2021年03月06日

映画解説『セブン』七つの大罪と映画の不完全性とは?考察・解釈/キリスト教と”7”の関係・ネタバレ簡単あらすじ

映画『セブン』感想・解説 編

原題 Se7en
製作国 アメリカ
製作年 1995
上映時間 126分
監督 デイヴィッド・フィンチャー
脚本 アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー


評価:★★★★  4.0点



デビッド・フィンチャー監督の恐るべき傑作。

脚本の研ぎ澄まされた精度。その脚本を最大源に表現する、演出と映像のビジュアルデザインの完成度の高さ。

そして、そのラストの衝撃ー

グロテスクな表現と、観賞後の後味の悪さに、耐えられる方なら、まずはご覧になられることをオススメする。
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<目次>
映画『セブン』簡単あらすじ
映画『セブン』予告・出演者
映画『セブン』解説/七つの大罪とキリスト教
映画『セブン』考察/映画の不完全性

映画『セブン』簡単あらすじ

朝、停年を一週間後に控えた、刑事のウィリアム・サマセット刑事(モーガン・フリーマン)の元に、新人刑事のデビッド・ミルズ刑事(ブラッド・ピット)が、配属された。二人は、歩けないほど肥満体の男の他殺死体が、発見された。サマセツトは、これは連続殺人の前触れで、退職を目前とする自分の事件ではないと、分署長(R・リー・アーメイ)に担当を拒否するが押し付けられる。次の被害者は有名弁護士で、現場には被害者の血で「GREED(強欲)」と書かれていた。サマセットはこれを、キリスト教の七つの大罪に基づく連続事件だと見て、犯人を追うが、続く一週間の内に、被害者は5人に増え、それぞれの罪を示す文字が残された。しかし、そんな2人の下に犯人が出頭してきたが、それは恐るべき罠の始まりだった―
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映画『セブン』予告

映画『セブン』出演者

デビッド・ミルズ刑事(ブラッド・ピット)/ウィリアム・サマセット刑事(モーガン・フリーマン)/トレイシー・ミルズ(グウィネス・パルトロー)/警部(R・リー・アーメイ)/マーティン・タルボット検事(リチャード・ラウンドトゥリー)/マーク・スワー弁護士(リチャード・シフ)/ジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)/テイラー刑事(ダニエル・ザカパ)/カリフォルニア(ジョン・C・マッギンリー)/マッサージ店の被害者の男(リーランド・オーサー)/マッサージ店の受付係(マイケル・マッシー)/ワイルド・ビル(マーティン・セレン)/ベアーズリー医師(リチャード・ポートナウ)/オニール医師(ピーター・クロンビー)/デイヴィス巡査(ジョン・カッシーニ)/ジョージ(ホーソーン・ジェームズ)/FBI捜査官(マーク・ブーン・Jr.)/図書館の警備員(ロスコー・デヴィッドソン)/グールド夫人(ジュリー・アラスコグ)/ミルズに詰め寄る女記者(ドミニク・ジェニングス)/ニュースキャスター(ビヴァリー・バーク)/案内する警官(デヴィッド・コレイア)/配達員(リッチモンド・アークエット)

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映画『セブン』考察

キリスト教と「7」

この映画で語られる、「セブン=7」という言葉の意味を確認したい。
これが、七つの大罪の一週間の物語であるように、本作では「7」が重要な意味を持つと思えるからだ。

そして、実はキリスト教にとっても「7」は必須の数字である。
神は「7日=一週間」で世界を創造し、神の審判は「7つの封印」が解かれたあとに下される。
関連レビュー:7つの封印を解説
『第七の封印』
イングマール・ベルイマン監督の描く宗教映画の古典
第10回カンヌ国際映画祭 審査員特別賞受賞

世界の始まりと終わりが「7」で括られるのが、キリスト教にとっての、その重要性を物語っているだろう。
そしてこの映画も、原題タイトルに「7」を入れているのは、そのキリスト教的教義を充分意識しての事だろう。
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映画のモチーフ「七つの大罪」も、その成立を見ると、キリスト教的教義の「7」に合わせている印象がある。
<「七つの大罪」の成立>
「七つの大罪」は8つの枢要な罪を起源としている。それは西暦4世紀に神秘論者のエヴァグリオス・ポンティコスが発展させた。彼の著作は,修道士で苦行者であったヨハネス・カッシアヌスの著作に影響を与えた。6世紀に教皇グレゴリウス1世はカッシアヌスの挙げた8つの罪を,「七つの大罪」,もしくはローマ・カトリックの神学が定義する7つの枢要な罪に変更した。その7つとは,高慢,貪欲,肉欲,嫉妬,暴食,憤怒,怠惰だ。グレゴリウスはこれらを他の多くの罪のもととなる根源的な罪とした。

その7つの罪を下に列記する。
<七つの大罪>
強欲(greed):強い欲求や欲求を持つこと。「しかし、女性を貪欲に見る人は誰でも、すでに彼女を心に抱いて姦淫を犯している」(マタイ5:28)
暴食(gluttony):過剰に食べたり飲んだりすること。「酒にふける者と、肉をたしなむ者とは貧しくなり、眠りをむさぼる者は、ぼろを身にまとうようになる。」(箴言23:21)
色欲(lust):過度または非難的な習得。「道徳感覚がまひしていて,恥知らずな行いにふけり,あらゆる汚れた事柄を貪欲なまでに行う。」(エフェソス4:19)
怠惰(sloth):活動や運動に消極的。精力的でも積極性も無い。「なまけ者の道には、いばらが生え茂り、正しい者の道は平らかである。」(箴言15:19)
憤怒(wrath):強い復讐心の怒りまたは憤慨。「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しい言葉は怒りを引き起こす」(箴言15:1)
嫉妬(envy):同じ利益を得たいとする欲求に加わった、他者が享受している優位性に対する妬みや怒りを伴う羨望。「あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。」(ペテロ第一2:1- 2)
傲慢(pride):自尊心の質または状態。過剰な自尊心。「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16:18)

実は、日本では、「七つの大罪」と呼ばれるこのキリスト教の戒律は、英語では、「The seven deadly sins(七つの死すべき罪)」と言う。
それゆえこの映画では、それらの罪を犯した者を、ジョン・ドゥが神に成り代わり死を与えるのだ。

しかし、考えてみれば上で挙げられた罪は、多かれ少なかれ誰もが犯したことがある罪ではないだろうか。
そのあまりに禁欲的で、清廉なキリスト教の戒律には、信徒ではない身からすれば不条理さを感じたりもする。

もっと言えば、それは現代社会の厳しい競争を生きる者からすれば、その戒律を厳守するのはもはや無理な要求だろう。
資本主義原理によれば、強欲こそが正義ですらあるだろう。

そう考えれば、この教義は既に現実離れしているのであり、夢想に近いとも感じる。
実はキリスト教に限らず、宗教や、政治イデオロギー、哲学とはある種の「虚構」だと捕らえるべきではないか。
関連レビュー:近代の理性と人間存在!
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現実世界を、人がその観念で裁断しようとする時、必ずこぼれ落ちる要素や、矛盾が生じることとなり、ついにはそのルールに則り現実世界を改変しようとして現実に敗れるという、過去の歴史を思い出す。

例えば、共産主義を含め政治的イデオロギーであるとか、キリスト教的魔女狩りに見る宗教の歴史であるとか、人間が作り上げた世界観は、堅固な理論や、厳格な規則で構築されればされるほど、いつしか綻びを見せ崩壊してきた。

それは、やはり現実的な世界を、人間の作った「理念=観念=理想」では全て捕えられず、結局のところ現実世界を「虚構世界=人工世界」で屈服させることが叶わないということの証左だったろう。
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映画『セブン』考察

映画世界の不完全性

この映画『セブン』は、上で述べたように、キリスト教的世界観を基にして成立した、連続殺人事件の物語である。

本来この物語の完成形は、最後にジョンドゥとミルズが死ぬ事で、キリスト教的清廉から現代社会が、どれほどかけ離れた状態で営まれているかを語り、完結させるべきだった。

しかし、実際は暗すぎる結末が観客に嫌われると見た映画会社の意向により、そうできなかったがゆえに、この作品にはドラマの道筋として不明瞭な点を残してしまった。
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そんな不明瞭な情報を整理してみよう。

@罪7つなのになぜ7人が死なないのか?

A箱の中をなぜ見せなかったのか?

Bサマセットの最後の言葉の意味は?

この三点を見ても、どうにも、この映画のラストは混乱していると言わざるを得ない。
そして、その混乱をもたらしたものは、少なくともAとBは間違いなく、映画会社の介入による直接的影響によるものである。

映画会社の横槍によって生じた、その不整合は、この作品にとって本当に残念で、勿体ないと思う。

しかし映画ファンたるもの、そんな商業主義の不都合な真実に負けてはならない
自らの愛する映画と真摯に向き合うなら、解釈次第でその映画は、完璧な整合性を獲得し得るのだ。
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ーそんな強い決意の下、この映画で語られた内容から、整合性が取れるドラマツルギーを探してみた。

すると本来、製作者側、監督、脚本家、俳優陣が語ろうとした「現実世界の腐敗・堕落」という物語ではない、別の物語を見い出したのだ。

その新たな物語の探求は、映画が語っている要素のみを使い再構築することで、結果的にはほぼ整合性を得る事に成功したと思う。

以下のレビューで、その個人的な考察に基づく、もう一つの『セブン』の物語を語らせていただきたい。
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posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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