原題 City Lights 製作国 アメリカ 製作年 1931年 上映時間 87分 監督 チャールズ・チャップリン 脚色 チャールズ・チャップリン 製作 チャールズ・チャップリン |
評価:★★★★★ 5.0点
この作品は、サイレント時代のチャップリンの映画として、個人的に最も好きな1本です。
この映画のチャップリンは、笑いの量を減らしてでも「人情話」の要素を重視し、彼の挑戦してきた「笑いと涙」というドラマ形式の完成形として、今なお充分感動を呼ぶ作品だと思います。
またチャップリンの生み出した「放浪紳士チャーリー」の、真の顔をこの映画によって発見した気がします・・・・
<目次> |
映画『街の灯』簡単あらすじ |
放浪紳士チャーリー(チャールズ・チャップリン)は、街で盲目の花売り娘(ヴァージニア・チェリル)を見て好意を持つ。そんな時、酔った富豪(ハリー・マイヤーズ)の自殺を止めたことで知り合う。チャーリーは富豪の金で、花売り娘の花を全て買い上げ、彼女を車で家まで送り、親切な富裕な紳士と勘違いされた。しかし彼女が病気となり、アパートの立ち退きを迫られていると知り、自分が用立てると奮闘し、ボクシングの試合に出るが負けてしまう。しかし運よく富豪に出会い、彼女のため金を用立ててもらったが、強盗に襲われ富豪は脳震盪を起こした。警官が駆けつけると、チャーリーの持つ金が疑われ、チャーリーは目覚めた富豪に証明してくれと頼むが、富豪が知らないと言ったため、チャーリーは警官から逃げ出した・・・・・
映画『街の灯』予告 |
映画『街の灯』出演者 |
放浪紳士チャーリー(チャールズ・チャップリン)/盲目の花売り娘(ヴァージニア・チェリル)/花売り娘の祖母(フローレンス・リー)/富豪(ハリー・マイヤーズ)/富豪の執事(アラン・ガルシア)/市長(ヘンリー・バーグマン)/対戦ボクサー(ハンク・マン)/控え室のボクサー(ヴィクター・アレクサンダー)/医師(T・S・アレクサンダー)/警官(ハリー・エイヤース)/強盗(アルバート・オースチン)/レフェリー(エディ・ベイカー)/レストランの女性(ベティ・ブレア)/新聞売りの少年(ロバート・パリッシュ、マーガレット・オリヴァー)/花屋店員(ミセス・ハイアムズ)
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映画『街の灯』感想 |
この映画を見るとき、後年の映画で大きな比重を占める「ヒューマン・コメディー(人情喜劇)」の「オリジン=原型」がこの映画にあったのだと、発見したように思います。
そしてまた、この映画のヒローとヒロインの関係を恋と思えば「ロマンチック・コメディー(恋愛喜劇)」の原型とも言えるでしょう。
そう考えれば、現代映画は悲劇にせよ人情劇にせよ、多かれ少なかれ「コメディー要素」をドラマの味付けとして加えており、そのルーツとしてこの作品があるとすれば映画表現にとって、その貢献は計り知れないでしょう。
以下、この映画『街の灯』が映画に加えた「喜劇」と「各ドラマ要素」が融合した例を挙げてみます。
○オードリーの名作は恋とコメディーの融合
○イタリア、ロベルト・ベニーニ監督は、「ホロコースト」と「喜劇」の融合に挑戦しています。
○サヴァン症候群の障害を持つ兄と弟のコメディー。
○人種差別とコメディーの融合
○女性の社会進出とコメディーの融合
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それは、かつて王の横暴を諌めた、道化師の行為とも重なるように思います。
その「道化師の一撃」を映画に持ち込んだのも、「人情と喜劇の融合」を成した、チャップリンの功績だと信じます。
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映画『街の灯』解説人情喜劇の成立 |
サイレント映画の時代には、喜劇は動き主体の「スラップスティック(ドタバタ)喜劇」であった事を考えれば、言葉を使わず、笑いを損ねず、人情劇をいれることは困難な事業だったに違いありません。
その難事業に挑戦したチャップリンは、『キッド』で「人情喜劇」に挑戦し、興行的な成功を収めます。
しかし、そこには喜劇に「ドラマ=子別れ劇」を導入したユニークさも、人の心を打つ感動もあったものの、まだ「人情劇」と「喜劇」が分離し、映画としての完成度としては不十分だったと感じます。
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そして、続く『サーカス』では、その「喜劇」と「人情劇」はその融合の度合いを深め、ストーリーの中で違和感なく共存しており、「人情喜劇」として高い完成度を見せています。
関連レビュー:人情劇の新たな世界 『サーカス』 天才チャップリンの命がけの傑作!! 放浪紳士チャーリーとサイレント映画 |
そして、この映画『街の灯』によって、映画として完璧に「人情喜劇」の完成形が表現されたと思います。
結局、ドラマとは対立であり、その対立の解消がカタルシスを生むのだといわれます。
たとえば『ロミオとジュリエット』では、愛する恋人と親の反対という「対立」が生じ、それを心中という形で「解消」する時「悲劇」が生まれました。
それをこの映画に当てはめれば、愛する者の幸福(盲目の少女)と幸福妨害要因(社会的環境:盲目と貧困)という「対立」が生じています。
その「解消」を「放浪紳士チャーリ」というキャラクター、が「ユーモアと人情」で果たす時、劇として「人情喜劇」が成立したのです。
そういう考えれば、この人情喜劇の成立は「放浪紳士チャーリー」というキャラクターに依存している、キャラクターストリーであることが分かります。
そんな稀代のキャラクターの持つ属性を、以下の文章で考えて見たいと思います・・・・・
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映画『街の灯』解説放浪紳士チャーリーの「父性」 |
そんな、サイレント時代の喜劇のキャラクターにチャップリンは、少しづつヒューマニズムの要素を付け加えて行ったのです。
『犬の生活』で、労働者大衆を代表するワーキングヒーローとしての、キャラクターを確立し、『キッド』では貧しい者からも決して奪えない愛の存在を描き、『サーカス』では無償の愛の尊さを、その無職のさえない浮浪者に付与します。
それらの作品の中で、放浪紳士チャーリーによって救われる相手とは、実は幼き日のチャップリンであるように見えます。
それは、裏を反せば、幼き日のチャップリンが、どれほど救いを渇望したかを示すものではないでしょうか?
精神病院を、出たり入ったりする母ハンナをかかえ、チャップリンとその兄シドニーは、救護院(孤児院)に入れられ虐待され、そこを逃げ出し、警官の眼を盗み逃げ回りながら街で食料を泥棒し、命をつなぐ日々だったといいます。
そんなチャップリンの父はどういう人物だったでしょう?
チャップリンの父(写真)は22歳の時、妻ハンナと19歳の頃結婚し、ハンナの影響で芸人となり、一時は売れ1890年ごろアメリカ巡業をしたほどでした。
しかし不倫した女性と同棲を初め、1891年妻ハンナやチャップリンとチャップリンの兄シドニーと別居し、その面倒を見なくなります。
養育費を公的機関より払うよう督促されても、おざなりな対応しかしていません。当時、母が精神病で矯正院に入ったチャプリン兄弟は孤児院に入れられ、逃走を繰り返していた頃です。
結局、当局から強制され1898年7月に兄弟を迎え入れ、当時チャップリンは9歳でしたが2ヶ月で兄弟2人を放り出すという無責任ぶりで、結局チャップリンンが12歳を迎える頃にはアルコール中毒からの肝硬変で死んでしまいます。
そんな父と母を持つ、幼きチャーリーにとって、いつか誰かがこの苦境を救ってくれる瞬間が訪れると、見果てぬ夢を見ていたと想像するのです。
街にともる灯を頼りに、街路で夜を過ごした幼き日々。
金持ちが酔ってお金をくれたらとか、捨て子を拾ったらその母が有名人だったらとか、多分、チャップリンの映画には、貧しさの中夢想した救いの物語が、彼の映画に反映されているように思います。
そんな暗くつらい、幼き日の想いが込められているからこそ、チャップリンの映画には、ペーソスと弱き者への無限のシンパシーを感じるのでしょう。
その「救い主」の、最も端的な姿が「放浪紳士チャーリー」であり、それは大人になったチャップリンだったのではないでしょうか。
そして「救済者」としての彼は、キッドが特徴的ですが、基本的に「父」として登場していると思えるのです。
それは、幼きチャップリンの、いつか「父」が助けてくれるという「切実な夢」を実体化した姿に見えるのです。
放浪紳士チャーリーの属性を検証してみたいと思います。
その放浪は、自分達を助けるために家を出て帰らないと信じた「父の姿」を―
そのぼろぼろの不恰好な服は、貧しいに違いない「父の境遇」を―
その決して笑いを忘れない「愉快」さは「楽しい父」を―
さらに紳士としての立ち居振舞いは「父の矜持」を―
そして何よりその無限の優しさは、幼きチャップリンの「理想の父親像」を―
表していたのではないでしょうか・・・・・
つまりは幼きチャップリンの夢想したのは、どれほど困窮しようも、どれほど力が弱くとも、どれほど悲惨な状況だろうとも、必ずや無限の優しさで、困った人に救いの手をさしのべる「絶対的父性」であり、その思いの結実として「放浪紳士チャーリー」はスクリーン上に登場しているのだと思うのです。
そして1931年、時は「大恐慌時代」であり、職を失い、家を喪い、流浪する、そんな家族を扶養する義務を課された「家長=父親」にとって受難の時期でした。
父親たちは家族を養えない事を恥じ、深い絶望の果てに、自殺したり、家を捨てる者が続出したと言います。
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そんな時代に、この無一文の家を持たない「放浪紳士チャーリー」が「父性」を見せ、必死に困った人々を救おうとする姿が、どれほど父親たちを勇気づけたかと想像したりします。
いずれにしても、そんな、「放浪紳士チャーリー」のキャラクターを考えた時、チャップリンが自伝で語る幼き日の貧乏生活に対すると辛辣(しんらつ)な言葉が、果たして正しかったのかと考えたりします。
「わたしは貧乏をいいものだとも、人間を向上させるものだとも考えたことはない。貧乏がわたしに教えたものは、なんでも物をひねくれて考えること、そしてまた、金持ちやいわゆる上流階級の美徳、長所に対するひどい買いかぶりという、ただそれだけだった」<チャップリン自伝より>
しかし、チャップリンの映画を見るとき、その貧乏時代に見た夢や希望が形となり世界中の人々を勇気づけたのだと思えば、貧乏が良いとは言いませんが、そのどん底の困窮ゆえに生まれる「人間の想像の力=希望の力」を再認識します。
つまり人は不幸だからこそ幸福を夢見るのです。
その「幸福の夢」を人に伝える技術を磨けば、世界中の人を幸福にできるのだと「放浪紳士チャーリー」の後ろ姿が語っているように思うのです・・・・・
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