2020年09月20日

映画『ムーンライト』人が社会に歪められる苦悩!ファンの死因とは?/解説・考察・米国のジェンダー・実話検証・簡単あらすじ

映画『ムーンライト』解説・考察

原題 Monnlight
製作国 アメリカ
製作年 2016年
上映時間 111分
監督 バリー・ジェンキンス
脚本 バリー・ジェンキンス


評価:★★★★  4.0点



このアカデミー賞2冠に輝く作品は、本当に誠実な、真摯(しんし)なメッセージを湛えた美しい作品だと感じた。

しかし、正直に言えば、アメリカ合衆国の黒人社会の実態を知らない身にしてみれば、その語るところを十分理解し得たか心もとない。

更に言えば海を隔てた日本に住む身にとっては、アメリカ黒人のこの物語に共感できずに、この地味な語り口の映画を「つまらない」と切り捨てられかねないとも思える。

ここでは、そんなアメリカの黒人の現状を調べ、作品中の意味が十分わからないと感じた部分を自分なりに調べて見た。
film1-Blu-sita.jpg

<目次>
映画『ムーンライト』ネタバレなし簡潔あらすじ
映画『ムーンライト』予告・出演者
映画『ムーンライト』解説
映画『ムーンライト』実話/ファンの死は?
映画『ムーンライト』考察

film1-Blu-sita.jpg

映画『ムーンライト』簡単あらすじ

マイアミで麻薬中毒の母と黒人低所得者地域で暮らす小学生のシャロンは、あだ名”リトル”と呼ばれ、学校でいじめられていた。そんな彼は麻薬の元締めのファンと出会い、仲良くなる。しかし、そんな彼はファンが自分の母に麻薬を売っていると知り、ショックを受けた。高校生になったシャロンは、幼馴染のケビンと一夜海岸で愛を交わした。しかしイジメの首謀者テレルが、ケビンにシャロンを殴るように強制し、ケビンは仕方なくシャロンの顔に何度も拳をめり込ませた。翌日シャロンはテレルに復讐し警察に逮捕され少年院に入れられた。そして大人になったシャロンに、ある日ケビンから電話が入った・・・・・
film1-Blu-sita.jpg
film1-Blu-sita.jpg

映画『ムーンライト』予告

映画『ムーンライト』出演者

シャロン (成人:トレヴァンテ・ローズ/青年期:アシュトン・サンダース/少年期アレックス・ヒバート)/ケヴィン (成人:アンドレ・ホランド/青年期:ジャレル・ジェローム/少年期:ジェイデン・パイナー)/ポーラ(ナオミ・ハリス)/テレサ(ジャネール・モネイ)/フアン(マハーシャラ・アリ)/テレル(パトリック・デシル)

Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ムーンライト』解説

環境で染まる米系黒人の真実

ムーンライトという題名は「黒人の子は月明りで青くなる」という、劇中の言葉に由来していると思う。
そういう意味では、この映画は外的環境(社会環境)で人がどれほど影響を受け、どうその運命を変え得るかを語っていただろう。

それは、かつてスピルバーグが『太陽の帝国』で描いた、戦時下という環境が少年をいかに変容させたかという物語と、同様のテーマを有していると感じた。
関連レビュー:少年と環境の関係
『太陽の帝国』
スピルバーグが描く日本軍にあこがれるイギリス少年
クリスチャン・ベールのデビュー作

moon_3men.png
そんな人に与える、社会環境の作用を効果的に表すため、この映画では少年期、青年期、成人の3部構成を、異なる色でCG加工し表現していると言う。

結局、人は本来の自分ではない何者かに、外的な条件によって変わらざるを得ないと言う真実を、この映画はリアリティーのある痛みと共に語っている。
その解釈に従い、物語を確認してみれば、実に丹念に外部と内面の相克を描いている事が分かる。

例えば、カイロンの少年時代に、彼を救い、父としての役割を果たしたファンは、彼を守る者でもあったが、同時に彼から奪う者でもあった。
なぜなら、麻薬販売の元締めとして、知らなかったとはいえカイロンの母にドラッグを売り、彼の養育環境を根こそぎ破壊した人物なのだ。

ここでカイロンは、自分を愛してくれる者が、自分を傷付けないわけではないと知る。
それは、そのまま自らの母親にも通じる真実であった。
そして、彼の友ケビンとの間に生じた現実でもあった。

しかし、これは、この少年の過酷な地域社会の状況から生まれた必然であり、もし、この母や、ファンにしても、もっと豊かで満たされた環境に居れば、お互い愛だけを人に与えて生きていけた。
貧しいがゆえに、他人を食い物にしなければ生きられない、その環境にこそ原因を求めるべきだろう。


Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ムーンライト』解説

売人ファンの死の真相

ムーンライトという題名は「黒人の子は月明りで青くなる」という、劇中の言葉に由来していると書いた。

しかし、この「青=ブルー」は、この原作者がインタビューで語るところに拠れば、ファンの実在モデルに由来していると思える。

この映画の少年期と高校時代の描写は、作者タレル・アルヴィン・マクレイニーの実体験が、実話と言うべき濃密さで、反映されているという。

そして、彼はBBCのニュース番組で、そのファンのモデルに言及している。
<タレル・アルヴィン・マクレイニー「私はまだか弱い少年です」BBC Newsnight>
moon_a.png
【大意】ドラッグディーラーは両極端な傾向があり、彼もその両面を持っていた。人は誰でも良い面と悪い面を持っている。もっと良い人間に成るべきだと言うが、人間とはそういうものだ。私の母の恋人の名前はブルー、彼はドラッグ・ディラーで、私にたいへん優しく、6年間、泳ぎや、自転車の乗り方を、サーモンコロッケの作り方を教えてくれた。

原作者タレルの庇護者であり、ドラッグディーラーだった男は、母親の恋人で名前をブルーと言った。
そして他のインタビューで、ある日母親が「ブルーは殺されたからもう来ない」と彼に告げたと言い、その事実は未だにショックで、とても作品内で描けなかったと語っている。

それゆえ、ファンのモデルであるブルーが殺された理由に言及は無いが、ドラッグディーラー間の揉め事か、警察に射殺されたのだろうと想像したりする・・・・・

ここからは、個人的に感じた感慨だが、ドラッグディラーには2面性があるという作者の感慨は、アメリカ黒人社会に今なお横たわる、貧困の問題に起因するのでは無いかと思える。

結局、もともと善良な人間であっても、追いつめられれば、生活のために犯罪を犯さざるを得ないという事実を示していると感じる。

だとすれば、驚くべきは、生活のために泥棒に身を落とす、第二次世界大戦直後の映画『自転車泥棒』と同様の状況が、2016年現在、しかも世界一富を蓄えているアメリカ合衆国で起きている。
関連レビュー:貧困が人に犯罪を強いる物語
『自転車泥棒』
イタリア・ネオ・リアリズモの代表作!
第二次大戦後の貧窮のイタリア社会描いた古典

「BLM=Black Lives Matter(黒人の命も大事)」運動の背景には、そんな貧富の差と、それを生んでいる社会矛盾に対する、憤りがあると思える。

Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『ムーンライト』考察

アメリカ社会とジェンダー


またこのカイロンは、子供の頃から級友にイジメられ続ける。
その理由を、カイロンの母親ポーラは、売人のファンに「あの子の歩き方を見た?」と問いかける。

【意訳】ポーラ:ねえ、アンタ私の子を育てる気?そうでしょ?アンタ、あの子の歩き方見た?/ファン:口に気をつけやがれ/ポーラ:なんで、あの子が他の子から苛められるか教えてやれる!?アンタ言えるの!(ファン黙り込む)クソッたれが。行くよ。/ファン:何、見てやがる!

正直に言えば、私はこのセリフの意味が分からなかった。
カイロンの「歩き方」が特に変わっているとは見えないのだ。
moon_walk.png
英語版の映画サイトで、その言葉の意味をいろいろ探してみても、その説明は見いだせなかった。

しかし、そんな中でヒントとなる言葉があった。
F_am-flag.jpg
それは、「男らしい=Manlike」というキーワードであり、「男らしくなければ」それは「オカマ」なのだ。

ここで、ポーラが言うのは、カイロンの身のこなしが「男らしくなく」、彼女自身も息子を「ゲイ」だと考えているという描写だと思えた。
それは、級友で、後に大事な相手となる、ケビンが言う「タフなところを見せろ」と言う言葉にも呼応する。

日本に居ては、なかなか実感しがたいが、アメリカ社会、特に黒人社会において「男らしい=Manlike」とは、絶対的な価値であるようだ。
つまり、男でありながら弱々しい者や、闘争の場から逃げるような者は、特に「黒人社会のコミュニティー」ではその価値を認められない。

しかしカイロンの本質が、その社会的「男性ジェンダー」の要求にフィットしない事は、彼の罪だろうか?
結局、この映画の中では、カイロンはその「男らしくない」事によって、イジメられ続けたのだと見るべきだろう。

そして、ついに自らがイジメから解き放たれるために、自らをタフだと証明するために、犯罪を犯すのである。
その「男らしさ」の証明を求められたカイロンが、成人して「マッチョ」で「いかつい」「男性ジェンダーの強化」を果たすのは、そうしなければその環境で生き残れないからだったろう。

それは決して、この映画のカイロンだけではなく、例えば映画『羊たちの沈黙』では女性ジェンダーの苦しみを描いている。
関連レビュー:女性ジェンダー
『羊たちの沈黙』
アカデミー賞5冠に輝く大ヒット映画
レクター博士とクラリスのジェンダーを巡るドラマ

結局アメリカ社会自体が「ジェンダー」に対する役割要求が強いのだと感じる。

つまり、カイロンは、社会的環境に少年時代から不適合なまま育ち、それゆえ自らを本来の自分とは違う存在へと装わなければ、生きられなかった。

そのカイロンにとって、真に自らを受容し、愛を与えてくれたと信じた瞬間があった。
その青年期、砂浜のケビンとの、一夜のみの性的快楽は、カイロンにとってその人生で最も愛され、充実した瞬間だったのだろう。
moon_kiss.gif

moon_pos2.pngその瞬間が彼の人生の掛け替えのない宝石だったとしたら、この映画はLGBT映画と言うべきなのか迷うものがある。
つまり、カイロンが生まれながらにゲイとしての、性質を持ち合わせていたのかと問いたいのである。

個人的に感じるのは、このカイロンは生まれながらにゲイであると言うより、生育環境によって歪められ狂わされたその人生の中で、自ら「愛」を感じる真実の瞬間がたまたま「ゲイの愛」の瞬間だったと見るべきではないか。
だとすれば、彼が自分自身になるために大事だったのは、「同性を愛する者」としての自己規定よりも、「自分を愛してくれる者」の存在であったのだと思える。

結局、彼にとって、その人生の中で唯一真実の愛と感じる瞬間がケビンとの一瞬にしかなかったという所に、彼の孤独と、悲惨な人生の歩みを、思い知らされる。
そう言う意味で、この映画は、環境によって自分本来の人格を歪められた者が、唯一自分を愛してくれたと感じた瞬間をテコとして、自分本来の人生を取り戻そうとする物語なのだと総括したい。

このカイロンの変わり様を見るとき、その環境が与える圧力の凶暴さを感じずにはいられない。

そして、この映画を「つまらない」という人々に問いたい―

これは米系黒人だけの問題なのか、日本という社会が個人を歪めることは無いかと・・・・・



posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]