原題 Sunrise 製作年 1927年 製作国 アメリカ 監督 F・W・ムルナウ 脚色 カール・マイヤー 原作 ヘルマン・ズーデルマン 撮影 チャールズ・ロシャー、カール・ストラッス |
評価:★★★★ 4.0
1927年に製作された、ドイツ人監督による、モノクロ・サイレントのハリウッド映画です。
ハリウッド映画界から請われて、海を渡ったF・W・ムルナウが遠慮なく制作費を注ぎ込んで撮ったこの映画は、トーキー時代が始まろうかという時期に撮られ、敢えてサイレント映画としたことで表現の自由を勝ち得ていると思います。
近年、サイレント映画の様式が再評価されているように感じますが、それは現代社会に対するアンチテーゼとしての顔を持つからではないでしょうか?
<目次> |
映画『サンライズ』簡潔あらすじ |
テロップ「この映画は男とその妻の物語、特定の場所は無く、あらゆる所の物語。どこでも、いつでも、聞くことが出来る。」
夏、都会から汽船に乗り、湖畔の農村に来た都会の女と、恋に落ちた男。彼は、女にそそのかされ妻を殺し農園を売って、都会で暮らすことを夢見た。そして、妻を遊びに行くと連れ出し、都会に向かうボートの上、妻を湖に落とそうと試みるが、果たせなかった。悲嘆にくれる妻に、何度も謝り、心からの悔悟を見せた夫に、妻も赦しを与え、夫婦はかつてのような無邪気な笑いを取り戻した。その日、一日街で遊んで、お互いの愛を取り戻した夫婦は、湖をボートで戻る。しかし、その帰路、突然の嵐に見舞われボートは転覆し、男が気がついた時には妻の姿はなかった―
映画『サンライズ』予告 |
映画『サンライズ』出演者 |
男(ジョージ・オブライエン)/妻(ジャネット・ゲイナー)/街の女(マーガレット・リビングストン)/メイド(ボジル・ロージング)/写真家(J.ファレル・マクドナルド)/理髪師(ラルフ・ジッパー)/マニキュアガール(ジェーン・ウィントン)/邪魔な紳士(アーサー・ヒュースマン)/義務的な紳士(エディ・ボーランド)
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映画『サンライズ』考察サイレントの様式 |
しかし反面、批評家の評価は高く第1回目のアカデミー賞に輝いたように、高い評価を受けました。
関連レビュー:サンライズの評価 映画『サンライズ』 F・Wムルナウ監督の至高のサイレント! 第一回アカデミー主演女優賞、作品賞受賞作品!! |
当時の観客は、セリフが聞こえる映画を求めており、この作品の効果音やBGMが聞こえる程度のトーキは、その期待に応えるものではなかったのでしょう。
それ以上に、トーキー、カラーが当然の今の映画の観客から見れば、この映画はせいぜいレトロな味わいを面白がるくらいにしか、感じないかもしれません。
正直ドラマとしても凡庸で、盛り上がりや、劇的なクライマックスを期待すれば、肩透かしを喰らいます。
それでも、私はこの映画を愛さずにはいられないのです。
なぜなら、この映画に「表現形式に関する潔さ」を感じ、ある意味「語る様式」と「語られる内容」が理想的なマッチングを見せているかるからです。
ちょっと説明が難しいのですが・・・・・
当然ながら、トーキー出現前には、映画表現の唯一の形式がサイレント映画でした。
ですから当時の監督は、その唯一の武器を使って、森羅万象を語り尽くそうと努力を重ね、その結果がモンタージュやカット割りなど、映像表現の豊穣を生み出した事は間違いありません。
しかし、いくら努力しても、そこには無理もあります。
限られた言語情報で複雑な内容を語るのが不向きなのは、実際にトーキー映画を見れば明らかでしょう。
私などは、現代映画で歴史物や伝記を見てさえ、映像主体のメディアが語れる情報量を超えていると感じます。
つまり、サイレント映画は、本来複雑なことを語ってはいけないのです。
それにもかかわらず、サイレント映画しかない時代には、その表現形式に不向きなドラマを語らせようと、無理を重ねていたように感じてしまうのです。
例えば、『イントレランス』はサイレントの古典的名作とされますが、2時間50分に渡り展開される複雑な物語は、正直心が折れそうになります。
<イントレランス予告>
そんなこんなで、サイレント映画全盛時代の映画は、言うなればナイフという刃物一つで、鉛筆を削り、料理をし、木を切り、畑を耕し、戦争をするという、限られた道具を有効活用せざるを得ないという状況だったと感じます。
しかしそこに、鉛筆削りや、包丁、ノコギリ、剣が出てくれば、ナイフを使ってきたことの無理を自覚せざるを得ません。
この『サンライズ』の撮影時期とは、サイレントという道具が、トーキーという道具の出現によって、その特異性を白日の元に晒された過渡期でした。
そしてムルナウ監督は、その「特異性=情報量の少なさ」を理解し、むしろ積極的に活用したのです。
ドラマから、可能な限り情報をそぎ落とし、単純さに徹したからこそ、この映画は昇華され象徴性を勝ち得たのだと感じます。
そして、本来、そのミニマムさに徹することこそサイレントという表現の「最適な解」なのだと信じます。
それゆえこの映画は、サイレント様式の最も優れた作品なのだと信じています。
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映画『サンライズ』感想 |
このトーキーへの過渡期、同じ時期にチャップリンが『モダンタイムス』でサイレント映画を作製したのとは、その意味が違うようにかんじます。
チャップリンの場合は、自らの育ててきた「放浪紳士チャーリー」のキャラクターが、トーキーでは十分その魅力を発揮し得ないがゆえの苦渋の決断でした。
関連レビュー:放浪紳士チャーリーを去らせた者とは? 『モダン・タイムス』 チャップリンの資本主義批判!? 放浪紳士チャーリーの最後の登場作品 |
しかし、この『サンライズ』のサイレント表現は、もう少し積極的な意味が有ったように感じます。
F・W・ムルナウ監をドイツから呼び寄せた映画スタジオ、フォックス社にはムービートーンというトーキーシステム(映像と音声の同期システム)があり、この映画でも音楽と効果音は一部トーキー録音されています。
しかし、この映画の自由なカメラワークを見ると、この映画は基本的にサイレントカメラで撮られ、ムービートーン用カメラは一部の使用に止まったか、アフレコで音を入れたものかと推測しています。
いずれにしても、F・W・ムルナウ監督とカメラマンのストラウスは映像の自由度を求めて、敢えて音声を捨てて勝負したのでした。
その結果、そのカメラワークは斬新で、自由に出演者と共に移動し、観客の心理をカメラによって誘導することを可能にしています。
それは、当時において画期的な映像表現で、個人的にはこのカメラの自由さは、トーキー(音声入り)映画に入ってからだと、イタリアン・ネオ・リアリズモに町で移動するカメラが登場します。
しかし、この『サンライズ』と同様のインパクトはヌーヴェル・ヴァーグのゴダールまで待たねばならないとすら思います。
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つまり、この映画は、音声を捨てることで、当時のサイレント映画表現の完成度の高さを示した作品でした。
そんな言葉に頼らない世界を完璧に構築するために、ムルナウ監督は遠慮なくハリウッドの金を注ぎ込み、1つの架空の街を造る位の大掛かりなセットをスタジオに構築しています。
スタジオに作られた巨大なセットは、街路だけで費用が200,000ドルを超えたそうで、その後ジョン・フォード監督など、多くのフォックス作品で再利用されたようです。
その大がかりな様式化された街の風景は、言うなれば、CG時代のティム・バートンの背景を、人口的に作ってしまったようなものです。
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しかし、その大規模なセット構築の甲斐あって、この映画は一種のおとぎ話的効果を生んでいると思います。
そんな大金がこの映画に掛けられたのは、ムルナウ監督がドイツ表現主義の中で最も偉大な作家の一人で、 『 吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)では吸血鬼映画を発明し、その力をハリウッド映画界も十分評価していたからでした。
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そんなこんなで、この映画はサイレント映画表現における、ある種の到達点を示すものであり、その言葉に頼らない描写は、その背景と相まって一種の象徴性と詩的な普遍性を発揮していると思います。
しかし、100年が経とうかという、しかもモノクロ・サイレントという、表現としての制約が強い時代の映画ですから、現代的なエンターテーメント性や感動的なドラマを求めるのであれば、この映画は違うと言うべきでしょう。
現代を生きる者としては、ここに見出す価値は、情報をミニマムにし、登場する事物に汎用性を持たせることによって、物語が象徴性を持ち、典型に至るという事実を確認することにあるでしょう。
それは、現代の情報が溢れた時代にあって、全ての人物事物が名前を持ち、細分化される中にあって、単純さ簡素さの効果を確認することに他なりません。
そして、それは、実は幼児の持つ世界認識に近く、自ずと子供が鉛筆一本で描いた絵のような、素朴なポエティックな世界が出現するのです。
近年、サイレント映画の再評価が始まったように感じますが、その裏には現代社会の行き過ぎた情報過多があるようにも思えます。
つまり、「言葉=情報」を捨てることにより生まれる、映像的自由と解釈の多様性が、現代に新たな価値を生んでいるのではないでしょうか・・・・・・
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