原題The Little Shop of Horrors 製作国 アメリカ 製作年 1960 上映時間 162分 監督 ロジャー・コーマン、チャールズ・B・グリフィス、メル・ウェルズ 脚本 チャールズ・B・グリフィス、ロジャー・コーマン |
評価:★★ 2.0点
この映画は、申し訳ないが、見るとがっかりするほど低レベルな作品だ。
しかし、この映画を生んだロージャー・コーマンという監督は、チープなゴミのような映画を垂れ流しながら、ハリウッドの生きる伝説となり、アメリカ映画人から多くの尊敬を受けるに至った。
実を言えば、そのコーマンが生み出した「キワモノ(EXPROTATION)映画」というジャンルが、映画、特にアメリカ映画の誕生と発展を生んだ力の、正当な後継者であると思えるのだ・・・・
<目次> |
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』簡単あらすじ |
その花屋は経営者マシュニク(メル・ウェルズ) と、その娘オードリー(ジャッキー・ジョセフ)、そして。もう一人気弱で風采の上がらない若者シーモア(ジョナサン・ヘイズ) が雇われていた。お得意の老婦人や、花を食べる変な男が訪れるが、シーモアは失敗ばかりで、マシュニクは首だと怒鳴りつけると、シーモアは店の客寄せにと、自ら育てた新種植物を持って来た。しかし、その植物は、人の言葉を話す、恐るべき食人植物だったのだ・・・・・
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』予告 |
映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』出演者 |
シーモア・クレルボーン(ジョナサン・ヘイズ) /オードリー・フルクアード(ジャッキー・ジョセフ) /グラヴィス・マシュニク(メル・ウェルズ) /バーソン・フォーチ(ディック・ミラー) /ウィニフレッド・クレルボーン(マートル・ヴェイル) /ウィルバー・フォース(ジャック・ニコルソン)
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映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』考察 |
しかし、この胡散(うさん)臭い 「サギ師=トリック・スター」が、なりふり構わず、映画を撮り続けた事で、アメリカ映画界は救われたのだ。
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個人的に彼を、映画史に残るいかなるビッグネームの監督よりも尊敬するのは、その作品の質ではなく、なんでもいいから人から金を吐き出させるために、誠実に努力している点にある。
彼が映画作りに優先したのは、彼の自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』というタイトルにも表れている通り、作品の質ではなく収益なのだ。
しかし、彼が作った「キワモノ映画」のビジネスモデルこそ、実は映画の原風景だった。
貴族階級にとっての娯楽が、至高の美と絶対的権威に向かって構築される「芸術」という姿を取るとすれば、庶民大衆の娯楽は下品な猥雑さと下世話な野次馬根性による「キワモノ」として現れる。
そして、貴族階級の存在しない、移民国家アメリカは民衆向けの娯楽として「ボードヴィルショー」や、それを撮影した数分程度の映画を上映する、エジソンが生んだ1888年のキネトスコープ(のぞき箱の中で数十秒の映像が流れる装置)の時代から、それは「キワモノ」的刺激を売りものにして始まったのである。
キネトスコープ(英: Kinetoscope)は、初期の映画鑑賞装置である。(中略)1888年にアメリカの発明家トーマス・エジソンが最初のアイデアを考案し、助手のウィリアム・K・L・ディクソンが中心になって開発した。(Wikipediaより)<キネトスコープ紹介動画>【大意】彼(エジソン)の貢献は素晴らしいカメラを作ったことだった。エジソンと緊密に働いていた助手のウィリアム・ディクソンは時にカメラマンも務め光学機器に大きな責任を持っていた。ディクソンは最初の映画を作り、その数を増やしていった。コレクションは短編で、それはコインを入れて一回見れるもので、人々はそれをキネトスコープと呼んだ。最初の映画娯楽装置は本物の珍奇な発明で、短いフィルムを何度も繰り返し見せた。キネトスコープは1894年船で各地を回り、すぐにマンハッタンでし常設の商業施設が開かれた。機会が設置されオープンすると、好奇心に駆られた人々は見物し、試すと圧倒された。人々は素晴らしく珍しい見世物に金を注いだ。
上の動画で分かるように、映画の最初期は動く写真自体が「不思議な見世物=キワモノ」だったということが分かる。
それは、リュミエールが映写機を使い、スクリーンに映画を上映するというスタイルになっても、「キワモノ」としての性格は変わらない。
例えば、最初期の上演作『ラシオタ駅への列車到着(Arrival of a Train at La Ciota)』を劇場で見た観客が、驚いて劇場から逃げ出したという伝説からも分かるように、当時の人々にとっては、動く写真とは現実と見分けのつかない「スペクタクル」性を持っていたのだと言えるだろう。
『ラシオタ駅への列車到着(Arrival of a Train at La Ciota)』
つまり、映画とは、その最初期から「動く写真という珍奇さ=キワモノ性」により人々の好奇心を掻き立て、その後も次々と技術革新を続け「キワモノ性」を維持することで、発展してきたのである。
動く写真が見慣れた、ありきたりなものに変化していった際に、ドラマを描くという新機軸を生み、「映像ドラマ」自体に人々が慣れたと見るや、サイレント(無声映画)からトーキー(発声映画)、スクリーンのワイド化(シネマスコープ)、フルカラー(総天然色)、立体映画(3D映画)など、常に技術革新による「新たな刺激=キワモノ性」を維持することで、収益を上げることに成功してきた。
それは、映画の表現デバイスの革新のみに留まらず、作品内容に関しても常に「刺激的=キワモノ性」を追求する点では変わらない。
どんな形にせよ刺激を、それが戦争であれ、SEXであれ、暴力であれ、殺人であれ、異常気象であれ、動物の襲撃であれ、異常者であれ、猟奇事件であれ、幽霊であれ、宇宙人であれ、人々の好奇心を煽るモチーフであれば何でもよい。
乱暴だと思うかもしれないが、上に挙げた刺激物を映画のジャンルとして当てはめてみれば、驚くほど多くの映画がそれら刺激物をベースに作られているかが 分かるはずだ。
再び言うが、映画の創成期から、映像的刺激物という「見世物=キワモノ性」こそ、映画が表現してきた本質なのである。
いやいや刺激物だけではあるまい、そこには人間の真実や、世界の本質を求める、崇高な理想がサイレント映画の時代であっても、表現されていたではないかと言う言葉が聞こえてきそうだ。
そんな批判に対しては、愛や、人間の情や、哲学的なテーマなどは、しょせん文学や舞台劇という旧メディアが映像的な自由を持ち得なかったがゆえに生み出した、静的なモチーフに過ぎないと反論したい。
ビジュアルメディアの本質、映像刺激だけだと低俗だ、子供だましだ、と世間が騒ぎ立てるから、そこに文学的な味わいを足して人々を欺いているのだと言わせてもらおう。
100歩譲れば、たしかに貴族文化が根付いた欧州や、王朝貴族文化、武家文化を持つ日本であれば、芸術を映画に移植する必然性もあるだろう。なぜなら、そこにはそれらの「階級文化=芸術性」を求める層が存在する(した)からである。
しかし、アメリカ人にとって映画とは明らかに「大衆文化=キワモノ」であり、そこに芸術性を加えようという試みは、大衆受けによる収益を目的とするとき、むしろ邪魔な夾雑物としかなるまい。
アメリカ映画界は、例えばアカデミー賞を主宰する映画芸術科学アカデミーが、映画産業における芸術と科学の発展を図るとその設立趣意を掲げていても、そのオスカーが近年までアメリカ映画にのみ与えられていたように、芸術性よりもまずアメリカ映画産業の商業的利益が最優先という意図が透けて見えてしまう。
それは、やはりアメリカ映画が「大衆芸術=キワモノ」として、大衆の好奇心を掻き立て見物料を吐き出させるという目的から発した、その原初の姿からの当然の帰結であったろう。
そういうアメリカ映画の本質から見れば、ロジャー・コーマンこそは映画を、その原初の映像刺激に回帰させ、人々が求めているのはしょせん刺激物だということを明らかにした「詐欺師=トリックスター」だったのである。
そして、私はそんな「大衆文化=キワモノ」を愛して止まない1大衆として、そんな映画を作り続けてくれた「詐欺師」達に心から感謝を捧げたい・・・・・
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映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』解説 |
しかし、この詐欺師は、「映画の本質=映像刺激絶対主義」を唱えた「カリスマ=教祖」でもあった。
それゆえ、彼の門下にフランシス・フォード・コッポラやマーティン・スコセッシ、ジョージ・ルーカスそして間接的ながらスティーヴン・スピルバーグなどを輩出し得たのである。
これらの作家を見てみれば、テーマ性や格調で上手くコーティングしているものの、そのモチーフはコーマン的映像刺激が、その核にあることが判る。
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それは、ハリウッド黄金期(1940)の世界を納得させる公序良俗に則った映画と比べ、驚くほど過激な刺激に満ちており、その刺激がなければハリウッドの復活はなかったのだ。
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そんな彼の「映画コンセプト=キワモノ映画ビジネスモデル」は、若者たちの支持を受け、確かな種火となり、ついにハリウッドメジャースタジオの資金という燃料を得て、一気に爆発したのだ。
間違いなくロジャーコーマンはハリウッド映画界の救世主だった。
それゆえ、彼を慕う映画人が、彼のために尽力しアカデミー名誉賞を贈ったのである。
そんな、ロジャーの偉大さを表している、アカデミー賞受賞を紹介している動画がある。
<オスカープロフィール:ロジャー・コーマン>【大意】司会:オスカーは秒読みですが、何十人もの監督を生み、100本以上の映画をプロデュースしたロジャーコーマンは有名ではなくとも、業界人は彼が多くの映画人をデビューさせその恩返しだ。『タイタニック』『デパーテッド』『ゴッドファーザー』『ビューティフルマインド』『羊たちの沈黙』『ビューティフルマインド』などのオスカー監督は、その映画の前に低予算で早く撮影する方法を学んだ。/マーティン・スコセッシ:私は24日間で映画を作る方法を学んだ。先生はロジャー・コーマンだった。/ロジャー・コーマン:私は若者がブレイクするのを楽しんでいた。/司会:新人俳優も同様だ。ロバート・デニーロ、シルベスター・スタローン、デニス・ホッパー、ウィリアム・シャウナー、23歳のジャック・ニコルソンは『リトル・ショップ・ホラーズ』に出演。/ロジャー・コーマン:それは3万トドルで2晩で作った/司会:1950年代100本の儲かる映画を作った。その題名は笑いを誘うが、記憶に残るものだ。/ロジャー・コーマン:私は低予算ばかりではなく中予算も作った。私は職人で可能な限り良いものを作りたい。
司会:皮肉な見方をすればB級映画の王で、低俗映画だ。/ロジャー・コーマン:あるフランスの新聞が私を「ポップシネマの教皇」と呼んだのは気に入った。/司会:その後生徒たちはトップに立ち、大作映画に彼を出演させた。『羊たちの沈黙』『フィラデルフィア』『アポロ13』『ゴッドファーザーPART2』『影なき狙撃者』、そしてアカデミー賞という褒美をもらった。/ジョナサン・デミ:どうかあなたのオスカーを受け取ってください。/司会:彼はアカデミー協会から第一回のアカデミー名誉賞を受け取った。/ロジャー・コーマン:成功するチャンスをつかめ。/ロン・ハワード:ロジャーは、他の誰もくれなかった、人生のチャンスをくれた。もし、私のための映画のような良い仕事(演技)を今後も続けるなら、もう二度と一緒に仕事する必要はない。(笑い)/司会:もしコーマンと共に働いていなくとも、その遺産を映画産業は感謝すべきだ。/ジョージ・ルーカス:もし22歳で映画監督のチャンスがあってお金がもらえるとしたら/トム・ハンクス:彼らは映画で何ができどう語るかの偉大なレッスンを受けたんだ。/司会:ロジャーは生徒からの栄誉を受け、もうすぐ87歳になるが、まだレッスンを続けている。/ロジャー・コーマン:今日行われている最高の映画は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気を持った独創的で革新的な映画製作者によって作られていると私は信じています。だから私はみなさんに言います:ギャンブルをしろ、チャンス掴み続けろと、ありがとうございます。/司会:彼は多分多くの金を使うなと言いたいに違いない。
2010年に開催されたアカデミー賞・名誉賞授賞式のスピーチ全文
第82回アカデミー賞・アカデミー名誉賞 |
【意訳】言うまでもなく、このオスカーを個人的に獲得できて嬉しいです。しかし、長年私の制作パートナーである妻のジュリーの代わりに、そしてまた、私のキャリアの大部分を費やしてきた、インディペンデント映画製作の現場で、働いてきた人達に代わって、受け入れたいと思います。
我々は皆、私が思う唯一の真の現代美術形態で働いています。他のすべての芸術は起源を古代に持っているため、したがって幾分か静的です。映画は、我々の時代の重要な特徴の1つである動きを内包し、現代的です。
別の理由もあります。その理由は、伝統的な芸術がしてきた事で、我々に言わせれば、作曲家、作家、詩人、画家、彼らが自分の芸術を個人的に製作した事です。映画は求めます、映画製作者は俳優とスタッフを必要とし、そして彼らは支払いを受けねばなりません。その結果、我々の芸術はやや妥協しています。私たちはアートとビジネスの間で妥協しており、それは私たちが住んでいる妥協した世界の何物かを表していると思います。
私は、この世界で成功するには、チャンスをつかむ必要があると思います。私の友人や仲間、そして私と一緒に始めた人々の多くが今夜ここにいます、そして彼らは皆成功しました。
彼らの何人かは人並外れた成功をしました。そして私は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気があったから、彼らが成功したと信じています。しかし、彼らはオッズが彼らにあるとを知っていたので賭けたのです。彼らは自分たちが作りたいものを作る能力があることを知っていたのです。
メジャースタジオや他の誰かが成功を繰り返したり、リメイクや特殊効果主導の大がかりな映画に莫大な金額を費やしたりするのは非常に簡単です。しかし、今日行われている最高の映画は、チャンスをつかんでギャンブルをする勇気を持った独創的で革新的な映画製作者によって作られていると私は信じています。だから私はみなさんに言います:ギャンブルをしろ、チャンス掴み続けろと、ありがとうございます。
しかし、私は彼を映画監督として、ロジャー・コーマンを評価する事がはばかられる。
なぜなら、彼が映画で表現したのは、実は『グレーテストショーマン』で描かれた、サーカスプロモーター、P・T・バーナムが、ひげ女や、犬男、三本足の男や、シャム双生児を使って儲けた手法と変わらない。
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私はコーマンを映画監督としてよりも、ショウビジネスの大プロモーターとして、その名を永遠に刻むべきなのだと思う。
ラベル:ロジャー・コーマン ジャック・ニコルソン
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