原題 Se7en 製作国 アメリカ 製作年 1995 上映時間 126分 監督 デイヴィッド・フィンチャー 脚本 アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー |
評価:★★★★ 4.0点
デビッド・フィンチャー監督の映画史上最悪の傑作。
しかし、そこには映画会社と製作陣の確執が、残念ながら傷跡を残しており、満点を付けるのを躊躇せざるを得なかった。
そこで、この映画の描写の曖昧な所を指摘し、その上で物語のテキストの再解釈を試みた・・・・
<目次> |
映画『セブン』ネタバレなし簡単あらすじ |
朝、停年を一週間後に控えた、刑事のウィリアム・サマセット刑事(モーガン・フリーマン)の元に、新人刑事のデビッド・ミルズ刑事(ブラッド・ピット)が、配属された。二人は、歩けないほど肥満体の男の他殺死体が、発見された。サマセツトは、これは連続殺人の前触れで、退職を目前とする自分の事件ではないと、分署長(R・リー・アーメイ)に担当を拒否するが押し付けられる。次の被害者は有名弁護士で、現場には被害者の血で「GREED(強欲)」と書かれていた。サマセットはこれを、キリスト教の七つの大罪に基づく連続事件だと見て、犯人を追うが、続く一週間の内に、被害者は5人に増え、それぞれの罪を示す文字が残された。しかし、そんな2人の下に犯人が出頭してきたが、それは恐るべき罠の始まりだった―
映画『セブン』出演者 |
デビッド・ミルズ刑事(ブラッド・ピット)/ウィリアム・サマセット刑事(モーガン・フリーマン)/トレイシー・ミルズ(グウィネス・パルトロー)/警部(R・リー・アーメイ)/マーティン・タルボット検事(リチャード・ラウンドトゥリー)/マーク・スワー弁護士(リチャード・シフ)/ジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)/テイラー刑事(ダニエル・ザカパ)/カリフォルニア(ジョン・C・マッギンリー)/マッサージ店の被害者の男(リーランド・オーサー)/マッサージ店の受付係(マイケル・マッシー)/ワイルド・ビル(マーティン・セレン)/ベアーズリー医師(リチャード・ポートナウ)/オニール医師(ピーター・クロンビー)/デイヴィス巡査(ジョン・カッシーニ)/ジョージ(ホーソーン・ジェームズ)/FBI捜査官(マーク・ブーン・Jr.)/図書館の警備員(ロスコー・デヴィッドソン)/グールド夫人(ジュリー・アラスコグ)/ミルズに詰め寄る女記者(ドミニク・ジェニングス)/ニュースキャスター(ビヴァリー・バーク)/案内する警官(デヴィッド・コレイア)/配達員(リッチモンド・アークエット)
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!!ご注意!!
以下の文章には、この映画のネタバレと結末を含みます。
映画『セブン』解説映画世界の解釈 |
しかし、実際は暗すぎる結末が観客に嫌われると見た映画会社の横やりにより、ラストを変えざるを得なくなり、結果的にドラマの道筋として不明瞭な点を残してしまった。
それゆえ特に、この映画のラストは混乱していると言わざるを得ない。
そんな不明瞭な情報を整理してみよう。
@罪7つなのになぜ7人が死なないのか? A箱の中をなぜ見せなかったのか? Bサマセットの最後の言葉の意味は? |
やはり、この三点を見ても、作品内で消化不良を覚える。
七つの大罪に関しては、7と言う数字が重要であるにもかかわらず、物語がすべて語っているとは思えない。
そして繰り返すが、その混乱は、少なくともAとBは間違いなく、映画会社の介入による直接的影響なのである。
しかし、それは映画作品内の世界から見れば、単なる雑音に過ぎず、作品内で語られた内容だけがその作品世界の全てだと信じ、映画を再び解釈したのが以下の文章である。
この映画が語る要素を追って行けば、ここで語られているのは「リアリスト=現実主義者」と「アイデアリスト=理想主義者」の対立として整理できる。
主要人物のキャラクターを見てみよう。
サマセットとミルズの妻トレーシーの2人が表現するのは、過酷な現実を生きる事の困難を知った「リアリスト=現実主義者」だ。
それを端的に示すのが「宿した子供」を、この悲惨な世界に生むべきか悩むシーンだったろう。
<『セブン』トレーシーとサマセットの会話>【意訳】サマセット:なぜ私に、本当の相談事を言わないんだ、トレーシー?/トレーシー:デビッド(ミルズ)と私の子供を身ごもったの。/サマセット:・・トレーシー・・・・俺が思うに、それに関して俺は相談に乗れない/トレーシー:この街が嫌い。/サマセット:かつて深い関係の相手がいた、結婚同然だった。俺達も子を授かった。ずっと昔。思い出す、ある朝起きて仕事に行く時、それは他の日同様の日だったが、ただ違うのは妊娠を知った日の翌日だった。そして、俺は恐怖を感じた。かつて無いほどの。俺は、こんな世界でどうやって子供を育てるのかと、この周囲の環境でどんな人間に育つのか、考えたのを思い出す。彼女に、俺は望まないと言った。そして、それから数週間、説得した。
トレーシー:私は子供を生みたいの。/サマセット:今俺が言えるのは・・・俺は、俺は理解している、俺の結論は正しく肯定されるものだが、それでも、それから1日たりとも、別の選択は無かったのかと考えない日はない。もし子供を見たくないと決断すれば、妊娠のことは言うな。もし赤ん坊を生むと決めたならば、君はその子をどんな時も甘やかしてやれ。/サマセット:それが君に与えられるアドバイスの全てだよ、トレーシー。(ベルが鳴る)行かなきゃ。/トレーシー:ウィリアム(サマセット)感謝するわ。
この二人にとっては、現実世界に新たな命を生むことすら、罪悪であると感じらるほど、その世界に希望を持てない。
これに対して、刑事ミルズは同意しない。
彼は、サマセットに対し自らの力で世界をより良く変革しうると語る。
バーでサマセットと酒を飲むシーンの会話で、ミルズの「アイデアリスト=理想主義者」としての性格が露わに示されている。
<『セブン』バーシーン>【意訳】サマセット:分かるだろ、これはハッピーエンドにはならない。/ミルズ:なんにせよ、奴を捕まえれば、俺は充分ハッピーだ。/サマセット:もし、俺達がジョン・ドゥを捕まえても、奴が悪魔だと判明するわけじゃない。俺が言うのは、奴がサタンだとすれば、俺達の期待どおりだってことだ。でも、そうじゃない。それは本当に驚くべきことだが。/ミルズ:いいか?あんたは間違いなく、自分の不満を、それを俺に言ってるんだ。そう、もし、あんたが、俺の最悪の時のために、心構えを説いているなら、有難いよ、でも―/サマセット:ヒーローになりたいか?チャンピオンになりたいのか?なぜみんながチャンピオンになりたがらないか言わせてくれ。彼等が求めているのはチーズバーガーを食べてロトをして―/ミルズ:何の時間だ、いったい俺に何を言いたい。何を分からせたい。/サマセット:俺が言ってるのは、一つだけじやない。/ミルズ:言えよ。
サマセット:俺は、無関心を育み、抱擁し、それを喜びとするなら、この地で生き続けたいとは思わない。/ミルズ:なにか違うのか。あんたはマシか?/サマセット:俺が違うともマシだとも言わない。俺も変わりはない。俺も無関心が解決策だと共感するさ、人生に立ち向かうより麻薬におぼれる方が楽だ。稼ぐより盗む方が楽だ。子供を育てるより殴る方が楽だ。愛するのは努力を求められる。/ミルズ:俺たちが話しているのは、精神異常者だ。俺たちが話してるのクソッタレの狂人だ。/サマセット:違う、そうじゃない。俺たちが話してるのは、毎日この地で生きている者たちだ。お前は、ウブすぎるんだ。/ミルズ:聞いてくれ。あんたはみんなが無関心なのが問題だと言う。しかし、俺は他の奴らなんか知らない。俺には無意味だ。なぜだと?/サマセット:お前は関心がある?/ミルズ:そうだ。/サマセット:お前が世界を変えるのか?/ミルズ:言いたいのは、あんたが辞めるのは、あんが言ったことを信じているからじゃなく、辞めるからそう信じたいだけだ。あんたは俺に同意してほしいと望んでる。そう、そう、正しいよ、全てクソッタレで、クソッタレの汚濁の中だ、クソッタレの山小屋に籠って生きてこうってな。でも、俺は同意しない。そうしたくない。あんたには同意しない。絶対に。俺には出来ない。家に帰る。ありがとう。
この会話でサマセットが語るのは、ジョンドゥが示すのは現実世界がいかに汚濁に満ちた世界かの証明であり、今や世の中全ての者が汚濁から逃れられないから、それに無関心を装っており、そんな世界に絶望しているという意味だろう。それに対して、ミルズは現実がどうであれ、自分は世界をよりよくするため関与し続けると語り、サマセットの現実世界への諦念を認めることを拒否するのだ。
ミルズの理想家ぶりは、現実の混乱と汚辱に塗れてきた現実家サマセットからすれば、決して相容れない世界観だったろう。そして、もう一人の「アイデアリスト=理想主義者」がジョン・ドゥだった。
彼も、たぶんサマセットと同様、現実に絶望した。
しかし、サマセットがその過酷な現実を生きる事を受け入れたのに対し、ジョン・ドゥはそれを拒否する。その過酷な現実を変革する道、現実に苦しむ己の救いを「神」に求めたのだ。
その結果「神の意思」に沿わない不信心者達の存在が、現実世界を地獄のような場所に変えてしまったと見なして、殺人という手段を用いて世界を神の意思の元「浄化」しようと試みたのである。そう言う意味で、ミルズは「警察権力」によって、ジョン・ドゥは「殺人=犯罪」によって、方法は真逆に見えても現実世界を自らの理想世界へと変革しようとした「アイデアリスト=理想主義者」だったのだ。
再び言うが、この映画は理想と現実の相克を描いたドラマなのである。それゆえ、その観点から物語を再解釈すれば、このドラマは何一つ疑問を生じることなく、キレイにその世界を収斂させる。
私が考えた、この物語の真相は「現実主義者」サマセットとミルズの妻トレイシーが共謀し、ジョン・ドゥをミルズと闘わせ理想主義者同士共倒れさせたという解釈だ。無理があると思われるだろうか?
しかし、その解釈に従って、ストーリーが合理的に成立するのである。
下に、その物語を示そう。
スポンサーリンクミルズの妻はサマセットが自分と同じ現実主義者と知り、金曜日の朝、腹に宿した子に関して相談するほど、深い信頼を寄せていた。
映画『セブン』考察
映画世界の再構築
それは同時に、夫ミルズの理想主義に対する強い反発をも示していただろう。
サマセットもミルズとの酒場での一夜で、ミルズのその理想家的な言葉に嫌気がさし、ミルズの妻の想いに強く共鳴した。
酒場での会話の後、眠れない一夜を過ごした翌朝、ミルズはトレーシーに子供を産むべきでは無いと伝える決心をし、トレイシーを訪ねた時、そこにジョン・ドゥが現れた。サマセットは襲い掛かるジョン・ドゥを制し語りかける。
「お前の理想世界は理解できる。神の正しい世界を作りたいのだろう。しかし、ミルズはそれを許さない。奴はお前の神の世界を決して認めないだろう・・・・・それはお前にとって敗北ではないか?」ジョン・ドゥは言う「俺の計画は完璧だ。妻の首を入れて、それを見せれば、奴は嫉妬の罪を犯した俺を殺し、自らは憤怒の罪の己を罰し自死するだろう」
そこでサマセットは言う。
「お前の計画は分かった。だが、妻を殺せば7つの大罪以外の死となり、お前の神のメッセージに混乱が生まれるぞ。」
「トレイシーを実際に殺す必要は無い。俺が箱を見て、首が入っているという芝居をしよう。それで、お前は無駄な殺しをする必要がなく、完璧に7人の罪人を裁けるじゃないか」さらにサマセットは畳み掛ける
「おれはミルズの理想が本物か試してやりたい。奴の理想が本当ならば、妻が殺されても、更には身籠っていたと教えてやっても、正義を求めれば奴はお前を殺さないだろう。」
「そして、お前の理想が勝つなら、ミルズはお前を殺し自らを殺すはずだ。」
「お前はどう思う?奴の理想とお前の理想、どちらがより完璧か試してみたくないか?」そうサマセットは問う。
こうして、サマセットはトレーシーを死から救った。そして彼女に言う
「大丈夫だ。ミルズの理想が本物ならば、ミルズはジョン・ドゥも自分も殺さない。そうなれば、この世にも希望がもてるじゃないか・・・・・ミルズが正義を通せるなら、お腹の子を奴と育てればいい」ミルズの妻が言う「それでも・・・・ミルズと生きてく自信は無いわ。」
サマセットは悲しげな顔を見せ「そうか、ミルズとが無理なら・・・・・この街を遠く離れた場所で、俺が君とその子と生きて行くさ」と呟いた。そして、ジョン・ドゥは、自首をしミルズをラストの地に連れ出す。それに応じたミルズは、外に向かう準備をしている時サマセットに言いかける。
「実は・・・・・何でもない」
ミルズも薄々気が付いていたのだ、夫婦の間の不協和音に。
2人はジョン・ドゥを伴い指示された場所に向う。
サマセットは計画がばれないように、車中でジョン・ドゥにそれらしく話しかける。
そして、ラスト。
関連レビュー:映画『セブン』のラストシーン動画紹介
映画『セブン』
デヴィッド・フィンチャーの驚愕の傑作!!
ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの現代の黙示録
箱を見たサマセットは、空っぽにもかかわらず、上空で監視しているヘリを意識して大げさに演技をする。
そして中に何もない事を悟られないよう、ヘリに向かって近づくなと警告しておいて、ミルズの元へ走る。
その時には、ジョン・ドゥはミルズに妻の首が箱に入っていると嘘を告げている。
そして、ミルズがサマセットに「箱の中身は何だ」と問いかける。
しかし、サマセットは声が拾われている可能性も考慮し、決して箱の中身が「妻の首」だという嘘を言わず、ミルズを追いこんで行く。
そして、ミルズはジョン・ドゥを射殺し、自らは死ななかった。それは、ジョン・ドゥの理想世界が崩壊し、ミルズの正義が敗北した瞬間だった。
用意周到だったジョン・ドゥの神の裁きは、結局、中途半端な形で終わった。
ミルズの、この世の悪を根絶しようという理想は、自らが犯罪者となり潰えた。
理想家は、お互いの理想をぶつけ合い、共に倒れた。
それは現実の猥雑と、狡知が、2人の理想家を葬った瞬間だった。
サマセットは最後に言う「人生は闘う価値がある」
それは、過酷な現実を耐えた末には、トレイシーのように同じ価値観を持つ、かけがえのない伴侶を得られるという事実を語っていたのかもしれない。
スポンサーリンク映画の製作者の意図がどうであろうと、映画作品はそれ自体が独立した一つの世界であり、それは見る観客の数だけ別の物語を生むという考え方もある。
映画『セブン』解釈
現実世界の虚構性と映画の現実世界
そう考えた時、この映画は、上のように解釈することも許されるだろう。
また映画世界が、作り手の手を離れた一つの宇宙であると考える時、その「映画=人工的虚構世界」は、例えば人間が現実世界に構築した「キリスト教的虚構世界=自然定義理論」とどこが違うのだろう。
そう整理してみれば、フィンチャーの作品群とは常に「現実世界の虚構」を暴き、「フィクション=虚構世界」の虚構をそのヴィジュアルによって賦活し、観客にとっての現実を変革することを意図しているのかとも思う。
それはいうならば、古い「教義=イデオロギー」の更新を、「映画の教義」によって成そうとする、大それた野望であったかもしれない。
そして、フィンチャーの一筋縄ではいかない、恐ろしいところは、虚構内にさらに虚構を埋め込む手法にあるのだ。
その不安定な虚構は、その虚構の真実の姿を求める心を観客に生む。
もし観客が、フィンチャーの虚構の迷路に囚われ、その真実を知ろうとするとき―
その観客は虚構世界に自らを放り込み、その虚構を生きるという現実を生むのである。
そして、物語世界を主体的に生きる時、そこには観客の世界の数だけ新たな世界観=教義が構築されることになる。【関連する記事】
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考察とか書かないほうがいいんじゃない?
>おい筆者!さま
ご指摘ありがとうございます。
訂正させて頂きました。
トレイシーがサマセットに相談するシーン、とりわけそこでのサマセットの回答は、この映画の中でもかなり好きな部分になるので、新解釈についても興味深く拝見しました。
コメントありがとうございます.
強引な説ですが、お褒め頂き喜んでおります。フィンチャーの初期の映画は、『ファイト・クラブ』にしても、見る者にいろいろ想像させるので面白いですよね。
ちょっと脱線気味の話になりますが、最近は(いや、もうだいぶ前から)新作や未鑑賞作品を観るよりも、昔観たお気に入りの映画を何度も観る方が楽しめる体になっているような気がします。
フィンチャーで言えば、「ソーシャル・ネットワーク」あたりからの作品は観よう観ようと思いつつまだ全部は手が伸びておらず、その間に「セブン」や「ファイトクラブ」はもう何回観たかわからないほど、折に触れて観ていたりします。
ヒラヒ・Sさんは私より遥かに多くの作品に触れているようにお見受けしますが、そういったことってあったりしますか?
>poppycockさん
コメントありがとうございます。
私は、古い映画を見漁っていますが、新しい映画についていけないというのが現状かと思います・・・・見慣れた作品は愛着がわきますね。