原題 Easy Rider 製作国 アメリカ 製作年 1969 上映時間 95分 監督 デニス・ホッパー 脚本 ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、テリー・サザーン |
評価:★★★☆ 3.5点
このバイクが疾走しロックが流れる映画は、当時の若者たちから絶大な支持を得ました。
間違いなく、アメリカ映画界におけるエポック・メーキングな作品として、映画史の中で重要な位置を占めていると感じます。
その新しさは、ハリウッドが培ってきた映画コンテンツの価値を、真っ向から叩き壊すようなメッセージに在ると思いました。
<目次> |
映画『イージー・ライダー』予告 |
映画『イージー・ライダー』出演者 |
ワイアット=キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)/ビリー(デニス・ホッパー)/ジョージ・ハンセン(ジャック・ニコルソン) /ジーザス(アントニオ・メンドーサ)/カレン(カレン・ブラック)/ヒッチハイカー(ルーク・アスキュー)/ジャック(ロバート・ウォーカー・Jr)/リサ(ルアナ・アンダース)/メアリー(トニー・バジル)/コネクション(フィル・スペクター)/ランチャー(ウォーレン・フィナーティ)/サラ(サブリナ・スカーフ)スポンサーリンク
映画『イージー・ライダー』感想 |
そのユニークさは、初めて映画としてドラッグやマリファナなど、違法な事物を肯定的に扱った事、疾走するオートバイと共に「ボーン・ツー・ビー・ワイルド」など刺激的なロックを大胆に取り入れた事、そしてその当時のヒッピー文化やフラワームーヴメントを描いたことなどがあげられるでしょう。
そんな劇中の斬新な要素以上に、この映画の革新性の本質は、その割り切りの良さにあるように思えます。
つまり、従来ハリウッド映画が描いて来た「万人受けするコンテンツ=社会的公序良俗」ではなく、この映画で言えば、若者だけに受け入れられるような「特定層に向けた価値観」を明確に打ち出した点にあると感じます。
そして、その価値観が「反社会性」を帯びていたのは、ハリウッド時代のギャング映画にも共通するものです。
しかし、この映画はその「反社会性の主張の正当性」を「大人社会のひずみ」に求めることで、1969年の若者たちから絶大な支持を得たと思えるのです。
以下、上で述べた点について、補足的に解説して行きたいと思います。
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映画『イージー・ライダー』解説ハリウッド映画と「アメリカン・ニュー・シネマ」 |
特にハリウッドは、世界中の家族が安心して楽しめるよう厳しい倫理規定「ヘイズ・コード」を敷き、その作品価値を高める努力をしていました。
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そんな映画が玉座から滑り落ちたのは、単純にTVが「娯楽の王様」に取って代わったからです。
第二次世界大戦が終わった4年後、1949年になるとアメリカでは放送局107局、TV台数1050万台に達し、急速にアメリカ家庭にTVは浸透していったのです。
しかし、1950年代のハリウッドは、映画でしか見れない大作ミュージカル作品でまだまだヒットを飛ばす底力を見せました。
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また、マーシャルプランの一環として、海外ロケを取りいれた数多くの作品も、世界中の観客を魅了しました。
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そんなハリウッド映画界の努力にもかかわらず、映画産業は衰退の道をたどります。
1955年には観客動員数25億人を誇ったものが、1965年には10億人を切り、1971年には8億2000万人と、史上最低の入場者数を記録し、映画産業自体の衰退は明白になっていきます。
ついに、ハリウッド映画の代名詞であるメジャースタジオ自体が、新たな収益源をTVドラマのシリーズ製作に求めるようになりました。
つまり、ハリウッドが映画を作らなくなったのです。
そんなハリウッド・メジャーに代わって、映画を作ったのがTVドラマを作るために生まれた独立系制作会社であり、そのクリエーター達が「アメリカン・ニュー・シネマ」を生み出したのでした。
そして、そこにはハリウッド・メジャーが失敗したビジネス・モデルとは違う、新たなビジネス・モデルが必要とされていたはずです。
その両者のモデルを対比すると、それはそのまま「イージーライダー」の特徴を表しているように、個人的には思えます。
対比項目 | ハリウッド・メジャー作品 | アメリカン・ニュー・シネマ作品 |
---|---|---|
製作費 | 数百万〜千数百万ドル | 数十万ドル〜数百万ドル |
観客層 | 家族・全年代 | 若年・労働者階級など特定層 |
作品内容 | 社会道徳・正義を謳う | 反社会的・悪逆を描く |
製作体制 | 大規模分業システム | 小規模作家スタイル |
出演者 | ハリウッド・スター | 性格派俳優 |
この対比を分析すれば、結局それまでの大規模な製作費を投じて、全世界を販路とした作品コンテンツの製作というビジネス・モデルは、TVの登場によって必要とされなくなったという事実を示しているように思います。
その事実を前に、新たな映画産業のビジネス・モデルとして「アメリカン・ニュー・シネマ」が出現したという事だろうと思います。
つまりは、小予算によって少数の観客動員で利益を生める形に映画の収支バランスが下がったがゆえに、特定層を狙い撃ちするだけでペイするビジネスモデルが誕生したのです。
この特定の対象に向けたコンテンツとなったことで、その対象層に最も「訴求する=感情移入」できる俳優が求められるようになります。それは、ハリウッド黄金期のスターのように、美男美女が表現した、全世界の憧れとなるような神のような存在ではありません。
なぜなら、秀麗な容姿は、観客にどこか非現実的な夢の世界として映ってしまうでしょう。
「アメリカン・ニュー・シネマ」では、現実を生きる、観客と同じ顔を持つ、同じ悩みを抱えた、親近感を感じられる存在感を持つ俳優が必要なのです。
その要請に応えたのが、アクターズ・スタジオのメソッド演技を身に着けた俳優達でした。
彼らは、容姿はともかく、卓越した演技力を持っており、想定される観客層に合わせて求められる人物像をリアルに演じることができました。
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しかし、こうして俳優が揃ったところで「特定層に訴求するリアルな世界観」を持つ「アメリカン・ニュー・シネマ」の内容を十分に表現する映画技法は、それまで「全人類の夢」を紡いできたハリウッド映画界にはありませんでした。
そこで、そのリアルなドラマを表現する技術を探し求め、1950年代後半のフランス映画界に発見するのです。
その名を「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ぶ、世界中に衝撃を与えた映画ムーブメントは、作家性と心理描写をヴィヴィッドに表現できる斬新なスタイルとして確立していたのです。
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しかし、こう見てくれば、明確に「ハリウッド黄金期の映画」と「アメリカン・ニュー・シネマ」の違いは、その骨格からして異なるというべきでしょう。
ハリウッド映画を代表とする旧来の映画が「人類共通の真・善・美」を描いていたとすれば、「アメリカンニューシネマ」に表される1960年代の映画は「個人的で多様な価値観」を描くことが可能となり、より表現として自由になったと言えるのではないでしょうか?
そしてその理由は、映画が求められる社会的役割と収益への期待が小さくなったことから生まれた、必然的変化だったと思えます。
この映画というメディアが、社会に対する影響を減じて行ったとき生まれた「アメリカンニューシネマ」の姿。
それは、アメリカ社会に求められる若者の責務から逃避しようとする「イージーライダー」の主人公達と、公的な義務から自由になりたいという一点において、オーバーラップして見えもするのです。
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