原題 The Notebook 製作年 2004年 上映時間 123分 監督ニック・カサヴェテス 脚本 ジェレミー・レヴェン,ジャン・サルディ 原作 ニコラス・スパークス |
評価:★★★★ 4.0点
今となっては、永遠の愛という言葉は、伝説に近いかとすら思えます・・・・
しかし、この映画はそんな愛の奇跡を描いて、観客の強い共感を呼びました。
それは、現代を生きる我々の心の底にも、そんな奇跡的な愛を求めるイノセントな気持ちが在ることの証明だったと思います。
<目次> |
映画『きみに読む物語』詳しいあらすじ |
赤く染まる湖面を静かにこぎ寄せる一艘のボート。そこには若者が乗っている。
介護施設に暮らすアルツハイマー病を発症した初老の女性(ジーナ・ローランズ)のもとに、デュークと名乗る男性(ジェームズ・ガーナー)が定期的に通って、とある恋の物語を何度も読み聞かせている。
1940年、ノース・カロライナ州シーブルックのカーニバルの夜、材木工場で働く地元の貧しい労働者階級の青年ノア・カルホーン(ライアン・ゴズリング)は友達のフィン(ケヴィン・コナリー)と遊びに来ていた。
そこで、裕福な家庭に育った17歳のアリー・ハミルトン(レイチェル・マクアダムス)と出会う。彼女は夏の間、家族と共にその別荘に避暑にやって来たのだった。
彼は彼女に心を奪われ、観覧車に乗るノアに命懸けでデートを迫った。
その場では受け入れたものの、ノアと後日町で出会ったアリーはデートする気は無いと拒絶した。
しかし、フィンとその彼女の仲介で、アリーとノアは共に映画館で時を過ごし、お互いに心を開きはじめる。
2人で夜道を帰る途中、ノアは親の望む自分以外に君が望むのはと、アリーに問いかけた。
そしてノアは大通りの信号の下で大の字になる。
躊躇していたアリーも共に横になると、信号が青になり車に引かれそうになり2人は笑い合った。
そして、アリーは自分が好きなのは絵を描くことだとノアに言った。
そして若い二人はその夏激しい恋に落ち、時間さえあれば共に過ごした。その様子に、アリーの父は日曜のランチにノアを誘うが、その席で労働者階級の貧しい青年だと分かり、アリーの両親は警戒感を強めた。
しかし、2人の恋はますます過熱し、ある晩、ノアはアリーをウィンザー農場と呼ばれる廃屋に連れて行った。今は老朽化しているが、将来自らの手で修復しようと購入を目指している屋敷で、そこで将来アリーの望む美しい家を建て一緒に住もうと約束した。
ノアとアーリーは永遠を誓い、その夜二人は初めて結ばれようとした。しかし、そこにノアの友人フィンが慌てて駆け込んできた。アリーの両親が、警官を動員し彼女を探していると報せに来たのだ。
2人は結ばれることなく、ノアの両親の別荘に急いで戻った。
夜中の2時過ぎに戻った2人に、身分違いの恋を許さないノアの母親アンの、激しい拒絶の声を隣の部屋で聞いたノアは、屈辱を感じつつも恋を諦めるしかないと、屋敷を去ろうとした。
アリーは彼の後を追うが、ノアは2人の関係がうまくいくとは思わないと言うと、アーリーは怒り、ついにはノアを殴り、それなら別れると口にし、それを聞きながらノアのトラックは走り去った。
翌朝、母のアンに、この地を今日去ると告げられたアリーは、ノアの製材所に走ったがノアは不在だつた。ノアは彼を愛しているとフィンに伝言をして去った。
戻ったノアがメッセージを知り、彼はアリーのへ急ぐがノアは去った後だった。
それからノアは、1年間毎日アリーに手紙を書いて送ったが、アリーの母親が手紙を隠して渡さなかった。
365通の手紙を送った後、ノアは第二次世界大戦に友人フィンと志願し、ドイツ軍と戦うためヨーロッパへと向かうが、フィンは戦死してしまう。
一方のアリーは大学に通い、負傷兵士のために病院で看護婦としてボランティア活動をして、彼女は南部旧家の富豪の御曹司ロン・ハモンド・ジュニア()に出会う。
数年間の贅沢な交際期間を経て、ロンはアリ―への思いを深めて行く。
そしてロンは彼女に愛を誓い、アリーも受け入れ婚約が成立し、その両親を喜ばせた。
一方のノアが戦争から戻ったとき、彼の父フランク(サム・シェパード)は家を売り、ノアの夢であるウィンザー農場を買う資金を準備していた。
ノアはウィンザー農場を手に入れ、修繕計画を当局に申請するため、アリーの住む町チャールストンを訪れた。
何気なく眺める、バスの車窓からノアは歩くアリーを見つけた。
バスを無理やり止め、彼女を追ったが、ノアが眼にしたのは婚約者ロンとキスをするアリーの姿だった。
それ以来、ノアは取付かれたように屋敷の修繕に没頭した。
家さえ完成すれば、アリーが彼に戻ってくるだと、信じ込もうとしているようだった。
ノアの父が死に、更に彼は屋敷の修繕にのめり込み、ついに作業が終わり華麗な屋敷が姿を現すと、地元の新聞社が取材に訪れた。
しかし、ノアは家が完成してもアリーが戻らないのに気付き、ついに屋敷を売りに出したが、何かと理由をつけて、売ることを回避した。
一方のアリーは、結婚を目前に控え、彼女のウェディングドレスを試着し、友人や親族の称賛の声を上げさせていた。
その結婚は社交界のトピックスとして、報道されていると周囲の者が新聞を手渡すと、そこにはノアが彼女と約束した屋敷を本当に完成させた記事も掲載されていた。
それを見た、彼女は意識を喪い倒れた。
アリーは婚約者のロンに断り、ノアの居るシーブルックを訪ねた。
アリーはノアと対面するが、茫然と立ち尽くすノアの姿に、自分の行動をばかげていると自嘲し去ろうとする。
しかし車をぶつけエンジンがかからなくなってしまう。
その日、2人は語り合い、夕食を共にし思い出を語り、気持ちを通わせ始めた。その部屋は、かつて共にお互いを求め合った部屋だった。
ホテルに帰るアリーに向かって、彼は翌朝見せたいものがあると再び会うことを約束した。
翌朝ノアは湖面にボートを漕ぎだし、アリーを白鳥が群生する湖畔へと連れて行った。
微笑みを浮かべるアリーにノアも微笑みを返す。
そして、屋敷に戻る途中、荒れ模様の空から激しく雷雨が、2人に降りかかった。あまりの豪雨に、ついに2人は笑い出した。
そして、はしけに返った時、アリーは「なぜ連絡をくれなかったのか」とノアを責めた。
ノアは1年毎日手紙を書いたのに返事は一通も無かったと声を荒げると、アリーはその事実に驚きノアの真剣な想いを知りキスを交わした。
二人はお互いの気持ちを確かめ、その日何度も体を求めあった。
そして数日後、アリーが起きてみると、ノアは彼女のためにキャンバスと絵の具など、絵を描く準備をしていた。
そこにアリーの母アンが屋敷を訪れ、婚約者ロンがシーブルックに来ていると告げた。
アンはアリーを車に乗せると、1人の労働者が働く姿を、遠くに望める場所に車を止めた。
そして、アリーに、その男は母アンが若い時駆け落ちした相手だと告白した。
そして、今でも彼について考えるが、彼女は今が幸せで本当に夫を愛していると、混乱しつつ泣きながら語った。
アンは、ノアの家に娘を送ると、手紙の束をアリーに渡し「正しい選択を」と言い、その場を去った。
アリーはノアとポーチで話し、婚約者のロンの下に戻らなければならないと語る彼女と、激しい口論になる。
アリーは怒りに任せて歩み去ろうとした―
映画『きみに読む物語』予告 |
映画『きみに読む物語』出演者 |
ノア・カルフーン(ライアン・ゴズリング)/アリー・ハミルトン(レイチェル・マクアダムス)/認知症の女性患者(ジーナ・ローランズ)/デューク(ジェームズ・ガーナー)/アリーの母・アン(ジョアン・アレン)/ロン(ジェームズ・マースデン)/ノアの父・フランク(サム・シェパード)/フィン(ケヴィン・コナリー)/アリーの父・ジョン(デヴィッド・ソーントン)/サラ(ヘザー・ウォールクィスト)/マーサ(ジェイミー・アン・オールマン)/看護師エスター(スターレッタ・デュポワ)
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映画『きみに読む物語』考察 |
ですが、そうなった時のこの映画を想像すると、多分ここまで成功を収めなかったのではないかと思います。
なぜなら現代、この結婚と離婚を繰り返す時代には、残念ながら「永遠の愛」はリアリティーがないと言われても仕方がありません。
今の時代に、永遠の愛を語るには「非現実的な理想を信じ切る」イノセントさが必要ではないでしょうか?
スピルバーグとトム・クルーズでは、そのイノセントさが出ず、どこか嘘に見えるような予感がします。
さかのぼってみれば、かつて親の決めた相手と結婚するのが当たり前だった時代、ハリウッド映画は自由恋愛を描き、恋愛の夢、結婚の絶対、運命の必然を謳いあげました。
アメリカ映画:1967年 映画『いつも二人で』 オードリーヘップバーン主演 ハリウッドと恋愛ドラマの黄昏 |
その結果、全世界で恋愛結婚が促進されたのではないかと思ったりします。
しかし、その「恋愛結婚の夢=永遠の愛」は、もはやハリウッド、ディズニーですら描かなくなってしまいました。
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しかし、そんな非現実的な「純愛」を描くピュアさを、監督ニック・カサヴェテスは持っていると感じます。
彼督ニック・カサヴェテスは、映画界の大御所ジョン・カサヴェテスと、この映画にも出ている大女優ジーナ・ローランズを両親に持つ映画界のサラブレッドです。
両親は夫婦二人三脚で、何本ものインディペンデンス映画を発表し、映画史に名を刻んでいます。
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つまり、彼のご両親の姿は、この映画の語る「永遠の愛」の実例だつたと言えます。
それゆえこのテーマを確信を持って語れたのかとも思います。
そんな、カサヴェテス監督が、ハンサムではないから(!)選んだというライアン・ゴズリングと、レイチェル・マクアダムスの若いカップル。
この、ブレーク前の2人の俳優が、成功を求め、瑞々しく、全身全霊を込めた、純粋な演技が、そのままこの作品のイノセントさにつながり、映画の成功を生んだのではないでしょうか。
結局、いつの時代も「恋」とは、一種の魔術的な力であり、その非現実的な力で観客を魅了するためには、まずは製作者側、監督、キャスト、スタッフ全員がその魔術に自ら没入し、生きることが求められると思ったりします。
自ら信じずして、観客を信じさせることが出来るでしょうか?
実を言えば、この映画は映画評論家からの評価は、さほど高いわけではありません。
例えば、アメリカの大手映画サイト『ロッテントマト』の批評家評価は178人の合計で、何と50%という低支持率です。
批評家の共通認識としては「その感傷的な感情を賞賛しないのは困難だが、ノートブックはそのメロドラマ的なマンネリズムを超えるには、下手な技巧を労しすぎている。」としています。
しかしその低評価こそ、評論家が望む映画のリアリティーを重視したドラマとは違う、ファンタジーの力をこの映画が有したことの証明だったといえるでしょう。
そんな「ファンタジー力=恋の魔力」を発揮したからこそ、「永遠の愛」を心の底で求める観客に求められ、奇跡的な映画となったと感じます。
その結果、上記ロッテントマトの観客評価(AUDIENCE SCORE)は、圧巻の85%の支持を得ています。
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以下の文章には 映画『きみに読む物語』ネタバレがあります。 |
(あらすじから)
車に乗り込もうとするするアリーの前に、ノアは立ちふさがる。
彼女に自分の想いをぶつける。お互いケンカが絶えないし、うまくやるには努力が必要だ。しかし、俺は努力したい。君といたいと訴える。
そして、アリー自身がどうしたいのか、何を求めるのか決めろと問いかけた。
【意訳】アリー:サイテー!/ノア:一緒にいれないか?/一緒にいる!?何のために?見てよもうケンカしてるわ!/ノア:そう、それが俺たちだろ。俺たちはケンカする。君は俺を傲慢なクソ野郎と呼び、俺はうざい女と呼ぶ。99%いつもそうだからね!俺は君の機嫌を損ねることを恐れない。たいてい2秒で立ち直り、また次の厄介ごとを生む。/アリー:それがなに!/アリー:それは、本当に簡単じゃない。本当に困難なことだ。そして、俺たちは毎日の努力を強いられるだろう。でも俺は努力したい。なぜなら君が欲しいからだ。俺は君の全てが欲しい。永遠に。君と俺。全ての日で。君もそうできないか?頼む。君の人生の理想像に俺の場所はないのか?30年先、40年先、それはどう見えてる。もし、そこにその男がいるなら、行けよ。行け。俺は君を一度失った。そしてまた失う。でも、それが君が本当に望むものなら俺は耐えれる。でも安易な道を絶対選ぶな!/アリー:安易な道って?安易な道なんてない。私がなにをしようと、誰かが傷つく。/ノア:他の誰かが何を望むかなんて考えるな。俺が何を望むか、彼が何を望むか、両親が何を望むか、そんなことは考えるな。君は何を望むんだ。/アリー:そんなに簡単じゃない。/ノア:君は何を望むんだ?チクショウ、君の望みは何なんだ?/アリー:私は行かなければならない。
しかし、アリーは「行かなければならない」とノアのもとを去った
車をロンの待つホテルに走らせる。
しかし、溢れる涙に車を止め、ノアの手紙を読み始めると、その言葉に心を揺さぶられる。
アリーはホテルの一室でロンと対峙し、ノアへの愛を打ち明ける。
ロンは、どうしたところでアリーの心を取り戻せないと悟り身を引いた。
そして、アリーはノアの元へと戻った。
現代。
施設ではデュークの物語が終わると、老女はそれが自分の物語だと思い出した。
老齢の女性は認知症に襲われたアリーであり、デュークは彼女の夫ノアだった。
数年前、病気の初期の段階で、アリーはロマンスと人生を一緒に詳述した日記を書き、ノアに彼女の過去を思い出すのを助けるために彼女に話を読むようにと書かれていた。
しかし、アリーはノアを再び忘れ、見知らぬ男に迫られていると思い、パニックとなり鎮静剤を打たれた。
その様子をノアは悲痛な面持ちで見守るしかなかった。
そして、ノアは心臓発作を起こし心肺停止状態で病院に送られ、アリーは同じ病院の認知症病棟に収監された。
映画『きみに読む物語』結末 |
何とか一命を取り留めたノアは、夜アリーの部屋を訪れると、アリーもノアを認識した。
【意訳】アリー:どうすればいいか分からなかった。あなたが二度と戻らないと思って怖かった。/ノア:いつだって戻ってくるさ。何が起きたの。もう何も思い出せない。あなたどうしたの。/ノア:僕はここだよ。君のそばを離れない。/アリー:あなたに尋ねたいことがるの。/ノア:なんだいお前。/アリー:あなた、私たちの愛が奇跡を起こせると思って?/ノア:もちろんだよ。いつだって君を私の下に戻してくれた。/ノア:私たちの愛は2人一緒に旅立たせてくれると思う?/ノア:私は、私たちの愛に不可能は無く、望むことは何でもかなうと思っている。/アリー:愛してるわ。/ノア:愛してるよアリー。/アリー:お休み。/ノア:お休み。また会おう。
ノアとアリーは共に眠りについた。
翌朝、看護師は、両手を握り締めたままこの世を去った、ノアとアリーを発見した。
湖面から鳥たちが空へと舞い上がった。
このラストは、ノアがアリーの望みを叶えるために、人為的な手段を使ったのではないかと思っています。
なぜなら、この映画の愛のキセキは、全てノアの強い意志によって築き上げられた、人為的な努力の結果だったからです・・・・・
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