原題 Morocco 製作国 アメリカ 製作年 1930 上映時間 91分 監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ 脚色 ジュールス・ファースマン 原作 ベノ・ヴィグニー |
評価:★★★★ 4.0点
突然ながら、この映画を見ながら、女性が途切れる事の無かったあるプレーボーイが語っていた言葉を思い出しました。
彼が言うには「何人と関係してみても、本当に愛した相手とのW魂が震えた一夜Wは、決して超えられない」そうです・・・・・
この映画は、そんな特別な恋愛を描いたドラマなのだと感じました。
<目次> |
映画『モロッコ』簡単あらすじ |
1920年代後半のモロッコ。フランス軍外人部隊が遠征から戻り、その中に米国人二等兵トム・ブラウン(ゲイリー・クーパー)もいた。その頃、モロッコに向かう船上で、地元から逃れてきたナイトクラブ歌手、エイミー・ジョリー(マレーネ・ディートリヒ)と、富豪のラ・ベッシエール(アドルフ・マンジュー)が乗っていて言葉を交わす。モロッコについたエイミーは、ナイトクラブで出演し歌うと喝采を浴びた。その舞台を見ていたラ・ベッシエールとトムは彼女に心を奪われた。エイミーも客席のトムに心惹かれ部屋の鍵を渡した。トムは、エイミーの部屋で互いの恋を語り、口づけを交わし、外に出た。すると、トムと不倫関係にあった部隊のセザール副官(ウルリヒ・ハウプト)の妻(イヴ・サザーン)が、嫉妬に駆られ現地の男に襲撃させた。トムはその攻撃を退けたが、しかし、その様子を物陰から見ていたセザール副官は、トムを危険な戦地に派遣する。エイミーは楽屋でベッシールから、豪華な宝石と共に、結婚を申し入れられていると、トムが入って来た。ベッシールが居なくなると、トムはエイミーに今夜一緒に逃げようと誘い、エイミーも同意した。しかし、エイミーの舞台が終わるのを待つ間、ベッシールがエイミーに結婚を申し込んでいる事を悟ると、「気が変わった幸運を」と書き残し、戦地へと去って行った・・・・・・
映画『モロッコ』予告 |
映画『モロッコ』出演者 |
トム・ブラウン(ゲイリー・クーパー)/エイミー・ジョリー(マレーネ・ディートリヒ)/ラ・ベッシエール(アドルフ・マンジュー)/セザール副官(ウルリッヒ・ハウプト)/シーザー夫人(イブ・サザン)/軍曹(フランシス・マクドナルド)/ロー・ティント(ポール・ポルカシ)/クインノビエール大佐(アルバートコンティ)/ナイトクラブの常連客(トーマス・A・カラン)/フランスの将軍(エミール・ショータード)/アレクサンドル・バラティエール大佐(マイケル・ヴィサロフ)/トムに抱き着く娘(ジュリエットコンプトン、アンナ・ドロレス、テレサ・ハリス)
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映画『モロッコ』解説 |
戦争モノと書きながら戦闘シーンはほぼ出てきませんので、アクションを期待する方々には不向きかと思います。
この映画の軸足は、ラブ・ロマンスにあり、そのドラマ性を高めるために、戦争という死のイメージや、外人部隊という異邦のエキゾチズムをスパイスにしているように見えます。
この映画は、当時の「ジェンダー=性的役割」のモラルから見れば、とても刺激的なディートリヒの男装と、女性同士でキスをするなシーンが衝撃的だったと伝えられています。
この映画によって、マレーネ・ディートリヒはクール・ビューティーとしての地位を不動のものとしました。
マレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich、1901年12月27日 - 1992年5月6日)は、ドイツ出身の女優・歌手。
1920年代のヴァイマル共和国のドイツ映画全盛期に花開き、1930年代からはハリウッド映画に出演、1950年代以降は歌手としての活動が多かった。映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグに認められ、ドイツ映画最初期のトーキー『嘆きの天使』に出演。大きく弧を描く細い眉に象徴される、個性的かつ退廃的な美貌は、「100万ドルの脚線美」と称えられ、加えてセクシーな歌声で国際的な名声を獲得した。同年、パラマウントに招かれてアメリカ合衆国に渡り、ゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ』でハリウッド・デビュー、アカデミー主演女優賞にノミネートされた(Wikipediaより)
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そして、ゲーリー・クーパーも、この映画によって二枚目スターとしてハリウッドを代表する存在となりました。
ゲーリー・クーパー(Gary Cooper、[gɛəri kúːpə]、本名: フランク・ジェームズ・クーパー、1901年5月7日 - 1961年5月13日)は、アメリカ合衆国モンタナ州ヘレナ出身の俳優。愛称はクープ。1924年ごろから西部劇映画のエキストラ出演を始め、俳優を志すようになる。1929年、『バージニアン』で西部劇スターとしての地位を確立する。そして翌年、マレーネ・ディートリヒと共演した『モロッコ』で世界的な大スターの仲間入りを果たす。また、1936年、『オペラハット』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、順調にキャリアを重ねていった。また、映画館主が選出するドル箱スターベスト・テンにおいて1937年から1957年の21年もの間に、19回もランキングされていた。(Wikipediaより)
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また、ハリウッドでサイレント時代から活躍するアドルフ・マンジューの成熟した男性の献身的愛も、この若い二人の恋愛ドラマを引き立てていると感じます。
この作品の主要な目的は、いかにマレーネ・デートリッヒ、ゲーリー・クーパーの「スターとしてのステータス」を高めるかにあり、その点で見事に成功していると思います。
そもそも、ハリウッド映画は、そのスクリーン上で「憧れの存在=スター」を作り出し、それを観客に届けることで成長をとげて来ました。
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この、1930年のモノクロ映画はトーキー(音声入り映画)の最初期の作品であり、この映画は日本で字幕が使われた、史上初の作品でした。
そんな2021年の現在から見れば、すでに100年近くが経とうとしている作品です。
実を言えば、古典作品は努めて見るようにしている自分ですが、正直言えば傑作とされ、古典として評価が定まった作品でも、見てみると肩すかしを感じる作品も少なくありません。
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しかし、この映画に関しては素直に心打たれ、★4つを付けてしまいました。
その感動を整理してみると、この映画がスター創出の技術に秀れている点以上に、どうも久々に見た「純愛ドラマ」に、ノスタルジーを感じたためだと思えます。
この映画の二人は、かつて恋に破れたがゆえに、男は異郷の外人部隊で死に向かい合い、女は地の果てで男達に醒めた目で歌を歌うのです。
この2人の恋は、今の自暴自棄な人生を見れば、命がけの、人生を懸けた恋愛だったのでしょう。
そんな男女が、再び、命を賭けても良い相手と出会ってしまう。
そして、男は女のため危険な戦地に赴き、女は男との恋のために、豊かで安逸な生活を捨てて走るのです。
ここにあるのは、恋愛に全てを捧げて悔いのない「恋愛至上主義」だったでしょう。
そして、日本の昭和演歌ではありませんが、「恋愛こそ人生」に等しい、重い価値を持った時代があったのだと思い出し、どこか郷愁に駆られた映画なのでした。
しかしそれらの、恋愛が持つ価値は時代を経るに連れ変化し―
恋愛が人生に占める比重、その「重さ」は年々軽くなって―
近々「恋」と言う言葉すら消えるのではないかと危ぶまれる昨今です。
そんな、かつての「恋の重さ」を、久しぶりに見て心動かされた映画でした。
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映画『モロッコ』考察ハリウッドと恋愛 |
かつての「恋愛」とは「人生」と等価ですらあった。
そんな「恋愛至上主義」は、未だにフランス映画に代表されるラテン系の作品には、色濃く残っていると感じます。
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しかし調べてみると、歴史的に見れば、恋愛と結婚が結びつきが強くなるのは、1900年代の初頭とされ、それまではむしろ恋愛とは結婚には邪魔な感情とすら見られていたというのです。
中世から近世にかけての欧州では、結婚制度と自由恋愛は別物として有り、それゆえ貴族たちは結婚とは別に愛人を作り自由恋愛を楽しんでいたのでした。
そこに、変化が現れるのは近世であり、その時代にブルジョワジー、市民階級にとっては、結婚の他に恋愛を楽しむ余裕などなく、自由恋愛と結婚を同時に満たす「恋愛結婚」が登場するのです。
その、本来、社会的制度である結婚と、個人の欲求としての恋愛の結びつきは、フランス革命などを経て自由と平等を旨とする個人主義の台頭と、社会的基礎(社会構成としての人員増加の義務)としての結婚制度が弱体化する事で、個人的欲求を結婚と結びつけ易くなったといいます。
さらに、結婚の社会的義務感が弱くなり、宗教的意義も希薄になるにつれ、結婚の必要性を個々人が喪失する中、結婚の大きな推進力として「恋愛」が登場することとなります。
それを端的に表すのが、スェーデンの女性思想家エレン・ケイの代表作『恋愛と結婚』(1903年)です。
そこでは結婚が恋愛から導き出され、「一人の男性と一人の女性の、完全な自由結合で、二人の愛情を通してお互い自身と種族を幸福にしようと志すもの」として定義し、更に金銭に基づく共同生活を批判し、愛情が含まれない形式的な結婚は不道徳で、破棄すべきであるとすら書いています。
その本は、たちまちベストセラーとなり、西欧社会のみならず日本の平塚らいてうなども女性解放の観点から影響を受けました。
しかし、それは欧州からアメリカに関しての、結婚に対する変革であって、それ以外の地域、アジアや南米、アフリカにあっては、家が決めた結婚に従うというのがノーマルな結婚だったのです。
しかし、そんな「恋愛結婚」を世に広める、大きな力となったのが「ハリウッド映画」だったと信じています。
自由恋愛に基づく「結婚」とは、個人の意思を社会的に認められる象徴だったでしょう。
特に女性たちにしてみれば、物として他家に移譲されるような我が身から、自分の意思で求める人と一緒になる「恋愛結婚」は、自由と平等の象徴であり、自分の意思で自らの人生を生きる希望の制度だったのです。
そして、それを映画として見た世界中の人々は、「結婚」とは「家」や「宗教」や「社会的義務」では無く、個人の自由な欲求「恋愛」に基づく権利なのだと知ることになります。
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そして、それらハリウッド映画とともに世界に広がっていった「恋愛結婚」は、時代が下るにつれ、その「愛」を基礎としない「結婚」は、もはや「結婚」ではないと見なされるようになります。
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しかし、それらの恋愛至上主義は「結婚には愛が無ければならない」という必要絶対条件となり「愛が無くなった」から「離婚」するという結婚の破局原因を生むことになります。
この1930年の映画『モロッコ』も、社会的制度から、個人の自由意思へと「結婚が変容」していく中、恋愛に人生全てを賭けるべき時代の映画であり、それゆえ、この映画のラスト全てを脱ぎ捨てても愛する男を追う姿に、世界中の女性達は共感と憧憬を感じたのでしよう・・・・・・・
最も、ハリウッドが広めた「愛と結婚」の絶対条件は、結婚生活から愛が喪われるという現実を語りはしなかったのです。
それゆえ愛を喪った結婚を生きるカップルに離婚を強いることとなり、アメリカでは離婚率50%を超えようとしています・・・・・
結婚に愛を結びつけることが、本当に必須なのかと・・・・・・・・・
結婚生活を長く続ける夫婦に問いかけてみれば、その答えは「愛は無いより合った方が良い」ぐらいではないかと想像しています。
そう考えれば、映画が語った「愛と結婚」の理想は、結婚から愛が喪われるという現実に負け、結婚制度を壊すことを促進したのかとも思います。
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