原題 Jaws 製作国 アメリカ 製作年 1975 上映時間 124分 監督 スティーヴン・スピルバーグ 脚色 ピーター・ベンチリー カール・ゴットリーブ 原作 ピーター・ベンチリー |
評価:★★★★ 4.0点
この作品は、1975年当時ハリウッドの歴史を塗り替える大ヒットとなった。
その興行収入は、1977年のスターウォーズが公開されるまで、歴史上最大の収益として記録にとどめられている。
そんなヒットを受けてこの映画のタイトル『JAWS(ジョーズ) 』は、本来「あご」の意味ながら、今ではサメを指す単語として使われるようになった。
<目次> |
映画『ジョーズ』簡潔あらすじ |
アメリカ東海岸のアミティの海。若い娘がサメの犠牲者となり、町に来た新警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)は、浜海水浴場を閉鎖しようとするが、市長ヴォーン(マーレイ・ハミルトン)の反対を受け果たせず、二人目の犠牲者を出してしまう。ブロティは海洋生物学者フーパー(リチャード・ドレイファス)と、サメ漁師クイント(ロバート・ショウ)と共にサメ退治のため出航した。しかし、姿を現したサメはとてつもない怪物だった・・・・・
映画『ジョーズ』予告 |
映画『ジョーズ』出演者 |
マーティン・ブロディ(ロイ・シャイダー)/サム・クイント(ロバート・ショウ)/マット・フーパー(リチャード・ドレイファス)/エレン・ブロディ(ロレイン・ゲイリー エレン)/市長ヴォーン(マーレイ・ハミルトン)
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映画『ジョーズ』考察ジョーズの「隠ぺい」の恐怖 |
その水底から不可知の存在として現れる時、その実体を見る以上に、夢魔的な恐怖を生み出しているように感じる。
その恐怖は『エイリアン』第1作と同様の恐怖だと思える。
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結局、見えないからこそ、闇に潜んでいるからこそ、人はその恐怖を自らの持つ最大値で感得するのではないだろうか。
この「不可知の恐怖の法則」は、人類の起源、いや生命の起源、その時から深く刻み込まれた恐れだったに違いない。
なぜなら、生命を共に奪い合う、生命循環の中にあって、命は物陰から現れる外敵に常に脅かされてきた。
そんな、生命としての記憶が、暗闇や不可知の存在に対し、最大限身構えるのは敵の巨大さが不明瞭であるがゆえの防御反応だったろう。
その「見えない恐怖」は映画の歴史の最初から、人々の心を掴んで離さなかった。
それは、白黒サイレントの時代より、闇に潜み一瞬の姿を閃かせるだけで、観客の叫びを響かせたのである。
しかし、本来視覚的メディアである映画にとって、恐怖は闇に隠すよりも明確に描写されることこそ、この表現方法にあって自然な成り行きであったろう。
しかし映画の黎明期には、カメラのレンズの暗さと、解像度の悪さ、更には特殊メイクの技術的な低さによって、製作者側もその恐怖の対象を隠さざるを得なかったのである。
それは『カリガリ博士』『吸血鬼ノスフェラトゥス』から始まり、引き継がれた伝統的恐怖手法である。
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こんな「隠とく恐怖表現」を「ゴシック的恐怖」と呼ぶとするならば、この『ジョーズ』も間違いなくその系譜に連なるだろう。
しかし、先に述べた、映画と言うジャンルの特性、明確な視覚情報を元にした恐怖も、また存在する。
それは、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの夜明け』から始まった、スプラッタホラーの系譜だ。
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ゾンビ映画の創始である、上の作品においては、白黒作品であることもあり、まだ「ゴシック的ホラー」の範疇にあった。
しかし、特殊メイクの手法が洗練されて行くに連れ、それは血と壊れた肉塊を、破廉恥なほど画面上に展開する事となる。
その恐怖の明示化は、「CG=コンピューターグラフィック」の高度化によって、ほぼ全ての映像がデジタルで製作可能になったことで、更に顕著化する。
例えば、ゾンビ映画で、ゾンビの数が増加し続け、動きが軽快になってきているのも、それらの特殊効果の進歩と無縁ではない。
実を言えば、この『ジョーズ』が撮られた年代とは、特殊撮影の革新期だった。
CGはまだなかったが、精巧な造形と動きを再現する、「アニマトロニクス(動物ロボット)」と呼ばれる特殊撮影技術はあったのである。
この映画のサメは、スピルバーグの弁護士の名に由来して「ブルース」と呼ばれたロボットだった。全長7mを超え、重量1.5tのこのサメは、最初のカメラテストから、海底へと沈んで行ってしまった。長期の修理から帰って来ても、思ったような動きは望めず、ついには撮影中止すら危ぶまれる事態となった。
実際、撮影費の1000万ドルは、当初の3倍の数字に膨れ上がっていた。
そこで、窮余の一策で、スピルバーグは「サメを見せずに、暗示する」ことで撮影を進めるしか道はなかった。
それゆえ、この映画の「秘匿」が出来上がったのだ。
このゴシック的演出を、音響効果、編集、作曲家ジョン・ウィリアムズの“テーマ曲”により、その表現効果を高めている。
そして、後年スピルバーグ自体が語るのは「見せすぎていたら失敗しただろう」という述懐だった。
こんな舞台裏を見てみれば、このゴシック的恐怖は、あくまで偶然の産物だったのである。
しかし、この映画全編を通じて、ハリウッド映画界の表現の変革を示す要素があった。
それは、あからさまな、人体の死傷シーンであり、毒々しく広がる血だ。
そのショッキングな表現は、かつての厳しい映画倫理「ヘイズ・コード」が幅を利かせていた時期には決して描きえなかった。
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この『ジョーズ』の描写は、スプラッター映画の系譜に連なるものであり、1975年の時代を考えると一般向け映画としては、相当エグイ表現であると思える。
以下の動画には、スプラッター映画の過激な表現が含まれています。
スプラッター映画の歴史 |
<スプラッター映画のパイオニア「ハーシェル・ゴードン・ルイス」映画祭>スプラッター映画の初めは、1963年のハーシェル・ゴードン・ルイス監督の『血の祝祭日』と言われる。
そのスプラッターを更にメジャーにしたのは、イタリアの監督マリオ・バーヴァ。
『血みどろの入江』1971年
そして、スプラッター映画として大ヒット、市民権を得た作品。
『サスペリア』1977年制作
実はスピルバーグの初期の映画では、この映画以外にもそんなスプラッター的効果を多用し、間違いなくヒットの一要素として機能させていると思える。
そのスプラッター効果は、前半のサメを見せないシーンであっても、被害者の凄惨なシーンを描くことでその恐怖を印象づけている。
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映画『ジョーズ』考察ジョーズの「明示」の恐怖 |
しかし、それも、思い通りに動かせるサメ・アニマトロニクスの存在があればこそ、出せた迫力だと思う。
<ジョーズ「アニマトロニクス」>
【大意】1970年代の子供達の悪夢、ブルース。スピルバーグが「ジョーズ」で使った象徴的アニマトロニクス。ジョーズを振り返りアメリカ映画の古典を再確認する。それは最初期のハリウッドのブロックバスター映画になったが、スピルバーグのキャリアを終わらせかねなかった。ユニバーサルスタジオは彼を追い詰めた。
アニマトロニクスを生んだのはボブ・マーティーで、ディズニーでキャリアを積み「海底20000マイル」の特殊効果を担当した。サメの有名なニックネームのブルースは、彼の弁護士の名前だった。映画で見えるサメは三種類の異なるアニマトロニクスが合わさったものだ。そして、ダイビングケージの周りを泳ぐのはオーストラリアの本物のホワイトシャークだ。人造のサメは鉄の骨格にポリウレタンゴムの皮で作られた。動力は圧縮空気で、地上では完璧に動いた。
しかし、海に入れると沈没した。トラブルの始まりだ。海の塩水がチューブに入り、電気的ユニットを無力にし、動かなくした。最悪だったのは完全に撮影が出来なかったことだ。アニマトロニクスの製作経費は50万ドルで、ほぼ動かなかった。最悪なのは一体が沈んだ時だ。美しい夏の日、一体のアニマトロニクスは撮影中に転覆した。それは地上に引き上げることが出来なかった。
しかし、すでに損失は始まっており、撮影は大幅に遅れていた。スピルバーグは混乱を収め、心を落ち着かせる責務があった。そして創意工夫をした。ジョーズの遊泳者を襲うオープニングシーンは、けっしてサメを見せない。それは映画で最もスリリングなシーンだ。そこではサメは全く見られない。それで、そのギャップを我々は原初的な恐怖で埋めるようになる。
最も説得力と恐怖を持つジョーズのサメは、アニマトロニクスや本物ではなく、見ることができないサメだ。それは、ジョンカーターの音響効果と、ヴァーナ・フィールズの編集力と、ジョン・ウィリアムスの音楽と、あなたの創造力で作られる。スピルバーグは壊れたアニマトロニクスを、本来の計画より縮小して、効果的に使った。オープニングのサスペンス同様、映画を通して再使用された。元気なブルースを垣間見れるが、最後の対決までは、決して全身ではない。この抑制と相まったジョーズの映画的要素こそ、真にアメリカ映画のランドマークとしている。多くの映画がジョーズを目指すが果たせない。
つまりこの映画は、良くも悪くも、特殊撮影のテクノロジーの不安定さに対応し、上手く対処した結果として出来上がった映画なのである。
現場の状況に合わせて、大胆に撮影プランをシフト出来る、スピルバーグの柔軟性と対応力の凄さに、鳥肌が立つ思いがする。
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映画『ジョーズ』解説ジョーズの人間ドラマ/実話 |
そこに対峙する三人の男。
古強者のクイントは、米海軍史上最悪の惨劇の生き残りだ。
第二次世界大戦で日本の潜水艦の攻撃で沈み、約1100人の乗組員のうち、約300人しか助からなかった、巡洋艦インディアナポリス号に乗り込んでいたのだ。
インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海で日本の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊)の雷撃により沈没した。第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。
乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因といわれている。救助された生存者は わずか316名であった。(wikipediaより)インディアナポリス号の悲劇を描いた映画。<映画『パシフィック・ウォー 』 予告篇>
多くの水兵がサメの餌食となったからこそ、仲間の敵を自らの手で取りたいという強い復讐心に駆られシャークハンターになったに違いない。
1100人が水に落ち、316人が助かった。残りはサメに食われた。1945年6月29日。
つまり、それまで姿を見せないサメが表した人間の無意識的恐怖は、クイントのPTSD的トラウマとして発現し、怪物に向けられたのである。
そのクイントの迫力は、古い映画だが『白鯨』を思わせる。
<映画『白鯨』(1956)予告>
特に、ラスト近く他からの援助を拒んで、サメに復讐しようとする常軌を逸した執念の描写は、エイハブ船長を彷彿とさせた。
それゆえ、第二次世界大戦の老兵クイントの運命とは、人の持つ暗い澱(おり)が凝り固まったものであり、それは自らの妄執との格闘を意味し、それゆえこの映画の末路を迎えたのであろう。
それはサメの専門家フーパーにしても同様だったろう。
ヒッピー世代の自由を謳歌した世代である彼にとって、サメの研究というのは彼にとって最も興味が引かれ、楽しい研究対象なのであり、その意味では利己的な目的でサメと向き合ってきたのだ。
結局、サメという怪物を自らの欲望の発露とした二人は、自らを一種の怪物へと変じさせ、決してそれに打ち勝つことは出来なかったのである。
そんな二人と一線を画すのが警察署長のブロディーだ。
彼は、サメの素人でありながら得た勝利は、市民の安全という他者のための行動であったがゆえに獲得できたのかと考えたりした。
いずれにしても、この映画の後半は「怪物=魔」に魅入られた者と、そこに思い入れがないがゆえに冷静に「魔」を払った者を描き、人間ドラマとしての表現にも目配りされていると思える。
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