2021年02月11日

黒澤明『七人の侍』この映画はパクリ!?考察・西部劇『駅馬車』との類似点/解説・黒澤映画の独自性・簡単あらすじ

西部劇『駅馬車』と『七人の侍』との関係

英語題 Seven Samurai
製作国 日本
製作年 1954年
上映時間207分
監督 黒澤明
脚本 黒澤明、橋本忍、小国英雄


評価:★★★★★ 5.0



この映画は古典的なアクション娯楽大作として、数多くの作品にその影響を与えている。
しかし、個人的にはこの映画の原型として、ジョン・フォード監督の『駅馬車』があると思える。

そして、その原型を元に、黒沢監督が新たな革新を映画にもたらしたと主張したい。

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<目次>
映画『七人の侍』ネタバレなし簡単あらすじ
映画『七人の侍』予告・出演者
映画『七人の侍』解説/リアルな殺陣の誕生
映画『七人の侍』考察/『駅馬車』との類似
映画『七人の侍』解説/黒澤監督の革新

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映画『七人の侍』簡単あらすじ


収穫が目前に迫る農村では、農民達が迫る危難に寄合いを持っている。収穫後に去年と同じく野武士が襲来するからだ。長老の儀作(高堂国典)は侍を傭うと決め、利吉等を侍探しにおくりだした。歴戦の古強者の勘兵衛(志村喬)が村人の願いに応え、五郎兵衛(稲葉義男)、久蔵(宮口精二)、平八(千秋実)、七郎次(加東大介)、勝四郎(木村功)を選抜した。そこに菊千代(三船敏郎)という野武士のような男が付いて来た。その菊千代も仲間に加えて七人の侍は村に向かう。勘兵衛の指揮の下、村の防衛体勢は整えられ、村人の戦闘訓練も始った。いよいよ収穫が終り野武士が村に襲来した。七人の侍と村人の命がけの戦いが始まり、夜討によって、野武士十人を斬ったが、侍側も平八が火縄銃に倒れる。夜が明け野武士は騎馬で村に襲いかかる。侍、村民が手に手に武器を持って応戦した。翌朝激しい驟雨の中、野武士は残った十三騎が村になだれこみ決戦を挑んできた。斬り込んだ侍達と百姓達は死物狂いの闘いをいどむのだった・・・・・・・・・・
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映画『七人の侍』予告


映画『七人の侍』出演者

志村喬 (勘兵衛)/稲葉義男 (五郎兵衛)/宮口精二 (久蔵)/千秋実 (平八)/加東大介 (七郎次)/木村功 (勝四郎)/三船敏郎 (菊千代)/高堂国典 (儀作)/左卜全 (与作)/小杉義男 (茂助)/藤原釜足 (万造)/土屋嘉男 (利吉)/島崎雪子 (利吉女房)/榊田敬治 (伍作)/津島恵子 (志乃)/三好栄子 (久右衛門の妻)/熊谷二良 (儀作の息子)/登山晴子 (儀作の息子の嫁)/清水元 (蹴飛ばす浪人)/多々良純 (人足)/渡辺篤 (饅頭売)/上山草人 (琵琶法師)/小川虎之助 (祖父)/安芸津融 (亭主)/千石規子 (女房)/千葉一郎 (僧侶)/東野英治郎 (盗人)/田崎潤 (大兵の侍)/上田吉二郎 (斥候A)/谷晃 (斥候B)/高原駿雄 (鉄砲の野武士)/山形勲 (鉄扇の浪人)/大村千吉 (逃亡する野武士)/成田孝 (逃亡する野武士)/仲代達矢 (街を歩く浪人/ノークレジット)
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映画『七人の侍』解説

リアルな殺陣の誕生

黒澤監督の映画以前は、日本映画のチャンバラとは歌舞伎の流れを受け、様式的な表現が主流だった。
関連レビュー:日本映画のチャンバラ様式美
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日本映画黄金期の映画基礎力の高さに驚く!
監督・森一生、主演・市川雷蔵、共演・勝新太郎の時代劇

それに対して、斬る時に斬撃音を入れたり、実際に切断された腕を見せたり、盛大に血を噴出して見せたりというのは、黒澤監督の生み出した新たなチャンバラの革新的な表現だった。
関連レビュー:チャンバラ映画のルーツと展開
黒澤明監督『椿三十郎』
黒澤時代劇の痛快娯楽作品!黒澤時代劇のルーツとは?
日本映画のチャンバラの歴史!

それらの新たな表現は、第二次世界大戦後10年という時代を考えれば、戦争による実際の肉体の破壊を知る者が多い時であり、それらの表現はリアリティーに求められた必然とも思える。

じっさい、そんな戦争の記憶は、トラウマのように1950年代の日本映画に深く刻み込まれている。
関連レビュー:1954年の戦争のトラウマ
映画『ゴジラ』
その祟り神の現れた理由と、日本の戦後
日本特撮映画のエポックメイキングとなった元祖怪獣映画

しかし個人的には、それ以上に、ジョン・フォードの西部劇に大きな影響を受け、その迫力・娯楽性を表現したいという思いが、その背後にあったと思える。
黒澤監督のジョンフォード監督に対する敬意は『黒澤明が選んだ100本の映画』という本の中で著者で娘の黒澤和子氏が語っている。
◎世界のクロサワが選んだ映画100本
文春新書『黒澤明が選んだ100本の映画』
映画界のレジェンドが選んだ古今東西の名作!!!
偉大な映画作家が愛した映画と映画監督!!!

その西部劇の持つ、アクションの迫力を再現したいとの熱意を最も強く感じる映画こそ、この『七人の侍』なのだ。
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映画『七人の侍』考察

ジョン・フォード『駅馬車』と『七人の侍』

この映画は、人物造形と言い、ドラマの構成と言い、ジョン・フォードの西部劇『駅馬車』と『七人の侍』の類似性が、強く感じられてならない。
関連レビュー:西部劇の古典的名作
映画『駅馬車』
ジョン・フォード監督の西部劇の革新とは?
完全再現ストーリー!ネタバレ・ラスト紹介

以下に、その類似点をまとめてみたい。

ヒーロー群像

この『駅馬車』では、次から次へといろいろな背景を持つキャラクターが、駅馬車に乗り込み旅をする。
その『駅馬車』の主要な登場人物は9人だが、その異なる個性が織り成すドラマは『七人の侍』の人物造形とドラマ展開に影響を与えていると感じる。

主人公のキャラクター

三船敏郎演じる菊千代はその登場の仕方といい、『駅馬車』でジョン・ウェイン演じるリンゴ・キッドと似たアウトローの風貌を持つ。
また、庶民の側にシンパシーを感じる点も共通性を感じる。

迫力あるアクションシーン

前半の人間ドラマで描かれた登場人物の個性の丹念な描写が、後半の戦闘シーンのドラマ性を高めている。
また『七人の侍』の活劇は、疾走感や、砂塵、人馬の入り乱れる激しさは『駅馬車』のインディアン襲撃シーンを参考にしていると見える。

登場人物の処理

『駅馬車』で印象的なのは、その登場人物の丁寧な扱いにあり、それは『七人の侍』も同様で、その登場人物の何人かが命を落とすのも『七人の侍』と共通である。
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このように『駅馬車』と『七人の侍』は共通点が数多い。

更に言えば、この映画のラストの言葉は、ジョン・フォード監督の別の古典、『怒りの葡萄』のラストのメッセージを、違う言葉で置き換えたものだと信じていた。
しかし調べてみると、『怒りの葡萄』の製作は1939年だが、戦争の影響もあり日本公開は1962年なので、黒澤監督が見ていたというのは邪推かもしれない・・・・・

だが、ネタバレになるので詳しくは書けないが、そのラストは本当によく似ているのである。

もし、ネタバレを気にされないのであれば、下の関連レビューで確認願いたい。
関連レビュー:『七人の侍』のラストと同じメッセージ
ジョン・フォード『怒りの葡萄』
大恐慌時代のアメリカ庶民の困窮と闘い!!
ジョン・フォード監督の神話的映画表現とは?

いずれにしても上で見たように、ジョン・フォード映画にインスパイアされたのが『七人の侍』だと主張したい。

しかし、すべての作品にはその原型があるのであり、むしろ重要なのはその原型にどんなオリジナリティーを付け加えたかにある。

そして、この映画は間違い無く古典と呼ばれるべき「オリジナリティー=原型」を持っているのである。

その点を次の文章で書かせて頂きたい。
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映画『七人の侍』解説

黒澤監督の映画の革新

この映画が、その原型として『駅馬車』を持っているのは間違いないと、個人的には考えている。
しかし、その上で黒澤監督のオリジナリティーを語って見たい。

それこそが、この映画がアクション映画の古典たらしめている要素だからである。

ヒーローチームの元祖

この映画で生まれたオリジナルは、精鋭ヒーローが何人も集まる「ヒーローチーム」で、一つの作戦を実行するという設定にある。
さまざまなキャラクターが集まり、ミッションを遂行するという物語原型は、そのメンバーを集めるドラマも含め現在でも踏襲されるストーリーである。それは、旧くは『ナヴァロンの要塞』や、近年ではアメコミのヒーローチーム『ジャスティス・リーグ』『アベンジャーズ』『スーサイド・スクワッド』 など、様々な映画で使用された設定である。
関連レビュー:ヒーローチームの変り種
『スーサイドスクワッド』
DCコミックの史上最強の悪党チーム
ヴィラン、ハーレイ・クインたちが悪の力で世界を救う
この、ヒーローチームというアイデアは、やはり日本的な集団共同作業の伝統を感じるし、西洋的キリスト教(一神教)とは違う、英雄の多元化という物語性から生じているだろう。

ヒーロー紹介導入パターンの元祖

リーダーの勘兵衛を紹介する、導入形式として、本線ストリーとは違うエピソードで印象付けるパターンは、この映画が最初だとされている。このヒーローキャラクターの性格を際立たせる方法は、現在アクション映画では一般的な手法として踏襲されている。
<『ダーティー・ハーリー』導入部例>

【意訳】ハリー:今何を考えているか知ってるぞ?俺が撃ったのが6発か5発かだろ。本当のことを言えば自分でも分からないんだ。でも、これは44マグナムで、世界一強力な拳銃だ。その頭はきれいさっぱり消え去るだろうな。お前は自分に尋ねてみろ、俺は運が良いかってな。どうだ、チンピラ(銃を拾い上げる)/犯人:教えろどっちだ。(ハリー空撃ちする)畜生め!
確かに、最初にキャラクターの特徴を象徴する行動を描写する導入部は、数多くの映画で見られるもので、そんなシーンを見たら『七人の侍』を思い浮かべるべきだろう。

アクション描写のリアリティー

個人的には、この映画のアクションシーンは表現として、当時の映画文法からすれば明らかに混乱し、整理が不十分だと思える。しかし、それこそが本来持つ戦闘の現実であり、戦闘の渦中における位置関係の喪失や、汚泥にまみれた肉弾戦は、それまでの日本映画は言うに及ばず、ジョン・フォードの西部劇の迫力をも超えて暴力的な生々しさに満ちている。
このアクションシーンに匹敵するのは、黒澤監督を敬愛するスティーブン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』のノルマンディー上陸のシーンぐらいではないだろうか。
アメリカ映画:1998年
『プライベート・ライアン』
第二次世界大戦を舞台にした、ヒューマニズムの物語
監督スピルバーグ主演トム・ハンクスのアカデミー賞受賞作品
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これらの黒澤監督の、革新性に関しても、実はその「オリジン=起源」は『駅馬車』の各要素を、よりショーアップしたものだったと思える。

例えば、「ヒーローチーム」ではないにしても、『駅馬車』でも乗客達はそれぞれストーリーがあり、各人が主人公というべき「ヒーロー集団」を形成していた。

そして、ヒーローの別線ドラマでの登場も、『駅馬車』リンゴ・キッドは復讐劇という別線を持って登場することが思い起こされる。

この映画のアクション・シーン関しては、一見してその影響は明らかだ。

しかし、黒沢監督はその各要素に関して、明らかにその『駅馬車』の起源から、より力強く、よりドラマチックに、より過激に、ショーアップして表現されていると感じる。

それゆえ、この『七人の侍』はアクションの古典であり、娯楽表現の古典なのであり、個人的に黒沢監督が娯楽大衆作家として卓越した存在だと考える理由である。



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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