>映画『戦火の馬』(感想・解説 編)
原題 War Horse 製作国 アメリカ 製作年 2011 上映時間 147分 監督 スティーヴン・スピルバーグ 脚本 リー・ホール、リチャード・カーティス 原作 マイケル・モーパーゴ |
評価:★★★★ 4.0点
この映画を見て、僭越ながら、スピルバーグ監督の表現力の進化を感じました。
今やスピルーバーグはハリウッド映画界を象徴するような人ですが、「激突」の昔から年々作品の幅を広げて来た軌跡を見ると、その努力は如何ばかりかと頭が下がります。
個人的にスピルバーグこそ、ハリウッド映画産業の中興の祖だと思ったりします。
<目次> |
映画『戦火の馬』予告 |
映画『戦火の馬』出演者 |
アルバート・ナラコット(ジェレミー・アーヴァイン)/ローズ・ナラコット(エミリー・ワトソン)/テッド・ナラコット(ピーター・マラン)/エミリーの祖父(ニエル・アレストリュプ)/ライオンズ(デヴィッド・シューリス)/ジェームズ・ニコルズ大尉(トム・ヒドルストン)/ジェイミー・スチュワート少佐 (ベネディクト・カンバーバッチ)/サイ・イーストン(ゲイリー・ライドン)/アンドリュー・イーストン(マット・ミルン)/パーキンス(ジョフ・ベル)/チャーリー(パトリック・ケネディ)/フリードリヒ(ニコラス・ブロー)/ギュンター(ダフィット・クロス)/ミヒャエル(レオナート・カロヴ)/フライ(エディ・マーサン)/エミリー(セリーヌ・バケンズ)/エミリーの祖父(ニエル・アレストリュプ)/ブラント(ライナー・ボック)/デイヴィッド・ライオンズ(ロバート・エムズ)/兵士コリン(トビー・ケベル)/ドイツ兵ペーター(ヒンネルク・シェーネマン)/軍医(リアム・カニンガム)スポンサーリンク
映画『戦火の馬』感想 |
この映画は基本的に「ET」と同じ物語原型を持っていながら、『ET』よりもその描写が繊細で丹念になり、作家としての主張が説得力を持って語れるようになったと思えるからです。
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具体的に言及すれば『ET』『戦火の馬』の2本とも、無垢な魂を持つ弱き者に対して、無限の同情と救済を描いている点で同じテーマの変奏曲だと思います。
その同じテーマを、『ET』ではSF設定の中で、地球に遭難した「宇宙人の子供=弱者」と「地球の子供=救助者」の交流の内に描きます。
映画『戦火の馬』では、1900年代の第一次世界大戦を舞台に「馬=弱者」と「飼い主=救助者」の関係に置き換えられています。
しかし同じ物語構造を持ちつつ、この2本の映画には差が有り、その差を確認するとスピルバーグ監督の表現力の変化が見られると思うのです。
その差異の一つが「弱者」を追い詰める「敵役」です。
「ET」では「敵役」が「政府機関=大人」で、大人対子供という構図になっており、実はこれは「ピーターパン」の永遠の子供と悪い大人の対決の焼き直しだと思えます。
そんなおとぎ話の構造に、「子供とペット(ET)」、映画的に派手なSF的ビジュアルと、ヒット作品の要素がテンコ盛に詰め込まれていることが分かります。
対して「戦火の馬」での敵役は「戦争」です。
それゆえここで描かれている対立の構図とは、戦争という人間の作り出した罪悪とそれにより破壊される自然が表わされています。
ここには明確に「テーマ=人間による自然破壊」が表現されていると感じます。
考えてみれば、若き日のスピルバーグ作品は『激突』や『ジョーズ』、そして『ET』にしても、ある種「おとぎ話の構造=人間の深層心理の顕在化」を、現代的な舞台やSF的な道具立て、特にFXなどの特撮技術を駆使して、刺激たっぷりに描いていました。
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それに対して、後年になるにつれ『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』で表現されるように、社会的なメッセージを語る作品に変化してきたように思います。
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しかし、この映画で「現実的な物語」と「おとぎ話」が、見事な融合を果たしていると感動を覚えました。
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映画『戦火の馬』考察おとぎ話と現実ドラマ |
なぜなら「おとぎ話」の、人々の心の奥底にある無意識世界を強く深く抉るためには、悪夢的イメージとそれに伴うエモーショナルな刺激が不可欠であり、同時にそれは具体的なテーマ性、現実を語るための物語とは相反するものだからです。
その「おとぎ話」と「現実物語」の移行による迷いが端的に出たのが、スピルバーグ監督が始めて現実的な物語を題材にした、『カラーパープル』であり『太陽の帝国』です。
その作品はスピルバーグの意欲に反して「スピルバーグのアカデミー賞狙い」と揶揄(やゆ)され、興行的にも失敗をしました。
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その2作を見れば、やはり、現実に依拠したドラマを描くための説得力、表現技術がまだ不十分だったと感じます。
しかしそこはスピルバーグ、その後に発表する作品で「現実物語の話法」を確実に消化し、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』によって、アカデミー監督賞を受賞しています。
この2作品は真摯なテーマを描いた完成度の高い作品で、当然ながら、現実世界のメッセージを届けるために「おとぎ話」のドラマツルギーを採用していません。
そして、やはりスピルバーグのファンタジーが持つ「おとぎ噺」の力に較べると、どこか「現実物語」は説得力に欠ける印象を持ちます。
個人的な印象としては「理念」を語る映画として見れば不完全燃焼であり、この型の映画であれば他に上手い監督がたくさんいて、やはり「ジュラシック・パーク」などの「おとぎ話」系列の娯楽作の完成度を考えれば、スピルバーグの監督としての資質はコチラにあると、個人的にはかんじられます。(右:『戦火の馬』のスピルバーグ)
例えば『シンドラーのリスト』同様、ユダヤ人ホロコーストを描いた『サウルの息子』の戦慄的な表現力に較べれば、どこかエンターテーメントを意識する分弱いと感じてしまうのです。
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しかしそんなアサハカな私の印象を、スピルバーグは嘲笑うように、この映画『戦火の馬』で超えてしまいます。
すなわち、「理念を語る現実映画」と「おとぎ話」の2系統の作品が並列していたスピルバーグ監督作が、この「戦火の馬」によって、「理念」と「おとぎ話」が融合し、「理念を語れるおとぎ話」として一つの完成を見せたように思います。
この映画では物語としての強さと、スピルバーグの主張が、お互いに補完関係として成立し、馬に降りかかるおとぎ話的運命の変転を追ううちに、自ずから人間が犯した罪悪「戦争」が如何に自然界を毒しているかと、涙とともに考えざるを得なくなります。
しかし今まで語ってきたように、本来相反する要素である「原初的・自然発生的物語=おとぎ話」に「理念という人工物」を渾然一体の形で表現するというのは、水に油を溶け込ませるくらい難しいことです。
それを可能にするためには、語るべき理念を一度トコトンまで突き詰め原初的な「おとぎ話」の要素にまで還元するという、「理念の情念化」とでも呼ぶべき作業を経て、「物語と理念」の完全な融合を果たした結果なのだと思います。
そしてそれこそは、この映画が語った「物語=自然発生物と理念=人工物」の融合という理想を、映画の構成で謳い上げているというのは、牽強付会に過ぎるでしょうか・・・・・・・
いずれにしても、そんな、飽くなき表現の追及にたいする努力と、その結果スピルバーグ監督の成し遂げた表現の進化に、賞賛を送りたいと思います。
もっとも、2017年の映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は「反トランプのメッセージ」を強調する社会性の強い作品でしたが、そうするとこの映画『戦火の馬』以前の、直截な作品表現になっています。
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いずれにしても、スピルバーグ監督は多くの「語り口」を高い次元で獲得し、必要に応じて使い分けられる凄い作家になったのだと、改めて確認しました。
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映画『戦火の馬』解説戦争と軍馬 |
戦争で初めて馬が使用されたのは紀元前5000年ごろだとされます。
紀元前4000年から3000年の間にはユーラシア大陸で、紀元前2500年にはシュメールで使用され、紀元前1600年頃には中近東で馬が引く戦車の戦闘がありました。
<シュメールの戦車>
その後、戦車に代わり騎兵戦術が盛んとなり、紀元前360年のギリシャでは、馬術に関する広範な論文が書かれています。
中世に至り、鎧を身にまとった騎士が活躍しますが、火薬の発明と銃の誕生により、軽騎兵が活躍するようになります。
近代に至り、ヨーロッパではナポレオン戦争の勝利に欠かせない戦力でした。(右:ナポレオン)
また、アメリカ大陸のインディアン征服や南北戦争では騎兵隊が、それぞれ重要な役割を果たしました。
しかし騎兵は第一次世界大戦に至り、機関銃陣や「戦車=タンク」の登場によってその効力を失って行きます。
第二次世界大戦では、斥候として使用されることはありましたが、騎馬兵力は戦力的に重要な存在ではなくなります。
むしろ第二次世界大戦で馬が担った役割は、兵員と物資の輸送の荷馬として各国で使役されました。
ドイツ軍とソビエト軍は、終戦まで軍隊や物資の輸送に馬を使用しています。ドイツ軍で275万頭、ソビエト連邦で350万頭の馬を動員したと言われます。
日本でも、明治初期から昭和20年8月15日第二次世界大戦の終戦に至るまで、多くの軍馬が犠牲になりました。
日本は戦地で使役するため、馬約100万頭を集め従軍させました。
その徴用は民間の農耕馬にも及び、そのせいで米の収穫量が大幅に減ったとさえ言われます。
そうやって駆り集められた馬達は、1頭たりとも再び戦地から戻ってきませんでした。(左: 靖国神社の「戦没馬慰霊」碑 )
歴史上、一体どれだけの動物たちが、人間の引き起こした無数の戦争の中で、命を落として行ったのでしょう・・・・・
人類の醜い争いに巻き込まれた「動物=無辜の命」の犠牲に対しては、1人の人間としてただ恥じ入り、静かに黙とうすることしかできません。
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