原題 Mrs. Miniver 製作国 アメリカ 製作年 1941年 上映時間 134分 監督 ウィリアム・ワイラー 脚色 アーサー・ウィンペリス 、ゲオルク・フレーシェル、ジェームズ・ヒルトン |
評価:★★★★ 4.0
この映画は、第二次世界大戦開戦前夜に撮影が始まり、1942年に公開されたハリウッド映画です。
その年のアカデミー賞では、監督のウィリアム・ワイラーや、主演女優のグリア・ガーソン、作品賞、脚色賞、撮影賞、助演女優賞(テレサ・ライト)などの賞に輝いています。
この作品はその説得力の高さから、ナチスドイツからも理想的なプロパガンダだと賞賛されたほどです。
映画表現として、訴えたい内容を、どう語れば、効率よく上手に観客に伝えられるかの見本のような見事な一本だと思います。
<目次> |
映画『ミニヴァ― 夫人』あらすじ |
1939年夏。戦争前のロンドン、ミニヴァー夫人(グリア・ガースン) は衝動買いをし、夫にどう言い訳しようかと考えながら帰途につく。電車内では、偶然彼女の住む郊外の村の名家のベルドン老婦人(デイム・メイ・ウィッティ)と、牧師(ヘンリー・ウィルコクソン)と一緒のコンパーメントに同席となった。
駅では駅長(ヘンリー・トラヴァース)がミニヴァ―夫人と名付けたバラの花を、品評会に出す事の許しを求めた。しかし、その品評会はベルドン老婦人が長年優勝してきており、その出品はトラブルを生む事は必至だった。家には、夫クレム(ウォルター・ピジョン)、ジュディ(クレア・サンディス)、トビー(クリストファー・セヴェリン)がいた。そして翌日は長男のヴィン(リチャード・ネイ)がオックスフォード大学が戻り家族団らんの時を持った。
そこにベルドン夫人の孫キャロル(テレサ・ライト)が訪れ、バラの品評会に出展を止めて欲しいと頼みに来た。しかしそれを聞いたヴィンがキャロルに文句を言い、2人は口論となった。しかしその夜のダンスパーティーで会った2人は、お互いに好意を持つようになる。
しかし欧州は第二次世界大戦に突入し、英国はドイツに宣戦布告し、ヴィンも空軍へ入隊し、爆撃やダンケルクの配線戦時色が日に日に強くなっていく。ヴィンは近くの空軍へ入隊し、キャロルと愛を確かめ合い結婚を約束し、ミニヴァ―夫人はベルドン老婦人の説得した。
若い二人は村人の祝福の中、晴れて結婚式を挙げたが、戦争の暗雲は幸福な2人の上にも悲劇をもたらした・・・・・
映画『ミニヴァ― 夫人』予告 |
映画『ミニヴァ― 夫人』出演者 |
ミニヴァー夫人(グリア・ガースン) /クレム・ミニヴァー(ウォルター・ピジョン)/キャロル・ベルドン(テレサ・ライト)/ベルドン老夫人(デイム・メイ・ウィッティ)/フォーリー:市民防衛長(レジナルド・オーウェン)/ジェームズ・バラード:駅長(ヘンリー・トラヴァース)/ヴィン:長男(リチャード・ネイ)/ヴィカー:牧師(ヘンリー・ウィルコクソン)/トビー:次男(クリストファー・セヴェリン)/グラディス:家政婦(ブレンダ・フォーブス)/ジュディ:長女(クレア・サンディス)/エイダ(料理人):マリー・ド・ブッカー:ドイツ軍パイロット(ヘルムート・ダンティン)/フレッド(ジョン・アボット)/シンプソン(コニー・レオン)/ホレス:グラディスの恋人(リース・ウィリアムズ)
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映画『ミニヴァ― 夫人』感想 |
撮影が始まった1941年年末に、日本軍の真珠湾攻撃があり、映画の敵役としてナチスドイツを名指しする内容に改変されたというこの作品は、紛(まご)う事ない「戦意高揚=プロパガンダ映画」として製作されたものです。
そして、この映画は、アカデミー賞において最多ノミネート、最多最優秀賞を獲得しました。
監督は名匠の誉れも高いウィリアム・ワイラーです。
ウィリアム・ワイラー(William Wyler, 1902年7月1日 - 1981年7月27日)は、アメリカ合衆国を代表する映画監督の一人。ハリウッド黄金期に活躍し、アカデミー監督賞を3回受賞し、数多くの名優を見出した。ドイツ帝国のミュールハウゼン(現・フランス東部オー=ラン県ミュルーズ)出身。
生まれたときの姓名はヴィルヘルム・ヴァイラー(Wilhelm Weiller)。当時ドイツ帝国領であったミュールハウゼンにて、小物屋を営むユダヤ系の家庭に生まれる。父親はユダヤ系スイス人、母親もユダヤ系ドイツ人で、両親共にユダヤ教徒でもあった。ヴィルヘルムは家業を継ぐことを嫌い、フランスのパリに赴いて音楽を学んだが挫折してしまう。
結局、母方の親戚(遠縁ではあるが)に当時のハリウッドの重鎮カール・レムリ(ユニバーサル・スタジオ社長)がいたことから映画の道を志し、第一次世界大戦後の1920年に18歳で渡米、まずユニヴァーサルのニューヨーク本社で雑用係として働く。なお第一次世界大戦にドイツが敗北した結果、故郷のミュールハウゼンはフランス領となった。その後、国際宣伝部を経てハリウッドに移り、オフィスの雑用係、撮影所の小道具係、配役係、助監督と着実に製作現場での経験を積んで立場を上げていく。(wikipediaより)<1966年38回アカデミー賞でワイラーに功労賞(アービン・タルバーグ賞)が贈られる>
プレゼンターは監督アーサー・フリード
【意訳】アーヴィン・G・タルバーグ賞は毎年贈られるものではなく、それは特別の貢献をした少数の者だけが適格とされ、その資格の根本には映画娯楽産業での実績にある。彼は卓越した芸術的映画の成功したリストを持っている。ミスター、ウィリアム・ワイラーの栄誉は、映画芸術に対する卓越した貢献に対するものです。ミスターワイラー。
ウィリアム・ワイラー受賞スピーチ
【意訳】はるか昔ユニバーサルで働き始めたとき、アーヴィング・タルバーグを知りました。我々は二人ともとても若く、ただの子供でしたが、わずかな違いがありました。私はオフィスボーイで、彼はすでにスタジオのゼネラルマネージャーでした。その時でさえ、その彼の短いが卓越したキャリアを通して、彼は映画の品質と極上の味を主張し、卓越性を達成するために労力と努力を惜しむなと主張していました。そしてこの理由で、私は彼の名前と私の両方が冠されたこの賞を受賞することを二重に誇りに思い、嬉しく思います。そしてアカデミーの理事会に最も感謝しています。どうもありがとうございます。
関連レビュー:アメリカ映画情報 『アカデミー賞・歴代受賞年表』 栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞 授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。 |
このワイラーの持つ表現力は、本作でも大変高い完成度を見せており、その映画技術の高さに戦慄を覚えました。
平和な家族、市民生活に降りかかる戦争の影響を描きつつも、実際に派手なアクションシーンがあるわけでも、激しいドラマがあるわけでもない、地味と言って良い映画なのですが、観終ったときに、思わず敵に向かって一丸となって闘おうとすら思わされる、その説得力の高さに驚きました。
ウィリアム・ワイラー監督といえば、『ローマの休日』を思い浮かべますが、その映画もオードリー・ヘップバーン演じるプリンセスの、新時代の女性像を表現して魅力的でした。
アメリカ映画:1953年 『ローマの休日』 オードリー・ヘップバーンのデビュー作 プリンセスの一夜の恋を描く古典的名作 |
この監督は、個人的な印象で言えば、表現するテーマに対して建築家のように、全ての映画要素を最適化する能力に優れているように思います。
このドイツからハリウッドに来た監督は、その緻密な構成力によって観客の心を打つ「ハートウォーミング」な作品を得意としていると感じます。
名前が似ていて良く混同される、同時代のビリー・ワイルダー監督という、これもドイツ系の監督がいます。
その監督も、ハリウッドで一時代を作り、数々の名作で映画の歴史に名を留めました。
関連レビュー:ビリー・ワイルダーの後悔とは? オードリー・ヘップバーン『昼下がりの情事』 オードリーのパリを舞台にしたラブ・コメディー!! 名匠ビリー・ワイルダー、ゲイリー・クーパー共演 |
実は第二次世界大戦前のドイツは「ドイツ象徴主義」に代表されるように、映画の先進国で、ドイツ人監督や俳優がハリウッドに招聘され映画製造に携わったのでした。
その貢献と実績は第一回のアカデミー賞作品賞を、FWムルナウ監督の『サンライズ』が獲得した事でも窺い知れます。
アメリカ映画:1927年 映画『サンライズ』 F・Wムルナウ監督の至高のサイレント! 第1回アカデミー主演女優賞、作品賞受賞作品!! |
そんなドイツ系監督の緻密な映画構成力の力が、ハリウッド映画の映画技術に多大な影響を与え、その成果の一端がこのプロパガンダ作品にも良く出ていると感じました。
以下では、「プロパンガンダ映画」としての、完成度の高さを映画に即して語らせて頂きます。
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映画『ミニヴァ― 夫人』解説・考察映画表現の確認 |
何度も言いますが、この映画はプロパガンダです。
プロパガンダ(羅: propaganda)とは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為の事である。
通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、1622年に設置されたカトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide、現在の福音宣教省) の名称である。ラテン語の propagare(繁殖させる、種をまく)に由来する。
あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ、同義であるとも考えられている。利益追求者(政治家・思想家・企業人など)や利益集団(国家・政党・企業・宗教団体など)、なかでも人々が支持しているということが自らの正当性であると主張する者にとって、支持を勝ち取り維持し続けるためのプロパガンダは重要なものとなる。対立者が存在する者にとってプロパガンダは武器の一つであり、自勢力やその行動の支持を高めるプロパガンダのほかに、敵対勢力の支持を自らに向けるためのもの、または敵対勢力の支持やその行動を失墜させるためのプロパガンダも存在する。(wikipediaより)
その時代に求められる政策や理念を「政府=権力者」は、国民や諸外国に向け宣伝し、その権力の行使を容易かつ効果的に変化させることを目的としてプロパガンダ活動を盛んに行ってきました。
この映画『ミニヴァ― 夫人』は、1941年製作されました。
これは、真珠湾攻撃が1941年12月7日だった事を考えれば、アメリカ合衆国の世論が「リメンバーパールハーバー」で沸き立ち、第二次世界大戦に突入した時期です。
アメリカ政府としては国民が戦争に向けて一致団結し、積極的に戦争遂行への支持と支援を求めていました。
そして、この映画の全ての要素は、まさにその目的のために見事に構築されていると感嘆します。
映画の最初は、平時のミニヴァ―夫人とその夫が、平和の中浪費に走り享楽的であることが語られます。
さらに主人公の住む村は、貴族階級のベルドン老嬢と、中産階級のミニヴァ―夫人一家、そして労働者階級の駅長がいることが示され、その階級間に断絶が生じている事が示されます。
その対立は、ベルドン老嬢の優勝が恒例となっている薔薇コンテストに駅長が挑戦したり、ミニヴァ―夫人の長男とベルドン老嬢の孫がケンカをするシーンで明らかです。
そんな村の人々も、兵士として従軍したり、爆弾が落ちてきたり、平和な時から戦時へと移行するにつれ、村人たちはお互いに励まし合い協力し合うようになります。
その象徴が、ミニヴァ―夫人の長男ヴィンとベルドン老嬢の孫との結婚であり、バラの品評会におけるヴェルドン老嬢の譲歩に示されています。
簡単に言えば、そのコミュニティー内に様々なイザコザがあるにせよ、そのコミュニティー外からの敵に対しては一致団結して戦うべきだと語られているのです。
そしてその戦いは戦地だけではなく、村の日常にも存在する事が、ミニヴァ―夫人が墜落したドイツ人パイロットに襲われる事件によって、またボートを持つ市民がダンケルクのイギリス軍撤退の救助に赴いたりというシーンで訴えかけます。
そして、その戦地も市街地(非戦闘地帯)であっても、戦争を等しく闘っているのだという事実は、ドイツ軍の空襲によって、村人(主要な登場人物)2人が死に至る事で明示されます。
その葬儀の席で牧師が、明確に戦争と市民の関係に言及します。
彼は、村の善良な一般市民が犠牲となる、その理由を「これが戦争で、その戦う国民全てが総力を挙げて、敵に立ち向かう強い意志を持たねばならない」と厳かに語ります。
私たちの多くの家は破壊され、老いも若きも命を奪われました。心を痛めていない世帯はほとんどありません。なぜ?と、間違いなく、あなた方は自らに問いかけたに違いありません。なぜ、完全に良識的な人々が、こう苦しむ必然性があるでしょうか?子供、お年寄り、彼女の愛らしさの頂点にいた若い娘に?なぜその人々に?彼らは私たちの兵士でしょうか?彼らは我々の戦士でしょうか?なぜ彼らは犠牲になったのでしょうか?この静かに語られたラストのプロパガンダ・メッセージは、遠く家族を兵士として送り出す運命にある、アメリカ国内の家族の胸に沁み込んだことと思います。
その理由をお話ししましょう。これは軍服を着た兵士のみの戦争ではないからです。それは皆の、全ての人々の戦争なのです。そしてそれは戦場だけでなく、都市や村、工場や農場、家庭において、自由を愛する、全ての男性、女性、そして子供達の魂に対する闘いなのです。さて、我々は死者を葬りました。しかし我々は彼らを忘れません。それどころか、彼らは我々を打ち倒すかも知れない専制政治と恐怖から、我々自身と我々に続く人々を解放するという、断固とした我々の決意を鼓舞します。これが国民戦争です。これは我等の戦争です。我等は兵器です。だから戦うのです!我等の中にある全てのもので戦うのです!そして、神が権利を守ってくださるよう祈るのです。
また、この牧師の言葉は時のアメリカ大統領ルーズベルトの命令により、アメリカ国外向けラジオ「ボイス・オブ・アメリカ」でも繰り返し流され、また大量のビラが作られナチス占領下の欧州戦線に投下されると、「ウィルコクソンのスピーチ」と呼ばれ、戦火に打ちひしがれた人々を鼓舞したのです。
この映画に対し、戦争を指揮した英国首相チャーチルは語りました。
「この映画は駆逐艦の艦隊よりも戦争努力のために多くのことをした。」
そして敵であるナチスのプロパガンダ大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは次のように書いています。
「ミニバー夫人は、現在の戦争中の家族の運命を示しており、その洗練され強力な宣伝効果は、これまで夢見られたものだ。ドイツに対して語られた怒りの言葉は1つもない。それにもかかわらず、反ドイツ姿勢は完全に達成されている。」
ここにあるのは、未だ平和の夢から覚めやらないアメリカ国民に対して、明確に国家権力が求める「国家総動員の戦争遂行」に対する献身と犠牲への、国民の積極的参加であり戦争高揚の増進であり、同時に戦火の真っ只中にある欧州諸国への同情を生むことでした。
『ミニバー夫人』は、間違いなくその目的を、高い次元で達成しているのです。
そしてこの映画で真に重要だと思うのは、ゲッペルスが言うように、この映画は決して声高にその「戦意高揚=プロパガンダ」を語らない事で、より説得力を増している点にあります。
つまり、この映画の伝播力は間違いなく「ドラマ」としての強さと、感動により生じ、そこにそっと誘導すべき「戦意高揚」を忍び込ませ、サブリミナル効果のように人々の心を誘導しているのが、プロパガンダとして優れている点でもあり、同時に恐ろしい点でもあります・・・・・・
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