2022年02月20日

映画『JAWS/ジョーズ』ハリウッドの復権とブロックバスターの誕生/解説・考察・簡単あらすじ・ヒットの裏側・ハイコンセプト・

映画『ジョーズ』解説・ハリウッド映画の復活 編

原題 Jaws
製作国 アメリカ
製作年 1975
上映時間 124分
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚色 ピーター・ベンチリー
カール・ゴットリーブ
原作 ピーター・ベンチリー


評価:★★★★  4.0点



この作品は、1975年当時ハリウッドの歴史を塗り替える大ヒットとなった。
その収益は、1977年にスターウォーズ抜かれるまで、最も高い記録であり、ハリウッド映画界に「ブロックバスター映画」というビジネスモデルを確立した。
しかしそのヒットは、映画の力だけではな、ハリウッド映画界を取り巻く諸条件が合致した結果だった・・・・

以下では、この映画ジョーズによって象徴される、ハリウッド映画界の再生と、ブロックバスター映画の誕生を、解説を試みた。
film1-Blu-sita.jpg
film1-Blu-sita.jpg

<目次>
映画『ジョーズ』簡単あらすじ
映画『ジョーズ』予告・出演者
映画『ジョーズ』感想
映画『ジョーズ』解説/50年代・ハリウッド映画界の没落と変容
映画『ジョーズ』解説/60年代・独立系映画会社とアメリカン・ニューシネマ
映画『ジョーズ』解説/ロジャー・コーマンと新たなビジネスモデル
映画『ジョーズ』解説/『ジョーズ』とハイ・コンセプト映画

film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』簡潔あらすじ


アメリカ東海岸のアミティの海。若い娘がサメの犠牲者となり、町に来た新警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は、浜海水浴場を閉鎖しようとするが、市長ヴォーン(マーレイ・ハミルトン)の反対を受け果たせず、二人目の犠牲者を出してしまう。ブロティは海洋生物学者フーパー(リチャード・ドレイファス)と、サメ漁師クイント(ロバート・ショウ)と共にサメ退治のため出航した。しかし、姿を現したサメはとてつもない怪物だった・・・・・ 
film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』予告

映画『ジョーズ』出演者

マーティン・ブロディ(ロイ・シャイダー)/サム・クイント(ロバート・ショウ)/マット・フーパー(リチャード・ドレイファス)/エレン・ブロディ(ロレイン・ゲイリー エレン)/市長ヴォーン(マーレイ・ハミルトン)

Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』解説

ハリウッド映画界の没落と変容

かつて、映画は娯楽の王として、人々を熱狂させていた。

特に米国の映画産業は、第一次世界大戦を契機に大きな発展を遂げ、ハリウッドに居を構える大手スタジオは、世界にその作品を流通させた。
そして1930年代には映画にかかわる全て「制作、配給、興行」を大手スタジオが独占し「撮影所の黄金時代」と呼ばれた。
関連レビュー:ハリウッド映画のスタンダード
映画『愛情物語』
ハリウッド映画が全世界に贈る良心作!!
アリゾナ州民大激怒!?のアクション・コメディー

そんな繁栄に影が差したのは、第2次世界大戦後、TV放送が普及していくにつれ、映画館入場者数が激減していったからだった。
さらに、アメリカ合衆国の独占禁止法により、当時のメジャー映画スタジオの独占体制が問題視され、1950年代のパラマウント同意判決を契機として映画画産業の構造が大きく変わる。
TVの普及と、独占禁止法により安定的な興行システムを失ったハリウッド映画界は、黄金期の終焉を迎える。

ハリウッドメジャー各社は映画の興行収入に頼れなくなり、制作部門はTVドラマに移行して行き、1955年にはワーナー・ブラザーズ、MGM、20世紀フォックス、そしてパラマウントもTV番組制作に参入していった。
米国映画産業はその撮影インフラと人材をTV映画制作にシフトし、1967年にはTV3大ネットワークのドラマの90%を占めるまでになり、世界中に輸出され大きな収益の柱となった。

反面、メジャー各社の映画制作は、1950年代に入ると苦境に陥る。
TVに奪われた映画人気を復活させるべく、大手メジャーは、大スクリーン、カラー映像、スケール感の大きい物語など、TVでは表現し得ない「大作映画」で勝負に出る。
しかし、『べン・ハー』などのヒット作も生んだが、製作経費はかさみ、失敗作が出ればスタジオの経営に危機をもたらした。
例えばエリザベス・テーラーの『クレオパトラ』は興行収入1570万ドルの大ヒットだったにもかかわらず、4400万ドルの巨額の製作費を回収することはできなかった。
<映画「クレオパトラ」予告>
さらに『ローマ帝国の滅亡』に至っては1900万ドルの製作費に対し、500万ドルの収益しか上げられなかった。

映画館入場料金を値上げしても、興行収入は増えず、1950年代以降メジャー各社は再編を余儀なくされた。
収益をあげられないメジャー撮影所による映画制作は減少し、1960年に100本から1980年には69本に減少し、変わって独立系の製作会社映画は同年間で42本から129本へと増加した。
つまり、従来のメジャー映画会社の映画作成コストと、映画が上げる収益との、収支バランスがマイナスに転じ、代わって製作コストの安い独立系製作会社の映画であれば収益を上げられる余地があったのである。

そんな変化を受け、映画製作の主体がメジャーから独立系に移行し、映画制作会社も1966年の600社弱から、1981年には約1500社と激増して行く。
メジャースタジオ自身の映画収益構造は、独立系制作会社を製作の担い手とし分業化を進め、大作映画の資金調達と配給の利権を確保する形に変化して行く。

それら、独立系映画の配給と、TV番組制作の収入、更に過去の映画コンテンツのTV放映権の販売によって、メジャーは利益をプールした。

これらの資金の蓄積が、1970年代に始まる米国映画産業の復活を可能にしたのである。
Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』解説

独立系映画会社とアメリカン・ニューシネマ


1960年代独立系の映画会社が作った映画が、小資本で、限られた層に強く訴求する、「アメリカン・ニューシネマ」だった。
関連レビュー:アメリカン・ニューシネマ代表作
映画『俺達に明日はない』
英雄ボニー&クライドの誕生のワケとは?
60年代アメリカンニューシネマ

ベトナム戦争に悩む米国社会を反映し、アウトローや反社会的な主張を描きヒッピー文化などカウンターカルチャーの担い手、1946年〜1964年頃までに生まれたベビーブーマー世代の若者に強く支持された。
ベビーブーマー(英: baby boomers)とは、第二次世界大戦の終結直後に、復員兵の帰還に伴って出生率が上昇した時期に生まれた世代を指す。この第二次大戦終結後のベビーブームは世界的現象であるが、狭義で「ベビーブーマー」という場合にはアメリカ合衆国でのベビーブーマーを指す事が多い。


その陰には、アメリカンニューシネマの最初の一本『俺たちに明日はない』の過激なラストの表現のように、「ヘイズ・コード」から引き継がれたMPPA(アメリカ映画協会)のプロダクション・コードの緩和により、刺激的な暴力や性的な表現が緩和されたことも影響している。
関連レビュー:ハリウッド倫理規定「ヘイズコード」
映画『陽の当たる場所』
エリザベス・テーラーとロック・ハドソン主演のオスカー受賞作
ヘイズコードの実際と弊害
そんな独立系映画会社の「アメリカン・ニューシネマ」を作った映画クリエーターは、低予算で大量生産されるTV映画やキワモノ映画でキャリアを積んだ、伝統的なハリウッドシステムの外部から来た、40歳前後の新しい人材が監督をしていた。

その俳優も従来の美男美女ではなく、個性的な性格俳優が出演した。

それも、70年代半ばになると、更に監督の若年化が進み30歳前後にまで下がるが、それはあたかもフランスのヌーヴェルヴァーグでも見られた、素人ならばこその自由な映像表現だった。
関連レビュー:技術を超えた映像表現
映画『勝手にしやがれ』
世界を熱狂させた、ヌーヴェルヴァーグ宣言
ジャン・リュック・ゴダール監督の歴史的デビュー作

アメリカ映画界は、公的に政府の援助も受け、積極的に映画作家を育てる努力をしていた。
それは、AFI(アメリカ映画協会)という映画助成機関による、大学など教育機関の映画学科の充実であり、学生映画コンクールの開催であり、AFIは学生と映画業界を結ぶ役割を果たした。
関連レビュー:AFIの紹介とAFIが選んだ映画ベスト100
◎AFI(アメリカ映画協会)発表ベスト映画

『史上最高のアメリカ映画100本』
アメリカ映画界が選んだアメリカ映画のベスト100!!!
AFI『100年100本』シリーズの第一弾
大学で映画制作法を学び、実習した学生たちは、撮影所でスタッフとなり、低予算映画やTV映画を作るチャンスを得られたのである。
Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』解説

ロジャー・コーマンと新たなビジネスモデル

ハリウッドメジャーの従来の作家とは違う、映画界の若手に積極的にチャンスを与えたのが、映画監督兼プロデユーサーのロジャー・コーマンだった。
彼の低予算「キワモノ」映画から若手映画作家が多数輩出され、大成して行くのである。

ロジャー・コーマン(Roger Corman、1926年4月5日 - )はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイト生まれの映画プロデューサー、映画監督。日本語では「低予算映画の王者」「B級映画の帝王」、英語では"King of the Bs"、"The Pope of Pop Cinema"などと呼ばれる。
自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』(ISBN 978-4152035035) では、彼の映画産業でのB級映画制作の体験を描いた。また、2011年には、コーマンや関係者にインタビューしたドキュメンタリー映画『コーマン帝国』(原題: Corman's World: Exploits of a Hollywood Rebel、監督: アレックス・ステイプルトン)が公開された。
<映画『コーマン帝国』予告>



ロジャー・コーマンの映画は俳優の登竜門でもありジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダ、チャールズ・ブロンソン、ロバート・デ・ニーロ、シルヴェスター・スタローンなど、今を時めく役者達も、その俳優人生の最初にコーマンの力があった。

また映画監督として重鎮となった、フランシス・F・コッポラ、マーチン・スコセッシ、ロン・ハワード、ピーター・ボグダノヴィッチらは、コーマンの下で仕事をし、監督デビューを果たしていった。

実は、コーマンの製作手法は、いかに安く早く、刺激的な映画を作るかであり、例えば自身監督したカルト化した作品『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』わずか2日で撮影している。
<『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』予告>

そんな彼が、若手を積極的に登用したのは、乱暴に言えばコストが安かったからだ。
なぜなら、アメリカ映画界には監督にしても俳優にしても協会が存在し、そこに所属している人材を使おうとすれば、「俳優のギャラが土日は倍になる」、「8時間労働の原則(超過分は1時間につき5割、10割増し)」など、厳しいルールが徹底され割高になる。

そこで、俳優や監督を協会に所属前の若手を使うことで、低コストの映画製作を実現したのだった。

しかし、それはチャンスが欲しい若手にとっては待望の機会であり、今やアメリカ映画界を代表する大御所がロジャー・コーマンに感謝を表明している。

新たな人材の発掘は、コーマン門下のコッポラにも引き継がれ、1969年自らの制作会社アメリカン・ゾーイトロープ社でジョン・ミリアスやジョージ・ルーカスらを登場させ、また、TVでチャンスを掴んだスティーブン・スピルバーグも『激突』で第一線に登場して来て、ブロックバスター映画の誕生は秒読みに入る。
関連レビュー:スピルバーグのデビュー作
『激突!』
スピルバーグ監督の映画でデビュー作
あおり運転の恐怖!巨大トラックの正体とは?

こうして『ジョーズ』に代表されるハリウッド映画の復活、ブロックバスター映画を生み出す作家が準備された。
Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ジョーズ』解説

『ジョーズ』とハイ・コンセプト映画

コーマンのチープなB級映画は、一にも二にもキャッチ―なタイトルを持つ内容が明快な、刺激的な作品を作り、と大々的な広告の展開でヒットを生んだ。

それは、従来の劇場が減少し、ドライブインシアターが増えていく中で、そこに集まる10〜20代の観客に最も訴求する戦略だった。
F_film_blue1300jpg.jpg
その戦略こそ、ジョーズが顕在化させた「ブロックバスター映画」のひな型だったのだ。
メジャー各社も、大量のTV広告にあわせて多数の劇場で「拡大公開」するのが、映画公開時の新たなビジネス・モデルとして定着し、そのため映画TV広告の費用の割合が飛躍的に上昇する。

その手法を後押ししたのが、1960年頃から郊外に近のショッピング・モールに生まれた、シネマ・コンプレックスだった。
1963年に最初のシネマコンプレックスの映画感が登場し、1980年には映画館の平均スクリーンは14面に達し、劇場のスクリーン数は2万強から3万5000強に増加したことで、拡大公開の手法を容易にし、ブロックバスター公開を支えていく。
こうして1970年代までには、これらの映画産業、映画制作、映画興行、映画館、の変化が進みブロックバスター映画が登場する、環境が整えられた。

ベビーブーマーの若者層をターゲットとする、1960年代後半の低予算の「アメリカン・ニューシネマ」から、さらに広範な層に受け入れられる「ブロックバスター映画」が登場することになる。
その「ブロックバスター映画」の、最初期の代表映画『ゴッドファーザー』や『ジョーズ』は、しかし決して50年代の大作映画のような、巨額予算をつぎ込み、ハリウッドの大スターを起用し、世界的な販路を視野に入れた、歴史や無国籍な作品ではない。

むしろ低予算で、アメリカ国内で話題となった「小説」とタイアップし、米国内の収益を確実な物とする仕掛けを施し、そのヒットの確立を高めて行った結果だった。
例えば『ゴッドファーザー』は、独立系製作会社によって若干32歳のコッポラ監督によって撮られ、全米3,000館の拡大上映と、TV宣伝の大量投入で8,100万ドルの収益を上げた。

そして、映画監督実績が1本しかない、27歳のスピルバーグ監督の『ジョーズ』が登場する。
それは、全米4,000館以上で公開し、配給元のユニバーサルが史上最高のTVスポットを投入すると、1億3000万ドルという史上最高の配給収入を樹立した。

このジョーズの成功によって、「ブロックバスター映画」の手法は、完全にメジャー各社の配給の核となった。
F_film_blue1300jpg.jpg
また、このジョーズによって、それまで興行の展開時期の力点はクリスマス期にあったが、8月という以前の閑散期でも十分採算が取れると証明されたことで、8月に「ブロックバスター映画」を準備する事も、スタンダードになった。

この映画の成功により、ハリウッドメジャーは『ジョーズ』のような、ブロックバスター展開が可能な映画を求めることとなった。
そんな映画のコンテンツを「ハイコンセプト」と名付け、第一に一言で内容を伝えられる事、第二に万人受けする事、を特徴とした。

さらに「ハイコンセプト」のマーケティング戦略としては、明確に定義できるジャンルと美学があり、「見栄えのするビジュアルと、魅力、そして本などメディアミックス」を加える事を求めた。
つまりは、観客にとって映画を見る前から、その刺激的内容が想像でき、期待を掻き立てるコンテンツであれば、そのイメージをTVスポット広告によって、一気に広め得るのが「ハイコンセプト」映画なのである。

実は、それらの特徴は、映像的なチープさを除けば、ロジャーコーマンが作った「キワモノ映画」の特徴と近似であった。
「ブロックバスター映画」との相似を、コーマンは「きわもの映画と呼ばれたのは、奇想天外な話にたっぷりのアクションと多少の男女のからみをくわえ、そこに、多くの場合、なにか変わった趣向をくわえた作品だった。おもしろいことに、数十年後には、大手映画会社は大型の製作費をかけたきわもの映画に商売のうまみを見出し、おなじものをもっと高尚な名前―ジャンル映画とかハイコンセプト映画と称した」と言っている。

『ニューヨーク・タイムズ』の批評家ヴィンセント・キャンビーは、「『ジョーズ』は金をかけたロジャー・コーマン映画ではないか?」と書いている。
つまりは、基本コンセプトは「コーマンのキワモノ映画」と同様ながら、その内容が安っぽい外見を持っている時には、一部のマニアにしか届かなかった。

ところがスピルバーグやルーカスが技術的にレベルの高い「キワモノ映画」を作ると、それは世代を問わず、国境を越え大ヒットを生んだのである。
結局、レベルの高い「キワモノ映画」とは、コーマンの絵空事の嘘くささに、映像的なリアリティーを持たせることに他ならなかったと思える。
なぜなら、嘘臭い内容を喜ぶのは、そのジャンルのコアなファンのみだが、万人がリアリティーを感じるならば、ぐっと間口が広がるのである。

それを考えれば、映画の伝播力は映像のリアリティー、クオリティーで決まるという実例が、この「キワモノ映画」と「ハイコンセプト映画」の、興行収入の差として表れていたと言える。

こうして『ジョーズ』によって誕生した「ブロックバスター映画」は、メジャー各社によって追随され、ハリウッドメジャーの基本戦略と化して行く。



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]