原題 Stagecoach 製作国 アメリカ 製作年 1939 上映時間 96分 監督 ジョン・フォード 脚色 ダドリー・ニコルズ 原作 アーネスト・ヘイコックス |
評価:★★★★★ 5.0点
この1939年のジョン・フォード監督が生んだ、近代「西部劇」の説得力は、人間ドラマとしても、エンターテーメントとしても、アクション映画としても、秀でていると思います。
この映画の革新性は、優れた脚本による人間ドラマをとアクションを融合し、西部劇のみならず「アクション映画」に新たな息吹を吹き込んだことです。
大胆なことを言えば、この映画が無ければ、アクション映画がでここまで大きな位置を占めることは、なかったかもしれません・・・・・
<目次> |
映画『駅馬車』簡単あらすじ |
アパッチ族襲撃の恐れがある中、駅馬車は出発した。その乗客には、町を追われた娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)、アル中のブーン医師(トーマス・ミッチェル)、騎兵隊士官を夫に持つ身重のルーシー(ルイーズ・プラット)、ウィスキー行商人ピーコック(ドナルド・ミーク)、ギャンブラーのハットフィールド(ジョン・キャラダイン)がおり、馭者バック(アンディ・ディバイン)と保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)は馭者席に陣取った。保安官カーリーは、脱獄し親の敵に復讐を誓うリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)を求めて乗ったのだった。案の定、リンゴが駅馬車に乗り込んできた所を保安官は手錠をかけた。
旅の途中、ルーシーは産気づき赤ちゃんを産み、アル中の医師ブーンと娼婦ダラスが介護した。リンゴはダラスに好意を持ち結婚を申し込み、ダラスは自分の過去があり悩むが受け入れた。しかし、その時アパッチ・インディアンの襲撃が始まった―
映画『駅馬車』予告 |
映画『駅馬車』出演者 |
リンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)/ダラス(クレア・トレヴァー)/ブーン医師(トーマス・ミッチェル)/カーリー保安官 (ジョージ・バンクロフト)/バック(アンディ・ディバイン)/ルーシー・マロリー(ルイーズ・プラット)/ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)/ピーコック(ドナルド・ミーク)/ゲートウッド(バートン・チャーチル)/ルーク・プラマー(トム・タイラー)/騎兵隊中尉(ティム・ホルト)
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映画『駅馬車』感想 |
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この、ジョン・フォードの生んだ西部劇はアメリカでは「大人の西部劇」と呼ばれているようです。
つまり、それまでの西部劇といえば、活劇シーン主体の単純な映画だったのです。
そんな西部劇を、ジョン・フォード監督は、登場人物の個性をしっかり描き、人間ドラマの展開される中でアクションを描きました。
このアクション表現と人間ドラマが融合した時、アクションが意味し表す内容を変えたと思うのです。
従来のアクションは、ただ破壊や銃撃戦など即物的な結果を描いており、それは言わば対岸の火事のような遠い世界の光景でした。
<初の西部劇『大列車強盗』のアクション>
しかし、この『駅馬車』のアクションは、クローズアップや、平行移動、カメラ・アングルの変化などを通して、登場人物のキャラクターとアクションを直接結びつけ、アクション自体が人格を保持しているかのような描写です。
つまり、アクションの迫力を支える基礎に、人間ドラマがあり、そのドラマ性は名匠オーソン・ウェルズが傑作『市民ケーン』のために、40回も見たというほど優れたものなのです。
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それゆえ、アクションが人間性と直結する事で、アクションに新たな息吹が吹き込まれ、同時に大人が見ても説得力のある活劇が描けるようになったのだと思うのです。
つまり、「子供の西部劇」が「大人の西部劇」に成長するには、人間描写というドラマが描かれ、結果として「アクションの人格化」が必要とされたと、私は主張したいのです。
その事は、西部劇の革新として挙げられるジョン・フォード監督の2本、この『駅馬車』と『荒野の決闘』のアクションが、驚くほど描写が違うことで明瞭です。
ヘンリーフォンダが主演した、『荒野の決闘』は叙情的なドラマで、西部開拓が持つアメリカ人のノスタルジーを呼び起こすような作品でした。
そこでのアクションシーンは実に静かで、カメラも据え置きで移動しません。
<『荒野の決闘』酒場のガンファイト>【意訳】ワイアット:あなたを劇場が待っていますよ、ソーンダイクさん。/ソーンダイク:
ありがとう。シェイクスピアは居酒屋にえんもゆかりもない。/アイク:お前はここにいろ!/老人クラントン:すまない、保安官。アイクとフィンはウイスキーを飲みすぎた。/ワイアット:そうだな。彼らが楽しんでただけだと理解してる。さあ、ソーンダイクさん。あなたを劇場にお連れします。/クラントンの息子達:やめて!ちょっと!やめて!助けて!/老人クラントン:銃を抜いたら相手を殺せ。/クラントンの息子/はい、父さん。
それは、この『駅馬車』の最後、圧倒的迫力のアパッチ族との、激しい運動の中での戦いとは、見事に違う表現となっているのです。
それゆえ『荒野の決闘』は「静の西部劇」、『駅馬車』は「動の西部劇」と呼ばれます。
そのアクション描写の差が、本作品の主人公リンゴと、『荒野の決闘』の主人公、伝説の保安官ワイアット・アープのキャラクターの違いによって生じているとすれば、それが私の言う「アクションの人格化」の必要性を証明しているでしょう。
つまり、人がドラマを作るのであり、そのドラマが求めるアクションが描かれなければ、映画のバランスが崩れてしまうのです。
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蛇足ながら、個人的な印象で言えば、ジョン・フォード監督を敬愛して止まなかった、黒澤明の『七人の侍』は、この『駅馬車』本当に似ていると思います。
個性的なキャラクターが、その性格ごとに違うアクションンを見せ、更に階級や歴史の歪みなどを脚本に組み込みつつ、娯楽作としても十分楽しめる点など、類似点は挙げればきりがありません。
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この『駅馬車』や『七人の侍』など、人間ドラマの見事な「古典的アクション映画」の力を見るとき、最近のアクション映画の破壊と暴力に満ち溢れた映画への疑問が生じます。
現代アクション映画の、その破壊量に合わせた人間描写を持たせなければ、「駅馬車」が切り開いた「大人のアクション映画」は「子供のアクション映画」へと退行して行くのではないでしょうか。
いずれにしても、ジョン・フォード監督は、それまで異質な二つの要素、活劇と人間ドラマを融合する事で、西部劇、ひいてはアクション映画に新たな世界を開きました。
それは言うなれば子供が読むマンガを、大人も楽しめるコンテンツにした手塚治虫のような革新性を持っていたと言えるでしょう。
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また、ドタバタ喜劇に人情ドラマを組み込んだ、チャップリンの革新性も思い起こされます。
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これら、ジョン・フォード、チャールズ・チャップリン、手塚治虫は、それまで世界に存在しなかった、新たな物語世界を確立したという点で、どれほど賞賛してもしきれない偉大な芸術家だと思います。
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映画『駅馬車』解説アクションと技術革新 |
そして、その成果は、以後のアクション映画全般の基本的な語法となり、「アクションの人格化」というドラマツルギーを生んだのだと信じています。
この映画の主人公、リンゴのキャラクターは、若く、世間知らずで、イノセント。
その分純粋で、思い立ったら立ち止まらない、直情型の性格です。
そんな、性格を反映して、この映画のアクションは、接近し、飛び越え、飛び乗り、振り落とし、乗り越え、一種も緩むことなく疾走し続けます。
繰り返しになりますが、このアクションの激しさは、そのままキャラクターとシンクロした見事な表現です。
しかし、そんなこの映画のアクションは、従来描かれなかったユニークな表現でした。
それは、駅馬車に並行して延々移動し続けるカメラワークや、カメラの上を乗り越えていく駅馬車の姿や、クローズアップや、カット割りのテンポ、そして、生身の人間と馬が繰り広げる、危険なスタントの迫力。
これらは、全てこの『駅馬車』で生まれたものであり、近代アクションの始祖だと主張させて頂きます。
そんな、ユニークなアクションシーンを撮影できた秘密が有ります。
当時はまだ珍しかった、屋外ロケを多用した事により、移動に制約の無いアクションを可能にしたことです。
映画の大部分はジョン・フォード監督、最愛のモニュメントバレー(写真)でロケ撮影されています。
監督は何度も谷に戻り、俳優とスタッフはテントに住込み、食堂用馬車から食事を提供されたといいます。
そんな大自然の中で撮ったからこそ、迫力ある馬車チェイスが撮れたのであり、また大自然の景観がアクションにリアリティーを加え、更に迫力を生んでいると思います。
最も、ジョンフォード自身は、ハリウッドのメジャースタジオの幹部から、たびたび入る横やりを煩わしく思い、ハリウッドから距離を取ることが目的だったとも言われます。
ロケ地では、彼は独裁者で、その大自然の中で彼の言葉は絶対だったそうです・・・・・・
そして、この映画のアクションが生まれるためには、もう一つ重要な要素が有ったのではないかと想像しています。
それは映画撮影用カメラの進化です。
カメラというよりは、明るいレンズが必要だつたと言い換えるべきかもしれません。
レンズはガラスから作られますが、そのガラスの透明度によって、光を取り込む量が変わります。
そして光量が大きければ大きいほど、シャッタースピードが速くなり、ブレやボケに強くなりますので、どれだけ光を取り込めるかは、カメラの性能と、映像の質を左右する、重要な要素なのです。
そのレンズが光を取り込む量を、F値で表しますが、人間の眼は、F値=1という明るいもので、暗闇でも見える優秀なものです。
ところが1920年代のレンズはまだまだ暗いもので、白昼の晴天でなければ満足いく撮影ができなかったため、必然的に天候に左右されず照明によって光を確保できる、スタジオ撮影が主流だったのです。
例を挙げれば 1903〜1908年 に 製 造 され た イ ー ス トマ ン ・コ ダ ッ クのレンズは最小F値が8でした。
1916年のカ ー ル ・ツ ァイ ス社 の高級レンズでF値は4,5となります。
1930年代に作られたラ イ カ社高級レンズではF3.5となります。
そして、この映画が撮られた1939年のライカ社のレンズ、ミター ル後期型はF1.0が達成されます。
つまり、ジョン・フォードが屋外ロケで、この映画のようなアクションシーンを撮りきれたのは、カメラのレンズの性能アップが有ったのでした。
結局、サイレント映画からトーキー映画への移行が、録音という技術革新によってもたらされ、特殊効果や、コンピューターグラフィックという、技術革新が新たな表現を生んだように、この1939年の古典映画の新たな表現の背景にも技術革新があったのです。
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