2020年04月06日

映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』人生の喪失を悼む感動作/ネタバレなしあらすじ・映画感想・解説

映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』(あらすじ・感想・解説 編)

原題 Manchester by the Sea
製作国 アメリカ
製作年 2016年
上映時間 119分
監督 ケネス・ロナーガン
脚本 ケネス・ロナーガン
製作 マット・デイモン


評価:★★★★☆ 4.5



この実在の町を舞台にした映画の、喪失の痛みのリアリティーに打たれる。
近親者を失なった経験を持つものなら、この作品の語る主人公の心情に共感し、涙を禁じえないだろう。

しかも、この主人公の身に起きたことは、とうてい人に耐え得る限界を超えているとすら思えるが、実は明日わが身が引き起こす可能性をはらんでいる事に気づき慄然とする。

そんな万人にとって誰でも背負い込む可能性のある悲劇を、丁寧な脚本と、誠実な演技で表現し、アカデミー賞を獲得した秀作である。

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<目次>
映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』あらすじ
映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』予告・出演者
映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』感想
映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』ネタバレ解説/人生の悲劇は乗り越えられるか?

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映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』ストーリー


マサチューセッツ州のボストンから車で一時間半の、海沿いの小さな町マンチェスター・バイ・ザ・シー。
その海を、一捜のボートが走っていく。
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その船の上にはリー(ケイシー・アフレック)と、その兄ジョー(カイル・チャンドラー)、ジヨーの幼い息子パトリック(ベン・オブライエン)が乗り、冗談を言いながらクルーズを楽しんでいた。

現在。
リーはボストンで一人暮らしをし、便利屋としてアパートのメンテナンスをして生計を立てていた。
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しかし今の彼は、腕はいいが不愛想で、ときおり住人と揉め、雇用主から小言を受けている。
酒場に行っても、女性には心を閉ざすが、男には些細なことで殴りかかる、不安定な生活を送っていた。
そんなリーのもとに、兄ジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたという知らせが届き、厳冬の中車で生まれ故郷マンマチェスターバイザーシーに向かう。兄は心臓に持病があり、医師から5年から10年の命だと告げられていた。
病院に急いだものの、友達のジョージ (C・J・ウィルソン)から、兄は既に死んだと聞かされる。
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今は16歳になるジョーの息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)に、その父の死を告げるため、リーは車を走らせた。
その夜、パトリックの家に友達が集まり、ガールフレンドとパトリックは部屋で愛し合った。
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翌日はジョーの葬儀の手配をし、弁護士の元で遺言を聞く。
すると16歳の甥パトリックの後見人に指名されていることを知らされる。
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そこには、兄ジョーがリーを再び生まれ故郷に呼び戻し、パトリックと共に日々を送って欲しいと言う願いが込められていた。
しかし、リーはこの町には住めないと、甥をボストンへ転居させようとする。

リーとパトリックは、父のボートに向かう。
リーはボートでボート仲間でもあるジョージとメンテナンスに関して話をしたが、やはり維持は困難だとリーは決めつけ、二人の間はギクシャクする。
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ボストンで暮らせと言うリーに、パトリックは町に彼女が2人おり、ホッケーチーム、ロックバンドなど充実した日々を送っており、町を出ることを拒否するが、リーも譲らない。

パトリックは、かつてアルコール中毒になり、自分と父を捨てた母エリーズ(グレッチェン・モル)と連絡を取り、母の婚約者ジェフリー(マシュー・ブロデリック)の家で3人で昼食を摂ったが、共に暮らす事は無理だった。
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リーは町を出ると言い、パトリックは残ると言い張る中、ジョーの埋葬は雪解けの春まで待たなければ穴を掘れないと聞いて、パトリックは父を冷凍にしたくないとリーと口論になった。

パトリックはリーと共にこの町で暮らしたいと望むのだが、実はリーにはその町マンマチェスターバイザーシーにつらい思い出があり、それを乗り越えることが出来ずに町にとどまれなかったのだ・・・・・
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映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』予告


映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』出演者

リー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)/ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)/ジョー・チャンドラー(カイル・チャンドラー)/パトリック・チャンドラー(ルーカス・ヘッジズ/幼児期ベン・オブライエン)/ジョーの元妻エリーズ(グレッチェン・モル)/ジョージ (C・J・ウィルソン)/ホッケーのコーチ(テイト・ドノヴァン)/ガールフレンド:シルヴィー・マクグラン(カーラ・ヘイワード)/ガールフレンド:サンディ(アンナ・バリシニコフ)/サンディの母ジル(ヘザー・バーンズ)/エリーズの婚約者ジェフリー(マシュー・ブロデリック)/ジョエル(オスカー・ウォールバーグ)/リーの上司(スティーヴン・ヘンダーソン)/弁護士ウェス(ジョシュ・ハミルトン)/通行人(ケネス・ロナーガン)


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映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』感想


人は、人を失うことの痛みにも、耐えられる。
もしそこに、ある種の予感があり、諦念を生む時間的な猶予があるなら。

たとえば、高齢の親を持つ者であれば、その日が遠くない事を切なくも受け入れざるを得ない。

それは悲痛なことだが、ホモ・サピエンスとして人類が10万年以上命をつなぐ中で、遍く人々が経験し引き受けてきた経験でもある。

しかし、突然、自らの肉体の一部のような、その精神の深いところに住まう、そんな近しい者を喪ったならば、その損失に耐ええるだろうか。

瞬時にして、その身も心も、風船から空気が抜けるように、虚ろで空しい己を抱えるだろう。

その空虚は、本当に人に耐え得る悼みとして、引き受けられるものなのか・・・・・・・・

更に、この作品の主人公のように、自らが原因で愛する者を喪ってしまえば・・・・・・・・・

この映画は、そんな取り返しのつかない「罪」と、永遠の「空虚」を抱えた者が、人生を続けることがどういうものかを、誠実に語り胸に響いた。

この映画の主人公の姿は、現代人のリアリティーを湛えて感動的だった。

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以下の文章は、映画に関わる内容で多少の「ネタバレ」を含んでおります。
お気になさる方は映画を見てからお読みになる事をオススメします。
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映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』解説


この映画は、最愛の者を、自らの過失によって喪ってしまった男が主人公だ。
その深い苦悩を、静かに、丁寧に、繊細に、実直に描き、見る者の内に深く響く。
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ハリウッド映画的な派手さは無いが、主人公リーと16歳のパトリックの会話や間が絶妙で微かな笑いを誘い、悲痛なドラマに抑揚を付けており、見ていて飽きさせない。
演技で言えば、アカデミー賞に輝いたケイシー・アフレックの演技は抑えていながら、溢れるような苦悩と、吹き出るような不安定さを見せ、説得力がある。

これは、アフレックのみだけの事ではなく、登場する人物全てが作品内で浮くことなく、その役割に応じたリアリティーを見せていて驚く。
総じて、この映画はアメリカ映画というよりは、ヨーロッパ映画のような素朴な輝きを放っており、その表現がこのドラマと見事に合致していると感じた。

この映画は、そんな地味ながら、嘘のない演出で、この世に生じるどうしようもない「不運」を描いて、見る者の共感を呼ぶ。

下のネタバレの中で主人公の引き起こした「事件」の詳細を書いているが、この主人公の身に起きた事件は、明日自らに起き得るかもしれない。
この映画は、過去と現代が交錯しつつ描写されるが、主人公の甥っ子パトリックが現在16歳だが、冒頭の船のシーンでは10歳に満たない年齢に見えることから、少なくとも6年は立っているだろう。
また、主人公の兄は心臓病で余命5年から10年と語られているため、10年を経過していると見るべきかもしれない。
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いずれにしても、事件から何年も経過して、なお主人公は不安定で直視できない。
妻は前向きに人生を歩みだしているが、これは自らの過失では無いだけに、喪失の責任を夫に課し自らは罪悪感を感じずに済んだ面もあったろう。

また、16歳のパトリックにとっての「喪失=父親の死」は、予期していた事でもあり、周囲の人々とのつながりもあり、その父の死を乗り越えることは確実だろう。
しかし、リー。

彼は、自らのもたらした「悲劇」を抱えて、生き続ける事が可能だろうか。

このリーの身に起きた「過失」から生じた悲劇を、人は乗り越えられるだろうか?

たとえば、周囲の者の慰めがあったとしても、それこそ妻が許したとしたらどうだろう?
それでも、自らの心に生まれた呵責をどうしようもできないだろう。むしろ妻を見るたびに、その「喪失の痛み」と「罪悪感」に、自らの魂を傷つけ続けるに違いない。

たとえば「死んだ子供たちの分も生きる」というロジックは、彼を前向きにするだろうか?
これは、確かに一定の力になるかもしれないが、それでも自らが殺した子に対しては、償いようがない。

もしできるとすれば、火災罹災者の遺児に対し支援をするとか、火災防止のために尽力するという形での贖罪の道はあるだろう。
しかし、それが出来るようになるまでには、自らのダメージに対しリカバリーが済んで、前を向けるようになるまで時間を置く必要があるだろう。

その活動とは、自分の引き起こした「損失=子供たちの死」の直接の補償では無い事は明確で、その贖罪の活動の中で常に自分が喪った存在を意識し、自らの罪と直面し続ける事になるからだ。

心が回復し強くなるまで、その事実に向き合うのは困難だろう。
結局、この主人公のように、自らの罪に直面し、その過失の損失に誠実に向き合えば、その魂は痛み血を流し続けるだろう。

他者に転嫁できない罪に、真摯に向き合うならば、この映画の主人公のように、自らの命を絶つしかなくなるかもしれない。

この主人公リーは、かろうじてその罪から遠く離れることで、生きることを保っている。

たとえば、16歳のパトリックとの交流によって人生に変化が生まれ、その罪と向き合い、心が回復し得るだろうか・・・・

しかし、現代を生きる者達にとって、それを乗り越えることはできないかもしれない・・・・・・・・

そんな不明瞭な答えを出さざるを得ないのが、この時代を生きる者たちのリアリティーではないかと、この映画は語っているように思える。

ことさら、そのラストの姿は、現代人の「在りよう」を表し心に響いた。

そのラストの詳細は、ネタバレを含むため、下で書いた「ネタバレ・ラスト編」で語るべきかと思う。
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posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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