原題 Bonnie and Clyde 作国 アメリカ 製作年 1967 上映時間 112分 監督 アーサー・ペン 脚本 デイヴィッド・ニューマン、ロバート・ベントン 製作 ウォーレン・ベイティ |
評価:★★★★ 4.0
この作品は、1967年製作のアメリカ映画で、大恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画だ。
この映画で描かれた反社会的ヒーローに対する観客の共感は、当時のアメリカ政府に従えない理由があった事が背景にある。
そんな主張を秘めて、本作はアメリカン・ニューシネマの先駆的作品としてその名を映画史に刻んだ。
<目次> |
映画『俺達に明日はない』簡単あらすじ |
大恐慌のテキサス、ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)は毎日の生活にうんざりしていた。そんな時、刑務所から出所したばかりのクライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)と出会い、共に銀行強盗を働くようになる。ボニーはクライドと結ばれたいと願うが、彼は不能で上手くいかない。しかし、二人の犯罪は、新聞を通じ全米に知られるようになり、車の修理工C・W・モス(マイケル・J・ポラード)も仲間に入った。さらに、クライドの兄バック・バロウ(ジーン・ハックマン)とその妻ブランチ・バロウ(エステル・パーソンズ)が仲間に加わり、バローギャングと呼ばれるようになった。5人は、警察の追及を振りきりつつ、なおも犯行と殺人を重ねるが、バローギャングに屈辱を味あわされた、テキサスレンジャーのヘイマー(デンヴァー・パイル)が彼らに迫ってた・・・・・
映画『俺達に明日はない』予告 |
映画『俺達に明日はない』出演者 |
クライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)/ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)/C・W・モス(マイケル・J・ポラード)/バック・バロウ(ジーン・ハックマン)/ブランチ・バロウ(エステル・パーソンズ)/フランク・ヘイマー(デンヴァー・パイル)/ユージン・グリザード(ジーン・ワイルダー)/ヴェルマ・デイヴィス(エヴァンス・エヴァンス)/アイヴァン・モス(ダブ・テイラー)
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映画『俺達に明日はない』感想 |
それは、激しい銃撃戦や、肉体につきささる銃弾のリティーにより生み出されたと感じる。
この「エグイ」と呼ぶべき、銃撃戦の衝撃力は、30年を経た『プライベート・ライアン』のノルマンディー上陸作戦の凄惨なシーンにも決して引けをとらない。
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そして、その銃撃戦の描写に使われる、ジャンプやカットバックの映像モンタージュ手法は、フランスで生まれた1960年代のヌーヴェル・バーグの影響を思わせる。
特に、犯罪者の逃避行と言い、その最後と言い、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』と通低する印象を持った。
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更にこの映画を見た時、ここで描かれた幾人も人を殺した「ギャング=犯罪者」を、あくまでヒーローとして描き切ったという事実が衝撃的だ。
これらの表現は、ハリウッド黄金期の映画倫理規定「ヘイズコード」が存在した当時は、とても描き得なかった過激な表現だった。
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これは、家族全員が安心して見られる、全世界に許容される作品作りを志向してきた、ハリウッド映画では決して有り得なかった。
ここに、かつての「公序良俗」の「清潔」なハリウッド映画のイコンは微塵もない。
むしろ、従来のハリウッド的「公序良俗=真・善・美」という価値を、その真逆の「偽・悪・醜」を体現した「悪のヒロー&ヒロイン」の姿と、生々しい銃撃戦によって、過去の遺物として破壊しきったとさえ言いたい。
この映画以降、映像的に過激で大規模な破壊を描けばヒットするという図式は、特にアクション映画で顕著となる。
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60年代後半には、ハリウッド映画の理想としてあった、社会や人が「正しいモラル」に則って日々を生きるというテーマは、もはや明らかに現実世界と相容れなくなったのだろう。
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その、「真・善・美」という手かせ足かせから自由になった若者たちは、迸るパワーにまかせ、そのダイナモのような無尽蔵な活力を野放図に放出するだろう。
このクライドというヒローが、性的に不能であるのも、その有り余るエネルギーのピュアさを思わせ、同時にボニーがプラトニックな愛の中で純粋にクライドにつき従う姿も、ある種の純愛の潔癖さを思わせる。
ここにあるのは、そういう意味で、性的な関係を喪失した「バージニティー=処女性」が生む、純粋に欲望をまき散らさなければ収まらない、人生のある時代を描いているだろう。
そして、その二人が「男女として結ばれた」時、彼はその純粋なエネルギーを喪失し現実に敗れたのかもしれない。
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映画『俺達に明日はない』解説 大恐慌と「義賊」 |
しかし個人的には、ここに描かれた「悪のヒーロー像」は、その反社会的な存在を崇めるような描写をしながらも、何故か『時計仕掛けのオレンジ』のような嫌悪を抱かなかった。
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それはたぶん、この「ボニーとクライド」が悪に向かう言い訳が説得力を持っており、むしろ時代の犠牲者だと感じさせるからに違いない。
この映画の時代背景である、大恐慌という悲劇がヒーローとヒロインの悪の許容を促したと思える。
庶民大衆が、コツコツと蓄えた財産を、株の暴落に続く大不況という、社会的暴風雨に吹き飛ばされた時、彼らを守るべき政治も機能せず、富めるものは違法な手段を使って、さらに私腹を肥やしたのである。
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そんな、富めるもののマネーゲームによる、とばっちりのような不幸を負わされた大衆は、彼らに代わってその恨みを晴らしてくれる英雄を求めた。
それゆえ、1930年代には、本作のボニーとクライド以外にも、プリティボーイ・フロイド、ジョン・デリンジャー、ベビーフェイス・ネルソンなど多くの犯罪者が民衆の憂さを晴らすように、官憲や法律に対抗して犯罪を起こしたのである。
それら、英雄視された犯罪者をイギリスの歴史家エリック・ホブスボームは「ソーシャル・バンディット=社会的匪賊=義賊」と名付けた。
英雄と讃えられる義賊、彼らは暴力を行使し、社会的混乱を引き起こし、他者の財産を簒奪する。
しかし、その矛先は民衆を弾圧する権力に対抗し、正義を求めて闘う、民衆の強い味方として歴史上姿を現す。
母の名誉のために闘ったパンチョ・ビラ、貧しい寡婦のため銀行強盗を犯したジェシー・ジェームズ。
時の権力が民衆にとって加重な抑圧となった時、ロビン・フッドのように、あらゆる国と時代において、民衆の生活に希求される存在として活躍して来た。
義賊・アウトローの英雄は、時の権力が定めた法律以上の、より民衆よりの人道的な、自主的な高い規律を遵守し、その時代の権威に反抗を欲する民衆の代表だとする。
しかし歴史上に語られてきた「義賊」の物語や伝説は、しばしば事実とは異なり大幅な歪曲を生じる。
それは、現実のボニーとクライドの行動原理が、民衆のためというよりは単に自己利益のためであったにしても、権力を手玉に取っているというその一点で、大恐慌時代の困窮した民衆の英雄足り得たのだ。
暴力犯罪者が大衆ヒーローに祭り上げられるためには、現実存在を超えた幻想が必要とされ、英雄を求める大衆心理がその対象を現実社会から発見すると思われる。
例えば、それは人とは限らない。事実、大恐慌時代に庶民の夢を乗せて失踪したサラブレッドもいたのである。
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結局、苦しむ者達が求める「民衆の擁護者」はその困窮に比例して、あらゆる対象を元に創造されるのだろう。
大恐慌の間、自分たちの困窮は政府が彼らの苦境に冷淡であるからだと、自分たちの責任ではないという、その事実を誰かに代弁し、その不公正さを正して欲しいと求め、ボニーとクライドが見出されたのだ。
そんな弱き民に成り代わって、時の権威者を打ち倒すヒーロー「義賊」の特徴を、アメリカの歴史家リチャード・マイヤーは、以下の12項目にまとめている。
@無法ヒーローは、一般的に政府、時として地方権力者の抑圧的な不当な武力または利益となる、法に反抗するか、それをすり抜ける。
A無法ヒーローの最初の犯罪は、抑圧的な社会の官憲による極端な挑発によって引き起こされる。
B無法ヒーローは富裕層から盗み、貧困層に与え、「悪を正す」存在として奉仕する。(ロビンフッド、ゾロ)
C無法ヒーローの悪評にも関わらず、彼は人柄が良く、心優しく、しばしば敬虔である。
D無法ヒーローの犯罪行為は大胆で奇抜。
E無法ヒーローはしばしば策略によって敵の裏を突き、混乱させ、笑いを生む者として表現されることが多い。(トリックスター)
F無法ヒーローは自分の支持者から助けられ、支えられ、称賛される。
G無法ヒーローを当局は従来の手段で捕まえることができない。
H無法ヒーローの死は元友人の裏切りによってもたらされる。(ユダ)
I無法ヒーローの死は彼の支持者側に大きな悲しみを引き起こします。
J無法ヒーローが死んだ後、主人公はいくつかの方法で「生き続ける」。(物語は彼が本当は死んでいない、または彼の幽霊や魂が人々を助け、刺激し続けると語る。)
K彼の行動と行為は常に承認や賞賛を得るとは限らず、他の11の全要素の完全な非難と反対による、穏やかな批判としてバラードで時々非難される。
ここで描かれた、「ソーシャル・バンディット=義賊」の姿とは、この映画で描かれたボニーとクライドそのままだと思える。
彼らの、実際の行動を調べてみれば、この映画『俺たちに明日はない』は、彼等が示したその残虐さや冷酷さ卑しさを希釈して、英雄として描く事に注力していると感じる。
なぜなら、この映画が公開された60年代には「義賊」を求める必然があったのである。
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映画『俺達に明日はない』考察60年代と「義賊」とアメリカンニューシネマ |
なぜなら、この映画の公開当時、アメリカ合衆国は東西冷戦下でベトナム戦争の泥沼に「はまって」おり、その戦地に若者たちは行く運命を課せられていた。
ベトナム戦争当時、アメリカは徴兵制度を強いており、国民の義務として徴集され戦地に送られたのである。
その結果自分の身に何が起こるかは、連日の報道で知っていただろうし、周りの経験者から聞いていただろう。
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それゆえ、当時20代だったベビーブマー世代は、政府に対する反感が強く、この『俺達に明日はない』に代表される「アメリカン・ニューシネマ」が特に共感され、支持されたのだった。
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つまり、当時の徴兵を課せられたベビーブーマ世代の心情は、大恐慌時代に孤立無援で捨て置かれた者達同様、政治不信、権威者への反抗、社会支配層への抵抗が胸の内で渦巻いており、それらを代弁する「英雄」が求められていたのだろう。
そして、事実、時の権力者達は失策により戦争を泥沼化し、それを隠蔽しようとしたのである。
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そんな反権力の心情を代弁したのが、60年代「カウンターカルチャー」に属する、ロック音楽であり、ヒッピー文化であり、映画の「アメリカンニューシネマ」だったのだ。
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つまり「アメリカンニューシネマ」とは、単なる映画の革新としてではなく、反社会、反権力、超法規、社会変革を訴えた「ソーシャル・バンディット=義賊」として登場しているのであり、それは決してかつてのハリウッド映画では描けなかった世界だったのである。
さらに付け加えれば、その「アメリカンニューシネマ」が「義賊」の役割を果たせたのは、ハリウッド・メジャーという絶対的権力が崩れ去り、映画表現が自由を勝ち得たからだった・・・・・
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