2020年02月05日

実話映画『市民ケーン』主人公モデル・新聞王ハースト考察/解説・実話・映画違い・作品解釈

映画『市民ケーン』(考察・実話解説 編)

原題 Citizen Kane
製作国 アメリカ
製作年 1941年
上映時間 119分
脚本 オーソン・ウェルズ 、ハーマン・J・マンキーウィッツ
撮影 グレッグ・トーランド


評価:★★★☆  3.5



古典として、不動の地位を獲得している『市民ケーン』。
ここでは、この映画の主人公ケーンのモデルである新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの人生をご紹介します。

そして、その実在の人物が映画の主人公にどれほど反映されているのか、またどこが違うのか確認したいと思います。

するとここには、実在のハーストに対するオーソン・ウェールズの、悪意と見なせる表現が秘められていると思えるのでした・・・・・
film1-Blu-sita.jpg
film1-Blu-sita.jpg
film1-Blu-sita.jpg

<目次>
映画『市民ケーン』予告・出演者
映画『市民ケーン』解説/実話モデル「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」
映画『市民ケーン』解説/事実違い
映画『市民ケーン』解説/愛人マリオン・デイヴィスの真実
映画『市民ケーン』解説/妻ミリセントの真実
映画『市民ケーン』考察/ウェルズのハースト攻撃

film1-Blu-sita.jpg

映画『市民ケーン』予告


映画『市民ケーン』出演者

チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)/ジェデッドアイア・リーランド(ジョゼフ・コットン)/スーザン・アレクサンダー(ドロシー・カミンゴア)/バーンステイン(エヴェレット・スローン)/ジェームズ・W・ゲティス(レイ・コリンズ)/ウォルター・サッチャー(ジョージ・クールリス)/メアリー・ケーン(アグネス・ムーアヘッド)/レイモンド(ポール・スチュアート)/エミリー・ノートン(ルース・ウォリック)/ハーバート・カーター(アースキン・サンフォード)/トンプソン(ウィリアム・アランド)/ジム・ケーン(ハリー・シャノン)/ロールストン(フィリップ・ヴァン・ツァント)/新聞記者1(アラン・ラッド)新聞記者2(アーサー・オコンネル)
film1-Blu-sita.jpg

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『市民ケーン』解説

実話モデル「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」

この作品は、新しい意匠を映画にもたらし、古典として高い評価を得ています。
kane_rwherst.jpgそんな、数々も新しいデザインの中でも、とりわけ「実話モデル」と「現実のスキャンダル」を描く映画のパイオニアとしても記憶されるべき一本だと思います。
以下、この映画の主人公のモデルになった人物と、それが映画にどう描かれているか追ってみたいと思います。

この映画の主人公チャールズ・フォスター・ケーンのモデルは、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(写真)です。
ウィリアム・ランドルフ・ハースト(英語: William Randolph Hearst, 1863年4月29日 - 1951年8月14日)は、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのアメリカの新聞発行人。新聞王と呼ばれた。アメリカの メディア・コングロマリット、ハースト・コーポレーションの創業者。映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。(wikipediaより)

この映画の公開当時78歳だった新聞王の人生を年表にしてみました。

ウィリアム・ランドルフ・ハースト年表


1863年:サンフランシスコで父ジョージ(ゴールドラッシュ時代に銀鉱山を掘り当て富豪となり、後カリフォルニア州の上院議員)と母フィービー(ミズーリ州の学校の教師)の息子としてサンフランシスコで生まれる。

1885年:ハーヴァード大学入学。その学生時代からジャーナリズムに情熱を燃やし、後にニューヨークワールドのオーナーであるジョセフ・ピューリッツァーに弟子入りする。

1887年:ハースト24歳のとき、彼は父親の鉱業の財産を持って、日刊紙 San Francisco Examinerのオーナーで運営者になる。その記事は、ピュリッツァーのセンセーショナルなアプローチと派手なスタイル、イエロージャーナリズムを踏襲する。

1895年:ハーストはニューヨークジャーナルを購入。ハーストはニューヨークのジャーナリズムの覇者、彼が師と仰いだジョセフ・ピューリッツァーと全面対決。ハーストはピューリッツァ―のスタッフを引き抜き、対抗し続けた。
キューバ革命でハーストはニューヨークジャーナルの販売を飛躍的に増大。不正確な情報やデマも厭わない「イエロージャーナリズム」の手法で、センセーショナルに連日報道し、キューバに合衆国が介入するよう呼びかけ、米西戦争に突入するよう世論を煽った。


1898年:ハーストはヨットでアメリカ海軍とスペイン艦隊の戦いを直接取材。彼はその船から、現地特伝としてセンセーショナルなニュースを、米国民に報道し続けた。

1903年:ハーストはニューヨークで21歳のコーラスガール、ミリセント・ベロニカ・ウィルソン(1882〜1974)と結婚。アメリカ合衆国下院議員当選(1907年まで在職)

1906年:ハーストはニューヨーク市長選挙、更にニューヨーク州知事選に立候補し、共に敗北。政治家を断念。

1919年:彼は女優マリオン・デイヴィス(1897–1961)と不倫関係となり公然と同居を始めた。父の遺産カリフォルニア州サンシメオンの240,000エーカーの地に、ハースト城の建設を始める。

1920年代半ば:ロサンゼルス、ボストン、アトランタ、シカゴ、デトロイト、シアトル、ワシントン、サンフランシスコなど全米に28の新聞社のオーナーとなり、全米の4人に1人は彼の新聞を購読したとされる。更に雑誌の発行や、ラジオ局、ニュース映画会社に手を広げた。この頃妻ミリセントと別居(但し法的には離婚せず)

1929年:ドイツの飛行船ツェッペリン号のスポンサーとなる。またこの年、大恐慌により事業の成長は鈍化。

1932年:ハーストはその初期のキャリアでは、大衆の声を代弁していたが、後期になるとルーズベルトのニューディールに対して批判するなど、彼の新聞の論調は資本家擁護の色彩を持ち、一般市民の支持を失い新聞の販売も低迷し、財政状態は悪化して行く。

1934年:ハーストはアドルフ・ヒトラーにインタビューするためにベルリンを訪れた。彼の社説は、ナチスの独裁者を非難することはなかった。

1935年頃:経営状況の悪化による負債の増加のため、愛人マリオンは宝飾品、株式、債券を売却し、ハーストを破産から彼を救うためにに100万ドルの小切手を書いた。マリオンのアルコール依存が高まり、その症状はハーストとの孤立した生活もあり、以降1940年代を通し悪化した。

1937年:既存の債務を返済することができなかったハーストコーポレーションは、裁判所の命令による再編成に直面し、個人資産、新聞やその他の財産は清算され、映画会社は閉鎖、美術品の売却により、ハーストはかろうじて破産を免れた。購入または設立した42のメディア企業のうち、1940年までに17社が残った。

1940年:第二次世界大戦開始以後、新聞の広告収入増加により財政状況は好転。ハーストは最盛期より衰えたものの、それでもアメリカ最大のニュースコングロマリットを率いていた。

1945年:サンシメオンに戻り、ハースト城の建築工事を再開。

1951年:8月14日に88歳でビバリーヒルズで没。愛人のデイヴィスは彼の死まで添い遂げ、金銭的、精神的支援を提供した。

ハースト・コーポレーションは、本社をニューヨークに構え、今なおメディア・コングロマリットとして存続している。
いかがでしょうか?

ハーストに関する年表をざっと書き出してみましたが、映画を見た人なら分かる通り、まんまケーンの姿です。
親が鉱山で一山当てた所から、ライバル社のスタッフ引き抜きや、結婚と愛人生活スキャンダル、選挙での落選、大衆迎合で人気を博し、資本家権益保護に周った事実や、ヒットラー支持、広大な邸宅の建設、経済的破綻や、愛人のアルコール依存まで・・・・・・・

よくも、ここまで個人の私生活を事細かく暴露したものだと感心します。

しかし、事実に則している点よりも、むしろ事実と異なる点にこそ、監督オーソン・ウェールズのハーストに対する悪意を感じざるを得ません。

なぜなら、その相違点のことごとくが、その実像より悪く描かれているのです。
Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『市民ケーン』解説

映画と事実の相違点

Film2-GrenBar.png
○人生の最後
Film2-GrenBar.png
事実と明らかに違う所は、映画当時ハーストは存命だったので、その末路を孤独の内に死ぬという形で描いていることです。
実際、当時78歳のハーストはその時代の平均寿命を越えていて、死に対する恐れもあったとも言われ、それゆえ映画のこの描写に激怒したとも伝えられています。

Film2-GrenBar.png

 ○愛人マリオン・デイヴィスの実像

Film2-GrenBar.png
映画の恋人は売れないオペラ歌手で、ケーンが金で売ろうとして破綻していきます。
しかし、実際の恋人マリオン・デイヴィスは女優として成功していたというのが事実でした。
マリオン・デイヴィス (Marion Davies、1897年1月3日 - 1961年9月22日)は、アメリカ合衆国で1920年代から1930年代にかけて活躍した映画女優。ニューヨーク州ブルックリン出身。新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの愛人として知られる。(wikipediaより)
kne_Marion.jpg
1920年代、マリオン・デイヴィスはスーパースターでした。
彼女の才能は称賛され、有名人として憧憬されました。純粋に才能のある女優であるデイヴィスは、サイレント映画時代の30本を含め、彼女のキャリア全体で48本近くの映画に出演しました。彼女はまた、自分自身の映画のいくつかをプロデュースし、シナリオを他の人に提供したりしています。

デイヴィスの映画のほとんどは収益を充分あげ、彼女は彼女のキャリアの大部分で人気スターの地位を保持したままでした。
実際、デイビスは、1922年から1923年にかけて最大の興行収入を誇る映画「ナイトフッドが花に咲いたとき」と「リトルオールドニューヨーク」で、その年の女性の興行成績 1位を獲得しました。
ジャズエイジ(1920年代)の最盛期には、デイヴィスは全米の国民的アイドルであり、彼女の名前と姿は、全国の新聞や雑誌を常に飾ったと言います。

もちろん、その理由の1つに、彼女がアメリカで最も強力なメディア界の大御所の1人と同居していた点も含まれるでしょう。
しかし、映画で描かれたようなまるで才能のない女性というのは、明らかに誹謗というべきでしょう。

サイレント時代のディビスの映画を下に紹介します。
ディビスのサイレント映画<Show People (1928)>
サイレント時代のスターとして確固たる地位にあった、ディビス。
しかしサイレント時代の大スターも、発声に難があると消えていきました。
デイビスも”Th”の音に問題があると言われていたようですが、上手く乗り切りトーキー時代もスターとして人気を保ちました。
ディビスのトーキー出演作<5to 10>
実際こうして、サイレントとトーキーの出演作を見ても、その必要とされる演技を見事に演じ分けており、決して大根にも才能のない女優にも見えません。

もっとも、デイヴィスのキャリアは、彼女が得意とする喜劇を好まなかったハーストが、悲劇へ出演させようとした事によりその引退を終わりを早めたのは事実のようです。
1937年、カメラの前で20年を過ごした後、彼女はまだ人気がありましたが引退をします。

その後はハーストを支え、毎夜ハースト城で開かれるパーティーのホステス(女主人)として、スキャンダルも生みますが、ハリウッド社交界の中心で活躍したようです。
また映画で描かれた主人公ケーンを捨てた愛人とは違い、ディビスは最後までハーストと一緒に暮らし、ハーストが破産の危機に瀕した時には、私財を投じてその苦境に救いの手を差し伸べ、ハーストの死まで添い遂げています。

総じて言えば、そのキャリアを通し『市民ケーン』で描かれ、定着した「才能のない愛人」とは異なる実像を持っていました。
事実、オーソン・ウェールズ自身も、後に彼女の名誉を挽回するかのように「女優のデイヴィスがキャラクターの基礎ではない」と書いています。

やはり、この映画の主人公と愛人の関係は、その事実と比べより悪く描かれていると、言わざるを得ません。

Film2-GrenBar.png

○妻ミリセント・ベロニカ・ウィルソンの実像

Film2-GrenBar.png
映画では、妻スーザンは愛人の存在に耐えかね家を出ます。そして、場末のナイトクラブの経営者となりますが、アルコール中毒になって身を持ち崩す姿でした。
kane_millcent.jpg確かに、ハーストの妻であるミリセント・ベロニカ・ウィルソンは、愛人と公然と暮らすハーストに嫌気がさし、彼と別居したのは事実です。

ミリセント・ヴェロニカ・ハースト(1882年7月16日-1974年12月5日)は、メディア界の大物 ウィリアム・ランドルフ・ハーストの妻だった。ウィルソンは、ハーストが称賛したニューヨーク市のボードビルの役者であり、1903年に結婚した。カップルには5人の息子がいたが、1920年代半ばにミリセントが夫の長年の女優マリオン・デイヴィスとの関係にうんざりしていたので、別居を選んだ。(英語版wikipediaより)

しかし映画とは違い、ミリセントは社会活動家および慈善家として、ニューヨークで新たな生活を送ります。
1915年にパナマ太平洋国際博覧会のニューヨーク州委員会のメンバーとなって以降、第一次世界大戦中は国防に関するニューヨーク市長委員会の婦人委員会会長を務めたり、1921年には「嬰児のための無料ミルク基金」を設立したりと、篤志家として重きを成して行きました。
そして私生活においても、ハースト城にいる夫はほとんど訪ねませんでしたが、5人の息子とは親密な関係を築き、子供達も最後まで母親の味方でした。

つまりハースト本人は無視して、子供達と共に充実した人生を送ったというのが個人的な印象です。

その事実から見れば、映画で描かれた妻スーザンは「あまりにも悪く」描かれています。

Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『市民ケーン』解説

オーソン・ウェルズのハースト攻撃

上で書いたように、オーソン・ウェルズはハーストの私生活まで含め、細かくその事実を描き、その主人公ケーンが誰をモデルとしているか万人が分かるように描き出しています。

更にそれだけでは飽き足らず、まだ死んでも居ないハーストの、孤独に死ぬ悲惨な死の末路を描きます。
もし、自分が無断にモデルにされ、更に惨めに死ぬ姿を描かれるとしたら・・・・・・あなたは許せるでしょうか?

それだけではありません。
自分だけなら我慢もできるでしょうが、その家族も槍玉に上がるのです。
恋人は、才能がなく売れない芸能人で、自らの才能の無さに絶望した存在として描かれ、その妻は「アル中」の身を持ち崩した存在として、映画上で晒されるのです。

しかも、その家族の描写に関しては、事実に較べ醜悪にデフォルメし、事実とは異なる誹謗中傷が成されているのです。

これは、今ならプライバシー侵害で訴えれば、ハーストは確実に勝てるのではないでしょうか?

このオーソン・ウェルズの、あまりにも変質的で粘着質のハースト攻撃は、何がその根底にあるのかと、この文章を書きながらも自問自答せざるを得ません・・・・・

そんなオーソン・ウェルズの「どす黒い悪意」が現れているのが、そのプライバシー侵害の象徴と言うべき「ローズバッド=バラのつぼみ」という言葉です。
<バラのつぼみ(Rose Bud)>
citi-rosebud.gif
その言葉はハーストと愛人ディビスの、愛の交歓の際に囁かれる秘密の言葉だったのです・・・・・



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]