2023年01月09日

映画『シェーン』 1953年西部劇の古典は実話だった!/感想・解説・考察・スティーヴンス監督と西部の歴史的事件

映画『シェーン』解説・考察  編

原題 shane
製作国 アメリカ
製作年 1953年
上映時間118分
監督 ジョージ・スティーヴンス
脚本 A・B・ガスリー・Jr.
原作 ジャック・シェーファー


評価:★★★★   4.0点

この1953年のジョージ・スティーヴンス監督の作品は、西部劇の名作として古典的な一本となっている。

しかしこの映画は、それまでの西部劇とは「表現スタイル」の変化が感じられてならない。

それまでの西部劇が、アメリカ国民の建国の理想や勝利の凱歌を謳う「陽性な西部劇」だとすれば、この映画は戦いの場における悲劇性を訴える、「陰性な西部劇」であるように感じる・・・・

その理由は、この『シェーン』が「史実=実話」を題材にしている点と、監督ジョージ・スティーヴンスの個人的体験が、その表現に影響を及ぼしていると思えてならない。
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<目次>
映画『シェーン』簡単あらすじ
映画『シェーン』予告・出演者
映画『シェーン』感想
映画『シェーン』解説/ジョージ・スティーヴンスの実体験
映画『シェーン』解説/歴史的事実とシェーン
映画『シェーン』解説/実話ジョンソン郡戦争

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映画『シェーン』あらすじ

ロッキー山脈のふもとワイオンミング。少年ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、近づく馬上の見知らぬ男シェーン(アラン・ラッド)を見て、父ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)と母マリアン(ジーン・アーサー)の待つ家へと駆けこんだ。一家は開拓民として他の数家族と共に入植したのだが、この地に元からいた牧場主ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)とその手下に嫌がらせを受ける毎日だった。そんなスターレット家に身を寄せたシェーンも、ライカーとの闘いに巻き込まれ、ついに大乱闘を繰り広げた。決着を 着けるためライカーは殺人も厭わないと、ガンマン(拳銃使い=殺し屋)として名高い、早打ちウィルソン(ジャック・パランス)を呼び寄せた・・・・・
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映画『シェーン』予告

映画『シェーン』出演者

シェーン(アラン・ラッド)/マリアン・スターレット(ジーン・アーサー)/ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)/ジョーイ・スターレット(ブランドン・デ・ワイルド)/ルーフ・ライカー(エミール・メイヤー)/ジャック・ウィルスン(ジャック・パランス)/クリス・キャロウェイ(ベン・ジョンソン)/フレッド・ルイス(エドガー・ブキャナン)/フランク・“ストーンウォール”・トーリー(エリシャ・クック・Jr)/アクセル・“スウェード”・シップステッド(ダグラス・スペンサー)/モーガン・ライカー(ジョン・ディークス)/サム・グラフトン(ポール・マクヴィ)/リズ・トーリー(エレン・コービー)

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映画『シェーン』感想


映画の歴史と共に、西部劇の歴史も始まる。
その作品は西部開拓の歴史の、業績を称え、その勝利を謳歌する、開拓者を英雄として捕えた肯定的な作品群だったと言える。

しかし、この 映画は、そんな従来の西部劇が、大衆小説のような娯楽性を強く感じるのに較べ、純文学のような高貴な香りを感じた。

それは、主人公の静謐な美しい佇まいと、極力抑えたしかし激しく強い活劇シーンの表現との対比が、強い印象を生んだことから生まれたと思える。

この映画の静と動のダイナミズムは、静かな日常と、その破綻としての暴力の酷さをリアルに感じさせる。

そこにあるのは、従来の西部劇にある勝利の喜びではなく、むしろ闘争にある悲劇性であり、勝者と敗者の双方に対して憐憫と同情すら見せる。

そんな戦いの場で必然的に生まれる、「死=生命の喪失」に対する深い悼みが、この映画の根底にあり「品格」に通じていると思う。

その語り口は『ゴッドファーザー』の描く、一種の重厚さと、悲哀を帯びた鑑賞感と同様の情感を覚えた。

その映画『ゴッドファーザー』も「ギャング映画=マフィア映画」の伝統であった、娯楽的な演出とは一線を画す、文学的なギャング映画だった。
イタリア映画:1282年
映画『ゴッドファーザー』
イタリア・マフィアの闘いを描く古典的傑作!
イタリア系移民の苦闘と家長の行方とは?
その作品を生む背後にあったのは、イタリア系のコッポラ監督による「イタリア移民」の歴史に対する、深い尊敬の念を反映したものだと、個人的には想像している。

この映画『シェーン』も西部の歴史の中で明滅し、現代アメリカの礎を築いた無名の人々に対して、深い尊敬と静かな悼みを含んだ作品に感じた。

特にこの映画の最後、少年ジョーイの姿は、後年の映画アウシュビッツの隠れた史実を描いた『サウルの息子』のラストと通じる余韻を覚えた。
ハンガリー映画:2015年
『サウルの息子』
アウシュビッツの知られざる真実!!
ユダヤ人虐殺を担ったユダヤ人「ゾンダーコマンド」とは?

つまり、『ゴッドファーザー』『サウルの息子』『シェーン』に共通するのは、刻まれた歴史に対する敬意と、そこを生きた人々に対する哀悼の想いが、重厚さと時代を超えた芸術性を生んだのだと思える。

この映画『シェーン』が、西部を生きた人々に対し、そんな畏敬を含んだ表現となった根源を、スタージェス監督の経験と、題材となった史実から考察してみたい・・・・・
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映画『シェーン』解説

ジョージ・スティーヴンスの実体験
この映画の銃激戦の迫力は、従来の西部劇から隔絶した迫力を見せている。

それは、1954年当時のアメリカに、第二次世界大戦や朝鮮戦争に従軍した兵士達がたくさんおり、実際に人が撃たれた時どうなるかの現実を、多くの人々が知っていたという事実がある。

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それを踏まえ、従来の撃たれて呻き、その場に倒れるという、従来の西部劇の表現では説得力が無いと考えた、スティーヴンス監督(写真)の演出によるものだった。

その銃撃シーンのリアリティー表現は、スタージェス監督の実体験が色濃く反映されていると想像する。
彼はアメリカ政府の要請により、第二次世界大戦の欧州戦線に従軍しているのである。

挙国戦時体制の戦時下アメリカでは、戦争の記録映画撮影に当時のハリウッドからジョン・フォードやウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストン、フランク・キャプラなど、大物監督が戦地に赴いている。

その詳細はNetflixの歴史ドキュメンタリーとして、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮で『伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦−原題(FIVE CAME BACK)』と題され作品化されている。
<伝説の映画監督 −ハリウッドと第二次世界大戦>

そんなジョージ・スティーヴンスは、アメリカ軍の進軍と共にイタリア、ノルマンディー、ベルリンと転戦し、アウシュビッツの現実までカメラに収めた人物なのだ。
彼は第二次世界大戦で連合軍に加わるように促された。彼は米陸軍通信部隊に加わり、 1943年から1946年までドワイト・D・アイゼンハワー将軍下で映画部隊を率いた。彼の隊の撮影映像は、ヨーロッパで唯一の戦争のカラーフィルム(数十年にわたってアーカイブされている)を含み、ノルマンディー上陸作戦(D-Day)を記録している。 パリの解放、 エルベ川でのアメリカ軍とソビエト軍の会合、および連合国によるデュベン労働収容所とダッハウ強制収容所の両方の発見。スティーブンスは、ニュルンベルク裁判での提示用に、デュベンとダッハウの映像やその他の資料の準備を手助けした。(英語版Wikipedia)


スタージェス監督は欧州戦線で人の死を数多く目の当たりにして、「戦争=人々の争い」の無残な現実をその胸に刻み込んだに違いない。

そう考えれば、この映画のシェーンが決闘を終え、最後に少年ジョーイに告げる言葉は重要だ。
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シェーン:一度人を殺してしまえば、後戻りは出来ない。人殺しの烙印が人生に付いて回る。もう戻れない。家に戻ってママに伝えろ”もう大丈夫、銃は消えた”と


やはり、この映画は第二次世界大戦を通じてスティーヴンス監督の体験から生まれた、生命が失われることの痛みと、それを戦った兵士の苦しみと、さらにはその後の平和を生きることの困難も語られていると見るべきだろう。

スタージェス監督の経験が、たとえ娯楽西部劇の中であっても、人命が喪われる場面を決して軽々しく描くことを許さなかったと感じる。

生命の尊厳に対する敬虔さが、この作品の「死生観」に反映され、物語に「品格」が付与されたように感じた。

それは、西部劇の「歴史叙述」が、ただ勝利の歓喜だけではなく、生死の明滅を含んだ悲劇として語り得ると証明した点で、「西部劇」を深化させることにつながったのである。

更に言えば、戦争の場を生きたスタージェス監督の、死生観が作品に色濃く反映されているとすれば、「戦争」という悲劇がどれほど表現者の繊細な心に影響を与えるかの、明らかな証左であるだろう。

それは敗戦国の日本の作家においても、深い影響を刻んでいる・・・・・・
日本マンガ: 1952年4月〜1968年
『鉄腕アトム』
手塚治虫が描く日本マンガの金字塔!
鉄腕アトムが戦うことに秘められた日本マンガのオリジンとは?


日本映画:1977年
『幸福の黄色いハンカチ』
この映画が表した戦後日本の原罪と赦し
監督山田洋次、主演高倉健、共演武田鉄也、桃井かおりの大ヒット映画

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映画『シェーン』解説

『シェーン』の歴史的史実

この映画の時代背景を調べると、実はこの映画にはドラマの基になった史実があった。

その点から見れば、この映画は「実話」だと言える。

この映画の時代は、エイブラハム・リンカーン大統領が進めたホームステッド法という、西部への入植を促す政策が推進された時期だった。
ホームステッド法(英: Homestead Act)は、アメリカ合衆国で1862年に制定された法律であり、アメリカ西部の未開発の土地、1 区画 160 エーカー(約 65 ヘクタール)を無償で払い下げるものであり、自営農地法とも呼ばれる。この法律は1862年5月20日にエイブラハム・リンカーンが署名して発効した。(wikipediaより)

最終的に1862年から1986年の間に160万件の土地払い下げが認められ、その面積は2億7,000万エーカー(108万平方キロメートル)で、アメリカの国土の10%に達したとされる。

シェーンが寄宿したスターレット一家や、その仲間はこのホームステッド法により移植してきた酪農農家だったのである。

そのホームステッド法によって、それまでの既得権益を失ったのが、スターレット一家と対立しているライカ―牧場のライカ―などの牧場主だった。

南北戦争が終わると、ミシシッピ川以西の開発が始まり、ロッキー山脈やカリフォルニア州などの鉱山開発を皮切りに、続いてグレートプレーンズ以西の公有地を自由に活用したライカ―のような牛の放牧をする放牧業者が続いた。

しかし1870年代以降ホームステッド法の入植者が、鉄条網により放牧地を区切り耕地や家畜を囲い込んだ事によって、ライカ―達の放牧はそれまでの広大な公共放牧地を失うことになる。

その事実を前に、先住牧場主はホームステッド法入植者を「養豚業者」、「ソッドバスターズ(根堀百姓)」、「スクワット(無断占拠者)」、などと呼んで侮辱し、脅迫や、暴力を用いて用いて新参者を排斥しようとした。

そんな牧場主の圧力によって、ホームステッド法の入植者は彼らの財産である家と土地を離れるか、それを維持するかについて入植者家族の間でも意見が分かれたという。

いずれにしても、この対立の背景にはアメリカ政府の政策が、現実の利害状況を踏まえていないが故の、混乱状況が生じていたのであり、一方的に片方を断罪することはできない。

それは、現実世界の事件や揉め事は、双方の主張が入り乱れ、簡単に裁定できないという事実を、多くの裁判事例が証明している。
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結局、現実の揉め事が最も激烈になるのは、双方が自分が正しいとして、一歩も引かない時なのであり、その最たる紛争が戦争というものだったのだ。

このシェーンは、そんなホームステッド法の混乱により生じた典型的な事件、ワイオミング州の「ジョンソン郡戦争」をそのモチーフとしている。

以下にその詳細をまとめた。
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ジョンソン郡戦争

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ジョンソン郡戦争は、パウダーリバー戦争およびワイオミング放牧地紛争としても知られ、1889年から1893年にかけてワイオミング州ジョンソン郡で起こった、家畜用の放牧地 (range) を巡る衝突である。この衝突は、畜産会社が、この地域で土地や家畜、水の権利において競合相手となっていた入植者たちを牛泥棒 (rustler) 扱いして容赦のない迫害を始めたことに端を発する。州内では大規模かつ権力を固めた牧場経営者らと小規模な入植者との間での暴力事件が拡大していき、経営者らが郡に侵略するためにガンマン達を雇ったことで、事件はパウダーリバーカントリーで最悪の事態に達した。ガンマン達による縄張りへの最初の侵略は小規模な農民と牧場主、そして州の保安官らを激昂させ、彼らは200人からなる民警団を結成し、激しい膠着状態へと陥った。ベンジャミン・ハリソン大統領の命令によってアメリカ騎兵隊が調停に入ることで紛争は終了したが、戦闘はその後も数か月間続いた。(Wikipediaより)
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当時の西部は、野良牛が成育しており、それらの牛は自らのテリトリーに入ってくれば、焼印を押し(ブランディング)自らの所有とする事ができた。

先住の牧場主の牛とは、基本的にその野良牛の所有を宣言した結果であり、当時の慣例では共有地の野良牛は年に一度、その地の権利者の間で分配されていた。

しかし両者の関係は、-40℃の酷寒と吹雪に襲われた厳しい冬と、暑くて乾燥した夏が続く悪天候より何千頭もの牛が失われると悪化していく。大牧場の所有者達は、入植者を土地から追い出し、その家財に放火した。

そして彼ら入植者を牛の年次分配から排除した。
有力牧場主は、WSGA(ワイオミングストックグローワーズアソシエーション)として組織され、州政府にも隠然とした勢力を誇り、その政治力を活用し、公有地や野良牛の所有を正当化する、マーベリック法をワイオミング州議会で可決したことで、入植者との関係は対決不可避となった。

それら権益の独占化により、牛を獲得するため牛泥棒や強奪など、違法な手段をとる無法者が出没するようになると、WSGAは自警団を組織し取り締まるようになる。

エレン・ワトソン.jpgそんな中、ホーム・ステッドによる女牧場主エラ・ワトソン(写真)が牛を盗んだと容疑をかけられ、WSGA自警団のジョージ・ヘンダーソンという男によって、縛り首となって木から吊るされた。

これは女性がリンチされるという、西部開拓時代でもまれな事件の1つで、戦争に至る道への一里塚だった。
自警団のジョージ・ヘンダーソンは直後に何者かに襲われ命を落とした。

これを受けて、WSGDはさらにリンチで、入植者達とその関係者の数人を殺害したが、その犯人はWSGDの政治力によって釈放された。

ネイトチャンピオン.jpg入植者側もWSGDに対抗し、ネイト・チャンピオン(写真)という小牧場主が主導して、入植者グループをNWFSGA(北ワイオミング農民および畜産農家協会)として組織し、野良牛の年次総括(ラウンドアップ)に参加を要求した。

この年次総括参加がWSGDによって拒否されると、ネイト・チャンピオンは独自の年次総括を実施すると宣言した。

WSGDの大牧場主達は、1891年11月1日暗殺部隊をネイトチャンピオンの家に派遣した。チャンピオンは侵入者に気付き、銃撃戦によって2人のガンマンを撃ち撃退した。

これを皮切りに、大牧場主と入植者の暴力の応酬は新聞に報じられるまでになり、WSGAのリーダーだったフランク・ウォルコットはNWFSGAを解散させる目的でガンマンを多数雇い入れ襲撃団(写真)を組織した。
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対立はワイオミング州全体を巻き込み、州内の有力者はそれぞれの陣営に二分された。
WSGAは襲撃団を50人集め、その指揮をフランクM.カントン執らせ、WSGAの最初のターゲットをネイト・チャンピオンに定め、彼がいたKC牧場を1892年4月8日襲撃した。
KC牧場にはチャンピオンの他3人の男がいたが、チャンピオンを除く3人は殺害され、チャンピオンは丸太小屋で一人包囲された。
チャンピオンは自警団の3人を負傷させ、他の4人を殺害する反撃を見せ数時間持ちこたえたが、丸太小屋に火を放たれ、裏口から脱出を計ったものの、襲撃団は彼を射殺した。
チャンピオンの死体には、襲撃団によって「CattleThievesBeware(牛泥棒注意)」と書かれた紙を貼り付けられた。


チャンピオンの死を知った仲間の入植者と、それを支持する保安官アンガスが200人の民警団を編成し、襲撃団の逮捕へと向かった。
TARaunch.jpg襲撃団はチャンピオン殺害後も、入植者の襲撃をし続けていたが、民警団の追跡を知りTA牧場(写真:包囲の図解)に避難した。
それを包囲したアンガスと民警団は、襲撃団と3日間に渡り睨み合い、その間銃撃の応酬があり襲撃団は窮地に落ち入った。


この西部の事件は、東海岸のニューヨークタイムズ紙が詳報するほど、当時のアメリカ社会の注目を集めた。

大規模牧場主の陣営だったワイオミング州知事エイモス・W・バーバーは、襲撃団を救うために当時のベンジャミン・ハリソン大統領に電報で助けを求めた。

Benjamin_Harrison.jpgハリソン大統領(写真)は大統領令を発し、第6騎兵隊によってWSGAの襲撃団の拘留を命じた。
第6騎兵隊はTA牧場に到着すると、アンガス保安官と交渉し包囲を解く代わりに、逮捕後の襲撃団を民警団当局に引き渡すことで決着し、それ以上の戦闘を阻止したが、実際に引き渡されることはなかった。

襲撃団を調べた司法は、WSGAの計画を暴き、襲撃団によって撃たれたり絞首刑にされた70人の殺害者のリスト、侵入者が燃やした家のリスト、その報酬として1日5ドルと、殺害1人につき50ドルのボーナスを支払う契約があったとして、WSGAの関与が明らかになった。
しかし、大牧場主の起訴は成されず、襲撃団の刑事罰もうやむやとなった。


事件後、大牧場主を、放牧地と水利権に対する権利を守るため、暴力も辞さず正義を求めた英雄と見なすなど、双方の行動はその支持者によって、ホラ話を含め正当化するための多くの説が流布されたという。
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posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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