原題 Easy Rider 製作国 アメリカ 製作年 1969 上映時間 95分 監督 デニス・ホッパー 脚本 ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、テリー・サザーン |
評価:★★★☆ 3.5点
この映画は、今見ると、さほどインパクトを感じないかもしれませんが、1969年当時は驚くべき映画で、世界中の若者を虜にしたのです。
その新しさは、ハリウッドが培ってきた映画コンテンツの価値を、真っ向から叩き壊すようなメッセージに在ると思いました。
そんなユニークな力は、「既存の大人社会の価値観への反抗」としての「60年代カウンターカルチャー」が、この映画に憑依しているからこそだと思います。
以下、この映画に登場する、当時の若者文化を紹介していきたいと思います・・・・・・・
<目次> |
映画『イージー・ライダー』予告 |
映画『イージー・ライダー』出演者 |
ワイアット=キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)/ビリー(デニス・ホッパー)/ジョージ・ハンセン(ジャック・ニコルソン) /ジーザス(アントニオ・メンドーサ)/カレン(カレン・ブラック)/ヒッチハイカー(ルーク・アスキュー)/ジャック(ロバート・ウォーカー・Jr)/リサ(ルアナ・アンダース)/メアリー(トニー・バジル)/コネクション(フィル・スペクター)/ランチャー(ウォーレン・フィナーティ)/サラ(サブリナ・スカーフ)スポンサーリンク
映画『イージー・ライダー』時代背景 |
この映画には、当時のアメリカ社会の若者文化が大胆に取り入れられ、その時代のドキュメンタリーと言うべき作品です。
ここには、ドラッグやマリファナ、疾走するオートバイ、「ボーン・ツ―・ビー・ワイルド」など刺激的なロック、そしてその当時のヒッピー文化やフラワームーヴメントなど、など。
今となっては雑多な文化的バリエーションの一部に埋もれてしまっているかもしれません。
しかし、当時の自由を求める若者達にとっては、それは切実な主義・主張として存在し、声を上げざるを得ない状況があったようです。
この当時の若者たちが、声を上げ、あらゆる形で、大人社会に”NO”を叫ばざるを得なかったのは、東西冷戦の中繰り広げられた「ベトナム戦争」が、徴兵という形で若者の命を求めていたからに他なりません。
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つまり、ヒッピーの主張や、ロック音楽のメッセージ性も、ドラッグによる現実逃避も、全てベトナム戦争の影があったのでした。
実を言えば、この60年代は人種差別に反対する「公民権運動」でアメリカ社会は分断されており、決してベトナムだけが当時の問題だったわけではありません。
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しかし、若者が主張する自由や平和、そして反政府と言う主張がカウンターカルチャーの基軸に見えるとき、それはベトナム戦争に比重が在ったと個人的には感じられます。
そんな事実を、映画に登場する60年代文化の説明を通して、確認できればと思います。
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映画『イージー・ライダー』考察チョッパースタイルのハーレー |
しかし、メーカー純正のデザインではなく、チョッパースタイルと呼ばれるデザインです。
チョッパーとは「チョップ=切断する」を意味し、純正モデルをぶった切ったカスタム・オートバイのことを指します。
この映画で登場したチョッパースタイルは、見る者に強烈な印象を与え、以後ハレーのカスタム化では欠かせないスタイルとなり、更にはハーレー社自身ます。
<大改造を施されたイージーライダーのバイク>
(左:改造前のハレーと同じ1950年代ハーレー・パンヘッド、右:映画で使われたチョッパーハーレー)
では、このバイクをカスタムしたのが誰か?
長い間謎でしたが、近年その製作者がクリフ・ボーズ(Cliff Vaughs)とベン・ハーディ(Ben Hardy)という2人であると明らかになりました。
この事実を、ピーター・フォンダも自身のフェイスブックで認めています。
クリフ・ボーズは、ベン・ハーディーという当時のチョッパー製作の第一人者と知り合い、彼を師と仰ぎ、バイクの組み立てやメンテナンスを学び、ハーディが製作したバイクにも乗っていたといいます。
ベン・ハーディ(バイク製作者)ベンジャミンF. "ベン"ハーディは1969年ピーターフォンダのロードムービー『イージーライダー』のために、キャプテンアメリカとビリーのチョッパーを作ったアフリカ系アメリカ人の カスタムオートバイビルダー。
製造後20年の中古バイクから作られた、キャプテン・アメリカの大幅にカスタム化されたハーレー・ダビッドソン・パンヘッドは、今までに作られた最も象徴的なオートバイの1つとされ、その世代の時代精神として、反体制の象徴として捕らえられた。もう一人の黒人のバイク製作者、コーディネーターのクリフ・ボーズと協力して、ハーディは2台の「ビリー」バイクと3台の「キャプテンアメリカ」を製作した。そのうちの1台は映画の製作で破壊され、残りは盗難にあった。「ビリー」のバイクは、その当時の黒人ライダーが乗っていたカスタムバイクの典型だった。
ハーディとボーズは、彼らが黒人のため平等に扱われず、そしてアフリカ系アメリカ人のため、米国内で主流の白人オートバイ界に歓迎されず、25年間ほとんど知られず認められなかった。(wikipedia英語版より)
さらにボーズ自身が語るところは衝撃的です。
実はボーズ、この映画『イージーライダー』の誕生にも大きくかかわっていたと言うのです。
この映画製作前の1967年、ピーター・フォンダとクリフ・ボーズはロサンゼルスで近所に住んでおり、バイクに興味があったピーターは、裏庭で単車いじりをしているボーズのハーレーを見に来ていたそうです。
そしてピーターは、ある日デニス・ホッパーを連れてボーズの家に遊びに来て、3人はバイクと映画の話で盛り上がり、その時即興で物語を創り上げました。
それこそ、友人二人が馬の代わりにバイクでアメリカを横断するという『イージーライダー』だったと言うのです。
そして、その時ボーズの家に貼ってあったポスターが、有名なヒット曲 “I Wonder Where My Easy Rider Has Gone”だった。
ボーズは、ここから映画の題名、”イージーライダー”を二人に提案したそうです。
更にトリビア的にこのバイクの話をしますと――
改造前のバイクは、ロサンジェルス警察の払い下げ品で1949、1950、1952年製のハーレー、計4台を500ドルで購入しています。映画のチョッパーは、ボーズが2台、ハーディが予備2台、カスタム製作をしています。
カスタム費用は1台 1,250ドルで、今の価格で言うと300万円程度とする試算もあります。
ちなみに、このピーター・フォンダが乗ったキャプテンアメリカのバイクは、2014年のオークションで135万ドル(約1億5千万円)で落札されたそうです。そして、この映画のチョッパー・スタイルはハーレーのカスタムのスタンダードとして知れ渡っただけでなく、ハーレー社のラインナップとして1971年「FX スーパーグライド」、1977年「FXS ローライダー」へ、その後も「ファットボブ」や「ワイドグライド」などとして、ハレー社の看板デザインとなって行きます。
いずれにしても、この実用ギリギリのカスタムバイクの疾走するシーンは、自由を表すデザインとして、心躍らせるモノがあると思います。
こんなセリフは、スピードと馬力に己を投影する古い世代だからでしょうか?
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映画『イージー・ライダー』考察ヒッピームーブメント |
ヒッピー(英: Hippie,Hippy)は、1960年代後半にアメリカ合衆国にあらわれた欧米の伝統、制度などそれまでの考えかたにしばられた価値体系を否定する、ボヘミアニズムなどとならぶカウンターカルチャー(COUNTER CULTURE)の一派、およびそのムーブメント。ヒッピーは、保守的だったキリスト教文明に批判的であり、「ヒューマンビーイン」に代表されるような、新しいムーブメント、哲学、宗教、や魂(スピリチュアティ)の体験をもとめて、インドなどのヒッピーの聖地やフェスティバルを訪問した。
ヒッピーの一部は、インドなど東洋の宗教、哲学に魅力を感じ、反体制思想、左翼思想や自然のなかでの「共同体生活」への回帰を提案した。また時代背景としてサマー・オブ・ラブ、ベトナム反戦運動や、公民権運動、カウンター・カルチャーとしての反抗的なロック、性の解放やフリーセックス、大麻などのドラッグ解禁、男女平等、各種差別の廃止を主張し、よりモダンな社会の実現を目指した。モンタレー、ウッドストック、ワイト島などのロック・フェスティバルは、ヒッピー運動の成果の例である。社会変革と同時に、精神世界を重んじ、70年代末以降使用されるようになったオルタナティブ(もう一つの選択)という発想や、多様な価値観の尊重を訴えた。(wikipediaより)
こんな、ヒッピーと60年代の青春は『フォレスト・ガンプ/一期一会』で、手際よく見られます。
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このヒッピー運動は「大人たちの作った社会やルール」から自由になりたいという叫びだと、個人的には感じられます。
大人の言う「愛のある結婚」で子供を産むという良識には、フリーセックスの自由を、「酒やたばこは止めなさい」という言葉にはドラッグ解禁を主張します。
結局、若者世代の自由の主張というよりは「大人社会のルール・モラルの否定」に比重があるように感じられ、だからこそ「メインカルチャー=キリスト教的保守主義」に対する「カウンターカルチャー」と呼ばれるのだろうと思います。
そして、子供たちが大人たちの言葉やルールを拒否するその根底には、大人が引き起こした「ベトナム戦争」になぜ若者が徴兵され死ななければならないのかという、理不尽な現実があったからだと考えます。
事実ヒッピーの中には、徴兵から逃れてきた若者が多く含まれ、さらにはベトナム戦争が終結した1975年ごろにはヒッピーカルチャーは消えていくからです・・・・・・
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映画『イージー・ライダー』考察ロック音楽 |
しかし、この映画『イージーライダー』は、初めて既存のロック音楽をBGMとして使いました。
これは、1967年のアメリカンニューシネマ、『卒業』でサイモン&ガーファンクルの曲が使われヒットした例に続き、音楽と映画のメディアミックスの走りだとも言えます。
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そんな当時の若者たちが作り出したのが、ロック・フェスティバルです。
そこでは「ラブ&ピース(愛と平和)」が叫ばれ、反戦の主張が繰り広げられる、メッセージを発信する場だったのです。
そんな、ロックフェスの伝説の金字塔として「ウッド・ストック」があり、それはドキュメンタリー映画にもなっています。
ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている。(wikipediaより)60年代ロック音楽とは、真摯な政治的な主義主張も含まれた、メッセージソングだったのです。
それでは、この映画の挿入歌を何曲か紹介します。
Steppenwolf - Born To Be Wild
Steppenwolf - The Pusher
Roger McGuinn - "It's Allright, Ma
他にもいい曲がいっぱい使われています。ぜひ本編でお確かめください。
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映画『イージー・ライダー』考察大麻・ドラッグ |
そして、映画内で実に頻繁にマリワナを吸い、浮かされたように喋るシーンが挿入されています。
さらに、ヒッピー村ではLSDを渡され、映画の終盤で使用します。
この映画でマリワナ(大麻)を吸うシーンでは、実際吸引し撮影したと、ピーターフォンダは言っています。
ただし、LSDでトリップするシーンで、LSDは服用していないとも語っていますが・・・・・
また、撮影期間中のデニス・ホッパーは薬物による妄想に苛まれ、突然叫び声を上げたりする状態だったそうです。
この違法薬物を摂取する姿を、映画で見せ、しかもその事を悪として描いていない点で、この映画は画期的です。
過去の映画では、依存性の高いモノは例えば「アルコール中毒」など、絶対悪として描いていたのです。
その価値観の変換は、ヒッピー・ムーブメントと密接にかかわっていると思います。
ヒッピー達は「大麻=薬物使用」やドラッグは、魂の自由を獲得する冥想の手段として、むしろ積極的に活用されるべきものと見なしたのでした。
そんな主張によって、敷居の低くなったドラッグ使用の実態を、そのままこの映画は描いていると感じます。
そして、付け加えれば、ベトナムのアメリカ兵達は恐怖から逃れるため、マリワナを含めドラッグを常用していたと言います。
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映画『イージー・ライダー』感想映画『イージー・ライダー』と60年代カルチャー |
作品内でドラッグを本当に使用し、強烈なロックをBGMとしている事も含め、この映画自体が60年代カウンターカルチャーを反映し、さらには60年代のアイコンとして強烈な存在感を持っていると感じます。
そこには、当時29歳のピーター・フォンダが、大俳優ヘンリー・フォンダの息子としての鬱屈を抱え、「父への反抗=体制への反抗」という感情をため込み、それは60年代ヒッピーの持つ精神的状況と共感できる環境にあったからではないかと推測したりします。
ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda、1905年5月16日 - 1982年8月12日)は、アメリカ合衆国の映画俳優、製作者。俳優のジェーン・フォンダとピーター・フォンダは2番目の妻との間の子。実際ピーター・フォンダは、この映画の撮影前にも、実際マリワナでロサンジェルス市警に逮捕されたりしています。
1936年にニューヨークの裕福な弁護士と死別し間もないフランシス・シーモア・ブロカウと結婚し、ピーターとジェーンの二人の子供を儲けたが心身を病み1950年に精神病院で自殺。ジェーンとピーターは父親の後を追って俳優になるが、母親の死の真相を知った二人と父親の関係は次第に悪化、ジェーンとピーター共に俳優として成功した後も、過激な振る舞いでマスコミを賑わせて一時期フォンダを悩ませた。(wikipediaより引用)
ヘンリー・フォンダは自分や他の者が感情的になるのを嫌った。これは彼の性格上で一貫していた。彼は情緒的な平静が乱されたと感じたときは、必ず激情的性向を見せて、怒りの暴発を起こし、彼の家族を怖がらせた。ピーター・フォンダの1998年の自伝「Don't Tell Dad(パパに言うな)」では、父親が自分のことをどのように感じていたのか、わからなかったと描写している。(wikipedia英語版より引用)
いずれにしても、この映画はピーター・フォンダと悪友デニス・ホッパーが、小予算、少人数で取り上げた事で、フランスヌーヴェルバーグのように、その作家の無意識までも作品に沁みこむことになったように思います。
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それゆえここには、60年代の時代精神とも言うべき、ベトナムを含む「大人社会に対する反抗及び逃避」という姿が、ストーリーを超えて映り込んでいると感じます。
それは、その時代を生きるヴィヴィッドな精神だけが奇跡的に補足出来る、時代の化身のような作品として降臨したのでしょう。
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そう言う意味では、作り手の予想を超えて、この映画は60年代の「叫び」として輝いているとも思うのです。
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