2022年10月09日

古典映画『チップス先生さようなら』(1939年)戦争に歪めれた教師物語とは?/感想・解説・考察教師映画元祖

映画『チップス先生さようなら』感想・解説 編

原題Goodbye, Mr. Chips
製作国 アメリカ
製作年 1939
上映時間 114分
監督 サム・ウッド
脚本 R・C・シェリフ
原作 ジェームズ・ヒルトン


評価:★★★☆  3.5点



英国伝統の寄宿学校の生活が『ハリーポッター』の世界観を思い起こさせるこの映画は、1939年、第二次世界大戦が目前に迫った時期に撮られた作品だ。

主演のロバート・ドナットは、20代半ばから80代までを一人で演じきってアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

その名演もさることながら、それ以上に、この作品が重要なのは、映画史上初めて「教師モノ」「学園モノ」を描いたパイオニアだという点にあると主張したい。
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<目次>
映画『チップス先生さようなら』簡単あらすじ
映画『チップス先生さようなら』予告・出演者
映画『チップス先生さようなら』感想
映画『チップス先生さようなら』解説・考察

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映画『チップス先生さようなら』あらすじ

1928年、イングランド東部ブルックフィールドにある寄宿学校「ブルックフィールドスクール」には、82歳にもなる名物教師のチップス先生ことチャールズ ・エドワード・ チッピング(ロバート・ドーナット)がいた。彼はその教師人生を振り返る。初めての授業では、生徒のいたずらに会い授業にならず、時の校長に教師の資質を問われる始末だった。それからの彼は生徒を厳しく管理する、真面目な堅物教師となり、生徒からの人気はほぼ皆無だった。しかし、そんなチップスを変えたのはドイツ人教師マックス(ポール・ヘンリード)に誘われた旅で出会い結婚したキャサリン(グリア・ガースン)だった。開放的で社交的な彼女は、生徒達とのお茶会を開催したちまち人気者となり、それに感化されてチップスも授業中に冗談を交えるようになって行った。そんなチップスの変化で、生徒の人気も高まり、出世コースも開け、キャサリンも身籠った。しかし、順風満帆かと思われたチップスの人生に、大きな悲劇が待ち構えていた―
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映画『チップス先生さようなら』予告

映画『チップス先生さようなら』出演者

チップス先生(ロバート・ドーナット)/キャサリン(グリア・ガースン)/ジョン・コリー他コリー家4代少年期の4役(テリー・キルバーン)/ピーター・コリー2世:青年期(ジョン・ミルズ)/マックス・ステュフェル(ポール・ヘンリード)/フローラ(ジュディス・ファース)/ウェザビー(リン・ハーディング)/チャタリス(ミルトン・ロスメル)/マーシャム(フレデリック・レイスター)/ウィケット夫人(ルイーズ・ハンプトン)/ラルストン(オースティン・トレヴァー)/ジャクソン(デビッド・ツリー)/モーガン大佐(エドモンド・ブレオン)/ヘレン・コリー(ジル・ファース)/ジョン・コリー卿(スコット・サンダーランド)

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映画『チップス先生さようなら』感想


現代の「教師モノ」は、教師と生徒の関係を描き、そのいずれか、または両者が変化し成長する姿、つまり「教育の現場とその力」を描くというのが王道だろう。
また、その幅を学校を舞台にした「学園モノ」まで広げれば、そこには上に述べた「教師と生徒」以外に、生徒同士の友情や葛藤がドラマが描かれる。
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そんな最近のドラマに比べれば、この映画は、教師モノとしてみれば、チップスと生徒の関係が希薄で、明確な「教育の力」も見出しがたい。
例えば、かつて日本で人気を集めた、熱血教師と不良学生との魂がぶつかるような、感動ドラマを想像すれば肩透かしを喰らうだろう。
また今どきの「学園モノ」のような、生徒たちの青春物語がしっかり描かれているわけでもない。

それでは何が描かれているかと言えば、チップス先生の一種散文的な回顧録である。
その散文性は、老人が自分の教師生活を回想するという点で、さらに強く感じられる。

そんな、一個人の散文的回顧録は、英国の文学的伝統としてある「伝記」の様式によるのかもしれない。
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「伝記性」として見れば、このドラマの主体はチップスの人生の浮き沈みにあり、それゆえ生徒との関わりや学校生活はチップスの人生を語るのに必要な部分だけが語られているのも納得できる。
そういう点では、この映画は「教師モノ」「学園モノ」のジャンルに入れるよりも、やはり「伝記物」として捉えるべきなのだろう。

つまり「伝記」の物語様式に則っているからこそ、その人物の人生が主たるテーマなのであり、この映画ではたまたまその人物の職業が学校だったから、その背景として描かれていると見るのが正しいのだろう。

そう考えれば、この作品から受けるイメージが、地味で実直な趣を見せるのも、このチップスという人物の人間性が反映されたものだと感じられる。
そんな主人公の「人格=個性」が作品世界の色調を支配するのも、それが伝記だとすれば、必然的な表現であるに違いない。

いずれにしても、この映画は「教師モノ」「学園モノ」を期待すれば違う種類のドラマであり、チップスという教師が語る回顧「人生ドラマ=伝記」を味わう映画なのだ。

しかし、それでも調べた限り、映画作品として初めて「学園」を舞台に「教師」を描いた作品であるのは間違いない。
そう考えれば、個人的には、この『チップス先生さようなら』の成功があって「教師モノ」「学園モノ」というジャンルの道が開けたとも思え、それが正しいとすれば本作は「古典」として映画史にとどめるべき作品だと主張したい。
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映画『チップス先生さようなら』解説・考察

反戦映画としての『チップス先生さようなら』
この映画は、「学園ドラマ」や「教師ドラマ」というよりは、「伝記物語」としての印象が勝ると上で書いた。

考えてみれば、サイレント映画の時代から伝記映画の伝統はあっても、学園ドラマというジャンルが確立していない当時にあっては、学園物語は「教育」を描くという「ジャンル的アイデンティティ」は未成立だったと捉えるべきだろう。

何事も一足飛びに「独自性=ユニーク性」に到達し得ないのは、あるジャンルの成立を時系列で追ってみれば明らかだ。
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しかし、そんなジャンルの進化の問題を考慮しても、この映画が製作された1939年という時代背景を考えてしまう。
その時代が、「教育」をテーマにして一歩踏み込ませない理由となったのではないかと想像してしまうのである。

なぜなら、1938年頃より領土的野心を露わにしたヒットラー率いるナチスドイツは、1939年に英仏と戦端を開き第二次世界大戦が勃発しており、アメリカ合衆国政府は戦争に関与しないと国民に宣言しながらも、その実、反ナチスと参戦への世論を作り上げようとしていた。

そのプロパガンダ政策の一環として、アメリカ政府はハリウッドの映画界に対して、その方針に沿った作品作りへの協力を求めたのである。
1939年頃の作品は、真珠湾以降のあからさまな戦意高揚映画とは違い、密やかな世論誘導ではあったが、それは明らかに映画表現に影響を与えていると感じる。
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そのプロパガンダ政策を考慮すると、この映画は本来「反戦映画」として描きたかったのに、それを成し得ずメッセージが混乱してしまったのではないかと思える。

この映画を反戦映画だという証拠は、例えば同僚マックス・ステュフェルの存在が象徴的だ。
チップスは、旅行中に妻と出会うが、その出会いを見守ったのがマックスであり、彼が愛を見守り育んだのだ。

しかし、彼は原作には存在しない、映画のオリジナルキャラクターであり、しかもドイツ人なのである。
つまり当時のナチスドイツの脅威を目にしながらも、彼の姿を通じて、敵対ではなく愛を謳ったものだと考えたい。

それを裏付けるように、マックスがドイツ軍の兵士として第一次世界大戦の戦火の中戦死するとチップスは、校長として生徒の死と並んで敵国の兵士の死を悼むのである。
<マックスへの弔辞>

【意訳】チップス:ここにいる皆は、マックス・ステュフェルを覚えていないだろ。しかし、彼は1890年から1902年までブルックフィールド校のドイツ教科の教師だった。彼は人気者で、多くの友人がいた。私自身もその一人であったことを誇りに思う。この朝スイスから一通の手紙を受け取った。それは、私にサクソン連隊で彼が進軍中の10月18日に戦死したと伝えている。/生徒A:サクソン連隊?それは彼がドイツ軍として戦っていたという事か?/生徒B:たぶんね。

また、印象的なシーンとしては、軍関係者が視察に来たときのチップスの言葉が思い浮かぶ。
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生徒の視察に来た将軍が「明日の立派な将校ですな」と褒めると、チップスは「明日が決して来なければいい」と応えるのだ。

これらのエピソードから見れば、やはり、この映画の基本基調は「反戦」にあると感じる。
それは自らの教え子達の命を守りたいという、教師の至誠を表すものであり、更に教育の目的とは何かを問うものでもあったろう。

もし、そんな「反戦テーマ」を明確に打ち出していれば、この映画はもっと「教師ドラマ」「学園ドラマ」の作品として、より純度が高くなったと思える。

しかし、この映画は、反戦の色を持ちながらも、戦争を否定するメッセージを明確に表現していない。
例えば、学校の教師は全員兵として志願したが、検査に通らないなどの事情があって残っているとか、先に挙げたドイツ人教師がドイツ兵として戦死した行為や、卒業生たちが戦地に赴くことを容認している点に、戦争肯定の表現を見る。

それは、繰り返すようだが、アメリカ資本のハリウッド映画として、上で書いたプロパガンダ性を求められたためと想像する。
更には、英国で撮られた英国主体の映画であってみれば、すでにナチスドイツとの衝突は不可避と見られていた中で、平和を求める理想と、戦争を認めざるを得ない現実、その矛盾する主張を持たざるを得なくなってしまったのだろう。

いずれにしても本作品にとっては、相反するメッセージを内包することで、ドラマとして分裂した印象を生んでしまったことが惜しまれる・・・・・

戦争が、政治や経済活動のみならず、文化や人の意思にまで影響を与えるかという、実例としてこの混乱した作品はあるだろう。
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posted by ヒラヒ at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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