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この映画は、実に丹念に戦争と、その結果訪れた悲劇、それも女子供の社会的弱者の身に降りかかった不幸に対し、鋭く語られていて胸を突かれる。
第二次世界大戦後、10年も経たない当時、この作品が伝える反戦のメッセージは見る者に強く響いたに違いない。
それゆえ、この映画は戦後日本の映画界にとって、初の海外主要賞、「第13回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞」を獲得するという快挙を成し遂げた。
その栄冠は、戦後の混乱から未だ立ち直っていなかった日本人に、勇気を与えるニュースとなった。
しかも監督溝口健二は『西鶴一代女』、この『雨月物語』、そして『山椒大夫』によって、ヴェネツィア国際映画祭で3年連続で受賞し、世界的に高い評価を勝ち得ている。
しかし2020年の現在において、監督溝口健二の名はかつての栄光の時代に較べ、語られることが極端に少ない印象を持つ。
例えば、世界で日本の巨匠と言えば、黒澤明であり小津安二郎の名が上がることがあっても、溝口の存在は耳にする事が稀であろう。
その現実は英国映画協会が『Sight&Sound』誌で10年毎に選出する、「映画批評家が選ぶベストテン」で顕著である。
この『雨月物語』は、1962年には第4位であったものが、72年には10位、82年21位、92年17位と持ち直すものの、2002年27位、2012年50位とその評価を下げている。
また、世界各国の「映画ベスト100」などのランキングでも、その存在は年と共に希薄になっている印象がある。
この事を個人的に考察するに、その作品の評価が下落する原因に、溝口の生硬な主張が影響しているのではないかと感じる。しかし、また同時に、その堅苦しい主張が邪魔し、この監督の持つ透徹した美意識や、その演出力の凄味が見落とされ、評価されないのであれば、それは溝口作品の遺産的価値を「ないがしろ」にするものだと思わずにはいられない・・・・・
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この『雨月物語』を丹念に見て行くと、実に細かく戦争の持つ問題を指摘している事に気づく。 
冗談ではなく日本民族が絶滅を覚悟した、そんな戦争に立ち至ってしまった事への痛切な批判と反省が、強く滲んで見える。
例えば冒頭、いくさが近づいている今、市に売りにいかなくともという妻の言葉に対し、混乱した今こそチャンスだと夫は語る。
これは、戦争発生によって利益を生む現実があり、戦争によって潤うという実感が庶民感覚でも感得し得たのであろう。 また主人公の弟は侍となり、立身出世を果たす夢を持ち、その野心を妻にバカなことだと制止される。
ここで見えるのは、戦争による武功を立てることが、男にとっての名誉欲や権力欲の達成につながっているという事実である。 そしてまた、主人公は市で高貴な美女に魅せられ、夢のような幸福の日々を過ごす。
ここには、戦争に甘美な夢が伴っているという事の描写であろう。
そして、作中でしばしば、「男=侍=兵」達による、略奪と暴行が描かれるのだ。
この映画で描かれた戦争とは、男達にとってはむしろ夢と欲望を満たす、ビッグイベントであると描写されているように思える。
これはたぶん、戦争直後の日本国民の戦争総括として「一億総ざんげ」という言葉があったように、戦争を求め拡大して破滅した日本人の心の中に、多かれ少なかれ生じた後悔と反省の、映画に記憶された具体的な例証ではなかったか。
実を言えば戦後の昭和の映画や小説は、その原点に必ず「戦争」があると、個人的には思えてならない。 男達の欲望を満たす場としての戦争を描いたこの作品は、その反面戦争がどれほど「弱者=女子供」にとって、過酷で、加重な負担を強いるものかを登場する女達の運命を通し語っている。 
主人公の妻は、戦乱に巻き込まれ悲劇を迎える。
また、主人公の弟の妻は、侍になるため姿を消した夫を探す途中、足軽の一団に乱暴され娼婦になった。
主人公が魅入られた魔性の女性も、織田信長に滅ぼされた一族の末裔であり、戦争被害者なのである。
この映画の女達は、徹底的に蹂躙され、虐げられ、弄ばれ、奪われ、明日の命も約束されない。
そして、その全ては男達の起こした戦争により引き起こされたのだと、映画の全編で語られているだろう。
この戦争に対する痛切な悼みと反省は、共に戦争で傷付き疲弊した世界中の国々にも、共通の思いだったろう。 たとえば、イタリアの「ネオリアリズモ」も、そんな戦争に対する強い反省と忌避感を感じる。
ネオレアリズモ(イタリア語: Neorealismo)とはイタリアにおいて、1940年代から1950年代にかけて特に映画と文学の分野で盛んになった潮流。イタリア・ネオリアリズムとも言われる。
リアリズムの方法で現実を描写する傾向は、当時のイタリアで支配的だったファシズム文化への抵抗として、また頽廃主義の克服として、1930年代ごろすでにあらわれ始めた新たな社会参加から生まれた。知識人は歴史的責任を自ら引き受けなければならず、人々の要求を代弁しなければならないという考え方が、この時期広まっていた。このため、ネオレアリズモの作家・映画人たちは、日常語を模範とした平易で直接的な言語を採用した。(wikipediaより)
この映画を含め溝口作品が、ベネチア映画祭で評価された理由の一つに、この『雨月物語』に代表される「反戦の主張」や『山椒大夫』の「労働者の勝利」などが、そのままネオリアリズモと同様のテーゼであったからだと考えたりする。
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この『雨月物語』が、強い反戦の主張を持っている事は上で述べた通りだが、この『主義・主張』とは時代により大きくその価値が変動する。例えば、モンタージュ手法で有名な古典『戦艦ポチョムキン』は、実は強く「共産主義の勝利」を表現している。
しかし、それゆえ、東西冷戦がソビエト連邦の崩壊によって終息した今となっては、どこか白々しさを感じる。
さらに、アメリカンニューシネマを代表する『イージー・ライダー』は、その全編を通じてベトナム戦争に行きたくない当時の青年達と、大人社会との相克が背景にある。 しかし「ベトナム戦争」が遠い昔となった今、その時代感なしにこの映画を見ても、強い印象は得ずらいだろう。
このように、ある種の「主義・主張」は、時代が移り変わればその価値を減じ陳腐化する事がある。
この『雨月物語』の反戦の主張も、戦後直後に較べ、右傾化に向かっている現代では説得力が減じているのではないかと感じる。
更に言えば、この『雨月物語』の反戦の主張は、戦争を起こした「男達=悪」と戦争被害を受けた「女達=善」という、二元論が単純に過ぎ、図式的過ぎるとも思える。しばしば、強い杓子定規な主張を聞くと、それは説得力に欠け、語る本人から出た言葉というより借り物のように感じられる。
個人的には、この作品の溝口も、その杓子定規な主張の触感から、本当にこの「反戦の主張」をしたかったのかと疑問を持った。実際、その監督の本当に描きたい対象と、その物語内容やテーマが遊離していて、説得力を失っていると感じる映画にぶつかることは稀ではない。
例えば、アカデミー賞監督ベルナルド・ベルトッチの『シェルタリング・スカイ』にも、それを感じた。そして作家の情熱と、語られる内容が「かい離」を来した時、どこかその作品に不自然さを感じ、説得力に欠けると思える。 正直に言えば、溝口作品の中にもそんな生硬な「主張」がしばしば見え、個人的には溝口の資質とは違う夾雑物のように感じ、邪魔に思えるときがある。
それは、ジャン=リュック・ゴダールというヌーベル・バーグの映画監督にも感じた、違和感に通じるものだ。彼は商業主義を捨て社会主義のイデオロギーに全身を没入させた、政治的な作家だった。
しかし、社会主義をゴダールほど信奉していない私からしてみれば、その観念的な主張がむしろ邪魔で、映画としての完成度を貶めていると感じてしまう。100歩譲って、その時代を反映し、その当時は有用であった主義や主張は、その時代には多くの人々の心を掴んだかもしれない。
しかし、社会的有用性を作品に求めた場合、その社会的問題が解消してしまえば、途端に作品価値を減ずることになる。もちろん、その社会的な問題解消を求めてその作品を作る作家であるなら、映画が無価値になったとしても本望であろう。
しかし問いたいのだが、溝口という作家の資質は、社会的な問題を語るのに相応しい映画技術を持とうとしていただろうか。私は、溝口にとって大事だったのは、まず第一に溝口映画の美的完成度であって、そのモチーフやテーマは作品を成立させるためのオマケでしかないと感じる。
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どんな職業においても、仕事熱心な人物は必ずいるもので、それは甚だしい場合常軌を逸し、まるで人外の存在とすら見える。
溝口健二という映画監督も、「映画の鬼」と呼ばれたように、映画に関しては人外の域に達し、映画に耽溺し淫した監督であったと思える。(右:『赤線地帯』撮影時の溝口監督、横は若尾文子)
その完璧主義は、誰よりも早くスタジオに入り、トイレすら立つ時間を惜しみ尿瓶を愛用する徹底ぶりだった。大道具・小道具・衣裳・時代考証などすべてのものに完璧を求め、そのセット組みから眼を凝らし、朝から晩まで飽くことなくリハーサルを繰り返し、ようやく本番かと思えば、つまらなくなった(決まりすぎた)ので、一から組み直しますと、自らの内の理想の映像に達するまで、決して妥協も譲歩もしなかった。
またその演出方法は独特で、役者の演技が気に入らなければ、何度でも「もう一回」と演じさせ、ついに困り果てた女優が「どこがいけないのでしょうか?教えてください」と尋ねても、それはあなたが考える事ですと突き放したという。
個人的に、最も凄いと思うのは、この監督はカメラを一切のぞかず、撮影はカメラマンにまかせっきりだったという事実だ。
それを、カメラマンに対する信頼の証だという者もいるが、実は違うのではないか。
卑近な例で恐縮だが、子供の運動会で撮影した経験がある者なら肯かれるだろうが、ファインダー内の狭い映像を超えて、現実世界ではあらゆる事象が繰り広げられており、レンズ外で起きている事象に関われない自分にストレスを感じる。
結局溝口も、カメラに収まりきらない流れや空気、またその作品世界を鳥瞰し、自らの内の「完璧な映画」と、その現場の小宇宙の合致を、あたかも神の視線を持って五感で探っていたのではないか。その研ぎ澄まされた感性にとって、カメラの限られた視覚情報は、むしろ感覚を鈍くする邪魔者であったろう。
撮影現場で理想像に向かって、万難を排してにじり寄る執念が、溝口映画に華麗でありながら凄味を加えているように思う。
もちろん絵作りのこだわりに関して言えば、小津安二郎にしても、黒澤明にしても偏執的と言って良いほど、その細部に執着はした。
それでも、私的な印象で語らせてもらえば、溝口健二という映画作家の持つ「美意識」は、日本映画史上で最も優れているのではないかと感じる。 もちろん、小津が描いた、水墨画のような世界観も日本的な余白の美を表し、淡麗な気品を湛えてはいる。
また、武家社会の骨太の武者の迫力は、黒沢監督に勝る者は無いだろう。
それでも、日本的な典美を描いて、蒔絵のような豪奢を煌めかせ、品格にまで至る溝口の時代劇に匹敵する映像美は、その流麗な長回しと相まって、余人が成し得るものではない。
それは、イタリアの貴族監督ルキノ・ビスコンティ―の、豪華絢爛たる王族を描いた映画の典美に匹敵するだろう。この監督の、映画以外に自己表現の術を持たず、映画に至上の価値を置く者の厳粛な精勤を見るとき、この監督にとって最も大事だったのは決して「社会改革」でも「女性の解放」でもなく、いかにして「映画の美」を構築しうるかの一点こそ至上の価値であり、例えば映画のテーマも社会的問題も映画を構築するための枝葉に過ぎないと感じる。
映画を愛する者として、そんな「映画至上主義の鬼」によって作られた美は、未来永劫残すべきだと信じる。
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この映画の公開当時の評価は、イタリアのネオリスモの影響を受け、社会的問題を含んで評価を確立したと思える。そして、その問題が社会にとって重大事でなくなる時、その価値を減じているように見える。
個人的には、溝口の描く典美な世界の美だけを追求した作品ならば、満点を付けただろう。
しかし、その美の中に生硬な社会問題を織り込んだだがために、その美に陶酔するには余計な雑音として映じた。
この映画は、他の溝口作品に比べても「反戦」の主張が大音響で響いているように感じ、それゆえ1.5点を減じた。しかし、唯一無二の日本絵巻は見る価値が十分にあるし、永遠に映画史に刻まれるべき美を湛えている。