2021年02月20日

映画『M』ドイツ表現主義とフィルムノワールの関係とは?/解説・考察・映画の革新表現・簡単あらすじ

映画『M』あらすじ・ネタバレ 編#006600

原題 M
製作国 ドイツ
製作年 1931
上映時間 117分
監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング


評価:★★★★  4.0



この1931年製作のドイツ映画はサスペンス映画の古典です。

名匠フリッツ・ラングが、SF映画の古典『メトロポリス』の後に撮った、世界初の連続殺人鬼を題材にした「クライム=犯罪映画」です。

この映画を始め、第二次世界大戦前のドイツは映画表現に革新を生み、その影響を受けハリウッド映画に新たなドル箱「フイルム・ノワール(犯罪サスペンス映画)」というジャンルを確立させました。

この映画は、そんな歴史的な価値を持つ作品だと思います。
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<目次>
映画『M』ネタバレなし・簡単あらすじ
映画『M』予告・出演者
映画『M』解説/ドイツ映画とハリウッドの革新
映画『M』考察/「フィルム・ノワール」の表現様式
映画『M』解説/「フィルム・ノワール」と「ヌーヴェル・ヴァーグ」

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映画『M』簡単あらすじ


ベルリンの街は少女連続殺人の発生で、世間は不安をが高まっていた。そんな中、少女エルシー(インゲ・エステート)に近づいた犯人ハンス・ベッケルト(ピーター・ローレ)は、その命を奪うと犯行声明を新聞社に送った。世論は逮捕できない警察を非難し、捜査指揮を執るカール・ローマン警視正(オットー・ベルニッケ)は、なりふり構わぬ大規模な捜査を行い、その影響で暗黒街の商売が出来なくなり、顔役シュレンジャー(グスタフ・グランジェンズ)は暗黒街のネットワークを駆使し犯人を追う指令を発した。そしてついに、犯人ベッケルトは追い詰められたが・・・・・・
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映画『M』予告

映画『M』出演者

ピーター・ローレ(ハンス・ベッケルト) /オットー・ベルニッケ(カール・ローマン警視正)/インゲ・エステート(エルシー・ベックマン)/エレン・ウィドマン(エルシーの母)/グスタフ・グランジェンズ(シュレンカー:ボス)/フリードリヒ・グナス(フランツ:泥棒)
フリッツ・オデマール(イカサマ師)/ポール・ケンプ(スリ)/エルンスト・シュタール・ナハバウアー(警察署長)/フランツ・スタイン(大臣)/ゲオルク・ジョン(盲目の風船売り)/ルドルフ・ブリュムナー(弁護人)/カール・プラテン(ガードマン)

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映画『M』解説

ドイツ映画とハリウッド

世界の夢工場ハリウッドは、世界中から才能を受け入れ、そのバリエーションと表現スタイルを広げてきました。

しかし、第二次世界大戦後の1940年代後半に世界を席巻したイタリア「ネオ・リアリズモ」は、ビリー・ワイルダー『失われた週末』や『我等が生涯最良の年』などにその影を落としていると感じるものの、ハリウッド映画界に新たな地平を生むほどのインパクトを与えませんでした。
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それは、イタリアなど敗戦国の悲惨な現実を描く「ネオ・リアリズモ」の手法は、第二次世界大戦後の繁栄を享受していたアメリカにとっては、さほど有用な表現手法ではなかったのかとも思えます。

また、1950年代後半のフランス発のヌーヴェル・ヴァーグは、ハリウッドのメジャースタジオが凋落するなか、独立系スタジオの作る「アメリカンニューシネマ」の様式に波及したとはいうものの、それはアメリカ映画倫理規定「ヘイズコード」が撤廃されたことによる、作品内容の変化に較べれば小さな影響だったと思えます。
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こう見てくれば、ハリウッド映画史の中で、最もアメリカ外から影響を受けた映画の潮流こそ、1920年代に始まる「ドイツ表現主義」だったと、個人的には感じます。
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アメリカの映画産業は基本的に、世界に売れる最大公約数の映画コンテンツを目指しており、それゆえアメリカ的価値観とも共通する「楽観主義」「理想主義」「英雄主義」を謳い上げる、明るく楽しい作品を作り出だしていました。
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しかし、それらのハリウッド映画の王道が「輝く太陽」だとすれば、その光を受けられない「暗い影」に属する社会と人々が存在し、光が輝けば輝くほど、影はより色濃く闇を生みます。

その闇を担った表現こそ、ドイツ表現主義に源流を持つ「フィルム・ノワール」に代表される、反社会的な映画ジャンルだったのです。

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映画『M』考察

「フィルム・ノワール」の表現様式と担い手


当時のドイツ国家の現実を反映した「ドイツ表現主義」は、第一次世界大戦後の幻滅や絶望、社会の歪みと問題を見つめ、結果として暴力や犯罪、そして狂気を描き、ハリウッド作品とは違う暗い世界観を表現しました。
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ドイツ表現主義の代表作
ドイツ映画、その暗い世界観を表現するため、影を強調し、抑えた高コントラストの照明、ローアングル、広角、スキュー( ダッチアングルショットとも=斜めの画角)の使用した表現が知られています。
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極端なカメラアングルで、物理的なアクションよりも構図の緊張による表現に比重を置き、沈黙と静止の中に暗鬱な世界観を描写しました。

その「ドイツ表現主義」の世界観に眼を付けたハリウッドは、1920年代より積極的にドイツより映画製作者を招聘し出します。
ハリウッドの大スタジオはベルリンにオフィスを構えた、1922年にパラマウントは、エルンスト・ルビッチを雇い入れ、ユニバーサル・スタジオはその同じ年にウィリアム・ワイラーと契約し、ワーナーは1926年にハンガリー出身のマイケル・カーティスを、フォックスは1927年F・W・ムルナウをハリウッドに呼びました。
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ドイツ映画の持つ、その闇に満ちた世界を描く作家達の影響は1930年代に成ると、ギャング映画として花開きます。
特にドイツ映画の映像表現・撮影技術は、ハリウッド映画界に衝撃を与え、ドイツの撮影監督のカール・フロイントをハリウッドに呼び寄せ、彼の「暗い表現力」が「ギャング映画」に多くの貢献をしたと言います。

そしてギャング映画のスタイルに、この映画『M』が影響を与えたと思うのです。
1931年製作の『M』の後を追うように、ハリウッド映画界で『民衆の敵』や『暗黒街の顔役』『汚れた顔の天使』などが登場し、その暗く暴力に満ちた世界観は『M』の犯罪劇と、非常に似た夜の表現があると思えます。

ジェームス・キャグニーやエドワード・G・ロビンソンなど数々のギャングスターを生み、当時のハリウッド映画のドル箱になったこのジャンル。
その背景には、大恐慌時代の庶民の怒りを、反社会的な存在に仮託し晴らしたいという、一種の「社会的義賊」を求める民衆心理があったと思えます。
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そして、そこには「ドイツ表現主義」が生まれた状況と酷似した、「大恐慌」に揺れるアメリカ社会の過酷な実情があったでしょう。

しかし、その「ギャング映画」は倫理観が強い当時のアメリカ社会の反発を呼び、結果的に公序良俗に則った作品作りを求められ倫理規定「ヘイズコード」の厳格な適用を求められる事と成ります。

しかし1930年代にヒトラー政権から逃れ、亡命してきたドイツの映画製作者達は、ハリウッドで仕事の場を得てドイツ的な黒い映画「フィルム・ノワール」を生み出しました。
そんなヒットラーから逃れたドイツ系の監督にはフリッツ・ラング、ロバート・シオドマク、ビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャー、エドガー・G・ウルマー、などハリウッド映画界で長く活躍する人材が含まれていますす。

そんなフィルム・ノワール( 40〜50年代のサスペンス犯罪スリラー他多数を含むジャンル)は、恐怖、妄想、腐敗など、反社会的な現実に対する描写が特徴的です。
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それは見事にハリウッド映画の映画的伝統、アメリカ的価値観(自由・民主主義・資本経済)の正統性と成功を描くドラマとは真反対の主張であり、それゆえアメリカ社会が行き詰まりを見せるとき、影のように反アメリカ的価値観を表現しました。

フィルムノワールがアメリカの夢の「暗黒面」について批判的なのは、その担い手であるドイツ亡命映画作家(監督、プロデューサー、撮影監督、作家、俳優)自身の現実の体験が影響していると感じます。
異国での疎外感、精神的重圧、成功と転落、 それは正にフィルムノワールが描いた、異郷での亡命者の恐れと不安を明確に表現していると感じます。

具体的に言えば、映画スタイル、物語構造、テーマは、亡命者の心理を描くために最適化されているように見えます。
登場人物は何者かに脅かされ、不確実な答えを求め、裏切りに合い、袋小路に追い詰められ、それらの苦痛と恐怖と不安を、フラッシュバック(過去への回帰)を用いたストーリーで語り、しばしば過去に決定づけられた悲劇「宿命」に対し、足掻きながら敗れ去る者達の姿が描かれます。

その運命の先導役を務めるのが、「運命の女=ファム・ファタル」で、彼女たちは欲望と愛憎に瞳を煌めかせながら、男達を虜にし、避け得ない運命に向かって誘うのです。
その「愛」と「憎悪」を併せ持つ、矛盾を内包した女性とは、まるで愛しながらも捨てられた、亡命者たちの「故国」を思わせます。

そんな意味で、これらドイツの映画作家達は自らの「愛憎相半ばする故国」に対するアンビバレントな感情が、映画として結実したジャンルこそ「フィルム・ノワール」だと言えるでしょう。
しかし、これらドイツの異邦人は、ハリウッドの地において成功した者と、消えて行った者とに分かれました。
例えば、ビリーワイルダーやウィリアム・ワイラーのように、その表現の幅を広げ巨匠となった監督もいれば、ジンネマンのように卓越したサスペンス描写力で大作を任される監督もいます。

しかし、総じて、この『M』の監督、フリッツ・ラングのように「フィルム・ノワール的作家=ドイツ的作家」は大きな成功を飾っていません。
それは、アメリカ的価値観の鬼っことしての「フィルム・ノワール」の効力が、アメリカ自体がアメリカ的価値を信じられなくなった1960〜70年代に、その力を喪って行くのは必然だったかもしれません。

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映画『M』解説

「フィルム・ノワール」とフランス映画界の再評価

上で見た来たように、本来ハリウッド映画が描いてきた「真・善・美」の世界観と、真逆の顔を見せるドイツ系映画作家の世界観「フィルム・ノワール」。

それは、観客の支持を受け、映画会社の収益に貢献したものの、アメリカ国内での批評的評価は高いものではありませんでした。

ハリウッドにあって高い評価を受けた作品は、アメリカ映画の倫理規定「ヘイズコード」に則った、キリスト教的な色合いを持つ清廉な映画が高い評価を受けていた印象があります。

たとえば、『陽の当たる場所』のジョン・スタージェス監督や、『怒りの葡萄』のジョン・フォード監督など、アメリカで生まれ育った、アメリカ的価値観を謳った監督がハリウッドに占める位置と較べると、一方のドイツ出身の作家は少々立場を異にするように思います。
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そんなアメリカ的価値観を謳った映画がメイン・ストリームだとすれば、本質的に「フィルム・ノワール」の映画は、B級映画としてそのスタイルを存続していました。

その、暗い、ミステリアスな、刺激的な物語は、基本的には娯楽作品として姿を現します。

そんなハリウッドの40年代のB級映画を「フィルム・ノワール」と名付けたのは、フランスの評論家ニーノ・フランク(写真)です。
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第二次世界大戦が終わった1946年、ナチス・ドイツ占領下で禁止されていたハリウッド製映画が、大量にフランスに流れ込んだ時に、一連のドイツ系ハリウッド映画を見たニーノ・フランクが、それらの映画を「フィルム・ノワール」と名づけたのです。
そして「フィルム・ノワール」は、フランス映画界に深い影響を与え、同時にハリウッドで不遇だった「フィルム・ノワール」のドイツ人監督自身も、フランス映画界へと活躍の場を移したりしました。


しかし戦争に1人勝ちしたアメリカの戦後と違い、「フィルム・ノワール」の持つ「真・善・美」を超越した世界観は、戦争で疲弊したヨーロッパ諸国の「時代精神」と合致していたとも感じます。

この映画『M』を撮った、フリッツ・ラング監督も、ハリウッドで充分にその力を発揮し得ず、1950年代末に西ドイツへ戻り1960年に自作のリメイク『怪人マブゼ博士』を撮って、その後映画を製作することはありませんでした。

そのフリッツ・ラング監督を、フランスのヌーベル・バーグの旗手、ジャン・リュック・ゴダールは自作映画『軽蔑』で、礼を持って役者として出演を依頼しています。
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それは、ヌーヴェル・ヴァーグとフィルム・ノワールの継承を象徴するエピソードではないでしょうか。

実を言えば、個人的には最も正統的な「フィルム・ノワール」の継承者は、『仁義なき戦い』の深作欣二監督だと信じています。
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そしてその系譜は、変化を遂げつつクェンティン・タランティーノ監督に引き継がれたかと思います。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | ドイツ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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