2021年01月13日

古典映画『M』1931年の殺人鬼の正体とその実話とは?/解説・考察・実話・ネタバレなし簡単あらすじ

映画『M』解説・実話 編

原題 M
製作国 ドイツ
製作年 1931
上映時間 117分
監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング


評価:★★★★  4.0



この1931年製作のドイツ映画はサスペンス映画の古典です。

サイレント映画の時代から、ドイツで革新的映画を発表して来た名匠フリッツ・ラングが作った、サスペンス映画です。

この映画の殺人鬼の恐怖とは、当時のドイツの状況を反映し、ゴシック・ホラーの伝統に新たな要素を加えたものだと思えます。

この映画は、ハリウッドで一時代を築いた「フィルム・ノワール」の元祖と言われる古典作品ですが、実話を基にした「実録犯罪映画」でもあったのです。
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<目次>
映画『M』簡単あらすじ
映画『M』予告・出演者
映画『M』考察
映画『M』解説・実話

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映画『M』簡単あらすじ


ベルリンの街は少女連続殺人の発生で、世間は不安をが高まっていた。そんな中、少女エルシー(インゲ・エステート)に近づいた犯人ハンス・ベッケルト(ピーター・ローレ)は、その命を奪うと犯行声明を新聞社に送った。世論は逮捕できない警察を非難し、捜査指揮を執るカール・ローマン警視正(オットー・ベルニッケ)は、なりふり構わぬ大規模な捜査を行い、その影響で暗黒街の商売が出来なくなり、顔役シュレンジャー(グスタフ・グランジェンズ)は暗黒街のネットワークを駆使し犯人を追う指令を発した。そしてついに、犯人ベッケルトは追い詰められたが・・・・・・
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映画『M』予告

映画『M』出演者

ピーター・ローレ(ハンス・ベッケルト) /オットー・ベルニッケ(カール・ローマン警視正)/インゲ・エステート(エルシー・ベックマン)/エレン・ウィドマン(エルシーの母)/グスタフ・グランジェンズ(シュレンカー:ボス)/フリードリヒ・グナス(フランツ:泥棒)
フリッツ・オデマール(イカサマ師)/ポール・ケンプ(スリ)/エルンスト・シュタール・ナハバウアー(警察署長)/フランツ・スタイン(大臣)/ゲオルク・ジョン(盲目の風船売り)/ルドルフ・ブリュムナー(弁護人)/カール・プラテン(ガードマン)

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映画『M』考察

殺人鬼の正体とは?

この映画『M』を始めてみた時、ドラマとしての集中力に欠けていると思い、高い評価を付けられないと感じました。
なぜなら、主人公が誰で、ドラマの中心がどこか、不明瞭だったからです。
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普通に考えれば、このピーターローレ演じる殺人鬼こそ主役かと思えますが、彼自身が顔を見せるのは劇の半ばです。
更にいえば、映画の描写は、犯人を追う警察、暗黒街、殺人鬼、その3者が等分に描かれ、どれを軸に見れば良いのか分からず、その散漫な印象に輪をかけます。

それゆえ、現代のサスペンスやスリラーを見慣れた眼からすると、禍々しい映像の空気感に打たれるものの、その中心を求めて右往左往する気持ちになりました。
しかし、その私の、ドラマを一直線に見ようとする鑑賞意識は、現代のドラマ性を高めるために整理され集約した表現の作品を見すぎているからではないかと反省し、再度視聴を試みました。

すると、この映画が真に描いた、禍々しさ、歪み、狂気、陰鬱さの実体が見えたように思います。

実は、この映画の殺人鬼とは、それまでドイツ映画が描いてきた恐怖映画の「新顔=ニューフェイス」だったのです。

例えば、『吸血鬼ノスフェラトゥス』の「吸血鬼」、『カリガリ博士』の「眠り男」と同様、この映画の連続殺人鬼とはゴシックホラーの伝統に則った恐怖の形の変奏曲だったと思えます。
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それゆえ、恐怖の対象は極力見せないと言うゴシックホラーの伝統に則り、殺人鬼はなかなか姿を見せず、恐怖に襲われる側のパニックと混乱を描くことに注力していたのではないでしょうか。

しかし、この映画をゴシックホラーとして見た時、明らかにユニークなのは、その恐怖の対象が「弱々しい中年男」だという点です。

つまり、ここには超自然的な恐怖の対象は存在せず、現実的な人間が生む恐怖を描いている点で、ゴシックホラーの系譜として、真に画期的だと言うべきでしょう。

それは、人間存在をモンスターとして規定した「ゾンビ」同様、悪魔的存在としての人間を描いた近代的な発想であったように思います。
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再び言いますが、この映画が語るのは「普通の人間」が生む恐怖であり、それを巡り警察など国家権力や、暗黒街や非合法社会の犯罪者達が、大混乱をする姿が描かれています。

映画が製作された当時ドイツは1人の男、アドルフ・ヒットラーというナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首によって大きな変革を迎えていました。
ドイツで1929年の世界恐慌以後、国民の社会不安を背景に支持を拡大したナチス党は、1930年9月の選挙で第二党に躍進し、彼の過激な主張は一般大衆の心を掴み更にその勢力を伸長することが予想されました。
ヒットラーの主張とは、それまでのエスタブリッシュ(社会上流階級)や、犯罪に手を染めている反社会勢力、そしてマイノリティー達を切り捨て「健全」で「清潔」なゲルマン民族の国家を作ることだったと言います。

それは、国民の絶対多数を構成する中間層、最も普通の市井の人々が求める、モラルであり社会規範でした。
それは、普通の人々が困窮の中求める欲求が、世論として叫ばれる中、狂気に変じる姿だったのであり、普通の男が狂気を秘めているとする、この映画の恐怖と通じるものだと感じます。

この映画の、1人の男の狂気に社会が振り回され、大いなる災厄の予感を漂わせるドラマの背後に、ヒットラーが政権を掌握した際のユダヤ人排斥に怯える、1人のユダヤ人フリッツ・ラングの心理を見ないわけには行きません。
フリードリヒ・クリスティアン・アントーン・"フリッツ"・ラング(Friedrich Christian Anton "Fritz" Lang, 1890年12月5日 - 1976年8月2日 )は、オーストリア出身の映画監督。父母ともにカトリックだが、母(旧姓シュレージンガー)はユダヤ教からの改宗者だった。トレードマークの片眼鏡でも知られる。
『Halbblut』(1919年)で監督デビュー。1920年の『カリガリ博士』はラングが監督を担当するはずだったが、脚本の改稿だけを担当することになる。
以後、大長編の犯罪映画『ドクトル・マブゼ』(1922年)、SF映画の古典的大作『メトロポリス』(1927年)、トーキー初期のサスペンス映画『M』(1931年)など、脚本家である夫人テア・フォン・ハルボウとのコンビで、サイレントからトーキー初期のドイツ映画を代表する作品を手がけた。
アドルフ・ヒトラーの政権が成立すると、ユダヤ人であるラングの立場は危険なものになった。だが、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスはラングの才能を評価し、甘言を弄して亡命を阻止しようとした。そんな中、間一髪で1934年にフランスへ亡命し、さらにアメリカ合衆国に渡った。
(wikipedia より)

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映画『M』解説

殺人鬼の実話

この映画の殺人鬼は、1930年当時ドイツを騒がせた連続殺人犯をモデルにしており、実録犯罪映画の一面も持っています。

殺人鬼@ペーター・キュルテン(デュッセルドルフの吸血鬼)

ペーター・キュルテン(Peter Kürten, 1883年5月26日−1932年7月2日)はドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼 (ドイツ語: Der Vampir von Düsseldorf) という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテン(ピーター・カーテン)とも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。M_kuruten.jpg
キュルテンは約80件の犯罪を自白。9件の殺人と7件の殺人未遂の罪で起訴される。1931年4月から裁判が行われた。当初彼は無罪を主張したものの、数週間後答弁は変化を見せた。結果、死刑の判決を受け、1932年7月2日早朝ケルンにてギロチンを用いた死刑が執行された。(wikipediaより)

殺人鬼Aフリッツ・ハールマン(ハノーファーの屠殺人)

フリードリヒ・"フリッツ"・ハインリヒ・カール・ハールマン(Friedrich "Fritz" Heinrich Karl Haarmann、1879年10月25日 - 1925年4月15日)はドイツ・ハノーファー出身の著名な連続殺人犯。1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。M_Haarmann.jpgハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。噂ではハールマンが犠牲者の肉を闇市場で缶詰の豚肉として売り歩いたとされているが、これを裏付ける証拠は無い。
裁判記録にある犠牲者数は28人である。但しハールマン自身は少なくとも48人は殺したと豪語していた。
ハールマンは1924年12月19日に有罪判決を受け、1925年4月15日早朝にハノーファー地方裁判所の刑務所でギロチンによる斬首刑に処された。(wikipediaより)

殺人鬼Bカール・デンケ(パパ・デンケ)

カール・デンケ(Karl Denke, 1870年8月12日 - 1924年12月22日)は、ドイツの連続殺人犯。ミュンスターベルクの地主であったデンケは大きな屋敷を構え、農地を持ち、毎週日曜には近所の教会でオルガンを弾いており、人々から「パパ・デンケ」の愛称で尊敬されていた。M_denke.jpg
街を流浪するホームレスたちを、自ら経営する下宿屋に無料で宿泊させており、その慈善業もまた人々から称賛されていた。
1924年12月21日、デンケの自室から悲鳴が上がり、別室の住人が駆けつけると、そこではデンケが下宿人の頭を斧で叩き割ろうとしていた。駆けつけた警察はデンケの部屋から、塩漬けの人肉の桶2つ、人間の骨や脂肪の入った瓶詰を発見し、それら30人以上もの人肉と見られた。さらに押収されたノートには、ホームレスたちの名前、体重、死亡年月日が几帳面に書き記されていた。デンケは罪を認め、1921年から人肉しか口にしていなかったと語った。これによりデンケは3年間、ホームレスたちを人肉として食べる目的で宿泊させていたことが明らかとなった。
逮捕後まもなくデンケは、前述のような信心深さから良心の呵責に耐えられなかったか、拘置所内で首を吊って自殺した。(wikipediaより)

殺人鬼Cカール・グロスマン

カール・フリードリッヒ・ウィルヘルム・グロスマン(1863年12月13日– 1922年7月5日)は、ドイツの連続殺人犯、性的暴行者、そして犠牲者の人肉を口にした食人嗜好者だった。彼は全てを自白することなく本裁判の結審を待つ間に自殺し、彼の犯罪と動機の真実はほとんど知られていない。M_Großmann.jpg
彼はサディスティックな性的嗜好を持ち、幼児性的虐待でいくつかの有罪判決を受けていた。若年期には、彼は10歳の少女を悪戯し、4歳の少女(判決の直後に死亡した)を残酷にレイプしたことで15年の懲役刑に服した。
第一次世界大戦中、グロスマンは闇市場で肉を販売し、自宅近くの駅でホットドッグ屋台を開いていた。彼が骨と他の非食用部位を川に捨てたた、肉が彼の犠牲者の死骸を含んでいたと信じる者もいた。行方不明の女性の部位がアンドレアス広場近くのルイセンシュタット運河で、毎日のように見つかり、100人の女性や少女殺害の容疑者として捜査官をグロスマンに導いた。グロスマンは、主な裁判が終わる前に独房に首を吊ったため、殺人罪で有罪判決を受けなかった。(英語版wikipediaより)


また、映画で犯人を追い詰めるカール・ローマン警視正のモデルは、当時有名なベルリン警察の刑事局長であるエルンスト・ゲンナがモデルでした。

エルンスト・ゲンナ

エルンスト・アウグスト・フェルディナンド・ゲンナ(1880年1月1日– 1939年8月20日)はベルリン刑事警察の局長だった。M_ernest.jpg彼は、ドイツ帝国で最も才能があり成功した犯罪学者の1人として、30年のキャリア中、3つの政治システムの下で働いた。特に、彼はフリッツ・ハールマンとペーター・キュルテンの事件に取り組んだ。
ゲンナは殺人捜査の大部分を再構築した。彼は、今日プロファイリングとして知られているスキームのほとんどを開発した。
彼の業績は、1930年のペーター・キュルテンに関する公的な論文「ダイデュッセルドルフ性犯罪」で用いられ命名された「連続殺人(シリアルキラー)」のように文章化された。
第三帝国時代、彼はナチ党から距離を置いていたが、仕事を継続した。彼の業績に基づいて、彼は1934年に部長に昇進し、1935年にベルリン警察の副所長に昇進した。


監督のフリッツ・ラングはドイツの精神病院で8日間過ごし、数人の連続殺人鬼と面会し、彼等を基に映画の殺人鬼を造形したと言われます。

またフリッツ・ラングは映画のエキストラとして数人の本物の犯罪者を使用し、最終的に25人のメンバーが映画の撮影中に逮捕されたという、嘘のような本当の話がありました。

そんな、徹底した取材と、現実の要素を取り込んだこの映画だからこそ、ドラマを越えたリアリティーが生まれたと思います。



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | ドイツ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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