2020年05月06日

映画『エマニエル夫人』フランス発・性の解放宣言!/感想・あらすじ・ネタバレ・ラスト・解説・性の解放

1974年のソフトポルノ解禁!



原題 Emmanuelle
製作国 フランス
製作年 1974
上映時間 91分
監督 ジュスト・ジャカン
脚本 ジャン・ルイ・リシャール
原作 エマニュエル・アルサン


評価:★★★  3.0点



この映画は簡単に言えば、地下で流通していた「ポルノ」に市民権を与えた作品だと思います。
それまで性的な事柄は、タブーとして公序良俗に反すると、人目から遠ざけ暗闇に貶められていたものを、堂々と描いたエロチックな作品です。
そこには、性表現を許容する「社会の変化」が背景にあったように思います。
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!!!以下の文章には性的な表現が含まれます。!!!
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<目次>
映画『エマニエル夫人』ストーリー
映画『エマニエル夫人』予告・出演者
映画『エマニエル夫人』感想
映画『エマニエル夫人』解説/映画と性解放
映画『エマニエル夫人』考察/性革命
映画『エマニエル夫人』考察/女性の解放
映画『エマニエル夫人』映画評価
映画『エマニエル夫人』ネタバレ・結末

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映画『エマニエル夫人』あらすじ

エマニエル(S・クリステル)はパリから、外交官である夫のジャン(D・サーキイ)が赴任した、タイのバンコックへ旅立った。空港には夫が出迎え、久々の再会に二人は蚊帳の中で激しく愛し合った。
熱帯バンコックのエキゾチックな町に住む、フランス人のグループは男も女も自由な交際を謳歌していた。ある日のガーデン・パーティに参加したエマニエルは、さまざまな男女と出会いをもった。奔放な少女マリー・ルイズ(J・コレティン)はパーティのあと彼女の屋敷を訪ね、エマニエルに性的な質問をし、彼女の前で自らを慰め始めた。アリアンヌ夫人(C・ボワソン)は有閉マダムでレズビアン趣味があり、エマニエルをスカッシュに連れ出し誘惑した。それから二人は、定期的にコートで出会い関係を結んだ。アメリカ人のビー(M・グリーン)は美しく、エマニエルは彼女に憧れ、愛するようになり、彼女とも体の関係を結ぶ。さらにマリオ(A・キュニー)という"奔放な性こそ正しい性の在り方だ"という主張を持つ男を知る。ある晩、エマニエルはそんなマリオとディナーを共にした。彼はエマニエルに己れの「性説」を説き、彼女をバンコックの闇に連れ出した・・・・・・
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映画『エマニエル夫人』予告

映画『エマニエル夫人』出演者

エマニエル(シルビア・クリステル)/マリオ(アラン・キューニー)/ジャン(ダニエル・サーキー)/マリアンジュ(クリスティーヌ・ボワッソン)/ビー(マリカ・グリーン)/アリアーヌ(ジャンヌ・コレティン)

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映画『エマニエル夫人』感想


この映画は、その官能的なタイトルソングと相まって、本当にエッチです。
<映画『エマニエル夫人』タイトルソング>

さすがに半世紀前の映画ですから、最近の映画に較べれば刺激は少ないはずなんて思いますが、とんでもございません。

とってもエッチ。

しかも、そのエッチ表現が、ソフトで男性的というよりは、より女性目線のエレガンスな味わいでコーティングされている点も、この映画が多くの規制を乗り越えて、エッチの公民権を獲得するのに力が在ったように思います。

1974年当時の世界において、この映画は主に女性からの支持を獲得し、世界的な大ヒットを記録しました。
何年にもわたってパリの劇場で上映され、国際的には3億人にのぼる観客を動員しています。

シルビア・クリステルの美しい裸体と、語られるフランス語、そしてリゾートのアバンチュールを、美しいカメラ撮影で捕えたこの映画は、従来「卑猥・淫靡」さとして捕えられていた「性」を、絶妙に「性の喜悦・解放」という表現に置き換えることに成功しています。

またこのフランス上流階級の、熱帯の性的遊戯は、一種のファンタジーとして観る者の嫌悪感を弱める効果があったように思います。

この映画の前に、ベルナルド・ベルトッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』という映画で、性的な表現の認知にブレークスルーの端緒を創った作品があります。

しかし、一般的に「性の解放」を全世界に広めたのは、間違いなくこの映画『エマニエル夫人』でした。

個人的に言えば、この映画は作品的な完成度はともかく「性解放映画」のパイオニアとして、映画史に残すべき作品だと思います。

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映画『エマニエル夫人』解説

映画の性解放

「性」とは、映画のみならず、芸術表現において規制される、隠されるすべき事柄として扱われてきました。
歴史的に見れば、宗教で「性」とは、キリスト教や仏教においても、欲望を生むものとして禁欲を推奨し、「性=罪悪」とする価値観を人々は持っており、その表現は社会的な強い「管理下=検閲」に、さらされて来ました。
関連レビュー:タブーと性表現
『愛のコリーダ』
芸術か猥褻か世界中で論議の問題作
大島渚監督渾身の全体主義社会と闘う不倫映画

近代で言えば、「わいせつ物頒布等の罪」という刑事罰で裁かれる対象でした。
例えば、ヌードピンナップの掲載で一世を風靡した男性雑誌『プレイボーイ』でもジェーン・マンスフィールドのヌードを掲載し、1963年6月の時点ですらシカゴ警察によりわいせつ図書の製作及び販売の容疑で、社長のヘフナーが逮捕されています。(11月より行われた裁判で表現の自由を訴え「無罪」)

その1936年から1974年の10年の間に、一般劇場で大胆な性描写を公開し得るまでに、社会の「性的タブー意識」は変化していったのです。

エマニエルは1974年6月26日にフランスで公開され、フランスで889万人の観客を集めました。

イギリスでも、エマニエルは、ほとんどのセックスシーンを大幅にカットした後、イギリスのポルノ映画館ではない通常の劇場で上映された最初の成人向け映画でした。

実は、アメリカはキリスト教的倫理観が強く、厳格な倫理コードを保持していました。
関連レビュー:アメリカ映画界の厳しい倫理規定とは?
『陽のあたる場所』
アメリカの光と影を描いて、第24回アカデミー賞6冠!!
ハリウッド古典映画と倫理規定ヘイズコードとの関係

しかし、そんなアメリカでもエマニエル夫人はハリウッドメジャー、コロンビアピクチャーズによって米国で配給されました。
そのコロンビアの決断は、フランスの観客が主に女性であることを知ったからだと言われます。

つまりは、従来「性に嫌悪」を表明してきた女性が、その表現を受け入れたがゆえに、性的なキワドイ映画の公開が可能になったのでしょう。

それでは「性的な嫌悪」を表明してきた、女性意識がなぜ変化をしていったのでしょうか・・・・・・
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映画『エマニエル夫人』考察

女性の性解放

この映画の受容の社会的な背景として、1960年代のカウンターカルチャー、ヒッピー文化、フリーセックスの影響を挙げることができます。

キリスト教的倫理観に則った「正統文化」に対抗する「反キリスト教的文化」が叫ばれたのは、その背景に「正統文化」が生んだ現代社会が、ベトナム戦争という災厄を引き起こし、黒人差別・人種差別という歪みが解消されないことに苛立った、当時の若者達のフラストレーションが爆発したものだと思えます。
関連レビュー:60年代のアメリカ社会
映画『イージー・ライダー』
チョッパー・ハーレーで旅する若者の物語
アメリカンニューシネマと60年代カウンターカルチャー

そんなフラストレーションが「アメリカの性革命」を生んだのでした。
性の革命(せいのかくめい、英語:Sexual revolution)とは欧米社会において、性に関する社会通念や性的行動が解放される性行為の社会的革命を指す。性革命とも言う。
性道徳及び性行動を変化させた性の革命は、主として1960年代に発生した。
1953年にはヒュー・ヘフナーによってPLAYBOY誌が創刊された。PLAYBOYはヌードやセックスだけでなく、政治・社会・文化・芸術についての記事も掲載する視野の広い雑誌である。
本格的に性の革命が起きたのは1960年代半ば以降だった。1960年には経口避妊薬が開発された。60年代はベトナム反戦運動や公民権運動とともに、性の革命もおこった。ドイツ・ニュースダイジェストは、この時代に性革命とともにビートルズ(イギリス)、ボブ・ディラン、長髪、ミニスカート、ヒッピーなどの文化・風俗が見られたと記述している(wikipediaより)

このカウンターカルチャーを担ったヒッピーが起こした、フリーセックスの運動は、従来の性観念を劇的に変えました。
彼等は、従来の家族制度の枠組みにとらわれず、誰もが自由に他者と愛し合う事を標榜し、マリワナやLSDの幻覚剤を使いながら、ヒッピー村のメンバーと自由に愛を交わしあったのでした。

そんな「性の解放」を60年代の若者文化を浴びた全世界の若者は、旧来の倫理感とは違う「性意識」を間違いなく知ったのでした。

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映画『エマニエル夫人』考察

女性の解放

上で述べた「性革命、性の解放」の主張が、受容し支持された背景には「女性解放主義=フェミニズム」の影響もありました。
フェミニズム(英: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動である。女権拡張主義、男女同権主義などと訳されることもある。(wikipediaより)


その権利主張を理論的に世に問うたのは、フランスの女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの女性解放論の古典『第二の性』です。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir; 1908年1月9日 - 1986年4月14日) は、フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家・活動家である。20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされる『第二の性』(1949)、ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954) など多くの著書を残した。主要著書はほとんど邦訳されている。ema_beauv.jpg
1970年代に人工妊娠中絶の合法化を求める運動をはじめとする女性解放運動 (MLF)に加わり、『レ・タン・モデルヌ』、『フェミニズム問題(フランス語版)』などを通して運動を牽引した。
在学中に出会ったジャン=ポール・サルトルとは、実存主義の立場から自由意思に基づく個人の選択を最重要視し、婚姻も子どもを持つことも拒否。互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶として生きた。(wikipediaより)

その著書『第二の性』では「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言され、「人間=男性」という歴史的な文脈の中で、男性は「男性性」を獲得し強化しようとするため、他者、とくに女性を下位の存在として見下し、自らの所有物と見なして来た。女性が自己の人生を選択できないのは、その結果だとする。女性はこの歴史的文脈を認識することで、自己決定権を取り戻し、真の人間へ生まれ変わらねばならないと、されています。


フランスの第二次世界大戦後「女性解放」は始まったのだとすれば、そんな彼女達が、貞節を求める男性達の価値観から自由になり、自らの「性の解放=性的喜びを求める自由」を主張しだしたのも頷けます。
その「女性解放」先進国で『エマニエル夫人』がある種の象徴として、女性達に支持されたとも思えます。

一方アメリカ合衆国のフェミニズムの源泉には、第二次世界大戦が生んだ女性に対する社会的要求が関係していると言われます。
関連レビュー:アメリカ社会とフェミニズム
『レボリューショナリーロード』
あの『タイタニック』カップルが送る、夫婦の崩壊劇
50年代アメリカ社会の「絶対的虚無」と「フェミニズム」

第二次世界大戦中、男たちが戦場に向かう中、軍需産業や消防・警察など社会的な役割を担ったのは、国にいた女性達でした。

彼女達は、戦後男たちが戻ってくると、再び良き家庭の主婦に戻る事を求められたのですが、一度社会に出て自己実現の果実を得た女性達の中には、それに不満を持つ者がおり女性の権利を主張したのでした。

女性解放の動きはフェミニスト運動家の1人 ベティ・フリーダンの1963年の著書『The Feminine Mystique(邦題『新しい女性の創造』)』の出版によって、大きな高まりを見せました。

アメリカでは、そんな女性「性」の解放を象徴した映画も登場します。
それは『私は好奇心の強い女』という1966年製作のスェーデン映画で、大胆にSEXを描いたその映画を見ることが、当時の若いアメリカ女性にとって先進性の証明となったといいます。
<私は好奇心の強い女>予告

そんな女性達の意識変化を後押しするように、1960年代にアメリカ合衆国で経口避妊薬(ピル)が登場します。
SEXが妊娠と結びつかなくなったことで、女性達の性的な欲望の解放はよりハードルが下がったのです。

そんな、女性達が自らの「性の解放」を主張する文脈の中で、1974年の『エマニエル夫人』に対する女性達の支持が理解できるのです。

そして、その「女性解放」という「大義」は、日本でのこの映画に対する女性動員に貢献したのは間違いありません。

約2千万円で配給権を買った日本ヘラルド映画は、映画館の配給収入だけででも15.6億円(現在換算で約100億円)の利益を上げ、全社員に20ヶ月のボーナスを支給したほどでした・・・・・・・・

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映画『エマニエル夫人』評価


女性のフェミニズムとそれに基づく性解放が、この映画に対する女性達の共感を呼んだと書いてきました。
実際「フェミニスト運動家」から、この映画はどう評価されたでしょうか?

本国フランスでは、フェミニストの観客はエマニュエルの性格が「男性の幻想の対象」であると不満を表明しました。
1974年のレビューで、バラエティ誌はエマニエルは「ウーマンリブというより、公務員(としての女性)が登場した」と述べており、女性解放の先進国においてはエマニエルの姿は「男性に従属」しているとみなされたのでした。

しかし、映画史家のダニーシプカは、本『Emmanuelle From Literature to Cinema』の中で、アジアでの異なる捉えられ方を書いています。
「アジアでは、多くの女性がエマニエルの力と強さに焦点を当て、彼女が奪われているのではなく解放されている作品だと見なしていた」と書いています。シルビアクリステルが、「夫の上で騎上位を取る、この1つのシーンのためだけでも、エマニエルが支配的だと感じ、日本のフェミニストはこの映画に十分満足して」おり「そこでは、すべての日本人女性が立ち上がって、拍手喝采」したと記述されています。

このように、映画公開地の女性達が求める「解放」の度合いは、社会的進出がどれほど進んでいたのかという状況によって温度差がありました。

正直言えば、「女性性の解放」というよりは「男性の性的嗜好の対象」として描かれているように感じ、女性解放路線で見ればこの映画に高い評価を付けられません。

そして、何より映画としての完成度が高いとは感じられませんので、★3つという評価に成りました。

しかし、映画の評価とは別に、この作品がその本質的価値以上に、女性達の社会的主張を代弁するものとして、時代を照らすトーチカのように輝いていた事は認めざるを得ません。

何より映画表現として、「性表現」へのタブー視を薄れさせ、公民権を獲得した功績によって、映画史に永遠に刻むべきだと感じます。

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これ以降

映画『エマニエル夫人』ネタバレ

があります。ご注意ください。
(あらすじから)
マリオはエマニエルをアヘン窟に連れて行き、彼が見守る中、彼女はそこの男達と性交をする事を強いられた。その次に、マリオはエマニエルをキック・ボクシングの試合に連れて行き、その試合を見守った。そして勝者のボクサーと、彼女は体を交わした。

映画『エマニエル夫人』ラスト・シーン

映画は、マリオの支持に従って、エマニュエルが鏡に座ってメイクをしているところで終了する。
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より高いレベルの性的喜びに到達することを期待するかのように・・・・・・・・




posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

映画『軽蔑』(1967年)ゴダールが軽蔑したものとは?/感想・解説・ゴダールの反商業主義・評価

映画『軽蔑』(感想・解説 編)

原題 LE MÉPRIS
英語題 CONTEMPT
製作国 フランス・イタリア合作
製作年 1963
上映時間 102分
監督 ジャン・リュック・ゴダール
脚色 ジャン・リュック・ゴダール
原作 アルベルト・モラヴィア


評価:★★★   3.0点



60年代とは、自由と民主主義に揺らぎが生まれた時期でした。
そんな時代に監督ゴダールは、反米を唱え「共産主義」を信奉するに至ります。

また同時に60年代とは、POPカルチャーなど、あらゆるモノが消費の対象となり大衆に届けられた時代でもあります。
それはブリッジド・バルドーなど映画女優もまた、セックス・シンボルとして女性「性」を商品化され、消費されていくのです。

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<目次>
映画『軽蔑』感想
映画『軽蔑』解説/ゴダールと反商業主義
映画『軽蔑』考察/作品中から見えるテーマ
映画『軽蔑』解説/ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル
映画『軽蔑』評価

映画『軽蔑』予告

映画『軽蔑』出演者

カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)/ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピコリ)/ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)/フランチェスカ・ヴァニーニ(ジョルジア・モル)/フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)/ラング助監督(ジャン=リュック・ゴダール)/撮影監督(ラウール・クタール)/シレン(リンダ・ベラス)
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映画『軽蔑』感想


この映画に関して言えば、当時マリリン・モンローの向こうを張って、フランス版セックスシンボルと呼ばれたブリジッド・バルドーの目力に圧倒されます。
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しかし映画自体の内容は、バルドーのスター性を生かす映画というよりも、ゴダールの政治主張を語る作品となっていると感じます・・・・・

その結果としてこの映画は、その作品中に違うベクトルを持ってしまった。

ブリジッド・バルドーの妖艶な魅力を楽しみたい観客には、ゴダールのテーマ性が邪魔になり、ゴダールの世界に入り込みたいファンにとってはバルドーの存在感が大きすぎるように見えます。

そんなこの映画の対立する要素を、以下にまとめてみました。

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映画『軽蔑』解説

ジャン・リュック・ゴダールの原理主義
ジャン・リュック・ゴダールという映画監督は、1950年代末期のフランス映画界から生まれ、世界に衝撃を与えたヌーベル・バーグの旗手として有名です。
そのスタイルは革新的で、それまで映画のプロフェッショナルが決してやらなかった、斬新な映像表現を生み出し、賛否両論を生みました。
関連レビュー:ヌーベル・バーグ解説
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーベル・バーグの開幕

しかし、なかなか戦闘的な方のようで・・・・・・・・

映画作品や、政治、社会の問題に関し、数々の発言によって論争や混乱を巻き起こしています。

その端的な例が1965年の『気狂いピエロ』で、この映画ではベトナム戦争を泥沼化させたアメリカ合衆国に対し批判を繰り広げます。
関連レビュー:ゴダールの反米主義
『気狂いピエロ』
ゴダール監督のベトナム戦争批判
ジャン・ポール・ベルモンド主演

そして1960年代当時のリベラルな人々が、権力に対抗する思想として信奉していた「共産主義」的主張を強く語るようになります。

そもそも1960年代後半の世界は、アメリカでの公民権運動や、日本の安保反対運動に見られるように、民主化を求める市民の声が高まり、国家権力に対し実力行使も辞さない世相だったのです。
そんな最中の1967年8月には、ゴダールは資本主義的なアメリカ映画を強く批判し、自らも商業映画を作らないとの決別宣言文を発表しました。
「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。」− ゴダール、『ゴダール全集』4巻(1968年刊)

つまりは、資本家や権力者のための映画ではなく、民衆のための映画という事でしょうか・・・・・
実際その「共産主義的理想」に対する強い意志を反映し、この宣言後1979年『勝手に逃げろ/人生』まで商業映画を撮りませんでした。

そんなゴダールの反商業主義の主張は映画界でも力を持ち、もう一人のヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったフランソワ・トリュフォーと共に扇動し、1968年の第21回カンヌ国際映画祭を、商業的だと批判し中止へと追い込んでいます(カンヌ国際映画祭粉砕事件)。
このカンヌ事件の背景には、1968年の同時期に発生した「5月革命」と呼ばれる、歴史的事件がありました。
フランスの五月危機(ごがつきき)は、1968年5月におきた、フランスのパリでおこわれたゼネスト(ゼネラル・ストライキ)を主体とした学生の主導する労働者、大衆の一斉蜂起と、それにともなう政府の政策転換を指す。五月革命ともいう。セックス革命、文化革命、社会革命でもあった。
パリ五月革命がドゴールを倒したという説は誤謬であり、ドゴールは選挙に勝ち、政権にとどまり続けた。しかし運動の影響で政権は弱体化し、翌年にはドゴールは辞任することになる。(wikipediaより)
<5月革命の様子>

しかし、この時盟友である2人の間に溝が生じます。

カンヌ映画祭の中止だけで満足するトリュフォーに対し、ゴダールはもっと政治的メッセージを主張したのです。

ゴダールは本気で、世界を「共産主義革命」によって再生しようと考え、中途半端な妥協を許せなかったのでしょう。

そして、トリュフォーの映画『アメリカの夜』をゴダールが批判したことによって、2人は決定的に仲違いします。
そもそもトリュフォーは、自ら「政治や戦争には興味がない」と公言していた人です。
関連レビュー:トリュフォー映画の資質
映画『華氏451度』
どうしたトリュフォー?SF映画を撮って明らかになった事実!
トリュフォーはなぜ恋愛映画ばかり撮るのか?

そんな彼が、共産主義のイデオロギーを前面に掲げたゴダールと、対立するのは致し方ない成り行きだったでしょう。
トリュフォーとゴダールを描いた映画<二人のふたりのヌーヴェルヴァーグ>

こうやって追ってくると、この映画『軽蔑』当時のゴダールは、作品そのものに政治的な主張を色濃く反映させていたと見るべきでしょう。

そんな彼の作品だと見れば、この映画『軽蔑』が語るテーマは「反商業主義映画」の原理主義的主張であると個人的には思えます。

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映画『軽蔑』解説

作品ストーリーからテーマ考察

この映画『軽蔑』の内容に即し、「商業主義映画に対するアンチテーゼ」というテーマがどう語られているか追ってみたいと思います。

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まず冒頭の映画の撮影シーンで、この作品が「映画」を語ったものだと宣言します。

さらに次の夫婦の寝室での会話シーンで、その色が赤白青とトリコロールに彩られ、愛のあるフランス夫婦だと語られます。
そしてその「愛」は、ドイツ人監督フリッツ・ラングが、イタリア・チネチッタ撮影所で撮る「オデッセウス」という真の映画の存在で、更に「映画愛」として登場します。

しかし、そこにジャック・パランス演じるアメリカ人映画プロデューサーが、金の力で「真の映画」を商業主義に満ちた作品に書き換えようとします。
それは「映画愛」を金で売るのに等しい行為でしょう。

その「改変=映画を汚す」仕事を依頼されたのが、フランス人夫婦の夫ミシェル・ピコリ演じるポールでした。
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彼は、プロデューサーがエロチックなシーンを入れろという要求に、アパートの支払いができるからと応じます。

つまりは、金で「映画愛」を売ったのです。
その事は、妻をプロデューサーの車に乗せ、自分は後から行くシーンでさらに補強されます。

妻さえも、「夫婦愛」さえ、金のためにこの夫は売りかねないと語られます。
その事が分かったからこそ、フランス人の妻は夫を「軽蔑」したのでした。

それでも夫ポールは、ユリシーズを監督するフリッツ・ラングとの会話中で、ユリシーズに自らを置き換え「貞淑な妻を信じ言い寄る男達を認めたユリシーズだったが、単純な妻はそれで夫を嫌いになった」と語ります。
しかし、ここには妻を裏切った夫の意思、「ユリシーズの功名心」「ポールの金銭欲」の存在を巧妙に隠蔽しています。
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結局、妻の心変わりが「自らへの愛よりも実利を取る夫の卑しさ」を軽蔑したという事実を、ポール自身悟っていながらそれを糊塗する男側の言い訳だと感じます。

それゆえ妻に生まれた「軽蔑」は、たとえ後で改心したとしても決して許される事がありませんでした。
更には「愛」を喪った妻自身も「金=アメリカ人プロデューサー」に走った所を見れば、一度「愛」という価値を喪えば「金」に支配されると語られているように思います。
いずれにしても、このゴダール映画の「金=商業映画」に対する見方は、100か0かに近い厳しいもので、少しでも金に目が眩めば地獄の底という断罪ぶりです。
この峻厳さは、ゴダールがそれほど強く映画の商業化に拒否反応を示してしていたという「証左」のように思います。

そんな事で、この作品を「夫婦関係のもつれ=夫婦愛の錯綜=男女の恋愛」だけで読むには、他の余分な要素が多すぎると思います。

しかし、この映画が「男女間の愛」を強く感じさせるのは、ヒロイン役のブリジッド・バルドーの存在があまりにも女性的で官能的で、ゴダールの意図を超えて主張してしまっているからではないかと感じられてなりません。
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映画『軽蔑』解説

ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル

この映画のヒロインを演じるブリジッド・バルドーは、フランスの官能的女優として人気を博しました。

ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934年9月28日 - )は、フランス・パリ15区出身の女優、ファッションモデル、歌手、動物保護活動家である。頭文字が B.B.であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébéとかけて「BB」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルであった。(wikipedia より)


このブリジッドバルドーに冠せられた、「セックスシンボル」が意味したものは何だったのでしょうか?
セックスシンボル(sex symbol)とは性的魅力があり、性的魅力によって人気を得る人物のこと。
「セックスシンボル」という用語は、マリリン・モンロー、ブリジット・バルドー、ラクエル・ウェルチなどの映画スターの人気に関連して、1950年代半ばに初めて使用された。この概念は、第二次世界大戦後の女性の性的・経済的解放の増加を反映したものである。(wikipedia より)

1950年代とは、第二次世界大戦中の総力戦を戦う中で、それまで主婦の役割に限定されていた女性たちが、兵士として出征した男性不在の社会で積極的な役割を持ち、社会参画に意義を見出す女性達が声を上げだした時代でした。
すでに家庭内での主婦に飽き足らなくなった女性たちは、フェミニズム活動を繰り広げ自分たちの権利を主張します。
関連レビュー:1950年代フェミニズムの誕生
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
1950年代のフェミニズムとアメリカンドリームの行方
ケイト・ウィンスレットとレオナルド・デカプリオ主演

そんな女性たちの自立と権利の主張は、家父長制の家族における貞淑な良妻賢母という価値感を突き崩して行きます。

そんな時代に新たな価値観を提示した女優が二人、ハリウッド映画界に出現しました。

一人はオードリーヘップバーンであり、もう一人がマリリンモンローです。

オードリーヘップバーンが表したのは、そのデビュー作『ローマの休日』からして、自立する女性の気品と高貴だったように思います。
関連レビュー:新時代の「お姫様=女性像」
映画『ローマの休日』

オードリーヘップバーン主演
恋愛映画の金字塔

対して、マリリンモンローが示したのは、女性「性」を商品化することで、自らの価値を高めうるという真実でした。
この戦略的「性の商品化」は、戦前の「グラマー女優=ピンナップガール」の色気を、さらに男たちの欲望に沿う形でチューンナップし提示していると思えます。
関連レビュー:マリリンモンローという女優
映画『七年目の浮気』

60年代の「ロリータ巨乳」伝説
セックスシンボルの誕生

マリリンはヌードモデルになったという過去がスキャンダル化してもなお、むしろスキャンダルを利用して男たちの欲望を掻き立てることに成功します。

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またマリリンは、「夜寝るときに身に着けるのはシャネルの5番だけ」(裸で寝る意)などと挑発的な言葉をインタビューに語り、自らの性的魅力を売り込むことに貪欲でした。

彼女は貧しい出自の生まれで、徒手空拳で「性的魅力」を武器に体一つで成功を勝ち取ったその姿も、また女性の自立の方法として現実社会の一典型だったでしょう。
太陽のような天真爛漫さとセクシーさを併せ持つマリリン・モンローだったからこそ、当時の公序良俗に反する「性の商品化」も際どく認知されたのだと個人的には感じられます。

しかし、自ら切り開いた「性の商品化=セックスシンボル」を演じることに疲れた彼女は、悲劇を迎えることになりますが‣・・・それはまた別の話。

つまり、この映画のブリジッド・バルドーも「性の商品化」というマリリンのビジネスモデルに、全面的に乗っかっていた女優だったわけです。
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映画『軽蔑』評価


上で見たように、この映画の監督ジャン・リュック・ゴダール が主張したかったのは、共産主義的な信念に基づく「反商業主義」だと思います。

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しかし、だとすれば、その主張とは真逆の価値を体現する女優を使ってしまった点に、疑問を持たずにはいられません。

つまり、ブリジッドバルドーという「セックスシンボル=性の商品化」である女優が、ゴダールのこの作品のメッセージを裏切ってしまっているのです。
そんな矛盾が、観客にとって混乱を生むことになり、この作品の真意を不明瞭にしているように感じられ、★3個としました。

結局のところ、「共産主義」など「反自然的=禁欲的な理想」は、「性=自然」のダイナミズムに常に敗れるという事かもしれません・・・・・



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2019年08月02日

ゴダール映画『軽蔑』(1967年)バルドーの眼力を見よ!完全再現ストーリー/あらすじ・ネタバレ・ラスト・結末

映画『軽蔑』(あらすじ・ネタバレ 編)

原題 LE MÉPRIS
英語題 CONTEMPT
製作国 フランス・イタリア合作
製作年 1963
上映時間 102分
監督 ジャン・リュック・ゴダール
脚色 ジャン・リュック・ゴダール
原作 アルベルト・モラヴィア


評価:★★★   3.0点



女優ブリジッド・バルドー時に29歳、その肉体美に眼を奪われ、その濃厚な女が迸るような蔑みの視線に脳を焼かれます。
一方監督ゴダールは、この映画の4年後の1967年8月「商業映画との決別宣言文」を発表する以前に、映画産業界に対する軽蔑をこの映画で表白しているように見えます。

そんな事でこの映画は、ブリジッド・バルドーのスター性が魅力的ながら、ゴダール的な思弁性を秘めた映画だという印象です。

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<目次>
映画『軽蔑』ストーリー
映画『軽蔑』予告・出演者紹介
映画『軽蔑』解説/フランス映画の伝統と拡散
映画『軽蔑』ネタバレ・結末
映画『軽蔑』結末・ラストシーン

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映画『軽蔑』ストーリー


女優が歩くところをカメラが追う、映画の撮影現場。
そこにキャストとスタッフの名が描かれる。
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豊満な肉体がベッドの上に在る。
その肉体の主、女優カミーユ(ブリジット・バルドー)は夫に尋ねる。
私の体が好き?私の乳房と乳首のどちらが好き?
CONTEMPT_nake.png全部好きだと、夫で劇作家のポール(ミシェル・ピッコリ)は答える。

翌日、ポールはアメリカの映画プロデューサー、プロコシュ(ジャック・パランス)と撮影スタジオで会った。
通訳のフランチェスカ(ジョルジア・モル)を交え、監督フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)の撮った映画『オデッセウス』のラッシュを見た。
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見ながらプロコシュは、もっと色っぽいシーンを入れたいと言い、ポールにシナリオの改定を依頼した。ポールは胸に入れられた小切手を見てその仕事を受けた。

昼時になり、カミーユがスタジオに来た。
プロコシュはカミーユを見ると、二人を昼食に招待した。プロコシュはカミーユに、2シーターのスポーツカーに同乗しろと誘った。カミーユはポールと一緒に行きたいと言った。
しかし、ポールは気にしないから二人で先に行けと促した。
【意訳】プロコシュ:良ければ行こう。/プロコシュ:奥さん座って。/ポール:お宅で会おう。僕はタクシーを拾う。/カミーユ:彼に先に行ってもらって、2人でタクシーに乗りましょう。/プロコシュ:決めてくれ。

ポールがプロコシュ邸に着いた時、先着した二人は体を寄り添わせながら歩いていた。
妻カミーユは「遅い、30分も経っている」と夫を睨んだ。
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ポールは、事故があったと言い訳したものの、カミーユはそっぽを向いていた。
プロコシュは、カプリ島の別荘で行われるロケにポールとカミーユを誘った。それにカミーユは「夫が決める」と答えた。

アパートに帰ってから、カミーユは前夜と人が変わったように不愛想だった。
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夫ポールはその理由を問い質すが、妻は答えず苛立った夫は妻に手を上げた。
その日から、二人は寝室を別にした。

電話がなり夫婦は映画の参考にと、プロコシュと共に映画館に行くことを求められた。
ブロコシュからカプリ島への誘いが再び在り、ポールは「カミーユ次第だ」と返事し、それを聞いた彼女は再び不機嫌になり「もうあなたを愛していない。あなたを軽蔑する」と口に出した。
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映画館で夫婦はほとんど口をきかなかった。

結局カミーユはカプリ行きを承知した。
カプリ島の海に浮かんだ船上で撮影が進む。プロコシュは撮影中にもかかわらず、一足さきに別荘に帰ろうとカミーユを誘った。
カミーユは夫の顔を見つめたが、ポールは「行きなさい」とカミーユを促した。
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別荘に戻ったポールは、窓際で口づけを交わすカミーユとプロコシュの姿を目撃する。
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拳銃を忍ばせたポールは、カミーユになぜ軽蔑するのかと詰問した。
カミーユはもう愛していない、あなたと別れると告げる。
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ポールは、もうこの映画の脚本の仕事は降りる。劇作家に戻るとカミーユに告げ、一緒に島を出ようと懇願した。
しかし、カミーユは裸で海に飛び込み泳ぎ去った。

翌朝、帰り支度をするポールのもとに、カミーユの置き手紙が届いた。
妻は「プロコシュとローマに立つ」と書き残していた。
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映画『軽蔑』予告


映画『軽蔑』出演者


カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)/ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピコリ)/ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)/フランチェスカ・ヴァニーニ(ジョルジア・モル)/フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)/ラング助監督(ジャン=リュック・ゴダール)/撮影監督(ラウール・クタール)/シレン(リンダ・ベラス)
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映画『軽蔑』解説

フランス映画の伝統と拡散

いきなりですが、フランス映画といえば「ヌーヴェルヴァーグ」が思い浮かぶ、古い世代に属する私です。
しかし最近のフランス映画のバリエーションは、実に多岐に渡っており、是非その魅力をお伝えしたい・・・・・・
という事で、当ブログで紹介したフランス映画のレビューをご紹介しようという、ゴリ押し企画です。

まずは、ハリウッド的なフランス映画を撮るフランス人監督のパイオニア、リュックベッソン監督1990年の作品から。
関連レビュー:フランス映画の過剰なロマンティズム
『ニキータ』
リュック・ベッソン監督の語る美しき暗殺者
名作『レオン』につながる、ジャン・レノ主演作


しかし、フランス的伝統を継承する監督も。1991年レオス・カラックス監督。
関連レビュー:フランス恋愛至上主義映画
『ポンヌフの恋人』
フランス的恋愛の狂おしい世界
レオス・カラックス監督、ニュー「ヌーヴェルヴァーグ」


こちらもフランス的な味わい。2001年ジャン・ピエール・ジュネ監督。
関連レビュー:フランス恋愛至上主義映画
『アメリ』
パリのメンヘラ少女の恋
不思議少女のパリ生活を描いて大ヒット!!


フランスと世界で大ヒット2011年、ハリウッド的作風のエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ共同監督作品。
関連レビュー:実話映画!フランス階級社会の奇跡
『最強の二人』
フランスの大富豪障碍者と黒人失業者の絆
心温まる大ヒット・トゥルーストリー


アカデミー作品賞、 アカデミー主演男優賞2011年の ミシェル・アザナヴィシウス監督作品。
関連レビュー:フランス発・現代版サイレント映画
『アーティスト』
オスカー受賞の現代サイレント映画
この映画はレイプか?


フランス移民によるフランス映画、2012年ダニエルコーエン監督。
関連レビュー:差別的「笑い」表現の生まれた理由
映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏にようこそ』
ジャン・レノの「侍」とミカエル・ユーンの「ゲイシャ」
監督ダニエル・コーエンと差別表現

こうやって、上げてみるとフランス的な作家主義が強い作品と、ハリウッド的明快な映画とに分かれるようにも思います。

そして2010年代に入ると、ハリウッド風の単純明快な映画が増えているようにも感じ、フランス的個性が喪われつつあるのかと、すこ〜〜し心配になったりします。
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以下の文章には

映画『軽蔑』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ハイウェイを走るスポーツカーにカミーユとプロコシュが乗っていた。
プロコシュはガソリンスタンドに給油で止まると、ローマで何をするとカミーユに尋ねた。
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カミーユはタイピストになると答え、再び車に乗り込む。

道路上の大型車との事故。
衝突したオープンカーでは、二人の男女が死んでいた。
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カミーユとプロコシュだった。

映画『軽蔑』結末・ラストシーン

2人が事故に会った事も知らず、島を去るポール。
ラング監督と別れの挨拶に向かう。
【意訳】ポール:元気で/通訳フランチェスカ:さようなら/ポール:さようなら。(階段を上るポール)ラング監督さよならを言いに来ました。/ラング:さようなら。これからどうする?/ポール:ローマに帰り、劇を書きあげます。あなたは?/ラング:映画を仕上げる。いつだって始めたら終わらせなければ。/ポール:どんなシーンを撮ってるんですか?/ラング:ユリシーズが再び母国を眼にする場面だ。/スタッフ:準備オッケーですラング監督/スタッフ:お静かに!




posted by ヒラヒ at 16:56| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする