映画『サーカス』解説・考察 編

原題 The Circus
製作国 アメリカ
製作年 1928年
上映時間 40分
監督 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
製作 チャールズ・チャップリン


評価:★★★★  4.0点



この作品は、チャップリンの映画としては、評価が低い映画の一本だと感じました。
しかし、この映画のチャップリンの、それまでとは一線を画す、命懸けの鬼気迫るギャグに驚きつつ、大笑いしました。

そして、何より、この映画の喜劇にあるまじきラストシーンには、感動を通り越して戦慄すら覚えました。

まとまりがよく、小粒な印象は有りますが、決してサイレント時代の名作とされる『キッド』や『街の灯』、そして『黄金狂時代』にも、引けを取らないを取らない映画だと思います。

しかし、この映画のラスト、その切ない余韻に胸打たれながら、この最後はサイレント映画で栄華を誇った、「ドタバタ喜劇」に対するチャップリンの諦念だったかとも思うのです・・・・・・・

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<目次>
映画『サーカス』簡単あらすじ
映画『サーカス』予告・出演者
映画『サーカス』感想
映画『サーカス』解説/敗者の美学

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映画『サーカス』あらすじ


放浪紳士チャーリー(チャーリー・チャップリン)は、サーカスの開かれている、広場でスリと間違えられ、警官に追いかけられ、開演中のサーカスに乱入し、観客の爆笑を誘った。そこで、サーカスに入団することになり、団長(アラン・ガルシア)の娘メリナ(メリナ・ケネディ)と知り合う。その娘は、馬の曲芸師だったが、いつも団長に殴られていた。チャーリーは、ライオンの檻に閉じ込められたりと、さまざまなトラブルを起こすが、メリナと親密になり恋をする。しかし、そこに恋仇の綱渡り芸人レックス(ハリー・クロッカー)が現れ、メリナの心を奪われた。チャーリーは笑いを取れなくなり、団長から首を告げられた。しかし、レックスが出番に登場せず、急遽チャーリーが代役に立った。ほとんど、経験の無いチャーリーは命綱を頼りに、綱渡りを開始するが、その命綱が外れ、さらに逃げ出した猿が、チャーリーの顔に飛びついた……
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映画『サーカス』予告

映画『サーカス』出演者

放浪紳士チャーリー(チャーリー・チャップリン)/団長の娘メリナ(メリナ・ケネディ)/綱渡り芸人レックス(ハリー・クロッカー)/年老いたピエロ(ヘンリー・バーグマン)/サーカス団長(アラン・ガルシア)/マジシャン(ジョージ・デイヴィス)/小道具係(スタンリー・J・サンフォード)/小道具係の助手(ジョン・ランド)/スリの男(スティーブ・マーフィー)/ピエロ(チャールズ・コンクリン)/淑女(ベティ・モリシー)/警官(チャールズ・A・バックマン)/スリの被害者(マックス・タイロン)(

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映画『サーカス』感想


この映画のチャップリンは凄いです。
もちろん、現代の言葉に頼った映画に慣れた目には、違和感があるかもしれませんが、言葉に頼れないサイレント映画の特性から、体の動きが大きく表現されるコメディが、パントマイム的な「スラップ・スティック・コメディー=ドタバタ喜劇」こそ、最もサイレント映画に適したジャンルだと思います。

本作品のチャップリンを見ると、『8時だよ全員集合』のドリフターズや、コント55号のコントが、チャップリンにその源流があったのだと再認識しました。
<『8時だよ全員集合』あの橋を爆破せよ>

<コント55号 なんでそうなるの? 「妊娠なれした女房」>

そして、現代の映画では「Mr.ビーン」などは、パントマイムギャグとしての伝統を、色濃く引き継いでいると感じました。
<Mr.ビーン『サンドウィッチ』>

本作のチャップリンは、そんな「ドタバタ喜劇」の表現でも、バスター・キートンばりに、体を張った命懸けのギャグを見せ、驚かされます。
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CGの無い当時のハリウッドでは、全て生身の体を使って演じた為、キートンなどは全身の骨を折ったとさえ言われます。

チャップリンのギャグは本来コミカルな動きと、ひようひようとしたチャーリーのキャラクターで笑いを取る、シュチュエイションコメディであり、いかにチャーリーのキャラクターを効果的に見せるかの、キャラクターストーリーの要素を持ったものでした。
しかし、本作ではサーカスを舞台に、生きたライオンの檻にチャップリンが入り演技したり、命綱なしで綱渡りをしたりと、一つ間違えれば落命の危険もある笑いに挑戦しています。

しかも、完璧主義者のチャップリンは、「ライオンの檻でのギャグ」を、何と300回ぐらいテイクを重ねたというのです。
今TVでお笑い芸人がやる、体を張った「リアクション芸」も、その大もとはチャップリンとサイレント時代の役者達にそのルーツがあるのでした。

そんな、笑える一作でありながら、ここではシッカリと人間ドラマが描かれているのが、チャップリンのチャップリンたる由縁です。

特にこの映画で表された、放浪紳士チャーリーの新たな物語原型「敗者の美学」は、サイレント映画の中で表現するには本当に困難な挑戦だったと想像します。

その「敗者の美学」に関しては、下の解説で語らせて頂きたいと思います。

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映画『サーカス』解説

放浪紳士チャーリーの「敗者の美学=自己犠牲」


チャップリンが生み出した、稀代のキャラクター「チャーリー(リトルトランプとも)」は、そもそも、初期の頃には悪戯ずきで、不道徳な行為も辞さない、笑いのためなら何でもやる小悪魔的キャラクターでした。

むしろ、その属性はサイレント時代にスラップスティック(ドタバタ)喜劇を演じる役者の共通属性だと言えたでしょう。

そんな、サイレント時代の喜劇のキャラクターにチャップリンは、少しづつヒューマニズムの要素を付け加えて行ったのです。cir_pos5.jpg
『犬の生活』で、労働者大衆を代表するワーキングヒーローとしての、キャラクターを確立し、『キッド』では貧しい者からも決して奪えない愛の存在を描き、『街の灯』では無償の愛を、その無職のさえない浮浪者に付与します。

そんなチャーリーのキャラクターは、社会の最下層の存在でも、人としての誇りを持って生きてゆけば、決して恥じることは無いと労働者大衆を励まし続けたたのだと思います。
そして、この映画『サーカス』で描いたのは、見事な「敗者の美学」だと感じます。

浮浪者で文無しの冴えない男チャーリーは、サーカスの少女に恋をし、最後にその少女から一緒に連れて行ってと頼まれます。
しかし、その申し出を断り、少女が好きな相手との仲を取り持ち、自らは身を引くのです。

その決断は、切なく、悲しい、痛みを伴うものだったでしょう。
それでも、浮浪者で、明日生きていられるかも分からない自分の人生に、いたいけな少女を巻き込むわけにはいかないという優しさだったのです。

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ここで描かれたのは、自らの境遇が人を幸福にし得ないと言う、自己認識、自己規定だったはずです。

実はこのチャーリーという「労働者階級の英雄」が、幸福になれない必然があったのでした・・・・・
ワーキングクラスヒーローとしてのチャーリーは、どれほど熱望しても、職もなく、日々の食事さえままならない生活を変えることはできません。

近代の大量生産時代の工業社会では、労働者の生活は雇用者の恣意的な決定で、その人生を変えられる運命にあります。
それは、多かれ少なかれ、現代社会のサラ―リマンにも共通の、雇用されるものの宿命に違いありませんが、それが意味するのは自らの人生を他者に支配されている現実を物語っているはずです。

つまり、産業革命以後の労働者は、他者によって否応なく、その人生を裁断されるのであり、それゆえどうあがいても敗者になる時は敗者にならざるを得ません。
そんな、自らではいかんともしがたい人生の成り行きとして、否応もなく敗者となってしまった者達を代表するのが「放浪紳士チャーリー」なのです。


彼は、この映画で、そんな敗者が愛する者に送れる、最大のプレゼントを見せたのです。

愛する者が最大限の幸福を得られるため、自らの幸福をあきらめる―

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これは崇高な「自己犠牲」の行為です。

それは、大げさに言えば人類の贖罪(しょくざい)のために、十字架に昇ったキリストとも重なる、大いなる愛の形ではないでしょうか・・・・・
時代背景を考えれば、仕事も貯えもなく、チャーリーのように自ら愛する者から身を引くような例は、巷(ちまた)に溢れかえっていたでしょう。

そんな人生の敗残者たちが、否応なく取らざるを得ない選択に対し、チャップリンはその行為が「崇高な神に通じる愛」なのだと語っているように思いました。
それゆえ、この作品の最後はアン・ハッピー・エンドでありながら、チャーリーが歩み去る先はどこか天国の幸福を約束されているように見えます。

このラストの喪失を抱えながらも生きて行く姿は、『サーカス』から100年後、『マンチェスターバイザシー』にも共通する、アンハッピーエンディングの気高さを感じました。

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蛇足ながら、この映画を見て日本喜劇の傑作『男はつらいよ』が、放浪紳士チャーリーにそのルーツがあったのだと確信しました。

フーテンの寅も、幸福になれない必然が、そのキャラクターにあったと、個人的には思っています。
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