原題기생충 英伍題 PARASITE 製作国 韓国 製作年 2019 上映時間 132分 監督:ポン・ジュノ 脚本:ポン・ジュノ、ハン・ジンウォン |
評価:★★★★★ 5.0点
この映画は間違いなく映画史に残る一本となるだろう。
それは、アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた、初の非英語作品であることで確約されているが、その陰にはアカデミー賞を巡りアカデミー協会が変容を促される問題が生じていたのだ。
しかしアカデミー賞受賞に関わらず、それ以上にこの映画は、作品の質として2000年以降でベストに近い映画ではないかと感じている。
実を言えば、初見では、この映画はエンターテーメント性が強く、それが貧富格差のテーマを語るのに最も適した表現なのかと疑問があり、実は★4個とするつもりだった。
しかし、この映画の持つ「ハリウッド的エンターテーメント表現」に深い意味があると気付いた時に、この映画に満点以外をつけられなかった。
その点を以下で説明させて頂きたい・・・・・・・
<目次> |
映画『パラサイト 半地下の家族』あらすじ |
半地下の狭く薄汚れたアパートに住む、キム一家は父ギテク(ソン・ガンホ)長男ギウ(チェ・ウシク)/娘ギジョン(パク・ソダム)母チュンスク(チャン・ヘジン)の四人家族だった。父と母も失職し、子供達も浪人を重ね、極貧の生活を強いられていた。そんなある晩、ギウの友人、大学生ミニョク(パク・ソジュン)が幸運を呼ぶ山水景石という石と共に訪れ、英語の家庭教師のアルバイトの口をギテクに紹介したことから、運命は大きく動き出した。上流階級のパク家の女子高生ダヘ(チョン・ジソ)の英語教師を始めたギウは、パク夫人(チョ・ヨジョン)、パク氏の人の好いのに漬け込んで、妹ギジョンを一人息子ダソン(チョン・ヒョンジュン)の絵画教師として売り込んだ。更に奸計を練って、運転手として父を、家政婦として母を、お互いが家族であることを隠してパク家に入り込んだ。こうして4人が、見事に寄生することに成功した。
しかし、その家にはパク家も知らない、隠された秘密があったのだ・・・・・
映画『パラサイト 半地下の家族』予告 |
映画『パラサイト 半地下の家族』出演者 |
キム・ギテク(ソン・ガンホ)/キム・ギウ(チェ・ウシク)/キム・ギジョン(パク・ソダム)/チュンスク(チャン・ヘジン)/パク・ドンイク(イ・ソンギュン)/パク・ヨンギョ(チョ・ヨジョン)/パク・ダヘ(チョン・ジソ)/パク・ダソン(チョン・ヒョンジュン)/ムングァン(イ・ジョンウン)/オ・グンセ(パク・ミョンフン)/ミニョク(パク・ソジュン)
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映画『パラサイト 半地下の家族』感想オスカー取得の衝撃 |
これは、間違いなく世界映画史に刻まれる一大快挙なのだ。
オスカーをめぐる外国映画の壁がいかに高いかは、歴代の最優秀作品賞が100%英語作品である(フランス映画アーティストはサイレント映画)ことでも明らかだろう。
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それは第一回目のアカデミー賞以来、アメリカ人によるアメリカ人のための、ドメスティックな映画賞だった。
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そんな中で風穴を開けた『パラサイト』の快挙は、世界中の映画人を奮い立たせたに違いない。
そんなアカデミー賞獲得の裏には、アカデミー協会(映画芸術科学アカデミー:Academy of Motion Picture Arts and Sciences、AMPAS)自体の変容があった。
アカデミー協会の変容 |
2016年、アカデミーはマイノリティの映画関係者の業績を認めなかったとして批判の対象となった。2年連続で、主要な演技カテゴリーの20人の候補者全員が白人だったのだ。
スパイク・リー監督、俳優のウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミス、活動家の牧師などの著名なアフリカ系アメリカ人は、アカデミー協会とその賞がマイノリティーに対して差別的だとして2016年のオスカーのボイコットを呼びかける騒動となった。
当時アカデミ協会会長として初の黒人女性シェリル・ブーン・アイザックス(写真)が就任していたが、多様性を受け入れられるように会員の見直しを発表し、アカデミー協会の理事会は「歴史的な」変更を加えることに賛成した。アカデミーは、2020年までに女性とマイノリティのメンバーの数を2倍にするとアナウンスした。
2018年、アカデミーは過去に例のない928人の新規メンバーを招待した。これにより協会員の女性が占める割合は31%になり、38%が有色人種となった。その新規メンバーは、広く世界の映画関係者にも門戸を開いた。
『パラサイト 半地下の家族』の栄冠の要因に、アカデミー協会の変容があったのは間違いない。
しかし、その年の作品賞のどの作品に較べても、最も優れた作品だと衆目の認めるところだ。
アカデミー賞にとっても、アメリカ映画の産業振興を離れ、映画の最も権威ある賞を目指すならば、世界中の映画の秀作を選ぶべきであり、そのための第一歩として健全な兆しだと感じる。
この映画に関しての個人的な評価を言えば、2000年以降に発表された作品の中でも、古典として残されるべき映画の有力候補だと思う。
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映画『パラサイト 半地下の家族』解説ハリウッド的娯楽表現 |
どこも緩むところなく、常に観客の興味と注意を、スクリーンに向けさせ続けるテクニックは驚嘆すべきものだ。
この映画の持つ構成、パク家に取り入るまでのコンゲーム(詐欺)から、パク家の留守に入り込みその富を奪い合うクライムサスペンス、そして洪水のスペクタクルシーンを経て、華やかなパーティーの光と影は社会派ドラマを思わせる。
そんな展開を見て、観客の視点を変えつつ、ラストまで引っ張る構成を見て、ヒッチコック監督の『サイコ』を思い出した。
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ヒッチコック監督が、その著書『ヒッチコック映画術』で語った名言「スクリーンをエモーションで埋めつくすのだ」という言葉を、見事に体現した映画がこの『パラサイト』だろう。
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私見では、この映画の本質は「エンターテーメント作品としての高次元の完成度」にあり、テーマ性や、社会性は、エンターテーメント性を高めるための燃料に過ぎないとすら感じた。
個人的に、ヒッチコックと並んで、娯楽性が際立った作品として思い浮かんだのが、黒澤明の『七人の侍』だった。
その映画も、西部劇の娯楽性を志向して、芸術性を有してしまった作品だと、個人的には解釈している。
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この、ヒッチコック、黒澤明、そしてこの『パラサイト』を並べてみたとき、まずは娯楽性を追求するという点において、共通のテーストを感じる。
さらに言えば、この三者は、映画の語り口が「ハリウッド的映画様式」に拠っていると思える。
それは、テンポ感、状況説明の巧みさ、モンタージュ、編集、明確なキャラクター設定など、不明瞭さを嫌う、ある種の明快さを求める表現様式である。
そのハリウッド映画様式の成立は、かつて娯楽の王様としてハリウッド映画が君臨していた時代、世界中で、老若男女の区別なく、見れば伝わり明るく楽しいという作品を追求し続けた結果生まれた映像表現だったろう。
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それは映画文法として、映像と語られる内容の明確でシンプルな関係性が構築されているがゆえに、映画表現の汎用性を生み、ついには映像表現のスタンダードとして、ハリウッド映画様式はあらゆるジャンルを語れるメディアに成長し得たのだと考える。
たとえば、欧州の名匠ルキノ・ビスコンティ―の重厚で耽美な表現で、コメディー映画を語るのは困難だろう。
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たとえば、日本の小津安二郎監督の、あの独特の間で、過激なアクション映画を撮ることはできるだろうか?
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つまり、ハリウッド的映画様式は、その国民性を反映して、単純明快を好むのであり、シンプルであればこそ、あらゆるジャンルを客観的に描きえるのだと考えたりする。
このパラサイトの映像表現も、見事にそんな単純明快さを感じるのである。
そんな映画表現様式の共通性が、黒澤明がハリウッドの映画人に多大の影響を与えたように、この『パラサイト』をしてアメリカ国民に喜ばれ、浸透させる力となったのだと思える。
しかし、ポン・ジュノは、そんなハリウッド的表現の下に、しっかり韓国的な情念「恨(はん)」を埋め込んでいると信じている。
その点は下の考察「パラサイトの恨」で語ってみたい。
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映画『パラサイト 半地下の家族』考察パラサイトの「恨」 |
しかし、ポン・ジュノ監督の過去の作品群を見てみると、『殺人の追憶』『グエルム漢江の怪物』『母なる証明』など、どれもこの映画の持つ陽性なエンターティメント性を持ち合わせてはいない。
『母なる証明』予告
むしろ、庶民層の苦しみを、重く、厚く描くのが得意な作家だと思える。
つまり、この映画はポン・ジュノ監督の中でも特異な作品なのであり、実を言えばその娯楽性が、この作品の「貧富の格差」というテーマに相応しいのかと疑問を持ち、当初は低い評価をつけようと思っていた。
しかし、このハリウッド的エンターティメント性は、テーマを描くための戦略的な表現スタイルなのではないかと気付いた。
それは、この作品に登場するインディアンの存在が意味するものに、はたと気付いたからだ。
ハリウッド映画にとってのインディアンとは「西部劇」では、最大の「悪役」だった。
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しかしインディアンを悪者にした西部劇は、今では描かれない。
なぜなら、かつて「正義」だった白人開拓者は「西洋からの侵略者」であり、かつて「悪者」だったインディアンは「財産を強奪された哀れな被害者」だと、世界が知ってしまったからだ。
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この価値観の逆転は、明るく陽気な勧善懲悪の「西部劇」の表層の下、白人により殺され財産を奪われたインディアンの苦しみと屈辱がある事を意味している。
しかし、その「被害者の感情=ルサンチマン=恨」を無視していたからこそ、単純明快な娯楽作として成立し得たのである。
それはこの映画『パラサイト』の、パク家など上流階級の明るく単純な喜びの人生と等質の感性なのだと思う。
パク家の明解さは、白人西部開拓者の勝利の雄たけびと同様、敗者、弱者に対する憐憫や痛痒を感じない感性が生む、立ち居振舞いなのだと思える。
白人開拓者やパク家が、その光の中で生き続けられるのは、人知れず斃れたインディアンや、地下に住むキム家の怨念があるのである。
そして、再びパク家の息子ダソンに焦点を当てれば、彼は明るい陽光の中にいて、ある日その「インディアン=敗者」の怨念に直面してしまった。
それゆえ彼は、自らその怨念の一部を我が物として刻み、生きねばならなかったのである。
キム家の4人が同じ匂いを持っているとダソンが気が付いたのは、決して偶然ではない。
幸福とは他者の不幸によって成立していると知ってしまった者は、その不幸の匂いにもう無自覚ではいられないのだ。
一見この映画では、キム一家がパク家に「寄生=パラサイト」しているように見えるが、実はキム家が代表する下層階級の庶民は、インディアン同様、上流階級の餌食となって彼等を養っているのである。
つまりは、上位10%の富裕層が全体所得の45%を占めているという韓国社会にとって、上流階級こそ下層階級にとりついた「寄生虫(パラサイト)」なのである。
その社会的な不平等を解消すべき権力を持ち得ない庶民にとって見れば、その「恨み」の解消は二つの方法をとると映画内で語られている。
一つは己が弱者であるとの反省を伴って、富裕層へは「レスペクト」を持ち、同じ庶民に対し「恨み=敵意」を向けるという弱者間の共食いである。
そして、もう一つは富裕層に対し「恨み」を直接向ける方法であり、それは権力を持ち得ない者の反抗として「違法行為=テロリズム」の顔を見せるだろう。
そして、その貧富格差の増大と、そこに生じた歪みは、単に韓国だけの問題ではなく世界的な社会状況であり、その証拠に本作とオスカーを争ったハリウッド映画『ジョーカー』も全く同様のテーマを語ったのである。
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このように、この映画は、一見明るい娯楽作の表面下で、無自覚な幸福を支えるものが、不幸な人々の怨念であことを、ハリウッド的映画様式とインディアンという「恨みの構造」によって語っているのだと解釈したい。