1974年のソフトポルノ解禁!
原題 Emmanuelle 製作国 フランス 製作年 1974 上映時間 91分 監督 ジュスト・ジャカン 脚本 ジャン・ルイ・リシャール 原作 エマニュエル・アルサン |
評価:★★★ 3.0点
この映画は簡単に言えば、地下で流通していた「ポルノ」に市民権を与えた作品だと思います。
それまで性的な事柄は、タブーとして公序良俗に反すると、人目から遠ざけ暗闇に貶められていたものを、堂々と描いたエロチックな作品です。
そこには、性表現を許容する「社会の変化」が背景にあったように思います。
!!!以下の文章には性的な表現が含まれます。!!!
<目次> |
映画『エマニエル夫人』あらすじ |
エマニエル(S・クリステル)はパリから、外交官である夫のジャン(D・サーキイ)が赴任した、タイのバンコックへ旅立った。空港には夫が出迎え、久々の再会に二人は蚊帳の中で激しく愛し合った。
熱帯バンコックのエキゾチックな町に住む、フランス人のグループは男も女も自由な交際を謳歌していた。ある日のガーデン・パーティに参加したエマニエルは、さまざまな男女と出会いをもった。奔放な少女マリー・ルイズ(J・コレティン)はパーティのあと彼女の屋敷を訪ね、エマニエルに性的な質問をし、彼女の前で自らを慰め始めた。アリアンヌ夫人(C・ボワソン)は有閉マダムでレズビアン趣味があり、エマニエルをスカッシュに連れ出し誘惑した。それから二人は、定期的にコートで出会い関係を結んだ。アメリカ人のビー(M・グリーン)は美しく、エマニエルは彼女に憧れ、愛するようになり、彼女とも体の関係を結ぶ。さらにマリオ(A・キュニー)という"奔放な性こそ正しい性の在り方だ"という主張を持つ男を知る。ある晩、エマニエルはそんなマリオとディナーを共にした。彼はエマニエルに己れの「性説」を説き、彼女をバンコックの闇に連れ出した・・・・・・
映画『エマニエル夫人』予告 |
映画『エマニエル夫人』出演者 |
エマニエル(シルビア・クリステル)/マリオ(アラン・キューニー)/ジャン(ダニエル・サーキー)/マリアンジュ(クリスティーヌ・ボワッソン)/ビー(マリカ・グリーン)/アリアーヌ(ジャンヌ・コレティン)
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映画『エマニエル夫人』感想 |
<映画『エマニエル夫人』タイトルソング>
さすがに半世紀前の映画ですから、最近の映画に較べれば刺激は少ないはずなんて思いますが、とんでもございません。
とってもエッチ。
しかも、そのエッチ表現が、ソフトで男性的というよりは、より女性目線のエレガンスな味わいでコーティングされている点も、この映画が多くの規制を乗り越えて、エッチの公民権を獲得するのに力が在ったように思います。
1974年当時の世界において、この映画は主に女性からの支持を獲得し、世界的な大ヒットを記録しました。
何年にもわたってパリの劇場で上映され、国際的には3億人にのぼる観客を動員しています。
シルビア・クリステルの美しい裸体と、語られるフランス語、そしてリゾートのアバンチュールを、美しいカメラ撮影で捕えたこの映画は、従来「卑猥・淫靡」さとして捕えられていた「性」を、絶妙に「性の喜悦・解放」という表現に置き換えることに成功しています。
またこのフランス上流階級の、熱帯の性的遊戯は、一種のファンタジーとして観る者の嫌悪感を弱める効果があったように思います。
この映画の前に、ベルナルド・ベルトッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』という映画で、性的な表現の認知にブレークスルーの端緒を創った作品があります。
しかし、一般的に「性の解放」を全世界に広めたのは、間違いなくこの映画『エマニエル夫人』でした。
個人的に言えば、この映画は作品的な完成度はともかく「性解放映画」のパイオニアとして、映画史に残すべき作品だと思います。
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映画『エマニエル夫人』解説映画の性解放 |
歴史的に見れば、宗教で「性」とは、キリスト教や仏教においても、欲望を生むものとして禁欲を推奨し、「性=罪悪」とする価値観を人々は持っており、その表現は社会的な強い「管理下=検閲」に、さらされて来ました。
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近代で言えば、「わいせつ物頒布等の罪」という刑事罰で裁かれる対象でした。
例えば、ヌードピンナップの掲載で一世を風靡した男性雑誌『プレイボーイ』でもジェーン・マンスフィールドのヌードを掲載し、1963年6月の時点ですらシカゴ警察によりわいせつ図書の製作及び販売の容疑で、社長のヘフナーが逮捕されています。(11月より行われた裁判で表現の自由を訴え「無罪」)
その1936年から1974年の10年の間に、一般劇場で大胆な性描写を公開し得るまでに、社会の「性的タブー意識」は変化していったのです。
エマニエルは1974年6月26日にフランスで公開され、フランスで889万人の観客を集めました。
イギリスでも、エマニエルは、ほとんどのセックスシーンを大幅にカットした後、イギリスのポルノ映画館ではない通常の劇場で上映された最初の成人向け映画でした。
実は、アメリカはキリスト教的倫理観が強く、厳格な倫理コードを保持していました。
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しかし、そんなアメリカでもエマニエル夫人はハリウッドメジャー、コロンビアピクチャーズによって米国で配給されました。
そのコロンビアの決断は、フランスの観客が主に女性であることを知ったからだと言われます。
つまりは、従来「性に嫌悪」を表明してきた女性が、その表現を受け入れたがゆえに、性的なキワドイ映画の公開が可能になったのでしょう。
それでは「性的な嫌悪」を表明してきた、女性意識がなぜ変化をしていったのでしょうか・・・・・・
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映画『エマニエル夫人』考察女性の性解放 |
キリスト教的倫理観に則った「正統文化」に対抗する「反キリスト教的文化」が叫ばれたのは、その背景に「正統文化」が生んだ現代社会が、ベトナム戦争という災厄を引き起こし、黒人差別・人種差別という歪みが解消されないことに苛立った、当時の若者達のフラストレーションが爆発したものだと思えます。
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そんなフラストレーションが「アメリカの性革命」を生んだのでした。
性の革命(せいのかくめい、英語:Sexual revolution)とは欧米社会において、性に関する社会通念や性的行動が解放される性行為の社会的革命を指す。性革命とも言う。
性道徳及び性行動を変化させた性の革命は、主として1960年代に発生した。
1953年にはヒュー・ヘフナーによってPLAYBOY誌が創刊された。PLAYBOYはヌードやセックスだけでなく、政治・社会・文化・芸術についての記事も掲載する視野の広い雑誌である。
本格的に性の革命が起きたのは1960年代半ば以降だった。1960年には経口避妊薬が開発された。60年代はベトナム反戦運動や公民権運動とともに、性の革命もおこった。ドイツ・ニュースダイジェストは、この時代に性革命とともにビートルズ(イギリス)、ボブ・ディラン、長髪、ミニスカート、ヒッピーなどの文化・風俗が見られたと記述している(wikipediaより)
このカウンターカルチャーを担ったヒッピーが起こした、フリーセックスの運動は、従来の性観念を劇的に変えました。
彼等は、従来の家族制度の枠組みにとらわれず、誰もが自由に他者と愛し合う事を標榜し、マリワナやLSDの幻覚剤を使いながら、ヒッピー村のメンバーと自由に愛を交わしあったのでした。
そんな「性の解放」を60年代の若者文化を浴びた全世界の若者は、旧来の倫理感とは違う「性意識」を間違いなく知ったのでした。
映画『エマニエル夫人』考察女性の解放 |
フェミニズム(英: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動である。女権拡張主義、男女同権主義などと訳されることもある。(wikipediaより)
その権利主張を理論的に世に問うたのは、フランスの女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの女性解放論の古典『第二の性』です。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir; 1908年1月9日 - 1986年4月14日) は、フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家・活動家である。20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされる『第二の性』(1949)、ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954) など多くの著書を残した。主要著書はほとんど邦訳されている。
1970年代に人工妊娠中絶の合法化を求める運動をはじめとする女性解放運動 (MLF)に加わり、『レ・タン・モデルヌ』、『フェミニズム問題(フランス語版)』などを通して運動を牽引した。
在学中に出会ったジャン=ポール・サルトルとは、実存主義の立場から自由意思に基づく個人の選択を最重要視し、婚姻も子どもを持つことも拒否。互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶として生きた。(wikipediaより)
その著書『第二の性』では「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言され、「人間=男性」という歴史的な文脈の中で、男性は「男性性」を獲得し強化しようとするため、他者、とくに女性を下位の存在として見下し、自らの所有物と見なして来た。女性が自己の人生を選択できないのは、その結果だとする。女性はこの歴史的文脈を認識することで、自己決定権を取り戻し、真の人間へ生まれ変わらねばならないと、されています。
フランスの第二次世界大戦後「女性解放」は始まったのだとすれば、そんな彼女達が、貞節を求める男性達の価値観から自由になり、自らの「性の解放=性的喜びを求める自由」を主張しだしたのも頷けます。
その「女性解放」先進国で『エマニエル夫人』がある種の象徴として、女性達に支持されたとも思えます。
一方アメリカ合衆国のフェミニズムの源泉には、第二次世界大戦が生んだ女性に対する社会的要求が関係していると言われます。
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第二次世界大戦中、男たちが戦場に向かう中、軍需産業や消防・警察など社会的な役割を担ったのは、国にいた女性達でした。
彼女達は、戦後男たちが戻ってくると、再び良き家庭の主婦に戻る事を求められたのですが、一度社会に出て自己実現の果実を得た女性達の中には、それに不満を持つ者がおり女性の権利を主張したのでした。
女性解放の動きはフェミニスト運動家の1人 ベティ・フリーダンの1963年の著書『The Feminine Mystique(邦題『新しい女性の創造』)』の出版によって、大きな高まりを見せました。
アメリカでは、そんな女性「性」の解放を象徴した映画も登場します。
それは『私は好奇心の強い女』という1966年製作のスェーデン映画で、大胆にSEXを描いたその映画を見ることが、当時の若いアメリカ女性にとって先進性の証明となったといいます。
<私は好奇心の強い女>予告
そんな女性達の意識変化を後押しするように、1960年代にアメリカ合衆国で経口避妊薬(ピル)が登場します。
SEXが妊娠と結びつかなくなったことで、女性達の性的な欲望の解放はよりハードルが下がったのです。
そんな、女性達が自らの「性の解放」を主張する文脈の中で、1974年の『エマニエル夫人』に対する女性達の支持が理解できるのです。
そして、その「女性解放」という「大義」は、日本でのこの映画に対する女性動員に貢献したのは間違いありません。
約2千万円で配給権を買った日本ヘラルド映画は、映画館の配給収入だけででも15.6億円(現在換算で約100億円)の利益を上げ、全社員に20ヶ月のボーナスを支給したほどでした・・・・・・・・
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映画『エマニエル夫人』評価 |
実際「フェミニスト運動家」から、この映画はどう評価されたでしょうか?
本国フランスでは、フェミニストの観客はエマニュエルの性格が「男性の幻想の対象」であると不満を表明しました。
1974年のレビューで、バラエティ誌はエマニエルは「ウーマンリブというより、公務員(としての女性)が登場した」と述べており、女性解放の先進国においてはエマニエルの姿は「男性に従属」しているとみなされたのでした。
しかし、映画史家のダニーシプカは、本『Emmanuelle From Literature to Cinema』の中で、アジアでの異なる捉えられ方を書いています。
「アジアでは、多くの女性がエマニエルの力と強さに焦点を当て、彼女が奪われているのではなく解放されている作品だと見なしていた」と書いています。シルビアクリステルが、「夫の上で騎上位を取る、この1つのシーンのためだけでも、エマニエルが支配的だと感じ、日本のフェミニストはこの映画に十分満足して」おり「そこでは、すべての日本人女性が立ち上がって、拍手喝采」したと記述されています。
このように、映画公開地の女性達が求める「解放」の度合いは、社会的進出がどれほど進んでいたのかという状況によって温度差がありました。
正直言えば、「女性性の解放」というよりは「男性の性的嗜好の対象」として描かれているように感じ、女性解放路線で見ればこの映画に高い評価を付けられません。
そして、何より映画としての完成度が高いとは感じられませんので、★3つという評価に成りました。
しかし、映画の評価とは別に、この作品がその本質的価値以上に、女性達の社会的主張を代弁するものとして、時代を照らすトーチカのように輝いていた事は認めざるを得ません。
何より映画表現として、「性表現」へのタブー視を薄れさせ、公民権を獲得した功績によって、映画史に永遠に刻むべきだと感じます。
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これ以降 映画『エマニエル夫人』ネタバレがあります。ご注意ください。 |
(あらすじから)
マリオはエマニエルをアヘン窟に連れて行き、彼が見守る中、彼女はそこの男達と性交をする事を強いられた。その次に、マリオはエマニエルをキック・ボクシングの試合に連れて行き、その試合を見守った。そして勝者のボクサーと、彼女は体を交わした。
映画『エマニエル夫人』ラスト・シーン |
映画は、マリオの支持に従って、エマニュエルが鏡に座ってメイクをしているところで終了する。
より高いレベルの性的喜びに到達することを期待するかのように・・・・・・・・