映画『オール・ザ・キングスメン』感想・解説 編
原題 All The King's Men 製作国 アメリカ 製作年 1949年 上映時間 110分 監督 ロバート・ロッセン 脚本 ロバート・ロッセン 原作 ロバート・ペン・ウォーレン 製作 ロバート・ロッセン |
本作は第22回アカデミー賞で、主要3部門を獲得した作品です。
そんなこの映画は、アメリカ民主主義のもつ危険性を描いた、最初期のハリウッド映画だと思います。
同時にこの映画の主人公は、アメリカ合衆国の物語原型としてある、アメリカの「成功と没落」を表して力があると感じました。

<目次> |

映画『オール・ザ・キングスメン』あらすじ |
新聞記者ジャック・バードン(ジョン・アイアランド)は、ウイリー・スターク(ブロデリック・クロフォード)が郡の選挙に立候補した時取材をし、知りあった。元学校教師の妻ルーシー(アン・シーモア)と、一人息子のトム(ジョン・デレク)がおり、家族総出でウィリーの選挙を応援していた。ジャックもウィリーの正義感に満ちた主張と活動に心動かされた。しかし、政党の黒幕たちはそんなウィリーの邪魔をし、ウィリーはその選挙に敗れる。しかしウィリーは、夜毎に法律を勉強し弁護士となると、積極的に弱者の味方をし州政府と裁判を闘った。その活動は庶民の心を掴み、その姿を見た州の権力者達は、州知事選挙として、彼を引っ張り出した。最初は喜んだウィリーだったが自分が捨て駒だと知ると、開き直って自らの主張を繰り広げた。そのそばには秘書サディ・バーグ(マーセデス・マッケンブリッジ)とジャックがいた。わずかの差で敗れたウィリーは、4年後再び州知事選へと立候補し、その選挙活動にジャックも参加するよう求められた。ウィリーに雇われたジャックは、知事となったウィリーの傍らで、清廉潔白だったウィリーの変貌を目の当たりにする。そしてウィリーの息子トムのだった―


映画『オール・ザ・キングスメン』予告 |
映画『オール・ザ・キングスメン』出演者 |
ジャック・バードン (ジョン・アイアランド)/ウイリー・スターク(ブロデリック・クロフォード)/妻ルーシー・スターク (アン・シーモア)/息子トム・スターク(ジョン・デレク)/秘書サディ・バーグ(マーセデス・マッケンブリッジ)/モンテ・スタントン判事(レイモンドグリーンリーフ)/アン・スタントン(ジョアン・ドルー)/アダム・スタントン(シェパード・ストラドウィック)/ダッフィー(ラルフ・ダムキー)/シュガーボーイ(ウォルターバーク)/ピルズベリー(ウィル・ライト)/フロイド・マカボー(グランドン・ローズ)

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映画『オール・ザ・キングスメン』感想 |
この大統領を目指し、手段を選ばず突き進んだ男スターク。

しかし個人的な印象を言えば、この映画を最後まで見てさえ、この主人公は他者に対する愛を決して失っていないと感じる。
たとえば、スタークは孤児となった息子トムを引き取り、間違いなく実子同様に愛していた。
ストーリーで語られる、息子のために事故の被害者の父を殺害したのは、自らの保身のためという見方もあるだろうが、それ以上に息子の将来を案じ、その汚点を消してやりたいという親の愛を感じるのである。
なぜなら、息子の起こした不始末は、息子に償わせることこそ、知事という法の執行者たる地位に相応しい。なんなら、養子である事すら弁明として使い得るのだから、保身第一であれば息子を切って捨てるのが最善なのである。
つまり、スタークの心の内には愛の灯があったのだ。
しかし、その愛は家族に伝わらず、彼が信じ友と信頼していたジャックにも伝わらなかった。
それは、彼が悪から善が生まれると語ったように、「愛=善」を「悪=憎悪」から生んでしまったからだと思えてならない。
彼の「愛」、弱者を助け、家族を守るという、その意思は揺るぎないもののように見える。しかし、徒手空拳の彼がその「想い」を達成するためには、民衆の支持が必要で、民衆の支持を得るためには、集票活動のための資金が必要なのである。
そして、知事に当選し、弱者のために権力を行使するには、利権に絡む政治勢力と折り合いを付けねばならず、必然的に金銭と強権的権力行使が必要とされたのだ。
例えば、彼が名門の家に生まれ、その家柄で人々から信頼を勝ち得ていたとしたら、その「愛」の表現は変わったかもしれない。
例えば、彼が資産家で、私財をつぎ込み政治活動が出来たのであれば、その「愛」はスマートで洗練された姿を見せたかもしれない。
しかし彼は、作中で名門一族のスタントン家との対比で明確に描き出されるように、貧しい農家の子せがれだった。
それゆえ、彼の愛は「利益の供与=アメ」と「強権的支配=ムチ」の姿を取らざるを得なかった。
それは、持たざる者が必死に努力して手にした成功には、無理を重ねた澱が蓄積せざるを得ないという哀しい事実を見る思いがいする。
そして、その持たざる者の悲哀とは、アメリカ合衆国の典型的な物語原型であると感じ、その点を下で語ってみようと思う。

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映画『オール・ザ・キングスメン』解説アメリカ合衆国の物語原型 |
この映画は、一見すると政治権力に憑かれた男の悲劇の物語だと見える。
しかし、その姿を念入りに追って行くと、彼が求めたのは権力ではなく「愛」だったのだと、上の感想で書いたように見えた。

つまり、彼は「愛=幸福」を「権力」によって購おうとし、その権力を手にするという成功を納めたがゆえに、「愛」を失ってしまったのだ。
その人生の起伏は実にアメリカ的な「成功と破滅」のドラマツルギーに則ったもののように感じる。
この成功を夢見て必死に努力し、栄光を勝ち得たにもかかわらず、不幸になっていく男の人生は、繰り返し、繰り返し、アメリカの小説や映画として語られて来た。
その典型的的な例が、アメリカ小説の古典として読み継がれて来たスコット・F・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』である。
その作品は二度映画化され、その時代のアメリカを代表する俳優が、 ギャツビーを演じている。
その物語原型「成功と破滅」は、アメリカ合衆国という国家が、宗教的な迫害から故国を追われた者もいたにせよ、多くは生まれた国で困窮し一縷(いちる)の希望を持ってアメリカに移民した者達で形成された事による必然的な帰結を語ったものだ。
つまり、無一文でアメリカに上陸し、先住民を追い出し自らの富を奪い取らねば生きられない移民者達にとっては、成功とはそのまま罪悪の蓄積を意味するものなのである。
成功すればするほど自らの罪に苦しむか、もしくは罪を無視して非人間的な怪物へと、成功者を変貌させることとなり、ついにはその罪ゆえに破滅して行かざるを得ない・・・・・・・
アメリカの成功者が、どこか歪でスキャンダルに 塗(まみ)れているのも、そんな歴史的なバックボーンから無縁ではないのではと考えたりする。
この映画『オール・ザ・キングスメン』も、そんなアメリカ的原型に見事に則っていると思える。
そんなアメリカ的な「成功と破滅の物語」は、人種が変わり、時代が変わっても、アメリカ社会にその物語原型が偏在しているのだと考えたりする。
以下にそんな「アメリカの物語原型」を描いた映画を紹介した。
アメリカ映画:1941年 映画『市民ケーン』 ユニークな映画技術のオンパレード!! 映画史上に永遠に刻まれた古典的傑作 |
アメリカ映画:1974年 映画『華麗なるギャツビー』 米文学の代表作をロバートレッドフォード主演で描く アメリカ社会の夢と挫折を描く |
イタリア映画:1282年 映画『ゴッドファーザー』 イタリア・マフィアの闘いを描く古典的傑作! イタリア系移民の苦闘と家長の行方とは? |
アメリカ映画:2007年 『ゼア・ウイル・ビー・ブラッド』 アメリカを成立させる3つの血 ダニエル・デイ・ルイスの演じる山師 |
『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』
<ウルフ・オブ・ウォール・ストリート予告>

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映画『オール・ザ・キングスメン』考察アメリカ合衆国と民主主義 |
しかし、弱者の救済や家族を守るという「善」のために、権力を恣意的に行使し、利権を垂れ流し、あまつさえ殺人という「悪」まで成した
それでも、ここで強調したいのは、この文中で何度も言っているように、ウィリーは「愛」を、その人生を通じて失ってなかったという事実である。

そして、貧者の彼が「愛」を分かち合うためには、政治権力という力が必要だったのだ。
つまり「愛」を保持した者が、愛を施すための「力=権力」が必要とされ、それを取得する過程で「悪」に染まるのだとしたら、その権力の取得ルールに問題があると考えるべきなのである。
大雑把にいえば、「正しかった人」を「悪い人」に変えてしまう、民主主義という政治制度が「悪」なのではないかと、この作品は問いかけているのだと考える。
例えば、既成政治家や利権団体が、自らの利益のためにその権力の行方をコントロールしている時、それらの利益と無縁ではいられない。
例えば、人々の票が金の力で左右されるのだとすれば、その票を買わねば「愛」の実現は無いのだ。
そう考えれば、民主主義制度が「人々から選挙によって選ばれた政治家が、人々から税という形で富を集め、それを人々のために公平に分配する仕組み」だとすると、人々が「愛=他者の幸福」を考えず、「悪=自己の利益」を優先し投票するなら、その選ばれた存在は「悪」にしかなり得ない。
つまり、人々の民意と呼ばれるモノが、「愛」から発していないとすれば、民主主義はたちまち「悪」を生む制度と化すのである。
民主主義制度化のドイツで、ナチスが選挙の結果政権を奪取した事実を忘れてはならない。
それは、ヒットラーの唱えたアーリア民族の優越と劣等民族の撲滅のアジテーションと、国民すべてに車を与えレジャーを楽しませるという甘言に、当時のドイツ国民が賛同した結果だった。
もちろんどんな政治制度にも一長一短はあり、完璧なシステムは無い。
例えば独裁制であっても、その独裁者が「愛」を成すならば、国民の利己的な欲望に影響を受けずに公平な分配が出来るとも言える。
つまるところ、民主主義政治とは、その主権者である国民の意思が形となったものであり、国民が「愛(利他的)」のある判断をしなければ、「悪(利己的)」を生むシステムなのだと思える。
この映画のラストでは、記者ジャックの言葉にあるように、主人公ウィリーの真の姿を民衆が知らないがゆえに支持されているのだと語らせてている。
しかし、それは裏を返せばウィリーが民衆の支持を得るためには、悪人にならざるを得なかったという、民主主義の根源に潜む陥穽(かんせい)があるためだと言うべきだろう。

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映画『オール・ザ・キングスメン』考察題名の由来と派生映画 |
Humpty Dumpty sat on a wall (ハンプティーダンプティは塀の上) Humpty Dumpty had a great fall(ハンプティーダンプティは大落下) All the King's horses and all the King's men(王様の馬と、王様の家来の全員でも) Couldn't put Humpty Dumpty together again.(ハンプダンプティを元に戻せない) |
このタイトルはどれほど周囲の人間が騒いでも、一度落ちてしまえば元には戻せないという意味が込められ、それはこの映画の主人公の転落と、その取り巻きの人々の姿と重なるタイトルである。
後年撮られた、実在のアメリカ大統領ニクソンのスキャンダルを描いた『大統領の陰謀』という映画がある。
それは、権力に取り付かれ破滅する男を追い詰める、ワシントン・ポストの記者の話である。
関連レビュー:オスカー受賞作 『大統領の陰謀』 オスカー受賞!ダスティン・ホフマン&ロバート・レッドフォード共演 ニクソン大統領を辞任させた記者。 |
その『大統領の陰謀』の英語題は『オール・ザ・プレジテントメン』といい、この『オール・ザ・キングスメン』を踏襲したものだった。
やはり、その映画も権力者の非合法な逸脱を許してしまった、民主主義の危険を語っていた・・・・・

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