2022年03月13日

古典映画『シェーン』は西部劇の新たな神話だった!/解説・考察・西部劇と神話・ネタバレなしあらすじ

原題 shane
製作国 アメリカ
製作年 1953年
上映時間118分
監督 ジョージ・スティーヴンス
脚本 A・B・ガスリー・Jr.
原作 ジャック・シェーファー


評価:★★★★   4.0点

この1953年のジョージ・スティーヴンス監督の作品は、西部劇の名作として古典的な一本となっている。

しかし、本作以前の西部劇が、アメリカ国民の建国の理想や勝利の凱歌、「英雄的建国神話」と呼ぶべきものだとすれば、この映画は明らかに違う性格を持っているように思う。

ここには毎違いなくアメリカ建国の、歴史的事績を描き、そこには「霊的=スピリチュアル」な崇高さを湛えて神話としての品格を感じさせるが、しかし同時に、このドラマは深い哀愁を帯びており、言うなれば「悲劇的建国神話」と言うべき作品だと思える・・・・
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<目次>
映画『シェーン』簡単あらすじ
映画『シェーン』予告・出演者
映画『シェーン』考察/反戦映画としての『シェーン』
映画『シェーン』解説/神話としての『シェーン』

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映画『シェーン』あらすじ

ロッキー山脈のふもとワイオンミング。少年ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、近づく馬上の見知らぬ男シェーン(アラン・ラッド)を見て、父ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)と母マリアン(ジーン・アーサー)の待つ家へと駆けこんだ。一家は開拓民として他の数家族と共に入植したのだが、この地に元からいた牧場主ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)とその手下に嫌がらせを受ける毎日だった。そんなスターレット家に身を寄せたシェーンも、ライカーとの闘いに巻き込まれ、ついに大乱闘を繰り広げた。決着を 着けるためライカーは殺人も厭わないと、ガンマン(拳銃使い=殺し屋)として名高い、早打ちウィルソン(ジャック・パランス)を呼び寄せた・・・・・
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映画『シェーン』予告

映画『シェーン』出演者

シェーン(アラン・ラッド)/マリアン・スターレット(ジーン・アーサー)/ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)/ジョーイ・スターレット(ブランドン・デ・ワイルド)/ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)/ジャック・ウィルスン(ジャック・パランス)/クリス・キャロウェイ(ベン・ジョンソン)/フレッド・ルイス(エドガー・ブキャナン)/フランク・“ストーンウォール”・トーリー(エリシャ・クック・Jr)/アクセル・“スウェード”・シップステッド(ダグラス・スペンサー)/モーガン・ライカー(ジョン・ディークス)/サム・グラフトン(ポール・マクヴィ)/リズ・トーリー(エレン・コービー)

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映画『シェーン』考察

反戦映画としての『シェーン』

映画の歴史と共に、西部劇の歴史も始まる。
その作品は西部開拓の歴史の、業績を称え、その勝利を謳歌する、肯定的な作品群「英雄的アメリカ建国神話」だったと言える。

それは時代の変遷と共に、単純に勝利を祝う映画から、インディアンとの関係もあり、ある種の苦味を帯びた色調を帯びる。
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しかし、この『シェーン』は、「英雄的アメリカ建国神話」でも、そんな懺悔を語った映画というより、西部開拓の中で歴史の陰で葬られて行った者達への哀感を湛えた作品だと感じる。

その理由として、一つには監督ジョージ・スティーヴンスの従軍経験が、命の明滅を含むこの映画を、軽々しく描くことを許さなかったという点を挙げた。
そして、もう一つ、このシェーンの背景にある、歴史的事実が持つ、悲劇的現実の重みがこの映画に影を落としているのではないかと思える。
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ここで語られているのは、現実の戦いが生じ、否応なく闘争に至ってしまう、人間の業が持つ悲劇性なのだと思える。

監督ジョージ・スティーヴンスの第二次世界大戦の体験は、現実の対立がどんな悲劇を生むかを知った者として、勝者と敗者の双方に対する憐憫と同情が、ある種の悲しみとなってこの映画に表れているように見える。

その感慨が『シェーン』の印象を、今は歴史の中に消えていった、戦いで喪われた魂に対する鎮魂歌のように見せているのだろう。

その意味では、この映画は間違いなく「反戦」の顔を持っていると思える。

もちろん本作は、例えば後年ダニエル・トランボによって描かれた『ジョニーは戦場に行った』のような、徹底的な反戦映画ではない。
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ジョージ・スティーヴンスは戦争を「必要悪」として捕え、その結果平和が生まれると描いているように見えるが、当時の共通認識としてファシズムを打倒するには戦火が必要だったという思いがあったに違いない。

しかし、歴史的事実の持つ、その悲劇性を語るだけであれば、それは叙述物語に過ぎないが、この映画には冒頭で語ったように「霊的なもの=神聖なもの」を感じるのである。

その点について、以下に考察してみたい。
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映画『シェーン』解説

『シェーン』の神話性

この映画『シェーン』は、ホームステッド法による新旧勢力の対立を描いた、歴史的事実に基づいた作品だ。

そんな歴史的な背景を追ってみれば、一概にホームステッド法の入植者がそのまま正義とも言い難い。

現実世界においては、誰かの利益は他社の不利益となる実体が、普遍的に存在しているのであり、それらの利害対立において一方が100%悪いというのは、むしろ稀な例なのである。
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そう考えれば絶対悪、絶対正義の存在自身が、ファンタジーに近いと言えるだろう。
逆に言えば、利害対立を抱える者にとって、自らの正義が100%であるという答えを、それが現実的に得られないがゆえに、鬱屈が深くなればなるほど、強く求めざるを得ない。

そんな曖昧な不明瞭な現実の鬱憤を解消してくれるのが、絶対正義を体現する神が、絶対悪を懲らしめる「神話」なのである。

その神話が神話たりうる由縁は、「神」がその圧倒的な力を行使し、その敵対者を完膚なきまでに退治するからなのである。

そういう意味でこの映画『シェーン』は、本来善悪が曖昧な両者にあって、一方の側に立ち、その対立者を絶対悪と断定し、シェーンが「正義の鉄槌」を下す、神話的な力を顕在化したドラマと見たい。

ここにあるのは、一方の当事者にとって、現実では得られない100%の正当性を、神の化身シェーンが証明した結果であり、それは自らが善であるという事の明白な証左として語り継がれるべき物語であったろう。

考えて見れば、現実の複雑さを整理し、また直視できない苦しみを変換し、受け入れやすい物語に昇華するのは、人類共通の心理的作用なのだと思える。
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それゆえ、神話の絶対正義はしばしば、民族の正当性を証明するために、強く保持継承されるのである。

シェーンは、アメリカ西部が開拓されていく過程で、古い牧場主という開拓の妨げになる勢力を駆逐し、ホームステッド法による機会の均等を基礎とした、民主的な開拓の道を開いたという点でアメリカ建国の歴史上一つの過渡期を、シェーンという神話的人物に仮託し描いた物語なのだ。

更に、シェーンの神話的性格は、彼が流れ者である点でも強調されている。
神話の一典型として、そのコミュニティー外より到来した人物が、神であったという物語がある。

それは、日本の民俗学では「まれびと」と呼ばれ、北欧では「崇高なる来訪者」と呼ばれる「神話類型」なのであろ。
まれびと、マレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する折口学の用語。 折口信夫の思想体系を考える上でもっとも重要な鍵概念の一つであり、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして民俗学上重視される。 まろうどとも。(wikipediaより)

この『シェーン』は西部劇の流れ者を「まれびと=崇高なる来訪者」として描き、西部劇の「流れ者=ストレンジャー」を完璧な神話様式へと昇華しており、その様式はクリント・イーストウッドの西部劇に顕著に現れる。

この『シェーン』における主人公が流れ者、定着せずその地を去らねば成らない事が、従来の西部劇にない悲劇性を生んでいると感じる。

このシェーンはその神の力に苦しみ、どこか暗く、内省的で、自らを消え去る運命にあることを悟っている者として描写されていると思える。

このことが意味するのは、シェーンが「ガンマン=戦士」であり、それは西部開拓の中で消えていく暴力の化身であることを意味していただろう。

そして、この消え去る英雄の「悲劇的神話物語」は、そのまま西部を生き散っていった数多くの命の象徴であり、その時代に対する大いなる挽歌として描かれているのである。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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