2023年08月20日

『サウルの息子』ユダヤ人の苦悩・ホロコーストの尊厳とは?/映画感想・解説・ホロコースト・ゾンダー・コマンド実話

サウルの息子(感想・解説 編)



原題 SAUL FIA
英語題 SON OF SAUL
製作国 ハンガリー
製作年 2015
上映時間 107分
監督・脚本 ネメシュ・ラースロー


評価:★★★★  4.0点



ホロコースト映画で語られて来なかった、ゾンダー・コマンドを描いた傑作だと思います。
同胞のユダヤ人達の死の一端を担った、ユダヤ囚人達で構成された「特殊部隊=ゾンダー・コマンド」の男を主人公として描かれます。
そんなこの映画は、ノンフィクション的な史実が、ストーリーの中に表現された1本だと思います。

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<目次>
映画『サウルの息子』簡単あらすじ
映画『サウルの息子』感想
映画『サウルの息子』解説/ゾンダーコマンドの実話

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映画『サウルの息子』ネタバレなしあらすじ


アウシュヴィッツ=ビルケナウ、ユダヤ人強制収容所。1944年の10月、ハンガリー系ユダヤ人、サウル(ルーリグ・ゲーザ)は、ガス室に送られた、同胞の死体を処理する仕事を課された、ゾンダーコマンドとして働いていた。そんなある日、サウルはガス室の死体の中で、でまだ命のある少年を発見した。そのユダヤ少年は無慈悲に命を絶たれたが、サウルはその少年をユダヤ教の葬儀で送りたいと決心する。仲間たちは、アウシュヴィッツの事実を後世に残すために証拠写真を撮影したり、武装蜂起のために密かに武器の準備を進めていた。そんなユダヤ人の仲間から見れば、サウルが少年の葬儀に執着することが理解できず、彼を非難する。しかし、そんな声を無視して、サウルはラビ(=ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤの儀式を行おうと奔走する。そんな中、ついにユダヤ人たちが、反乱の火の手を上げたのだ・・・・・・・
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『サウルの息子』予告

映画『サウルの息子』出演者

サウル(ルーリグ・ゲーザ)/エブラハム(モルナール・レヴェンテ)/髭のオーバーカポ(ユルス・レチン)/髭の収容者(トッド・シャルモン)/医師(ジョーテール・シャーンドル)
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『サウルの息子』感想


この映画は最初に見た時には、ホロコーストの渦中にいる、この「ユダヤ人特殊部隊=ゾンダー・コマンド」の主人公に違和感を感じた。
それは、同胞に対して死を供給してるにも関わらず、その痛みや苦しみが感じられなかったからだ。
soul-pos4.jpgそんな違和感を抱えつつ2回目の視聴をした時に、ゾンダーコマンドの中にも、隊員アブラハムのように、生き延びるためにナチスと戦おうとする者や、カポ長(グループの隊長)のビーデルマンのように、ホロコーストの惨状を証拠として残そうとする者がいたと知った。
それらの、ゾンダー・コマンドの必死に生き伸びようとする姿や、せめてこの悪逆を後世に伝えようという意思は、この地獄にあって取り得る選択肢として納得できた。

しかし、この主人公は、それらの生きる為の戦いにも無関心で、後世への伝承にも興味がない。
ただひたすら、一人の少年の正式な葬儀のために、右往左往し仲間の危険すら顧みない。
その少年が、主人公「サウルの息子」だと語られる時、更に彼の利己主義が際立つように思われた。
同胞を死に追いやり、仲間のゾンダーコマンド達の対ナチスの戦いの傍観者で、ただ己の息子の死に拘泥する利己的な男・・・・・・そう感じられた。
しかし、それでも3回目を見ようと思ったのは、この映画のカメラワーク、浅いピントで全てが幻のようなそのビジュアルが気になったからだ。
そして、3回目にして、私にもようやくこの作品の主人公の精神の状態が、理解できたように思う。
冒頭のぼやけた視界から姿を現すサウルの姿こそ、彼の心理を物語っていただろう。

このユダヤ人の男はゾンダーコマンドとして働くために、その心を固く冷たく封じ込めてしまったのだ。
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普通の人間が、人を殺して、しかも同胞を何千何万と殺し続けて、平静でいるためには自らの感受性を殺し、いわば「人工的なサイコパス」とならなければ不可能だったろう。

これが、強い人間ならば、その死の作業の苦悩をナチスに対する反抗を計画する事や、後世にこの事実を知らしめようと努めることで、その精神的なバランスを維持できるかもしれない。
しかし、この主人公は違った。

そして、大方の人間もまた、自らの命を長らえる事が精一杯の状況下では、主人公同様、他者の命を奪う自分に慣れるしかないだろう。
そんな他者の死に慣れ無感動になるとは、つまるところ、人間ではなくなるという事を意味するはずだ。
Film.jpgそのサウルの封じ込めた「魂=人間性」が、一人の少年の死によって呼び起された。
そして、その「魂」は少年を正しく埋葬し、弔らいたいという意思として、サウルに宿った。
それは、生きる為にナチスを敵にしても戦おうという、アブラハムのように強い人間にとっては、サウルの望む「埋葬の儀式」は後ろ向きの女々しい執着に映ったはずだ。
それゆえ、アブラハムは死者より生きている者の方が大事だと、サウルを責めるのだ。
それに対し、サウルは少年を「息子」だと言う。
しかしサウルをよく知るアブラハムは「お前に息子はいない」と告げる。
実際に映画内では、その少年がサウルの息子であるか否かが明示されることはない。


しかし「真の息子か否か」に関わらず、この主人公が失った「人間性」が、1人の少年の死を見た時に回復されたという事実こそが重要だと思う。
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それは、数多くの同胞の死を見送り、その大量死に魂を枯らしていった「サウル=平均的人間の代表者」が、生命力にあふれた1少年の殺人を眼にして「死とは生を奪う行為」であると、改めて認知した瞬間だったろう。

そして、その1個の死は、罪なく、まだ生きられる命を刈られた全ての人々の死につながっていたはずだ。
それは、その命の強奪に関わった自分の罪を認識した時だったろう。
その己の罪を懺悔する方法とは、せめて命を喪った者たちの魂に対して、敬虔な祈りを捧げる事以外にはないだろう。

そしてサウルは、ホロコーストの幾万もの死者達、生を奪われた者の象徴として、その少年を弔いたかったのだろうと思う。
このサウルの祈りとは、単にホロコーストだけではなく、組織的な殺人者として戦争に参戦した兵士達が、たとえ正義という大義名分で偽装したとしても、必ず感じた人間性の喪失であったはずである。
それは兵士たちがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことで明らかであるはずだ。

その兵士たちの苦しみとは、国家にせよ組織にせよ、人間集団としての組織の理論が、個人を追い詰め人間であることを喪わせて行く事にその原因があると思われてならない。
異論はあるかもしれないが、その全体主義体制に対する個の喪失とは、ナチスドイツの兵にとっても、サウルと同様等しく生じていた力だと思える。

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そして、その全体制による個人の抹殺とは、基本的には帰属集団の利益のため個人を捧げよと、号令されることで生まれる。
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そう考えれば、ホロコーストにおいてナチスと戦ったユダヤ人達も、基本的にはユダヤ人を守るために戦うという、全体制への奉仕が基調にあるのであり、論理的に言えばそれらの抵抗とは基本的にはナチスドイツ同様、最終的に個人の抹殺へと通じるだろう。

その点を突き詰めてみれば、現代のユダヤ国イスラエルが、パレスチナに対して行使する軍事行動の意味が分かりはしまいか。
つまりは、このサウルの苦しみとは、人は人として生存すべきなのに、何かの部品として使役されたが故の苦しみであったように思われるのだ。

そのサウルが一人の少年の死を前に、一人の人間に戻る姿こそ、人が尊厳をもつ為には個人として自由に生きられなければならないと語られているだろう。
そして、そのためにはサウルのごとく「戦い=新たな全体制の創出」に関与してはならない。
それゆえサウルは、1個の人間として、失われた個を、自らの心の内に静かに悼むのだ。

サウルの死者への追悼とは、全体制の暴力下で「部品」として命を散らした数百、数千万の、歴史上の死者達に対し、個人としての尊厳を再び付与する試みだった。
そしてこのメッセージが理解されたならば、世界の争いの無益さを、人は思わざるを得ないはずだ。
ホロコーストに命を散らした人々の願いも、個人の自由と尊厳を全うできる社会の成立にあったと信じる。

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『サウルの息子』感想/ゾンダーコマンド実話



この映画は第二次次世界大戦中、ナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺、ホロコーストを題材とした映画である。
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第20回アカデミー作品賞受賞

その、ホロコーストの影に、ユダヤ囚人達による特殊部隊ゾンダーコマンドが存在したことが描かれた。
この映画は、実は、史実に則った実録映画の側面もある。
ゾンダーコマンド(独: Sonderkommando in den Konzentrationslager)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが強制収容所内の囚人によって組織した労務部隊である。
部隊にいた囚人のほとんどはユダヤ人で、多くの場合、囚人達は収容所に連れて来られた時にナチスによりその仕事に就くように強制され、死を恐れて指示に従うことになる。主な仕事はガス室などで殺されたユダヤ人の死体処理である。自殺をする以外にこの仕事を辞める、または拒否する方法はなかった。
saul-birukenau.jpgポーランドのビルケナウ強制収容所では1943年までに400人ものソンダーコマンドが存在しており、1944年にハンガリーのユダヤ人が大量に収容されるようになってからは、その膨大な数の死体処理のために900人にものぼるゾンダーコマンドがいたとされる。
外部への情報漏えいを防ぐため、ゾンダーコマンドの囚人はほとんどが3か月から長くて1年以内にガス室に送られて殺され、新しく連れてこられたユダヤ人が代わりとなっていった。ゾンダーコマンド結成後、収容所解放までに14サイクルもの入れ替えがあったとされる。(wikipediaより)


そして、この映画で描かれたように、実際収容所内で反乱も起きた。
この映画が1944年の10月という設定なのは、下の反乱の実態に即したものと思われる。
1944年にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンドによる反乱があり、火葬場が一部破壊された。女性囚人たちが数か月に渡りアウシュヴィッツ内の軍需工場から火薬を少しずつ盗み出し、ビルケナウ収容所の衣類格納庫で働かされていたロージャ・ロボタなどのレジスタンスの手に渡った。
映画内火薬受け渡しシーン

収容所のレジスタンスから1944年の10月7日に自分たちが処刑されることを知らされると、ゾンダーコマンドはナチス親衛隊(SS)やカポ(労働監視員)をマシンガンや斧、ナイフで攻撃し、ナチスは怪我人12人、死者3人もの死傷者を出した。数人のゾンダーコマンドは計画通り脱走することにも成功したが、その日のうちにまた捕らえられた。反乱で生き残ったゾンダーコマンドのうち200人もの囚人がその後頭を撃ち抜かれ殺された。その日に殺されたゾンダーコマンドは451名にも上る。(wikipediaより)


また、映画内ではユダヤ人虐殺の証拠を残そうとする、ゾンダーコマンドの姿が描かれていた。
saul-photo2.jpg1943年から1944年の間、ビルケナウ収容所のゾンダーコマンドの数名が筆記用具やカメラなどを手に入れ、収容所内の様子を記録することに成功している。これらの情報は収容所内の火葬場近くなどの地面に埋められ、戦後掘り起こされた。ほとんどの記録や原稿はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所博物館に保存されている。
(wikipediaより/右:ゾンダーコマンド撮影写真)


saul-laszlo.jpgこんな、アウシュビッツで起きた史実を正しく伝えようという、若いユダヤ人監督の姿勢に頭が下がる思いがする。
さらにこの監督は、事実を正確に伝えようとするだけではなく、決して資料や写真だけでは語りつくせない、ゾンダーコマンドの心理をもサウルを通じて描いて見せた。

この映画が真に評価されるべきは、人間心理のリアリティー、史実としての人間存在を、映像として主観的に描こうと努めたことにあると思う。

この映画を考察するにあたって、そのラストシーンが非常に重要だと信じるが、当然ネタバレの内容を含むため、その点を「ネタバレ・ラスト」の中で語るのが適当だと思う。
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posted by ヒラヒ at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ハンガリー映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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