原題 Manchester by the Sea 製作国 アメリカ 製作年 2016年 上映時間 119分 監督 ケネス・ロナーガン 脚本 ケネス・ロナーガン 製作 マット・デイモン |
評価:★★★★☆ 4.5
この映画のラストに深く共鳴した。
そこでは、現代における「悲劇」を抱えた者のさ迷う姿を象徴して、観る者の胸を打つ。
この映画においてラストの考察を欠かすわけには行かない。
以下このレビューは『ネタバレ』し、ラストを詳細に語っているので、注意下さい。



<目次> |

映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』予告 |
映画『マンマチェスター・バイ・ザ・シー』出演者 |
リー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)/ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)/ジョー・チャンドラー(カイル・チャンドラー)/パトリック・チャンドラー(ルーカス・ヘッジズ/幼児期ベン・オブライエン)/ジョーの元妻エリーズ(グレッチェン・モル)/ジョージ (C・J・ウィルソン)/ホッケーのコーチ(テイト・ドノヴァン)/ガールフレンド:シルヴィー・マクグラン(カーラ・ヘイワード)/ガールフレンド:サンディ(アンナ・バリシニコフ)/サンディの母ジル(ヘザー・バーンズ)/エリーズの婚約者ジェフリー(マシュー・ブロデリック)/ジョエル(オスカー・ウォールバーグ)/リーの上司(スティーヴン・ヘンダーソン)/弁護士ウェス(ジョシュ・ハミルトン)/通行人(ケネス・ロナーガン)
スポンサーリンク

以下の文章には 映画『マンマチェスターバイザーシー』ネタバレがあります。 |
(あらすじから)
実はリーは、この町で妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)と、2人の娘、生まれたばかりの息子と幸せな暮らしていのだが、ある晩酒とドラッグの入ったパーティーをし、暖炉に火をつけたまま柵をせず失火させ、3人の子供を喪っていた。
彼は、警察の事情聴取に応じ、事件を語った。
しかし、事件性はないとして、帰って良いと告げられた。
リー:なんだって?これで?/消防職員:君はひどいミスを犯したが、それは昨夜100万人が起こした事だ。暖炉の柵をしなかったからと言って犯罪ではない。/リー:それで、俺は、無罪なのか?/警察官:何か出てこず、これまでの分かっていることからすればそうだ。家に帰るのに誰か迎えは?ジョーとお父さんが来てたね?/リー:うん・・・/警察官:OK・・・(立ち上がる)
警察の事情聴取を受け帰る際、署内で自殺を試みるも、周りの警官に阻まれ果たせなかった。
現在。
街を歩くリーは、元妻ランディーがべビカーを押すところに出会って、言葉を交わす。
ランディー:お昼をどう?/リー:君と俺で?/ランディー:ええ。だって、私あなたに酷いことをたくさん言って/リー:いいや。/ランディー:たぶん、あなたは私と話したくないでしょうけど、/リー:いいや。もう、そんな/ランディー:最後まで言わせて。何にしても、私の心は壊れている。いつだってずっと壊れたまま。そして、あなたの心も壊れたまま。それなのに、あなたにひどい事を言って、私なんて地獄で焼かれればいい。/リー:いいや。でも、ランディー止めて/ランディー:本当に、ごめんなさい。愛してるわ。私が、こんなこと言えないけど、ごめんなさい。
リー:すまない、もう行くよ。/ランディー:私達、ランチ行けないかしら?/リー:ゴメン、本当に悪いけど行けそうにない、君が言ってくれた全てに感謝するよ。/ランディー:ランチに/リー:いや、行けない、/ランディ:死なないでね/リー:いや、死なない、大丈夫だから、君は幸せになってくれ/ランディー:あなたが街を歩いてるのを見て、話したくて、/リー:聞いてくれ、俺も話したかったでも/ランディ:悪かったわ、謝りたくて/リー:いや、何でもない、大丈夫、何も無いよ/ランディー:ねえ、聞いて、私間違っていた/リー:いや、そうじゃない、分かってくれ、間違ってない、違う、ゴメン。行くよ。
春が来て、葬儀が近づいた夜、リーはパトリックに、ジョージの養子となり、この町に住めと語った。
パトリックは、後見人がイヤなのかと問いかけ、なぜこの町に住めないのかと尋ねた。
パトリック:それで、消えちゃうの?/リー:違う、違うよ。お前が町に残れるように、頼んだんだ。彼等は本当に―/パトリック:分かってる、分かってるよ、彼らは素晴らしいよ・・・・・でも、何でここにいれないんだよ?/リー:・・・・俺は、乗り越えられない。乗り越えられないんだ。すまない。

映画『マンマチェスターバイザーシー』結末 |
葬儀が営まれ、そこにはジョーの縁の人々が集まった。
葬儀の帰り、リーはボストンで、パトリックが遊びに来れるような部屋を探していると語った。
そして、2人はジョーの残したボート上で、並んで釣り糸を垂れた。

スポンサーリンク

映画『マンマチェスターバイザーシー』結末考察ハッピーエンドと現代 |
このエンディングにシビれた。
世の中には、一生乗り越えられない、傷を負うことがあるのだと、まざまざと分からせてくれた。
その傷を、正面から見据え対峙すると、自らの命を絶つ以外、救われる道がないと実感として知った。
実は、この主人公が救われる道が、1つだけある。
それは宗教にすがる道だ。

全能の神が統べる、この世界の森羅万象は、大いなる御心が設計し給う、人智を越えた深い叡知のなす御業だと、信じられれば救われる。
なぜなら、その身に起きた不幸とは、実は神がその者に必要だとして、与えた試練なのである。
そう信じたならば、自分の「責任=過失」は、神が成した「定め=運命」として、自らの「責任=過失」から、逃れられるのだ。
実を言えば、アメリカ合衆国は、信仰心の厚い国である。
現代においても合衆国内では、ダーウィンの進化論を神の冒涜として教育しない州や、避妊や堕胎を認めない州があるぐらい、キリスト教の影響が強い。
そんな信仰心に篤い国だからこそ、ハリウッド映画は、楽天的で、最後には「ハッピーエンド」を迎えるのではないかと疑っている。
神に対する絶対敵信仰が産み出すもの。
それは、たとえ非業の死を迎えたにしても―
どんな酷い犯罪を犯したにしても―
その人生が、苦しく、汚辱に満ちた、悲惨なものだとしても―
死後には天国にいけるという幸福の約束なのである。
しかし、その「絶対的幸福の約束=天国」は、絶対的な「信仰」がなければ、雲散霧消してしまう。
なぜなら、誰も見た事が無く、誰も証明出来ない「天国の存在」や「運命」は、在るとも無いとも言えない。
つまりは理屈では無く、信じるか、信じないかなのだ。
関連レビュー:絶対的信仰を語った古典作品 映画『処女の泉』 映画史に残る「宗教映画」を語った古典!! 名匠イングマールベルイマンの『羅生門』 |
しかし今、神の存在に疑いを挟まず、その実在を100%信じられる者がどれほどいるだろうか?

この映画のラスト。
このラストの主人公の姿、アンハッピー・エンドが意味するのは、神を信じられなくなった現代人の苦悩の姿だと見えた。
この主人公のように、人の成した行為はその個人に帰結するとする、自己責任から正面から向き合ったならば、とても耐え得ない事象が世界中で日々生じている。
自分の過失に誠実に向かい合えば、死を選ぶ以外ないと思えるような過失をどう「乗り越えられる」だろうか?
それがこの映画の答えでありラストだ。
つまり、生涯「乗り越えられず」に、その「過失」を抱えたまま、それでも生き続ける。
それが「神なき現代人」にとって、唯一の答えであるだろう。
それは苦しく困難な現実に違いない。
しかし、それでも生き続けることこそ、人として残された「かすかな希望」であり「僅かな救いの可能性」だったろう。
生きていくこと、昨日よりも今日、今日より明日、人生を積み上げることに、なにがしかの意味があると、私は信じる。
生きたくとも生きられ無い、そんな「命」をつなぎ続ける難事業に挑むことこそ、人間が人間として成し得る最大の奇跡であると思うからだ。
間違いなく私は、人生につらくなったならば、この映画から、生きることの勇気を分けてもらうだろう。
【関連する記事】
- 映画『ピアノレッスン』美しく哀しい女性映画!再現ストーリー/詳しいあらすじ解説・..
- 映画『我等の生涯の最良の年』考察!本作の隠された主張とは?/復員兵ワイラー監督と..
- 映画『我等の生涯の最良の年』戦勝国米国のリアリズム!感想・解説/ワイラー監督の戦..
- 映画『シェーン』 1953年西部劇の古典は実話だった!/感想・解説・考察・スティ..
- オスカー受賞『我等の生涯の最良の年』1946年のアメリカ帰還兵のリアル!再現スト..
- 古典映画『チップス先生さようなら』(1939年)戦争に歪めれた教師物語とは?/感..
- 古典映画『チップス先生さようなら』1939年のハリーポッター!?再現ストーリー解..