典作品ですが、実話を基にした「実録犯罪映画」でもあったのです。
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<目次>
映画『M』簡単あらすじ
映画『M』予告・出演者
映画『M』考察
映画『M』解説・実話

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映画『M』簡単あらすじ


ベルリンの街は少女連続殺人の発生で、世間は不安をが高まっていた。そんな中、少女エルシー(インゲ・エステート)に近づいた犯人ハンス・ベッケルト(ピーター・ローレ)は、その命を奪うと犯行声明を新聞社に送った。世論は逮捕できない警察を非難し、捜査指揮を執るカール・ローマン警視正(オットー・ベルニッケ)は、なりふり構わぬ大規模な捜査を行い、その影響で暗黒街の商売が出来なくなり、顔役シュレンジャー(グスタフ・グランジェンズ)は暗黒街のネットワークを駆使し犯人を追う指令を発した。そしてついに、犯人ベッケルトは追い詰められたが・・・・・・
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映画『M』予告

映画『M』出演者

ピーター・ローレ(ハンス・ベッケルト) /オットー・ベルニッケ(カール・ローマン警視正)/インゲ・エステート(エルシー・ベックマン)/エレン・ウィドマン(エルシーの母)/グスタフ・グランジェンズ(シュレンカー:ボス)/フリードリヒ・グナス(フランツ:泥棒)
フリッツ・オデマール(イカサマ師)/ポール・ケンプ(スリ)/エルンスト・シュタール・ナハバウアー(警察署長)/フランツ・スタイン(大臣)/ゲオルク・ジョン(盲目の風船売り)/ルドルフ・ブリュムナー(弁護人)/カール・プラテン(ガードマン)

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映画『M』考察

殺人鬼の正体とは?

この映画『M』を始めてみた時、ドラマとしての集中力に欠けていると思い、高い評価を付けられないと感じました。
なぜなら、主人公が誰で、ドラマの中心がどこか、不明瞭だったからです。
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普通に考えれば、このピーターローレ演じる殺人鬼こそ主役かと思えますが、彼自身が顔を見せるのは劇の半ばです。
更にいえば、映画の描写は、犯人を追う警察、暗黒街、殺人鬼、その3者が等分に描かれ、どれを軸に見れば良いのか分からず、その散漫な印象に輪をかけます。

それゆえ、現代のサスペンスやスリラーを見慣れた眼からすると、禍々しい映像の空気感に打たれるものの、その中心を求めて右往左往する気持ちになりました。
しかし、その私の、ドラマを一直線に見ようとする鑑賞意識は、現代のドラマ性を高めるために整理され集約した表現の作品を見すぎているからではないかと反省し、再度視聴を試みました。

すると、この映画が真に描いた、禍々しさ、歪み、狂気、陰鬱さの実体が見えたように思います。

実は、この映画の殺人鬼とは、それまでドイツ映画が描いてきた恐怖映画の「新顔=ニューフェイス」だったのです。

例えば、『吸血鬼ノスフェラトゥス』の「吸血鬼」、『カリガリ博士』の「眠り男」と同様、この映画の連続殺人鬼とはゴシックホラーの伝統に則った恐怖の形の変奏曲だったと思えます。
関連レビュー:ゴシックホラーの古典
映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』
映画史に残る、ホラー映画の名作!!
バンパイア伝説の起源

関連映画:ゴシックホラーの古典
映画『カリガリ博士』
ホラー映画の歴史に名を刻む古典
ドイツ表現主義の代表作

それゆえ、恐怖の対象は極力見せないと言うゴシックホラーの伝統に則り、殺人鬼はなかなか姿を見せず、恐怖に襲われる側のパニックと混乱を描くことに注力していたのではないでしょうか。

しかし、この映画をゴシックホラーとして見た時、明らかにユニークなのは、その恐怖の対象が「弱々しい中年男」だという点です。

つまり、ここには超自然的な恐怖の対象は存在せず、現実的な人間が生む恐怖を描いている点で、ゴシックホラーの系譜として、真に画期的だと言うべきでしょう。

それは、人間存在をモンスターとして規定した「ゾンビ」同様、悪魔的存在としての人間を描いた近代的な発想であったように思います。
関連レビュー:怪物の人間宣言!!
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
ジョージ・A・ロメロ監督作品の古典的ホラー
ゾンビの誕生と近代文明と神の喪失

再び言いますが、この映画が語るのは「普通の人間」が生む恐怖であり、それを巡り警察など国家権力や、暗黒街や非合法社会の犯罪者達が、大混乱をする姿が描かれています。

映画が製作された当時ドイツは1人の男、アドルフ・ヒットラーというナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首によって大きな変革を迎えていました。
ドイツで1929年の世界恐慌以後、国民の社会不安を背景に支持を拡大したナチス党は、1930年9月の選挙で第二党に躍進し、彼の過激な主張は一般大衆の心を掴み更にその勢力を伸長することが予想されました。
ヒットラーの主張とは、それまでのエスタブリッシュ(社会上流階級)や、犯罪に手を染めている反社会勢力、そしてマイノリティー達を切り捨て「健全」で「清潔」なゲルマン民族の国家を作ることだったと言います。

それは、国民の絶対多数を構成する中間層、最も普通の市井の人々が求める、モラルであり社会規範でした。
それは、普通の人々が困窮の中求める欲求が、世論として叫ばれる中、狂気に変じる姿だったのであり、普通の男が狂気を秘めているとする、この映画の恐怖と通じるものだと感じます。

この映画の、1人の男の狂気に社会が振り回され、大いなる災厄の予感を漂わせるドラマの背後に、ヒットラーが政権を掌握した際のユダヤ人排斥に怯える、1人のユダヤ人フリッツ・ラングの心理を見ないわけには行きません。
フリードリヒ・クリスティアン・アントーン・"フリッツ"・ラング(Friedrich Christian Anton "Fritz" Lang, 1890年12月5日 - 1976年8月2日 )は、オーストリア出身の映画監督。父母ともにカトリックだが、母(旧姓シュレージンガー)はユダヤ教からの改宗者だった。トレードマークの片眼鏡でも知られる。
『Halbblut』(1919年)で監督デビュー。1920年の『カリガリ博士』はラングが監督を担当するはずだったが、脚本の改稿だけを担当することになる。
以後、大長編の犯罪映画『ドクトル・マブゼ』(1922年)、SF映画の古典的大作『メトロポリス』(1927年)、トーキー初期のサスペンス映画『M』(1931年)など、脚本家である夫人テア・フォン・ハルボウとのコンビで、サイレントからトーキー初期のドイツ映画を代表する作品を手がけた。
アドルフ・ヒトラーの政権が成立すると、ユダヤ人であるラングの立場は危険なものになった。だが、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスはラングの才能を評価し、甘言を弄して亡命を阻止しようとした。そんな中、間一髪で1934年にフランスへ亡命し、さらにアメリカ合衆国に渡った。
(wikipedia より)

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映画『M』解説

殺人鬼の実話

この映画の殺人鬼は、1930年当時ドイツを騒がせた連続殺人犯をモデルにしており、実録犯罪映画の一面も持っています。

殺人鬼@ペーター・キュルテン(デュッセルドルフの吸血鬼)

ペーター・キュルテン(Peter Kürten, 1883年5月26日−1932年7月2日)はドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼 (ドイツ語: Der Vampir von Düsseldorf) という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテン(ピーター・カーテン)とも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。M_kuruten.jpg
キュルテンは約80件の犯罪を自白。9件の殺人と7件の殺人未遂の罪で起訴される。1931年4月から裁判が行われた。当初彼は無罪を主張したものの、数週間後答弁は変化を見せた。結果、死刑の判決を受け、1932年7月2日早朝ケルンにてギロチンを用いた死刑が執行された。(wikipediaより)

殺人鬼Aフリッツ・ハールマン(ハノーファーの屠殺人)

フリードリヒ・"フリッツ"・ハインリヒ・カール・ハールマン(Friedrich "Fritz" Heinrich Karl Haarmann、1879年10月25日 - 1925年4月15日)はドイツ・ハノーファー出身の著名な連続殺人犯。1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。M_Haarmann.jpgハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。噂ではハールマンが犠牲者の肉を闇市場で缶詰の豚肉として売り歩いたとされているが、これを裏付ける証拠は無い。
裁判記録にある犠牲者数は28人である。但しハールマン自身は少なくとも48人は殺したと豪語していた。
ハールマンは1924年12月19日に有罪判決を受け、1925年4月15日早朝にハノーファー地方裁判所の刑務所でギロチンによる斬首刑に処された。(wikipediaより)

殺人鬼Bカール・デンケ(パパ・デンケ)

カール・デンケ(Karl Denke, 1870年8月12日 - 1924年12月22日)は、ドイツの連続殺人犯。ミュンスターベルクの地主であったデンケは大きな屋敷を構え、農地を持ち、毎週日曜には近所の教会でオルガンを弾いており、人々から「パパ・デンケ」の愛称で尊敬されていた。M_denke.jpg
街を流浪するホームレスたちを、自ら経営する下宿屋に無料で宿泊させており、その慈善業もまた人々から称賛されていた。
1924年12月21日、デンケの自室から悲鳴が上がり、別室の住人が駆けつけると、そこではデンケが下宿人の頭を斧で叩き割ろうとしていた。駆けつけた警察はデンケの部屋から、塩漬けの人肉の桶2つ、人間の骨や脂肪の入った瓶詰を発見し、それら30人以上もの人肉と見られた。さらに押収されたノートには、ホームレスたちの名前、体重、死亡年月日が几帳面に書き記されていた。デンケは罪を認め、1921年から人肉しか口にしていなかったと語った。これによりデンケは3年間、ホームレスたちを人肉として食べる目的で宿泊させていたことが明らかとなった。
逮捕後まもなくデンケは、前述のような信心深さから良心の呵責に耐えられなかったか、拘置所内で首を吊って自殺した。(wikipediaより)

殺人鬼Cカール・グロスマン

カール・フリードリッヒ・ウィルヘルム・グロスマン(1863年12月13日– 1922年7月5日)は、ドイツの連続殺人犯、性的暴行者、そして犠牲者の人肉を口にした食人嗜好者だった。彼は全てを自白することなく本裁判の結審を待つ間に自殺し、彼の犯罪と動機の真実はほとんど知られていない。M_Großmann.jpg
彼はサディスティックな性的嗜好を持ち、幼児性的虐待でいくつかの有罪判決を受けていた。若年期には、彼は10歳の少女を悪戯し、4歳の少女(判決の直後に死亡した)を残酷にレイプしたことで15年の懲役刑に服した。
第一次世界大戦中、グロスマンは闇市場で肉を販売し、自宅近くの駅でホットドッグ屋台を開いていた。彼が骨と他の非食用部位を川に捨てたた、肉が彼の犠牲者の死骸を含んでいたと信じる者もいた。行方不明の女性の部位がアンドレアス広場近くのルイセンシュタット運河で、毎日のように見つかり、100人の女性や少女殺害の容疑者として捜査官をグロスマンに導いた。グロスマンは、主な裁判が終わる前に独房に首を吊ったため、殺人罪で有罪判決を受けなかった。(英語版wikipediaより)


また、映画で犯人を追い詰めるカール・ローマン警視正のモデルは、当時有名なベルリン警察の刑事局長であるエルンスト・ゲンナがモデルでした。

エルンスト・ゲンナ

エルンスト・アウグスト・フェルディナンド・ゲンナ(1880年1月1日– 1939年8月20日)はベルリン刑事警察の局長だった。M_ernest.jpg彼は、ドイツ帝国で最も才能があり成功した犯罪学者の1人として、30年のキャリア中、3つの政治システムの下で働いた。特に、彼はフリッツ・ハールマンとペーター・キュルテンの事件に取り組んだ。
ゲンナは殺人捜査の大部分を再構築した。彼は、今日プロファイリングとして知られているスキームのほとんどを開発した。
彼の業績は、1930年のペーター・キュルテンに関する公的な論文「ダイデュッセルドルフ性犯罪」で用いられ命名された「連続殺人(シリアルキラー)」のように文章化された。
第三帝国時代、彼はナチ党から距離を置いていたが、仕事を継続した。彼の業績に基づいて、彼は1934年に部長に昇進し、1935年にベルリン警察の副所長に昇進した。


監督のフリッツ・ラングはドイツの精神病院で8日間過ごし、数人の連続殺人鬼と面会し、彼等を基に映画の殺人鬼を造形したと言われます。

またフリッツ・ラングは映画のエキストラとして数人の本物の犯罪者を使用し、最終的に25人のメンバーが映画の撮影中に逮捕されたという、嘘のような本当の話がありました。

そんな、徹底した取材と、現実の要素を取り込んだこの映画だからこそ、ドラマを越えたリアリティーが生まれたと思います。



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | ドイツ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月05日

古典映画『M』(1931年)世界初の連続殺人鬼映画!再現ストーリー/詳しいあらすじ・感想・ネタバレ・ラスト

映画『M』あらすじ・ネタバレ 編

原題 M
製作国 ドイツ
製作年 1931
上映時間 117分
監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング


評価:★★★★  4.0



タイトル『M』とはドイツ語のメルダー「殺人者」の頭文字です。

このドイツ映画は、名匠フリッツ・ラングの1931年の映画ですが、ヒッチコック監督のサスペンスを思わせる迫力があります。

実を言えば、第二次世界大戦前のドイツ映画とは、ハリウッド以上の映画先進国だったのです。

この映画は、そんなドイツ映画界の底力を示した作品だと思います。
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<目次>
映画『M』詳しいあらすじ
映画『M』予告・出演者
映画『M』感想
映画『M』ネタバレ
映画『M』結末

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映画『M』詳しいあらすじ


ベルリンのアパート。子供たちは街で起きている、幼児連続殺人犯の歌を歌い遊んでいる。歌が終わった時指さされた子供に、鬼が首を切るジェスチャーをする。
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それを見た、学校帰りの子供を心配する母親(エレン・ウィドマン)が子供たちをしかった。
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その娘、学校帰りの少女エルシー(インゲ・エステート)は学校の帰り、エドヴァルド・グリーグの「山の王の殿堂で」の口笛を吹く男が近づき、巧みに話しかける。
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盲目の風船売りの老人()から、風船を買いあたえると2人は立ち去った。
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そして、少女は死体で発見され、その頭上で風船が風に揺れていた。
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犯人は犯行声明を新聞社に送り、その記事が掲載されると、さらに市民の間で不安が高まった。
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ただ子供と話しているだけで殺人犯と疑われる始末だった。
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世論は逮捕に至らない警察への風当たりが強くなる。警察も総力を上げて事件にあたり、指紋と筆跡の分析や、手がかりを求めて24時間体制で働いている。
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捜査指揮を執るカール・ローマン警視正(オットー・ベルニッケ)は、幼児犯罪の前科者や、精神病患者の記録を追った。
警察の大規模な捜査で、あらゆる場所で立入り検査が行われ、暗黒街の商売も困難を極めた。
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暗黒街の顔役は会合を開き、その1人シュレンジャー(グスタフ・グランジェンズ)は暗黒街のネットワークを駆使して、自分達の手で犯人を捕まえることを決めた。
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彼らは、乞食や露天商など配下に探索の命令を下した。その中には、犯人に接触した盲目の風船売りの老人もいた。

その頃、警察もリストを片っぱしから当たり、ベッケルトという人物が浮かび上がる。
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そのアパートを捜査すると、彼が新聞社に手紙を書いた証拠も見つけた。

犯人ハンス・ベッケルト(ピーター・ローレ)は街で次の犠牲者を物色していた。
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彼は女の子と言葉を交わすと歩き出し、あの口笛「山の王の殿堂で」を吹く。
その近くにいた盲目の風船売りの老人が気づき、待機していた仲間に伝えた。
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ベッケルトはしっかり暗黒街の男達にマークされ、その背中に「M」(メルダー、ドイツ語で「殺人者」の頭文字)のマークを印された。
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それにベッケルトが連れたた少女が気づく。
ベッケルトはハッとして、周囲を見回すと監視されている事に気づき、少女を置いて逃げ出した。
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追跡者は増え、逃げられないと知ったベッケルトは、オフィスビルにとっさに逃げ込む。
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追う男達は、夕刻ビルから吐き出される人々を注視し、ベッケルトがまだビル内に潜んでいる事を確信した。
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連絡を受けた暗黒街の顔役シュレンカーは、ガードマンだけが残ったビルに、男たちを呼び寄せ押し入った。
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彼らはガードマンを拷問しビル内の状況を知ると、ガードマンを襲い拘束し、ビルの全ての階を鍵をこじ開け、ドリルで床に穴を開け、徹底的に捜索した。
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そんな中、警備員の一人が警察への通報ベルを鳴らし警察がビルに急行した。
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しかし、屋根裏部屋でベッケルトを見つけた暗黒街の男達は、間一髪、警官が到着する前にベッケルトと共にビルを後にした。
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しかし犯罪者のメンバー、フランツ(フリードリヒ・グナス)は警察に捕らえられ、ベッケルトを捕えたことと、どこに連れ去ったか白状した。
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ベッケルトが頭の覆いを取り去られた時、大勢の男女が彼を冷ややかな沈黙で迎えた。
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そこは放棄された蒸留所で、ベッケルトを断罪する私設裁判が開かれようとしていた。
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映画『M』予告

映画『M』出演者

ピーター・ローレ(ハンス・ベッケルト) /オットー・ベルニッケ(カール・ローマン警視正)/インゲ・エステート(エルシー・ベックマン)/エレン・ウィドマン(エルシーの母)/グスタフ・グランジェンズ(シュレンカー:ボス)/フリードリヒ・グナス(フランツ:泥棒)
フリッツ・オデマール(イカサマ師)/ポール・ケンプ(スリ)/エルンスト・シュタール・ナハバウアー(警察署長)/フランツ・スタイン(大臣)/ゲオルク・ジョン(盲目の風船売り)/ルドルフ・ブリュムナー(弁護人)/カール・プラテン(ガードマン)

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映画『M』感想


この1930年の映画は、2020年の今から見れば、ほぼ一世紀を経てなお、見るものに強いインパクトを与えると思う。
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特に、ラストで殺人鬼を演じるピーターローレの憑かれたような告白は、鬼気迫るものがあり慄然とする。

しかし、正直に言えば、やや冗長なシーンがあるのは否めない。
例えば、警察の捜査のシーンも長いと感じるし、犯人を追い詰める過程はもう少し整理できるようにも思う。

しかし、そんな欠点を越えて、作品全体の持つ「ダークな世界観」に引き込まれる。
それは監督フリッツ・ラングの、モノクロ・サイレント時代に映像だけで映画を作り上げてきた、ビジュアル表現の強さが功を奏していると思う。

無言の内に、状況を語るだけでなく、映像それ自体に「情念」を埋め込む表現力に満ちている。
それは、言葉に頼らない映画を製作してきた、サイレント映画出身の監督に共通の映像表現力だったと感じる。

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そんなモノクロ・サイレント映画の表現で、最も高い完成度を見せたのが「ドイツ映画」であり、その「暗く歪んだ映像」は「フィルム・ノワール」の源流を成すものだ。

ドイツの1920年作品『カリガリ博士』や、1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥス』を見れば、暗い底なし沼のようなオドロオドロしさを湛えている。

その時代のドイツ映画は、第一次世界大戦の敗戦から続く社会的混乱が生んだ時代の歪みが、作品に憑依したかのように見える。

その歪みを芸術表現として昇華したのが「ドイツ表現主義」の本質であったろう。
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この映画も、その「ドイツ表現主義」の系譜に連なる。

自分ではコントロールできない殺人に駆り立てられる、この映画の殺人鬼の姿とは、破滅に向かい走り出したドイツ国家の軋みに満ちた姿とシンクロして感じられる。

ちなみに本作の製作年1930年にはドイツ国会選挙で、ナチスが改選前12議席から107議席へと大躍進し、社民党に次ぐ第2党になった。

世界中が大恐慌の苦難に喘いでいる中、ドイツ社会はすでに地獄の釜を開けてしまった。

この映画の子供を喪った母が最後に言う「死んだ子供たちを取り戻すことは出来ない。子供たちを注意深く見守るべきだ。」との言葉は、若者達がナチスの強引な政策に魅せられている事に対する警告とも思えるのだ・・・・・・

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以下の文章には

映画『M』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ベッケルトには「弁護士」が与えられたが、居並ぶ「人々=陪審員」を前に、その説得を最初から諦めていた。
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ベッケルトはそんな人々を前に、自分の内部に巣食う悪魔を語り出す。

【ベッケルトの告白意訳】
ベッケルト:どうしようもない!どうすればいい!どうにもできない、無理だ/観衆:古臭い手だ!この裁判では役に立たねえぞ!/ベッケルト:あんたは何を知ってるんだ?いったい、あんたは何者だ?誰なんだ?犯罪者でしょ?自分を誇りに思ってるんですか?金庫を破れるから、カードのイカサマが上手いから誇らしい?あなた達はそんな事から足を洗えるでしょ。もし、真っ当なことを学んだなら、もし仕事をすれば、そんな事をせずに済む。もし、あなた達が、怠け者のロクデナシでなければ。でも私・・・・私は自分を救えない。私はこれを押さえられない。この私の中の邪悪、業火、この声、この苦痛!/シュレンカー:お前が言うのは、殺人をさせられてるというのか?

ベッケルト:いつでもそこにいて、私を道へとうろつかせる。私をつけ回し、物音を立てないが、そこにいるのが私には分かる。それは自分だ。自分自身が影なんだ。私は逃げる。私は自分のから逃がれたい!でも無理だ。逃れられない。従わされる。私は走らされる・・・・・道をどこまでも。私は逃げたい。外に出て、そして幽霊と共に追い求める。母親達と子供等の幽霊となって・・・それは決して離れない。そこにいる。いつでもそこに、いつでも。私がそれをする時を除いて。その時だけ・・・・その時、私は何をしたか何も覚えていない。それで、私はポスターを見て、私が何をしたか悟る。それを私がしたのか?でも私は何も覚えていない。でも誰が私を信じる?私のような人間を誰が理解できる?どうやって私の行いが強制されたか、どうやらされたか、やれ・・・・やりたくない!やれ!やりたくない!でも、やらされた!そしてその時・・・・声が叫ぶ!その声を聞くのは耐えられない!耐えられない!/シュレンカー:被告は言った。自分を救えないと。それは、殺人を止められないという事だ。それはこの事件の死刑宣告を自分で下したものだ。誰かの、強制的な殺人を認めたとしても、そんな奴はろうそくの火のように消されなければならない!この男は消し去られ、抹殺すべきだ!/聴衆:そうだ!それが良い!


激怒し暴徒と化した傍聴者が、ベッケルトを殺そうと近づく。
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しかし、警察がその場に踏み込みベッケルトと人々は動きを止めた。
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映画『M』結末

裁判官が席につき、評決が下されようとしている。
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彼の犠牲者の3人の母親は傍聴席で泣いている。母親は、「死んだ子供たちを取り戻すことは出来ない。子供たちを注意深く見守るべきだ。」と語る。画面は暗転し「全ての者が」と母親の言葉だけが残る。
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posted by ヒラヒ at 18:00| Comment(0) | ドイツ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする