原題 Wing 製作国 アメリカ 製作年 1927年 上映時間 141分 監督 ウィリアム・A・ウェルマン 脚本 ホープ・ロアリング、ルイス・D・ライトン 原案 ジョン・モンク・サウンダース |
評価:★★★☆ 3.5
迫力のある空中戦で、航空機映画のブームを生んだ戦争映画です。
当時の観客批評家、双方から高い評価を得て、見事第1回アカデミー賞の最優秀作品賞に輝き、歴史に名を留めました。
さらにはモノクロ・サイレント映画の時代に求められた、作品作りに関して考察をしてみたいと考えています。
<目次> |
映画『つばさ』ネタバレなし簡単あらすじ |
1917年アメリカのとある町の青年ジャック・パウエル(チャールズ・“バディ”・ロジャース)は空とシルヴィア・ルイス(ジョビナ・ラルストン)という娘を愛する明るい青年だった。そんな彼に隣戸のメアリー・プレストン(クララ・ボウ)が思いを寄せていた。しかしシルヴィアはデヴィッド・アームストロング(リチャード・アーレン)という青年を愛しており、ジャックとデヴィッドは娘を巡り恋のライバルだった。そんなジャックとデヴィッドは第一次世界大戦の戦闘機パイロットを目指し、志願兵として厳しい訓練を受けた。敵対的だった2人は訓練を通し親友になった。
キャンプではホワイト()という先輩飛行士の死を目の当たりにし衝撃を受け、最初の実践ではドイツ軍のエースに成すすべなく撃ち落とされた。しかし、何度も戦いに参加するうち、いつしか2人は敵も恐れるエースへと成長する。そして、いよいよ戦争終結に向けた大作戦が始まるが、出撃前にシルヴィアの事で揉めた2人は、不信感を持ったまま空にあがる、ジャックは戦果を挙げ帰って来たが、デヴィッドは戻らず、ジャックは復讐に燃えドイツ軍の奥深く進攻して行った。しかしデヴィッドは生きており、ドイツ軍飛行機を盗み味方陣営めがけ飛んでいた。そんな二人に皮肉な運命がふりかかる。
映画『つばさ』予告 |
映画『つばさ』出演者 |
メアリー・プレストン(クララ・ボウ)/ジャック・パウエル(チャールズ・“バディ”・ロジャース)/デヴィッド・アームストロング(リチャード・アーレン)/シルヴィア・ルイス(ジョビナ・ラルストン)/ハーマン・シュウィンプフ(エル・ブレンデル)/ホワイト(ゲイリー・クーパー)/セレスト(アルレット・マルシャル)
映画『つばさ』解説評価と受賞歴 |
関連レビュー:第1回アカデミー賞の紹介 『1928年開催アカデミー賞・授賞式』 栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞 授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。 |
今の、「ビック・ナイト」と呼ばれる、厳戒態勢の下開かれる壮大なイベントを思うと隔絶の感があります。
ご興味のある方は、アカデミー賞の歴代の授賞式を紹介しています。
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いずれにしても、この作品は「戦争ロマンの古典」としても、アカデミー賞の初代最優秀作品賞としても、映画史に名を刻んだ一本です。
1997年『つばさ』は米国議会図書館によって「文化的、歴史的、または美的に重要」であるとして米国国立フィルム登録簿に保存されています。
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映画『つばさ』解説モノクロ・サイレント映画の表現力 |
ウィリアム・A・ウェルマン(William A. Wellman, 本名: William Augustus Wellman, 1896年2月29日 - 1975年12月9日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身の映画監督である。
第一次世界大戦中にはフランス外人部隊に参加し、フランスでラファイエット空軍に属してエース・パイロットとして活躍した。1920年にゴールドウィン社に入社し、俳優や裏方仕事を経て1923年の『男の中の男』が初監督作品。
1927年に第一次世界大戦中に活躍するパイロットを描いた『つばさ』の監督に抜擢される。自身の経験を生かしたこの作品は第一回アカデミー作品賞を受賞した。『つばさ』のような航空映画だけでなく、『民衆の敵』をはじめとするギャング映画など、その活動範囲は多岐にわたる。
戦間期に多くの作品を作り、これらは当時の米国の世相を色濃く反映したものになっている。また、作品を通じてスター俳優・女優を育て上げ、戦前のハリウッド映画興隆に大きく貢献した。スティーブン・スピルバーグは、彼と全く接触のない世代(最後の作品が発表されたとき5歳なので、同時代観客ですらない)だが、もっとも好きな監督として名を上げている。
そして、俳優のリチャード・アーレンとジョン・モンク・サンダースも戦争で軍の飛行士を務めていました。
この映画は、1926年9月7日から1927年4月7日まで、テキサス州サンアントニオのケリーフィールドでロケ撮影され、当時としては破格の200万ドル(2019年換算で2,888万ドル相当)の予算が注ぎ込まれました。(写真:撮影中のウィリアム・A・ウェルマン)
数百人のエキストラと約300人のパイロットが参加し、米国陸軍航空隊もこの映画の製作を支援したと言います。
ウェルマン監督は、クライマックスの戦いのシーンでは10日間をかけ綿密にリハーサルし、約3500人の歩兵を実際に配置したそうです。
当然ながら、CGの技術のない時代、すべて生身の人間でこの戦闘シーンを生み出しており、そのリアルな迫力はやはり凄まじいモノがあります。
ウェルマンがサンミッシェルの戦いのシーケンスを撮影しているときに、プロダクションを資金出資者がセットに到着し、ウェルマンの爆発のタイミングを誤って混乱させ、いくつかのエキストラに重傷を負わせたとも伝えられています。さらに軍の支援将校と監督は、天候不順のスケジュール遅れもあって、しばしば衝突を繰り返したそうです。
しかし、この映画の激しい空中戦と、航空機使用の多さにもかかわらず、事故の発生は2つだけだったと言います。
1つはスタントパイロットのディック・グレース、もう1つは陸軍航空部のパイロットで、その墜落によって命を失う事になりました。
そんな命懸けの撮影による、その戦闘シーンは地上にしても、空中戦にしても、サイレントながら迫力のあるものだと感じます。
その迫力はサイレント末期の映画界で、トーキカメラの機動性が向上したため、もたらされた結果でした。
しかしその映像の自由は、映画がトーキー時代となってからは不可能となりました。
マイクが雑音を拾わないようにするために、カメラは防音対策で重くなり、撮影自体も環境音を遮断するため、スタジオセットから出られなくなったからです。
たとえば、この『つばさ』であれば、飛行機に乗せたカメラを演技者が操作しつつ臨場感を生んだり、パリの夜の酒場シーンではカメラがテーブルの上を走り、観客がその場を歩くかのような気持ちにさせます。
<パリの酒場シーン>
つまりこの作品のカメラワークは、以後数十年に渡る不自由なトーキー時代前の、サイレント映像表現の黄金期を確認できる一本となっています。<ブランコと共に揺れるカメラ>
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映画『つばさ』解説モノクロ・サイレント映画の表現力 |
と上で―
この作品の迫力を語ってみたものの・・・・・・
冷静に見れば・・・・
今の映画と比べたら・・・・皆さんはどうお感じになるでしょう?
モノクロで声の入っていないサイレント映画ですから、墜落シーンや銃撃戦も無音で、今の映画のようにカメラが自由に移動し、マクロからミクロに瞬時に切り替わるようなダイナミックさもありません。
色もせいぜい、手作業の着色が一部あったようですが、現代の鮮やかな色とは雲泥の差です。
総じて、現代映画に較べ刺激が少ないのは間違いありません。
間違いなく現代映画の方がエンターテーメント性が優れていると断言します。
冷静に見れば、サイレントという表現形式に最も最適だったのは、パントマイムや動きの面白さで見せる、チャップリンやバスター・キートンが得意とした「スラップスティック・コメディー」だったはずです。
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なぜなら、その形式は言葉を持ちいないパントマイム喜劇が、すでに英国のパブを発祥として確立していたからです。
それゆえ、サイレント時代にチャップリン、キートン、ロイドの三人が世界的なスターと成ったにもかかわらず、トーキーの時代と共に消えて行ったのも、サイレント映画という形式に特化した表現をしていたからだと考えたりします。
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しかし、サイレント映画の時代にあって不思議なのは、複雑なドラマを2時間以上にも渡って、延々と繰り広げている作品が、数多くあることです。
本来、言葉も上手く伝わらない映画であれば、複雑な話は語らず、なるべく動き主体で、手短に単純明快な物語を構築すべきだと思うのです。
なのに、この映画『つばさ』は2時間20分です。
更に言えば、当時のハリウッドの大作映画は『イントレランス』3時間 30分、や『國民の創生』3時間 13分にしても、何とも長い作品が発表されているのです。
これは本来、サイレントの映像表現の特質から言えば、ドラマの複雑さといい、人々の複雑な情感といい、言葉を用いて伝えるべきものを、無理に表現しようとしている気がして仕方が有りません。
なぜそんな無理をしたのか・・・・
ここで考えるべきは、サイレント映画がその当時の表現技術の最先端であったという事実かもしれません。
つまり、技術的限界があったにしても、その時代の最も優れた表現で、その表現以上の物が無い以上、その技術を更に高め、困難な内容を語る努力をせざるを得ないという事でしょう。
そう考えれば、サイレント映画の巨匠とは、サイレント映画の表現技術の限界に挑んだ、挑戦者だったのだと思うのです。
言うなれば、歌舞伎の舞台には男優しか登れなかったがゆえに、男から見た美しい女性「おやま=女形」が生まれ、宝塚では男以上に華麗でスタイリッシュな「男役」が生まれたように、ある表現技術に足りない部分を努力と知恵で補おうとするクリエーターの高い志が映画の歴史を作って来たのだと、この時代のサイレント映画を見て感じます。
サイレント映画に欠落していた、言葉と音を、いかに映像表現で補うかという努力によって、間違いなく映画のモンタージュと映像の感情表現が進歩したと信じています。
映画初期の観客は、ただ写真を眺める第三者的視線、映画の外部に位置していたとすれば、サイレント時代の終盤には、観客の主観的な視線を取り込む映像表現が確立したと感じます。
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サイレントという戦争映画に不向きな方法で、飛行機の飛ぶ音もなく、機銃の発射音もなく、爆発音もない状態で、それでもこの迫力を生んだのはやはり映像技術の賜物だと感じます。
そういう意味で、映画の映像表現の基礎がサイレント時代に確立し、それは欠落した表現を、可能な限り補い補完した、映画作家達の努力によって可能になったのだとという事実を、この映画は示していると感じます。
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